先週の土曜日。母を誘い汐留へ。ここは駅から地下道を通って美術館へ行けるので炎天下を歩く必要がない。実家から電車一本で来られるのでよく来るなじみの美術館。
今回はパナソニックの工業デザイン出身という異色の人間国宝の展覧会。美しい象嵌作品を堪能した。
映像で制作過程を見た。細かい模様を丁寧にタガネで彫り、極小の金属片を埋めていく。制作過程を知ってから作品を見直すと、気の遠くなるような繊細な作業を重ねて作品ができていることがわかる。
幾何学模様だけでなく、イスタンブールの街並みや台湾の朝焼けなど、風景を取り込んだデザインが斬新に感じられた。
汐留ミュージアムを見たあと、隣りのビルでシンガポール料理を食べた。
シンガポールは、仕事で何度も行ったことがあるし、プライベートでも行ったことのある、思い出深い場所。久しぶりになつかしい味に再開した。
タイガー・ビール、サテー、空芯菜の炒め物、そしてチキンライス。食後にシンガポール・スリングを呑んだら、心地よく酔ってしまい、帰りの電車で熟睡してしまった。
初めてビジネスクラスに乗ったのがシンガポールへの出張。1996年のこと。離陸する前に飲みものとサテーが配られて驚いたことを覚えている。
それより前、妻と旅行したとき、一人で呑みすぎて、早々に寝込んだことも覚えている。
シンガポールではよく深夜にフードコートへ行った。食べたのは、丸いかまぼこの入ったシーフード・ヌードル。テーブルに置いてあった青唐辛子の酢漬けがとても辛かった。
米国と欧州はむずかしいかもしれないけれど、シンガポールや台湾なら、もう一度行けるかもしれない。
行けるかもしれない、というよりも、その2カ国にはもう一度行ってみたい。
さくいん:シンガポール、台湾
愚かなり
毎月第3営業日に作成するレポート。昨日、間違えて作ってあちこちに配信してしまった。
昨日は今週の三日目で、今月の三日目ではない。
愚かなり。
あんまり恥ずかしいので、濃いめのハイボールで恥ずかしさを飲み干した。
そして今日はレポート作成の本番。5時半までかかって仕上げた。
昨日呑んでしまったので、今日は炭酸水で疲れを癒した。
嘘。上の行まで書いてから隠してあった角をしこたま呑んだ。
猛暑をやり過ごす
東京では猛暑日が続いている。
私の部屋は南側に大きな窓があり、風通しがいいので、日中はエアコンはかけていない。窓を開けて、扇風機を回せば何とか過ごせる。
冷蔵庫には氷を入れたグラスを置いておき、1時間ごとに麦茶を飲む。その合間に筋トレもする。最近は2キロのダンベルを両手に持ち、手足を広げて50回ジャンプするトレーニングを1日に5セットくらいしている。
どうしても暑くて仕方のないときは、風呂の残り湯を浴びて着替える。
日中、エアコンをつけないのは節約のためでもある。在宅手当のような補助は会社からは出ていない。光熱費は自腹。何となく理不尽な感じもするけど、家を出て猛暑のなかを通勤しなくていいのだからワガママは言わない。
そして火曜日と金曜日にはお楽しみのビールがある。5時1分に退勤ボタンを押し、5時2分には冷蔵庫から缶ビールを取り出す。これぞ在宅勤務の醍醐味。
夜は窓を閉め切るので、28℃に設定して朝までしっかりエアコンをつける。おかげでよく眠れている。食欲も落ちていない。
楽天マガジン
日経新聞電子版に続いて楽天マガジンを購読することにした。
月額418円で、1200冊以上の雑誌を閲覧することができる。バックナンバーが読めるのもうれしい。
出版社はこれで利益を得られているのだろうか。心配になる。
印刷と倉庫と流通費がコストの大部分を占めていることは想像できる。それがなければ、廉価で提供することもできないことではないだろう。それでも、一冊の雑誌を作るには取材から執筆、レイアウトまで多くの人が関わっているはず。出版に関わる人たちは皆、きちんと収入を得ているのだろうか。
1200冊読めるからといってすべてに目を通すわけではない。興味のあるジャンルの雑誌をざっと眺めても20冊くらいだろうか。
