連休のあいだに渋谷へ出かけた。まずは井の頭線、神泉で降りて松濤美術館へ。
ここは23年前、「小林秀雄 美を求める心」展を見た思い出深い場所。この展覧会のあとで小林秀雄の全集を読んだことが自作サイトを作ろうと思い立つきっかけになった。23年前は自転車で来た。いまはもうそういう元気はない。
洋の東西を問わず、陶磁器を見るのは好き。前にもそごう美術館でオールド・ノリタケを、横須賀美術館でロイヤル・コペンハーゲンのアンティークを見た。
今回は18世紀の王侯貴族が使用していた豪華な品が展示されていてどれも華やかだった。
瑠璃と呼ばれる濃い青や藍色に金の模様が入っているデザインに目が留まった。トーハクの法隆寺宝物館で見た経文も同じ配色。私の好みなのだろう。青や藍にいつも惹かれる。
美術館を出て、まさにその藍色のデニム・パンツを買いに渋谷の街中へ歩き出した。
さくいん:小林秀雄、横須賀美術館、法隆寺
昨日のこと。長年履いていたジーンズがひどく破れてしまったので買い替えることにした。調べると最寄りの街にあったジーンズ店が閉店になっていたので、ブランド直営店のある渋谷まで出ることにした。
井の頭線の神泉で降りて、まず松濤美術館へ。それから坂を下り明治通り、さらに神宮前通りへ出た。店は旧渋谷川遊歩道という渋谷と原宿のあいだの路地。すぐにわかった。
これまで履いていたものと同じストレート、番号は505。色は一番藍色が濃いもの。これも前回と同じ。試着してみると何となく生地が薄くなっている気がする。気のせいか、それともステルス値上げか。店員に尋ねたけど明快な回答はなかった。
買い物のあとはランチ。あらかじめ調べておいたハンバーガー店、The Great Burgerへ。
チーズバーガー、フライドポテトに代えて追加金を払ってオニオンリング、生ビール。どの店へ行っても同じ、いつものオーダー。
まとまりのいいビルド。つまり食べやすい。いつもソースをこぼしてしまうのに、この店のチーズバーガーはきれいに食べることができた。味も上々。
ハンバーガー店のまわりにはスポーツ、ファッションのブランドの路面店やこだわりを感じさせるセレクトショップが並んでいる。ふだん買い物はついポイントの貯まる百貨店か通販でしてしまう。服を買うのは好きだけれど、お気に入りが見つかるまでセレクトショップを見てまわるほどではない。この日も何も買わなかった。
在宅勤務なのでふだんは手持ちのTシャツやポロシャツで十分。夏服は買い足ししなくても大丈夫だろう。
東京に長年住んでいても、これまでに行ったことのない場所へ行ったので、連休にちょうどいい散策になった。
さくいん:東京
『世界危険旅行』、『辺境見聞録』と同じ、日経ナショナルジオグラフィックのヴィジュアルアトラスシリーズの一冊。フィクションとリアルを問わず、歴史上のユートピアを紹介する。
国や街だけではなく、「差別のない世界」など抽象的な概念もユートピアとして挙げられている。中南米で革命と解放を夢たチェ・ゲバラや、バスで白人に席を譲らなかったローザ・パークス、たっと一人で夢の理想宮を作り上げたシュヴァルなどがそうした例。
アトランティスやブラジリアなどの話よりも、こういう一人の人が夢を見て現実化した話に興味が湧く。それは、いま私が孤独な環境に置かれているからだろう。
在宅勤務になり、日中、雑談を交わす相手もいない。週末も誰にも会わない。一人で本を読み、公園を歩き、文章を書いている。さびしくないと言えば嘘になる。でも通勤の苦痛や表面だけの交際がなくなり気分は軽い。
孤独と交際はトレードオフの関係。人との交際を経って、一人の自由を手に入れた。文句は言えまい。
心地のいい椅子、使い慣れたパソコン、好きな画家の絵葉書、何度も読み返したくなる本、家族の写真、ジンのグラスを休ませるコースター、倒れたらすぐ横になれるベッド。書きたいことを書きたいだけ書ける時間。
