中途採用の人がグループに入ってきた。
私の負荷は低く、暇を持て余している。上司も知っているはず。
それでも増員するのは、私に何も期待していないからだろう。
もはや障害者雇用助成金のための頭数でしかない。
それは望むところ。このまま透明人間でいい。
先週、その中途採用の人に会うために出社した。自分の業務を説明する前に、職歴といま置かれている立場を簡単に説明した。あとで詮索されるより自分から言っておいた方がいい。
その日は帰り際にトラブルが発生して珍しく会社で残業することになった。会社を出たのは7時近く。帰宅すると8時を過ぎていた。
昔はこういう暮らしを毎日繰り返していた。帰宅後も、夕飯を食べてから、寝るまで仕事をしていた。いまではもうそんな暮らしはできない。
夜は歓迎会をしたらしい。平日に遅くなるのは生活サイクルが混乱するので欠席した。
やっぱりいまの境遇のままでいい。
さくいん:労働
大型書店で見かけた新刊の図鑑が図書館にあったので、さっそく借りてきた。
本書はカトリックに焦点を絞っているという点が興味深い。当然、イタリアとフランス、中南米とそこへ影響を与えたスペインの美術品が多い。宗教改革時にプロテスタントが広がったドイツやイギリスのカトリック美術は「殉教的」と説明されている。
彫刻や建築だけでなく、聖職者や修道士の装束や祈りに使われる道具や日用品なども収録されている点も面白い。
文字を読める人が少なかった時代にステンドグラスや壁画が果たした役割が大きいことはわかる。また、崇高なものを豪華に飾りたいという意識もわからないことではない。
その目的のために信徒たちから献金を集める制度がある。それはいわゆるカルトと線引きできるものなのだろうか。
仏教美術にもキリスト教美術にも心を奪われることは少なくない。でも、その気持ちは、どこまでも「観光客」の態度でしかなく、積極的に宗教組織に入っていこうという気持ちにはなかなかなれない。
さくいん:金沢百枝
ガンプ君と古いアルバム
『素数とバレーボール』(平岡陽明)のなかで「古いアルバム」という言葉が出てくる。
パワハラ上司に悩む41歳にカウンセラーは説く。
その支店長さんもいまはあなたを苦しめているように感じられるかもしれませんが、じきにあなたの心の中にある古いアルバムに収まります。
なるほど、とまずは思った。過去に関わった人のほとんどは忘れてしまい、その影響下にいまいるわけではない。だから、今、影響を与えていると思い、苦しんでいる人のことを気にしすぎることはない。次に、待てよ、違う見方もあるのではないか、と思い直した。
もし、ガンプ君が、自分はバーレー部の臨時の助っ人と思い、5人の仲間を古いアルバムにしまっていたら、この物語は生まれなかっただろう。付き合いは継続していなくても、ガンプ君にとって5人は現在も影響を受けている仲間だった。
自分の場合はどうだろうか。40年以上前に亡くなった姉も、中学時代に苦しめられた暴力教員たちも、いまでも私の心のなかにいて、私に影響を与えている。彼らは、古いアルバムに収まってはいない。
誰が影響を与えつづけ、誰が古いアルバムに入り「過去の人」になるか。自分で決められるものではない。
暴力教員たちを古いアルバムに仕舞うには、どうすればいいのだろうか・姉をいつまでも心に留め、古いアルバムに収まらないようにするためには何をすればいいのだろうか。
NHK-BSPで「魅惑のヨーロッパ古城めぐり」という番組を観た。知らなかった古城が紹介されていて面白かった。要塞都市、サン・マルタン・ド・レ、ドイツの城壁都市、ネルトニンゲン、今も貴族の末裔が暮らすロワール地方のユッセ城。どこも行ってみたい。
有名な場所は学生時代に観てまわった。フランスのシュノンソーやシャンボー、ドイツのハイデルベルクとノイシュヴァンシュタイン。とりわけエジンバラ城は公園の緑と趣きのある旧市街に魅せられた。
番組で紹介されていたような古城は観なかった。こうした知る人ぞ知る場所を訪れたい。そう思わせる番組だった。
世界史選択で熱心に勉強した割には中世の物語や小説は読んでいない。まずは旅の記憶を再生するために写真集を借りてきた。どこもとても懐かしい。1991年夏の思い出。
