2010年・出水のツル探訪記
[3つのハプニングで波乱万丈の旅]
(Cranes in Izumi, Kagoshima, 2010)

-- 2010.12.24 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2011.01.30 改訂

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 ■はじめに - 肥薩おれんじ鉄道に乗って出水のツルを知る

 2010年の暮れの慌ただしい最中に私は九州南西、鹿児島県の出水(いずみ)という所に渡り鶴を見に行きました。「鶴」(※1)と聞いて鹿児島を連想する人は少ないと思いますが、私も全く同様です。そもそも出水(いずみ)なる土地は今迄の私には全く無縁な場所で、従って出水については何も知りませんでした。
写真0:肥薩おれんじ鉄道の出水駅ホームの鶴の像。
 そんな私が出水のツルを知ったのは今年の11月16日~17日に「旅名人の九州満喫きっぷ」を使って鹿児島を旅した時に、今は第三セクター線と成った肥薩おれんじ鉄道 -嘗ての鹿児島本線の一部区間であるJR八代駅~JR川内駅をワンマンカーが運行- に初めて乗った時でした。肥薩おれんじ鉄道では途中の出水駅が中継駅で乗り継ぎに20分位待たされました。こう成ると暇潰しの為に駅や周辺をウロウロするのが私の性分で、新幹線の駅の屋根が折鶴の様なデザインである事、肥薩おれんじ鉄道のホームに実物大の鶴の像が在る事に気付きましたが、その時は「さては鶴が飛来するのか」と軽く思っただけで乗り継ぎの列車に乗り込み、その日の夕方と翌日の朝は鹿児島市内を市電を乗り継いで見物しました。
 ところが鹿児島見物を終え帰りの肥薩おれんじ鉄道に乗り込んで次は何処を訪ねようかと考え巡らした時に「出水のツル」が急浮上したのです。そこで11月17日に帰りの列車で出水駅に着いた時に車窓から向かいのホームの鶴の像を撮ったのが右の写真です。

 という訳で帰ってからインターネットで出水のツルを調べ、週間天気予報で鹿児島方面が晴れるとされた12月22日(水)に出水を訪ねることにし、以下の様な予定を組みました。前日の21日は伊万里の松浦一酒造を訪ね松浦鉄道西九州線で佐世保経由で熊本泊、翌22日は下関泊です。今回は「青春18きっぷ」「旅名人の九州満喫きっぷ」を組み合わせての低運賃の旅です。出水市ツル観察センター(鹿児島県出水市荘2478-4)は11月~3月中旬のツル飛来期間中は期間中は無休との事です。

        <ツル観察予定表>

  12月22日(水)
    <JR鹿児島本線> <肥薩おれんじ鉄道>  <ツル観光周遊バス>
   熊本(07:24) → 八代(07:57)
            八代(08:02) → 出水(09:31)
                    出水(09:55) → ツル観察センター(10:25)
                              ●ツル観察(約2時間)
                    出水(13:02) ← ツル観察センター(12:35)
            八代(14:49) ← 出水(13:30)
   熊本(15:45) ← 八代(15:11)

          <JR鹿児島本線>       <JR山陽本線>
   熊本(16:01) → 羽犬塚(17:30)
            羽犬塚(18:05) →快速→ 小倉(20:13)
                         小倉で飲食(約2.5時間)
                        小倉(23:13) → 下関(23:31) (宿泊)
                     最終   (00:04) →   (00:18)

