-- 2007.02.07 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.06.12 改訂
先ず初めに、このページは私が旅した諸外国の情報の内、「コーヒー文化(Coffee culture)」(Ψ※2)に関する情報・話題に依存してますので、私が旅した外国は何処か?、という事を一覧にして在りますので▼下のページ▼を参照して下さい。
私の外国旅行(Travel of my foreign country)
そこで僭越乍ら「私の珈琲遍歴」時代を、恥ずかし乍ら明かすことにしましょう。この話は多分皆さんは初めて耳にすることでしょう。しかし、もう40年も前の、私の東京時代の話です。私は1978年6月頃に東京から神戸に転居して居ますから、その1~2年前即ち1976~77年頃の事に成ります。私は成る可く正確を期そうとしてますが中々昔の事を正確に思い出すのは難しく成りました、悪しからず(←尚、画面では直しましたが私の著書『日本の現状は「多老」だ』では神戸に転居した年齢を31歳と記して在りますが29歳の誤りです(△yのp102))。
「私の珈琲遍歴」の場所は赤坂見附です。コヒア・アラビカという地下1階の店で蔦が絡まる店の脇に確か「生きている珈琲」という様な文句が書かれて居ました。可なり有名な店でコーヒー関係の本にも載って居て私も本を頼りに店を探しましたが、残念乍らその本は今は有りません。
この店はコーヒーの値段は他の店の3倍位して居ました。ブルーマウンテンなど小さいデミタスカップ(demitasse cup)で出て来て1200円位(或いは1500円位かも)しました。40代位のママが1人で遣ってい居て私はママに色々聞きながらモカ、ブラジル、コロンビア、グアテマラ、マンデリンなど一通り試しましたが、私はキリマンジャロの酸味が気に入り以来ずっと
ブレンド無しのキリマンジャロのストレートを砂糖・ミルク無しのブラック
で愛飲して居ます。
尚、コヒア・アラビカは今も在り、今は多分息子さんがマスターをして居り、ネットで検索すると出て来ます。ブルーマウンテンは3000円です(今も高~い!)、まぁ赤坂見附だから成り立つのでしょう。
大阪の黒門市場ではグリーンの豆(green beans)を扱っていて、非常に浅く炒って貰い、挽き方も荒挽きで、こうするとキリマンジャロの酸味が生かされるのです。
今は沖縄(那覇市)で暮らして居ますが、スーパーで買えるのはキリマンジャロのブレンドしか有りませんので、それで我慢して居ます。沖縄は未だ「お茶文化」なので豆で売ってる店が少ないのです。1軒だけ西町の方に在りましたが豆を炒り過ぎて酸味が損なわれて居ましたので、そういう微妙な味は無理の様と判断してスーパーのキリマンジャロ・ブレンドで我慢して居ます。まぁ、これが「私の珈琲遍歴」です。
コーヒーの歴史については
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
を参照して下さい。又、「コーヒー文化」が日常的に浸透している台北市については
2004年・台北市の街角事情(Town watching in Taipei, 2004)
をご覧下さい。
{この「私の珈琲遍歴」は2015年6月12日に追加}
尚、「お茶文化」や「コーヒー文化」については既に論じて居ります。先ず世界の「お茶文化」発祥の地については、
中国と世界の「お茶文化」('Tea culture' in China and the world)
を、日本の「お茶文化」については、
2006年・金谷急ぎ旅(Kanaya hurryingly, Oi-river Railway, 2006)
をご覧下さい。
中国は何と言っても「お茶文化」ですので、日常コーヒーは全く飲みません、従ってカフェ(※1)やコーヒーを飲める喫茶店が在りません。
”大陸”中国ではコーヒーが飲める所は主要空港や一流ホテルや「欧米人が多数来る観光地」(=欧米文化が浸透している場所)のカフェ(※1)、そして主要都市に最近少しずつ進出して居るマクドナルドなどのファーストフード店(※1-1、未だ数は少ない)位で、非常に限られて居ます。
又、2000年に昆明空港でコーヒーを飲みましたが非常に不味かった事を今でも覚えて居ます。その癖、空港なので料金は高いのです。あれだったら日本のインスタントコーヒーの方が余程マシだと思いました(←私はインスタントコーヒーは殆ど飲みませんが)。要するに「コーヒー文化」が無いとはそういう事なのです。
