九州のケッタイ
[ケッタイ怪(け)だらけ#2]
(Strangeness in Kyushu)

-- 2008.10.15 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2013.07.01 改訂

 ■はじめに - 九州人に在る”服わぬ者”の図太さ

 「九州のケッタイ」の最初の事例を掲載したのは
  日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)

に於いてで08年4月中旬のことでした。私は2008年から九州を集中的に旅して居ます -これを「九州プロジェクト」と命名- が、九州は中々に一筋縄では行かない面白い地域であるという事に改めて気付かされました。「国籍不明の関西人」、つまりはコスモポリタン(※1)を自認して居る私ですが、九州の文化も国籍不明と言うか多国籍と言うか熊襲隼人(※2~※2-2)の”服(まつろ)わぬ者”の名残を留め、一つの概念で括れない多様性を有して居ます。その理由の一つとしては中央に遠いという地理的条件も在りますが、逆に中央に飲み込まれず中央を斜めに見て相対化・客体化し乍ら自分たちのアイデンティティーを突っ張っる図太さは、上辺指向・中央指向で直ぐに服って仕舞う昨今のアンポンタン的風潮(※1-2)の中で貴重な気質と言えます。
 私が「奇妙な体(てい)」→「奇体・奇態(きたい)」→「けったい」と解釈して居る「ケッタイ」は関西方言で大阪が本場、そして中国が”ほんまもん”です。ところがどっこい、九州人の生活習慣も可なりケッタイで負けては居ません。そこで「九州プロジェクト」で見聞きした「九州のケッタイ」を当ページに一括して特集することにし、同時に先にご紹介した
  浪速のケッタイ(Strange spots in Naniwa, Osaka)

[ケッタイ怪(け)だらけ]シリーズを構成することにしました。このシリーズ名は勿論「大いに結構」という意味の戯言「結構毛だらけ猫灰だらけ」のパロディーですが、「大いに怪しくケッタイ」なページを目指しての命名です。
 しかし、何と言っても「九州のケッタイ」の本命は「松浦一酒造のカッパ(河伯)のミイラ」だと私は思って居るのですが、遂に2010年12月21日に松浦一酒造(株)を取材しました。それについては最後の章をお・楽・し・み・に!!

 話は戻りますが、「九州プロジェクト」の旅の目的は「九州のケッタイ」を発掘する事では決して無く、別に歴としたテーマが在りテーマに沿った旅だからこそプロジェクトと称してる訳ですが、どうも私には昔から”余所見癖”が有り合目的的に一つの事柄に集中出来ないで本来の目的以外の物事に”目が行って仕舞う”のです。それでついケッタイな物事に寄り道をして仕舞うんですね。この「××して仕舞う」という表現は「自分では××しようとは思って無いにも拘わらず、意に反して気が付いたら××して居た」という状態を表す言葉です。その”癖”の成果の一部が「マンホール蓋」「珍にして奇なる光景」のページである訳です。
 考えて見れば”余所見癖”の人間というのも充分にケッタイな存在で、自分のケッタイを棚に上げ他人のケッタイを「独断と偏見」で論(あげつら)うという”見下げた了見”から作られる当ページの行く末は果たしてどう成ります事やら、見てのお・楽・し・み・で・ごわーー~す(※3)!!

                m(_=_)m

 ■九州人独特の生活習慣 - 九州スタイル

  ◆家庭のゴミを駅のゴミ箱に捨てる習慣

写真1-1:西鉄の駅のホームのゴミ箱の注意書。 先ず右の写真をご覧下さい。これは水郷柳川に行く途中の西鉄花畑駅ホーム(福岡県久留米市)で発見したゴミ箱です。地図は▼下▼です。
  地図-日本・九州地方(Map of Kyushu region, -Japan-)

 貼り紙の文言に注目して下さい(08年4月8日撮影)。

      お願い
    家庭のごみを
    捨てないで下さい。
        西鉄電車


と書いて在ります。ということは家庭のゴミを駅のゴミ箱に捨てる人が多いのです。この注意書は近畿圏でも東京でも名古屋でも見た記憶が有りません、つまり九州人独特の生活習慣(=九州スタイルと言えます。最近は家庭のゴミを余所のゴミ箱に捨てる人は東京や大阪でも多いらしいですが。
    {この節は08年10月15日の初版に掲載}

写真1-2:九州地区のJRの「床座り禁止」の車内注意書。  ◆列車の床にしゃがむ習慣

 更に私の目を引いたのは右の写真(08年4月9日撮影)です。これはJR久大本線の久留米発日田行き普通列車のドアに貼り付けられた注意書ですが、人が床にしゃがんでる絵の上に赤い○禁マークが施されて居ます。そして

    床に座らないでください
       JR九州


と書いて在ります。ということは列車の中で床に座る人が多いのです。大阪でも床に座る高校生など時々見掛けますが、このマークと注意書は近畿圏でも東京でも名古屋でも見た事無いですね。これも九州スタイルの反映です。
    {この節のここ迄は08年10月15日の初版に掲載}

写真1-a1:「床座り禁止」のマークを無視して車内床に座る学生。 さて、左は唐津発伊万里行きのJR筑肥線内床にしゃがむ”現行犯”の中高生09年3月29日撮影)です。ご覧の様に両開きのドアには右上の写真の「床座り禁止」の○禁マークのシールが両側に貼られて居ます。
 この線はワンマンの普通列車しか無い単線のローカル線ですが、対向車待ちで数分間駅に停車した時に運転手が出て来て、ドアの○禁マークを指差して「コレが見えないのか」と言って座席に着かせましたが、座席は”がら空き”だったのです。九州スタイルは身に染み付いた”習性”ですから空席の有無とは無関係なんですね、私は笑いを堪え切れませんでした、オッホッホ!

