Ж中国と世界の「お茶文化」ж
[中国起源の「お茶文化」]
('Tea culture' in China and the world)

-- 2007.02.07 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.07.07 改訂

 ■はじめに - 漢族は「お茶」の民族

 中国と台湾、この2つを統一する言葉が漢族(漢民族)です。即ち漢族は「お茶」の民族(※1)と言う事が出来、従って漢族は「お茶文化(Tea culture)」生活そのものを既定して居ます。2000年代半ば迄、冷蔵庫が在るにも拘泥らず”常温ビール(啤酒)”を飲んでいた彼等が「お腹を冷やすと体に良くない」なる屁理屈を持ち出したのも「お茶文化」の影響が見て取れます。
 それを唐代に『茶経』(※2、※2-1)という書物に著して居ます。






 又、2000年昆明空港でコーヒーを飲みました非常に不味かった事を今でも覚えて居ます。大陸中国では「コーヒー文化」(※3)が近年迄導入されなかったのも「お茶文化」の影響です。しかし島国中国(=台湾)では「コーヒー文化」が発達し喫茶店も多く市場ではコーヒー豆を売ってます。













 尚、「お茶文化」は既に論じて居ります。先ず世界の「お茶文化」発祥の地については、
  2002年・パーリャン小学校視察の旅(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

を、日本の「お茶文化」については、
  2006年・金谷急ぎ旅(Kanaya hurryingly, Oi-river Railway, 2006)

をご覧下さい。

 ■大陸中国

 (1)お茶の種類

 前掲の「2002年・パーリャン小学校視察の旅」で述べて居ますが、お茶には6種類在ります。当ページはお茶に関してのデータベースとしたいので参照するのでは無く、ここにそのデータをコピーします。

 ▼下▼は「2002年・パーリャン小学校視察の旅」からのコピー

 普洱茶(プアール茶)は雲南省思茅地区の普洱県に集荷される黒茶を指します。中国茶は発酵度合いと、その発酵が揉捻(じゅうねん、茶葉を揉む工程)の前か後かに依って次の6種類に大別されます(太字は中国八大銘茶)。但し白茶だけは揉捻しません(△1のp75)。

  緑茶:非発酵       西湖龍井(浙江)、蘇州碧螺春(江蘇)
  白茶:微発酵(前発酵)  白毫銀針(福建)
  青茶:半発酵(前発酵)  武夷岩茶(福建)、安渓鉄観音(福建)、烏龍茶(福建、台湾)
  黄茶:半発酵(後発酵)  君山銀針(湖南)
  黒茶:半発酵(後発酵)  普洱茶(雲南)
  紅茶:全発酵(前後発酵) 祁門紅茶(安徽)、滇紅(雲南)

 (▲上▲は「2002年・パーリャン小学校視察の旅」からのコピー)

 (2)中国の「お茶屋」

 中国には試飲が出来る「お茶屋」が大きい都市とか観光地には必ず在ります。若い女性が「お茶」のサービスをし「お茶」を飲み乍ら「お茶」を選ぶ事が出来る所です。「パーリャンに小学校をつくる会」では2002年に、04年のパーリャン小学校の竣工記念旅行でも行ってます(←「パーリャン村の小学生を支援する会」を参照)。写真は02年の昆明の「お茶屋」、04年の昆明の白族の「お茶屋」がご覧に成れます。「雲南桃源倶楽部」の旅では写真は原画が破壊されて在りませんが、1999年の旅では大理古城で白族の「お茶屋」に行ってます。因みに大理は白族の本貫地です。

 (3)私の好きな普洱茶

 私は04年11月3日西双版納の橄欖壩(ガンランバ)の「農貿市場」大きな普洱茶(プアール茶)(※1-1)を買いました(下の写真)。これは「2004年・パーリャン小学校竣工記念旅行」で行った時です。