◆2001年・麗江
2001年10月16日に麗江の新華街をぶらぶら南に行くと四方街に出ます。この四方街から木府へ掛けてが麗江県城旧市街観光の中心地です。麗江は世界遺産にも登録され正に欧米文化が浸透している場所の代表格です。
疎水の両側には右の写真の様なカフェやイタリアの三色旗を掲げたピザ屋が建ち並び、各店からはロックが大きな音量で流れて来ます。青い目のガイジンさんも可なり居ます。客も結構入って居て、ここでは店の小姐(xiaojie))(※3)たちも積極的に営業しますので私たちもここで一休み。
右上がカフェでコーヒーを飲んで居る私たち(左から井本さん、私、松岡さん)です(小池さん撮影)。それでお味の方ですが”まあまあ”、つまり”可も無く不可も無い味”でした。しかし藍染めの紺色したテーブルクロスが中々お洒落です。藍染めはこの地方 -麗江や大理- の特産です。
◆2002年・パーリャン
お茶文化
コーヒーの木
◆2002年・陽朔
陽朔は桂林の船着場です。私は2002年10月31日の午後に陽朔に宿を取り、翌11月1日の午前中と2日間陽朔を散策しました。
陽朔は桂林観光客の吹き溜まりで欧米系の観光客が大変多い所です。陽朔では常にカルスト地形の桂林の奇岩が背景に在り、白いモダンな旅館群、観光客向けの電気自動車(右の写真、サングラスを掛けた欧米系女性が写って居ます)が在るかと思えば、古いバイクタクシー、人民服を着て自転車に乗っている女性などが渾然一体と混ざり合いモダンとレトロが共存して居る、ちょっと不可思議な所です。
31日も数10人のブラジル人の団体と出会(くわ)しました。西街通りにはカフェやピザの店が何軒も在ります。左の写真は欧米系で賑わう
CAFE UNDER THE MOON
の前の小池さん(左側)と松岡さん。その傍に立つ案内板には「桂花路」と在ります。写真の左端には欧米系女性が写って居ます。この後私たちもこの若干俗化したカフェに入りました。味は”まあまあ”です。
◆2003年は外国旅行取り止め
2003年はSARS(又はSARS)が猛威を振るったので外国旅行はしませんでした。
◆2004年・シルクロード
明けて2004年には、先ずシルクロードの旅、即ちタクラマカン砂漠の周遊(※5)に出掛けました。コーヒーはエチオピア起源でアラビアに広がりイスラム教徒に飲まれた飲み物で、タクラマカン砂漠の在る新疆ウイグル自治区は民族は雑多ですが殆どがイスラム教徒です。という訳で私はコーヒーに密かに期待して居ます。尚、こちらではイスラム料理を清真と呼びます。
(1)6月27日・ウルムチ(烏魯木斉)
先ず04年6月27日のウルムチ(※5-1) -新疆ウイグル自治区の区都- で見付けたケンタッキー・フライド・チキン(中国名:肯徳基、略称:KFC)です。言わずと知れたファーストフード店ですが、チキンを食う為にはドリンクが不可欠で、従ってコーヒーが在るのです。中国に於けるファーストフード店は結構流行って居ます、店の雰囲気が明るく清潔そうだからでしょう。左の写真で、店の中に沢山に漢族が居てテーブル席でドリンクも飲んで居ます。私は店の前でオッサンが売って居るライチーに興味が有りますね、これ物凄く旨いですよ。
尚、「早い、画一的、不味い」のがファーストフード店の相場ですが「アメリカ人は味を気にしない」のです。彼等は戦時中に缶詰を食うことに慣らされ、戦後はハンバーガーと”しゃばしゃば”で量の多いアメリカン・コーヒーをアメリカン・スタイルとして定着させました。その良い例が、フランス料理は在ってもアメリカ料理という言葉は有りません。笑い話に「アメリカ料理?、そりゃホットドッグだろ!」というのが在ります。序でに、日本のケンタッキー・フライド・チキンのコーヒーは不味いという評判です...(>v<)。
[ちょっと一言] ホットドッグ(hot dog)は、ロールパンを二つに割り、間にフランクフルトソーセージ(frankfurter)などを挟んだサンドイッチの一種。フランクフルター(frankfurter)とも言う。日本ではウィンナソーセージ(wiener sausage)を使う場合も在る。ハンバーガー(hamburger)と共に典型的な米国のファーストフードの一つ。
(2)6月28日・コルラ(庫爾勒)→チャルチャン(且末)の
機内食に唖然 - 「きゅうり」が1本丸ごと!