70日間の長旅だった。モスクワ経由でロンドンに入り、荷物を置いて途中エジンバラまで足を伸ばした。その後、ロンドンで後から来た連れと落ち合い、ジェットフォイルでドーバー海峡を渡り、ブリュッセルへ。ブリュッセルを拠点に、パリとロワール、アムステルダムへも立ち寄った。ブリュッセルは思い出深い場所になり、その後、両親を連れて、さらに子どもを連れて再訪した。
ブリュッセルから戻ってからは汽車でボンへ。観光バスに乗り、ノイシュバンシュタインとロマンチック街道をミュンヘンまで、レンタカーでチロルをザルツブルクまでドライブした。
旅の終わりはウィーン。日帰りでブダペストも行った。こうして訪れた街を列挙してみると忙しい旅に見えるけど、実際のところはのんびりした旅だった。カフェでのんびりしたり、ヴェルサイユ宮殿の芝生で昼寝したり。
すべてを再訪できるとは思えないけど、ブリュッセルとパリはもう一度行ってみたい。
さくいん:NHK(テレビ)、パリ、エジンバラ、ブリュッセル
ヨーロッパの古城の写真集と一緒に図鑑も借りてきた。城の構造から貴族や騎士の暮らしぶりなどがよくわかる。
ヨーロッパの戦争について少し誤解していた。金目当ての傭兵が多く、士気はそれほど高いものではなく、戦闘も激しいものではなかったと思い込んでいた。実際には、激烈で、悲惨な戦闘が少なくなかった。
食事、排泄、信仰。この三つは人の住むところのどこにでもある。中世の城も然り。図鑑ではそういうところも詳しく書いていて興味深い。
ヨーロッパの古城は石造りだから13世紀頃に築城された城で残っているものもある。日本では寺院は別にして、鎌倉時代の城が残っているという話は聞いたことがない。それだけ戦国時代にあった合戦の激しさが想像される。
強風波浪の葉山公園
大型連休の後半は実家で過ごした。予報ほど天気がくずれていないので海を観に行った。
鎌倉方面は大混雑とニュースで報道していたので、逗子からバスに乗り葉山公園へ行った。
海は確かに見られたものの、すごい強風で顔に砂つぶが痛いほど当たった。しばらく海を眺めて早々に退散した。
夜はいつものイタリア料理店。すべてのテーブルに"Reserved"の札が置いてある。駅から離れているので、飛び込みの客は来ない。知ってる人だけが来る隠れ家的なお店。
甥姪もいたので、たくさん頼んで楽しく分けた。連休のいい締めくくりになった。
さくいん:葉山
九連休
メーカー勤務なので、休みがまとまっている。今年は9連休だった。
どこへ行っても混んでいるので、大きな予定は立てなかった。連休のあいだにしたことメモしておく。
- 餃子作り。
- ドラゴンクエストⅤ、スマホ版。ほぼこれ。
- 旧友と懐かしい居酒屋へ。
- 二人でカラオケ(誰かとカラオケに行くのは何年ぶりか)。
- 夕方、近所の公園を妻と散歩。そば屋で夕飯。
- 猫の額ほどの庭の草取り。
- カメラ部分が出っ張らないiPhone14 Proケースを購入。
- 映画『コンフィデンスマンJP 英雄編』を鑑賞。痛快。豪華キャストに満足
- 強風の葉山公園。
- 最終日は午後に帰宅し、自室でのんびり。
ドラゴンクエストを題材にしたスマホゲームがあるのは知っていた。元のRPGがスマホ版に移植されていることは知らなかった。気まぐれでApp Storeで検索して見つけた。
ドラクエは大学生の頃、よく遊んだ。ゲーム機はファミコンとスーパーファミコン。遊んだのはⅡからⅥまで。ⅣとⅤはDSでも遊んだ記憶がある。
ドラゴンクエストの魅力は第一に遊びやすいということにある。あまりゲームをしない私でもすんなり始められる。スマホ版でも内部課金がないのがうれしい。
第二の魅力は音楽。すぎやまこういちが作曲した音楽は中世の騎士物語を思わせるストーリーを盛り上げる。
Vの特徴はモンスターを仲間にできるところ。今回、滅多に仲間にならないはぐれメタルとゴーレムがすぐに仲間にできた。おかげでラスボス戦も楽勝だった。
2回目。Ⅴのもう一つの特徴である結婚相手を選ぶイベントで別の相手を選んだ。今度は、なかなか仲間にできず、はぐれメタルの出現率が高いグランバニア近くの洞窟で修行をした。ようやく仲間にできた頃にはほかのメンバーはゲームクリアができるほど成長していた。