 因みに、近畿圏では例の「指詰め注意」のシールが”好評”(←ホンマかいな?!)、少なくとも私は高く評価して居ましたが、「○ヤ」文化圏と勘違いされるのを恐れたのか最近は「ドアにご注意」に替わって仕舞い関西の個性が失せて残念です。
    {この段は09年4月3日に追加}

  ◆ゴミ箱の上にも座る”見上げたマナー”

 2010年12月22日鹿児島県出水市(いずみし)渡りヅルを見たのですが、その帰りに乗った三セク線(→後出)の「肥薩おれんじ鉄道」の車内で見付けたビン&カン用ゴミ箱の注意書きを見て下さい、「座らないで下さい」と書いて在ります(左下の写真)。もう何度も言ってきた事ですが、ということはゴミ箱に座る人が少なからず居るのです!
 このゴミ箱は右の様に配置されていて、両方のゴミ箱に「座らないで下さい」の貼り紙がして在ります(右の写真)。多分こちら向きに座り後ろに寄りかかるんでしょう。少しでも楽をしたいという考えで、非常に”見上げたマナー”です!!
    {この段は10年12月24日に追加}

 ■九州鉄道のケッタイ・その1 - JR編

  ◆モーニング豚骨ラーメン食って、車内で臭い息吐いて円卓会議は如何?!

 左下はJR鹿児島本線の熊本発鳥栖行き普通列車のドア付近の円状吊革08年4月9日撮影)で、これも初めて遭遇しました。円周に14個、直径軸に3個(計17個)の吊革が並んで居ます。
 右下はJR長崎本線の普通列車を久保田~諫早駅の区間乗った時の円状吊革(08年9月5日撮影)で、良く見ると吊革の配置が少し異なり円周に12個、直径軸に5個(計17個)です。撮影時には判りませんでしたが見比べると微妙な違いが有る事が判りましたが、吊革の合計数は同じです。
写真1-3:JR普通列車内の円状吊革。写真1-4:JR普通列車内の円状吊革。

 JR博多駅では朝7時からホーム上の豚骨ラーメン屋が開店(左の写真、08年1月19日撮影)し、スーツに身を固めた紳士淑女が殺到する光景を目にして圧倒されました、喫茶店のモーニングサービスに肖(あやか)った「モーニング豚骨ラーメン」は九州スタイルです。JR博多駅の地図は▼下▼から。
  地図-日本・福岡県(Map of Fukuoka prefecture, -Japan-)

写真1-5:午前7時過ぎに最初の客を飲み込んだJR博多駅ホームのラーメン屋。 その為にこの店は朝6時過ぎから豚骨スープを煮出すのでホームには濃厚な豚骨の匂いが充満して臭いの何の堪りまへんが、九州の人はこの匂いに誘われるのです。
 九州の人々は早朝から豚骨ラーメンの臭い息を吐き乍ら円状吊革を掴んで「袖振り合うも多生(たしょう)の縁」とばかりに井戸端会議に興じるのでしょうか?、いっその事ここで会社の円卓会議を遣ったら効率上がるかも知れませんゾ、オッホッホ!
写真1-5-2:JR博多駅ホームのラーメン屋のメニュー。
 因みにこのラーメン屋、暖簾の上のメニュー(右の写真、08年1月19日撮影)を見ると生ビールとか「おでん」「つまみ ××」と在りますので、早朝にモーニング豚骨ラーメンを食した紳士淑女諸氏は帰り掛けにここで一杯引っ掛けるのでしょうか、それとも行き掛けに引っ掛けるのですかな、ブワッハッハッハ!
    {この節は08年10月15日の初版に掲載}

  ◆JR九州指宿枕崎線の生見駅構内の”微笑ましい事件”

 最初に九州人の独特な生活習慣をご紹介しましたが、これを更に裏付ける事件が後日発生しました。事件のニュースは

  『08年10月20日午後1時15分頃、鹿児島のJR九州指宿枕崎線生見駅構内で近くの住民が”焚火”をした為に熱が原因で信号ケーブルが切れ、同駅周辺の一部区間で信号が約1時間に亘り消灯し、上下線4本の列車が運休し計約350人に影響が出た。』

と伝えて居ます。中々”微笑ましい事件”ですね、地元産の薩摩芋で”焼芋”でもしてたんでしょうか?!
 ここは一つ洒落を入れて

薩摩隼人並びに熊襲の後裔に告ぐ!

駅構内にて”焚火””焼芋”を致す可からずでごわす。
違反したら上野公園の巡査と「あの世」の青木昆陽(※4)に
言い付けるでごわすぞ!

南洲西郷隆盛

という貼り紙(又は立看板)を九州の全駅構内に出して戴きたいですな、JR九州さん、西鉄さん!!
 因みに、上野公園には西郷隆盛の銅像が有りまっせ。又、サツマイモの伝播については「日本、珍にして奇なる光景#2」を参照して下さい。
    {この節は08年11月2日に追加、更に13年7月1日にサツマイモの伝播に関してリンクを追加}

写真2-4:JR佐世保駅の「JRの日本最西端駅」のモニュメント。
  ◆JR佐世保駅の日本最西端のモニュメント

 JR佐世保駅(長崎県佐世保市三浦町)には右の写真(09年3月29日撮影)の様に「日本最西端 佐世保駅 JR」と彫った木彫りのモニュメント(個人の寄贈)が在ります。佐世保駅東経129度43分東経の値は小さい方が西です
 しかし、このモニュメントは(JRの中では)日本最西端」という意味で、文字通りでは無く正に括弧付きの表現ですので注意が必要です。後で出て来る松浦鉄道のたびら平戸口駅の方が更に西の駅(→後出)です。
    {この節は09年4月16日に追加}