 ところが、以下に記す様に3つのハプニング(※2)に遭遇し波乱万丈、めっちゃオモロイ旅に成りました。
 その第1のハプニングの予兆は21日夜に有りました。熊本には何時ものホテルに泊まり何時もの店 -余所者の私は何故かこの店の常連です- で馬刺しや馬肉ステーキに舌鼓を打ち乍ら「今回は出水のツルを見に来た。」と言ったら、店の御上さんが「出水のツルから鳥インフルが検出されたというニュースが今日の夕刊に載ってましたよ。」と言って夕刊を見せて呉れました。私は芋焼酎を飲み乍らその記事を斜め読みしましたが、その時は「発覚したばかりだから明日は大丈夫だろう。」と高を括ってこの店の名物料理の「馬肉のモツ鍋」で仕上げて寝ました。何と言っても熊本は馬食文化の本場です!
写真0-a:満月の晩を過ぎた「有明の月」。
 そして翌22日の朝早く前日の夕刊記事を無視してホテルを出ました。熊本駅に行く途中、西の空には左の写真の様に明け方の満月(7:09頃撮影、手撮り)です。撮影時刻が0:00を過ぎて居ますので月齢計算は前日の12月21日で行います。すると昨晩は旧暦の11月16日で月齢15.4の満月です。この月は「月見の宴」にも載って居ます。
 これから西空に沈んで行く所で、ご覧の様に橙色の月でした。夕陽が橙色に成るのと同じ現象です。手ブレが入り輪郭が暈けましたが、列車に乗らなければ為らないので撮り直しはしませんでした。
 尚、出水市の地図は▼下▼をご覧下さい。
  地図-日本・九州地方(Map of Kyushu region, -Japan-)

 ■第1のハプニング - 危うかったツル撮影


写真1:鶴をデザインした出水市マンホール蓋。 22日の朝9:31に予定通り出水駅に着きツル観光周遊バスに乗るべく西口に出ました。ツル観光周遊バスのバス停を示す案内標識は直ぐ見付かったので私は安心して趣味のマンホール蓋を撮ったりしてバス停前に行きました。出水市のマンホールは予想通り鶴の意匠です(左の写真)。
写真2:ツル観光周遊バスの時刻表に貼られた「鳥インフルに因り運休」の貼り紙。 ところがバス停に着いて吃驚、時刻表の上に不吉な貼り紙が(右の写真)。何と「鳥インフルエンザ発生の為、当分の間、ツル観光周遊バスを運休させていただきます。」と書いて在ります。鳥インフルが発覚し新聞発表されたのは昨日、「昨日の今日」で即運休とは。この分だとツル観察センターも緊急休館の可能性大です、アチャーア!
 昨日の21日迄OKで今日22日からダメとは。これが第1のハプニングです。私は[最大限の]時間と[最小限の]金を掛けて遥々大阪から出水迄遣って来たのに、これでは何の為に来たのか、と思うと目の前が真っ暗に成りました。意気消沈した私は引き返し別の場所の見物に行こうかと思いホームに行き時刻表を見ると10:28迄有りません、今は未だ9:40です。途方に呉れた私は再び未練がましくバス停に戻り再び貼り紙を見た後、それなら出水市内の近場 -確か武家屋敷が在った筈- を巡ろうかと思って地図板を何気無く見ると「電動レンタサイクル好評貸出中」と記されて居ます。貸し出してる所は駅東口の観光特産品館「飛来里(ひらり)」(←この名も鶴が飛来する里を表す)です。私は早速東口に行き電動では無い普通の人力自転車を借り旅行用のリュックを預かって貰いました。昼迄約2~3時間で300円でした。飛来里の小母さんに「何処へ行くんですか?」と訊かれた時は「ちょっと街中の武家屋敷とか...」と言って行き先を誤魔化しましたね、下手に正直に答えて「あそこは鳥インフルで立ち入り禁止ですよ」などと言われたら厄介ですから。
 しかし出水には養鶏農家が多いので地元の人は養鶏への感染拡大を大変心配して居るとの事でした。数年前にアジア及び日本で鳥インフルが大流行した時には日本の養鶏場も大被害を受けましたが、その記事は▼下▼からご覧下さい。出水の農家の人々も恐らくその時の記憶が蘇ったに違い有りません。
  2004年・鳥インフルエンザ流行(Avian Influenza, 2004)

