X(旧Twitter)のプロフィール欄を書き換えたい。でも、いい文面が思いつかない。
いまは、「文章表現ウェブサイト『烏兎の庭』庭師」と書いて、『庭』の表紙へのリンクを貼り付けているだけ。固定ポストには庭師のページへのリンクがあるだけ。
その庭師のページには、これまでに作ったいろいろな「10選」を載せてある。自己紹介としては言葉が多すぎる。もっと簡潔に表現したい。
その簡潔なプロフィールが思いつかない。うつ病、精神障害者3級、自死遺族、契約社員、東京都在住、50代男性。どれも私の一面を表しているけれど、どれも私のすべてではない。
どれか一つの属性で判断されたくない。だから、多弁な自己紹介のページを作った。
研究者とか作家とかジャーナリストとか、あるいは何か特殊な事業に従事しているとか、職業に関するアイデンティが今の私にはまったくない。それが簡潔なプロフィールが書けない理由の一つ。
それはまた、自分を規定する枠組みがないことも示している。そこから不安が生まれる。私はいったい何者なのか。それが定まらないからプロフィールも書けない。
ほかの人たちのプロフィールをいろいろ見ていた。肩書きばかりではない。住んでいる場所だけ、年齢と性別だけの人もいる。
ふと、自分のプロフィールを見直してみた。
文章表現ウェブサイト『烏兎の庭』、庭師
これで十分ではないか。書き足すとすれば「毎日書いている」ということ。そこで直した。
毎日、何かを書く文章表現ウェブサイト『烏兎の庭』の庭師。
書く人。それが私のプロフィール。それで金を稼いでいるかどうかは問題ではない。
さくいん:うつ病、自死遺族
パンデミックのために在宅勤務が始まり、やがて常態化した。非常事態が過ぎても要請がなければ出社しない。
在宅勤務のおかげで緊張やストレスでひどかったうつ病はかなり落ち着いている。
コロナのおかげで安らぎを取り戻した
それは、多くの人の不幸の上に、自分の安寧を得ている、ということではないか。
以前、朝鮮戦争の特需で復興した日本について、罪悪感もなく手放しに賞賛する人たちを非難したことがある。
コロナ禍も同じ。たくさんの人の犠牲があったから緊急事態宣言が発令され、在宅勤務がはじまった。そのおかげで私は出社しなくて済むようになった。
いまの私は、他人の不幸のおかげで復興し、戦争をせずに平和国家を築いたと賞賛する人たちと同類ではないだろうか。
森有正は「戦争のおかげで平和主義者になれたような人」を厳しく指弾した。
私はどうか。コロナ禍の前から自分の時間と家族と過ごす時間を第一に考えてきた。付き合いゴルフはやらず、接待も最小限にしかしなかった。職場を追われたのはそのせいもある。
それでもまだ霧は晴れない。人の不幸の上に自分の安寧があるように思えてしまう。
先週の診察で答えはわかっていても、S先生にいまの気持ちを伝えた。「ネガティブになりすぎないように」と想定していた慰めの言葉をもらった。確かにその通り。過剰な自罰感は、過剰な利己主義と本質的には変わらない。
さくいん:森有正、S先生
どこで知ったのか、メモが残っていない。ブクログで「読みたい本」のリストにあったので図書館で借りてきた。
分厚い専門書なので通読はせずに興味がわいた章を読んだ。第一部「『明治維新』とはいかなる革命か」、第1章「明治維新論と福沢諭吉」は慶應大学での講演を元にしているので読みやすく、わかりやすい。
この講演で渡辺は、明治維新論についての通説を次々と批判していく。結論として彼が主張するのは、「明治維新は下級武士による自由、とりわけ職業選択の自由の獲得するための革命だった」ということ。この説に至る行論が小気味よく非常にわかりやすい。
「尊王攘夷」は時代を象徴するような思想ではなく、歴史を動かした方便でしかない、という大胆な指摘には驚いた。それもきちんと理詰めで説明してあるので納得してしまった。
