ぼくは12歳 表紙

子を自死で失くした親たちのインタビューや文章をまとめたもの。著者の本は感想は書き残してはいないけれども『自殺した子どもの親たち』(絶版)を読んだことがある。大きく影響を受けた『死者と生者のラスト・サパー』(山形孝夫)を教えてくれたのは、確かこの本だった。ほかにも、グリーフケアに関する本で文章を読んだことがある。

子を自死で失くしたあと、親はどのように生きていくのか。

悲しみを克服するのでもなく、乗り越えるのでもなく、悲しみとともに生きる。道のりは人それぞれでも、生き残る意味を見出した人たちの、ある意味、力強い言葉が本書にはあふれている。

本書を読みながら、気づいたことがある。子を失くした親と幼少期から思春期にかけて親兄弟を自死で失くした人の間にはその人生観に大きな違いがある。

子を失くした親には喪失するまでの人生がある。それが瞬時に断ち切られるところに親の悲嘆がある。

一方、子ども時代に身近な人の自死を経験した人にとって、人生は初めから悲しみと答えのない問いかけと自責の念に包まれている。この違いは小さくない。

どちらの悲しみが大きいか、という問題ではない。人生の受け止め方が根本から違う、ということ。

より具体的に書けば、年若い間に喪失体験をした人にとって、人生とはままならないものであり、自力で開いていけるという肯定感が非常に低い。この「人生に対する基本的な希望の欠如」と「自己肯定感の低さ」を克服するのは簡単なことではない。周囲からのサポートがしっかりあるのでなければ、専門家によるケアが必要だろう。

自死ではなくても、年少期に親と死別すると、その影響は子の人生全体に影響を及ぼす。このことは『親と死別した子どもたちへ』に詳しく書かれていた。


一つ、とても参考になることが書かれていた。息子を失くした父親が描いた「書くことに救いがあった」という文章。書くことには、グリーフ・ケアとして四つの効用がある、と彼は説いている。

  1. 1. 悲しみの感情を和らげる(表出による感情の緩和、または心の解放)
  2. 2. 事柄をはっきりと認識するのに役立つ(認識の明確化)
  3. 3. 心に湧いた考えや感情が記録されることであとでなぞりやすくなる(想念の固定)
  4. 4. 逝った者の一つ一つの思い出について言葉の碑を建てることになる(思い出の建碑)
    (一部文章を改変)

表現することがグリーフ・ケアになることは『親と死別した子どもたちへ』でも強調されていた。

これらの効用を意識して書くことは、たとえ読者がいないとしても、セルフ・ケアの効用を持つと言えるだろう。


もう一つ、印象に残ったことがある。それは高史明(コ・サンミョン)の文章から引用があったこと。高史明は、1975年に一人子を12歳で失くしている。故人、岡真史が書いていた詩が『ぼくは12歳』という本にまとめられて、テレビ・ドラマになるほどのベストセラーになった。

小学生の頃からこの詩集を繰り返し読んできた。高史明の本も読んだことがある。『ぼくは12歳』の表紙には海の上を飛ぶ紙飛行機の横に次の言葉が掲げられている。

ひとり ただくずされるのを まつだけ

苦しいとき、辛いとき、この世界からいなくなってしまいたいとき、いつも、この言葉を思い浮かべる。

今日は、岡真史の命日。

久しぶりに本棚から『ぼくは12歳』(1976, 14刷, 1978)を取り出して読んでいる。


さくいん:若林一美自死・自死遺族悲嘆高史明岡真史