-- 2015.10.12 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2018.03.18 改訂
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私が齢延寺での「坐禅の会」(或いは「座禅の会」)(※1)に初めて参加したのは2008年7月13日(日)です(→後で又出て来ます)。私は自転車で行きます、15分足らずです。
齢延寺(山号:生魂山、住所:大阪市天王寺区生玉町13-31)は曹洞宗(※1-1) -日本では道元(※1-2)が開祖- の禅宗の寺で、曹洞宗と言えば只管打坐(しかんたざ)(※1-3) -只管(ひたすら)に坐禅をする- ですね。寺の改修工事のDVD『生魂山齢延寺』(△1) -作成日付は平成20(2008)年4月- を2010年頃に戴きました。その解説に拠ると「380年の歴史を重ねて来た」と書いて在りますので創建は1620年(=江戸初期)頃という事に成ります。DVDを見ると寺の創始が元和9(1623)年で、寛永9(1632)年に真田山から当地に移転して本堂を創建した様です。齢延寺については又後で記します。
齢延寺の正式の坐禅会は第2土曜日の午後3:00~4:00と午後7:00~8:00と成って居ます(参加費:無料)。
我々の会はそれとは別 -つまり非公式の会- で第2日曜日の午前9:00~11:00です。それ故に我々の「坐禅の会」の英語名を Zen meditation party にした訳です。我々は1階洋室に集まり、坐禅堂(→後出)に移動して9:00からと10:00からの2回坐禅(1回40~50分)を行います。party ですから堅苦しく無く1回の参加料を200円と定め、それを寺に納めて居ます。又、写経を遣る人は1階洋室で行います。メンバーは20人位居るみたいですが普段来るのは6、7~12、3名です。一応、我々の会の纏め役が橋本太三雄さん(→後出)です。
橋本さんはこの頃、私が主宰していた【ブラボー、クラシック音楽!】の会員でした。元々この会は2011年12月7日に最終回を行なう予定でしたが、その直前の12月2日に私は脳出血(※2)で倒れ(←実際は倒れて無い!)、入院とリハビリを終えた2013年3月6日に最終回を代替開催して戴き、3月19日から私は那覇市に引っ越し、私も到頭ウチナーンチュ(沖縄の人)に成りました。その間の経緯は▼下▼をお読み下さい(△2のp14~17)。
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
ですから会を続行してた時は【ブラボー、クラシック音楽!】(略称:【ブラ・クラ】)のホームページを出して居ましたが、今は無く活動履歴のみが在ります(△2-1のp24~53)。
それでは「坐禅の会」について書いて行くことにしましょう。とは言っても、坐禅というのは足が痺れたり眠く成ったりで現代人にとっては”苦行”に近いものです。なので、そんな事を書いても面白く無いので、Zen meditation party、即ち「坐禅パーティー」の仲間たちとの”楽しい交流”について書いて行こうという所存ですので、どうぞ宜しく!
(1)橋本太三雄さんのこと
私が何故「坐禅の会」に参加したかと言うと大正生まれの橋本太三雄さんのことを書かねば為りません。
もう記憶が曖昧ですが、西中島に「前衛倶楽部」(←会場を「前衛」と言う)という月例会が有り、多分前世紀の1998、9年と思いますが、その会に参加して橋本さんと知り合いに成ったのです。それで2004年から私が【ブラボー、クラシック音楽!】を立ち上げ橋本さんにも当初から参加して戴きました。【ブラ・クラ】も2006年迄は会場を「前衛」にして居たのです。私は【ブラ・クラ】で常に矍鑠(かくしゃく)としているので、06年頃橋本さんに聞いたら坐禅をしていると仰いました。
[ちょっと一言] 私はこの頃は【ブラ・クラ】と各地の旅で忙しかったので直ぐ坐禅を始められなかった訳ですが、冒頭に書いた様に2008年7月13日から「坐禅の会」に参加しました。
趣味は句歌と登山で、句歌は我流、登山は若い時から「社会人山岳会」に入って鍛えました。
09年3月4日の【ブラ・クラ】では「私の山人生・句歌人生」という題で講演をして戴き(左の写真)、後で同名のCDを作成しました(△3)。又これは橋本さんと私しか知らない事ですが、もう1枚CDを作りました(△3-1)が、これは相聞歌ですね。
右の写真は2010年4月7日の【ブラ・クラ】の土佐稲荷公園での花見です(手前右端が橋本さん、その左が後から「坐禅の会」に参加する太田さんと左端の楠瀬さんです(←彼は養子に成ったので衣川さんですが私は旧姓で呼んでます)。
CD『私の山人生・句歌人生』(△3)の解説書に橋本さんの句歌が載って居ます。このCDは春夏秋冬の順に橋本さんの「語り」が進み、それに合わせヴィヴァルディの『四季』が奏される構成です。因みに、この解説書は私が作りました、アッハッハ!