本論以外で興味深く感じたのは、開国後に訪日した欧米人が日本の庶民を幸福そうに見ていたということ。勤勉で、比較的平等で、幸福度が高い。そのイメージは、21世紀の日本に当てはまるだろうか。そんなことを考えたりした。
明治期の青年たちを虜にした「人格」「教養」「修養」などの概念が女性を排除していたという指摘も鋭い。「教養」とジェンダー。この視点はなかった。よく考える必要がありそう。
最終章の荻生徂徠とジャン=ジャック・ルソーの架空対談も面白い。徂徠のことはほとんど知らない。学生時代にルソーを読んだので、共同体外部の立法者を重視するルソーと共同体の安定維持を重視する徂徠の相違が興味深く感じた。
さくいん:教養、ジャン=ジャック・ルソー
NHK、Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」、「魅惑のコレクションライフ」の回でミュージアムグッズを収集している人が紹介されていた。学生時代、博物館経営を研究する一環として収集を始めたという。本も出しているというので、図書館で調べて借りてきた。
博物館・美術館はどこも経営が困難に陥っていると聞いたことがある。とくにコロナ禍では大きな打撃を受けた。
ミュージアムが集客のために知恵を絞っているのが、そこでしか買えないグッズ。蒐集家が紹介するだけあって、ユニークなものばかり。
著者はグッズはミュージアムのエンドロールと言う。展示内容を凝縮した思い出になる品、ということだろう。集客やイメージアップにかなり貢献していると思う。
本書はグッズだけではなく、ミュージアム自体の紹介本にもなっている。行ったことのないところ、知らないところがたくさんある。
気になるところをメモしておく。
- 大谷資料館、栃木県宇都宮市
- 南極・北極科学館、東京都立川市
- リニア・鉄道館、名古屋市港区
私自身はミュージアムに行っても、グッズはあまり買わない。そもそも雑貨類をあまり買わない。これまでに買った数少ないグッズのうち大事にしているのは、東洋文庫ミュージアムで買った殿試策のクリアファイル。これはどうしても欲しかった。
グッズは買わない代わりに図録はよく買う。図書館においていないし、あとから書店で買うこともできないから。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
横浜そごうにある紀伊國屋書店で衝動買いした。
港町はどこでも表と裏がある。新しいものと旧いものが雑居している。横浜も神戸も。
横浜には「日本で最初の」と前置きされるものが少なくない。そして、その初めてが今でも保存されているところもある。本書を眺めていると、表裏、新旧が雑居する港町の雰囲気がよくわかる。
高校が中心部の中区にあったので、山下公園付近や伊勢崎町は、高校時代によく放課後に歩いた。卒業アルバムのクラス写真は中華街の門の前で撮影した。その頃は、みなとみらい地区は工事の真っ最中。毎日、根岸線から埋立地が広がっていく過程を目撃していた。
最近は横浜駅には行っても関内周辺には行く機会があまりない。本書に掲載されている建築にも珍しさよりも懐かしさを感じる。根岸の競馬場跡は高校時代、土曜日の午後に草野球をした。指路教会は、腰痛の治療のために通院していた病院の近く。一番、懐かしいと思ったのは伊勢崎町の有隣堂本店。隣りにあった双葉家具もよく行った。
大学を出るまでは横浜主義者で結婚式はニューグランドで挙げたいと思っていたし、ずっと横浜に住んでいたいとも思っていた。
ところが、東京の大学を出て新橋の会社に通勤するようになってから、すこしずつ横浜から離れていった。結婚式は大学の隣りの結婚式場で挙げて、住まいも都内で借りた。やがて、東京暮らしの便利さに慣れてしまい、横浜に住もうとは思わなくなった。結局、都内で家を買い、もう30年、ずっと東京、それも中央線沿線という限られた地域に住んでいる。
