井の頭公園の噴水
7/1/2023/SAT
4-6月のアクセス解析
4-6月のアクセス解析

ランキングに変化なし。月平均のアクセス数は1300。

毎日書いている箱庭(ブログ)の読者が10人程度というのは少しさびしい。

ただ、10人程度の固定読者がいるようにも見える。それならば、十分にうれしい。


7/2/2023/SUN
ボートのいない井の頭公園
井の頭公園

先週の日曜日。土曜日に続いて長い散歩に出た。井の頭公園まで歩き、一周して帰宅。11,000歩。

井の頭公園はいまボート施設の修理をしている。そのため、池には休日というのにボートは一隻もいない。

写真を撮ってみたら、偶然、ボートも人もいない静かな公園の景色が撮れた。

帰り道、ふと思いついて、玉ねぎを買い込み、帰宅してから炒めはじめた。

火曜日の晩御飯はカレーライスにした。


7/3/2023/MON
サムライのおしゃれ―印籠・刀装具・風俗画―、静嘉堂文庫美術館、東京都千代田区
静嘉堂文庫美術館の立て看板

先週末は横浜へ帰省していた。土曜日は母を連れて雨のなか丸の内へ。

展示では漆や螺鈿の細工を凝らした印籠より根付に目を奪われた。蛙、河童、狼、象など動物だけでもさまざまな趣向があり、見ていて楽しかった。

印籠や根付は江戸時代に「おしゃれ」の道具になったという。戦のない時代が来て、侍の戦士から役人へ仕事が変わった。刀の柄や鞘も装飾性が高まったらしい。

実際のところ、天下泰平の時代、武士は刀を抜く機会があったのだろうか。剣術の腕前はどの程度のものだったのだろう。毎日のように人を斬っていた戦国時代ほどは殺気のある者はいなかっただろう。

仕事の中身は官僚的で性質として知識階級であっても、形式的であれ帯刀している武士は、本質的には戦士であり、中国の知識階級である士大夫とは根本的に存在の仕方が違う。大学院にいたころ、日本政治思想史の教授が語っていたことを思い出した。

雛人形の展覧会のときより人が少なかったので、この美術館の目玉である曜変天目茶碗もゆっくり見ることができた。

ランチはインドカレー。雨が降り続いていたので地下街を通って丸善へ。短大時代、毎日、神保町の書店を見て下校していたという母は、今の住まいの近くに本屋がないことをいつも嘆いている。しばらく店内を歩きまわってから、『文庫で読む100年の文学』(中公文庫)を買っていた。

私は、いつものように数えきれない本の数にすこし酔いながらも、『論点・西洋史学』(ミネルヴァ書房)カーリルで地元の図書館にあることを確認して何も買わなかった。

立ち読みのあとは喫茶店で一休み。マンゴーワッフルを食べてから帰宅した。


7/4/2023/TUE
憧れを超えた侍たち-世界一への記録-、三木慎太郎監督・撮影、窪田等ナレーション、J SPORTS・NPBエンタープライズ制作、2023
『憧れを超えた侍たち』

Amazon Primeで鑑賞。オリンピックで金メダルを取ったことも知らず、ふだんは野球を見ない私も、WBCはほぼ全試合、テレビ中継で見た。

優勝までの道のりの表側は知っていたものの、カメラが写していた裏舞台は知らないことが多かった。指を負傷しながらも出場し続けた源田の決意や、 ホームランを打たれてしまった佐々木の悔しい表情、ベンチを盛り上げる大谷の姿など。

選手選考会に集まっているスタッフの数にも驚いた。コーチが何人もいることは知っていたけれど、あんなに多くの人が関わっているとは思わなかった。

監督は、現場で指揮を取ることはもちろん、大勢のスタッフを的確に配置して、それぞれの役割を十分に果たしてもらうよう配慮しなければならない。思っていた以上にたいへんそうな仕事だった。

各選手は「代表の一人」ではなく、選手はそれぞれ「日本を代表している」

栗山監督のこのメッセージが選手一人一人にきちんと伝わっていたことが、今回の結果をもたらした。映像を見ながらそういう感想を持った。

「プロ野球の監督は選手を育てるのが仕事、ジャパンの監督の仕事は預かった各チームの宝をケガさせないようにしながら、十分に実力を発揮してもらうこと」。この言葉もとても強く記憶に残った。

大谷翔平は、MVPに輝いたWBCの高揚感がいまなお続いているかのように超人的な活躍を続けている。今年の夏は大谷から目が離せない。


7/5/2023/WED
日経、電子のバーン!