6月28日はウルムチ→コルラ、コルラ→チャルチャンとプロペラ機を乗り継いでの移動だったのですが、ここでハプニングが起こりました。8:20発のウルムチ→コルラ機がコルラ空港に着陸直前(←既に機内には着陸のアナウンスが流れ飛行機も高度を下げて居たのです!)に成って「砂嵐」の為にウルムチに引き返すとアナウンスが在った時には吃驚しましたね。この時のイラン系の老人の「あんぐり」と口を開けてた顔を私は今でも覚えて居ます。
それでウルムチに引き返し2時間位待たされてやっと出発し、コルラで飛行機を乗り継いだら機内食が出て来ました、そしたらコーヒーが付いて居たのです(左の写真)!!
甘いケーキの様な物が2つ、コーヒー、そして何と「きゅうり(胡瓜)」が1本丸ごとです、これには魂消ましたねぇ。しかも塩が付いて無い!、私は「きゅうり」をその儘食べました。「郷に入っては郷に従え」、ここはタクラマカン砂漠の上空なのです(右の写真)。従ってコーヒーの味は覚えて居ません、何せ「きゅうり」に気を取られて!!
(>v<);
しかし良く考えてみると、これからの砂漠の食べ物は胡瓜(キュウリ)とか西瓜(スイカ)とか哈密瓜(ハミウリ) -これはトルファン(※7)の東の哈密の特産- とか皆ウリ科の食べ物が矢鱈と多いので、これは「砂漠へ来たら胡瓜(きゅうり)の仲間を食え!」というメッセージと解しました!
(3)7月10日・トルファン(吐魯番)で旨いコーヒーを飲む!
7月10日の午後は「雲南桃源倶楽部」の皆は13:30時過ぎから18:00迄ホテルで昼寝をするという事なので、私は1人で街に飛び出しました。何処と言う宛ては無く街をぶらぶらしようと思ったのですが、現地の人も午後は家の中に引っ込むらしく街を歩いてる人は非常に少ないのです。まぁ現在の温度は42、3℃位で頭がぐらぐらして来ますので然もありなん。しかし、そんなに汗を掻かないのです。砂漠の気候の所為で皆蒸発して仕舞うのです。何故こんなに暑いのかと言えばトルファン(※7)は低地 -トルファンとはウイグル語で「低地」の意味!(△1のp91)- なので非常に暑く、逆に冬は非常に寒いのです。しかし古くからオアシス(※8)として栄え葡萄で有名なトルファンは私の憧れの地でした。
という事で街を歩くのはしんどいのでバスに乗って何処かへ行こうかと考え適当に来たバスに飛び乗りました。どうせウイグル語で書いて在るので解らない!
ところが、この時間はバスに乗ってる人も少なく私が乗ったバスにもお客は2人しか乗って無かったですね。そもそも真面な人は外気温が42、3℃に外出しない、という事は「私は真面では無い」という事ですね、納得。それで停留所を3つ位行った所でバスを降りました、料金は10元(約150円)です。そして再び歩く事にし早くカフェを見付けようと思い、15分位歩きやっとカフェを見付けましたが、何処をどう歩いたかは余り覚えて居ません。
英語のメニューが有り私は普通のコーヒーを頼みました、30元(450円位)です(下の写真)。白いのは砂糖です。日本のコーヒーと同じ位の値段だから安いと思ったら貴方(貴女)は旅慣れて居ませんね、こちらでは食べたり飲んだりする物は日本の1/5位の値段です。でもこのコーヒーは旨かったです!
右下がこのカフェの雰囲気です。テーブルに座って居るのは欧米系の外人で、天井は葡萄棚です。私は葡萄棚の意味をこの時初めて理解しました、即ち40℃以上の高温では葡萄棚は日陰を作り現地の人も葡萄棚の下には集まって来ます。だから葡萄棚の下にはベンチが在り葡萄棚は実用の効用が大なのです!