 それでも私は鶴を見にレンタサイクルを現地に飛ばしました。鶴が飛来する場所は出水市の西の八代海に半円形に張り出した半島の北部、住所で言うと鹿児島県出水市荘及び出水郡高尾野町の干拓地です(→高尾野町を知った経緯は後述)。東口から西口に自転車で行くには少し大回りせねば為らず、南の方を回って西口に出て兎に角バス停迄行きました。ケイタイの時刻を見るともう10:05頃でしたので急ぐ必要が有ります。このバス停前の道を取り敢えず西に進み右折して国道3号線に入り、適当な地点で又右折し干拓地に向かえば何とか辿り着く筈です。私は目一杯飛ばしたので汗だく -野外で鶴観察用にパッチと厚手のシャツを着込んで来たのに当日は暖かく17度位- でしたがタオルで顔の汗を拭き乍ら尚も飛ばして漸く「ツル渡来地」の標識が目に入って来ました。干拓地の方に入る所で付近の作業員に道を確認して10:50頃に干拓地入口に着きました。
写真3:鶴が飛来する干拓地入口の「通行ご遠慮」の立て看板。 ところが、右の写真をご覧下さい。「通行ご遠慮」の立て看板です。立て看には

    ツルの高病原性鳥インフルエンザの
     発生が確認されましたので
    通行をご遠慮ください
                 出水市


と書いて在ります。ムムッ!、ここ迄来て、ここ迄来て引き返す訳には行きません。私は近くに居た市の職員らしき人に「ダメですかねえ?」と尋ねたら「ご覧の通りなので成るべく行かない方が良いです。」という返事。私は「成るべくですか?!」と聞き返し「では少しだけ行かせて下さい。」と言って立て看の奥に侵入して行きました。

 (1)東干拓地

 干拓地入口の難関を突破したら直ぐにツルが見えて来ました。左下の写真の3羽を望遠で撮ったのが右下の写真で、マナヅル(真名鶴)(※1-1)です(△1のp198)。
写真4:干拓地遠景とマナヅル。写真5:マナヅル(望遠)。

 干拓地内道路を少し北に進むとツル監視所(左下の写真)が在り、その板壁には鳥インフル予防用の防疫マット設置の貼り紙(右下の写真)が在りました。
写真6:干拓地内道路上のツル監視所。写真7:ツル監視所板壁の防疫マット設置の貼り紙。
 私はここの職員の小父さんに、この辺りで目立つグリーンの屋根の大きな建物はツル観察センターかと尋ねたら屎尿処理場だという返事です。そして、ここは東干拓地で野田川の向こうが西干拓地(後出)で、西干拓地にも沢山ツルが居ると教えて呉れました。ツル観察センターは更に奥の方だとも言いました。私は言われた通り西に向かうと下の写真の様に沢山のツルの群れ -マナヅルとナベヅル(※1-2)、飛んでるのはナベヅル- です。
写真8:干拓地のマナヅルとナベヅルの群れ。
               ↑           ↑
              マナヅル        ナベヅル

写真9:マナヅルとナベヅル(望遠)。

 左はマナヅル(奥の2羽)とナベヅル(鍋鶴)(手前、△1の194)の望遠写真です。ナベヅルはマナヅルよりも小型です。
 

 (2)西干拓地

 私は野田川に架かる東西干拓橋を渡って西干拓地に行きました。この橋は文字通り東西の干拓地を結ぶ橋で、左下の写真は西干拓地から橋と東干拓地を見たもので、川の向こう側は八代海です。
 右下は求愛のディスプレー(※3)を始めるかと思われた2羽のマナヅルですが、結局ディスプレーは無し。
写真9:東西干拓橋。写真11:マナヅル(望遠)。
 下は飛翔するナベヅルの一群で着陸態勢に入って居ます。この写真ではカットしましたが、この一群の下にはナベヅルの大群が餌を啄んで居ました。
写真12:飛翔するナベヅルの一群。

 ここらで私を窮地から救って呉れたレンタサイクルをご紹介しましょう(左下の写真)。ご覧の様に何の変哲も無い単なる人力自転車ですが、私は人力が好きですね。自力で漕いで走る、自転車はこれが基本です。出水駅からここ迄はずっと平坦な道なので、これで充分。安易に電動などの他力に頼っては行けません、それは畢竟自分の体力減退に繋がります。
 ところで自転車の背景の西干拓地にはツルが写って居るのです。左下の写真の右ハンドルの部分を拡大したのが右下の写真です。背後の湿地にはマナヅルが居ますね、山の手前にはツルが連なって飛び、湿地の右端の方にはナベヅルの群れが居ます。又、この西干拓地からは北西に天草諸島が望めます。
写真13:私が借りたレンタサイクルと西干拓地の風景。拡大→写真13-1:自転車ハンドル部の拡大。背後にマナヅルとナベヅルの群れ。
 まぁ、こういう環境を私は自転車で自由に走り廻った訳で、天気も好く非常に爽快でした。