紙の新聞が大幅に値上がりしたので、ついに電子版に切り替えた。

最初見づらいかなと心配していたけれど、紙面をそのまま見られるビューワーと横書きの電子版を併用すると思ったほど使い勝手は悪くない。

まず紙の新聞そのままのビューワーで見出しをチェック。それから気になる記事を電子版で読む。ビューワーも、記事をタップするとそこだけ拡大されるのでそのまま読むこともある。

連載中の朝井リョウの小説は、電子版では横書きになっている。縦書きを読むときと何か雰囲気が違う。小説やエッセイやビューワーで縦書きのまま読みたい。

部屋の隅に積まれていく古新聞がなくなったこともうれしいし、不要な折込チラシがなくなったこともありがたい。

残る心配は、新聞やチラシと一緒に宅配されていた自治体の広報のこと。どうやら新聞の宅配をやめると広報も来なくなるらしい。

自治体のホームページへ行くと電子版が見られる。見られるには見られるけれど、新聞のビューワーほど使いやすくない。

広報には意外に大事なお知らせや面白い催しの案内が掲載されている。これは困った。


さくいん:日経新聞


7/6/2023/THU
熟睡
SleepCycle

昨夜は久しぶりによく眠れた。

ここのところ快眠度はずっと60%以下だった。10時に寝て、2時間ごとに目が覚め、4時に覚めたあとは眠れない。そういう夜が続いていた。

夜が眠れない分、昼間に眠くなり、昼休みに数十分眠ることも多かった。

昨夜は雨で気温が低かったせいもあるだろう。

目覚めがよかったので、小雨のなか、公園まで散歩をしてきた。これもとても久しぶりのこと。


7/7/2023/FRI
健康診断まであと1週間

来週の金曜日、健康診断を受ける。

体重が減っていない。ご飯を減らして納豆を多めに食べたり、昼は野菜だけにしたり、あれこれ工夫をしているつもりでも、一向に体重が減らない。

体重が減らないだけでなく、腹囲も縮んでいない。むしろ太っているかもしれない。

最近はスクワットやジャンプなど有酸素運動も増やしている。それでも変わらない。

残業も接待もなくなり、遅い夕食や外食は減った。それでも痩せない。

去年はギリギリメタボを免れた。

今年はまたメタボ診断に引っかかってしまうかもしれない。

前日は断食するつもりだけど、そんな付け焼き刃で逃げ切れるか。


7/8/2023/SAT
Twitterとの付き合い方

Twitterの仕様が変更されて閲覧数に上限が設けられたらしい。そこまで見ていないのか、私はまだエラー表示を見ていない。

Twitter社の方針が頻繁に変わるので、嫌気がさしてほかのSNSに移る人も出てきた。

さて、私はどうするか。

当面はいまのまま使っていく。もともとTwitterは発信より受信、つまり情報収集のために使っている。面白い本や音楽、展覧会やテレビ番組の案内など、新聞とテレビでは拾えない情報には重宝している。

一般の人が減っても、美術館・博物館などはすぐにほかへ移転することはないだろう。そういう貴重な情報源がなくならないかぎり、私はTwitterをやめない。

私からの発信はきれいな景色や草花の写真に「いいね」がつくことが多い。メッセージや主張はあまり期待されていない。そもそもフォロワー数がとても少ない。発信したところで届く範囲は狭い。

基本的にTwitterで発信したことは、後でここに、つまり『庭』に推敲をしたうえで書いている。私の発信地は『烏兎の庭』が本店。Twitterは駅前の看板に過ぎない。


7/9/2023/SUN
古代ローマ ごくふつうの50人の歴史 ―無名の人々の暮らしの物語、河島思朗、さくら舎、2023
『古代ローマ ごくふつうの50人の歴史』

墓碑やポンペイの遺跡を手がかりに古代ローマ人たちの暮らしぶりを紹介する。

一つ一つの章が短いので読みやすい。読んでいると古代ローマの街をぶらぶら散策しているような気持ちになる。もっとも、私はローマどころか、イタリアにも行ったことさえない。あくまでも想像の散策。

人々の暮らしぶりからローマの社会や産業もわかってくる。

紹介される人たちに親近感がわくのは、一人一人が名前とともに紹介されているところにある。奴隷にも名前がある。日本では勅撰和歌集でも何某女(むすめ)と呼んでその人固有の名前が残されていないことがある。文字では残されてなくても、親しい間柄では愛称で呼ばれていたのだろうか。

しばらく読み進めていくと、古代ローマでも事情は同じであったことがわかった。奴隷は家族名を持たず、女性は個人名を持たない。奴隷は解放されたとき、主人の家族名をもらう。女性の奴隷は主人の家族名を女性形にした名前をつける。自由に名前をつけることができたわけではなかった。それでも、「一人に一つずつ」名前があった。

名前について、ずっと前にこう書いたことがある

名前を知ったり、何気ない逸話を聞いたりして、顔も知らない昔の人物が急に身近に感じることがある。そうなると博物館に置かれた人形も、ただの人形にはみえなくなってくる。名前を知ることは、その人を知りはじめること。というよりも、名前を知るとき、もうその人を「知っている」ことになる。