<春>六甲山の躑躅(つつじ)
開花なき 去年(こぞ)はとゞめず 岩つゝじ
山口県仙崎(童謡詩人の金子みすゞの故郷)の青海島にて
凪の海 望める丘の 鯨墓 梅の香ほのか みすゞが世界
<夏>余呉湖にて
鬼やんま すいと目の前 余呉の湖(うみ)
<秋>六甲山にて
広葉樹 さえずり満つる 森は無く 荒れ果て尽きて あわれとゞめん
<冬>座禅中に
寒写経 ゆだねし命 口紅(べに)あわく 媼(おうな)の凜気 僧堂に満つ
今あるを 渾(すべ)てと期す 他(た)に希求なし
橋本さんはこのCDを録音した2009年当時、略20年間坐禅を続けていると言ってますので1990年頃坐禅を始めた訳です。初めは阪急芦屋川駅の民間の坐禅道場で遣り、その後で大阪の寺に移り、更に齢延寺に移って来ました。
今CDを聴くと「鬼やんま」の句は何も考えずに直ぐ出て来た句で子供の頃に「トンボ釣り」をした事を思い出すそうです。「寒写経」の短歌は90歳位の老女が写経をした儘眠る様に倒れ事切れたそうです。その事に橋本さんは甚(いた)く感銘を受け、「今あるを」の句は齢延寺の前の寺に於いて坐禅で至高の境地を味わった時の句で、橋本さんをして「坐禅でその様な境地に達した事はこの時しか無い」そうです。「今は坐禅の始まりと終わりの鉦を叩く役が有り、中々雑念が入って難しい」と仰って居ました。
(2)私が「坐禅の会」に初めて参加した日 - 2008年7月13日
私も年を取り(←この時59歳)不摂生を続けて居るので、2008年7月13日(第2日曜)から橋本さんに頼んで「坐禅の会」に参加しました。初めは30分位で足が痺れ、それからは足を組み替えたり手で揉んだりと、落ち着きが無くなり散々でした。
この日は天気が非常に好かったので午後から自転車で淀川の河川敷に行き”昆虫撮集”、特に”トンボ撮集”をしました。
右はチョウトンボ(蝶蜻蛉)の♂(略実物大)です。♂はこの様に水辺の草に止まり -♂の縄張り行動- ♀が来るのを待ちます。翅の青黒い部分が光線を色々に反射し非常に綺麗です。
私は1998年頃からデジカメを買い”昆虫撮集”を始めました。昆虫撮集という聞き慣れない言葉は私の造語で、要するに昆虫には一切手を触れず昆虫の写真を撮ってインターネット上のHP(ホームページ)でデータを公開する方式です。虫を殺す昆虫採集 -昆虫を取って殺して展翅して標本を作る事- はもう遣らないのです。
(3)齢延寺について
坐禅をする場所は齢延寺の本堂の坐禅堂に在り、1階の広い洋室は待合場所です。初めて齢延寺に行った時は驚きましたね、寺に洋室は意外だったし、トイレも最新式だったし、何よりもエレベーターが付いてた事には面食らいました、だって1階と2階しか無いですよね。
冒頭で紹介した齢延寺のDVD(△1)に拠ると、平成14(2002)年~平成20(2008)年春の足掛け7年に亘る改築工事(←前の寺を壊して立て直しているので新築と殆ど同じ)が、山門の完成を以てやっと終わりました。山門の1階は仁王門(←1対(阿吽)の金剛力士像)で、2階には梵鐘(※3)を備えた鐘楼門が在り梵鐘には「南無釈迦牟尼佛」と書かれて居ます。私が「坐禅の会」に入った時は工事が終わって3、4ヶ月の頃だったのです。右が齢延寺本堂です(DVDより)。
このDVDは良く出来ていて、「生まれ変わる生魂山齢延寺」では着工~落成迄の記録と、免震装置(※4、木造建築で導入しているのは日本で初めて)の原理や免震装置22個が柱の下に組み込まれている事、そして畳昇降機(←世界中で齢延寺だけ)が紹介されて居ます。「対談」では本堂の1階洋室と2階和室(=客室)のシャンデリア/鳳凰の欄間/格天井(※5)、そして再び坐禅堂の畳昇降機が登場して大変参考に成りました。
ところで、このDVDを監修した齢延寺の富田基弘さん(右の写真(DVDより))は住職だとばかり思って居たら、DVDの解説を読むと既に現役を退いていて現住職は息子さんの富田賢光氏です。前住職は大変なアイデアマンでコンピュータ制御の畳昇降機を考え出しました。これは坐禅単(←坐禅用の台)にも椅子にも成ります。特に正座しなくて済むので御年寄りには好評です。前住職は改築に当たって「居心地に良い寺にしたい」という思いが有ったと「対談」で語って居ます。
それから本堂は全てケヤキ(欅/槻)(※6)で出来ていて、日本の建築では強度を要する部分にケヤキを使い他の部分はヒノキ(檜)などを使うのですが、前住職はケヤキの木目が好きだと言って居ます。
免震構造にしたのは亀山建設(株)の社長の進言で実現しました。因みに亀山建設(株)は岐阜県関市に本社が在り、同社の木材倉庫は岐阜県加茂郡富加町に在ります。亀山社長は木造建築に関しては博学で、特に本堂の二手先枓栱(※5-1~※5-5)などの「難解な技術用語」を学者の様に説明して居ます。これは日本古来の技術でやはり免震構造だそうです。「着工~落成迄の記録」は初めからDVDに纏めようとビデオや写真に撮って居た事が解ります。
本堂の天蓋(※7)や欄間は日本では職人が少なく人件費が物凄く高い為に中国で作りました。私も中国のチベット族が住む地域で見ました。今は日本人が作る装飾品は如何にも”ちゃち”な感じの物が多いですね。
以上の話は齢延寺のDVD(△1)から抜粋しました。1階洋室や2階和室で寺が出してくれた御弁当を食べた事を覚えて居ます。又、日本酒が出た事が有りましたね。前住職は何時もニコニコしていて齢延寺での「坐禅の会」は”楽しい交流”でした。
(4)2009年頃から橋本さんと六甲登山
2009年頃から太田照政さん(「物外館友の会」、【ブラ・クラ】、「純喫茶探偵団」)と楠瀬さん(「関西歴史散歩の会」、【ブラ・クラ】)が我々の「坐禅の会」に加わりました。ここで「純喫茶探偵団」とは07年の初夏に結成した大阪で純喫茶を発見する会で、太田さんには随分見付けて貰いました。中でも「純喫茶探偵団」の結成よりも早い07年3月19日には太田さんと二人で東京秋葉原のメイド喫茶を視察旅行をしましたね。右の写真はメイド喫茶での太田さんです。
私は2009年頃から橋本さんと六甲登山を何度かしました。2010年には太田さんと楠瀬さんが六甲登山にも加わりました。左は2011年8月13日(土)に六甲山の展望が開けた所で撮った写真です。
橋本さんが一番奥、大谷さん(左)と内藤さん(右に拡大写真)、手前が楠瀬さん。左の女性は橋本さんの友達です。
この写真には太田さんは載って居ませんが、太田さんも登山のメンバーです。
(5)2010年頃から四天王寺の坐禅会に参加
楠瀬さんは四天王寺の坐禅会にも入って居て、私も楠瀬さんに誘われ2010年頃から数回四天王寺の坐禅会に参加しました。当時の楠瀬さんのメールには「四天王寺の参禅会は五智光院です。毎週火曜日で6:30~7:30迄坐禅をし、その後で朝粥を食べ8:00には終わります。最初だけお経の本とお箸代で400円払いますが以降は無料です。御堂に入る前に賽銭箱があります。」と在りました。最初の日に買った「お経の本」は今も在ります。坐禅では食事も修行で粥を食べた茶碗は綺麗に拭かなくては為りません。四天王寺は人数が多いので、まごまごして居ると粥を食いそびれて仕舞いますゾ、アッハッハ!