いつしか、横浜は思い出のなかにある街になった。それでも、日帰りできるので、今でもときどき帰る。多感な十代を過ごした横浜は、私にとって故郷であることに変わりはない。
さくいん:横浜、神戸、東京
大型連休中に見た映画を感想をごく簡単に。
『グレイテスト・ショーマン』。物語がテンポよく始まり、セリフがないままゆっくり幕が閉じる。ミュージカルという脚色と相まって物語を幻想的な色合いにしている。華やかでにぎやかな演出に"La La Land"の製作陣と知って納得。今作はハッピーエンドでよかった。
『キングスマン』。筋書きやアクションは面白い。でも、前作で全面に出ていた英国紳士の文化(サヴィル・ロウ、スコッチ、マティーニなど)が後退していた。この点が類似作と差別化していたところだったので残念。
『ゴジラ-1.0』。面白い。劇場で迫力ある画面を楽しむべきだった。筋書きはシンプルで、伏線も容易に推測できるものだったけど、この手の作品にそれを望むのはむしろ野暮というもの。わかりやすさの方が大事。
賞をとったVFXは確かにスゴいものだった。東宝が配信しているメイキング映像を見ると、その凄さがよくわかる。銀座の場面、さまざまな船上の場面、いずれも舞台裏を見てとても驚いた。
浜辺美波が好演していた。これまでアイドル的な扱いの役柄が多かった。今回は空襲で何もかも失い、それでも孤児を育てる女性という難しい役柄。過去に苦しむ敷島を支える伴侶という一面もある。俳優の階段を一段上がったように感じた。
さくいん:浜辺美波
連休後半。実家に帰ったついでにそごう美術館へ出かけ、Twitter(現X)でもフォローしている天文写真家、KAGAYAの写真展を見た。
あまりの解像度の高さに、思わず「まるでCGみたい」とつぶやいてしまった。こんなにも高精細で、大画面の天文写真は見たことがない。自然の風景が作り物に見えてしまうという不思議な体験をした。
自然とは、こんなにも複雑で精細なものなのか。ふだん、目で見えているのはそのほんの一部に過ぎないということを強く思い知らされた。
ライブハウスで誕生会
4月27日、大型連休の初日にライブハウス、ケネディハウス銀座へ行った。今回は、今年で還暦を迎える知人と出かけた。
ほんとうは彼も私も誕生日は5月。ところが5月はゲストライブや臨時休業があり、土曜の開店日がなかった。そこで一足早く、二人で誕生日を祝ってもらうことにした。
還暦の祝いなので、連れには赤いポロシャツをプレゼントした。お店からはスペシャル・カクテル、バンドからは「人生の扉」(竹内まりや)のプレゼントがあった。
この日、演奏された主な曲は以下の通り。
- Just the Way Your Are、Billy Joel
- パレード、山下達郎
- While My Guitar Gently Weeps, The Beatles
- チューリップ・メドレー
- 埠頭を渡る風、松任谷由実
- Can't Take My Eyes off You、Boys Town Gang
- 家に帰ろう、竹内まりや
- Fantasy、Earth, Wind & Fire
「埠頭を渡る風」を聴きながら、また上田司さんのことを思い出して泣いてしまった。
自分が56歳になる日が来るとは思ってもみなかった。60歳、70歳の自分も想像できない。
さくいん:ケネディハウス銀座、竹内まりや、ビリー・ジョエル、山下達郎、チューリップ、松任谷由実
夜、すぐに眠れそうにないとき、旧約聖書を読む。寝物語としてちょうどいい。
面白いところもある一方、律法の細かい規定など退屈なところも少なくない。そもそも、長大な書物なので全体の構成がなかなかつかめない。あらすじをまとめた本を読んだこともあるけれど、それだけでは何か物足りない。
本書は旧約聖書のあらすじではなく、核心、いわばエッセンスを対話を通じて提示する。その意味で、非常に画期的。こういう本を探していた。