もし本書が「ある通りに暮らしていたある男は」と書き出していたら、これほど古代ローマ世界は生き生きと浮かんではこなかっただろう。

小説『背教者ユリアヌス』(辻邦生)も、古代ローマの人たちを生き生きと描いていた。小説も、登場人物に名前があるから臨場感が高まる。

トーハクのポンペイ展に行かなかったことが悔やまれる。

あとがきに、『CATHOLICA カトリック表象大全』の監修者、金沢百枝の名前があった。気に入った本と気に入った本がつながった。本のつながりは楽しい


さくいん:名前


7/10/2023/MON
娘さんへお届けものです

土曜日は忙しい一日だった。まずは月イチの診察。

毎年6月は調子が悪い。前はひどいうつ状態になることもあった。今年は急激な落ち込みはなかった。とはいえ好調でもなく、ぼんやりしている時間が多かった。読みたいと思って図書館で借りてきた本も読み出す気力がなく、そのまま返却することもあった。S先生の回答。

うつ病の回復期の最終段階にはそういう状態になることが多い。ここからまだ長いので焦らないで。

中井久夫も、統合失調症の回復過程について、下山するときが怪我をしやすいので焦らず慎重に歩を進めることを説いていた。

7月に入ってから気分が少し軽くなった。本も読み出したし、長いあいだサボっていた朝の散歩も再開した。低空安定飛行は悪い状態ではないと言われたけれど、少しでも上昇気分を味わいたい。

薬局で薬をもらってから電車を乗り継ぎ、4月から一人暮らしを始めた娘の部屋を訪ねた。目的はパソコン用の液晶モニターを届けること。実は、朝からモニターをiMacの箱に入れて病院まで運んでいた。

娘は会社の寮で暮らしている。女子寮だけど、家族は部屋に入っていいというのでちょっと覗いてみた。古い建物と聞いていたけど、思っていたより中は清潔な感じがした。ただ、共有部分には古さを感じた。お金を貯めて部屋を借りるのが当面の目標らしい。

モニターを届けるという任務は完了したので、女子寮に長居するのはやめて、行きは荷物のためにタクシーに乗った道を歩いて駅まで戻った。暑かった。娘も朝夕、この道を汗をかきながら歩いていると思うと少し気の毒になった。

昼食は駅のベンチでサンドイッチを食べた。地元に戻り、午後はカラオケ。3時間歌った。

「メロウ」はやっぱりうまく歌えなかった。

夕食は、妻が職場の懇親会に出かけたので、一人で『スキップとローファー』を第一話から見返しながら、カンパチを肴にワインを呑んだ。

ほろ酔い気分のなかで、「高校生やり直したい」と思った。


さくいん:うつ病S先生


7/11/2023/TUE
個人制作のウェブサイトについて

SNSには流行り廃りがある。私がネット上で文章を書きはじめた20年ほど前にはブログが流行っていた。ほかのブログにコメントをつけたり、引用したりできるトラックバックという機能がもてはやされていた。同じ頃、個人制作のウェブサイトも多かった。

その頃は、本の感想を書いたブログやウェブサイトをよく見ていた。気に入ったサイトを集めてリンク集を作ったこともある。

かつては読んだ本の著者に感想をメールで送ったりもしていたけれど、いまはしていない。ネット人口が増えたため、昔のように気軽に感想を送ることも憚られるようになった。Twitterでも、本の感想を相手のアカウントに気軽に書き込んだりする雰囲気はもうない。

前はよく見ていたウェブサイトも、今では、ほとんどが更新を止めているし、サイト自体が存在していないものも少なくない。とても残念。更新は止めてもサイトは残してほしい。読み返したいときもあるから。

みんな、どこへ行ってしまったのだろう。TwitterやInstagramを使っているのだろうか。

最近では、長文を書く人のあいだではマネタイズできるnoteも人気がある。

ほかの人たちが発信する媒体を流行に合わせて変えていっても、個人制作のウェブサイトが減っていっても、私はここを離れない。たとえ大河の一滴であっても、自作したウェブサイトから発信しつづける。

はてなダイアリー(現在ははてなブログ)も10年前はよく閲覧していた。自分では長文を書いているのに、最近はほかの人が長文を書いているサイトはほとんど見ていない。


7/12/2023/WED
名詞的自由と副詞的自由(何か見た)

ずっと昔、「文芸の哲学的基礎」(夏目漱石)の感想で、自由は名詞的ではなく、副詞的なものであり、そうでなければならないと書いた。

もう少し一般的な表現をすれば、自由とは、名詞的概念でも形容詞的概念でもなく、副詞的概念ということ。自由は手に入れるものではない。自由な身分にいるだけでは、自由ではない。自由に振舞うとき、はじめて人は自由になる。

