*** ♂エルニーニョからの一言♀ ***
プーペット君(ラオス出身)と初めて会ったのは昨年(2002年)、未だ神戸大学の大学院博士課程に在籍して居た時です。母国復興の意欲に燃える彼は、学部と修士課程は土木工学を学び、博士課程で経済学を修めて国の礎に成ると言って居ました。
ところでその時、何故アメリカやフランスでは無く日本に留学したのかと尋ねたら、「少年の頃母国で日本の”忍者”のテレビ番組を見て忍者に憧れて居たから」と言ったのでした。そこで私は「博士論文を提出し終わったら”忍者村”に連れて行って遣る」と答えて、03年1月28日にその約束を果たしました。この時の伊賀忍者村訪問記は▼下▼からご覧下さい。
2003年・伊賀忍者村訪問記(Iga NINJA-village, Mie, 2003)
そうしたらそのお礼のメールで、自らを「忍者ぷーぺっと」と名乗ったのです(→後述)。多分忍者村の風に当たり鶴橋の焼肉のエネルギーで変身したのでしょう、遂に「忍者ぷーぺっと」の誕生です!
更に03年3月22日にプーペット君の「博士号取得及び送別パーティー」へ招待してくれたのです。このページではそのパーティーの模様を中心に記す事にします。
基本データ |
■ラオスの歴史と現在 ○歴史 14世紀 :最初の統一国家誕生(ランサン王国) 1899年:仏領インドシナ編入 1953年:フランスから独立、その後王制派と反王制派の間で内戦 1975年:ラオス愛国戦線が王制を廃止し社会主義国 ラオス人民民主共和国 を樹立、今日に至る(86年に市場経済導入) ○現在 面積 :23.7万ku 人口 :460万人(人口密度:19.5人/ku) 首都 :ヴィエンチャン(ビエンチャン)(中国名:万象) 民族 :ラオ族(※1)60%、他はヌン、赤タイ、黒タイ、カー、 ミャオ、ヤオetc(約100の少数民族) 公用語 :ラオ語 宗教 :仏教(上座部)95% 主な産業 :水力発電、米、木材、スズ (特に隣国タイ、ベトナムへの水力発電供給が輸出の中心) 今後の課題:植民地支配及び内戦からの経済復興と教育 |
●Phouphet Kyophilavong氏の経歴 1974年2月:ラオスで生まれる 小学校、中学校の成績は普通以下 高校から母国の経済復興というテーマに目覚め、猛勉強を開始 1994年:国費留学生として来日 1994年4月:大阪大学工学部土木工学科に入学 1998年4月:大阪大学大学院修士課程工学研究科土木工学専攻に入学 2000年4月:神戸大学大学院博士課程国際協力研究科に入学 2003年3月:経済学博士号を取得 2003年3月29日帰国 2003年4月:ラオス国立大学経済経営学部の講師 2014年現在:ラオス国立大学経済経営学部の准教授 (National University of Laos: Faculty of Economics and Management) |
●プーペット君の「博士号取得及び送別パーティー」の模様
先日03年3月22日(土)にプーペット君の「博士号取得及び送別パーティー」が芦屋の竹園ホテルで行われたので私も顔を出しました。芦屋市議会議員の重村啓二郎さんが世話人として開催したもので、一留学生の送別パーティー(←この後ラオスに帰国する為)としては盛大で、彼の交際範囲の広さを表して居ます。この時私は忍者屋敷の帰りに寄った焼肉屋で彼が、「日本に来て研究も大事だが、自分はそれ以上に日本での色々な経験や人脈作りが大切だと考えている。その経験と人脈が必ず将来役に立つ。」と言っていたのを思い出しました。
通常の立食形式のパーティーですが、ラオスの糯米酒(ラオラーオ)や春巻きも在り、最後は白い紐を手首に巻き付けて健康と繁栄を祈るバーシー儀式、そしてラオス風フォークダンス(ランボン)を踊って閉会しました。以下はその時のスナップです。
左が世話人の重村ご夫妻。
右がバーシー儀式の白紐を手に結んで居る所です。
左がランボン踊り、こちらを向いて踊っているのがプーペット君。
右はラオスの衣装を着たお嬢さん、でも日本人ですよ。
右が会場正面でのプーペット君と私。この前一緒に伊賀忍者村を訪れ”忍者”に会って来た話や、プーペット君の嫌いな地震の話などをしました。又、ラオスで経済学・経営学の分野で活躍を期待していると言いました。
