もう何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりにギターの弦を張り替えた。ギター自体も、たぶん30年くらい前に買ったもの。
ほんとうはピアノを弾けるようになりたい。でも、どんな練習から始めたらいいのかわからない。
ギターは中高生時代に覚えた。一応、基本的なコードに加えて、アルペジオもスリーフィンガーも弾けるようになった。
私の音楽上の欠点は、コード進行を覚えられないこと。いつも譜面を見ないと弾けない。だから弾き語りをしても弾き語りっぽく見えない。
今回は、カラオケでよく歌うお気に入りの歌を、コード進行を見ないでも弾けるように練習する。ほとんどは70年代から80年代にかけて流行ったフォークやニューミュージック。10代半ばで聴いていた歌
ちょうど在宅勤務の終わる5時から夕飯の支度をする6時過ぎまでが空いている。
久しぶりに弾いてみたわりには、Fも押さえられたし、スリーフィンガーもできた。
あとは、やっぱりコード進行。コード譜を見ないでも弾けるように、何曲か課題曲を選定する。
さくいん:70年代、80年代
今日は、2月の第一金曜日。人生を一変させるような大きな出来事がある日。少なくとも、過去に3度あった。
55年生きてきて3回とは確率として高くない。それでも、こんな風に身構えてしまうのは、間違いなく記念日反応だろう。
身構えたまま一日を終えた。何も起きなかった。
在宅勤務で一人、家にいて、私宛てのメールも電話もなかった。
特別なことと言ったら、一日早く妻と恵方巻を食べたこと。
黙って食べる者らしいけど、私たちは「美味しい、美味しい」と言いながら食べた。
今年は、穏やかで、ささやかな幸福も感じる、そんな2月第一金曜日だった。
それでも、来年もまた私は、2月第一金曜日に緊張した時間を過ごすだろう。
突然の報せを聞いた2月最初の金曜日。あの日のことを私は一生忘れない。
森有正を哲学者と呼ぶことに抵抗がある。彼は思想家であって哲学者ではない。
哲学は学問。学問は教授し伝授することができる。しかし思想は教えられない。なぜなら思想とは一人の人間そのものだから。
一人一人が忍耐強く見出していかなければならない。
確かに森有正には、パスカルやデカルトなどの哲学に関する研究も残した。でも、それは彼の仕事のなかで大きな部分を占めているものではない。
森が残した大きな仕事は、教えられる哲学の研究ではない。
彼が残したものは、思想を究めていく一人の生きる姿であり、それを言語表現によって突き詰めた〈思想的〉エッセイの数々。哲学の学術論文ではない。
森有正を哲学者と呼ぶのは、私の正直な感想としては、極めて軽率な表現に見える。
さくいん:森有正、パスカル、エッセイ
ようやくうつ病の症状は落ち着いてきた。元気になると苦しかったときのことを忘れる。すると変な気持ちが頭をもたげる
辞めないでも、もう少しやれたのではないか
もっと上手に立ち回れなかっただろうか
ダメだったから辞めた。障害者手帳を取得したことも、非正規の契約社員で再就職をしたことも、納得づくでしたこと、のはず。
頭ではわかってはいる。でも、心にこんな考えが浮かんでしまう。
最近、この考えにとりつかれていて苦しい。
情けないことに、この考えが思い浮かぶのは、お金のことを考えたとき。収入が前の1/3になったことが悔しくてならない。お金よりも命を選んだはずだったのに。
結局は金なのか。浅はかな自分の底が割れて見えるようで重ねて悔しい。
土曜日の診察で、そのことをS先生に話すと、「仕事とは関係ないもので、何か取り組めるものが見つかるといいですね」とやんわり諭された。
病院を出てから中井久夫の言葉を思い出した。
せっかく病気になったのだから生き方を少しひろやかにされては?(「軽症うつ病の外来第一日」『「思春期を考える」ことについて』)
言われていることはわかっていても、この「せっかく」がまだ感得できずにいる。
診察のあとはハンバーガー。
吉祥寺のbubby’s。初訪問。
サイドがポテト一択でなくコールスローを頼めるのがありがたい。