◆四天王寺では坐禅の後で朝粥を食う - 中国の習慣を輸入
ところで、朝粥を食べる習慣は中国人の食生活に根差していて大陸中国や台湾では「お粥屋」が必ず在ります。中国人(=漢族)の「お茶文化」は有名ですが、又中国人は「お粥文化」でもあるのです。台湾などでは深夜にお粥屋が遣っていて夜お酒を飲んだ後のお粥がとても旨い、日本の「飲んだ後のラーメン」と同じです。禅宗の寺院でも中国に留学した僧がこの習慣を輸入し、道元(※1-2)などは『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という「禅寺で粥を食べる作法」の著作が有り、「法若(も)し法性ならば、食(じき)もまた法性なり。」(△4のp140)と説き、又「匙を用いて以て粥(しゅく)を喫す」(△4のp198)と書いて在ります。この本は脳出血で入院している時に読み中々面白かったですね。
道元は貞応2(1223)年に入宋し、南宋の天童山景徳寺(△4のp5)に於いて如浄(※1-4)から法を受け継ぎ、安貞元(1227)年に帰朝後は初めは京都に興聖寺を開きましたが、後に越前に道場を開き寛元4(1246)年に永平寺と改名して日本に於ける曹洞宗の開祖と成りました。只管打坐(※1-3)も如浄の教えです。
私は広州で食った「豚のモツ入り朝粥」が忘れられません、アッハッハッハ!
◆四天王寺の「篝の舞楽」を観る - これも中国から伝来
その関係で楠瀬さんと2010年と2011年の8月4日に四天王寺の「篝(かがり)の舞楽」を見に行きました(右の写真)。チケットは1000円です。これは毎年8月4日に天王寺舞楽協会が催す恒例行事です。舞楽も元々は中国から伝来したもので、後に朝鮮からも入って来ました。
私は2011年の模様を▼以下▼に纏め、舞楽のビデオも在ります。四天王寺の「篝の舞楽」を是非見て下さい。
2011年・四天王寺の「篝の舞楽」(The evening BUGAKU of Shitennoji, Osaka, 2011)
◇◆◇◆◇
まぁ、この様に齢延寺での「坐禅の会」は、私の関連する様々な例会の友人たちが寄せ集まって出来ていたのですが、「はじめに」で書いた様に2011年暮れに私は脳出血で入院、その後は沖縄に移住しましたので後の「坐禅の会」の事は知りません。
2010年2月19日(金)には「坐禅の会」の有志と、大阪西中島の「ひょうたん島」にスッポン(鼈)(※8)を食べに行きました。皆さんはスッポンは初めてと仰ってましたが私は多分70~80匹は食って居ます、スッポンは最高に旨い!!
左手前から楠瀬さん、私。右手前から岩田さん、内藤さん、橋本さん、平山さんです。
大谷さんが腹の調子を崩し欠席でしたが、大谷さんは前日に旨い料理を食った為という噂が専らでした。
この日の料理はスッポン(鼈)のフルコースです。先ずは血を焼酎で割ったものを飲み、次に内臓や肉を刺身で食い、次に唐揚げ、そして最後にスッポン鍋を食います。スッポンは甲羅も食えて、これがコラーゲン(※8-1)、つまり女性の美容に宜しいのです。
ここは味噌味で煮込むのですが酒も含めて6千円位/1人でした。鼈料理は店に依って味は千差万別、値段も5千円/1人~2万円/1人とバラつきが有ります。昔、梅田で”物凄く不味い”鼈鍋を食った覚えが有ります。又、1回だけ「ちり鍋」で、即ち「河豚(ふぐ)ちり」と同じくポン酢醤油で食わせる店が疎開道路に有り旨かったですね。この店は全員カウンターで食べ1万5千円位/1人したと思います。
前← 肝臓 卵 赤身は肉
↓ ↓ ↓
右は2008年1月28日(月)に撮ったスッポンの写真です。「ひょうたん島」の大将は私の友人なので、スッポンを捌く所を全部写真に撮らせて貰ったのです、もっとグロな写真も有りまっせ!
頸・頭部は既に取って在ります。スッポンは生命力が強いので、鍋が煮える迄頸がひくひく痙攣して居ます。脾臓などはこれから取ります。皆さんも当日これを食べたのでっせ!
もう一度言いますが私はこれを70~80匹は食って居ますゾ。
「ひょうたん島」の大将とは丹波篠山に猪鍋(牡丹鍋)を食いに行った事も有ります、この時の写真で大将も酒を飲んでますね。2015年の秋には大将は沖縄を訪ねて呉れました。店を遣ってた頃の大将は物凄い酒飲みでしたが、沖縄に来た大将は完璧に酒を止めて居ました、これには吃驚です!!
(1)JRの「大回り乗車」とは?
皆さん、JRの「大回り乗車」というのをご存知ですか?
JRの時刻表を仔細に見て行くと思わぬ発見をする事が在り、その一つがこれから紹介する「大回り乗車」です。尤も「大回り乗車」という語は鉄道ファンが使い始め、それが一般化したものです。JRは「大回り乗車」という語を使わずに「運賃計算の特例」という語を使って居ます(大型の時刻表ではp970辺りに、小型の時刻表ではp35辺りに出て居ます)。ですから「大回り乗車」(=「運賃計算の特例」)はJR公認のシステムです。因みに、最初にこのシステムについて私に教えて呉れたのは赤畑という人(→後出)です。
では「大回り乗車」(=「運賃計算の特例」)とは、どういうシステムなのか?
