連休のあいだに渋谷へ出かけた。まずは井の頭線、神泉で降りて松濤美術館へ。
ここは23年前、「小林秀雄 美を求める心」展を見た思い出深い場所。この展覧会のあとで小林秀雄の全集を読んだことが自作サイトを作ろうと思い立つきっかけになった。23年前は自転車で来た。いまはもうそういう元気はない。
洋の東西を問わず、陶磁器を見るのは好き。前にもそごう美術館でオールド・ノリタケを、横須賀美術館でロイヤル・コペンハーゲンのアンティークを見た。
今回は18世紀の王侯貴族が使用していた豪華な品が展示されていてどれも華やかだった。
瑠璃と呼ばれる濃い青や藍色に金の模様が入っているデザインに目が留まった。トーハクの法隆寺宝物館で見た経文も同じ配色。私の好みなのだろう。青や藍にいつも惹かれる。
美術館を出て、まさにその藍色のデニム・パンツを買いに渋谷の街中へ歩き出した。
さくいん:小林秀雄、横須賀美術館、法隆寺
昨日のこと。長年履いていたジーンズがひどく破れてしまったので買い替えることにした。調べると最寄りの街にあったジーンズ店が閉店になっていたので、ブランド直営店のある渋谷まで出ることにした。
井の頭線の神泉で降りて、まず松濤美術館へ。それから坂を下り明治通り、さらに神宮前通りへ出た。店は旧渋谷川遊歩道という渋谷と原宿のあいだの路地。すぐにわかった。
これまで履いていたものと同じストレート、番号は505。色は一番藍色が濃いもの。これも前回と同じ。試着してみると何となく生地が薄くなっている気がする。気のせいか、それともステルス値上げか。店員に尋ねたけど明快な回答はなかった。
買い物のあとはランチ。あらかじめ調べておいたハンバーガー店、The Great Burgerへ。
チーズバーガー、フライドポテトに代えて追加金を払ってオニオンリング、生ビール。どの店へ行っても同じ、いつものオーダー。
まとまりのいいビルド。つまり食べやすい。いつもソースをこぼしてしまうのに、この店のチーズバーガーはきれいに食べることができた。味も上々。
ハンバーガー店のまわりにはスポーツ、ファッションのブランドの路面店やこだわりを感じさせるセレクトショップが並んでいる。ふだん買い物はついポイントの貯まる百貨店か通販でしてしまう。服を買うのは好きだけれど、お気に入りが見つかるまでセレクトショップを見てまわるほどではない。この日も何も買わなかった。
在宅勤務なのでふだんは手持ちのTシャツやポロシャツで十分。夏服は買い足ししなくても大丈夫だろう。
東京に長年住んでいても、これまでに行ったことのない場所へ行ったので、連休にちょうどいい散策になった。
さくいん:東京
『世界危険旅行』、『辺境見聞録』と同じ、日経ナショナルジオグラフィックのヴィジュアルアトラスシリーズの一冊。フィクションとリアルを問わず、歴史上のユートピアを紹介する。
国や街だけではなく、「差別のない世界」など抽象的な概念もユートピアとして挙げられている。中南米で革命と解放を夢たチェ・ゲバラや、バスで白人に席を譲らなかったローザ・パークス、たっと一人で夢の理想宮を作り上げたシュヴァルなどがそうした例。
アトランティスやブラジリアなどの話よりも、こういう一人の人が夢を見て現実化した話に興味が湧く。それは、いま私が孤独な環境に置かれているからだろう。
在宅勤務になり、日中、雑談を交わす相手もいない。週末も誰にも会わない。一人で本を読み、公園を歩き、文章を書いている。さびしくないと言えば嘘になる。でも通勤の苦痛や表面だけの交際がなくなり気分は軽い。
孤独と交際はトレードオフの関係。人との交際を経って、一人の自由を手に入れた。文句は言えまい。
心地のいい椅子、使い慣れたパソコン、好きな画家の絵葉書、何度も読み返したくなる本、家族の写真、ジンのグラスを休ませるコースター、倒れたらすぐ横になれるベッド。書きたいことを書きたいだけ書ける時間。
これだけお気に入りに囲まれた私の部屋は、間違いなくユートピアだろう。
一日中、ここにいても飽きることはない。
さくいん:シュヴァル、孤独、ジン(マティーニ)
シリーズ名に「宗教のきほん」とあるように、島薗進の専門分野である宗教社会学の概要がおおまかにわかる。しかもその内容は