バンズがサクサクしていて新鮮。味付けは薄めなので肉の味が直接伝わる。
さくいん:うつ病、S先生、中井久夫
先週の土曜日。病院のあと夜の約束まで時間があったのでカラオケに行った。
2月は追悼月間なので、さだまさしとオフコースの70年代の曲ばかりを歌った。
そして今日は姉の命日。亡くなってから43年経った。
私の人生のなかで、姉のいない時間のほうが今ではもうずっと長い。それでも姉への思いは変わらない。
東京では昨日、雪が降った。1981年の2月6日、横浜は小春日和だった。
ギターを再開したので、たどたどしい運指のままで「童話作家」(さだまさし)と「めぐる季節」(オフコース)を歌って供養した。今年は穏やかな気持ちでこの日を迎えている。本にまとめたことで気持ちの整理が一区切りついたような気がする。
「心から悲しめる幸せ」を一人味わっている。
X(旧Twitter)の最上位にある固定ポストから著書の紹介を外した。一つの属性で自分を見られることは本意ではないから。
さくいん:さだまさし、オフコース、70年代、自死遺族、悲嘆
先週の日曜日に行ったライブハウスに、翌週の土曜日にまた行ってきた。
先週はボーカリスト、岡部ともみのBirthday Live。土曜日は通常営業。6時から10時近くまで、3回のステージを楽しんだ。
場所はステージに向かって左の最善席。ベーシスト、千葉生也さんの目の前。
土曜日はほとんどが常連客なので終始和やかな感じ。昔の金曜最終ステージは流れてきた酔っぱらいがたくさんいて、音楽よりも騒いだりして殺気だった雰囲気だったこともあった。
3回目のアンコールのあと、客席に「終わった」という空気が広がりはじめたところ、あんまり楽しかったのでつい、「もう一回」と叫んでしまった。
すると、歓声に応えてもう一曲、「夏の扉」(松田聖子)を歌ってくれた。これには驚いた。「瑠璃色の地球」は聴いたことがあったけど、これは初めて。最後まで楽しませてくれた。
カツサンドが美味しかったことも書いておく。
さくいん:ケネディハウス銀座、松田聖子
ダメな1週間。今週は毎日呑んでる。
業務では月一のレポート作成が遅れ、プライベートではiMacが不安定でになりOSを再インストールすることになったり、緊張する場面が多い。所有する銘柄の決算日が近いことも、不安定な気持ちに拍車をかけている。
ストレス過多といってもこの程度。それなのにこの程度のストレスにも耐えられない。酒に逃げてしまう。苦しいと、火曜日と週末だけという決まりはすぐに反古になる。
こういうとき、よくないのは、「どうせダメな人間なんだから」と開き直ること。
ビール1缶では終わらず、バーで頼んでも出てこない量をグラスに注ぎ呑んでしまう。
さすがにそれ以上、浴びるように呑むことはない。その程度の理性は残っている。
来週は、規則正しい生活に戻さなければならない。
さくいん:ジン
1月16日付日経新聞の文化欄で著者の文章を読んだ。記事の中で本書が紹介されていたので図書館で借りてきた。
大人気だったペンギンのサントリービールは私にもなつかしい。高校三年生の頃、予備校や英語学校から帰宅が遅くなったとき、バスを降りて酒屋の前にある自動販売機でときどき缶ビールを買っていた。酒を呑みはじめたのもビールが最初。高校二年生のときだった。
ペンギンのビールにたくさんのバリエーションがあることは初めて知った。ペットボトルがあることも知らなかった。
ほかに呑んだことがあるのは、クアーズ、クラシック、オリオン。クアーズは米国出張したときに、スーパーで買ってホテルで呑んだ。北海道とオリオンは札幌と沖縄に旅行したときに呑んだ。旅の思い出は酒の思い出とともにある。
父はキリン派だった。私が子どもの頃、父の晩酌はラガーの瓶ビールだった。その後、一番搾りに変わった。
一つ、探していた銘柄があったけど、掲載されていなかった。名前ははっきり覚えていないけど、アサヒのプレミアムブランドで青い色の缶のビール。これはおいしかった。すぐに販売中止になったのはコストが高かったからか。
巻末を見ると「日本懐かし大全シリーズ」は他にもたくさんある。どれも面白そうなので、探して読んでみる。