これだけお気に入りに囲まれた私の部屋は、間違いなくユートピアだろう。
一日中、ここにいても飽きることはない。
さくいん:シュヴァル、孤独、ジン(マティーニ)
シリーズ名に「宗教のきほん」とあるように、島薗進の専門分野である宗教社会学の概要がおおまかにわかる。しかもその内容は
古くからある救済宗教の歴史をたどり、現代においては単純な救済でなくても、宗教的な感覚、いわゆるスピリチュアリティは広く求められていると結論づけている。
そして島薗は現代人が求めるスピリチュアリティを「自己変容のスピリチュアリティ」と「限界意識のスピリチュアリティ」の2種類に分けて提示する。前者は「ニューエイジや精神世界など、ポジティブな自己実現を目指すスピリチュアリティ」。後者については次のように説明し、現代社会に求められるスピリチュアリティとして、こちらを重視する。
(「限界意識のスピリチュアリティ」とは)自己変容のスピリチュアリティとは異なり、むしろ深い悲しみや心の痛み、解決が困難な苦難に焦点を合わせるもので、死に向き合うこと、大切なものの喪失や死別の経験に向き合うことを軸とするスピリチュアリティです。(第4章 「救い」のゆくえ)
『日本人の死生観を読む』『ともに悲嘆を生きる』『死生観を問う』。これまでに読んできた島薗の著作は、まさにこの「限界意識のスピリチュアリティ」をテーマにしていた。そうした本を選んで読んできたのは、とりもなおさず私の関心がそこにあるから。
「深い悲しみとどう向き合うか」。この20年間、ずっとそのことを考えてきた。これまでの読書と思索を一冊の本にまとめて、とりあえず一区切りをつけた。でも、完全に解決したわけではない。「悲嘆とともに生きていく」ことは、生涯続いていくだろう。
「限界意識のスピリチュアリティ」。この概念は、これから先、死と生について考えながら生きていくなかで、非常に重要になると思う。
さくいん:島薗進、死生観、悲嘆(悲しみ・グリーフ)
『なぜ「救い」を求めるのか」(島薗進)を読みながら考えたこと。
私が宗教に求めているものは救済ではなく鎮魂。どの宗教も救済を最優先していて、鎮魂はないがしろにされていると言わないまでも、教義のなかで重要な位置にあるわけではなく、場合によっては死別の仕方によって死が罰とされ鎮魂を拒否する宗教もある。
自死した人の魂が安らかにいること。それを私は願っている。だから、自死を大罪とする宗教には、たとえ他の面で共感したとしても、入信することはないだろう。
よく考えてみると、鎮魂とは死者の霊魂が救済されることを望むことであり、死者の魂が救済されることで自分が救われると信じているという意味では、結局のところ。私も救済を望んでいるのかもしれない。
もちろん、その気持ちは「天国・極楽浄土へ行きたい」とか「永遠の命を得たい」とか、伝統的な救済宗教が唱える救済と同じではない。「これでよかったんだ」と心の底から思えること。とりあえずはそうとしか言えない。
さくいん:島薗進、自死
大型連休中の机上旅行。
イタリアに行ったことがないのでローマの遺跡を見たことはない。私のなかで古代ローマのイメージを作っているのは、若い頃にテレビで見た映画『ベン・ハー』、20年ほど前に読んだ小説『クオ・ヴァディス』(シェンケーヴィッチ)と数年前に読んだ『背教者ユリアヌス』(辻邦生)。
図鑑を広げて注目するのは、建築、とくに住居。ほかに食事などの日常生活。要するに、ローマ人たちがどんな暮らしを送っていたか、ということ。政治学を専攻したのに、いまでは政治史や戦記にはあまり興味はない。
本書は、日常生活の事細かなことまで図説していて興味深い。住居、食事、服装、結婚、教育、娯楽、貨幣、葬儀と埋葬などなど。