最近、少し考えを改めた。自由に振る舞うことは大切であるにしても、それができるのは「自由であること」、つまり名詞的自由を獲得しているから。そう考えるようになった。

「名詞的自由」をないがしろにしたまま「副詞的自由」を謳歌しても、それは自由な振る舞いとはならない。

自由に振る舞っているように見えて、実際には現状追認であったりして、名詞的自由を抑圧していることになっているかもしれない。

多くの先人たちが「自由であること」を獲得するために格闘し、努力してきた。私がいま「自由に」書くことができるのはそのおかげ。その歴史を忘れてはならない。

何らの政治的メッセージもなく「自由に」歌うことは素晴らしい。でも「自由を」歌った先人たちを見下すようなことがあってはならない。


さくいん:夏目漱石


7/13/2023/THU
身体のコンプレックスについて

幸い、髪はまだ薄くない。白髪も少ない。同世代では珍しく幸運なことと最近気づいた。

父はおでこが広かった。髪は、ほぼ頭頂部から生えはじめていた。それも30代から。その代わり、ずっと風貌が変わらなかった。

幼児の私をあやしている写真から、遺影に使った80代の写真まで、頭部の印象にほとんど変化がない。それはそれでうらやましい。

せっかく在宅勤務をしているし、髪がふさふさしているうちに気分を変えて染めてみたいと思うことがある。でも、その勇気がなかなか持てない。

考えてみると、身体的なコンプレックスはあまりない。背は高くないけど極端に低いわけではない。太り過ぎでも痩せすぎでもない。いわゆる中肉中背。あるとすれば小学二年生でかけたメガネ。でも、それでいじめられたり、からかわれたりした記憶はない。

近視が強いことにずっとコンプレックスを感じていた。牛乳瓶の底のようなメガネをかけていたから。コンタクトレンズにしたこともあったけど、体質に合わないのか、目が赤くなるので止めた。最近は、度が強くても薄いレンズがあるのでメガネでもそれほど目立たない。

いま、身体のことで一番気にしているのはおなかまわり。服を着ていれば目立たないけどかなりぽっこりしている。あれこれ対策はしているけど目にみえる改善はない。

明日は健康診断。腹囲を計るのが怖い。

とりあえず、昼食にサラダを食べてから、明朝まで何も食べないままでいるつもり。大人になってこんな一夜漬けをすることになるとは思ってもみなかった。


7/14/2023/FRI
健康診断(速報)

BMIはセーフ。ただし、腹囲はやや悪化。血圧は基準値内。

ギリギリ不合格ではなかったという感じ。メタボ予備軍であることに変わりはなかった。

お酒も炭水化物も揚げ物も減らしているのに、どうして痩せないのか。

何か対策を打たねばならない。


7/15/2023/SAT
行き当たりばったり

行き当たりばったりの職業人生だった。

  1. 修士課程のあと進学も留学もできず就職
  2. 誘われて転職
  3. 倒産して転職
  4. レイオフされて転職
  5. うつ病を理由に勧告されて退職
  6. 半年の就職活動のあと、内定をもらえた唯一の会社に再就職

芯が通ってない。一貫性がない。自分の性質で一番嫌いなところ。

16年間、営業職一筋だった。それも望んだ結果ではない。最初に就職活動をしたときに、人事コンサルタントに「二十代で営業職を経験しておけばあとでツブシがきく」と言われたからそれに従っただけ。米系企業の日本支社という営業部門しかない会社を転々としたから転職するときに営業職以外の選択肢もなかった。

営業職だからこそ、収入増の転職ができた。その点では人事コンサルタントは正しかった。でも、営業職は好きではなかった。向いているとも思えなかった。

人をおだてる接待は苦手だし、ゴルフにはまったく興味がわかない。友人や同僚からも面と向かって「お前は営業に向いていない」と言われたことも、一度や二度ではない。それでも、それしかないから続けた。

どんな職種なら向いているのか。もうわからない。いまは、正確さを求められる事務職をしているけど、これもミスばかりしていて向いているとは思えない。

結論として、収入面では恵まれていたとはいえ、キャリアとしては職業人生は失敗だったと思う。病気で終わるキャリアなんて一番格好が悪い。

この先、あと10年。いまの会社にしがみつくつもり。昇給がないのは承知の上。負荷も今以上に重くなることもないだろう。

それは芯が通っているとは言わない。行き当たりばったりのなれの果てでしかない。


さくいん:労働うつ病


7/16/2023/SUN
スキップとローファー、1-8巻、高松美咲、講談社、2019 - 2023
スキップとローファー スキップとローファー スキップとローファー スキップとローファー スキップとローファー スキップとローファー スキップとローファー スキップとローファー