さくいん:アメリカ、北海道
OS再インストール
1週間ほど前からiMacの挙動が不安定になってきた。突然フリーズしたり、シャットダウンしても再起動したり。
サポートに電話で相談してみたところ、Sonoma 14.3がインストールされていないことがわかった。設定ではアップデートは自動のはずなのに。
小手先の修正ではうまく行かないようなので、OSを再インストールすることにした。
データはすべてiCloudと外付HDDの両方にあるし、設定もTime Machineでバックアップしてあるので、心配はない。最初にVenturaを入れてから、Sonomaに更新する作業も順調に進んだ。
再起動して驚いたのは、これまで使用していたDropboxとFolkliftが使えなくなったこと。両方ともApp Storeからインストールした公認アプリではないにしても、強制的にアプリを削除せよとの指示が出たので驚いた。
iCloudを3TB持っているのでDropboxはなくてもかまわない。しばらく前から相性が悪くなっていることは知っていた。
問題はFTPクライエント。App Storeにある公認アプリも試してみたけれど、きちんと起動しなかったり、サーバーに接続できなかったり、どれもうまくいかない。Folkliftの最新版も起動したり止まったりする。
結局、Macユーザーで一番人気のCyberduckを使うことにした。
Folkliftのようなデュアルペインではないので少し使いづらい。でも動作は安定している。しばらくはこれを使う。
さくいん:Apple
土曜日、母を連れて鎌倉へ梅を見に行った。八幡宮には思ったよりも梅はなかった。それでも何枚かは写真に収めた。
東慶寺の参道は見事だったけど「撮影厳禁」と書かれていたので撮影は断念した。北鎌倉駅そばの古民家カフェ、狸穴(まみあな)Cafeで一休みして、逗子へ移動。夕食はいつものイタリア料理店、La Verde。
90歳手前の母と酒も料理も半分に分けた。
- 小坪産のタコのマリネ
- 佐渡産の牡蠣のムニエル
- プロシュート
- ピッツァ・マルゲリータ
- ホタテとエビのパスタ・ジェノヴェーゼ
- 子羊のロースト
- バニラジェラート
- 生ビール、一杯
- 白ワイン、一本
- コーヒー
この店は料理の写真撮影が禁止なので、母がたいらげた量を紹介できないのが残念。
この日、初めてグラッパという食後酒を呑んだ。前にスカンディアで呑んだアクアビットに似ていた。透明で香りはほんのりでストレートのアルコールという感じ。
甘い香りのノチェロの方が私の好みとよくわかった。
さくいん:鎌倉、逗子
昨日、天気がよいので小金井公園へ梅を見に行った。
紅梅白梅ともに、ほぼ満開で素晴らしい眺めだった。
小金井公園は神代植物公園と違い、入園が無料なところがいい。もっとも、障害者手帳を持っている私は都立公園は無料で入れるので違いはない。
昨年11月に更新を申請した障害者手帳がまだ届かない。そのせいで博物館や美術館へ行くことができないでいる。
公園から花小金井駅まで歩き、北口近くの「たかのちゅめ」で味玉ラーメンを食べた。
しっかり深い味のする出汁が美味しい。ただ、お値段はこの場所にしてはちょっと高め。
さくいん:小金井公園
眠れない
昨夜、いつもの通り、10時過ぎに布団に入った。ふだんは目を閉じて数分で眠れる。ところが、いつものようには眠りに落ちない。目がぱっちり開いている。
YouTubeで教会の説教を聴いていても、ふだんは最後まで聴くことはないのに、最後まで聴いていても眠れない。
ちなみに聴いたのは1月7日の公現日の分。三人の博士が幼子イエスに黄金、乳香、没薬という彼らの生業である占星術に不可欠なものを捧げ、すなわち、それらを捨てて、「別の道」、新しい人生を歩みはじめたという話だった。
昼間、特別なことがあったわけではない。こんなことは滅多にない。
結局、0時になっても眠れなかった。その頃になって食後の薬を飲み忘れていたことを思い出し、食卓に下りて薬を服用した。