これまで、図書館でさえ開くことのなかった雑誌を覗いてみるのも楽しいかもしれない。
A3サイズで折り畳みできるタブレット端末があったら、もう言うことはない。紙の雑誌のページをめくるように読めるだろう。さらに言えば、紙のように丸めることができるとなおいい。そういうガジェットが登場する日を待っている。
妻が兼業農家の友人からゴーヤを一本もらってきた。そこで土曜日の夕飯に、ゴーヤチャンプルーを作ってみた。ゴーヤは、外では食べたことがあるけど、自分で料理するのは初めて。缶ビールを開けて、料理に取り掛かった。
材料は、ゴーヤ、豚薄切り肉、生揚げ、卵。初めてにしてはうまく出来た。
ゴーヤはよく塩もみしたおかげか、ほとんど苦味がなかった。
ご飯は炊かず、ぶっかけうどんにたっぷり大根おろしをかけた。お供に安いソーヴィニオンブラン。なかなか結構な週末の夕飯だった。
妻が出勤して、私が在宅勤務なので、最近は私が夕飯の支度をすることが多くなった。
料理は嫌いではないけど、なかなか新しいレシピには挑戦できない。
とりあえず、ゴーヤチャンプルーが定番のおかずに加わった。
日曜日、カラオケ店へ行ってみると満室。外は猛暑なので出歩きたくない。かといって家にいると平日と同じになる。そこで思いついたのが、図書館。ここならゆっくりと涼むことができる。
大判の図鑑を集めた棚の前で気が向くままに本を取り出しては眺めた。以下、その一部。
並べてみると乗り物好きということがよくわかる。動植物や自然にはほとんど興味がないことも。
乗り物の図鑑はいつまで見ていても飽きることがない。自分ではもう運転もしないのに。
今回は一冊も借りずに帰った。次回、気になる本は借りてみる。
健康診断詳報
先月受けた健康診断の結果が届いた。
全体的には去年より極端に悪くなっている項目はなかった。
心配していた通り、肝機能の数字が悪い。GOT(AST)とGPT(ALT)が良くない。γ-GTPは基準値内。
悪いといっても、営業職をしていて、接待やら出張やらで外食や深夜の食事が多かった頃に比べると格段にいい。γ-GTPは最悪直の1/4まで改善されている。
営業職を辞めたのは心にとってだけでなく、身体にとっても正解だったのかもしれない。
肝臓検査.comで脂肪肝の傾向を計算してみると中間値。詳しい検査を勧められてしまったので、近々、総合病院の受診をすすめられた。さて、どうするか。
そして、コンビニでの買い食いも止めなければ。
昨日、体の節々が痛く、風邪かなと思い、早く寝た。
9時間ぐっすり眠り起床。まず体温を測ったら38.4℃だった。
次に手持ちの抗原検査キットで調べると陽性。
今年の夏休みは自宅待機に。
ここまで感染せずに来れたのに、とても悔しい。
今日はベッドに寝転がり、ずっとテトリスをしていた。本を読む気にも、音楽を聴く気にもなれない。
解熱剤を服用したので、夕方には37.9まで熱が下がった。
症状は軽い。のどが少し痛くて、身体の節々が痛いほか、頭痛などはない。
日曜日に図書館で眺めた図鑑のなかで一番面白かった本。
著者が収集したというスパイの道具が中心だけど、興味を引いたのは数々のスパイ事件とそれに関わったスパイたちについてのコラム。第二次世界大戦から冷戦時代にかけて、本当に映画のようにスパイたちが暗躍していた。
時節柄、ローゼンバーグ事件など、原子爆弾に関するスパイ事件も目を引いた。
驚いたのは、冷戦時代、東西両陣営でスパイ機関のトップにいた二人が序文を寄せていること。
911までのスパイ事件について言及している一方、アジアでのスパイ事件については記述が少ない。日本に関連するものではゾルゲ事件のみ。
大韓航空機爆破事件や日本人拉致事件についても、もっと知りたい。
昨日は形だけ在宅勤務にしてほとんど横になっていた。
今日で発熱から3日目。3日間連続で熟睡度100%。こういうこともめずらしい。
よく眠れているということは、身体が深い眠りを必要としているということなのだろう。