アニメがとても面白かったので、思い切って原作をまとめて買った。

期待に違わず、とても面白かった。あらためてアニメ版がよくできていると感心した。声優陣も登場人物によく合っている。アニメ版を先に見たので原作を読んでも声優の声が聴こえてくる。

アニメ版でとくに好きなのは髪の毛が揺れる場面。心理描写に奥行きを与えている。たとえば、すれ違いを仲直りするときに、聡介が思わず美津未の腕をつかむ場面。揺れる髪が、そのあとに続く美津未の心境の変化を先取りしている。

アニメは美津未と聡介の二人の関係が中心になっている。原作ではほかの登場人物のエピソードや内面も詳しく描かれている。高校時代を思い出しながらうなずくことが多い。どういう自分を押し出していきたいのか、悩み迷った挙句にセルフ・プロデュースに失敗して孤立した中学・高校時代を思い出す。聡介は悩みもあるはずなのに、余裕があって達観している。あんな風に振る舞える高校生はなかなかいないだろう。少なくとも私は、勉強についても、人間関係についても、それから恋愛についても、ずっとずっと空回りしていた。

アニメ化されていない6巻以降、話は少し複雑になる。進級してクラス替えで仲良しだったグループが別々になったり、新しい登場人物が出てきたり。聡介に対する美津未の気持ちも、二人の関係も大きく変化する。

一読したとき、8巻の終わり方は、中途半端でモヤモヤした。何度か読み返してみて、こういう展開もよくあることかもしれない、と思い直した。これから二人の関係がどう変化していくのか、先が楽しみになってきた。

美津未は、いわゆる天然ではない。頭がよくて、人間関係に繊細で、いつも心配ばかりしている。その性格に惹かれるのだろう。この人物像は非常にユニークで面白い。

細かいところではミカとナオちゃんの関係も気になる。あんな風にアドバイスしてくれる、親でも親族でもない大人にはなかなか出会えるものではない。


さくいん:高松美咲


7/17/2023/MON
睡眠導入番組

最近、夜、寝るときにNHK高校講座を聴いている。科目は歴史や古典。

高校時代に学校や予備校で習っても忘れていることが多いので、大いに勉強になる。とくに日本史は高校時代に選択しなかったのでためになる。

一番組の長さが20分なので、寝入りばなに聴くにもちょうどよい。昨日は「荘子」を聴きはじめて、本題に入る前に眠りに落ちてしまった。

番組のおかげで寝入りに困ることはなくなった。そのあと、冷房をつけていても2、3時間ごとに目が覚めてしまう。やはり昼間の運動が足りないのだろうか。

小説の朗読も探している。なかなかいいポッドキャストが見つからない。


7/18/2023/TUE
ずっとそばに、原田知世、松任谷由実作詞作曲、キャニオン、1983
「時をかける少女」シングル、ジャケット

シングル「時をかける少女」のB面。CDのベスト盤に入っていないのでずっと探していたところ、YouTubeで見つけた。

作詞作曲した松任谷由実も、アルバム『REINCARNATION』でセルフ・カバーしている。私は原田知世のバージョンの方が好き。

この曲をよく聴いていたのは、1983年の夏、ちょうど今ごろの季節。中学三年生。部屋の壁にはシングル盤を買ったときにもらった原田知世の特大ポスターを貼っていた。

原田知世を好きになった理由はちょっと変わっている。顔でも声でもない。それはあとで好きになった。彼女を好きになったのは、彼女の誕生日が11月28日だったから。

この日は思春期の思い出深い一日の一つ。だからこの日を『烏兎の庭』の開園日にした。

この歌は、原田知世のなかで一番好きな曲。歌詞もいい


さくいん:原田知世松任谷由実


7/19/2023/WED
ヒエログリフのアルファベット
ヒエログリフのアルファベット

両親がナイル川クルーズへ行ったときの土産。ヒエログリフのアルフベットが刺繍してあるTシャツ。もう一つ、私の名前が刺繍してあるシャツもある。

もらったのは2011年2月。もう12年経っている。父は亡くなった。初めはよそゆきに来ていたシャツも今ではパジャマの一着に格下げされている。だいぶくたびれている。

このままだと処分する日も近いので刺繍部分を写真に収めた。

完全に引退してから、父はヒマがあればすぐに旅行へ行っていた。イタリアがお気に入りで何度も行っていた。客船でのクルーズにもよく行っていた

お前たちには何も残さんぞ

そう言った通り、亡くなったとき、相続するものは何も残っていなかった。

父がたくさん旅行したのは、長いあいだ単身赴任をしていて母に苦労をかけたので、その罪滅ぼしではなかっただろうか。ふと、そんなふうに考えたりする。

子どもたちが思春期のあいだ、父はほとんど家にいなかった。そういう父親にはなりたくなかった。


さくいん:HOME(家族)