 ■九州鉄道のケッタイ・その2 - 私鉄/三セク編

  ◆変わりつつ在る鹿児島本線

 JRで九州地区に入ると「小倉~博多~熊本」と九州のメイン都市を通る線を鹿児島本線と呼んで居ますがケッタイな事に現在は鹿児島には行かないのです。これは昔は鹿児島本線は「門司港駅~鹿児島駅」迄行っていた時代の名称をその儘使っているからです。現在は「門司港駅~八代駅」迄で、後は第三セクター線の「肥薩おれんじ鉄道」(※5)か新幹線で鹿児島に行きます。
写真2-1:鹿児島本線終点の八代駅での乗り換え案内。 右が鹿児島本線終点の八代駅での乗り換え案内(熊本県八代市、08年4月8日撮影)です。現在は「八代駅~鹿児島駅」は

  八代駅~川内駅:肥薩おれんじ鉄道(各駅)
    (三セク線、嘗ての在来線)
  川内駅~鹿児島駅:JRの在来線

  新八代駅~川内駅~鹿児島中央駅:
      九州新幹線(超特急)

に置き換えられて居ます。つまり昔の「門司港駅~鹿児島駅」の鹿児島本線は「八代駅~川内駅」間が新幹線三セク線に別れて存在して居るのです。
写真2-2:八代駅に隣接する工場の煤煙。 ところで八代駅のホームに降り立って気が付いた事は、臭いのです。左の写真(08年4月8日撮影)の様に駅に隣接する製紙工場 -八代はセメントや製紙工場が林立- の煙突から煤煙が無遠慮に吐き出され八代の街全体が悪臭で覆われて居る感じです。八代市の皆さん、こんなの声を大にして怒らなアキマヘンで!
 八代海(別名:不知火海)は悪名高き水俣病の公害(※6) -水俣市は八代市の南隣- で汚染された所です。製紙工場と言うと富士山を望む田子の浦が「へどろ」(※6-1)の垂れ流しで汚染されました。言っては悪いですが、こんな臭い街に良う住んでますな。何!、自分らも豚骨ラーメンの臭い息吐いてるので気にならんだと~、然もありなん、トホホ!

 九州新幹線は新八代駅~鹿児島中央駅は既に2004年に開通して居り、現在「博多駅~新八代駅」間を工事中で3年後に完成予定で山陽新幹線と接続させる計画です。「博多駅~新八代駅」開通後は九州新幹線「博多~鹿児島中央駅」が鹿児島本線のメインに成る訳です。
    {この節は08年10月15日の初版に掲載}

  ◆松浦鉄道の”変” - 最西端駅の西に駅?、どちらも西九州線??

 09年3月29日(=アホ中高生が列車の床にしゃがみ注意された日)、私は初めて松浦鉄道の西九州線(伊万里~佐世保、※7)(→後出)に乗りました。因みに、松浦鉄道は三セク線で、同じ松浦鉄道の西九州線(伊万里~有田)は既に08年に乗車済みです。この日は伊万里駅~佐世保駅迄ずっと1本の列車に乗って行くことにし、日本の西の最果てを車窓の景色で楽しむ旅を試みました。所要時間約2時間半、料金は2020円です。伊万里駅は佐賀県、途中の浦ノ崎駅と今福駅の間に県境が在り、その先は長崎県です。ちょうど桜の季節で浦ノ崎駅の「桜のトンネル」が観光客で賑わって居ました。
 松浦鉄道西九州線(伊万里~佐世保)は

  山在り谷在り海在り桜在り(季節限定)、廃墟在りカーブ多し

最果て路線で、車窓風景が変化に富み非常に楽しめる路線です。

 そして「たびら平戸口」(長崎県北松浦郡田平町山内免)という駅に着きました、「たびら」の漢字は田平です。但し、この日は駅に降りませんでした。写真2-3-2:たびら平戸口駅構内の日本最西端駅の表示。
写真2-3:松浦鉄道西九州線の「たびら平戸口」駅構内。 左が駅構内の様子で対向車が停止して居ます。
 中学生(或いは高校生)が踏切を渡って行く向こう側のホームで駅員が案内放送して居る部分の拡大が右の写真です。その背後に「日本最西端の駅」の表示板が在り東経129度35分と書いて在ります。西の最果ては最西端を競って居る様でした。
 東経の値は小さい方が西です。従ってこちらの方がJR佐世保駅より西に在ります。
写真2-3-3:たびら平戸口駅の駅名表示板。 ところが、左上の写真の列車の上に見えて居る駅名表示板を拡大したのが左の写真ですが、当駅の次が「にしたびら(西田平)」と書かれて居ます。おいおい、ここが最西端と宣って置き乍ら何で次が「”西”田平」なんだ?、これは”変”です。これを”変”<その1>とします。実は<その2>が在るのです(→後で説明)。
 この後列車に乗って判ったことは、当駅を出た直後に列車は一旦は西に向かいますが直ぐに左にカーブし南南東に向かうので、次の西田平駅(田平町荻田免)は当駅よりも約30秒東に位置します。紛らわしいので「南田平」にして貰いたいと思います!!。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 2003年の沖縄都市モノレール(愛称:ゆいレール)開通以前は松浦鉄道のたびら平戸口駅が文句無しに日本最西端の駅でしたが、沖縄都市モノレール開通後は「一般レール線では日本最西端駅」という制限付きに成り、制限無しの日本最西端駅の座を沖縄都市モノレールの那覇空港駅(=且つ日本最南端駅)に譲りました。