気分は悪くない。体温は36.6℃。ところが抗原検査の結果はまだ陽性。
ありがたいことに諍いの少ない関係なので家庭内別居は初めての経験。
自室で食事してパソコンでテレビ番組見て、気が向いたらベッドに寝転がる。
擬似一人暮らし。一人暮らしをしたことがないので、安静必須とはいえ新鮮に感じる。
幸い、軽症。のども痛くないし、呼吸も苦しくない。なので正直ヒマを持て余している。
かといって何かをする気にもなれず、ベッドでゴロゴロしている。
あとは早く完治して、後遺症がないことを祈るだけ。
コロナになる前に図書館で借りて読んでいた本。
読み応えがあり、有益な本。
基本事項を押さえた上で、最近の研究動向を紹介している。一通り世界史を学んだことのある人には知識のアップデートになる。
本書を読みながら、私が世界史を学校や予備校で学んだ80年代と比べると、「多様性」という言葉が大きな影響力を持つようになったと思われる。「視点の多様化」と言い換えてもいい。
支配する側だけの視点から支配された側の視点、男性だけでなく女性の視点、白人だけでなく、それ以外の人種の視点、ヨーロッパだけでなく、アジアやアフリカからの視点。どの項目を読んでも、視点が多角化されていることがよくわかる。
また、単純な定式化も否定されている。AはBという理由でCになった。その図式はほかの地域に当てはまるとは限らない。地域の特性や時代背景の違いが注目されている。これも、視点の多角化の一つと見ていいだろう。
とにかく歴史学は私が学校で教わったときよりも、とても複雑になっているという印象を受けた。
一次資料からキホン研究書、インターネットで飛び交う最新の情報まで、研究者が触れることができる情報は多岐にわたり、その量も膨大で日々増加している。それらを精査したうえで研究活動に活かさなければならない現代は、便利であると同時に研究者にとっては非常に大きな負担になっているだろう。
自動翻訳や生成AIの技術はこういう分野で力を発揮できるのではないだろうか。
受験勉強で詰め込んだ知識は忘れてもいい。勉強はご飯と同じ。おなかが空いたらまた食べればいい。
かつて世界史を教わった山村良橘先生はそうと言っておられた。「勉強したくなったらまたすればいい」ということだろう。
空っぽになっていた頭に、おいしいご馳走をいただいたような読書体験だった。
さくいん:山村良橘
コロナ療養中に観た。8日に発熱して、9日に陽性判定が出た。重症ではなかったものの、10日と11日は目を閉じるといくらでも眠れる感じだった。12日も昼飯を挟んでウトウトしていた。午後になって調子がいい感じがしたので映画を一つ見ることにした。
映画鑑賞の頼りにしているYouTuber「ゆっこロードショー」で勧めされていて、アマプラからも私へのおすすめとして表示されていたので気になっていた。
期待通り、いい作品だった。おしゃれなヒューマン・ドラマ。
ロバート・デ・ニーロが壮年紳士を見事に演じていた。老いても、妻を失くしても、矜持と自信と知恵がある。こんな壮年になりたいと思わせる演技だった。
毎回変わるデ・ニーロとアン・ハサウェイの衣装も素敵だった。「ハンカチは女性が泣いたときに貸すものだ」は、『キングスマン』の『紳士の第一条件は美味いマティーニを作れること」と同じくらい、どこかで使ってみたい名セリフ。
素敵な物語であったけど、見ていて辛い場面もあった。一日中社内を駆けずり回って仕事をして、それでも終わらず帰宅してから寝る前にベッドでまた仕事。10年前の壊れかけていた自分を思い出した。
あの調子で仕事を続けて、接待もゴルフもしていたら自分の心身だけでなく、家族も失っていたかもしれない。本作を見てゾッとした。
病気で退職して非正規雇用になった私は、ベンとは真逆で、はっきり言っていじけている。プライドも自信も失くしてしまった。何か自分の拠り所になるものを見つけたい。
昨日は朝早く目が覚めたので、よくなったのかと思ったらまだ陽性。眠って映画観て、また眠って映画観て。