古くからある救済宗教の歴史をたどり、現代においては単純な救済でなくても、宗教的な感覚、いわゆるスピリチュアリティは広く求められていると結論づけている。
そして島薗は現代人が求めるスピリチュアリティを「自己変容のスピリチュアリティ」と「限界意識のスピリチュアリティ」の2種類に分けて提示する。前者は「ニューエイジや精神世界など、ポジティブな自己実現を目指すスピリチュアリティ」。後者については次のように説明し、現代社会に求められるスピリチュアリティとして、こちらを重視する。
(「限界意識のスピリチュアリティ」とは)自己変容のスピリチュアリティとは異なり、むしろ深い悲しみや心の痛み、解決が困難な苦難に焦点を合わせるもので、死に向き合うこと、大切なものの喪失や死別の経験に向き合うことを軸とするスピリチュアリティです。(第4章 「救い」のゆくえ)
『日本人の死生観を読む』『ともに悲嘆を生きる』『死生観を問う』。これまでに読んできた島薗の著作は、まさにこの「限界意識のスピリチュアリティ」をテーマにしていた。そうした本を選んで読んできたのは、とりもなおさず私の関心がそこにあるから。
「深い悲しみとどう向き合うか」。この20年間、ずっとそのことを考えてきた。これまでの読書と思索を一冊の本にまとめて、とりあえず一区切りをつけた。でも、完全に解決したわけではない。「悲嘆とともに生きていく」ことは、生涯続いていくだろう。
「限界意識のスピリチュアリティ」。この概念は、これから先、死と生について考えながら生きていくなかで、非常に重要になると思う。
さくいん:島薗進、死生観、悲嘆(悲しみ・グリーフ)
『なぜ「救い」を求めるのか」(島薗進)を読みながら考えたこと。
私が宗教に求めているものは救済ではなく鎮魂。どの宗教も救済を最優先していて、鎮魂はないがしろにされていると言わないまでも、教義のなかで重要な位置にあるわけではなく、場合によっては死別の仕方によって死が罰とされ鎮魂を拒否する宗教もある。
自死した人の魂が安らかにいること。それを私は願っている。だから、自死を大罪とする宗教には、たとえ他の面で共感したとしても、入信することはないだろう。
よく考えてみると、鎮魂とは死者の霊魂が救済されることを望むことであり、死者の魂が救済されることで自分が救われると信じているという意味では、結局のところ。私も救済を望んでいるのかもしれない。
もちろん、その気持ちは「天国・極楽浄土へ行きたい」とか「永遠の命を得たい」とか、伝統的な救済宗教が唱える救済と同じではない。「これでよかったんだ」と心の底から思えること。とりあえずはそうとしか言えない。
さくいん:島薗進、自死
大型連休中の机上旅行。
イタリアに行ったことがないのでローマの遺跡を見たことはない。私のなかで古代ローマのイメージを作っているのは、若い頃にテレビで見た映画『ベン・ハー』、20年ほど前に読んだ小説『クオ・ヴァディス』(シェンケーヴィッチ)と数年前に読んだ『背教者ユリアヌス』(辻邦生)。
図鑑を広げて注目するのは、建築、とくに住居。ほかに食事などの日常生活。要するに、ローマ人たちがどんな暮らしを送っていたか、ということ。政治学を専攻したのに、いまでは政治史や戦記にはあまり興味はない。
本書は、日常生活の事細かなことまで図説していて興味深い。住居、食事、服装、結婚、教育、娯楽、貨幣、葬儀と埋葬などなど。
一部の人たちだけ豊かな暮らしができたのは奴隷制と農村を搾取していたから。現代では奴隷こそいないけど、エッセンシャルワーカーが低賃金で富裕層の生活を支えているところは同じ。
古代ローマでは、たびたび奴隷たちの反乱があったとある。最近では、困窮した人が自暴自棄になって起こす通り魔的な犯罪が起きている。組織的な革命は起きなくても、無差別のテロは頻発してもおかしくない。格差は社会のリスク。古代も現代も変わらない。
さくいん:『クオ・ヴァディス』、辻邦生、日常
連休最終日。雨だったので家で過ごした。妻とAmazon Primeで鑑賞した。楽しい連休を締めくくる良作だった。
映画を愛する人たちが熱意を込めて作った熱い作品。『カメラを止めるな』に近い手作りの感触があった。映画に疎いので、知っている役者は誰もいなかった。
タイムスリップものにはもうアイデアが尽きたと思っていたけど、まだ面白い展開がある。そう思わせる作品だった。