私も近い将来ラオスに行きたいですね。
●忍者ぷーぺっとの横顔とメッセージ
好きなもの:酒、忍者、そして女性。
嫌いなもの:地震。
日本に来る前、ラオスの先生に日本についての情報を聞くと「東京は地震が有る」と知らされたので関西に来たら、1995年初頭に阪神淡路大震災に遭遇しビックリ仰天。ラオスは地震が無いので「大地が揺れる」ということ自体信じられなかったそうです。
母国へ帰ったら取り敢えず大学の先生からスタートしますが、「行く行くは自分で会社を作り貿易を遣りたい、そしてラオスを一流の国にさせたい」という抱負を何時も熱く語っていた彼です。更に忍者屋敷に行った帰りに寄った鶴橋の焼肉屋で、彼は「将来自分の家を持ったら忍者屋敷の様な仕掛けを作り、老後は忍者ごっこをして暮らしたい」というトンデモナイ野望も語って呉れました。
○プーペット君が自らを「忍者ぷーぺっと」と名乗ったメール
ところで冒頭で、彼が自らを「忍者ぷーぺっと」と名乗ったメールを紹介しましょう。尚、忍者村に行ったのは1月28日です。
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件名 : Re: 忍者村行きの件
日時 : 2003年1月29日 14:34
深沢様へ
昨日、日本に来て、はじめて、忍者村に行って、
本当に楽しかったです。本当にありがとうございます。
それに、深沢さんから色々な事を教えて頂いて、とても良い勉強になり、本当にありがとうございました。
今日、風がとても強く,寒いですね!
風邪を引かないように、お体に気を付けて下さい。
ラオスに是非遊びに行ってください。
私は案内させて頂きます。
ラオスで会える日を楽しみにしています。
忍者
ぷーぺっと
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このページのタイトルはこのメールから採ったのです。
○その後、ラオスからのメール
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件名 : Re: プーペット君さよなら
日時 : 2003年3月30日 19:10
深沢様へ
無事にラオスに帰りました。
日本にいったとき、大変お世話になり、心より感謝します。
これからも宜しく御願いいたします。
お時間があれば、是非ラオスに遊びにいって下さい。
喜んで案内させて頂きます。
会える日を楽しみにしています。
プーペット
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プーペット君は略10年の留学生活を終え03年3月29日に故国へ帰国し、ラオス国立大学の講師として母国発展の為に第一歩を踏み出した様です。
最後に忍者ぷーぺっと君から皆さんへのメッセージです。
「日本の皆さん、ラオスのことを知って下さい、そしてラオスに是非来て下さい!!」
(^o^)/
{この記事は03年4月3日にメールの内容を追加し最終更新}
*** エルニーニョからの二言目 ***
以上の様なメッセージを残して帰国したプーペット君は、「基本データ」の所で記した今後の課題「植民地支配及び内戦からの経済復興と教育」に真正面から取り組もうとして居ます。しかし皆さん、ラオスの経済復興は陸続きの隣国に囲まれ、しかも【脚注】※1に在る様に、ラオ族の人口は本国ラオスよりも圧倒的に隣国タイに多いのです。これは周りを海に囲まれ、殆ど単一民族的な日本の復興の場合よりも数段難しいという事を表して居ます。
さて、タイ系の人々は9〜12世紀に掛けて中国南部から貴州、雲南を経てインドシナ半島に南下しました。ラオスの首都ヴィエンチャンは中国語では「万象」と書きます。多分象が沢山居たのでしょう。そして西双版納を流れるメコン川(=瀾滄江)はラオスを通りベトナムを抜けて南シナ海に注いで居ます。私は是非メコン川伝いに陸路で中国雲南/ラオス/ベトナムを訪れてみたいと思って居ます、そしてラオスでプーペット教授と再開出来たら最高ですね、忍者ぷーぺっと君の前途に栄光有れ!!