 もう雲南には来れないかも知れないと思い、それ迄の小さな沱茶(※1-2)では無く大きく固めた普洱茶が欲しかったので、買ったのは直径8cm位のものと直径20cm位のもの1つずつです。右の大きい方の包みには製造元が「勐海南糯山喬木古村茶」と在り中央には黒く「南糯山」と大書して在ります。
 帰国してから試してみましたが直径が大きいと茶を削るのが非常に大変で、直径20cm位のものは未だに封を切ってません。普段飲むには沱茶に限るという事が解・り・ま・し・た!!
    {この沱茶の写真は2015年7月7日に追加}





                (-_@)


 ■台湾













  ◆茶馬古道とは

 茶馬古道とは、中国雲南省のチベットのラサ(拉薩)とを交易した事に依り始まります。それは今から1200年以上前の時代(チベットでは吐蕃(※12、※12-1))の事です(△xのp28、△xは『茶馬古道』という中国で買った本です)。交易品は雲南側から茶・塩・銀製品・布製品など、チベット側から馬・皮製品・毛織物・薬草などです。以来中国の悠久の時を経て20世紀中葉迄 -20世紀中葉が最盛期- 延々と交易が続けられて来ましたが、20世紀後半の”近代化”に因り廃れて仕舞いました。尚、雲南省から更にインド/ミャンマー/ネパールに伸び、四川省の成都を起点とする道も開け、チベット側はラサより西に伸びラツェ(拉孜)辺り迄行ってます(△xの口絵の地図)。
 しかし交易に利用された茶馬古道は今も残っていて、その峻厳で細くて長い道は逆に数少ない冒険的旅行者を密かに引き付けて居ます。私もその内の一人たらんと思い茶馬古道を歩くのが願望でしたが、2011年暮れの脳出血に因り断念しました。
    {この節は2015年6月12日に追加}













 ■結び





                (+_@;)
                ┌U_

Ж-- 完 --ж

【脚注】
※1:茶(ちゃ、tea)は、ツバキ科の常緑低木。中国南西部の温・熱帯原産。葉は長楕円形で厚く表面に光沢が有り、10月頃葉腋に白花を開く。多くの変種が在る。果実は扁円形で、開花の翌秋に成熟し、通常3個の種子が有る。木の芽。「茶の花」の季語は冬。
 茶はカフェイン(苦み)・タンニン(渋み)・テアニン(甘み)やアミノ酸・糖類を含み、独特の風味で好まれる他、ビタミンB1・B2やビタミンC(紅茶を除く)・カテキンの供給源にも成る。
※1-1:プアール茶/普洱茶(―ちゃ、Puer tea)は、中国茶の一種。雲南省普洱に産する茶で、麹菌を寄生させた緑茶を発酵させた赤褐色のもの。黴臭い香りが特徴。プーアル茶とも。
 補足すると、六大茶類は緑茶・白茶・青茶・黄茶・黒茶・紅茶が有る。
※1-2:沱茶(たーちゃ)/餅茶(もちちゃ)/団茶(だんちゃ)とは、茶葉を丸餅状に練り固めた固形茶を指す。大きさは大小様々で、大きいものは一回毎に使用する分量だけ削って飲み、一回の飲茶に丸ごと使える小型円盤状のものは沱茶と呼ぶ。体積が少なく済み長期保存が利き、運搬に便利。中国古来の茶の保存形態で、現在では雲南地方に残る。遣唐使らに依って日本に最初に輸入された茶の形態で、団子の様な形から団茶とも呼ばれた。


※2:茶経(ちゃきょう/さけい/ちゃけい)は、茶書。唐の陸羽の著。760年頃成立。3巻。茶の歴史・製法・器具について記述した最古の書。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2-1:陸羽(りくう)は、中国・唐中期の文人(?~804?)。自然復帰を唱えて半生を隠棲。「茶経」を著す。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>