私は40分位ここに居て涼を取りました。そしてカフェの名前が入った物を取り敢えず写真に撮りました(右の写真)。名前は
ジョーンズカフェ(JOHNS' CAFE')
と言います。そして右の写真に在る様に"JOHNS' INFORMATION SERVICE & CAFE"というインターネットカフェ -インターネットに接続したコンピュータを使わせる店- も遣って居る様です。中々 John さんは商売上手の様です。
帰国後にネットで検索して解った事は、このカフェは吐魯番賓館(トルファン・ホテル)の中に在ったのです。私は裏口から入り裏口から出た様でホテルの中に在ったなんて事はちっとも知りませんでした。コーヒーの値段が高かったのもホテル料金で納得。でも旨いコーヒーが飲めて気分は最高です。このコーヒーは「雲南桃源倶楽部」の他のメンバーは知りません!
(4)7月14日・ウルムチ(烏魯木斉)
この日の午後に私たちはウルムチから広州に帰ります。そこで昼食はファーストフード店(←店の名は Dicos と書いて在ります)に入りケバブサンドとコーヒーを注文しました(右の写真)。シルクロードの旅とのお別れです。
後は飛行機の乗るだけなので、シルクロードの思い出を話し乍らゆっくりとケバブサンドを食べました。コーヒーの味は”まあまあ”です。
僅か4~5年前に昆明空港で非常に不味いコーヒーを飲んだ事は既に書きましたが、僅か4~5年でコーヒーは”まあまあ”の味に成りました。コーヒーだけでは有りません、中国は。私が目にする「有りと有らゆる」物が大変革を遂げて居ます。特に道路事情の変化は物凄いスピードで、3年前には砂煙朦々たる道路工事していた所が3年後には高速道路が完成し今はホテルを建設中、といった状況です。08年の北京オリンピックに向け中国経済は急成長して居ます。
又、2002年頃迄は「常温ビール」がホテルで出て来ました。冷蔵庫は在るんです、しかし従業員がビールは冷やして飲む事を知らないのです。それに対し中国人(=漢族)は理屈っぽく「お腹を冷やす物は良く無いあるね」と抜かして居りました。これなど「お茶文化」の弊害ですが2005年頃以降は流石に無くなりました。
そんな事を思い乍ら、しかしトルファンの車窓から見た石油掘削機とウイグル族の18歳位の女の子の語って居たウイグル族独立運動の話が、何故か頭に引っ掛かって居ます。
[ちょっと一言] その後、2006年頃からウイグル族独立運動は表面化し、独立派は中国政府と衝突する様に成って居ます。日本の外務省も新疆ウイグル自治区へは行かない様に呼び掛ける有様です。それにしてもウイグル族の18歳位の女の子 -この娘、可愛い顔しているのです!- が熱く語って居た話が3年後に現実味を帯びるとは...、全く予想して無かった事です。ウイグルでも石油が出る、と成ればそういう事に成る訳です。因みにウイグル語は物凄く「巻き舌」だという事がこの時解りました。
◆2004年・パーリャン小学校の竣工記念旅行
(1)大理古城
04年11月3日~10日迄は竣工記念旅行として大理・麗江・香格里拉を旅しました。
ボランティア仲間は竣工式が済んだので流石に誰しも開放感で満たされて居り、11月3日は大理古城のホテルで夕食を済ませた後に街に繰り出し、皆思い思いに土産物を買ったりしました。そんな中で見付けたカフェの唐朝珈琲です。この喫茶店は唐朝客機という旅館も経営してる様で標准間、単人間、多人間などと左の方に書いて在ります。
しかし、この日はホテルの夕食で大分酒を飲んで居たので店には寄りませんでした。
ところが唐朝珈琲は偶然にも先程の『茶馬古道』の本に写真が載っている(△xのp124)のを見付けて仕舞いました。
(2)麗江
翌日の11月4日には再び麗江に来ました(←でも他のメンバーは麗江は初めてです)。この日もホテルの夕食後にほろ酔い気分で散歩で、私が前と同じ疎水が流れる四方街の通りを案内しました、と言っても観光客が集まる方に行けば自然とここに来るのです。
この疎水には日本の精霊流しの様な物(←こちらでは河灯と言う(△5のp80))が上流から流れて来ます。こちらでは盆という事では無く観光の為に年中精霊流しをする様です。見ると疎水には金魚とか鮒が放たれ泳いで居ます。中国人の現実主義(=拝金主義)が遺憾無く発揮されて居ますね。人手は夜の方が圧倒的に多く、夜こうして疎水脇を歩いている人でごった返して居ました。
店の小姐たちも客引きに懸命で彼方此方から声が掛かります。私たちもカフェに入りました。左の写真は左から又川さん、中野さん夫妻、蒲田さんです。柳の枝が良い雰囲気を出して居ます。
右の写真がコーヒーとケーキです。
で、コーヒーのお味ですが”まあまあの上”、ここは欧米人が多数来る観光地の典型です。店の小姐は「ケーキをお土産に買ってったら、結構買って帰る人が多いよ」と誘って居ましたね、16歳位ですが中々活発な子でした。
前と同じく藍染めのテーブルクロスです。藍染めの産地は大理の周城 -洱海の北岸で胡蝶泉の近く- が非常に有名で、実は今回の旅でも周城に寄りました。私は1999年の雲南桃源旅行で周城の藍染めを可なり大量に買い今も家に在ります。但し、藍染めは初めの内は洗濯すると色が落ちますので、念の為。