>>>■その後
●2014年9月5日に7、8年振りにプーペット君からメールが届く
その後3年間位は時々メールの遣り取りをして居たのですが、それからはメールが全然通じなく成りました(←メールアドレスは有効なのです)。多分メールアドレスを変えたのです。私ももう諦めて居たのです。その間は2、3の人からプーペット君のメールアドレスを知ってたら教えて欲しいとインターネットを通じ言われたのですが、私自身がそういう状態だったのです。
ところが、メールが不通に成ってから7、8年振りにプーペット君から突然メールが届いたのです、勿論ラオスからです。そのメールをご紹介しましょう。
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件名 : Re: プーペット君、元気かい!
日時 : 2014年9月5日 19:26
エルニーニョ深沢様へ
メールありがとうございます。
このメールはあまり使わないので、次のメールは
xxxxxxxxxxxx
にしてください。
元気ですが、大変忙しくなり、エルニーニョは如何ですか?
時間があれば、ラオスにきってください。
それでは失礼致します。
ぷーぺっと
----- Original Message -----
>Date: 2013/5/5, Sun 05:23
>Subject: プーペット君、元気かい!
>
> エルニーニョ深沢です。
>
> このアドレスが今有効かどうか、解らないですが、送ります。
>私は今年の3月から沖縄県那覇市に引越ました。
>
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ここで「xxxxxxxxxxxx」は実際のメールアドレスが入って居ましたが個人情報なので伏せます。実はこのメールは2013年5月5日に私が送信したメールへの返信だったのです。その返信日付が14年9月5日ですから返信に1年以上掛かって居たので、偶々古いメールを整理して見たのでしょう。理由は兎も角、メールが開通して本当に良かった!!
今はラオス国立大学経済経営学部の准教授(←以前は助教授と言った)に昇進して居ます。彼は非常に忙しいそうですが、これで連絡は取れます。2015年の年賀メールの遣り取りもしました。
ところで2011年前半にはプーペット君の嫌いな東日本大震災が東北地方で起きました。これはプーペット君が経験した阪神淡路大震災よりも更に大きい地震で、日本は地震大国ですね。そして2011年暮れには私が脳出血で倒れ今は沖縄に来て居ます。到頭ラオスに行きそびれて仕舞いました。
以後はプーペット先生と呼ばないと行けませんね!!
{この記事は2014年10月3日に追加}
【脚注】
※1:ラオ族(―ぞく、Lao race)は、ラオス及び北部・東北部タイでタイ系の言語を話す民族の総称。平地の水田耕作が主な生業で、蒸したモチ米(糯米)を主食とする。上座部仏教であるが、精霊信仰も根強く、東北部タイからラオスに掛けては千年王国的な信仰も有る。家族制度はタイ族と同じく母系的。人口はラオスに約280万人、北部・東北部タイに約2000万人。<出典:「縮刷版 文化人類学事典」>
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):ラオスの地図▼
地図−東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
@参照ページ(Reference-Page):地震について▼
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)
@随行記(Traveling):忍者ぷーぺっと誕生の秘密▼
2003年・伊賀忍者村訪問記(Iga NINJA-village, Mie, 2003)
プーペット君が恐れる地震▼
2004年・年末のスマトラ島沖地震
(Sumatran earthquake of the end of year, 2004)
中国雲南省西双版納やメコン川▼
プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)
脳出血や阪神淡路大震災について▼
エイが向かいし島「江井ヶ島」(Rays went toward Eigashima, Kinki)
2003.03.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.10.03 改訂