※3:コーヒー(koffie[蘭], coffee[英])は、[1].樹はアカネ科の常緑高木。アフリカ原産の2~3種を元に、現在は中南米/ハワイなど熱帯各地で大規模に栽培。高さ数m。葉は長卵形。花は白色で香気が有る。果実は石果、紅紫色、普通は2個の種子(コーヒー豆)を蔵する。珈琲
 [2].コーヒー豆を煎って挽き粉としたもの。又、それを湯で浸出した褐色の飲料。香気と苦味が有る。約1.3%のカフェインを含み、覚醒作用が有る。酸みは主にクロロゲン酸、苦みはタンニンに因る。飲料としては、ヨーロッパで18世紀頃一般に普及、日本には室町時代に入ったと言われる。厚生新編「支那地方には茶湯並に―湯に加へて用ゆ」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>







※11:カフェ/カフェー(cafe[仏])は、(コーヒーの意)
 [1].主としてコーヒーその他の飲料を供する店。日本では幕末の横浜に始まり、1878(明治11)年放香堂(神戸)1886(明治19)年洗愁亭(東京日本橋)1888(明治21)年可否茶館(東京下谷) -鄭成功の末裔・鄭永慶が始めた- などが最初期の店。珈琲店。喫茶店。
 [2].明治末~昭和初期頃、女給が接待して主として洋酒類を供した飲食店。カッフェ。カフェー
※11-1:ファーストフード(fast food)は、(ファーストは「早い」の意)注文して直ぐ食べられ、又、持ち帰ることの出来る食品。ハンバーガーフライドチキンなど。アメリカから始まる。日本では1971年のハンバーガーが最初。


※12:吐蕃(とばん)は、7~9世紀にチベットの王朝を指した中国側の呼称。吐蕃はチベット最初の統一王朝で、ソンツェン・ガンポ620年代に諸氏族を統合して建て、都をラサ(拉薩)に置いた。唐と和戦を繰り返したが、8世紀後半には優位に立った。インド/中国の仏教を入れ、チベット文化の基礎が作られた。843年、仏教弾圧を図ったダルマ王が殺された後に分裂、間も無く滅んだ。 <出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※12-1:ソンツェン・ガンポ(Sronbtsan sgampo)は、古代チベット王国(吐蕃)を建てた王(伝説上は33代目)(581?~649)。ネパールから王女を妃に迎え、唐の太宗に迫ってその娘の文成公主を息子の妃に迎えたが、息子が夭逝した為に自分の妃とした。2妃の感化によって仏教に帰依し、トンミ・サンボタ(Thommi Sambhota)をインドに派してチベット文字を制定したと伝える。

























    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『お茶の事典 日本茶・中国茶の世界』(斉藤光哉監修、成美堂出版)。



△x:『茶馬古道』(「茶馬古道」編集部編著、陝西師範大学出版社)。








●関連リンク



参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)




補完ページ(Complementary):中国茶の分類や
世界の「お茶文化」発祥の地や、コーヒーを栽培する東木村のこと▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)


補完ページ(Complementary):日本の「お茶文化」▼
2006年・金谷急ぎ旅(Kanaya hurryingly, Oi-river Railway, 2006)



雲南桃源倶楽部や雲南桃源旅行について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)





常温ビール(啤酒)や不味いコーヒーは「お茶文化」の影響▼
2000年・雲南の旅(河口/元陽/紅河etc)
(Hekou, Yuanyang, Honghe etc. of Yunnan, China, 2000)


2004年のパーリャン小学校の竣工記念旅行で行った
昆明の白族の「お茶屋」▼
2004年・パーリャン小学校竣工記念旅行
(Completion travel of Paliang's primary school, China, 2004)















私たちは雲南省孟連県パーリャン村に小学校を建てました▼
パーリャン村の小学生を支援する会
(Support team for Paliang's schoolchildren)

パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)



昆明の「お茶屋」▼
中国名花集-花の写真館(Chinese Flowers)

原画ファイルの破壊状況と破壊時期▼
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)

1999年の大理古城の「お茶屋」▼
1999年・雲南の旅(昆明/西双版納/大理)
(Kunming, Xishuangbanna, and Dali of Yunnan, China, 1999)












吐蕃について▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)





私の脳出血について▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)





中国の少数民族▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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