しかし僅か3年の間に麗江はすっかり変わり、何処にでも在る”観光地”に変貌して仕舞いました、これが今の中国の姿です。他のメンバーは麗江に又来たいと言ってましたが、私は「もう麗江には来ない」と心に刻みました。この事は▼以下の論考▼にも書いてます。
世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?(World heritage)
台湾の「コーヒー文化」については既に
2004年・台北市の街角事情(Town watching in Taipei, 2004)
に依って紹介して居ますので、ここでは簡単に触れます。
2007年5月4日、ここはドレスデンです。
左が国立歌劇場の近くのカフェで黒ビールを飲む私です。勿論、コーヒーも在りますよ、ここはカフェですから。でもここはドイツなのです、お解りですね!!
今、日本ではメイド喫茶(直訳:女中喫茶)なる物が流行って居ますが、ドイツのカフェは殆どがメイド喫茶のコスチューム(←それを私はメイド・コスチュームと呼びます、日本語で「女中衣装」)です。写真の彼女も肩の膨らんだブラウスと緑色のメイド・コスチュームを着て居ます。
(+_@;)
┌U_
【脚注】
Ψ※2:コーヒー(koffie[蘭], coffee[英])は、[1].樹はアカネ科の常緑高木。アフリカ原産の2~3種を元に、現在は中南米/ハワイなど熱帯各地で大規模に栽培。高さ数m。葉は長卵形。花は白色で香気が有る。果実は石果、紅紫色、普通は2個の種子(コーヒー豆)を蔵する。珈琲。
[2].コーヒー豆を煎って挽き粉としたもの。又、それを湯で浸出した褐色の飲料。香気と苦味が有る。約1.3%のカフェインを含み、覚醒作用が有る。酸みは主にクロロゲン酸、苦みはタンニンに因る。飲料としては、ヨーロッパで18世紀頃一般に普及、日本には室町時代に入ったと言われる。厚生新編「支那地方には茶湯並に―湯に加へて用ゆ」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1:カフェ/カフェー(cafe[仏])は、(コーヒーの意)
[1].主としてコーヒーその他の飲料を供する店。日本では幕末の横浜に始まり、1878(明治11)年の放香堂(神戸)、1886(明治19)年の洗愁亭(東京日本橋)、1888(明治21)年の可否茶館(東京下谷) -鄭成功の末裔・鄭永慶が始めた- などが最初期の店。珈琲店。喫茶店。
[2].明治末~昭和初期頃、女給が接待して主として洋酒類を供した飲食店。カッフェ。カフェー。
※1-1:ファーストフード(fast food)は、(ファーストは「早い」の意)注文して直ぐ食べられ、又、持ち帰ることの出来る食品。ハンバーガー、フライドチキンなど。アメリカから始まる。日本では1971年のハンバーガーが最初。
※3:小姐(シャオチエ、xiaojie)とは、(男性から)女性を親しんで呼ぶ語。現代中国語で「小姐」は、お嬢さんの意。
※5:タクラマカン砂漠(Taklimakan/Taklamakan/Takelamagan Desert)は、中国新疆ウイグル自治区の天山南路に在る中国最大の砂漠。タリム盆地の流砂から成る砂丘地帯。面積32万㎢。
※5-1:ウルムチ(烏魯木斉、Urumchi)は、中国新疆ウイグル自治区の区都。天山山脈の中部北麓に在る要衝。1763年築城して迪化(てきか)と命名。1953年現名に改称。嘗て隊商貿易の中心地。解放後は鉄鋼/機械/化学などの工業が発達。1991年カザフスタンと結ぶ鉄道が開通し、政治/経済/文化/交通の要地。人口128万(1995)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※7:トルファン/トゥルファン(吐魯番、Turfan)は、中国、新疆ウイグル自治区、天山南路の東北部の地。漢代より漢族の屯田が行われ、5~7世紀、その移民に依り高昌国が建てられたが、後に唐に併合された。人口20万。海面下100m以下に在り、カレーズ(地下水路)を利用する綿花/ブドウ(葡萄)などの栽培が盛ん。付近に交河(こうが)故城/高昌故城/アスターナ古墳群/ベゼクリク千仏洞などが在る。又、「西遊記」で有名な火焔山が北側に在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※8:オアシス(oasis)は、[1].砂漠中で水が湧き、樹木の繁茂している沃地。生物群集の形成、隊商の休息などに役立つ。大きな所では集落が出来、農耕も行われて居る。水は泉/外来河川/地下水道/深井戸などから得ている。
[2].慰安と成るもの。又、その場所。「都会の―」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△y:『日本の現状は「多老」だ ~偽善社会を抉る~』(エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。
△x:『茶馬古道』(「茶馬古道」編集部編著、陝西師範大学出版社)。