時刻表の「運賃計算の特例」を見ると「大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券でご利用になる場合は、実際にご乗車になる経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車することができます。」「重複しない限り乗車経路は自由に選べますが、途中下車はできません。途中で下車される場合は、実際に乗車された区間の運賃と比較して不足している場合はその差額をいただきます。」と在ります。途中下車はダメ、要するに「一筆書乗車」(※9)です。
大都市近郊区間とは、東京近郊区間/新潟近郊区間/大阪近郊区間/福岡近郊区間に新たに仙台近郊区間が加わりました。従ってJRの「大回り乗車」はこれら5つの大都市だけの特例なのです。
これだけだと解り難いので、JR西日本の大阪近郊区間を例に説明します。
右が大阪近郊区間の図です。例えば大阪駅~天満駅(120円)の切符を買って、実際には新大阪~京都~奈良~王寺~天王寺~天満と「大回り」をして天満駅で降りても運賃は120円なのです。但し途中下車は出来ません。
これは先程言った様にJR公認なのです。
世の中には、時刻表に”ちょろっ”と載っている情報を捉え、他人が知らない事を実践している人が居るものです。その様な情報通には感心し又、呆れます。私にこの情報を最初に教えてくれた人が居るのですが、その話は最後でします。
(2)青春18切符の活用 - 琵琶湖周遊コース
私は「大回り乗車」よりも青春18切符(※10)を目一杯活用してましたね。ここでは先ず青春18切符で行く琵琶湖周遊コースを採り上げます。何故、琵琶湖周遊コースなのか?、は後で述べます。琵琶湖の地図は▼下▼を参照して下さい。
地図-日本・琵琶湖(Map of Lake Biwa, Shiga -Japan-)
(2)-1.青春18切符に依る夏の琵琶湖周遊 - 湖東→湖西
昨日は横浜・横須賀で弟子に会い、この日(=2007年7月23日(月))は横浜から青春18切符で帰阪しましたが、時間が余るので米原で北陸本線に乗り換え近江塩津に行き、近江塩津から湖西線経由で京都に行き、京都で降りて一杯遣って大阪に帰りました。下が07年7月23日の写真です。
左が東海道線大垣駅で撮った樽見鉄道の列車です(14:50頃)。ご覧の様にたった1輌で運行します。私は樽見鉄道は10回位乗ってますので非常に愛着が有ります。この列車は15:07に出発します。
米原駅(16:03発)で北陸本線に乗り換え湖東を進み、右が余呉駅付近からから撮った余呉湖です(16:33頃)。
余呉湖の南側には羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳(標高422m)の古戦場跡が在ります。
橋本さんが余呉湖で詠んだ「鬼やんま」の句が思い出されますね。
実は約1ヶ月後(07年8月18日(土))にも余呉湖に来ていて、この時は余呉駅で降り余呉湖の周辺を散策しました。余呉駅(無人駅)の線路の上で撮った私の写真が在りますので見て下さい。珍しい写真も載って居ます!
近江塩津駅(16:36着、16:40発)で湖西線新快速網干行きに乗り換え、左が多分水原駅付近から撮った琵琶湖です(16:45頃)。
右は近江舞子駅(16:26)を過ぎて蓬莱駅付近で撮った琵琶湖です(17:33頃)。この辺りから見る琵琶湖はとても明るい雰囲気が有ります。
京都駅着が17:57なので知っている寿司屋 -私は舎利(しゃり)は食わない- に行きビール、日本酒、焼酎を飲みました、旨い!!
◆敦賀駅
敦賀駅 時計
↓ ↓
左は北陸本線の敦賀駅と駅前のロータリーです(08年10月17日に撮影)。
右上が「敦賀駅」の表示板、右が時計の拡大です。「敦」の右半分が写って居て時刻は17:35を指して居ます(→敦賀の地図)。
敦賀と言えば気比神宮ですね。でも、あの時は仲間とバスで行ったし(△2-2のp21~24)、私の場合は敦賀駅は経由駅(←この日も小浜線を乗って来た帰り)です。でも琵琶湖周遊する際は敦賀駅迄来て欲しいすすね、駅蕎麦が結構行けますゾ!
(2)-2.青春18切符に依る冬の琵琶湖周遊 - 湖東→湖西
2009年1月8日(木)に、又もや青春18切符の余りの時間を利用して琵琶湖周遊を試みました。左下が近江塩津駅で背後にJRの高架と送電線が見えます(12:32頃)。私は名古屋方面から米原駅(11:39発)で北陸本線(=湖東)の列車に乗り換えて近江塩津駅(12:14)に着きました。
駅名の表札
↓
江戸時代の旅籠を思わせる様な造りの駅舎は、駅名表札に
近 江 塩 津 駅
塩道・あちかまの宿
と書いて在ります。
駅舎には「ちょっと一福 営業中」と書いた幟(のぼり)が出ていて(←私は先程蕎麦を食った)、レンタサイクルの広告も在りますが、如何せん人が居ないのです。私の様に駅舎の写真を撮って居る人は”物好き”と思われて居るでしょう。写真の右下には雪が残って居ました。
近江塩津という駅は北陸本線と湖西線の合流点(或いは分岐点)の駅で、高架のホームの上には人が可なり居ますが、この人たちは駅で乗り換えて行って仕舞いますので近江塩津駅で降りる人は殆ど居ません。えっ、地元の人は?、地元の人は車です。日本の社会は田舎へ行く程「車社会」なのです!
私は蕎麦屋はホームの上の駅蕎麦にした方が寒いし売れると思います(→米原駅を見よ(後出))が、どうでしょうか?!