旧約聖書はほかのいわゆる創造神話とどこが違うのか、ユダヤ人にとってどんな意味があるのか、そして、新約聖書にどのようにつながっているのか、など、これまで疑問に思っていたことに答えを与えてくれた。とくに並木の専門であるヨブ記には多くのページを割いていて、専門書を読むいい導入になっている。
本書が挙げている旧約聖書の特徴。
- 王権を正統化する物語ではない、むしろ人間一般について書いている
- すべてを神の業に帰さない(応報説の否定)、すなわち人間の自由を肯定している
- 神に対して、畏れつつも、問い続けている、神との対話が一つの主題になっている
ゆっくりではあっても旧約聖書は読み続けたい。これからの読書のための羅針盤を得た気がする。
一つ、本書に書かれていないことで思う疑問。現代のユダヤ教神学は、ガザ地区へのジェノサイドとも言えそうな無差別攻撃をどう考えているのだろうか。旧約聖書の観点からは、この行動はどうとらえられるのか。選民思想の悪い面が表に出ているのだろうか。
映画がよかったので図書館で原作を借りてきた。一日で読み終えた。
読後の最初の感想は、「あ、悲しみは解消しちゃうのか」。次に思ったことは、結論として映画のほうがよかった、ということ。
『君の膵臓をたべたい』の原作を読んだときも同じように思った。作家とは作品のなかで作品のなかで何かしらの決着をつけたがるものなのだろうか。本書で真奈は恋人を見つけ、『キミスイ』では主人公は呼べなかった名前を声に出して呼ぶ。どちらもやや性急な終幕に思える。
大切な人を突然に失った悲しみは、そうそう簡単に癒えるものではない。何年も、何十年かかっても、心の整理がつかない人もいる。私がそうだったし、今でも、悲しみを解消したとは思っていない。むしろ、心の整理が一段落したことで、自覚的に「悲しみとともに」生きはじめたと感じている。
そのあいだに、いろいろな感情が何周も巡り巡った。忘れていたり、忘れようとしたり、忘れられなかったり、怒ったり、悲しんだり、苦しんだり。本書での、死別体験の悲しみの描写は真に迫っていると思った。だからこそ、数年間で、それが乗り越えられてしまうことに戸惑いが残った。
確かに、悲嘆解消のステップを順調に進む人もいるだろう。私のような「複雑性悲嘆」のほうが例外かもしれない。悲しみをこじらせる人ばかりではないことは想像がつく。
例えば、『行人』(夏目漱石)。この作品では結末は読者の想像に委ねられている。一郎は、深い安らかな眠りから覚めたあと、生を選ぶのか、宗教を選ぶか、それとも死を選ぶのか。作品には描かれていない。
自死遺族の宗教学者が悲嘆をつづった『死者と生者のラスト・サパー』(山形孝夫)では、長い長い苦悩の果てにようやく一筋の光明が見えてくる。それは悲しみの終わりではなく、「悲しみとともに生きる」という別の姿の悲しみのはじまりだった。そういう終わり方にはできなかったのだろうか。
多くの読者は喪失の物語に再生の結末を求めているのだろう。でも、現実世界で悲しみと向き合っている者の一人として言わせてもらえば、再生は、物語の結末のように予定調和的に訪れるものではない。
映画では、悲嘆緩和の階段を一歩上っただけで、悲しみは完全に解消されたという終わり方ではなかった。そちらの方が、私としてはずっと共感することができた。
小説にも共感する場面はあった。真奈が二人の高校生と話す場面。「忘れてはいけない」という言葉が説教臭くてうっとうしいという高校生たち。何となくわかった。災害からは学ぶべきだろうけど、他人の不幸を教訓にすることは非礼と思う。「忘れない」「伝える」ということは、語り部になるとか、伝記を書くとか、そういうこととも違う。
映画版に出てきた場面。ビデオカメラの前で、思い出すことをただ思い出すままに語る。「忘れない」とは、そういう、気張らない、自然な行動ではないだろうか。そう思うから、最後の場面も映画の方に共感してしまう。