この脚本にある仕掛けが作品に時代劇から人間ドラマ、幕末歴史ものやラブコメディまで、多彩な魅力を与えている。
タイムスリップものでは時代を越えて主人公が違和感を感じるところに面白さを出す作品が多い。本作は、違和感を感じる部分を急いで飛ばして、主人公が自然に現代に順応して時間が経過していることも疑問なく理解してしまうところも面白かった。福沢諭吉が語った「一身にして二生」とはまさにこのこと。
見終えてから、私の周りにも、素性を隠しているタイムスリッパーがいるかもしれない、という想像をかき立てた。
京都の太秦撮影所は子ども時代に父に連れて行ってもらったことがある。そんなことも思い出した。
さくいん:京都
大型連休。途中で一日在宅で出勤した以外は休み。連休中にしたことを書いておく。
遠出はしなかった代わりに長年使ってきた冷蔵庫とエアコンを買い替えたので、懐は真冬に戻った。
- 衣替え
- 散髪
- 神代植物公園で森林浴
- 娘の誕生日会
- 庭の草むしりと伸びた植木の剪定
- ひとりカラオケ
- 妻と吉祥寺で焼肉ランチ
- 16年使った冷蔵庫の買い替え
- 餃子作り
- 緑内障の定期検査。異常なし
- 松濤美術館でアンティーク洋食器展
- 渋谷でジーンズ購入
- 読書:『世界のユートピア』、『なぜ「救い」を求めるのか』、『日吉アカデミア1976』、『古代ローマ帝国大図鑑』
- ラジオ講座『死と向き合って生きる』第5回、聴講
- 映画再見、『八甲田山』
- 映画再見、『君の膵臓をたべたい』
- 横浜高島屋でハンバーグとドリアのランチ
- 生まれてから3歳まで過ごした池上本門寺あたりを散策
- 『出没!アド街ック天国』「吉祥寺北口」を視聴
- 15年使った自室のエアコンの買い替え
- ひとりで吉祥寺で担々麺
- ボクシング、井上尚弥の試合をAmazon Primeで観戦
- 映画『侍タイムスリッパー』鑑賞
さくいん:神代植物公園、餃子、『君の膵臓をたべたい』、東京
今日は誕生日。57歳。また一歩、還暦に近づいた。
誕生日に合わせて「庭師」と名づけたプロフィールのページに追記した。
1968年東京生まれ、横浜育ち。16年間、米系ハイテクメーカーで営業職を勤めたあと、過労からうつ病を発症して退職。2年間の休養のあと障害者枠の非正規雇用で再就職。うつ3級。
この一文は、Amazonの著者紹介のページに掲載したもの。
以前は生年を明かすことにためらいがあった。読めばわかるし、あえて書く必要もないと思っていた。
最近になってこだわりがなくなってきた。プロフィールに書いたことはそのまま『烏兎の庭』全体を貫くテーマでもある。読者を得るためにはむしろ明確にしたほうがいいようにも思いはじめている。
ただ、自死遺族であることはプロフィールに書かなかった。この属性はやはり重い。そのまま掲載すると勝手な先入観を持たれる恐れもある。いや、私自身がまだ、正面を向きこの言葉で自己紹介することにためらいを感じているのだろう。
夜、妻が高円寺で買ってきてくれたいちごのタルトで誕生日を祝ってもらった。
さくいん:自死遺族、東京、横浜
ふと思い立って図書館のウェブサイトでビリー・ジョエルを検索してみた。すると、昨年の来日公演に合わせて発売されたライブ集を見つけたので早速借りてきた。
聴いていると家族4人で出かけた東京ドーム公演を思い出す。
本作からお気に入りの曲を5曲選ぶと次のようになる。
- Summer, Highland Falls (we stand upon the ledges of our lives)
- Vienn (You know you can't always see when you're right)
- The Longest Time (You're wonderful so far and its' more than I hoped for)
- Just the Way You Are (I just want someone that I can talk to)
- She's got a way (She comes to me when I'm feeling down)
