紅梅(八重寒紅)
2/1/2025/SAT
本を宣伝するべきか

自主制作した本をもっと宣伝すべきか、読まれる「時」を待つべきか、迷っている。

関心のある人たちには読んでもらいたいと思う一方、広く宣伝してまで読んでほしい本でもないとも考える。

悲しみを共有できる人にだけ読んでもらいたい。

姉の友人からの便りをもらうという密かな願望はどうすれば叶うだろうか。

いろいろ考えた。Xに搭載されたAI、Grokにも相談してみた。以下、AIの回答。

最終的には、宣伝と待つことのバランスを見つけることが重要です。あなたの本が特定の読者に深く響くものであるなら、その価値は自然に認識されるでしょう。しかし、一方で、意図した読者に確実に届けるための小さな努力も無駄ではありません。

考えた末に、今日投稿したポストにリポストのお願いを追記した。

AIの回答が思っていたよりずっとまともだったので驚いた。これは確かに生活を一変させる可能性を秘めている。ちょっと怖い。


2/2/2025/SUN
わたしのeyePhone、三宮麻由子、早川書房、2024
わたしのeyePhone

文体が気に入っているエッセイストの新刊。前に読んだ『そっと耳を澄ませば』の感想にも文体が好みと書いている。

基本的には森有正のような硬質な文体を好む。でも、正反対に見える辻邦生や小川洋子のような、優しい、温もりが伝わるような文体も好んで読む。三宮麻由子も、そういう好みの文体ので書く一人。

本書はシーンレス(視覚障害者)の著者がiPhoneを手に入れて、日々の暮らしから個人としての実存性まで変貌した経験を率直に書いた本。シーンレスでも一人暮らしをしていて買い物も料理もしている。私よりもよっぽど生活力がある。

その暮らしに欠かせないのがiPhone。スマホが言わば掌の目となって著者の身体の一部となってさまざまな手助けをしている。著者の驚きや喜びようが真っ直ぐに伝わってくる。

目が見えない人は「目が見えないだけ」と聞いたことがある。ほかの感覚、例えば聴覚はいわゆる健常者よりも鋭敏なことが多い。著者も読み上げを早い速度で聴いていると書いている。

スマホ依存が問題視される一方で、スマホを身体の一部として使いこなし、QOL(Quality of Life)を向上させている人もいることに気づかされた。

AIについても同じ。使い方を間違えれば害になるし、これまで不自由していた人の助けになる。使いこなすのは人間であることを忘れてはならない。

私はいま、スマホやAIを使いこなせているか?登場したときから使っているからある程度使いこなせていると思う。ただ、次々出てくる新機能には正直、ついていけてない

さらに急発展しているAIは怖い。振り回されそうな気がする。


さくいん:三宮麻由子森有正辻邦生小川洋子Apple