 実は松浦鉄道にはもう一つ”変”が有るのです。松浦鉄道は伊万里~松浦~佐世保を結ぶ路線も西九州線伊万里~有田を結ぶ路線も西九州線と言い、伊万里で接続してますが別路線なのです。こういう事は普通しないですがねえ。これって”変”<その2>ですよね。
 佐世保線はJR佐世保線が在るので紛らわしいので、伊万里~有田を有田線という名にしたら良いと思いますが、...乗客数がそれ程無いと言われればそれ迄ですが。
    {この段は09年4月16日に追加}




 私は2010年5月27日にもたびら平戸口駅に来て駅で降りてみました。そうしたら駅の外にも「日本最西端の駅」の石柱が在りました(右の写真)。更に石柱には「昭和三十七年秋 田平町」と彫られて居ます。昭和37年は1962年ですね。石柱の奥の建物は公衆トイレです。
    {この段は10年6月5日に追加}

  ◆松浦鉄道「浦ノ崎駅」近くに工場跡の廃墟

 2010年5月27日、松浦鉄道の浦ノ崎駅(佐賀県伊万里市山代町) -この駅は普段はガラガラですが、春の「桜のトンネル」の時のみ俗人を引き寄せる- の500m位南側に実に心に沁みるビルの廃墟が在るので訪ねました(左の写真)。これは川南工業(株)浦之崎造船所跡で、1955年に倒産し打ち捨てられた為に蔦が覆って居ます。
 又、上記の廃墟へ行く途中には開口した防空壕跡が在りました(粗大ゴミ捨て場に成って居ましたが)。「防空壕」という言葉自体が死語化しつつ在る現在に於いて、通行量が少ないとは言え、今時道路脇に開口した儘の防空壕跡が存在する事は極めて珍しく貴重です。
 これは「日本、珍にして奇なる光景#2」で詳しく記して在りますので、そちらの記事をお読み下さい。

 松浦(まつうら)は、昔は「まつら」(※7-1)と言いました。松浦(まつら)と言えば、思い出されるのは『魏志倭人伝』(※8)です。『倭人伝』は「また一海を渡る千余里、末盧国に至る。四千余戸あり。山海に浜(そ)うて居る。草木茂盛し、行くに前人を見ず。好んで魚鰒を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。東南陸行五百里にして、伊都国に到る。」と記します(△1のp40)。伊都国は今の糸島郡とされて居ます。
 末盧国(まつろこく、まつらこく)には、今日で言うアマ(海女・海人)が居たんですね、「皆沈没してこれを取る」と在ります(←但し男か女かは不明)。松浦鉄道沿線は今でも非常に長閑です。
    {この節は10年6月1日に追加}

 ■九州伝統拘泥り派

  ◆馬肉のモツ鍋

 08年9月5日、この日は島原半島(※9)に行きフェリーで熊本に来ました。熊本と言えば馬食文化の本場です。
 もう何回も来ているので私が”常連”に成ってる店の馬肉料理をご紹介しましょう、JR熊本駅近くの「花屋」という店名の飲み屋です。先ずは左の馬肉の串焼き。皿にキャベツと共に1本だけ載って居りのは、元々は4本在ったのに私が写真を撮るのを忘れて食って仕舞ったからで、それ程旨かったというものです。新鮮な厚切り肉を串に刺して焼いたもので中は生(なま)、即ちレア(rare)の焼き加減なのです。

 しかし、この店の極め付け何と言っても馬肉のモツ鍋です。左下が馬モツを韮(にら)と一緒に煮込んでる所、このモツや野菜を芋焼酎飲み乍ら食うのは堪りませんね。豪快旨く安い味はやはり牛モツ鍋よりサッパリして居ます。これぞ熊本の伝統拘泥(こだわ)りの味です!
 そして具を食い終わったら右下の様にラーメン -チャンポン麺に使う太麺がベスト- を入れて食いますので二重に旨さが楽しめるという訳ですが、この二重の旨さは普通の牛モツ鍋でも同じです。麺が赤みを帯びてるのは胡椒の他に唐辛子 -九州は唐辛子文化で九州人が好きな柚胡椒も辛味は唐辛子なのです- をガンガン入れたからで、これが御飯の代わりです。
 この店には馬のレバ刺も在りますが、この日は馬刺しは他の店で食って来ちゃいました。この店には普通の魚介類御飯も在り、ここ1軒で飲食は全て満たされるので手っ取り早く、余った時間を睡眠に注ぎ込める訳です。旅では睡眠は最重要です。


 九州は全体にモツ鍋文化で熊本は馬肉の本場ですが、馬肉のモツ鍋を出す店は熊本でもそう滅多には無いでしょう。どうです、伝統拘泥りの味は!!

 ■九州新感覚派

  ◆トマト大福とは?!

写真3-1:「トマト大福」の車内広告。 2010年5月27日、私は新幹線で博多駅に行きJR九州の「みどりの窓口」で「旅名人の九州満喫きっぷ」 -九州のJR普通列車・地下鉄・私鉄・三セク線を延べ3日間乗り放題で10500円=3500[円/日]- を今回初めて購入して地下鉄&JRで博多から唐津に向かいましたが、JR車中で「トマト大福」なるケッタイな食べ物の車内広告を見付けて仕舞いました(右の写真)、これも私の”余所見癖”の所為です。大福餅の中に完熟トマトがドカンと丸ごと入ってる有り様は強烈です。曰く

  熟したフルーツミディトマトを
  自家製白あんと柔らかいお餅で
  優しく包みました。
  果物のように甘くジュウーシーで、
  酸味のきいたフルーツトマトが
  驚くほどお餅や白餡とマッチした、
  全く新しい
  ヘルシートマトスウィーツです。


だとー!
写真3-1-2:「トマト大福」の値段(1個も10個も同一単価)。 ウヌー、この宣伝文に拠ればトマトと餅皮の間の黄色い層が白餡の様ですが、白餡と餅皮に包まれたトマトの味は斬新過ぎて私の頭の中ではベールに包まれて居ますが、機会が有れば挑戦したいか?、と問われれば何と無く味が想像出来るので私はパスします!
 これを新発売として売り出してるのは博多の和菓子屋ですが、「ジュウーシー」という表現も含めて中々の新感覚派と言って置きましょう。因みに1個180円、10個入り1800円と書いて在りました(右の写真)。通常は10個入りとも成ると単価を下げますが単価は一律、これが冒頭で述べた”服わぬ者”の図太さです!

