−− 2011.10.27 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2011.11.01 改訂
<11.10.24−01:06|大阪市>左下は木星とガリレイ衛星(原寸大)です。
今月は木星が地球に接近して居て、毎日夜中に明るく輝いて居ます。10月13日には鯨座の頭部近くに在り月と大接近した写真を撮りましたので、今回は真上で一番明るく輝いてた木星 −半径は地球の10.96倍(約11倍弱)で太陽系で最大の惑星− を単独で撮影しました。ガリレイ衛星とは、あのガリレオ・ガリレイ(※1)が当時の最新型望遠鏡で1610年に発見したからです。この発見の為にこの望遠鏡も後にガリレイ式望遠鏡と呼ばれる事に成りました(→【脚注】及び次章の四方山話を参照して下さい)。
衛星は肉眼では見えなかったのですが、写真を見たら期せずしてガリレイ衛星が写って居たので感激しました。しかし4つ在る内の3つしか写って無いのが残念でした。衛星及び木星は露光時間の間に動いて居ます。
<11.10.26−04:08|大阪市>下が上手く撮れた木星とガリレイ衛星(原寸の2倍)です。26日の夜(と言うよりも未明)に再び木星の撮影に挑戦、今度は衛星狙いで三脚を構えて撮りました。とは言っても私の双眼鏡でも衛星は見えませんでしたし、暗い夜空の下での操作でもあるし、5〜6回シャッターを切った内の1枚が下の様にピタリと撮れて居た訳です。24日と衛星の角度が違うのは木星の位置が違うからで、西の空の仰角45度位の方角でした。写真は原寸の2倍に拡大して在ります。
私のデジカメはFinePix−S8000fdという機種で、光学ズームを最大の18倍(約486mm望遠レンズに相当)にしモードNで撮影しましたが威力を発揮して呉れました。何しろ星の写真はその場では上手く撮れてるかどうか確認が難しく、パソコンに取り込んで初めて出来不出来が判明します。この様に4つ全て写るタイミングが難しい(←事前にデータを調べる必要が有る)のですが、この写真で各衛星の大きさの比較が或る程度出来ると思います。次章の「基本データ」に記しましたが
公転半径: イオ < エウロパ < ガニメデ < カリスト
公転周期: 1.8日 3.6日 7.2日 16.7日
大きさ : ガニメデ > カリスト > イオ > エウロパ
(水星より大)
という3つのデータから判断すると、上の写真で上からイオ、木星、エウロパ、ガニメデ、カリストだと思います(△1のp38〜41)。尤も、正確を期す為には大阪での撮影日時からデータを調べれば並び順は判明します。
<11.10.28−02:54|大阪市>下も木星とガリレイ衛星(原寸の2倍)です。この日も空が澄んで居たので星の写真を撮りましたが、26日の写真と衛星の位置が変わって居ます。
(1)基本データ
●木星(Jupiter[ラ])は、太陽系の惑星の一。太陽の方から数えて第5番目。質量は太陽の約千分の1、地球に比べて質量は318倍、直径は約11倍で、惑星中最大。メタンやアンモニアを含む厚い大気を有し、赤道に平行な数条の帯は、年々その様相を変え、1878年に現れた大赤斑は、現在は非常に淡く成った。自転周期は約10時間、公転周期は11.86年。環を持つ。衛星は16個以上。ガリレイの発見した4個は、ガリレイ衛星とも言う。漢名は歳星、太歳。愚管抄6「太白―火星」。
●ガリレイ衛星/ガリレオ衛星(―えいせい、Galilei satellites)とは、1610年にガリレイがガリレイ式望遠鏡で発見した4つの衛星のこと。公転軌道内側から第1(イオ)・第2(エウロパ)・第3(ガニメデ)・第4(カリスト)。
・イオ(Io)は、木星の第1衛星。半径1,821kmで月よりやや大きい。1979年にアメリカの探査機ボイジャーが硫黄などに覆われた赤い表面の姿を捉え、火山の噴火を発見。公転周期は約1.8日。
・エウロパ(Europa)は、木星の第2衛星。1610年ガリレイが発見した4個の衛星の内の1つ。最大光度6等。半径1,565kmで月より少し小さい。氷で覆われた地表の下に温かい水の存在が観測されて居る。公転周期は約3.6日。ユーロパ。
・ガニメデ(Ganymede)は、木星の第3衛星。直径が約5,300km(半径2,650km)で、水星よりも大きい太陽系最大の衛星。公転周期は約7.2日。
・カリスト(Kallisto)は、木星の第4衛星。水星と同じ位の大きさ(半径2,400km)で、表面には多数のクレーターが在る。公転周期は約16.7日。
●ガリレイ式望遠鏡/ガリレオ式望遠鏡(―しきぼうえんきょう、Galilei type telescope)は、対物レンズに凸レンズ、接眼レンズに凹レンズを用いた屈折望遠鏡。接眼レンズには正立した虚像が現れる。ケプラー式に比べ視野が狭い為、現在では余り使われない。オランダの眼鏡師リパシェが1608年頃に発明しガリレイが製作。オランダ式望遠鏡。