一部の人たちだけ豊かな暮らしができたのは奴隷制と農村を搾取していたから。現代では奴隷こそいないけど、エッセンシャルワーカーが低賃金で富裕層の生活を支えているところは同じ。
古代ローマでは、たびたび奴隷たちの反乱があったとある。最近では、困窮した人が自暴自棄になって起こす通り魔的な犯罪が起きている。組織的な革命は起きなくても、無差別のテロは頻発してもおかしくない。格差は社会のリスク。古代も現代も変わらない。
さくいん:『クオ・ヴァディス』、辻邦生、日常
連休最終日。雨だったので家で過ごした。妻とAmazon Primeで鑑賞した。楽しい連休を締めくくる良作だった。
映画を愛する人たちが熱意を込めて作った熱い作品。『カメラを止めるな』に近い手作りの感触があった。映画に疎いので、知っている役者は誰もいなかった。
タイムスリップものにはもうアイデアが尽きたと思っていたけど、まだ面白い展開がある。そう思わせる作品だった。
この脚本にある仕掛けが作品に時代劇から人間ドラマ、幕末歴史ものやラブコメディまで、多彩な魅力を与えている。
タイムスリップものでは時代を越えて主人公が違和感を感じるところに面白さを出す作品が多い。本作は、違和感を感じる部分を急いで飛ばして、主人公が自然に現代に順応して時間が経過していることも疑問なく理解してしまうところも面白かった。福沢諭吉が語った「一身にして二生」とはまさにこのこと。
見終えてから、私の周りにも、素性を隠しているタイムスリッパーがいるかもしれない、という想像をかき立てた。
京都の太秦撮影所は子ども時代に父に連れて行ってもらったことがある。そんなことも思い出した。
さくいん:京都
大型連休。途中で一日在宅で出勤した以外は休み。連休中にしたことを書いておく。
遠出はしなかった代わりに長年使ってきた冷蔵庫とエアコンを買い替えたので、懐は真冬に戻った。
- 衣替え
- 散髪
- 神代植物公園で森林浴
- 娘の誕生日会
- 庭の草むしりと伸びた植木の剪定
- ひとりカラオケ
- 妻と吉祥寺で焼肉ランチ
- 16年使った冷蔵庫の買い替え
- 餃子作り
- 緑内障の定期検査。異常なし
- 松濤美術館でアンティーク洋食器展
- 渋谷でジーンズ購入
- 読書:『世界のユートピア』、『なぜ「救い」を求めるのか』、『日吉アカデミア1976』、『古代ローマ帝国大図鑑』
- ラジオ講座『死と向き合って生きる』第5回、聴講
- 映画再見、『八甲田山』
- 映画再見、『君の膵臓をたべたい』
- 横浜高島屋でハンバーグとドリアのランチ
- 生まれてから3歳まで過ごした池上本門寺あたりを散策
- 『出没!アド街ック天国』「吉祥寺北口」を視聴
- 15年使った自室のエアコンの買い替え
- ひとりで吉祥寺で担々麺
- ボクシング、井上尚弥の試合をAmazon Primeで観戦
- 映画『侍タイムスリッパー』鑑賞
さくいん:神代植物公園、餃子、『君の膵臓をたべたい』、東京
今日は誕生日。57歳。また一歩、還暦に近づいた。
誕生日に合わせて「庭師」と名づけたプロフィールのページに追記した。
1968年東京生まれ、横浜育ち。16年間、米系ハイテクメーカーで営業職を勤めたあと、過労からうつ病を発症して退職。2年間の休養のあと障害者枠の非正規雇用で再就職。うつ3級。
この一文は、Amazonの著者紹介のページに掲載したもの。
以前は生年を明かすことにためらいがあった。読めばわかるし、あえて書く必要もないと思っていた。
最近になってこだわりがなくなってきた。プロフィールに書いたことはそのまま『烏兎の庭』全体を貫くテーマでもある。読者を得るためにはむしろ明確にしたほうがいいようにも思いはじめている。
ただ、自死遺族であることはプロフィールに書かなかった。この属性はやはり重い。そのまま掲載すると勝手な先入観を持たれる恐れもある。いや、私自身がまだ、正面を向きこの言葉で自己紹介することにためらいを感じているのだろう。