 私はこの後、筑肥線で唐津から伊万里を経由し、既に見た松浦鉄道の浦ノ崎駅近くの廃墟に向かい、更にたびら平戸口駅に行き降りてみた訳です。
    {この節は10年6月5日に追加}

  ◆島原の「わかめ焼酎」は健康オタク向き

 トマト大福を見付けた翌日即ち10年5月28日島原半島(※9) -午前中は天草四郎所縁の原城、午後からは島原城(※9-1、※9-2)を見学- を旅したのですが、帰りに島原城駅で見た広告に「わかめ焼酎」と在ります(右下の写真)。ムムッ、これも新感覚派ですね!

 宣伝文句には「アルギン酸いっぱい!!健康焼酎」(※10、※10-1)と在り「島原特産」と書いて在ります。会社名は「合資会社 山崎本店酒造場」です。要するにアルギン酸というのはコンブ/ワカメ/ヒジキに多く含まれて居るんですな。七萬石と在るのは松平氏7万石(※9-2)の事です。
 私は帰ってからインターネットで調べてみました。この会社のページは直ぐ検索出来ました。それに拠ると、

  わかめ焼酎 七萬石        720ml    ¥1240
  わかめ焼酎 七萬石        1.8l(1升) ¥1960
  わかめ焼酎 サッカーボール    720ml    ¥2160
  わかめ焼酎 噴火徳利       720ml    ¥1920

と出て来ました。どれもアルコール度数は25%、つまり標準の度数です。値段も標準です。「わかめ焼酎 七萬石」はカルシウム分を多く含んだミネラルウォーターを使い健康に良いそうです。健康オタク向きですな、私はパスします!
 「わかめ焼酎 サッカーボール」というのは長崎県立国見高校がサッカーが強く国見を有名にした -私はサッカーに詳しく無いので全然知らない- のでサッカーボール型徳利を考案したものです。左の写真が今朝乗った島原鉄道(略称:島鉄)の多比良町駅に在ったサッカーボールのモニュメントです。
 「わかめ焼酎 噴火徳利」は会社に降り注いだ雲仙普賢岳の噴火の火山灰で徳利を作ったものですが、噴火徳利には吃驚ですね。
 中々アイデアマンの様ですが、問題はこれらの焼酎が旨いのか不味いのかですが、どうでしょうか??
 この会社では日本酒、リキュールなども醸造して居ます。

 ここで島原鉄道について一言。先ず島鉄は第三セクター線では無いのです。バス、タクシーも経営している歴とした私鉄、つまりJRからの”払い下げ”は受けて無いのです。会社設立は1908年で、1943年に口之津鉄道を吸収合併して居ます。私は可なり昔に島鉄を利用しましたが、2008年3月で島原外港駅~加津佐間駅の区間が廃線 -この区間が嘗ての口之津鉄道の所有分- に成り、今は諫早駅~島原外港駅で運行して居ます。外港駅からは熊本港行きのフェリーが出て居ます。
 そんな中、諫早駅から2つ目、即ち「諫早→本諫早→幸駅(さいわいえき)→小野本町」が在ります、今朝撮りました(左の写真)。
 しかし、全生物は「幸あれば不幸あり」という不文律に従わなければ為らないのです、それがエルニーニョの「幸せ保存の法則」です、ムッフッフ!!
 右上は島原城(※9-1)を模した島鉄の島原駅です、これは帰りに撮りました。

  ◆ビリケンはやはりケッタイ

 トマト大福の略1年後の2011年5月25日に私は福岡県築上郡吉富町とか大分県中津市を訪ねました。吉富町と中津市は隣り合わせていて吉富駅のレンタサイクルで借りた自転車で、午前中はトンボを追い駆け -私の「トンボ好き」もケッタイですが- 、午後から市街地を散歩しましたが、実は「河童の墓」(→後出)を見た後でここに来ました。

 午後3時頃から中津の飲み屋街 -この通りは宮島町通りと言い、この通りが「飲み屋街」だということは右下の写真で、通りに面して「飲み屋」の看板灯がずっと出ている事で判ります(未だ午後3時位なので点灯はして無い)- で見付けたのが右下の写真です。大阪の人には御馴染みのビリケン(※11)ですが地方に於いてはです。
 先ず「味処 かかし」が通りに面したお店です。看板灯の「かかし」の顔は「へのへのもへじ」です。ここは和風ですね。
 右のビリケンクラブは「味処 かかし」の奥に引っ込んだ所に在り、それで赤い矢印で奥を指してるのです。こちらは後でネットで調べたら住所は中津市大字島田でライヴハウスでした。しかし「味処 かかし」とビリケンクラブの看板が2つで1セットに成って居る様で中々「乙」な雰囲気です。

 因みに私はビリケンについては2004年に徹底的に調べて在ります、▼下▼を参照して下さい。
  浪速のケッタイ(Strange spots in Naniwa, Osaka)

