紅葉のメタセコイア

『死生観を問う』(島薗進)で紹介されていた本。

(『思い出す事など』は)自らの経験に根ざした「あなた自身の死生観」の醸成、そして表出という点で先駆的なものとして位置づけることができる。一人の個人として、自分自身の死生観を持つということが、これ以後、次第に多くの人の課題と受け止められるようになってくる。(終章)

この一節に興味を感じて文庫本を買ってきて読みはじめた。

回復してから書いたとはいえ、病状の詳しい観察とその具体的な言語化に目を見張る。

漱石は30分間、瀕死の状態にあった。でもそれは瀕死であっても臨死状態ではなかった。それは全くの無意識で死後の世界も幽体離脱もなかった。

そこで漱石は死は無であろうと結論する。その体験は漱石をひどく驚かせた。

妻の説明を聞いた時余は死とはそれほど果敢ないものかと思った。そうして余の頭の上にしかく卒然と閃いた生死二面の対照の、如何にも急激でかつ没交渉なのに深く感じた。どう考えてもこの懸隔った二つの現象に、同じ自分が支配されたとは納得出来なかった。

生死とは対照的ではなく、まったく次元の異なる状態であると漱石は考えたらしい。この見解が正しいかどうか、瀕死状態も、まして死後の世界を知らない私にはわからない。ただ死とは、想像したり、見聞したりしていたものとはまったく異なる「不思議」な状態という意識を漱石に残したことは間違いない。

確かに、島薗進が指摘したとおり、漱石は宗教や言い伝えではなく、自分自身の経験から死生観を導き出している。信仰にも因習にも、頼ることはもはや漱石にはできなかった。

この点は「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」と嘆き、結局いずれの道にも進むことができなかった『行人』の一郎に投影されていると言ってもいいかもしれない。

瀕死状態の観察もさることながら、『思い出す事など』のなかで私が驚いたのは、漱石の近代社会に対する鋭い洞察。彼は労働に縛られた現代人の生活を喝破している。

   自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、正にこの相撲の如く苦しいものである。われらは平和なる家庭の主人として、少くとも衣食の満足を、われらとわれらの妻子とに与えんがために、この相撲に等しいほどの緊張に甘んじて、日々自己と世間の間に、互殺の平和を見出そうと力め筒ある。戸外に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中に殺伐の気に充ちた我を見出すならば、更にこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、背の汗を想像するならば、最後のわが必死の努力の、回向院のそれのように、一分足らずで引分を期する望みもなく、命のあらん限は一生続かなければならないという苦しい事実に想いを至るならば、我らは神経衰弱に陥るべき極度に、我が精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまで言いたくなる。(十九)

好きなことを仕事にすればいいという発想だけでは、現代の労働社会から抜け出すことはできない。

たまたま芸術の好きなものが、好きな芸術を職業とするような場合ですら、その芸術が職業となる瞬間において、真の精神生活は既に汚されてしまうのは当然である。芸術家としての彼は己れに篤き作品を自然の気乗りで作り上げようとするに反して、職業家としての彼は評判のよきもの、売高の多いものを公けにしなくれはならぬからである。(二十七)

漱石は、超高給と書く内容に口を出さないという条件の契約を新聞社と結んだという。

そんな漱石でさえ、芸術家も「労働」から逃れられないという。また、そんな漱石だからこそ、「真の精神生活」に少しでも近づけるよう、法外な条件を新聞社に要求したのだろう。

漱石の社会を見る目はほんとうに鋭い。

逆説的ながら、私は、心身を壊してビジネスの世界で挫折して、そこから脱落したことで、労働に縛られない、時間と心に余裕のある精神生活を送ることができるようになった。あの激務を続けていたら、こんなふうに時間をかけて本を読んだり、感想を書いたりすることはできなかっただろう。

「真の」ものかどうかはわからないけど、いま私は「精神生活」を確保できている。この暮らしは大切にしなければならない。

最後に私自身の死生観について。前にも書いたように、死は無と私は考えている。だから、漱石の述懐にも違和感はない。むしろその観察には同意できる。

死を恐れていないと言ったら嘘になる。でも、死そのものよりも、その前に直面するかもしれない病苦が私は怖い。病がもたらす苦痛や不便。そちらの方がずっと怖い。

病苦よりも死を選んでしまうかもしれない。その考え方は間違っているとわかっていても。


さくいん:夏目漱石島薗進労働