観たのは『明日への地図を探して』("Map of Tiny Perfect Things")と『オーシャンズ8』。前者はタイムループの青春もの。タイムループというジャンルがあること自体、初めて知った。最後のオチから作った感じがしたけど、まあまあ面白かった。
『オーシャンズ8』は、妻からのオススメで『マイ・インターン』からのアン・ハサウェイつながり。これはよかった。後半、二度三度、山場が来たので楽しかった。
二作品とも、自室隔離中に現実逃避するのに十分な娯楽作品だった。
昨夜も9時半には寝た。結婚式を挙げた教会の牧師さんの説教がYouTubeで見られるようになった。ときどき聴きながら目を閉じている。たいていは半分くらいで眠ってしまう。昨夜もそうだった。
今朝もふだんよりも1時間以上寝過ごしていた。まだ、眠れる、つまり身体は睡眠と休息を求めている。
8日に発症、9日に療養を始めた。東京都の指導に従うなら、すでに隔離推奨日数は過ぎている。どっちにしても台風なので外出はできない。もう一日、部屋でおとなしくしている。
昨日も映画を観て過ごした。『幸せなひとりぼっち』と『運命じゃない人』。
前者はスェーデンの作品。妻を失くした老人が周囲とのつながりを深めていく物語。いわゆる人情モノで涙を誘う展開ではある。正直なところ、私は楽しめなかった。
最愛の人を亡くしたために粗暴になることはわからないことではない。ただ、私は理由は何であれ、声を荒げたり、相手を罵倒する人が好きになれない。暴力シーンが激しい映画も見ないようにしている。だから、主人公には感情移入できなかった。
仕方がない。これは好みというもの。蛇足を承知で書いておく。平気な顔で子どもを殴っていた80年代の中学教員たちがどんなに好々爺になっても、私は彼らを許さない。
『運命じゃない人』はいつも通り「ゆっこロードショー」のオススメ。内田けんじ監督の作品ははじめて見た。一晩のあいだに、しかも、主人公が何も知らないあいだに起きる奇想天外な出来事。次々と予想を裏切る展開が広がり、十分に楽しめた。
作品は大ぶりなものではない。むしろ、日常生活の隅をほじるような細工が、あちこちに散りばめられている。
登場人物それぞれの視点から描く手法を「ラショウモン・アプローチ」という。本作も、その一例だろうか。
昼寝をしなかったので、夜は10時前に寝た。空咳も出なくなった。
さくいん:体罰、80年代
東京都の指針では症状がなければ5日間待機すれば通常生活に戻っていいという。
調べてみると、すでに6日間も、自室隔離をしていた。何の症状もないので隔離をやめた。昨夜の食事から二人で揃って食べるようにした。
会社の夏休みは20日まで。あと5日間。何をするか。よく考えてみる。
初日の今日は、「近くて、安くて、涼しいところ」を探して考えたところ、結局、いつもの週末と同じようにカラオケになった。11時の開店から4時まで5時間歌った。定番の曲以外に初めて中島みゆきを歌った。
「海鳴り」「世情」「断崖ー親愛なる者へー」「タクシードライバー」「まつりばやし」「ホームにて」「女なんてものに」「ノスタルジア」「肩に降る雨」「こんばんは」「りばいばる」「成人世代」ほか。
家から往復歩いた。ほぼ1週間ぶりの運動。
明日は休みらしいことをするつもり。
さくいん:中島みゆき
自室隔離中に観た映画。前々からあちこちでいい評判を聞いていたので、期待をして観た。
多くの人が絶賛することには納得した。脚本もよかった。俳優陣の演技もよかった。それでも、私自身はそれほど感動はしなかった。
なぜだろう。
作品を観ながら考えたことは、私はこれまで、誰かに自分の本心を打ち明けたことがあるだろうか、ということ。おそらく、答えはNo。
誰もがうらやむような才能はなく、だから誰からも見出されず、理解してくれる人に出会うこともなかった。自分から理解してもらおうと心を開いたこともない。
ウィルのように誰かの前で自分のすべてをさらけだしたこともない。
It's not your fault.