夜、妻が高円寺で買ってきてくれたいちごのタルトで誕生日を祝ってもらった。
さくいん:自死遺族、東京、横浜
ふと思い立って図書館のウェブサイトでビリー・ジョエルを検索してみた。すると、昨年の来日公演に合わせて発売されたライブ集を見つけたので早速借りてきた。
聴いていると家族4人で出かけた東京ドーム公演を思い出す。
本作からお気に入りの曲を5曲選ぶと次のようになる。
- Summer, Highland Falls (we stand upon the ledges of our lives)
- Vienn (You know you can't always see when you're right)
- The Longest Time (You're wonderful so far and its' more than I hoped for)
- Just the Way You Are (I just want someone that I can talk to)
- She's got a way (She comes to me when I'm feeling down)
すべての作品から好きな曲を選ぶとなると、初期作品の"Why Judy Why"や"Tomorrow Is Today"、そして死生観を歌った"Lullabye (Good Night My Angel)"は外せないだろう。
昨日はビリー・ジョエルの誕生日だった。1949年生まれだから76歳。誕生日が同じという人には縁を感じる。夜、シェイ・スタジアムでのライブを見直した。
さくいん:ビリー・ジョエル、死生観、ニューヨーク
新しい冷蔵庫を連休中に買った。いまの冷蔵庫はこの家に引っ越す前から16年近く使っている。長期間使用した家電を節電機能のある製品に買い換えると東京都から補助金が出る。今回はそのキャンペーンを利用した。
冷蔵庫の裏の壁紙に、どういうわけか大きなシミができていたので(原因は冷蔵庫からの放熱か)、壁紙の張り替えと冷蔵庫の入れ替えを同時にした。
土曜日にクロス屋が来て、冷蔵庫をリビングに出して壁紙を張り替えた。日曜日の午前に電気屋が来て冷蔵庫を搬入した。
食器棚の食器も一度全部出していたので、土曜日の夜は、ビールとソーセージとカップ麺で済ませた。こんな食事をするのは滅多にない。妻が外出して一人のときくらい。
うっかり話したら、「一人でもちゃんと食べなさい」とたしなめられた。
翌日、リビングのガラス窓を外して電気屋が来るのを待った。到着するとあっという間に設置は終わった。前回よりも細い製品でも、断熱材が薄いので容量はそれほど変わらない。
ガラス窓が思っていた以上に重くてはめなおすのに苦労した。新しい白物家電に妻も喜んでいたので安心した。
日曜日。冷蔵庫の設置が終わり、冷蔵庫の中が冷たくなってから、取り出しておいた野菜や冷凍食品を新しい冷蔵庫に入れていった。これは妻がほとんどやった。
夕方、二人で吉祥寺へ出た。Loftで晴雨兼用傘を誕生プレゼントとして買ってもらった。
表が白、裏が黒で赤色のステッチが入っている。今年の夏は、これで熱中症を防止する。
妻が行ったことがないので、予約しておいたPARCOの上にあるスシローで夕飯を食べた。寿司はアトレで買って家で食べることが多い。そうすると容器のゴミがたくさん出る。回転寿司はゴミは出ないし、コストパフォーマンスは上々で、味も悪くない。
忙しかった週の終わりに利用するのはいいかもしれない。
買い物をしている途中、先日結婚を宣言した娘から妻に電話があった。結婚式の場所と日取りを決めたという報告だった。着々と準備は進んでいる様子。
寿司を食べているあいだも、「まだ先」と言いながら、二人とも興奮して結婚式の話でもちきりだった。
私が花嫁の父になる日も近づいてきた。