7/20/2023/THU
うれしい誤解

試用期間が終わり、少しずつ残業も始めたという娘がふと口にした。

父さんが残業で遅く帰ってきた記憶はあまりないな

いつも家族で夕食を囲んでいた記憶が強いという。これはうれしい誤解だった。

確かに残業はしていなかった。早く帰宅して家族で夕食を食べた日も多かった。

でも残業をしていなかったわけではない。家族が寝静まってから客先や米国本社へたくさんメールを書いていた。

子どもたちが10代の頃、家族と過ごす時間を最優先にして働いていた。それがほんとうにできていたかどうか、私には自信がなかった。

「父親は家にいる時間が長かった」という記憶が娘のなかに残っているとしたら、それは望外のよろこび。


さくいん:HOME(家族)労働


7/21/2023/FRI
文体(スタイル)について
下書き

どんな文体で書くか、それは書き手の自由。今の風潮に合わせ流行り言葉を拾うもよし、書き手が「伝統」と思う古い言い回しをそれがたとえ廃れはじめていてもあえて書くもよし。そこに決まりはない。

ただ、自分が書く文体(スタイル)には自覚的でありたいと思う。こういう意図で流行り言葉を使う。こういう信念で古い言い回しを使う。そういう自覚をもって文体を磨きたい。

日経新聞の夕刊で朝田リョウの連載小説「イン・ザ・メガチャーチ」を読んでいる。登場人物の独白は、それぞれの年齢に合わせて書き分けられている。さすが小説家はさまざまな文体を自家薬籠中の物にしている。私にはとてもできない。

若い人たちの使っている言葉は苦手。例えば「〇〇した、みたいな」と語尾を曖昧にする言い回しは好きになれないし、自分では絶対に使わない。

かといって、文語調が好きなわけではない。その中間。明治文学から昭和の戦前生まれの人たちの文体を私は好む。

島崎藤村、森有正、小林秀雄、西田幾多郎の随筆など。彼らの硬質な文体に憧れていて、密かに真似をして書いている。なかなかうまくいかない。

まして、自分独自の文体にはまだまだ辿り着けそうにない。

形式を統一するだけなら難しいことではない。「である」「のだ」を使わない規則を実際私は徹底している。でも、それで文体が確立したわけではない。

文体というものは、ある人びとが考えているのとちがって、いささかも文の飾りではありません。技術の問題ですらありません。それはーー画家における色彩のようにーーヴィジョンの質であり、われわれ各人が見ていて他人には見えない特殊な宇宙の啓示です。

マルセル・プルーストは、こう書いた。私の文体にはヴィジョンがない。特殊な宇宙を提示していない。読み手に『烏兎の庭』の世界への没入感を与えていない。そういう引力がない。