すべての作品から好きな曲を選ぶとなると、初期作品の"Why Judy Why"や"Tomorrow Is Today"、そして死生観を歌った"Lullabye (Good Night My Angel)"は外せないだろう。
昨日はビリー・ジョエルの誕生日だった。1949年生まれだから76歳。誕生日が同じという人には縁を感じる。夜、シェイ・スタジアムでのライブを見直した。
さくいん:ビリー・ジョエル、死生観、ニューヨーク
新しい冷蔵庫を連休中に買った。いまの冷蔵庫はこの家に引っ越す前から16年近く使っている。長期間使用した家電を節電機能のある製品に買い換えると東京都から補助金が出る。今回はそのキャンペーンを利用した。
冷蔵庫の裏の壁紙に、どういうわけか大きなシミができていたので(原因は冷蔵庫からの放熱か)、壁紙の張り替えと冷蔵庫の入れ替えを同時にした。
土曜日にクロス屋が来て、冷蔵庫をリビングに出して壁紙を張り替えた。日曜日の午前に電気屋が来て冷蔵庫を搬入した。
食器棚の食器も一度全部出していたので、土曜日の夜は、ビールとソーセージとカップ麺で済ませた。こんな食事をするのは滅多にない。妻が外出して一人のときくらい。
うっかり話したら、「一人でもちゃんと食べないと 」とたしなめられた。
翌日、リビングのガラス窓を外して電気屋が来るのを待った。到着するとあっという間に設置は終わった。前回よりも細い製品でも、断熱材が薄いので容量はそれほど変わらない。庫内も明るく、16年の間にずいぶん進化している。
ガラス窓が思っていた以上に重くてはめなおすのに苦労した。
古い冷蔵庫はグレー。新しいものは白。台所が明るくなった。
日曜日。冷蔵庫の設置が終わり、冷蔵庫の中が冷たくなってから、取り出しておいた野菜や冷凍食品を新しい冷蔵庫に入れていった。これは妻がほとんどやった。
夕方、二人で吉祥寺へ出た。Loftで晴雨兼用傘を誕生プレゼントとして買ってもらった。
表が白、裏が黒で赤色のステッチが入っている。今年の夏は、これで熱中症を防止する。
妻が行ったことがないので、予約しておいたPARCOの上にあるスシローで夕飯を食べた。寿司はアトレで買って家で食べることが多い。そうすると容器のゴミがたくさん出る。回転寿司はゴミは出ないし、味も悪くないし、コストパフォーマンスは上々。
忙しかった週の終わりに利用するのはいいかもしれない。
Loftで傘を品定めしている最中に、先日結婚を宣言した娘から妻に電話があった。結婚式の場所と日取りを決めたという報告だった。着々と準備は進んでいる様子。
寿司を食べているあいだも、「まだ先」と言いながら、二人とも興奮して結婚式の話でもちきりだった。
花嫁の父になる日も近づいてきた。
「ワークライフバランス」という言葉に前から違和感がある。
「ワークライフバランス」というと、労働と生活を比べているように聞こえる。
労働と生活は対等ではない。生活のなかに労働がある。そうでなければならない。
対比すべきは労働と私生活だろう。つまり、ワーク・プライバシー・バランス。
さらにいえば、この場合、"work"ではなくて"job"というべきではないか。
Lifeのなかにjobがある。Workは、それぞれの人が自分にとっての「仕事」と思うことで「労働」とは異なる。
「仕事」と「労働」が一致していたり、近い人はとても幸せ。アーティストや職人と呼ばれる人はそうだろう。多くの人は「労働」に追われて「仕事」に時間を割くどころか、それを見つける暇もない。
私はどうか。「労働」に費やす時間とエネルギーは最小限で済んでいる。そして時間も力も「読むこと」「考えること」「書くこと」という「仕事」に打ち込むことができている。
「仕事」から金銭的な見返りはないけど、「仕事」を見つけられただけでも十分幸福と言うべきだろう。
さくいん:労働
今年は先の大戦終結から80年の節目の年。戦後70年のときほど話題になっていないような気がする。政府もあえて話題にしないようにしている。
私にとって第二次世界大戦は遠い昔ではない。両親ともに戦前生まれで、空襲や疎開、学徒動員を経験しているから。戦争体験は直接聞いている。
私が世界史で大学受験をしたのは80年代後半。そのときから80年前というと、日露戦争の後。これは遠い昔に感じた。祖父が1905年生まれだったし、映画『八甲田山』を見ても日露戦争は遠く感じた。