 そこから少し引用すると、ビリケンは大阪の人は”通天閣生まれ”と思い込んでいるみたいですが、ビリケン”産みの親”米国ミズーリ州カンザス市のフローレンス・プリッツ(Ms. Florence Pretz)という女性美術教師で、彼女が1908年に或るコンテストに出品して優勝し、この世に産み落とされました。だから生まれはアメリカのミズーリ州なのです。現在、F.プリッツ女史所縁のミズーリ州のセントルイス大学ではビリケンがマスコットに成って居ます。しかし、まぁ、ビリケンはやっぱりケッタイや!
 本ページは「九州のケッタイ」という題ですが、大阪人は”思い込み”が激しいですな。大阪人は更にケッタイや、アヘー~!!
                (>v<)

    {この節は2011年6月8日に追加}

 ■九州のケッタイの本命 - 松浦一酒造のカッパ(河伯)のミイラ

  ◆先ずは前座 - 河童の墓

 2011年5月25日の午後、ここを訪れました。
 大分県中津市寺町鏡智山円応寺(浄土宗鎮西派)天正15(1587)年に黒田如水の開基、真誉見道上人の開山の寺。ここには「河童の墓」が在り(左の写真)、墓には河童の”戒名”も有ります(左の写真の戒名を拡大したのが右の写真)で、今でも寺の法要の時は追善供養が行われます。
 その謂れは江戸中期、人間が毎日日照り続きで苦しんで居る時に相撲ばかり取って居た3匹の河童の頭目静誉寂玄上人に説経されて改心し、戒名を授かりました。
 それが右の写真で本誉覚圓信士本誉覚心信士本誉覚源信士です。河童は死んだら寺を「火の災い」から守ると約束し、その代わり頭の皿が乾かない様にを掘って呉れと言ったそうです。それが「河童の池」です(左の写真)。又、円応寺の屋根瓦は火災除けに「水」の字が刻まれて居て水文瓦と言います(右の写真)。
 尚、この記事は
  河童考(About the Kappa, that is, water imp)

にも載って居ますが、こちらの方が詳しいです。
 この後で前出のビリケンを見付けたという訳で、同じ寺町には赤壁の寺が在ったりと、中津は中々面白い。皆さん、中津は「1万円札の御仁」だけでは無いですゾ!!
    {この節は2011年10月24日に追加}

  ◆真打登場 - 松浦一酒造のカッパ(河伯)のミイラ

 これが「九州のケッタイ」の本命です。先ず前座(※12)の「河童の墓」の後の真打登場(※12-1)です。ということで私は前から行ってみたいと思って居た松浦一酒造(株)(佐賀県伊万里市山代町楠久312)に、2010年12月21日(火)に遂に行きました。前からってどの位前から?、と言うと「浪速のケッタイ」で「瑞龍寺(鉄眼寺)のミイラ・コレクション」の章(※13)を書いた時からですから、2004年以来ということに成ります。そのページの特に「ケッタイな河童と竜と人魚のミイラ」の節が、今回の松浦一酒造(株)と関係が有ります。又、佐賀県伊万里市の地図は▼下▼です。
  地図-日本・九州地方(Map of Kyushu region, -Japan-)

 左下の写真が当酒造の酒蔵で最も神聖な場所、カッパ(河伯)のミイラを祀って在る祭壇 -和式の神棚構造をしている- です。丸く奥深い所の中央に灯明と榊と御神酒 -ここは造り酒屋ですゾ!- で清められたミイラが安置されて居ます。左下の写真の位置を図示しますが解るでしょうか...(*_@)。

 机の上の右端にミイラが入って居た黒っぽい箱が在り、この箱の表面に「河伯」と書かれて居ます(右の拡大写真)。

←ミイラ



←ミイラの入って居た箱   ↑
       表面に「河伯」の文字
            ↑   ↑
           ミイラ  │
                │
            ミイラの入って居た箱

 左がアクリルの容器に納められた河伯のミイラです。一部分では無く全身のミイラです。ミイラは目測で30cm弱です。足は鳥の脚みたいですね。実在しない生物 -貴方(又は貴女)は実在すると思ってますか?!- のミイラ造りには剥製技術(※13-1)が不可欠です。この技術を駆使して複数の生物から「ミイラなる物」を作り出しているのです。
 しかし、そう言って仕舞うと夢が無いですね、ここではやはり「河伯のミイラ」にして置きましょう。
 松浦一酒造(株)には是非取材したいと2004年以来思い続けて来ましたが、この程6年超しでやっと取材して来ましたので、是非そちらを▼下から▼ご覧下さい。
  松浦一酒造とカッパのミイラ(Matsuura-ichi brewing and Kappa's mummy)
    {この節は2010年12月28日に追加}

 又、カッパ(河童/河太郎/河伯etc)について総纏めのページを作りましたので、こちらも興味有る方は▼下から▼ご覧下さい。
  河童考(About the Kappa, that is, water imp)
    {この段は2011年10月24日に追加}

 ■結び - 九州は大らか

 「床座り禁止」の○禁マーク円状吊革は面白かったですね。当ページで採り上げた事々は九州の人々にとっては”当たり前”の日常的な生活習慣(=九州スタイルの一端ですが、九州圏外の私から見ると実にケッタイに見えて仕舞うという事例で、正に「所変われば品変わる」という諺通りです。
写真e:九州のローカル線を走る真っ黄色なJR車輌。 ところで、ご覧の様に当ページの背景色は中国伝来の「き印」精神(※14)を受け継いで「真っ黄色」ですが、最後に九州の久本本線 -本線とは名ばかりで実際はローカル線- を走る真っ黄色なJR車輌(右の写真、08年4月9日に日田駅で撮影)をご紹介しましょう。これはYD型という車輌で「YELLOW ONE MAN DIESEL CAR」です。黄色いワンマンのディーゼルカーですから、当然の事乍ら非電化のローカル線を走る鈍行車輌で、九州では彼方此方で良く見掛けます。疎らな乗客の殆どがお年寄りと通学の中高生という所謂一つの”田舎線車輌”ですが、田舎で「真っ黄色」は目立つ存在です。
 序でに言えば、JR九州では特急車輌も含めると他にも赤・青・黒・白などの原色を配した車輌が多いですが、本州より南に在るので色彩感覚もトロピカル(※15)なんでしょうか、オッホッホ!