そういう言葉をかけられたことがない。いつも、自分が間違っているように思ってきたし、今も思っている。この問題は、かなり根が深い。
私は映画不感症かもしれない。多くの人が称賛している作品なのに、我が身に引き付けて、冷めた目で観てしまう。私の心の闇はとても深いことを思い知らされた。
わかっている。
問題は、私が誰にも"理解されていないことではなく"、友人も家族もいるのに、いつまでも誰にも理解されていないと"思い込んでいる"ところにある。
わかってはいるけど、この気持ちは本を読んでも映画を観ても変わらない。
12歳のときから55歳の今まで、この気持ちはずっと続いている。
妻の希望でマティス展へ。閉幕日が迫っていたのでかなり混んでいた。
初期はシニャックの後期印象派、次にキュビスム。ほかの画家や時代の流行に影響を受けながら、次第に自分独自のスタイルを獲得する道のりを追体験することができた。
自分のスタイルを獲得するということはほんとうにやさしいことではない。
一眼でマティスの線、マティスの赤、とわかるようなスタイルを体得するまで努力を重ねたことがよくわかった。
晩年、マティスは筆を持てなくなり、切り絵を始めた。その頃の作品で一番好きなのが「イカロス」。この絵を『身体はトラウマを記憶する』の装丁に選んだ人は、非常にセンスがいいと思う。イカロスは、理想を求めて心身ともに大きな傷を負った人だった。
帰りに西洋美術館の前庭を見た。「弓を引くヘラクレス」の影がきれいに壁に映っていた。
昼食を食べてから一番熱い時間に上野公園を歩いた。夜は息子と合流して、近所に新しくできたレストランで食べた。
息子がレコードをたくさん買っていたので驚いた。これがZ世代なのか。
金曜日は午後に美術館を歩き回り、食事も夜遅くなったのでかなり疲れていた。それでも話題作が見たくて、土曜日の朝に早起きして日比谷まで出かけた。
全身にドカンドカンと響いてくる爆音が心地よかった。こういう作品は映画館で観たい。
内容はよくわからなかった。登場人物が多く、誰が敵か味方なのかかがわからない。映画リテラシーが低いので、筋書きもよくわからなかった。それに、物語の「鍵」となる品物が一体何にを使うものなのかも謎のまま前編は終わり。謎解きは来年夏まで待たなければならない。
映画のあとは地下まで降りて久しぶりにハンバーガーを食べた。オニオンリングがはさんである珍しいビルドだった。
夏休み前半はコロナに感染して家でおとなしくしていた。後半は積極的に活動した。土曜の夜にはライブハウスに行く約束をしていた。
ランチを済ませてから夕方の約束までが辛かった。外は暑いし百貨店を歩けば疲れるし。ついにエスカレーター脇のベンチで一眠りしてしまった。浅い夢を見て寝言を言ったような記憶がある。隣の人に聴こえていただろうか。
4時半に旧知の仲と待ち合わせた。まずはイタリア料理店で腹ごなし。ビール、白ワイン、タコのマリネ、アンチョビとキャベツ、オリーブ、ゴルゴンゾーラのペンネ。
ライブハウスのステージは6時から。7時、8時と3回、ステージがある。まだ完全復活とは言えない。以前は10時過ぎまで演奏していた。
時間は短くとも手を抜くことはない。素晴らしい演奏と歌を聴かせてくれた。
ボーカルの岡部ともみさんは、一時期バンドを離れていたことがあった。その「卒業」の際して、加瀬邦彦さんが岡部ともみさんのためにオリジナル曲を作った。その曲、「遅すぎた夏」を今回久しぶりに聴いた。
今はもういない、加瀬さんや上田司さんを思い出して、またしても涙をこぼしてしまった。
ほかには「さよなら夏の日」(山下達郎)や「人生の扉」(竹内まりや)がよかった。
最近、この店に来ると必ずカツサンドを食べる。これがとても美味しい。忘れないように書いておく。
この日はさすがにヘトヘトに疲れて、帰宅すると倒れ込むようにして眠った。これで今年の夏休みは終わり。前半は棒に振ったけれど、後半は充実していた。来週、おまけのイベントが一つ、残っている。
さくいん:ケネディハウス銀座、山下達郎、竹内まりや
こどもの権利条約
X(旧Twitter)で法務省人権擁護局からこどもの権利条約についての投稿が流れてきた。
第19条には次のように書いてある。