 (3)再び東干拓地を通って帰路

 未だ未だここでツルたちを眺めて居たい気分でしたが、そろそろ時間です。予定表に記した様に13:30発の列車に乗らねば為りません。とは言っても未だ余裕が有りますので元来た道をツルの群れを眺め乍らゆっくりと漕いで行きました。途中でツルの顔を確りと撮りたいと思い自転車を止め近付きますが、向こうも野生の鳥、凡そ20m位迄しか近付けません。それ以上近付くと翼を広げ10m位先に逃げます。こちらとの距離を測ってる様で、この性質はノラ猫と同じです。という訳で妥協した距離から望遠で撮ったのが下の2枚です。左下がマナヅルの顔(距離約35m)、右下がナベヅルの顔(距離約25m)です。ツルは眼が赤いのですね。
写真14:マナヅルの顔(望遠)。写真15:ナベヅルの顔(望遠)。

 最後は出水の山並み -中央の尖った高峰が矢筈岳- を背景にした東干拓地のツルの群れの風景です。
写真16:出水の山並みを背景にした東干拓地のツルの群れ。
 野生のツルが鳴き騒ぎ乍ら干拓地全域で厳しい自然と対峙して生活を営んで居る姿は実に壮観、動物園のツルからは得られない感動を覚えました。
 出水には毎年ナベヅルが約1万羽、マナヅルが約3千羽、その他にクロヅルアネハヅル(→後出)カナダヅルソデクロヅルなど、総数約1万5千羽以上が渡って来るそうで11月~2月一杯が見頃です。

 (4)帰路で発見したもの

写真17:東干拓地の出水郡高尾野町のマンホール蓋(鶴のデザインでは無い)。 往路では急いで居たので気付きませんでしたが、干拓地を出て国道に出る手前の道を走って居た時にマンホール蓋が鶴のデザインでは無い事に気が付きました。マンホール・ウォッチャーの私は早速自転車を止めてパチリ。左の写真をご覧下さい。楓の様なデザインで「たかおの」と刻印して在りますが、ここは出水市では無く出水郡高尾野町だという事です。
写真18:出水郡高尾野町下水流の道路標識。 そして国道3号線に出たら「下水流(しもずる)」の標識です(右の写真)。家に帰ってから地図で調べると、ここは出水郡高尾野町下水流です。
 私は鶴飛来地はてっきり全域出水市だとばかり思い込んで居た -ツルの事は出水市ばかりが宣伝して居て高尾野町は”余所者”には全く未知の土地- のですが、地図を良く見ると出水市というのは凹字形をして居て、凹んだ所に高尾野町が上から食い込んでる様な形で、従って

    出水駅は      → 出水市鯖淵
    東干拓地と侵入路は → 出水郡高尾野町下水流
    西干拓地は     → 出水市荘

という具合です。これがマンホール蓋の効用、マンホール蓋は「思わぬ発見への扉」なのです!!
 帰り掛けに出水市の農家付近を走ってる時に、出水市長が農家の拡声器を通じて鳥インフル拡大防止の為に「市民へのご理解とご協力」を訴える緊急放送が聞こえて居ましたが地元は可なり緊迫した様子でした。

 (5)出水駅で見た九州新幹線

 私は午後1時過ぎに出水駅に着き肥薩おれんじ鉄道の列車に乗りますが、未だ時間が有るので九州新幹線の写真を撮りました。右の写真は出水駅を通過する鹿児島中央駅往きの新幹線です(撮影時刻は13:12頃。時刻表で調べたら新八代12:49発の列車です)。新八代駅~鹿児島中央駅間は既に2004年から営業運転して居り、出水は新幹線停車駅です。
 そして来年(=2011年)の3月、即ち3ヶ月後には博多駅~新八代駅が営業運転し博多駅~鹿児島中央駅が全線新幹線で結ばれます