 以上が私の”余所見癖”の成果の一部ですが、他にも未だに開口した儘の防空壕跡を見付けて仕舞ったり(←意に反して気が付いたら見付けて居た)と、九州には図太さに加えて細事に拘らない大らかさが在ります。
 今の大阪は”ええカッコし”が増えて”本場もん”のケッタイが激減し個性とパワーを失って居ますが、独自な文化を堅持する九州は底力を見せて居ます。そんな九州を旅すると私の”余所見癖”は益々昂進するばかりで困って居ます。
    {この節は08年10月15日の初版に掲載し、09年4月16日に最終更新}

 尚、[ケッタイ怪(け)だらけ]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:コスモポリタン(cosmopolitan)とは、[1].コスモポリタニズムを信奉する人。世界主義者
 [2].国境や国籍に囚われず、世界を股に掛ける人。国際人。
※1-1:コスモポリタニズム(cosmopolitanism)とは、国家や民族を超越して、直接個人を単位として世界市民に依る世界社会を実現しようとする思想。古くはキニク学派・ストア学派などがこの考えを唱えた。世界主義。世界市民主義。四海同胞主義。
※1-2:安本丹(あんぽんたん、fool, stupid)とは、(アホタラの撥音化か)[1].愚か者を罵って言う語。阿呆(あほう)。馬鹿(ばか)。風流志道軒伝「たはけあり、また―の親玉あり」。
 [2].カサゴ(笠子)の俗称(鯛型の魚で、寛政末に江戸に出回ったが、味が良く無かったので言う)。

※2:熊襲(くまそ)とは、記紀伝説に見える九州南部の地名、又そこに居住した種族。肥後の球磨(くま)と大隅の贈於(そお)か。日本武尊の征討伝説で著名。景行紀「―反(そむ)きて朝貢(みつきたてまつ)らず」。
※2-1:隼人(はやと/はやひと)とは、(ハヤトはハヤヒトの約)古代の九州南部に住み、風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した人々。後に服属し、一部は宮門の守護や歌舞の演奏に当たった。はいと。万葉集11「―の名に負ふ夜声いちしろく」。→隼人舞
※2-2:薩摩隼人(さつまはやと)とは、(古代の隼人の血統を引き、その敏捷・勇猛の点が似て居るから言う)薩摩の武士の異称。転じて、鹿児島県出身の男。

※3:「ごわす」とは、〔補助動詞〕(「ござんす」の変化した「ごわんす」の約)「ございます(御座います)」の鹿児島地方の方言。活用は「ます」と同じ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※4:青木昆陽(あおきこんよう)は、江戸中期の蘭学者(1698~1769)。名は敦書(あつのり)、通称文蔵。江戸の人。伊藤東涯(とうがい)に学んだ。幕府の書物奉行。救荒作物として甘藷(=サツマイモ)栽培を勧め、「蕃藷考」を著す。没後、甘藷先生と称。

※5:第三セクター(だいさん―、the third sector, quasi-public corporation)とは、国や地方公共団体と民間企業との共同出資で設立される官民共同事業体。主として国や地方公共団体が行うべき事業(公共セクター:「第一」)に、民間部門(民間セクター:「第二」)の資金や経営力などを導入して官民共同で行う所から「第三」を冠して呼ぶ。

※6:水俣病(みなまたびょう)とは、有機水銀中毒に因る神経疾患。四肢の感覚障害・運動失調・言語障害・視野狭窄・震えなどを起こし、重症では死亡する。1953~59年に水俣地方で、工場廃液に因る有機水銀に汚染した魚介類を食したことに因り集団的に発生。64年頃に新潟県阿賀野川流域でも同じ病気が発生(第二水俣病)。
※6-1:屁泥(へどろ、sludge)とは、(「泥」の方言から)
 [1].元々は、流れの悪い水底などに溜まった軟らかい汚泥
 [2].パルプ廃液などの未処理廃棄物有機物が河口・海岸・養殖池底などに多量に堆積して泥状に成ったもの。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※7:松浦(まつうら)は、長崎県北部の市。伊万里湾に面する。中世、松浦党(まつらとう)の居城が在った。嘗ては炭鉱都市として栄えたが、現在は炭鉱は閉山。人口2万3千。古くは「まつら」で、肥前国の郡名。
※7-1:松浦(まつら)は、肥前松浦地方(現在の佐賀県・長崎県の北部)の古称。「魏志」に見える末盧(末羅)国に当たる。古代に、松浦県(まつらあがた)、次いで松浦郡が設置された。梅豆羅国(めずらくに)。

※8:魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の『三国志・魏志』巻三〇東夷伝・倭人の条に収められている、日本古代史に関する最古の史料。→邪馬台国。