ストーリーも結末も知っているので、今回はゆっくり遊んでいる。ヒマを持て余したときに少しずつレベルをあげる。これ以上上がらないところまで上げるつもり。
5月22日追記。
主要キャラは上限までレベルを上げた。勇者家族は99、はぐれメタルは8、ゴーレムは50。
ラスボス戦もメンバーを変えて3回戦った。スロットマシーンでコインを稼いで、一番高い景品まで入手した。合計で200時間以上プレイした模様。楽しかった。十分に遊んだ。6月になったらⅣを買うつもり。
誕生日
今日は誕生日。いよいよアラ還突入。
もともとは今日発売予定だった電子書籍、『自死遺族であるということ』。
昨日、2冊売れていた。これで累計販売数、3冊。
数ではない。手に取ってくれた人がいることがうれしい。これ以上のプレゼントはない。
ありがとう。
ビリー・ジョエルも誕生日、おめでとう。
さくいん:ビリー・ジョエル
昨日のこと
昨日は月一回の残業日だった。そのことを加工するデータが届くまで気づかないでいた。残業日は第3営業日と決まっている。1日は全社休業で2日は有給取得推奨日だったので休みにした。そのため10日が第3営業日と勘違いしていた。
データを加工してレポートを作る。この業務はスピードと正確さを求められるので、とても緊張する。毎月、仕事を終えるとビールを呑みたくなる。昨日も呑んだ。
そのあと、誕生会と称してニュージーランドのスパークリングワインを空けた。気分がよくなってきたので秘蔵のジン、THE BOTANISTも一杯呑んだ。
さすがに今朝は眠かった。昼休みに30分ほど仮眠した。
あやめか菖蒲か、かきつばたか
在宅勤務を終えた5時過ぎ、近くの公園まで散歩した。水辺に花が咲いていた。
花であることはわかっても名前がわからない。あやめか、菖蒲か、かきつばたか。
ネットで調べると見分け方が書いてある。それでもわからない。もともと動植物に関心が薄い。植物学者が主人公の今期の朝ドラも見ていない。
小さいながらも庭があるのに雑草で荒れている。連休中に草取りだけはしたものの、何か育てようとまではしない。
庭の手入れは心のメンテナンスによいと聞いたことがある。庭作りは一生の仕事、という格言も聞いたことがある。
近所に大きなガーデニング店がある。行ってみようと妻と前から話しているけれども、まだ行っていない。
いつになったら始めるか。自分でもわからない。
絶え間ない緊張
18年間、営業職をしたあと心身を壊して退職した。2年間の休養のあと事務職の契約社員として再就職して6年になる。
いまだにデータ入力ひとつでも緊張する。以前はもっと大きな組織と関わったり、大きな金額を扱ったりしていた。
いまは全然ダメ。依頼のメールも詰問に思えてしまう。それくらい仕事中は緊張している。
朝、パソコンを開くときはとくに。昨日の作業でミスをしていないか。叱責のメールが来ていないか。そんな心配ばかりしている。
緊張しているからミスが少ないということはない。むしろ6年間続けている作業でも、まだミスをしている。
ミスを指摘されたときは詰問どころか、人間性を否定されたような気持ちになる。
日常生活では、だいぶ落ち着いてきた、簡単には落ち込まないようになってきた。
それでも、休みの日でも仕事のことを考える癖も抜けきらない。仕事中の緊張と抑うつ。何とかならないだろうか。
さくいん:労働、うつ病
アラ還突入
四捨五入すると還暦という年齢になった。大企業なら役職定年にあたる年齢。私の場合、ほかの人より8年も早くキャリアアップが途絶され、2年間の休養を余儀なくされた。第二の会社員生活が始まって6年。2年前からは完全在宅勤務になった。
こういう暮らしになるとは思っても見なかった。給料は安いけど、通勤がなく自由な時間が多いのでとても気楽。
自分がこれほど一人に耐えられるとも思っていなかった。一日誰とも話すことなく朝夕に妻と話すだけの日もある。まったく苦痛ではない。
還暦が近づいて何か思うところはあるか。正直、まだ実感はない。今のところ具合の悪いところもないし、幸い、髪の心配もしていない。
60歳からどう暮らすか。これから5年間かけてゆっくり考えていくことになるだろう。