              ◇◆◇◆◇

 以上の様に、私は鳥インフルの第1のハプニングで「ツル撮影危うし!」の危機一髪でしたが、周遊バスでツル観察センターに行くよりも自転車で自由に廻れたので却って良かったですね。野生のツルの写真を沢山撮れて、「終わり良ければ全て良し」と思ったものでした、一時は。

 ■第2のハプニングは事実上影響無し

 私は予定通りに13:30発の肥薩おれんじ鉄道に乗り、前日伊万里の酒造会社で買った酒を佐世保の竹輪をアテにチビチビ飲み乍ら、干拓地のツルの姿を思い起こしたりして非常に良い気分に浸って帰りました。ところがJR熊本駅に着くと何やら構内放送が喧しい。これから向かう途中駅付近で人身事故が有り列車が遅れを出してるとの事です。事故の内容は

 22日15時01分頃、鹿児島本線荒木駅~西牟田駅間の踏切に於いて、上り普通列車に人身事故が発生し現在警察が現場検証中。

というものです。
 下関には今夜中に着けば良いので然して気にも留めずにJRの普通列車に乗り込むと時刻表通りに発車しましたが玉名駅で30分位停車しました。これが第2のハプニングでしたが羽犬塚駅の快速待ちに35分在るので、そこで吸収したら良い訳です。事実、羽犬塚駅発18:05の快速には2分の時間差で間に合いましたが、やはり事故の影響で博多駅に近付く程信号待ち停車が多く成り博多近郊を通り過ぎる間はノロノロ運転で、そして夏の夕立の様な雷雨が激しく降り付けて窓ガラスがバリバリ音を立てて居ました。
 博多近郊を過ぎると列車は通常速度に戻り小倉駅には15~6分遅れで着いたのでアバウトにはほぼ予定通り、と言えます。私は気分良好でしたので小倉で降り鳥インフルをぶっ飛ばす為に焼鳥を食って祝杯を挙げました。しかも案の定、博多の雷雨が私が飲んでる間に小倉を通過し、最終で帰ろうと11:40頃に店を出た時は雨も上がり「終わり良ければ全て良し」と思ったものでした、一時は。

 ■第3のハプニング - 関門抜けるのに1時間遅れ

 ところが小倉駅に着いてみると何やらホームが騒々しいので、構内放送に耳を傾けると又もや人身事故が有ったとか。事故の内容は

 22日22時45分頃、北九州市戸畑区中原西のJR鹿児島線九州工大前駅で、通過中の博多発門司港行きの快速列車がホームに居た専門学校生に接触、専門学校生は病院に運ばれた。

というもの。これが第3のハプニングですが、同じ路線(=JR鹿児島本線)で1日に2度も人身事故が起こるというのも珍しい事です。後日のニュースは「専門学校生はホームに寝て居て頭部が列車と接触したもので、病院に運ばれたが間も無く死亡が確認された。鹿児島本線は特急など21本が最大で72分遅れ、約4500人に影響した。」と報じて居ました。
 私も4500人中の一人だった訳ですが、この事故の影響で私が乗った最終列車は遅れて発車した上に次の門司駅で40分位停車した為に、下関駅前のホテルに着いた時は1時半頃でした。まぁ、このホテルには下関で飲んで2時半頃帰った事も有るので屁とも思ってませんが。

 ■結び - 万葉時代には大阪にも鶴が居た、
         そして内モンゴルで見たアネハヅル

 以上が「3つのハプニングで波乱万丈の旅」の全顛末でした。偶にはこういう日も在るんですね。しかし、何はともあれ、野生のツルを見れて写真も撮れて良かったと、今は胸を撫で下ろして居ます。
 今、私は出水の干拓地にもう一度行きたいと思って居ます。この日確認出来なかったクロヅル(黒鶴)(※1-3) -クロヅルは出水では極めて数が少ない(△1のp192)様ですが- を見てみたいですし、マナヅルのディスプレー飛翔してる姿をもっと撮影したいですね。この冬は鳥インフルで難しそうなので、来季に期待しましょう。もう場所が解ったので次回はもっと時間を掛けて、再び人力自転車で行こうと思って居ます。