近江塩津駅(12:39)の湖西線新快速姫路行きに乗りました。
左の写真は夏の写真と略同じ所から撮って居ます、即ち水原駅付近から撮った琵琶湖です(12:46頃)。
空は晴れ渡って居ます。右は近江中庄駅と近江今津駅の中間から撮った湖西の風景で(12:58頃)、近江中庄駅の近くには箱館山スキー場が在ります。
私は琵琶湖周遊コース、特に冬が好きです。何故ならば冬は上の写真の様に湖西の山々が雪化粧して非常に美しいのです。私が乗っている新快速は近江舞子迄は各駅で京都には13:58(1時間後)に着きます。京都や大阪は雪が全く降って居ません。冬の琵琶湖周遊コースは”お手軽に雪国の旅”が楽しめるのです。
(3)「大回り乗車」に依る琵琶湖周遊コース
(3)-1.大回り乗車の琵琶湖周遊の旅 - 湖西→湖東
私が或る人(→後出)に教えて貰った「大回り乗車」を実行したのは2009年1月15日(木)が初めてです。この日は上の「青春18切符に依る冬の琵琶湖周遊」(09年1月8日)の丁度1週間後です。切符は確か大阪駅→天満駅(120円)です。コースは前回と逆の湖西→湖東です。
姫路駅発(12:12)の山陽本線/湖西線の近江塩津行き(15:04)に大阪駅(13:15)から乗りました。湖西の風景は近江舞子駅を過ぎた辺りから前回よりも雪が多く”雪国の旅”に更に期待出来そうです。
左はマキノ駅と水原駅の中間の風景です(14:55頃)。雪がバンバン降って居ます。
右は雪が降っている山間の単線のレールの上を列車が走って行きます。私はこの様な写真が大好きです。ここは水原駅付近です(14:59頃)。水原駅付近の夏の写真も在りますよ。
間も無く湖西線は近江塩津駅(15:04)に付きます。
近江塩津駅(15:05)で北陸本線経由の新快速播州赤穂行きに乗り換え米原駅(15:42)迄行きました。
←高架橋
左は余呉駅と近江塩津駅の間に在る高架橋です(15:07頃)。高架橋の拡大が右上の写真です。
左は余呉駅付近から雪の余呉湖を撮りました(15:10頃)。
←余呉湖
夏の余呉湖と比べて見て下さい。又、1週間前とは天候が大違いで”雪国の旅”を満喫出来ました!!
新快速播州赤穂行きは米原駅着が15:42、米原駅発が15:49です。即ち7分余裕が有り腹が減ったので米原駅で駅蕎麦を食いました。私は彼方此方を旅してるので駅蕎麦は4分有ったら食える事 -1分で蕎麦を作り残りの3分で食う- を経験的に知って居ます。そして駅のトイレに寄って再び新快速播州赤穂行きに戻り、着席したら15:48でした。間も無く発車です。
米原駅(15:49)を発った新快速播州赤穂行きで草津駅(16:22)迄行きました。あれ程降っていた雪が米原駅を出発したら直ぐに止み、近江八幡駅辺りを過ぎるともう雪など見られません。この風景の落差、これがこのコースの魅力なのです!
草津駅(16:25)から草津線で柘植駅(17:09)迄行き、柘植駅(17:12)から関西本線で加茂駅(18:05)迄行き、加茂駅(18:21)から大和路線区間快速で天王寺駅(19:17)迄行き、後は大阪環状線で天満駅迄行けば良いので19:40頃には余裕で天満駅に着きます。これは完璧な「一筆書乗車」(※9)です。
JR天満駅にも知っている店が何軒も在りますので祝杯を挙げました、祝杯はメリハリを付ける意味で大切なのです。大阪の飲み屋での話、「えっ雪?、雪なんか降って無いぜ」でした!
(3)-2.大回り乗車の琵琶湖周遊の旅 - 湖東→湖西
2011年2月18日(金)に「坐禅の会」のメンバーと大回り乗車の琵琶湖周遊(湖東→湖西)をしました。切符は大阪駅→北新地駅を買ったと思います。参加者は太田さん、大谷さん、それに私です(左下の写真)。実は太田さんは「大回り乗車」が非常に好き且つ得意で、「大回り乗車」で色々なコースを体験していると仰って居ましたので、この日は太田さんにコースを一任しました。
エアコン
↓
10:00に大阪で待ち合わせて10:30の新快速に乗り米原駅に11:51に着きました。それで大谷さんと太田さんが米原駅で駅蕎麦を食べて居ます(左の写真)。
向こうの窓ガラスの中の拡大すると今時刻は12:10です(右の写真)。
太田さんは弁当も買って嬉しそうですね(左の拡大写真)。駅の待合室はエアコンで暖かいのです。
私も駅蕎麦を食いました、駅蕎麦は「早い、旨い、安い」!
駅蕎麦を食った後、米原駅(13:03発)で北陸本線に乗り換え、湖東の景色を見乍ら近江塩津に向かいました。
右は田村駅付近から撮った伊吹山(標高1377m)で(13:09頃)、伊吹山は湖東の風景の代表格です。
←余呉湖
左は余呉駅付近から雪の余呉湖を撮りました(13:31頃)。夏の余呉湖と比較して見て下さい。
左は余呉駅と近江塩津駅の間に在る高架橋です(13:35頃)。
右は近江塩津駅です(13:40)。右側に停車しているのが私たちが乗って来た列車、左に入線して来るのがこれから乗る近江塩津駅(13:40)の湖西線新快速網干行きで、時間的余裕は有りません。
左はマキノ駅付近の湖西の風景です(13:51頃)。
この日も”雪国の旅”を楽しみました。琵琶湖の北部や余呉湖では雪が一杯降っているのに、京都や大阪では全然降って無いのです。この落差が冬の琵琶湖周遊コースの醍醐味だという事が解って戴けたと思います!!