即効性がある薬ではないはずなのに、その後は、落ち着いてようやく眠りに落ちた。
今朝はいつもより遅く、6時半に起床した。快眠度は68%と高くはなかったものの、6時間以上は眠った計算になる。
歳を取ったら、若いときに比べて必要な睡眠時間は減ると聞いたことがある。中年には、夜の睡眠よりも昼間の活動が大切らしい。
そういえば、昨日は膝が痛いので下半身の筋トレはしなかった。それが原因か。
「眠らなければ」と考えすぎないほうがいいとも聞いたことがある。あまり気にするのはやめておく。
昨日はバレンタインデーだった。
我が家のバレンタインデーはこれ。北海道にある六花亭のいちごホワイトチョコレート。
いちご1個をホワイトチョコでくるんであるお菓子。
吉祥寺にある百貨店に北海道の名産品店があるので、妻が買ってくる。家族一人に一箱ずつ支給される。
週末、出かけたときに残っていた箱を買い占めてきた。
チョコレートを好んで食べる方ではない。このチョコレートは食べても飽きない。
このチョコレートはいちごが占めている部分が大きいせいだろう。
たくさん入っているので、一日に一粒ずつ、大事に食べている。
ステッパーでトレーニング
外を散歩するのが寒いので、屋内でウォーキングのトレーニングができる器具を買った。
朝、朝食後の始業前と午後に20分ずつ歩いている。その前にはエア縄跳びをしていた。
中間にセットしても負荷はけっこうある。速歩きのリズムでは踏めない。
今年の健康診断でBMI25以下にすることが当面の目標。
足踏みしているあいだは、NPRの英語ニュースを聴くことにした。使う場面がほとんどないので英語力はかなり落ちている。ニュースを聴いても半分以上わからない。
これには目標がない。これ以上、英語力を低下させないようにしたいとは思ってはいても、具体的な目標が思いつかないのでなし崩しに英語力を低下させている。
フランス語は何もしていない。一時期の熱の入れ様からみると、英語よりもサボっている。
連休中にたくさん歩いたので、昨日から膝が痛い。無理せず、今週はステッパーもサボっている。これは必要なサボタージュ。
さくいん:英語
辰巳出版の大全シリーズから、興味をあるタイトルを図書館で借りてきた。
学研のジュニアチャンピオンシリーズと立風書房のジャガーバックスは何冊か持っていた。失くしてしまった『もしもの世界』が掲載されていて感激した。この本は「もしも太陽が燃え尽きたら」などありえない「もしも」に対し真面目に回答を用意していて、昭和少年の不安をかきたてた。ほかには『世界の秘宝をさぐれ』と『世界びっくり情報』を持っていた。後者はギネスブックの抜粋のような内容だった。
ジャガーバックスでは、『日本の軍艦』『日本の飛行機』『世界の最新兵器』の3冊が今でも実家に残っている。
昭和後期の少年は、乗り物、兵器、擬似科学が大好きだった。物語には目もくれず、そんな図鑑ばかり私は読んでいた。
誰か昭和後期の子どもの精神史を研究してくれないだろうか。例えば、「70年代の子どもに対し学研(『科学』『学習』『ジュニアチャンピオンシリーズ』『ムー』)が与えた影響について」とか。
さくいん:70年代
楽天マガジンで見つけた雑誌。同じ出版社の『エアライン』は図書館で眺めることがあるけど、この雑誌は図書館でも見たことがなく、知らなかった。
私がファーストクラスに乗る幸運を得たのは、20年も前のこと。
当時は今のような一人一人、仕切られた空間ではなかった。今や、シートとベッドが別にある個室(スイートと呼ばれている)もあるらしい。
本書は全編ファーストクラスの特集。大手各航空会社のシートや食事、ラウンジなどを紹介している。見ているだけで贅沢な旅をした気分になれる。
ファーストクラスに乗る〈チャンス〉のある仕事。そう考えると、特殊な仕事をしていた。毎日、英語を話したり書いたり、毎週、新幹線で出張したり、年に数回海外出張をしたり、何十億円もの売上目標を課せられたり。私がそんな仕事をしていたとは、今の会社の同僚はきっと信じないだろう。あんな働き方はもうできないし、幸い、もうする必要もない。