ということは、いまの高校生にとって第二次世界大戦は、私にとっての日露戦争くらい遠いということ。
まだ存命の体験者がいて、その語りを聴く機会があったとしても、教科書のなかの出来事と感じる人が多いのではないか。
若者に「想像力を働かせて」と言うならば、同時に私たちも彼らにとっての遠さを想像しなければなるまい。
今日は沖縄返還の日。返還から50年以上経っても沖縄の現状はとても厳しい。米軍基地の問題は住民にとっては常に目の前にある喫緊の問題。想像力の問題ではない。
沖縄では戦後どころかいまだ戦争の渦中にある。
さくいん:80年代、沖縄
これまでに自主制作した電子書籍の価格について悩んでいる。
初著作『自死遺族であるということ』は368ページ。2作目の『過去相に生きる 森有正を読む』は179ページ。いずれも99円で販売している。
99円は不当に安すぎないか。安すぎて本の価値まで安く見積もられないか。そんな心配をしている。
初著作のPOD版は制作の実費に最小限の利益をのせて2,970円で販売している。電子書籍との値差は大きい。
安すぎて品質を疑い買うのをやめてしまう、ということは、日常の買い物ではよくある。本の場合はどうだろう。私にしてみれば、本は安ければ安いほどありがたいけど。他の人がどう思うかはわからない。
試しに価格を上げてみようと思う。6月1日から第一作は450円、第二作は350円。Kindle Limitedでは引き続き無料で読めるようにする。
価格によって読まれ方、売れ行きに変化は出るか。結果が待ち遠しい。
ふと谷山浩子「ごめんね」が聴きたくなり音楽ライブラリを調べたところ、たくさんアルバムを持っているのにその曲だけ持っていなかった。中学生の頃、NHK-FM「昼の歌謡曲」を録音したカセットテープには入っていたのに。
図書館で検索するとデビュー45周年記念のシングル集があったので借りてきた。知らない曲も多いけど、どれもいい。
「ごめんね」は男のひどいわがままだけど、なぜか好き。そういうこともある。
中学生のときに聴きはじめてから今でもよく聴く。といっても、聴くのは当時聴いていた曲ばかりで新しい曲はほとんど聴かない。谷山浩子の歌は80年代の思い出と重なる。
好きだったけど、木曜二部のオールナイトニッポンは起きていられず聴いてはいなかった。早い時間の番組は聴いていたような気がする。
谷山浩子は何と言っても声がいい。それから歌詞が作り出す不思議な世界がいい。
谷山浩子で好きな曲は二種類に分かれる。悲しいときに余計に悲しい気持ちにさせる歌と落ち込んだときに励ましてくれる歌。「窓」「夕暮れの街角で」は前者。「銀河通信」「真夜中の太陽」は後者。
谷山浩子のアルバムは、ライナーノーツに曲を作ったときの思い出が詳しく書いてあるので読んでいて面白い。
上に書いた曲を除いて、このアルバムのなかから好きな曲を5曲記しておく。
- 河のほとりに
- 六月の花嫁
- 今日は雨降り
- おやすみ
- DESERT MOON
すべての曲から選ぶと「すずかけ通り三丁目」「Lady Daisy」「うさぎ」は外せない。
よく調べたら、「ごめんね」は『谷山浩子Best Selection』に収録されていて持っていた。
さくいん:谷山浩子、NHKラジオ、80年代、声
この雑誌は書店でよく立ち読みする。面白い特集が多いけど、今ひとつ琴線に触れなくて立ち読み以上することはなかった。
今回、特集がストライクだったので、楽天マガジンでじっくり読んだ。乗りものを特集した雑誌はずっと前にも買って保存してある。
小学生の頃、乗りものが大好きだった。鉄道、スーパーカー、軍艦、軍用機。何でも好きだった。ケイブンシャ大百科シリーズやカード式の図鑑をいくつも買った。ディーラーの新車発表会に行ったりもしていた。
もちろん、東京モーターショーへも毎年言っていた。『モーターマガジン』を小遣いで毎月買うほどクルマ好きだった。『サーキットの狼』の単行本も揃えていた。
だから、今回の特集は隅から隅まで読んだ。扱う乗りものは幅広い。バスから自転車まで取り上げている。緑色のブリヂストン・モンテカルロがなつかしい。
ひとつ、のめり込まなかったのはプラモデル。不器用なので手を出さなかった。乗り物は見るもので作るものではなかった。