この後、湖西線新快速網干行きで京都駅(14:58)に行き、時刻は忘れましたが奈良線で木津駅迄行き、学研都市線で北新地駅迄行ったと思います。梅田で茶店に入ったかも、もう忘れました。「坐禅の会」の”楽しい交流”の1コマです。
但し、このコースは完璧な「一筆書乗車」(※9)では有りません。山科駅~京都駅が重複しているのです。
◆最初に「大回り乗車」を私に教えた人
最初に「大回り乗車」の事を私に教えて呉れたのは「関西歴史散歩の会」(会長:下村治男)の赤畑博さん(右の写真(06年5月7日撮影)、首からラジオのヘッドフォンをぶら下げて居ます)で、確か2007年の秋頃です。「JRの時刻表の「運賃計算の特例」を読んでみたら」と言いました。因みに「関西歴史散歩の会」は毎月第1日曜日に歴史散歩して次回の場所と集合時間をそこで知る、という遣り方です。
赤畑さんは大変議論好きです。右の写真を撮った日も「関西歴史散歩の会」の帰りに「お好み焼き屋」に寄り、ビールや日本酒を飲み乍ら赤畑さんは大いに議論しました。そこで少し赤畑さんの事を記します。
▼▼▼
彼が「関西歴史散歩の会」に参加したのは2003~04年頃だと思います。と言うのは、2004年12月の例会(←この日は「大和郡山の城郭と遊郭」という題で私が案内しました)の写真に赤畑さんが写って居るからです。この人は”大分変わった人”です。そもそもJRの「大回り乗車」を実行する人も、或る意味で”変わった人”に属するかも知れませんね。
彼は俳句 -俳句を始めたのは1998年から(△5のp4、7)の様- を色々な所に投稿していて、付き合い出すと毎月自分の入選句を送って来ます。期せずして「坐禅に会」の橋本さんと同じ趣味ですねぇ。入選句を送る際、封筒は新しいのを使わず使用済み封筒を再使用するのです。又、住居の大阪府茨木市と実家の広島県三原市とを「青春18切符」で往復し、この「大回り乗車」を実行し安い旅 -【参考文献】△5-1のp23に「日帰り列車」と在るのがそれです- をするのです。更に1日置き位に茨木市の映画を見ます、年寄り割安が有るそうです。議論好きを反映して裁判所傍聴をして居ます。まぁ、言わば年金生活を満喫してる訳です。で会社はと聞くと、何と住友信託銀行に勤めて居ました。○優です、二重丸◎です。そして月に1度、住友信託銀行のOB会で飲むのを楽しみにして居ます。
そして意外にも趣味はクラシック音楽、特にバロック音楽の鑑賞 -これだけは赤畑さんと同趣味です!- です。私は彼の句集(△5、△5-1)を戴きましたが、クラシック音楽を詠み込んだ句や歌を拾い出してみると
歩みつつ モルダウ聴くや 麦の秋(△5-1のp17)
樹々の下 第九のごとき 蝉の声(△5-1のp18)
朝六時に バロックの森 聴きおれば
如月の空が 白みはじむる(△5-1のp21)
などが在ります。モルダウはスメタナの交響詩です。昔、NHKのFMの「バロックの森」と称していた番組は今は「古楽の楽しみ」と言います。時々名称が変わりますがバロック以前の曲を掛ける朝6:00からのFM放送の内容はずっと不変で、私も50年間位ずっと聴いてます。2009年5月28日に大阪NHKのクラシック音楽公開放送の録音にも赤畑さんと行きました(←入場整理券を取ったのは彼)が、彼はこの時もNHKの職員と何やら議論を始めました、議論好きなのです。
俳句に戻ると
近松の 浄瑠璃聞きし 春休み(△5のp23)
の様な浄瑠璃を詠み込んだ句も在ります。赤畑さんが浄瑠璃を聴いているとは知りませんでしたね、これは失礼!
そして私が脳出血(※2)から回復し、沖縄に引っ越して本を出版する時(=2013年)には色々実践的なアドバイスして貰いました、彼は句集を自費出版してましたから。本を送る時はメール便が安くて良いという事も教えて貰いました。それで2013~15年3月迄メール便を利用して本を送りましたがヤマト運輸のメール便が2015年3月31日で廃止に成りました。理由は「信書」(※11)の定義が曖昧だとか(?)...。御蔭でメール便が廃止後は郵送料が3~4倍に成りました。
その前の2015年の正月に話は戻りますが、赤畑さんに電話したら奥様が出られて彼は昨年暮れに倒れ救急車で搬送されたとの事です。この時、奥様が「もうダメです」と言った言葉が妙に耳に残って居ます。多分、奥様は「再起の望みが無い」という意味で「ダメ」と仰ったのでしょう。病名は言わなかったですが、そういう事から多分脳卒中(※2-1)だと思います。
それで私も電話しなかったのですが、勇気を出して3年振りの2018年3月17日に電話をしたら奥様が出られて「去年(2017年)の10月に亡くなりました」という返事です。昭和15(1940)年1月2日生まれ(△5、△5-1の奥付)の赤畑さんは享年77歳です。それで直ぐ「関西歴史散歩の会」の香嶋さんに連絡しました。私と同系統の病気なので他人事(ひとごと)とは思えません。
それでは赤畑博さんの御冥福を祈り、合掌!
(-_-)
_A_
{最後の「合掌」の段は2018年3月18日に追加}
如何でしたか?、我々の「坐禅の会」の”楽しい交流”は面白かったでしょう!
私は2011年暮れに脳出血に成り、娑婆に復帰して直ぐに沖縄に引っ越しましたので、その後の「坐禅の会」については実は全く知りません。まぁ、橋本さんや皆さんも大分御高齢に成ったので、どうかなと思って居ます。
私は2008年7月13日~2011年暮れ迄の約3年半の付き合いでしたが、六甲登山や大回り乗車、それに私は良く橋本さんと「坐禅の会」の後に般若湯(※12)などを飲んで、楽しい思い出で一杯です。「坐禅の会」の皆さん、どうも有難う御座居ました、これからも楽しく生きて下さい!
\(*o@)/
ところで、私が若い頃はマラソンなどテレビで見ませんでしたが、今では42.195kmを走り切る”他人の苦痛”を皆面白がって見てますので、2050年頃には”坐禅の苦行”をテレビで面白がって見たり、テレビを見乍ら自宅で夫々が坐禅してるかも知れませんよ。
人間は不思議なもので、”他人の苦痛”は苦痛では無いどころか、実は快感だったりして。「他人の苦痛は実は快感!」というのはエルニーニョの小定理です、ブワッハッハッハッハ!!