この本は保存して読み返したいので、書店で買ってきた。
いつか自力でファーストクラスに乗れるよう、投資をがんばる。目標があるのはいいこと。
俗っぽい夢や目標を持つのは、生き残るためには悪くない。少なくとも、何もかもつまらないと思うよりはいい。
前にそう書いたことがある。その気持ちはいまも変わらない。
さくいん:労働
土曜日。先週、一人で行った小金井公園の梅林に妻を誘って再訪した。
先週よりもたくさん開花していて、五分咲きだった枝垂れ梅(竜眠枝垂れ)も満開。二人で梅見を楽しんだ。
数えきれないくらい並んでいる梅のなかで一際目立つ木があった。花の色が桃の花のようにピンク色。下がっている札を見ると「見驚」(けんきょう)とある。
調べてみると、やはり「見て驚かせる」ところに由来があるらしい。
娘が生まれてから2年ほど、小金井公園のすぐそばに住んでいた。
ここへ来ると娘の名前を考えていたことや、幼い娘が歩く練習をしていたことをなつかしく思い出す。
帰りに乗ったバスから、25年前に暮らしていたアパートが見えた。
さくいん:小金井公園
日曜日。梅を求めて井の頭公園まで行った。木の数は多くはないものの、ちょうど見頃で楽しめた。
小金井公園では、梅の名前が書いてある札が一本ずつ枝に下がっていた。井の頭公園では、名札がなかったのでそれぞれの木の種類はわからなかった。
梅見のあとはランチ。久しぶりにヴィレッジ・ヴァンガード・ダイナーへ行った。この店に来るのは2020年9月以来。
ホームメイドのハンバーガー(グルメバーガーとも言う)をあちこちで食べるようになったきっかけになったのがこの店。この店の味が新しい店を開拓したときの基準になっている。
実際、ここのハンバーガーは気を衒ったところはない、王道のハンバーガー。それからこの店ではオニオンリングが大きくて多い。
アルコール類の半額キャンペーンに誘われて、休肝日なのにヒューガルテンを一杯呑んだ。
帰宅すると2万歩近く歩いていた。ビール一杯分くらいは消費したか。
新しい障害者手帳
11月に更新を申請した障害者手帳がようやく発行された。手帳が直接届くのではなくて、保健所に届き、それを受け取りに行くという仕組みになっている。事前に自分宛のハガキを書いておいて、発行されるとハガキが届く。
先週末、そのハガキが届いたので、昨日、受け取りに行ってきた。
昨日は小春日和というより初夏の陽気だったので、コートも着ずに自転車をこいだ。
これまでは紙だったものがプラスチックのカードになった。サイズも免許証やクレジットカードと同じ。手帳は2年間有効。
精神障害 3級。これが私の肩書き。
これで公立の博物館や美術館に行きやすくなる。都営交通にも乗りやすくなる。
収入が激減したので、これくらいの割引がないと文化的な生活を送ることも難しい。
おそらくはこのまま、この手帳を返上することはなく、ずっと生きていくのだろう。少なくとも働いているあいだは障害者であり続けなければならない。
さくいん:うつ病
ギターの練習を再開したと書いた。夕方、退勤してから夕飯の支度をするまでのあいだ、ギターを弾いている。
一通りのコードを知っているし、押さえることもできる。アルペジオもスリーフィンガーも覚束ないがまったくできないわけではない。
問題はコード進行。これを覚えてないから、楽譜を見ずに「弾き語り」をすることができない。まして、「耳コピ」などは論外。
そういうわけで、ギター用の楽譜集をたくさん持っている。一番ギターを弾いていたのは、中学時代。その頃によく買った。
基本的な教則本、フォークソングの有名曲を集めた楽譜集、それから、さだまさし、オフコース、Simon & Garfunkel、浜田省吾、長渕剛、松山千春。当時はニューミュージックの全盛期でギターの弾き語りを売りにしているミュージシャンも多かった。
中島みゆきも持っている。これは友人から借りたもの。「ずっと貸しておいてあげるけど、返してって言ったときに返して」と不思議な約束を交わしてもう40年近く経つ。
コード進行の仕組みなりセオリーなりが理解できている人ならば、こんなに買わなくても弾くことができるだろうし、自分で曲を作ることもできるのかもしれない。そういう才覚が私にはまったくない。
