4本のメタセコイア

2月は自死について考える月。姉が自死で亡くなった月だから。毎年2月には自殺もしくは自死に関する本を読むことが多い。(以降、本書が取り上げている過去の事例を自殺、主に心の病を原因とする現代の事例を自死と書き分ける)。

本書は自死を防止する哲学的根拠を求めて、自殺が許容、称賛された神話時代から自殺に関する見地をたどる。ギリシア神話や旧約聖書までさかのぼる自殺の歴史はとても長い。

自殺の思想史をたどる前半部で、私がとくに興味深く読んだのは、キリスト教の自殺観の移り変わり(第一章、第二章)。

初期にはイエスの死も自殺とみなされて、殉教は称賛される行為だった。少しずつ見方が変わっていき、「殺してはならない」という十戒の一つと重ねられ自殺はは大罪とみなされるようになった。アウグスティヌスとアクゥイナスの影響が大きいらしい。

宗教的に「禁止」や「大罪」とみなしてみても、自死を防止することには必ずしも役立つことはないと著者は指摘している。その点には私も同意する

名誉のための自殺、責任を取るための自殺は日本にもある。現代でも、そのような行為をよしとする傾向さえある。しかし現代において圧倒的に多いのは、心を深く病んだ末に視野狭窄に陥って自ら死を選んでしまうという悲劇だろう。著者は、そうした苦しい心境にある人たちを読者として念頭に置いている。

本書は、神学者や哲学者の言葉の引用も多く、読みやすく書かれているとは言えないかもしれない。けれども、自らも自死遺族の一人でもある著者のメッセージは明快。

ある章のまとめで、著者は本書に一貫する意図をはっきりと書いている。

本章から学べることはふたつある。ひとつは、わたしたちにはみずから命を絶たない責任があること。もうひとつは、わたしたちは、他者に、そしてわたしたち自身に感謝され、大事にされているということだ。(第九章 苦しみと幸せ)

その根拠も明確に示されている。

自分がほかの人たちにとってどんな意味があるかは誰にもわからないし、未来の自分がどんな経験をするかを知っている人もいない。(おわりに)

だから「人は死んではいけない」(小松美彦)と続けても間違いではないだろう。

正直なところ、一読したあとで、これらの言葉を飲み込むことができなかった。私自身がまだうつ病から脱出できておらず、自己肯定感も低いからだろう。それでも、希死念慮からは卒業できたと最近は実感している

本書は苦境にあり、人生にまったく未来がないと思っている人に読んでもらいたい。著者もそう願っている。本書には自死を思いとどまらせようとする熱い激励の言葉があふれている。私自身もおおいに励まされた。

しかし、希望を失くし、自信を失っているとき、すなわち、絶望的な心境自己肯定感が低いとき、本書を読んでも著者のメッセージは心の底まで届かないかもしれない。辛いときには本を開くことさえ苦痛で、苦しみを吐露することもできないことを私はよく知っている。

自分の存在が何かの役に立っているということを感じることはとてもむずかしい。ましてや世の中から見捨てられたように感じる状況に置かれていてはなおさら。だから、ふだんから「私たちは生きる責任がある」「私たちは互いに感謝し、大事にしあっている」という考え方を身につけておく必要がある。自死の防止にはふだんから「自分の命を大切にする」教育活動、啓蒙活動の必要性を感じる。

だから本書は、自死を思いもつかないような元気な人にも読んでもらいたい。いつ何時、本書が授ける知恵が役にたつとも限らない。


心の病で死に近づいている人をどうしたら立ち止まらせることができるだろう。ささいなことでもいい、ささいなことから始めるのがいい、と著者は書いている。

ゴールデンゲートブリッジに柵を設けるだけでも、自死を試みる人を減らすことができたという。駅のホームにある照明を気持ちを落ち着かせる青白色に変えるだけでも効果があると聞いたことがある。

私にできることは何だろうか。親しくありたいと思っている人々に、その気持ちを素直に伝えることではないだろうか。彼らが万一、絶望の淵に立ってしまったときにでも思い出してもらえるように。

自死に関する本には2種類ある。防止策(prevention)遺族のケア(post-vention)。本書は基本的には前者にあたる。本書を読みながら自死遺族に対するグリーフケアにもなっているような心持ちにもなった。

どういうことか。

姉の自死を止めることはできなかっただろうか。やはり、とくに2月にはそのような答えの出ない問いを繰り返してしまう。本書のような本を手にしていたら、結果は違っていたのかもしれない。

本書によれば、自死未遂者の多くは再度試みることはなく、むしろ自分の行為を反省して残りの人生を生きる。姉も、あの日を乗り切っていたら、未遂を後悔して残りの人生を何とか生きていたことだろう。そう思わせてくれる一冊だった。

姉が生きていたら彼女の人生は、そして、私の人生はどうなっていただろうか。それを想像することは悲しいことではない。いや、それどころか、心の底から悲しいと思えることは、とても幸せなことではないだろうか。


参考:著者のブログ

本書の起点となった記事

So I want to say this, and forgive me the strangeness of it. Don’t kill yourself. Life has always been almost too hard to bear, for a lot of the people, a lot of the time. It’s awful. But it isn’t too hard to bear, it’s only almost too hard to bear. Hear me out.

さくいん:自死・自死遺族アウグスティヌス小松美彦うつ病グリーフ(悲嘆・悲しみ)