【脚注】
※1:坐禅/座禅(ざぜん、Zen meditation)とは、この場合、〔仏〕(「禅」は梵語dhyanaの音写「禅那」の略)静座して精神を集中させる行法。又、心性を究明して悟りを求める修行。主に禅宗で行い、安楽の法門とする。「―を組む」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-1:曹洞宗(そうとうしゅう)は、禅宗の一派。中国で洞山良价と弟子の曹山本寂に依って開かれ、日本では、道元が入宋して如浄からこれを伝え受けた。臨済宗が公案(こうあん、参禅者に示して坐禅工夫させる課題のことで、難問奇問が多い)を用いるのに対し、只管打坐(しかんたざ)を説く。永平寺・総持寺を大本山とする。
※1-2:道元(どうげん)は、鎌倉初期の禅僧(1200~1253)。日本曹洞宗の開祖。京都の人。内大臣久我(土御門)通親の子。号は希玄。比叡山で学び、後に栄西の法嗣に師事。1223年(貞応2)入宋、如浄より法を受け、27年(安貞1)帰朝後、京都深草の興聖寺を開いて法を弘めた。44年(寛元2)越前に曹洞禅の専修道場永平寺を開く。著「正法眼蔵」「永平広録」など。諡号(しごう)は承陽大師。
※1-3:只管打坐/祗管打坐(しかんたざ)とは、禅宗で余念を交えず、只管(ひたすら)に坐禅をすること。道元禅の特色を表す。
※1-4:如浄(にょじょう)は、南宋の僧(1163~1228)。越州の人。曹洞禅の知鑑の法を嗣ぐ。天童山景徳禅寺に住して只管打坐(しかんたざ)に徹した。入宋した道元はその下で得法。
※2:脳出血(のうしゅっけつ、cerebral hemorrhage)とは、脳の血管が破綻して出血し、脳組織の圧迫・破壊を来す疾患。高血圧・動脈硬化に因るものが最も多い。発作的に起り、頭痛・意識消失・悪心・嘔吐・痙攣などを来し、出血部位に依り種々の神経症状を呈する。予後は出血の部位・大きさに依り異なるが、しばしば半身不随などの後遺症を残す。脳溢血。→脳卒中。
※2-1:脳卒中(のうそっちゅう、cerebral apoplexy)とは、脳の急激な血液循環障害に因る症状。急に意識を失って倒れ、手足の随意運動は不能と成る。脳出血に因る事が最も多い。脳出血/くも膜下出血/脳血栓/脳塞栓/一過性脳虚血発作の5つのタイプが在る。脳血管障害。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※3:梵鐘(ぼんしょう、bell of Buddhist temple)とは、中国の古楽器の鐘に対して、寺院で用いる釣鐘の称。多く鐘楼に吊り、撞木(しゅもく)で打ち鳴らす。和鐘・朝鮮鐘などが在る。別称、鯨鐘/洪鐘(おおがね)/撞鐘(つきがね)/蒲牢/華鯨など。
※4:免震構造(めんしんこうぞう、base isolated system)とは、建物の基礎部分などに、積層ゴム/滑り支持機構/ローラー支持機構などを入れて地盤から構造物に伝わる振動を絶縁し、地震に因る揺れの強さを抑え、構造物に生じる応力や変形を制御しようとする構造。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※5:格天井(ごうてんじょう)とは、角材(格縁(ごうぶち)と言う)を45cm程の間隔で格子形に組んで上に板を張った天井。
※5-1:二手先(ふたてさき)とは、〔建〕組物の一形式。柱より外へ二つ目の斗(ます)に依って丸桁(がぎょう)を支え受けるもの。
※5-1:斗(ます)とは、この場合、〔建〕柱などの上に設けた方形の受け木。組物を構成する部材。斗形(ますがた)。
※5-3:丸桁(がぎょう/がんぎょう)とは、〔建〕化粧垂木を受ける一番外の桁(けた)。正倉院文書「―一枝」。
※5-4:斗栱/枓栱(ときょう)とは、建築物の柱上に在って軒を支える部分。斗(ます)と肘木(ひじき)とを組み合せて構成する。斗組(ますぐみ)。組物。
※5-5:肘木(ひじき)とは、この場合、〔建〕斗(ます)と組み合せて組物を形成し、上からの荷重を支える用を成す横木。肱木/臂木/栱(きょう)/承衡木とも書く。→大斗肘木(だいとひじき)。
※6:欅/槻(けやき、zelkova tree)は、(ケヤはケヤケシと同源。木理に基づく名か。キは木の意)ニレ科の落葉高木。山地に多いが、人家の防風林にも使われて来た。高さ20mに近く、周囲約3mに達する。花は早春新葉と共に生じ、淡黄緑色、雌雄同株。果実は小さく扁平。材は黄ばんで堅く、磨けば光沢を生じ、狂いが少ない。建築用装飾材、又は器具材として賞用。伊京集「樫、ケヤキ」。
※7:天蓋(てんがい、canopy)とは、[1].仏像などの上に翳(かざ)す笠状の装飾。方形/八角形/円形などに作られ、瓔珞(ようらく)/幡(ばん)、天人/宝華などの彫画で荘厳(しょうごん)される。懸蓋。仏蓋。
[2].虚無僧の用いる藺草(いぐさ)製の深編笠。
[3].僧家で蛸(たこ)の隠語。
※8:鼈(スッポン/すっぽん、soft-shelled turtle)は、カメの一種。爬虫綱カメ目スッポン科。甲羅は軟らかな皮膚で覆われ、他のカメと異なり鱗板は無い。又、中央を除いて骨質板の退化が著しく、縁辺は軟らかい。頸は長く、自在に伸縮する。背部は淡暗青灰色、腹部は白色、口吻は尖って良く物を噛む。前後肢共に3爪を具える。本州・四国・九州の河川・池沼に棲む。肉は美味、滋養に富み、血は強精剤とされる。又、広義にはスッポン科のカメの総称。アジア/アフリカ/アメリカに約20種。蓋(ふた)。川亀。泥亀。丸(まる)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※8-1:コラーゲン(Kollagen[独])は、動物の皮革/腱/軟骨などを構成する硬蛋白質の一種。温水で処理すると溶けてゼラチンと成る。膠原質(こうげんしつ)。
※9:一筆書(ひとふでがき、draw with a single stroke of the brush)は、[1].墨継ぎをせずに書くこと。又、その書き方の書や画。
[2].線描きの図形を、同じ線を二度以上通らず紙面から筆を離さないで書くこと。又、その書き方。線が分岐する点は、線の数が偶数の時に偶点、奇数の時に奇点と言い、奇点が2以下であれば一筆書きが出来る。L.オイラー -スイスの数学者(1707~1783)- がドイツのケーニヒスベルク(現ロシア領)を流れるプレーゲル川に架かる7つの橋を一度ずつ渡る問題から、この原理を考えたと言われ(Euler's
path)、後にトポロジー(位相幾何学)が生まれる切っ掛けと成った。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