いま、最初に練習しているのは中島みゆきの「時代」。時を越えて歌われているし、また、歌い継ぎたい曲だから。
いまはインターネット上にもコード譜があふれている。とはいえ、一曲ずつ検索するのも面倒。おそらく、こういう楽譜集はいまも需要があるだろう。ミュージシャンの活動寿命が伸びているので、楽譜集も大部か分冊になっているのではないか。
さくいん:さだまさし、オフコース、サイモン&ガーファンクル、浜田省吾、長渕剛、松山千春、中島みゆき
ダウンコート
先週末、高校時代の友人と呑んだ。場所は東京駅八重洲口。
約束まで時間があったので、駅前の百貨店、大丸を一回りした。
紳士服のフロアでいつもの店をのぞいたところ、ダウンコートがセール品になっていた。
いま来ているコートは15年以上前、まだ団地に住んでいた頃、本店で買ったもの。古くはなっていないけれど、とにかく重い。最近は軽いダウンコートを街でよく見かける。そろそろ買い替えどきと思っていて、来年の買い物リストに入れてあった。
セール品も袖を通してみると思いのほか軽い。新鮮な着心地。これはいいと直感した。
昨年末以来、カバン、シャツと買い物を続けているので、ちょっとためらったけれど、来シーズンになってから買うと高くなっていそうなので、思い切って買うことにした。
重いコートも大事に着続ける。
11月13日がに2回ある
水曜日に新しい障害者手帳について書いた。
その際、手帳更新の診断書をS先生に依頼したときに何か書いたはずと思い出して、目次を検索してみた。
目次からは「障害者」で検索しても何も見つけられなかった。ところが全文検索してみると「障害者でいつづけること」という文章が見つかった。
目次になくて本文にある。なぜか。理由はすぐにわかった。この記事が目次に表示されていなかった。
なぜ表示されないのかというと、すでに同じ日の記事が存在していたから。つまり、11月13日の記事を私は二度書いていた。何とも情けないミス。
毎日何かしら書いているので、日付をずらすこともできない。仕方がないので、無理やりに二つの記事を一つにした。
客観的に読んでくれる校正者がいないので、間違いも自分で探し、修正も自分でしなければならない。
先週金曜日は天皇誕生日で休日。雨の中、上野公園へ行き、東京都美術館と国立博物館をハシゴした。どちらもとても混んでいて鑑賞したという満足感はなかった。
印象派展は2周して、クールべ、ピサロ、モリゾ、カサット、モネの作品だけは何とか見ることができた。
アメリカの印象派は、需要が高まったために盛んになったと解説されていた。自然に発生したものではないらしい。印象派の技巧は気候が不安定な北ヨーロッパならではのものではないか。アメリカ大陸では印象派のような技巧は自然には発生しないと思う。
チャイルド・ハッサムのようにアメリカ人がヨーロッパを描いた作品はよかった。一方、アメリカの雄大な自然を印象派の技巧で描いた作品には心を奪われなかった。アメリカの大自然はもっとダイナミックな描写が似合う気がする。
本阿弥光悦の芸術の多様さに驚いた。刀剣の磨き、陶芸、書、どれも個性的で独創的。
前に東洋文庫ミュージアムで見た整販と呼ばれる1ページを一枚の板木で製作した嵯峨本を見ることができた。崩し字を読めればもっと楽しいだろう。
中尊寺金色堂の3DCGも開催していた。雨のなか長蛇の列だったので鑑賞はあきらめた。
印象に残った作品。ウスター美術館のサイトで鑑賞できる。
さくいん:ギュスターブ・クールベ、東京国立博物館、東洋文庫ミュージアム
土曜日の午後。雨は降っていなかったけど風が冷たい日だった。母を連れて葉山のしおさい公園へ行った。
期待していた梅はもう満開を過ぎていた。河津桜も見頃を過ぎていた。
しおさい公園の裏から葉山美術館への連絡口があることを初めて知った。別の日にと思っていた「芥川龍之介と美の世界」展を見ることができた。