いまはクルマも持っていないし、定期券がないので電車に乗る機会も減った。いまでも乗りものは見るだけのもの。乗るものになっていないのは少し悲しい。
さくいん:70年代、『サーキットの狼』
先週金曜日。ケアマネージャーに紹介してもらい、内科と整形外科で通っている総合病院の神経内科を母に受診してもらった。認知症の程度、進行を遅らせる手立てはあるか、医師に尋ねた。
90歳にしては元気でしっかりしているけれども、認知症としての進行は中度のやや重いくらい。
怒りっぽいとか生気がないとかでないので、薬よりもデイサービスを増やして脳と身体の活動を増やす方が衰えを遅くする効果がある。
想定してたとおりの返答だった。
現在、火曜と金曜に通所しているデイサービスを水曜も加えて週3日にしてもらう。
冷蔵庫を見るかぎり、栄養も十分ではなさそうなので、給食を週3回食べてもらうといいだろう。
次回の要介護認定時には、やや重めに診断書を書くので、さらに多くのサービスを受けるとよいだろうという助言ももらった。
若くて感じのよい医師だった。この先生なら今後も親身になってくれそう。
血液検査を受けて不足している栄養素がないか検査してもらうことになった。次回の診察は来月6日。午前中に内科と整形外科。午後に神経内科、と丸一日、病院で過ごすことになる。私は午後の神経内科だけ同席するつもり。
土曜日のこと。土砂降りのなか、母を美容院へ連れて行った。美容院は駅から離れていて、さらに急な階段の2階にある。雨の日に訪ねるのはかなり難儀。
母を病院に預けて近くにあるカラオケ店へ。一人客なのに通されたのはパーティールーム。そこで1時間半歌った。
この日はまず作詞家、山川啓介特集から。「勇者ライディーン」(子門真人)、「帰らざる日のために」(いずみたくシンガーズ)、「太陽がくれた季節」(青い三角定規)、「海を抱きしめて」(中村雅俊)。山川作詞の作品にはまさに「青春」という言葉がピッタリなものが多い。
小椋佳作品の「時」(中村雅俊)を歌って、小椋佳に移動。「たゞお前がいい」「しおさいの詩」「時には私に愛をください」。こちらも小椋佳の初期作品で、青春時代の友情や虚無感や一途な恋愛感情を上手に歌にしている。
最後は、金沢文庫まで来たので、実家がそばにある小田和正の「君住む街へ」で締めた。
美容院へ戻るともう終わっていた。大雨のなか駅近くまで戻り、海鮮居酒屋で二人でぶり丼を食べた。厚いぶりが何枚ものっていてとてもおいしかった。
すずらん通りは日本最初のアーケードと言われるほど古い商店街だけれど、シャッターの閉まっている店は少なく、いまも活気がある。
さくいん:山川啓介、中村雅俊、小椋佳、小田和正(オフコース)
日曜日。横浜そごうにある中華料理店で家族4人と母の5人で食事をした。名目は私の誕生日会と母の日。
ここで娘から私の母、つまり孫から祖母へ「結婚します」とサプライズ報告があった。
ところが、母は驚きもせず「おめでとう。結婚式まで元気でいないとね」とあっさりした返答。どうやら母のなかではすでに結婚は決まっていたことになっていたらしい。
こういうところを見ても、母の認知力は急速に衰えているように思えてならない。
身体は膝が痛いことを除けば大きな問題はない。結婚式のある来春まで認知力が今よりも大きく衰えないことを願うばかり。父にも初孫の花嫁姿を見てもらいたかった。その願いはもう叶わないけど、父と同じ大学の同じ学部、同じ学科に進学したことで十分に祖父孝行はできただろう。
中華料理のあとは2階まで降りて資生堂パーラーでおしゃべり。ここでも、「相手のことを質問していいよ」と言っても、少し混乱しているのか、何も問いかけなかった。
おめでたい話と心配な話が同時進行している。
写真は資生堂パーラーで食べた上品なプリンアラモード。
追記。
後日、母が孫へお祝いのLINEを送っていた。89歳でこれができれば言うことなしだろう。
さくいん:横浜、HOME(家族)
うつ病で非正規雇用という今の立場をときどき恥ずかしく思う。
子どもたちに結婚の話が出ている。おめでたい。うれしい。
でも、相手の親に自分がどう思われるか、心配でならない。
不肖の父親のせいで破談になったりしないだろうか。不安がないと言ったら嘘になる。
オレだって昔は大企業相手に大きな仕事をしてたんだ!
