雑木林を見上げて、神代植物公園
「僕は自分の過去のうちに生きているのである」
——原文傍点、日記、1969年4月13日(『エッセー集成4』

以下の文章は、私が自分のために書いた覚え書きであり、批評や評論でもなければ、ましてや研究論文ではない。森有正の著書や彼に関する著作を二十年以上読んできたけれども、一読者以上の地位は持っていない。

「過去相」という言葉は、森有正の思想において、とくに一九六九年から没年である一九七六年までの、結果的に晩年と呼ぶことになる時期において重要な概念に思われる。

「過去相に生きる」と表題に書いたけれど、これは私が森の言葉に感化されて思いついた私独自の表現であり、森自身は「過去相に戻る」「過去相を帯びる」という言い方をしていて「生きる」とは書いていない。

現在時が過去相を帯びるこの状態に達するのにわたくしはちょうど十九年の歳月を必要としたのである。
(「アリアンヌへの手紙」「書簡 五」、一九六九年五月一日、『エッセー集成4』

「過去相」という言葉は上に引用した「アリアンヌへの手紙」に頻出する。しかし、この概念はこの頃、突然に湧き上がったものではない。「十九年」と森が書いているように、彼がパリで思索を深めていくなかで熟していき、ついに定義された言葉(あるいは名辞)と考えるべきだろう。

過去を見つめることは、森にとってパリでの生活を始めてから、いや、思春期からの大きな課題であった。

いま、ふり返って考えてみると、私の中にあるすべてのものは、すでにその昔にみな私の中にあったようである。ただそこには、父が死んだあと、私を「見る目」(原文傍点)が欠如していたように思われる。だからそれは時の流れとなり、なつかしさになるのであろう。父がずっと生きていたら、それはなつかしさ、というようなものではありえなかったような気がするし、また父の死を私が生れる時まで押しやって、幼少年時代全体になつかしさを流れさせているような気もするのである。そしてそれは相当に強い私の生きる姿勢であったように思われる。ある意味で、成人してからの私の生活というのは、この消え失せた父の目が少しずつ再現し始め、生きるということが単なる時の流れではなくなる過程であったように思われるのである。(中略)つまり父の死は、私の中における経験の「自覚」(原文傍点)を少なくとも十五年おくらせたのである。私において、自分の経験の起源を問題にするならば、それはフランスへ渡ったことではなく、父の死をめぐる私の姿勢の中に求められなければならない、と思うのである。
(「遥かなノートルダム」『エッセー集成3』

過去を振り返ることが、死別体験に関わっていることが重要に思われる。森にとって重大な死別体験は上に引用した十代での父の死に加えて戦時中に亡くした長女の死も大きな影響を彼に与えている。

こうして歩いて行けば、少しは去っていった娘と近くなるのだろうか。しかし立ち止まれば、いつまでたっても、娘のところに行くことはできない。だから僕はどうしても歩きつづけなければならない。
(「流れのほとりにて」、一九六七年四月二〇日、『エッセー集成1』

過去を見つめることは、過去に亡くなった人を想うこと。「過去相」は死別体験と切り離すことはできない。

肉親との死別体験、すなわち「悲しみ」について思索を長く深めた結果、「過去相」という概念にたどり着いた、そう言いかえてもいいのではないか。

かつて、「過去相に生きる」ということについて、私は次のように書いたことがある。

   過去相に生きるということは、楽器の弦に似ている。片方の端を押さえながら、もう片方を手前まで強く弦を張る。きちんと押さえられていないと、ずるずると現在へ近づいてきたり、突き刺しておいたつもりのピンがいきなり飛んできたりする。しっかりと張られた弦からは、太く重い音がする。
   過去に一方の軸を置き、弦を現在までまっすぐに引く。過去をみすえながら、現在の状況を顧みる。押さえつけられた過去もじっとしたままではない。過去は、何度も解釈しなおされる。

「過去相に生きる」ことは、過去にしがみつくことではない。過去を忘れず、常に過去から現在を見ること。そうした姿勢で現在を生きること。そのとき現在の先に未来が見えてくる。

「過去相に生きる」むずかしさはここにある。過去を見捨てて生きることは易しい。罪も恥も傷も忘れて前だけを見て生きる。そういう人もいる。でも、忘れられない過去を抱えている人は過去を見据えながらでないと前に向かって生きていけない。

平安時代や古代ヘブライの時代に暮らしていた人たちの時間感覚は、現代に生きる私たちと違うと聞いたことがある。現代では、人は前を向いて未来に向かい生きていくと時間をとらえる。古代の人びとは違った。後ろ向きになり後退りするように時間をとらえていた。見えているのは過去だけ。未来は振り向かなければ見えない。

「過去相に生きる」ということは、この古代人の時間感覚に似ている。後ろ向きに過去を見据えながら、見えない未来に向かって後退りするように進む。見えないけど、進行方向は未来に向いている。この点がとても重要。未来ばかりを見ていてもいけないし、過去に引きずり込まれてもいけない。

森も、「過去相」が「未来相」につながると指摘している。

わたくしの生の本質的な部分をこの過去に投入すること、これをわたくしは《過去相に戻る》と呼ぶのである。それはまた未来に導くものでもあるから、同時に《未来相に到る》ことでもある。わたくしがパリで過ごした二十年の歳月はまさに内面にこの構造を作り上げるために費やされた。誰もこの過程をわたくしから盗むことはできない。なぜならそれは厳密に個人のものであり、個人を定義するものだからである。
(「アリアンヌへの手紙」「書簡 十三」、一九六九年七月七日)

この作業は漫然と生きていては行えない。意識的に行われなければならない。

意志によって過去に送り返し未来に出口を見出す、つまり未来相に到ること……。
(「アリアンヌへの手紙」「書簡 六」、一九六九年五月七日)

経験を深めることが意識的な行為であるように、過去相に生きることも日常のなかで常に意識されるべき心境と言える。

「経験を深める」。それは森有正の思想の核心。

ここで森有正の思想の全体像に触れておく。森有正の思想体系は次のように図示される

感覚→体験→促し→出発→冒険→表現→経験→命名→名辞→定義→思想→経験→感覚

それぞれの言葉に非常に重みがあり、強固な定義がなされているけれども、ここでは詳述しない。森有正の文章に親しんだ人にとっては馴染みのある言葉ばかりだろう。

一見、日常生活でも使われているありふれた言葉を、さまざまな場面で繰り返し表現することで密度を高め、森有正にしかない術語に鍛え上げることが、森有正の思想の発展過程と言える。上に挙げた語句一つ一つがパリでの二十年近い思索によって深められている。全五巻からなる『エッセー集成』を読み通すとその過程を体感できる。

「過去相に生きる」姿勢は、上記の一連の施策の過程を広く覆っている。感覚から経験に至る過程すべてが「過去相」のなかに置かれて初めて経験は豊かなものになる。

言葉を換えれば、「過去相」とは森有正の思想全体を流れている基調ということになる。

もう一つ、重要なことは、「過去相に生きる」ということは、「歴史に学ぶ」というような一般化できるものではないということ。それはどこまでも個人的なものであり、だからこそ思想の基調となりうる。

思想とは個人の生き方に関わるものだから


さくいん:森有正パリ