1. 締約国は、児童が父母、法定保護者又は児童を監護する他の者による監護を受けている間において、あらゆる形態の身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取(性的虐待を含む。)からその児童を保護するためすべての適当な立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる。
40年前の中学校では、本来、子どもを守るべき立場にある教員たちが、建前上「体罰」という教育的名目で子どもに暴力をふるっていた。
40年前に戻って、「こどもの権利条約」を当時の暴力教員たちに見せてやりたい。彼らはどんな反応を示すだろう。
案外、「それはそれ、現場は現場」と居直るかもしれない。実際、いまでも体罰は学校や部活動から根絶されていない。
法務省のウェブサイトには、体罰について次のように書いている。
教育職員による体罰については、「学校教育法」第11条ただし書で明確に禁止されているところですが、体罰による人権侵犯事件は依然として後を絶たない状況にあります。
体罰は、児童・生徒の心身に深刻な悪影響を与え、力による解決の志向を助長し、いじめや暴力行為等の土壌を生むおそれがあります。いかなる場合でも体罰は決して許されません。
法で定められていても根絶されない原因はどこにあるのだろう。
幸い、私の子どもたちはひどい暴力や校則に会わずに学校生活を終えた。
いま、私にとっての問題は、自分の子どもを暴力から守ることではない。自分を守ることのできなかった40年前の自分自身とどう向き合うか。その記憶をどう理解するか、という点にある。一言で言えば、「過去と和解できるか」ということ。
さくいん:体罰
図書館で借りてみた漢詩の本がとてもよかったので、手元に置くために名詩選の文庫本を一冊買ってみた。本書は時代ごとにまとめられた三部作。まず王維・李白・杜甫が掲載されている中巻を買った。
はしがきに日本では訓読ができるために、かえって原文の持っているニュアンスを取り逃す危険があると指摘している。原文の意をよく理解するために、本書では、原文、訓読(読み下し文)、注釈、日本語訳が添えられた非常に丁寧な構成になっている。
夜、寝る前に小さな声でいくつか朗読している。眠りを誘う静かな気持ちになる。
中国本土へは一度、旅したことがある。上海、南京、香港、北京を回った。汽車と飛行機でも広大さを感じた。1400年前の旅や転居の苦労は想像もできない。まして、胸にしまった都落ちの悔恨までは。
李白を読んでいると酒を呑みたくなってくる。それも朝から、壮大な風景を眺めながら。『ルバイヤート』を読んだときにもそんな気持ちになった。
調べてみると、昔の酒は現代に出回っている酒よりもずっとアルコール度が低く、しかも、語り合い、詩を吟じ合いしながら時間をかけて呑んでいた。だから一日中呑むことができたらしい。
現代の強い酒を李白の調子で呑んでは、百薬の長どころか毒にしかならない。ただでさえ肝機能に黄色信号が点灯している今、それは肝に銘じなければならない。
さくいん:中国
ジャカード織機からモトローラの携帯電話まで50の発明品を詳しく紹介する。
興味を引いたのはサターン5型ロケットと携帯電話。コンピュータについてはこれまでいろいろな本で読んできた。
サターン5型ロケットは高さが111メートルもある。これだけの大きさの機体を地球の引力外へ飛ばし、月まで行った。しかも50年以上も前に。宇宙開発競争で先を進んでいたソ連に勝つというアメリカの強い野心が感じられる。
技術は発明家のひらめきだけではなく、政治家の野心によっても進歩するという好例。
携帯電話の歴史は自分自身が進歩を実感してきたので、その第一号機にも興味を持った。1996年に発表されたモトローラ・スタータックは初めての折りたたみ式の携帯電話で通話とテキスト通信ができた。
1996年といえば、私が大学院を修了して、第二新卒として米系のハイテクメーカーの日本支社に就職した年。上司だけ車載型の携帯電話を持っていた。それからの進歩はあっという間だった。
1999年には私も携帯電話を持つようになり、2000年には、液晶画面がカラーになった。サイズは手のひらに収まるほど小さくなっていた。
そして2009年、私は、すでに登場していたスマートフォンに新たな機能を加える半導体を製造するベンチャー企業に転職した。この製品の量産は難産だった。こんなに量産が難しい製品が、大量生産のコンスーマー製品に搭載できるのか、半信半疑の人も社内にさえ少なくなかった。