(2)木星の衛星発見を直ぐに報告したガリレオ
ガリレオは木星の4つの衛星を発見した直後の1610年3月12日に報告書をパドヴァで作成・出版して居り、その報告書は現在『星界の報告』(△2)という文庫本で読む事が出来ます。それに拠ると、ガリレオはオランダで考案された新式望遠鏡の原理に基づき更に性能を向上させ長さ30倍、面積で900倍の望遠鏡を作り、この報告書作成の10ヶ月前から先ず月を観測し月面の凹凸を発見し、次にオリオン座やプレアデス星団などの星座を観測した後で、1610年1月8日の午前1時から木星の観測を始め4つの衛星を発見しました(△2のp42〜74)。当初彼は望遠鏡に映じる衛星を恒星だと思ったのですが、動きを精確に観測し克明に記録して木星を周回する衛星である事を突き止めました。
当時ガリレオはメディチ家のトスカーナ大公コジモ2世(※2、※2−1)に数学兼哲学教師として仕えて居ましたので、4つの衛星をメディチ星(Medicea sidera) −コジモ2世には他に3人の兄弟が居た− と名付け(△2のp76〜77)、報告書には日付と共に「殿下のもっとも忠実な下僕 ガリレオ・ガリレイ」と署名した献辞を添えてコジモ2世に献呈して居ます(△2のp7〜11)。
ところで日付についてですが、少し前の1582年から新暦のグレゴリウス暦に改正されて居ますので、この日付は今日の日付と同じです。又、この報告書の大部分は木星の衛星の話で占められて居り、ガリレオ自身も4つの衛星の発見を「もっとも重要なことがら」(△2のp42)と記し若干興奮気味に記して居ますので、興味有る方は『星界の報告』をお読み下さい、新式望遠鏡の原理についても触れて居ます。
因みに、私のカメラの光学ズーム18倍というのは面積倍率ですから長さ倍率は平方根の4.24倍でガリレオが使った望遠鏡には遠く及びませんが、デジカメではここ迄でしょう。これ以上の倍率で観測するには望遠鏡が必要です。
【脚注】
※1:ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)は、イタリアの天文学者・物理学者・哲学者(1564〜1642)。近代科学の父。ピサ大学・パドヴァ大学教授。ピサに生まれピサ大学で医学を修めた。数学や物理学に興味を持ち、在学中に寺院のシャンデリアの振れ方から振り子の等時性を発見。又、ピサの斜塔で落体の実験を行い、アリストテレスの力学の誤りを実証した。1609年ガリレイ式望遠鏡を製作し、太陽の黒点、月の表面の凹凸、木星の衛星を発見。これからコペルニクスの地動説を熱心に唱導したが宗教裁判に付され地動説の放棄を命じられた。1632年「天文学対話」を著したが、異議が出てローマに幽閉され数か月後に釈放された時、「それでも地球は動く」と呟いたと伝えられる。1638年「新科学対話」を著し、慣性の法則・落体の法則を記述。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2:メディチ家(Medici family)は、フィレンツェ市の門閥貴族。商業・金融で勃興。ルネサンスの学問・芸術の保護者。14世紀に台頭、15世紀に全盛。ローマ教皇(レオ10世とクレメンス7世)・フランス王妃各2名が輩出。1530年フィレンツェ共和制没落後、18世紀前半までトスカーナ大公。1737年断絶。
※2−1:コジモ2世(Cosimo II de Medici)は、第4代トスカーナ大公(1590〜1621)。1609年にトスカーナ大公を世襲。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『ジュニア自然図鑑6 宇宙 太陽系・銀河』(磯部e三監修、実業之日本社)。
△2:『星界の報告』(ガリレオ・ガリレイ著、山田慶児・谷泰訳、岩波文庫)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):星や星座の専門用語集▼
資料−天文用語集(Glossary of Astronomy)
@参照ページ(Reference-Page):グレゴリウス暦について▼
資料−「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
@補完ページ(Complementary):月と木星の大接近の写真▼
月見の宴(The MOON watching banquet in Japan)
木星は中国天文学及び十二支の元▼
2006年・年頭所感−十二支と猫
(Chinese zodiacal signs and Cat, 2006 beginning)
ホルストの『組曲「惑星」』の中心楽曲に成った木星▼
ホルスト「組曲「惑星」」(Suite 'The Planets', Holst)