文章修行はまだまだこれから。


さくいん:スタイル朝田リョウ島崎藤村森有正小林秀雄西田幾多郎マルセル・プルースト


7/22/2023/SAT
夏の買い物
ポロシャツ

10年以上着ていたポロシャツを2枚、処分した。2枚とも、会社でもらったもの。

さすがに2枚ともくたびれてきたし、辞めさせられたり、追い出されたりした会社のノベルティをいつまでも持っていることもなかろう。そう思って処分することにした。

代わりに新しいポロシャツを1枚、買った。色は黒。同じデザインで深緑色を持っている。

今回、いつも買う店の服を通販サイトで買ってみた。割引クーポンもあり、ポイントもつくので、お買い得だった。定番商品はこの買い方がよさそう。

平日はずっとTシャツで過ごしているので、ポロシャツの出番は週末のみ。

黒、深緑に加えて黄と白も持っている。これだけあればとりあえず十分。昔会社にもらったポロシャツもまだ一枚残っている。

7月は出勤していない。半袖のYシャツが一度も袖を通さないまま引き出しで眠っている。夏用のスーツは着る機会がなくて、もはやクローゼットで熟睡している。

夏の買い物はこれでおしまい。


7/23/2023/SUN
宣伝終了

『烏兎の庭』の表紙第七部目次に掲載していた『自死遺族であるということ』(Kindle版)の宣伝を消した。

宣伝の効果はまったくと言っていいほどない。しかも、この本を先頭に掲げることは『庭』全体が自死遺族の体験談であるという誤解を生みかねない。それは本意ではない。

それが広告を削除した理由。

自死遺族であることは、私という人間の重要な部分を構成しているけど、それがすべてではない。はしがきにもそう書いたし、その意図は『庭』全体に一貫している。

言葉を換えれば、『烏兎の庭』から『自死遺族であるということ』に飛ぶことを私は期待していない。その逆には期待していても。

販売数は10冊のまま増えていない。どこかの出版社の人が見つけてくれるという楽観的な夢想も叶わない。目算が甘すぎた。


さくいん:自死遺族


7/24/2023/MON
夏の神代植物公園
ハスの花 ハスの花

先週の土曜日。ハスの花を見るために、神代植物公園へ行った。幸い、薄曇りで猛暑ではなかった。公園内は雑木林もあり、心地よい森林浴ができた。

植物園ではほかにダリア、ベゴニア、熱帯スイレンを見た。

この日は珍しく、週末は疲れて休んでいることが多い妻と二人で行った。彼女も十分にリフレッシュできたよう。

暑さのせいか、いつもたくさんの人が並んでいるそば屋に並ばずに入れた。

バスで吉祥寺まで戻り、雑貨やインテリアの店をぶらぶら見て歩いた。こういうことも、久しぶりのことだった。ようやく二人暮らしが定着してきた感じがする。


さくいん:神代植物公園


7/25/2023/TUE
暑気払い(F会)
子羊のロースト プリン

先週末は慌ただしかった。金曜の夜は高校時代の友人と丸の内で暑気払いその1。土曜日は神代植物公園のあと、吉祥寺に戻り、江口寿史の個展を見た。在廊していた画伯本人を初めて見た。サインをしている右手を見て、「あの手でこの作品を生み出しているのか」としみじみ思った。そのあと駅に戻り、中央線で四ツ谷まで行った。

四ツ谷での目的は墓参り。1991年、社会人になってわずか4ヶ月で亡くなったNの偲んだ。墓碑を見ると両親とも亡くなっていた。彼は一人っ子だったからご家族は皆鬼籍に入ったということになる。一つの家族がなくなった。悲しい気持ちになった。

夜は高田馬場のスペイン・バル、ラ・セパで暑気払い、その2。F会。大学時代の友人3人で食卓を囲んだ。いつもは4人で集まる。一人仕事の都合で来られなかったので、3人で呑んで食べて語った。

高田馬場から早稲田通りを小滝橋方面へ歩くとアジア料理のレストランや食材を売る店が多い。中華、ベトナム、ミャンマー。すっかり東アジア文化特区のようになっている。そんな通りにあるスペイン料理店はとても希少。

アジのマリネ、オムレツ、ポテトサラダ、チーズ、パエリア、子羊のロースト。デザートにプリン。ワインは3本空けた。

一人少ないとはいえ、いつものように楽しい会食だった。次回は秋。忘年会の前に開催の予定。

この日は2万歩近く歩いたので、日曜日はほとんど一日横になっていた。


さくいん:江口寿史


7/26/2023/WED
テトリス
テトリス

Eテレ「きょうの健康」で30分程度のパズルゲームはストレス解消によい、と言っていた。

そこで昔、よく遊んだテトリスをスマホに入れてみた。

もともとゲームは好きなほうではない。とりわけシューティングやアクションは反射神経が鈍いので苦手。プレイするのはやさしいRPGかシンプルなパズルゲーム。

テトリスはぷよぷよと一緒に結婚したての頃、よく遊んでいた。どちらも全クリアするまでやり込んだ。子どもが遊ぶようになってからは、遊ばせるだけで積極的には参加しなかった。

30分程度なら確かにスッキリする。エンドレス・モードではピースが落ちてくるスピードが速くなるにつれ心臓がドキドキするので健康にはよくなさそう。

いまは「何行消せ」というミッションをクリアするモードで遊んでいる。これならばドキドキしない。

こういうストレス・コーピングもあっていい。選択肢は多い方がいいから。


さくいん:NHKテレビ


7/27/2023/THU
My Favorite Billy Joel's Songs

ビリー・ジョエルが来年1月に来日するらしい。一夜限りの東京ドームでのコンサート。

ドームでは一度聴いたことがある。アリーナだったにもかかわらず、大満足という感じではなかった。ハコが大き過ぎる。だから、たぶん今回は行かないだろう。

いい機会なので、"Billy Joel, My Best 10"を作ってみた。順不同。シングルでない曲を、なるべく各アルバムから一曲ずつ選んだ。

書き出してみると、生でもう一度聴いてみたい気がしてくる。でも、ドームか。迷う。

追記。

私がビリー・ジョエル愛をたっぷり注入した子どもたちが希望したので、まずは応募してみることにした。家族4人で行けたら楽しいだろう


さくいん:ビリー・ジョエル


7/28/2023/FRI
NHK漢詩紀行、石川忠久監修、NHK取材グループ編、NHK出版、1991
漢詩 -美の在りか-、松浦友久、岩波新書、2002
漢詩と人生、石川忠久、文春新書、2010
『NHK漢詩紀行』 『漢詩』 『漢詩と人生』