[3].一つ書。
※10:「青春18きっぷ」とは、JRの各駅停車と快速の普通車を1日(=0時0分~23時59分)乗り放題の検印欄5日分を1枚に印刷した切符のことで、05年8月現在の値段は11,500円(=2,300[円/日])です(子供も同額)。1日分ずつの分割は不可だが複数人での共同使用は可。急行、特急、寝台での利用は無効。JRバスや船の利用は概ね無効だが、地方に依り利用可能な便が有るので、予め調べると利用範囲が広がります。
常時発売されて居るのでは無く、学生の春・夏・冬の長期休暇に合わせて発行されるので「青春」と命名されて居ます。
※11:信書(しんしょ、letter, correspondence)とは、特定の人が特定の人に意思などを通ずる文書。手紙。書状。
※12:般若湯(はんにゃとう)とは、(僧の隠語)酒。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:DVD『生魂山齢延寺』(ナレーター:柳生博、出演:富田基弘(前住職)と亀山義比古(設計施工、亀山建設(株)代表取締役)、監修:宗教法人齢延寺)。
△2:『めんそーれ沖縄! ~新天地沖縄と物外館の思い出~』(エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。
△2-1:『ブラボー、クラシック音楽! ~活動履歴・曲目解説・オリジナルCD・折々の感想など~』(エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。
△2-2:『エルニーニョの鵲森宮と愉快な仲間たち ~神社・磐座・岩刻文字・温泉・酒など~』(エルニーニョ深沢著、美しい日本文化研究所)。
△3:CD『私の山人生・句歌人生』(語り:橋本太三雄、司会:エルニーニョ深沢、音楽:ヴィヴァルディ『四季』より)。2009年3月4日にミロホールでライブ録音し、同年3月31日に製作。
△3-1:CD『山を愛し山に癒さるるの詩歌』(自作詩歌朗読:橋本太三雄、女性の詩代読:黒島洋子)。2009年10月3日に(有)オメガシステムのAスタジオで録音し、同年10月27日に製作。
△4:『典座教訓・赴粥飯法』(道元著、中村璋八・石川力山・中村信幸訳注、講談社学術文庫)。
△5:『句集 瀬戸の海』(赤畑博著、自費出版)。
△5-1:『句集第二号 空は碧く海も青』(赤畑博著、自費出版)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):琵琶湖や余呉湖の地図▼
地図-日本・琵琶湖(Map of Lake Biwa, Shiga -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):福井県敦賀市の地図▼
地図-日本・福井県(Map of Fukui prefecture, -Japan-)
脳出血から沖縄永住迄の経緯や入院中に読んだ道元の本▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
懐かしい今は無き「前衛」、
【ブラボー、クラシック音楽!】も2006年迄「前衛」を会場とした▼
在りし日の前衛倶楽部(Zen'ei Club of the past)
「トンボ釣り」について▼
私の昆虫アルバム・日本編-トンボ類
(My INSECTS album in Japan, Dragonflies)
”昆虫撮集”について▼
私の昆虫アルバム・南西諸島編(My INSECTS album in South-West Islands)
チベット族の欄間▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)
「関西歴史散歩の会」の楠瀬さんや赤畑さんの事、
私の弟子に横浜/横須賀で会う(07年7月22日)▼
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)
純喫茶探偵団やメイド喫茶について▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
中国人(=漢族)は「お茶文化」▼
中国と世界の「お茶文化」('Tea culture' in China and the world)
深夜も「お粥屋」が遣っている台湾の「お粥文化」▼
2004年・台湾”味試し”旅(Let's banquet and sing in Taiwan, 2004)
大陸中国の「お粥文化」や広州で食った「豚のモツ入り朝粥」▼
中国のヘビーなお食事-”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
四天王寺の「篝の舞楽」▼
2011年・四天王寺の「篝の舞楽」
(The evening BUGAKU of Shitennoji, Osaka, 2011)
スッポン鍋や「ひょうたん島」の大将▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)
樽見鉄道には愛着が有る▼
今の不況を笑い飛ばせ!(Laugh off the current recession !)
07年夏に余呉駅(無人駅)の線路の上で撮った私の写真▼
私自身の写真集・海外と日本編(My own PHOTO album in overseas and Japan)
敦賀の気比神宮▼
2003年・気比神宮初詣で(Kehi shrine, Fukui, 2003 beginning)
2004年12月の「関西歴史散歩の会」の例会
(この日は「大和郡山の城郭と遊郭」という題で私が案内しました)▼
大和多聞城と大和郡山城(Tamon and Yamato-Koriyama castle, Nara)
人形浄瑠璃について▼
人形浄瑠璃「文楽」の成り立ち(The BUNRAKU is Japanese puppet show)
【ブラボー、クラシック音楽!】で橋本さんのオリジナルCDを作成▼
「ブラボー、クラシック音楽!」を振り返って
(Recollection of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')
【ブラボー、クラシック音楽!】の活動履歴と橋本さんの語り▼
ブラボー、クラシック音楽!-活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')
「関西歴史散歩の会」のサイト▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')