※9:島原半島(しまばらはんとう)は、長崎県の南東部に突出する半島。中央に雲仙岳が聳え、有明海・島原湾・橘湾に囲まれる。
※9-1:島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原に在った城。1584年(天正12)島津豊久が塁を築き、有馬氏移封後、1618年(元和4)より松倉重政が築城した。後、高力忠房/松平忠房/戸田忠辰/松平忠恕が封ぜられて維新に至る。7万石。森岳城。
※9-2:島原(しまばら)は、長崎県南東部の市。島原半島の東岸、有明海に面する。元松平氏7万石の城下町。市域の一部は1991年の普賢岳爆発に因り被災。人口4万。

※10:アルギン酸(―酸、Algins ure[独], alginic acid[英])は、褐藻の細胞壁に在る粘り気の強い酸性多糖類。ナトリウム塩は水に溶けて粘液と成り、食品の粘度賦与剤接着剤及びフィルム製造などに用いられる。
※10-1:褐藻/褐藻植物(かっそう[しょくぶつ]、brown algae, Phaeophyta)とは、褐色植物門の一綱。緑藻・紅藻と共に海藻の主要な群を成す。葉緑素を含み、ラミナリンマニトールアルギン酸ヨード等を生成する。褐色の色素体を含み、体色は緑褐色、又は淡褐色。全て多細胞で、複雑な体制を持つものが多い。約千五百種コンブワカメヒジキの類。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※11:ビリケン(Billiken)とは、(タフト大統領の愛称ビリーに由来すると言う)
 [1].頭が尖り、眉が釣り上がって、仏像の後光の様なものを具えた裸体の像。1908年アメリカの女性美術家(F.Pretz)が作り美術展に出品、評判と成り、幸運を招くとして世界的に流行
 [2].転じて、頭の尖った人を指して言う語。「―首相寺内正毅」。

※12:前座(ぜんざ)とは、[1].講談・落語などで真打(しんうち)の前に出演すること。又、その人。「―をつとめる」。←→真打。
 [2].落語家などの格付の最下級。
※12-1:真打/心打(しんうち)とは、落語・講談・義太夫・浪花節など寄席の一座で最も技量の優れた出演者。又、それに相当する資格。一日の最後の演目(=取りを勤め、締め括りをする責任を持つ。真/心(しん)。←→前座。

※13:ミイラ(mirra[葡], mummy[英])は、(木乃伊は mummy の漢訳語)人間又は動物の死体が永く原形に近い形を保存して居るもの。天然的ミイラ人工的ミイラとが在り、天然的ミイラは土地の乾燥と、鉱物的成分、空気の乾燥、寒冷の為に、死体が自然に乾固したもの。人工的ミイラは主として宗教上の信仰から人間の死体に加工してその腐敗を防止したもので、エジプトインカ帝国ミャンマーなどに見られる。有名なエジプトのミイラはオシリス信仰と結び付いてBC3000年頃から人工的に作られた。日本では中尊寺金色堂に在る奥州藤原氏3代のミイラ湯殿山のミイラが有名。「―取りが―に成る」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※13-1:剥製(はくせい、stuffing, stuffed animal)は、動物(主に鳥・獣)の皮を剥ぎ、内臓・肉を除き、中に綿などを詰めて縫い合せ、防腐法を施して、生きている形に擬して作ること。又、その物。

※14:き印(きじるし)とは、(「きちがい(気違い)」の「き」を採った隠語)狂人。

※15:トロピカル(tropical)とは、「熱帯の」「熱帯風の」の意。「―な色彩」。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『魏志倭人伝 他三編』(石原道博編訳、岩波文庫)。
 晋の陳寿が撰した中国の魏の史書「三国志」の中の「魏書」の「東夷伝」の倭人の条に収められて居る部分 -正確には『三国志・魏志』巻三〇東夷伝・倭人の条- を日本では「魏志倭人伝」と通称します。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):田尻氏の三池郡高田町田尻の地図▼
地図-日本・柳川/大川/佐賀
(Map of Yanagawa, Okawa and Saga, Fukuoka and Saga -Japan-)

参照ページ(Reference-Page):JR博多駅の地図▼
地図-日本・福岡県(Map of Fukuoka prefecture, -Japan-)
参照ページ(Reference-Page):九州広域の地図▼
地図-日本・九州地方(Map of Kyushu region, -Japan-)
補完ページ(Complementary):九州プロジェクトについて▼
(私の余所見癖も成果の一つ)
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)
補完ページ(Complementary):九州で見付けた開口した防空壕跡や
松浦鉄道の”変”▼
日本、珍にして奇なる光景#2(The RARE and STRANGE scene 2, Japan)
補完ページ(Complementary):「ケッタイ」は中国が”ほんまもん”▼
中国のケッタイな人々(Chinese strange persons)
補完ページ(Complementary):河童についての総纏めのページ▼
河童考(About the Kappa, that is, water imp)
私は国籍不明人▼
2003年・大阪城の梅便り
(Japanese apricot blossoms of Osaka castle, 2003)

九州の熊襲や隼人について▼
2003年・福岡&大分食べ歩る記(Eating tour of Fukuoka and Oita, 2003)
”服わぬ者”について▼
都島の鵺と摂津渡辺党(Nue of Miyakojima and Watanabe family, Osaka)
「結構毛だらけ猫灰だらけ」について▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
私の余所見癖の成果▼
ちょっと気になるマンホール蓋(Slightly anxious MANHOLE COVER)
水郷柳川▼
関西学院グリークラブと柳河風俗詩
(Kwansei Gakuin Glee Club and Yanagawa poetry)

悪名高き水俣病の公害▼
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
出水駅を通過する九州新幹線▼
2010年・出水のツル探訪記(Cranes in Izumi, Kagoshima, 2010)
馬食文化について▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)
「幸せ保存の法則」について▼
2005年・年頭所感-幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)


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