まるで『きかんしゃやえもん』。昔の話をしても意味がない。問題は今。
「弱くてダメな人」(『海街diary』)に成り下がった自分が情けない。
負け犬の遠吠えは高過ぎるプライドと隠しきれない差別意識の裏返し。要するに、見栄を張っているだけ。
それがわかっているから、余計に情けない。
再就職するときに〈クローズド〉で病気を隠して普通に就職すればよかった。
いや、収入が激減することも、社会的地位なんてものと縁遠くなることも承知の上で手帳を取り、〈障害者枠〉で安全地帯に逃げ込んだのではなかったか。今さら何を迷う。
こんな無意味な思考をぐるぐる繰り返している愚かさが、恥ずかしくて情けない。
さくいん:うつ病、『海街diary』
連休中に15年使ったエアコンを買い替え、15日に設置してもらった。
エアコンはデスクの上にあるので、デスクに乗っている美術館の図録や文庫本をすべて取り出し、2階の踊り場に一時保管した。デスクは壁とベッドのあいだにぴったり入っていたので引き出すと奥はホコリだらけ。考えてみれば、休職期間中にパソコン用のデスクを買って以来きちんと掃除をしていない。狭いところを掃除するのに小型のクリーナーが役に立った。
設置ではちょっとトラブルがあった。ベッドのマットレスを外しておいて作業してもらったところ、作業者がベッドのスノコを一部、踏み込んで割ってしまった。先方は恐縮して、工事費用はタダにすると言って早々と帰っていった。
もう一つ、トラブル。踊り場に出しておいたマットレスを部屋に戻すとき、上下を入れ替えようとマットレスを回転させようとしたら、押し倒されてしまい、積み上げてあった本の上に背中から倒れ込んでしまった。幸い、肘をすりむいただけで済んだものの、頭を打っていたら誰もそばにいなかったので大変な事故になるところだった。
本は好きだけど、なるべく図書館で借りて読んでいるので蔵書は多いほうではない。でもそれなりについ買ってしまう展覧会の図録や、思い切って購入した森有正の全集などかさばる蔵書もないわけではない。
せっかく掃除したので、整理しながらデスクの上と下にある二段の棚に詰め込みはじめている。どうしたってスペースは足りない。結婚が決まった娘の部屋を半分納戸代わりに借りることにした。
在宅勤務で8時間、睡眠時間で8時間。一日の3分の2以上の時間を過ごす場所。ゆっくりと時間をかけて快適な環境に整えることは心にとっても有益な作業だろう。
ファミリーマートの前を通ると、つい「たっぷりクリームデニッシュ」を買ってしまう。
会社の最寄りのコンビニがファミリーマートだったので、毎日出社していたときは、誘惑に打ち克つのに苦労した。
シュークリームも好きだけど、かぶりつくと柔らかいクリームがはみ出してしまい、上手に食べられない。この菓子パンはクリームが程よく固いので食べやすい。
値段が120円程度もありがたい。というか、誘惑する要素の一つ。
いま家の近くにファミリーマートはない。昼休みにスーパーや図書館へ出かけたときは、帰りに寄り道して買ってしまうことがある。
今週も、図書館で予約資料が届いていたので受け取りに行った帰り、つい寄り道して買ってしまった。すぐには食べないで、翌日のおやつにコーヒーと一緒に食べた。
ふだん間食はしない。してもミックスナッツを手のひらに盛れるくらいを。数週間に一度なら誘惑に負けてもいいだろう。
先週末、金曜日の夜。作詞家の松本隆がテレビ番組のインタビューで979年から84年まで超多忙で、調子を取り戻すためにリセットする必要があったとインタビューで話していた。
松本隆のような大家でも燃え尽きることがあるのか。ヒットメーカーには無尽蔵の才能とキャパシティがあると思っていたからこの発言は意外だった。
転職前にすでに過労からうつ病を発症していた私は、2009年から5年間スタートアップで働いて完全に燃え尽きた。
大作詞家でも燃え尽きるのだから、凡人の営業職が働きすぎて壊れても不思議はない。
ヒットメーカーと比べるのはおこがましいけど、大家の言葉に慰められた気がした。
驚いたことに、このツイートは松本隆氏本人によってリツイートされた。
土曜日の朝。恥ずかしくて情けない不安を相談するために、次回の診察を前倒して病院へ行った。「子どもは立派に育ち、きちんとした人と結婚するのに、自分には肩書きもないし、正社員ですらない」と揺れる心情を吐露した。
子どもが結婚するとき、相手の家庭のことを心配するのは不思議ではないし、おかしな悩みでもない。ただ、ぐるぐる堂々巡りをするのはよくない。気分転換が必要。
そう答えたS先生に、「これから植物園にバラを見に行く」と言うと「それは名案です」と言われた。子どもの結婚であれこれ悩むことは自然なこと。そう受け止めることが大切。
考えすぎるとかえってよくない。気負わず、焦らず、ありのままの姿で誠意は通じるし、今のあなたのままでまったく問題ない。
そんな風に励まされた。具体的には「40代で最初のキャリアは卒業して、今はセカンド・ライフ的に仕事をこなしている」というスタンスでいればいいと。
早めに病院へ行ってよかった。「心が風邪を引いた日」に、いい薬をいただいた。
さくいん:松本隆、S先生
土曜日。朝一番に病院へ行き、それから神代植物公園へバラを見に行った。