果たして製品は量産化に成功し、そのあとも、高性能化とサイズダウンを繰り返して現在に至っている。
この会社では、「絶対に成功させる」というベンチャー精神の真髄を見た気がした。あのモーレツ社長が量産化をあきらめていたら、スマートフォンの進歩は数年遅れていただろう。
さくいん:アメリカ合衆国
70年代アニメの初回を見る
最近、YouTubeで子どもの頃に見た70年代のアニメ作品の第1回を見ている。制作会社がコンテンツ販売の宣伝のために初回だけを無料で見せているということらしい。
見た作品は、『マジンガーZ』『バビル2世』『勇者ライディーン』『マシンハヤブサ』『グランプリの鷹』『UFOロボ・グレンタイザー』『ダンガードA』『ガッチャマン』など。
どれも主題歌やロボットのデザインは覚えている。不思議なのは、ストーリーをまったくというほど覚えていないこと。
ストーリーだけではない。第一回で説明される設定も覚えていないものが多い。あれほど熱心に見ていたのに、なぜだろう。
主題歌やロボットなど、作品の雰囲気だけを楽しんでいたということだろうか。主人公の顔も似たり寄ったりで覚えている方が少ない。
よく覚えている作品もある。『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』。どちらの作品も映画でも見たからストーリーや設定をよく覚えているのかもしれない。
どの作品を見ても、視聴者を引きつけるために、初回は作品全体の設定を駆け足で説明していくので、かなり強引な展開が多い。突拍子もない設定なので、2回目以降もみようという気にはあまりならない。映像付きの主題歌を聴けばたいてい満足する。
それでもあの頃は喜んで見ていた。問題は作品の方でなく、私に方にあったのではないか。つまり、私は物語にあまり興味を持たず、音楽と機械にばかり興味を持つ子どもだったのかもしれない。
その傾向は、今も変わっていない。テレビで歌番組は見ても、ドラマはほとんど見ない。新書やエッセイ、図鑑は読んでも、小説はほとんど読まない。
さくいん:70年代、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』
昨日、頼まれごとがあり2ヶ月ぶりに出社した。用事はすぐにすんでしまった。ほかにすることもないのでしばらく仕事をしてるフリをしていた。いつまでもそうしていられないので、午後を休みにして週末の始まりを前倒した。
まずは駅ビルのレストランでビールとチーズバーガー。金曜日のランチ・ビールはうまい。
帰るには早いので、途中下車をしてウィンドーショッピングをした。見たのは、ブレザーとトートバッグ。
ブレザーは、結婚30年の記念に去年買うはずだったのが延び延びになっている。9月にセミオーダーのキャンペーンでポイントが倍増するのでこれを機会に買うつもり。昨日は初めての下見。希望のデザインを伝えて既製服からの追加料金を聞いてみた。
私の希望はもう既製服では見かけないクラシックなデザイン。三つボタン、段返り。パッチポケット、センターベント、ボタンは、金色のブレザーをすでに持っているので、ふだん着やすいように銀色にする。
尋ねてみるとそれほど追加料金はかからない様子。次回、百貨店に行ったときに発注する予定。
トートバッグはビジネス・プライベート兼用を探している。今持っているバッグは宿泊出張用に買ったもので大きすぎる。実家に帰るときにも使えるカジュアルなデザインでいて、パソコンも入れられるしっかりした鞄を探している。今回、いい感じの製品を見つけた。クリスマスまでにお金が貯められたら買うつもり。
『スキップとローファー』、第9巻を買い、東京駅を眺められるビルのベンチで読んでから帰宅した。
出社して、居心地が悪いのはいつもの通り。でも昨日は会社で唯一雑談をできる人が話しかけてくれたので少し緊張が緩んだ。
真夏のブルーベリー狩り。今回で3回目。我が家から歩いて5分ほどのところにある畑まで家族4人で出かけた。
子どもたちは独立したので、こうして4人揃うことも珍しくなった。たぶん5月に私の誕生会で集まって以来。