私は熱心な芥川の読者ではない。有名な短編をいくつか読んだくらい。読んだなかでは、「魔術」がとても印象に残っている。『侏儒の言葉』と『西方の人』は読んだけど、自伝的な作品である『或阿呆の一生』は未読。精神が不安定な状態で書かれた作品なので、少し怖い気持ちがありまだ読めそうにない。
本阿弥光悦とまではいかないまでも、芥川も漱石も、小説だけでなく、俳句や書画、漢籍にも秀でた多才な人だった。漱石の描いた猫と芥川が描いた河童がよかった。
芥川が生きた時代の絵画作品にも興味深いものがあった。「代々木附近」(岸田劉生)は、おそらく有名な「道路と土手と塀」と同じ場所だろう。
山本喜誉司、井川恭、原善一郎、斉藤豊作などの名前も覚えておきたい。
昔の人はよく手紙を書いている。書いた文章を批評しあったり、見てきた展覧会の感想を語り合える友人がいることがとてもうらやましい。そういう友人は私にはいない。なぜか。
私の場合、実世界での性格と『庭』で表現している精神生活がかけ離れていて、しかも矛盾している。実世界ではスノッブで強欲で、贅沢好き。精神生活ではうつ的で内省的で厭世的。実世界で精神生活の部分をわざと見せていないというところもある。
実世界の友人は、もともと少ないうえに、『庭』の存在を含めて私の精神生活を知っている人はさらに少ない。つまり、文学や美術について話の合う友人が欲しいと言いながら、実際には、そういう友人を自分から求めていくことがない。ネット上では、話が合いそうな人がいても、スペースやオフ会に積極的に参加しようとはしていない。
友人がいない。それは私が望んだ結果。そういう矛盾した自分を受け入れていかなければならない。自ら孤独を選んだのだから。
さくいん:葉山、芥川龍之介、夏目漱石、孤独
18歳と11ヶ月で亡くなった姉の62回目の誕生日。先日の命日の日には心は穏やかだった。
いまはとても悲しい気持ちでいる。
先日、テレビで小田和正の最近のコンサートを見た。「水曜日の午後」「愛の唄」「愛を止めないで」。姉と聴いた、オフコース時代のなつかしい曲もたくさん歌っていた。
この時間を彼女と分かち合いかった。
70年代後半。私たちは、確かに同じ時代に生きていた。一人は75歳を過ぎてもステージで歌いつづけている。一人はうつ病で非正規雇用に磊落して、それでも何とか生きている。でももう一人は二十歳にもなれずに亡くなった。
最も悲しいときが最も幸せ
そういう境地に達したものと思っていたけど、そうではなかった。最も悲しいとき、私はさらに悲しくなる。
パウロは、「最も弱いときに最も強い」と言った。その心境の変化は、「第二の改心」とも呼ばれているらしい。
私にとっても、「最も悲しいときが最も幸せ」という心境は、大きな心境の変化だった。
でも、私はその心境を完全に体得したとは言えない。悲嘆の緩和は一直線ではないという学者の言葉は正しい。今日の私は、最も悲しいときにさらに悲しくなっている。
今年の生誕日は、悲しい気持ちでオフコースを一日中聴いている。
さくいん:自死遺族、悲嘆、オフコース(小田和正)、70年代、パウロ
月曜日のこと。久しぶりに出社した。朝、30階から富士山がよく見えた。
各部門長が年間計画を発表する事業計画発表会。聴いているだけでとても疲れた。
「売上」とか「利益率」とか、「成長」とか「キャリアアップ」とか、そういう言葉は、もうたくさん。
ビジネスの世界は私にとって完全に縁遠いものになっていると思い知った。
給料がもらえるかぎり仕事は続ける。
でも、働きがいは求めない。仕事以外の生きがいを見つける。
生きがいは、仕事に見つけなければいけないと決まっているわけではないから。
それにしても、敗北感と疎外感、悲嘆と孤独、そういうものに包まれている私に生きがいは見つかるだろうか。
帰り道、冷たい風が吹きすさぶ駅のデッキで、コンビニで買ったフランクフルトをかじりながら缶ビールを呑む。
私の生きがいはこんなものか。
そのとき、ふと、家で待っている人の笑顔が浮かんだ。いつもは私が心配しながら待つ方。今日は待たせている。かつてのように。
今日の夕飯は何ですか?
こんなやりとりを毎日していたことを思い出した。
私の生きるよりどころはここにある。
さくいん:労働