△1:『西安・シルクロード(成都・長江)』(長澤信子著、昭文社)。
△1-1:『地球の歩き方D07 西安とシルクロード 2003~2004年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。
△5:『麗江』(周克堅編、中国旅游出版社・麗江地区旅游局)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):カルスト地形や桂林の地図▼
地図-中国・桂林地方(Map of Guilin region, -China-)
@参照ページ(Reference-Page):タクラマカン砂漠の地図▼
地図-中国・タクラマカン砂漠(Map of Taklimakan Desert, -China-)
@参照ページ(Reference-Page):パーリャンの在る孟連県の地図▼
地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)
@参照ページ(Reference-Page):雲南省の大理/麗江の地図▼
地図-中国・雲南省北部(Map of Northern part of Yunnan, -China-)
@参照ページ(Reference-Page):ドイツの地図▼
地図-ドイツ(Map of Deutschland, -EU-)
@参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
@補完ページ(Complementary):コーヒーの歴史や
日本の「コーヒー文化」について▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
@補完ページ(Complementary):「コーヒー文化」が日常的に
浸透している台北市▼
2004年・台北市の街角事情(Town watching in Taipei, 2004)
私の外国旅行▼
私の外国旅行(Travel of my foreign country)
私が東京から神戸に転居した事▼
隠居のすゝめ(Retire at good time and begin your new life)
日本の「お茶文化」▼
2006年・金谷急ぎ旅(Kanaya hurryingly, Oi-river Railway, 2006)
中国は世界の「お茶文化」発祥の地▼
中国と世界の「お茶文化」('Tea culture' in China and the world)
私の脳出血について▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
昆明空港で飲んだ不味いコーヒー▼
2000年・雲南の旅(河口/元陽/紅河etc)
(Hekou, Yuanyang, Honghe etc. of Yunnan, China, 2000)
藍染めは大理や麗江の特産、素朴さが残る麗江▼
2001年・麗しの麗江(Beautiful Lijiang, China, 2001)
陽朔はモダンとレトロが同居した街▼
2002年・”脱雲南”桃源紀行(Escape from Yunnan, China, 2002)
陽朔(=桂林の船着場)の旅▼
2002年・”脱雲南”桃源紀行(Escape from Yunnan, China, 2002)
SARS(又はSARS)が猛威を振るった2003年▼
2003年・新型肺炎SARSとは?!(The SARS, new pneumonia, 2003)
2003年・SARS-感染源はハクビシン?!
(The SARS, what is the source ?, 2003)
タクラマカン砂漠の旅▼
2004年・新疆とタクラマカン砂漠の旅
(Travel of Xinjiang and Taklimakan Desert, China, 2004)
イスラム料理を「清真」と呼ぶ理由やトルファンは私の憧れの地▼
昆明の「清真」通り('Qingzhen' street of Kunming, China)
「雲南桃源倶楽部」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
インターネットカフェとは▼
陽朔インターネットカフェの小姐・黄運萍(Hello, Huang Yunping !)
愛知県岡崎市の「トルコのケバブサンド」の店▼
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)
2008年は北京オリンピック▼
中国の新少数民族か?、ラ族(裸族)
(Is a new minority of China ?, 'Luo zu')
麗江の変貌振り▼
世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?(World heritage)
中国の少数民族▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')