「伝える」ことについては、そもそも「伝えるべきか」ということにも、まだ自分のなかで答えが出せていない。
さくいん:悲嘆、自死・自死遺族、『君の膵臓をたべたい』、夏目漱石
先週の木曜日は、私の誕生日だった。自分から自分へのプレゼントはシングル・モルト・ウィスキー、ラガブーリン16年。ウィスキーを買ったのは3年前のクリスマスにタリスカーを買って以来。誕生日の夜、お気に入りのクリスタルグラス、マッセナに注ぎ少しだけ呑んだ。香りは病院の消毒薬のようだけど味は深い渋み。慣れてくると香りも好きになってくる。
妻は勤めの帰りに私の好きなマンゴームースのケーキを買ってきてくれた。
そして、土曜日は離れて暮らしている娘と息子も集まってランチで誕生会を催してくれた。場所は、4人にとってちょうど中間の東京駅横の百貨店のレストラン。
食事のあと、いつも行く服屋でポロシャツを一枚選んでくれた。ピンクと青のストライプ。冬に着ているラグビージャージに色合いが似ている。これが私に似合う配色らしい。
幸福を感じる週末だった。
20年前、いや10年前ですら、精神障害者の契約社員で週5日を在宅勤務で過ごすという、いまのこんな暮らしは想像できなかった。
10年後も、きっといまでは想像もしないような暮らしをするのだろう。
生きて10年後を迎えたい。
そう思えることは、私にとって大きな回復と言えるだろう。
さくいん:うつ病
娘が誕生祝いにぐい呑みを贈ってくれた。石川県の漆器。
陶器と違ってとても軽い。いま使っている備前焼のざらざらした手触りとはまったく違い、表面はスベスベしている。これなら日本酒をスイスイと呑んでしまいそう。
娘は今年で社会人2年目。少なくとも仕事に追われる毎日ではなさそう。
それだけでも安心している。
さくいん:HOME(家族)
先週の土曜日。大丸東京の12階でなつかしいものに出会った。緑色の公衆電話。
アラサーの娘に訊いてみたところ、使い方は知らないと言う。そうか、1990年代生まれの人は公衆電話を知らないのか。私が交換台を呼び出す電話を知らないように。
88歳になる母はLINEは使えないけれど、imessageは使いこなしている。ガラケー時代にメールの使い方を覚えたから。
先週、誕生日を迎えて、60歳になる自分や70歳になる自分を想像してみた。どんな自分になっているか、まったく想像できなかった。
技術革新もどうなっているか、それもわからない。そのとき、最先端の技術を使いこなせるだろうか。それとも時代に置いてきぼりになっているだろうか。
歳を重ねることには楽しみもあれば不安もある。このところ気持ちが安定しているので、今年の誕生日の時点では、幸い、楽しみの方が大きい。
それはそれでいいことだろう。
日曜日。新宿伊勢丹で修理に出していてボールペンを受け取り、神楽坂まで歩いた。行先はマティーニ・バーガー。食べログのハンバーガー百名店で珍しい組み合わせの店を見つけた。ジンとハンバーガーが好きな私にうってつけの店。新宿まで行く用事ができたので、ついでに行ってみることにした。
ところが、Googleマップでは15分弱と出ていた距離が、歩いてみると結構あった。20分近く歩いてようやく到着。途中は住宅地。東新宿、若松、牛込といった地名。歩いたことのない地域だったのでいい散歩になった。
家ではベルモットを常備していないので、いつもジンを氷を入れたグラスに注いでそのまま呑んでいる。なので、マティーニを呑むのは久しぶり。
ジンはアメリカのブルックリン・ジン。初めて呑んだ。ベルモットはチンザノ。氷を入れてシェイクしてもらったので冷たくておいしい。
注文したベーコンチーズバーガーは、サイズは小ぶりながら味はパンチがあった。パティが粗挽きでミディアムレア。グリルした玉ねぎも入っているせいか。こういう味は好み。