高校時代、漢文は好きだった。担任が漢文を専攻した国語科担当で、授業も面白かった。

以来、折に触れて漢詩の本を読んでいる。ここでは感想は書かずに、心に残った言葉を書き留めておく。

  • 自古聖賢尽貧賤/何況我輩孤且直(擬行路難 十八首、鮑照)
  • 少無適俗韻/性本愛邱山/誤落塵網中/一去十三年(帰園田居 其一、陶淵明)
  • 兩人對酌山花開/一杯一杯 復一杯(山中与幽人対酌、李白)
  • 江碧鳥逾白/山青花欲然(絶句、杜甫)
  • 心泰身寧是帰処/故郷何独在長安(香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁、白居易)
  • 古より聖賢は尽く貧賤なり/何ぞ況んや 我が輩の孤にして且つ直なるをや
  • 少なきより 俗に適するの韻無く/性 本と 邱山を愛す/誤って塵網の中に落ち/一去 十三年
  • 両人対酌して 山花開く/一杯 一杯 復た一杯
  • 江は碧にして鳥は逾白く/山青くして花然えんと欲す
  • 心泰く身寧きは 是れ帰する処/故郷 何ぞ独り長安に在るのみならんや

古代詩人には、政争に巻き込まれたり、職場の人間関係に恵まれず都落ちした人が少なくない。そういう詩人たちに私は共感せずにいられない

思い出した。「書き留める」という言葉はI先生の口癖だった。


さくいん:中国


7/29/2023/SAT
今を生きる思想 ジャン=ジャック・ルソー 「いま、ここ」を問いなおす、桑瀬章二郎、講談社現代新書、2023
『ジャン=ジャック・ルソー』

最新の新書を新聞広告で見かけたので購入して読んでみた。

ルソーは多面的な人間なので、彼に対する研究も多面的。文学、思想、教育、音楽。最近では国際関係論の分野でも研究されている。そうした多面的な思想家の全貌を一冊の新書に凝縮するのは簡単な仕事ではない、

その場合、アプローチには二つある。主著を軸に一点突破型で叙述するか、伝記とともに主要著作を要約するか。本書は、後者のアプローチをとる。掘り下げが浅いところも物足りなさを感じるものの、全体像を描くという点では成功している。

著者はルソーの生涯と著作を読み解きながら、四つのポイントを重視している。

最後のポイントについて、著者は次のように結論づけている。

だがルソーは、あえて絶望的な状況を設定し、完全な「不条理」から出発しつつ、あらたな「生」について考えることをみずからに課してみせた。(第四章 あらたな「生」)

この結語を読むと、著者は文学という面からルソーに光をあてていることがわかる。この一文を読んだとき、時代は違うものの、同じように絶望的な状況から書くことで生き延びる力を得たシオランを思い出した。

著者も強調している通り、「いま」、ルソーを読む意味は、第三と第四のポイントにあると思う。

いずれも容易いことではない。しかも、現代ではむしろないがしろにされていることでもある。口先だけのタレント文化人。自己肯定感向上の名の下に築かれる虚像の自己。

暮らしのなかで思想を深めることと自己探究を深めることは、いつの時代にあっても大切なことと私は思う。

大学、大学院時代にルソーを研究したつもりでいた。実は、細部はもちろん全体像も把握できていなかったことに、よくできた入門書に気づかされた。


さくいん:ジャン=ジャック・ルソーシオラン


7/30/2023/SUN
上半期に読んだ本から3冊

今年上期に読んだ本はマンガも含めて約30冊。とくに面白かった本を3冊選んだ。たくさん読んだ記憶はないが、意外に読んでいた。

年始に読んだ本が並んだ。最近、読書できていないことがよくわかる。


さくいん:E M シオラン自死


7/31/2023/MON
たまには会社の愚痴を

上司の上司、部長にあたる人が2週間に一度8人ほどを招集してミーティングを開く。

まったく意味のないミーティング。部長が人の上に立っていることを実感したいだけ。

今回は驚くべき発言があった。外部に委託しているストレスチェックについて。

オレはAしか出たことないけど、BとかCとか出たことある人いる?

そんな究極の個人情報を人前に晒す人がいるものか。心の中で毒づいて黙っていた。余計な発言をしないことがこの会議では一番有効。これまでに余計なことを言って損をしたことが何度もあるので、同じ轍は踏まないようにする。

1時間、無駄話をして最後に一人ずつに共有したい話題があるか尋ねてまわった。皆、口をそろえて「とくにありません」と返す。私も同じことを言うつもりで待っていたところ、声をかけられなかった。非正規だから?障害者だから?何で一人だけ別扱い?モヤモヤが残る。

パワハラなど実害があるわけではない。黙ってやり過ごせばいいだけのこと。幸い、会議は音声だけ。顔を見ることもない。

ミーティングのあと、ストレスチェックをしてみた。結果はB(要注意)だった。どうやらストレスが溜まっているらしい。