着いたときには曇っていてちょうどいいくらいだったのが、摘みはじめると雲がなくなり、8月の日差しが降り注いできた。こうなるともう30分でヘロヘロ。これ以上外にいるのは危険なので早々に終わらせた。それでも各自パックに山盛り摘んだ。
ブルーベリー狩りのあとはそば屋で暑気払い。3年連続で同じ店。美味しいそばと気ままなおしゃべりを楽しんだ。
二人とも会社生活に大きな問題はなく、週末は自由に楽しんでいる様子。安心した。
夜、久しぶりに賑やかになったリビングも静かな部屋に戻った。二人で少ししんみりしながらブルーベリーを食べた。
さくいん:HOME(家族)
現在、武蔵野中央公園になっている場所は第二次大戦中、中島飛行機の巨大工場だった。そのため空襲の標的となり、工場だけでなく周辺の民家にも被害が出た。
戦後は接収され一時期、米軍住宅となっていた。今回、当時の宅地内の様子を初めて写真で見た。そこで暮らしていた人のインタビューも動画で見ることができた。
住宅のほか、スーパーマーケット、映画館、図書館、将校用クラブなどがあったという。住んでいた人は「とても快適だった」と回想していた。
塀一枚を隔てて、そこは完全にアメリカだった。外では食うや食わずの人が多い時代に、まるごと豊かなアメリカの生活を持ち込んだ宅地の様子に驚いた。当時の日米の国力の差をあらためて感じた。
この日は朝から歩いた。ふるさと歴史館まで往復17,000歩。途中で生ビールを2杯呑み、ラーメンと餃子を食べた。
帰宅するとヘトヘトになっていたので、1時間ほど昼寝した。
さくいん:中島飛行機
8巻まで出ていた『スキップとローファー』の最新巻。
8巻は新しい登場人物が出てきたり、美都未と聡介の関係ももつれたままで不安定な印象が残った。9巻は再び先々が楽しみになる展開になった。
とくに面白かったのは、フミと聡介が会話する場面。この二人が会話することになるとは最初の頃には想像もできなかった。
それにしても聡介は不器用な性格をしている。幼い頃に守られなかったことと、イケメンでいつもモテるから、自分から人を積極的に好きになったことがないせいだろう。
ところで、9巻に出てくるようなグループ交際を高校時代にしたことがある。でも、長くは続かなかった。理由は、男の子が皆、同じ女の子を好きになったから。その女の子は困って戸惑うし、ほかの女の子たちは面白くないし、結局、空中分解した。
私もその子が気になっていて、何度か二人で出かけたりもした。でも、「好き」とも「付き合いたい」とも言えず、向こうからもそういうそぶりはなく、関係が深まることはなかった。思いを素直に言葉にできない。そういう意味では私も不器用だった。
そんな遠い昔のことをふと思い出した。
さくいん:高松美咲
X(旧Twitter)でフォローしている先生の著書。
健康診断で肝機能に黄信号が灯った。何か手を打たなければならない。
本を読んでみると、書いてあることのおおかたはすでに実践している。主食(炭水化物)を減らす、野菜を増やす、超加工食品を摂りすぎない、などなど。ほかにできることはもうないような気がする。
手をつけられていないのはお酒。ただ、これも営業職時代に比べればかなり減っているし、肝機能の数値もその頃ほど悪くはない。
では、どうするか。週末、金曜日と土曜日にフルボトル1本ずつ呑んでいるワインをハーフボトルにしてみる。これでどうだろう。
しばらくこれで様子を見る。
テレビで絵本作家、八島太郎を特集していた。子どもが小さい頃、『からすたろう』をよく読み聞かせた。太平洋戦争中に米国に亡命したという決断に興味を持ち、評伝も読んだ。
番組では『からすたろう』を軸に八島の生涯を後づけていった。『あまがさ』に登場するモモのモデルになった娘さんのインタビューで八島の勝気な性分がわかった。
知らなかったことが二つ。一つは、『からすたろう』の日本語出版に末盛千枝子が関わっていたこと。もう一つは、八島が戦後、故郷の鹿児島で活動することを模索していたこと。
しかし、米国の軍属だった八島に対して地元の人は必ずしも好意的ではなかった。帰国を断念して、八島は米国で生涯を終えた。
番組では、ロサンゼルスの図書館に、今も『からすたろう』が置かれていることを紹介していた。よい絵本は100年読み継がれるという。八島の作品もずっと読み継がれてほしい。
さくいん:NHK(テレビ)、八島太郎、ロサンゼルス