天気は薄曇りだったけれど、隔週で横浜の実家へ帰っているので、この週末を逃すと見頃が過ぎてしまいそうなので、ラストチャンスだった。苦しい真夏日よりも歩きやすかった。
バラ園を一回りしてから睡蓮の花が咲いている池へ移動し、大温室で熱帯スイレンを見て、裏門から植物園を出ていつものそば屋へ。混んでいたので、名前を書いて順番が来るまでそば屋の隣にある水生植物園でかきつばたと花菖蒲を眺めた。そば屋ではビールを呑んで、いつもとは違って温かい天ぷらそばを食べた。
いつもならそのままバスに乗るところ、植物公園に戻り、先に歩いたコースを逆にたどり正門からバスに乗って帰宅した。歩数は9,000歩以上。
たくさん歩いたのでご褒美にパインとマンゴーのケーキを帰って帰り、おやつに妻と分けて食べた。
さくいん:神代植物公園
土曜日。深大寺そば屋で順番を待っているあいだ、店の隣にある水生植物園へ行った。
ちょうど、かきつばたと花菖蒲がきれいに咲いていた。
このところ、神代植物公園へ来ることが最良のストレス・コーピングになっている。
花を見る。緑に包まれる。風を感じる。噴水を眺める。林で深呼吸する。何をしても心が癒される。何度も書いているけど、これぞ、ナチュラル・マインドフルネス。労せずして心が爽快感で満たされる。
もともと植物に関心がない私が植物園へ通うようになるとは思っても見なかった。これはうつ病になったケガの功名だろうか。
何にしろ、家の近くに植物園があってほんとうによかった。
さくいん:神代植物公園、うつ病
『絶望名言』(頭木弘樹)を読みながら、自分でも絶望名言を探してみた。
私の心をつかんだ絶望名言を挙げておく。一つめは、原民喜『心願の国』から。
スイスの高原の雪のなかを心呆けて、どこまでもどこまでも行けたら、どんなにいいだらう。凍死の美しい幻想が僕をしめつける。
二つめは、石原吉郎のノートから。
「ゆるされてそこに在る」という言葉を、私はある時教会で聞いた。私はゆるされて、ここに在るだろうか。私には、私が「ここに在る」ことにより罰せられているとしか思えない。(「一九五六年から一九五八年までのノートから」)
三つめは福永武彦『草の花』から
藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう……。
四つめ。岡真史の詩集『ぼくは12歳』から。
ひとり ただくずれさるのを まつだけ
いずれにも救いようのない絶望を感じる。絶望というよりは希死念慮と言ったほうがいいかもしれない。実際、四人とも悲劇的な最期を遂げている。
一時期、うつ病の症状が重い頃、こういう言葉に魅了されていた。
いまは、少し冷静な気持ちでこうした言葉を観察することができる。自分の気持ちを代弁しているとも思わない。ただ、古くからの友人のように、いつでもなつかしさを感じないではいられない。
さくいん:頭木弘樹、原民喜、石原吉郎、福永武彦、岡真史、自死、うつ病
『絶望名言』の感想の続き。絶望ソングを中路みゆきから。
中島みゆきには数えきれないほど絶望ソングがある。そのなかから一つ選ぶとすれば迷うことなく「エレーン」を選ぶ。
エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答えを誰もが知っているから誰も問えない
「生きていてもいいですか」という言葉はアルバムのタイトルにもなっている。
中島みゆきにはほかにもたくさんの絶望ソング、というより、ほとんどが絶望ソング。私が絶望を感じたときに聴く曲は、「海鳴り」「女なんてものに」「りばいばる」「友情」。
いずれの歌も十代の頃、繰り返し聴いていた。大人になった今でも、「ため息が重い日」に聴いている。
さくいん:中島みゆき
ビリー・ジョエルが"Piano Man"で人気歌手になる前に出したアルバム"Cold Spring Harbor"には絶望ソングが3曲入っている。なかなか芽が出ない当時の心境を反映しているとどこかで聞いたことがある。
"Why Judy Why," "Tomorrow Is Today," "Got to Begin Again"。
気分が落ち込んだときには、3曲まとめて聴く。以下は"Got to Begin Again"の一節。
I was dreamin' of tomorrow
So I sacrificed today
And it sure was a grand waste of time
And despite all the truth that's been thrown in my face
I just can't get you out of my mind
But I've got to begin again
Though I don't know how to start
Yes, I've got to begin again, and it's hard
Yes, it's hard
このアルバムは十代の頃は知らなかった。
まだシリコンバレーへ頻繁に出張していた頃、音楽店で見つけて買った。だから、このアルバムを聴くと辛かった仕事の記憶が呼び起こされる。
さくいん:ビリー・ジョエル、シリコンバレー