ハンバーガーにマティーニを合わせるのはニューヨークのスタイルらしい。だから、ジンもアメリカ製。日曜のランチにマティーニを呑んで、天に昇るような酔い心地がした。
さくいん:マティーニ
日曜日のこと。新宿伊勢丹で修理していたボールペンを受け取り、神楽坂まで歩いて昼食にした。それから、地図で見ると近くにあるので漱石山房記念館までさらに歩いた。
『門』を読んだのは中学時代なので内容は忘れていた。興味深く見たのは晩年の雲水との交流についての展示。この交流については『最後の手紙』(立川昭二)で読んだことがある。
変な事をいいますが私は五十になって始めて道に志す事に気のついた愚物です。
亡くなる一月前に、漱石は手紙でこう書いている。禅への関心は生涯変わらず、しかし開悟したと驕ることもなかった。
くずし文字の手稿はまったく読めなかった。旧字体で印刷された作品の初版も、スラスラとは読めない。現在販売されている文庫本は新仮名になっているので簡単に読めるけど、こうして手書きや初版の文字を見ると漱石がずいぶん昔の人に思える。
『行人』と『思い出す事など』を読んで以来、漱石は読んでいない。手元には姉が読んだ『明暗』もあるけど、手をつけていない。
ちょうど誕生日を過ぎたので、自分が漱石が亡くなった年齢よりも歳を重ねているのに、大した仕事も成し遂げていないことに情けない気持ちになる。亡くなる年に連載が始まった『点頭録』を展示で見た。帰宅してから青空文庫で読んでみた。
寿命は自分の極めるものでないから、固より予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心の時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十迄生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。
漱石が自分に宛てて書いた慰めを私への励ましと思ってみる。
ボールペンが壊れたのは長いあいだ使っていなかったためにインクがペン軸に固着していたらしい。それをペン先を出そうと無理に回したために壊してしまった。
もっと習慣的に手書きせよ、という啓示かもしれない。
さくいん:夏目漱石、立川昭二
古代ローマの文化を概観する大型図鑑。
イタリアには行ったことがない。だから、古代ローマの遺跡も見たことがない。だから、こういう図鑑は旅をした気分になれるのでとても重宝する。
古代ローマというと、私のなかでは、『クオ・ヴァディス』(シェンキェーヴィチ)と『背教者ユリアヌス』(辻邦生)。それから昔、テレビで見た映画『ベン・ハー』。
本書は、歴史、人物、建築(遺跡)から日常生活まで古代ローマのすみずみまでがわかる博物館のような一冊。
最近、Eテレで「3か月でマスターする世界史」を見ている。古代ローマを扱った回では、オリエントに文明があったからヨーロッパにローマという一大帝国が生まれたのでありその逆ではない、という解説があった。いまは東から歴史を見る姿勢が重要らしい。この点は、番組のタネとなっている『世界史序説 ──アジア史から一望する』(岡本隆司、ちくま新書、2018)に詳しい。
本書の値段は8,000円。自分で買って所蔵することはちょっと難しい。こういう本を眺めていると、図書館の近くに住んでいてよかったと思う。
先日、『聖母の晩年―中世・ルネサンス期イタリアにおける図像の系譜―』(桑原夏子)という本を借りた。非常に浩瀚な専門書で、私の知識では概要を理解することができず、感想は残していない。口絵だけを眺めて返却した。定価は12,000円だった。
図書館のおかげで、こうした高価な本を借りて読むことができる。理解はできなくても、貸出の記録を残しておくことも大切。読み手がいることを行政に知らせなければならない。
さくいん:『クオ・ヴァディス」、辻邦生、NHK(テレビ)