  ◆大阪の鶴

 我が大阪でも昔は鶴が生息して居たのです、ご存知でしたか?
 大阪湾は古代は干潟で、今は焼肉で有名な「鶴橋」という地名も昔は付近に鶴が飛来し「鶴の橋」という名の橋が在った -一説には「津の橋」、現在は「つるのはし跡」の石碑が立つ- からとか。その証拠に『万葉集』には大阪湾の鶴が詠まれて居るのです。

  難波潟 潮干に立ちて 見わたせば
    淡路の島に (たづ)渡る見ゆ
          詠み人知らず

 日本では鶴の事を古くは「たづ」(※1-4)と呼びました。巻7-1160(△2)のこの歌は上の「鶴の橋」のページで既に紹介済みですが、私が非常に好きな歌なので再度ここに掲載しました。上田秋成もこの歌を讃えて居ます(△3のp63~64)。

  ◆外国で見た鶴 - ヒマラヤを越えるアネハヅル

 クロヅル(※1-3)については数年前、中国のチベット族が住む雲南省高地(標高約3500m)や貴州省の奥地でクロヅルが居ると聞いて湿地を観察し、特に後者では薄氷の張った湖に今にも浸水しそうなボートで芦原の中へ分け入って貰いましたが、カメラを持った手が凍えるだけでクロヅルは確認出来ませんでした。尤も当時はクロヅルの事をてっきり「全身真っ黒な鶴」と思い込んでましたから、これでは見付けられませんね。
 しかし09年の秋に中国の内モンゴル自治区(※4)を旅した時に偶然に草原の中の水溜まりに数10羽の鶴を見付けました。この日(=09年9月13日)は錫林浩特市から東南へ車で2時間位の「モンゴル民族が実際に遊牧生活」を送っている所 -観光用に1時間ナンボで”擬似テント生活”を見せる所は車で15分位の所に在る- へ行く途中でした。

 左右の2枚の写真をご覧下さい。その時には単に「ツル」と思って居ましたが、ツルの種類について少し解って来た今その写真を見たらアネハヅル(姉羽鶴)(※1-5)なのです(△1のp201)。
 アネハヅルの特徴は頭の後ろの白い飾り羽頸の下に伸びる黒い飾り羽で、全長は95cm位でツルの中では小さいです。


 しかし、この数10羽の群は10分位居ただけで何処かへ飛び去って行きました(右の写真)。帰りにもここを通りましたが最早1羽も居ませんでした。一期一会でしたね。
 因みにモンゴル地方(=モンゴル国や内モンゴル)ではアネハヅルは最も一般的な種でツルと言えばこのアネハヅルを指しますが、これがヒマラヤ山脈を越えてインドへ渡るツルですので、今改めて吃驚して居ます。アネハヅルは出水にも迷鳥として遣って来ますので、或いは出水で会えるかも!

 という事で内モンゴルの記事をここに入れましたが、中々時間が足りない、否能力が足りないので、撮って来た写真に追い付けないのが現状です...(>v<)。
    {この章の大阪の鶴と外国の鶴の話は11年1月30日に追加}

φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:鶴(つる、crane)は、(一説に、朝鮮語”turumi”と同源。又、鳴き声を写したものと言う)
 [1].ツル目ツル科の鳥の総称。古来、長寿の動物として尊ばれた(「鶴は千年亀は万年」)。大形で頸・脚共に長い。沼地・平原などに群棲し、地上に営巣・産卵。日本ではタンチョウマナヅルナベヅルなどを産するが現在では何れも稀。タンチョウを単にツルとも言う。タンチョウ以外は渡り鳥。古名、たづ・たず(鶴・田鶴)。土佐日記「見渡せば松のうれごとにすむ―は千代のどちとぞ思ふべらなる」。
 [2].紋所の名。鶴を種々に図案化したもの。鶴丸・舞鶴・鶴菱など。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-1:真名鶴・真鶴(まなづる、white-necked crane)は、ツルの一種。全長約125cm。頸の大部分が白い他は全身灰色で、額と頬とは裸出して赤い。東北アジアに分布するが、現在日本では鹿児島県の一部に冬季少数渡来するのみ。雑食性。餌を獲り乍らディスプレー(ツルのダンス)をする。グルーと大きな声で鳴く。特別天然記念物。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-2:鍋鶴(なべづる、hooded crane)は、ツルの一種。全長約96cmで、日本で見られるツルの内で最小。雑食性。コォーと甲高い声で鳴く。飛ぶ時はV字形の編隊を作る。シベリア方面で繁殖。灰黒色。頸から上は純白色、額・頭頂は無毛で赤色。昔は日本各地に冬鳥として多数渡来したが、現在では山口県熊毛町八代・鹿児島県出水市に渡来し、天然記念物に指定。中国からシベリアなどに分布。
※1-3:黒鶴(くろづる、common crane)は、ツルの一種。淡灰色で、頭頂が裸出して赤く、脚は黒い。ユーラシア北部で繁殖し、冬、南に渡る。日本にも少数が渡来。玄鶴。〈日葡〉
※1-4:鶴・田鶴(たづ、たず)は、(主に歌語として)ツル(鶴)の古名。万葉集1「この洲崎みに―鳴くべしや」。
※1-5:姉羽鶴(あねはづる、demoiselle crane)は、胸に黒色の飾り羽が有るツル科の鳥。全長95cm。風切り羽が非常に長く尾端を超えて垂れ下がる。ロシアで繁殖しヒマラヤ山脈を飛び越えてインドへ渡る。日本では、鹿児島県出水市などで希に観察される。

※2:ハプニング(happening)は、[1].思い懸けなく起こる出来事。偶発事件
 [2].現代芸術で、偶然的な要素の導入、及びそれに反応する表現活動。イベント・パフォーマンス。詩人アラン・カプローが上演した一種の演劇(1959)に用いた語。「―芸術」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※3:ディスプレー(display)とは、〔生〕動物の生得的行動の一。威嚇・求愛などの為に、自分を大きく見せ、又、目立たせる動作や姿勢。誇示。誇示行動

※4:内モンゴル自治区(うち―じちく)/内蒙古自治区(うちもうこじちく)は、(Neimenggu Zizhiqu, Inner Mongolia autonomy district in China)1947年内蒙古地域に成立したモンゴル族の中華人民共和国の自治区。省に相当する。面積約120万k㎡。人口2237万(1995)。大部分が草原・砂漠で、牧畜業が盛ん。黄河流域の河套(ホータオ)平原は古くから灌漑農業が発達。包頭(パオトウ)市は同国有数の鉄鋼基地。区都はフフホト(呼和浩特)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上出典は主に広辞苑)

【参考文献】
△1:『山渓ハンディ図鑑7 日本の野鳥』(叶内拓哉・安部直哉・上田秀雄著、山と渓谷社)。

△2:『万葉集(上)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。

△3:『春雨物語』(上田秋成著、漆山又四郎校訂、岩波文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):九州北西部の地図▼
地図-日本・九州地方(Map of Kyushu region, -Japan-)
参照ページ(Reference-Page):内モンゴル(内蒙古自治区)の地図▼
地図-モンゴル国と中国の内蒙古
(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)

参照ページ(Reference-Page):鳥インフルエンザの原因について▼
資料-最近流行した感染症(Recent infectious disease)
参照ページ(Reference-Page):「有明の月」や旧暦と月齢の関係について▼
資料-「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
補完ページ(Complementary):04年の鳥インフル大流行時の記事▼
2004年・鳥インフルエンザ流行(Avian Influenza, 2004)
伊万里の松浦一酒造でカッパのミイラの見学▼
松浦一酒造とカッパのミイラ(Matsuura-ichi brewing and Kappa's mummy)
熊本で私が常連の店の「馬肉のモツ鍋」▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)
熊本の「有明の月」の2日前の夜の月▼
月見の宴(The MOON watching banquet in Japan)
私はマンホール・ウォッチャー▼
ちょっと気になるマンホール蓋(Slightly anxious MANHOLE COVER)
常に人間と一定距離を保つノラ猫▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
古代の大阪湾や「鶴の橋」や『万葉集』に詠まれた大阪湾の鶴など▼
猪甘津の橋と猪飼野今昔(The oldest bridge and Ikaino, Osaka)


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