まずは心身の健康を維持すること。とくに心の安定はいまだに重要課題。
「学」と銘打っているだけあり、冷静で客観的な考察や分析をしている。個人の心理というミクロ的な視点から社会のなかで自死はどう扱われているのかというマクロ的視点まで包括的に自死を観察している。著者も述べているように何かをきっかけに「自殺」に関心を持っている人には格好の入門書となるだろう。
読み終えて、三つの感想を持った。一つ目。自死の予防は、「死なせない」だけではなく、貧困や病苦、人間関係など、希死念慮の原因となっている問題を解決しなければならないということ。さらには、問題を解決したうえで、その人が幸福に生きる道筋を示すこと。QOL(Quality of Life)と言い換えてもいい。自死の企図を防止するというだけでは、根本的な自死対策にならない。
二つ目。本書の最後で著者は少し驚かせる予言をしている。ほぼ不老不死が実現された超長寿社会では自分で死を選ぶ自死が重要な課題になるという。
そうして、人類の寿命が格段に伸びた時に、我々が死ぬことができるチャンスは自殺において最も高まるはずです(それ以外の形で死ぬことができない社会が不老不死の社会だからです)。(第10章 幸福な人生——死ななければそれでいいのか?)
この問題は安楽死の問題としてすでに顕在化している。人間として、幸福に生きるとはどういうことか。幸福に死ぬとはどういうことか。簡単に答えを出すことのできない問いを読み手に預けて本書は終わる。もちろん、私にも手がかりさえない。
三つ目。本書のテーマは自死であり、自死遺族ではない。いわゆるpreventionであり、post-ventionではない。読み終えて、私が関心を持っているのは自死遺族であり、自死ではない、ということに気づいた。
12歳のときに亡くなった姉の死は自死だった。でもその原因についてあれこれ悩むことはほとんどなくなった。不幸な偶然が重なった「心の事故」と思っている。本書でも既遂者のほんとうの気持ちはさまざまな推測はできても、亡くなってしまっているので結局のところはわからないと書いいてある。
『親と死別した子どもたちへ』を読んでから、「なぜ」と問うことをやめた。その代わりに「どう」受け止めてこれから生きていくのか、考えるようになった。
先日書き上げた本も、自死の原因を探るのではなく、自死遺族として生きていく、すこし大袈裟に言えば「決意」をまとめたものだった。
さくいん:自死・自死遺族
土曜日、なじみのライブハウスへ行ってきた。
土曜日としては大入りだった。もっとも初めての客はおらず、常連の客ばかりだった。
「チューリップ・メドレー」を初めて聴いた。ほかには「あの日に帰りたい」「いのちの歌」「青春のリグレット」がよかった。
「思い出の渚」が演奏されたとき、「もう加瀬さんも司さんもいないんだ」と思い、すこし悲しい気持ちになった。
誕生月なのでお祝いしてもらえると思っていたのに、スタッフにお願いしたことがバンドに伝わっていなかったようで"Happy Birthday"は歌ってもらえなかった。
それでも、テーブルの衝立もなくなり、マスクをしていない客がほとんどで、だいぶ活気が戻ってきた気がした。
アンコールの"Fantasy"と"Can't Take My Eyes off You"では、久しぶりに店内の熱狂を感じた。
写真は「推し」という言葉がないときから推している私のアイドル、岡部ともみさん。
さくいん:ケネディハウス銀座、チューリップ
日曜日の夜、家族が誕生日を祝ってくれた。場所は吉祥寺の焼肉店、李朝園。しばらく来ていなかった。
娘からはルームミスト、息子からはワインを一本もらった。
私からはお祝いしてくれたお礼に名探偵コナンとドラゴンボールのTシャツを返した。
おいしいものを食べならが、何でもないことをおしゃべりする。楽しい時間を過ごした。
少なくとも年に四回、プラス忘年会で五回、家族で集まるのはいい習慣。いつまでもこういう関係を維持できるといい。
さくいん:HOME(家族)
日曜日の午後、小雨の中を散歩していたら紫陽花のつぼみを見つけた。Twitterでは早くも咲いている写真も見た。
季節の移り変わりは早い。
春のお彼岸から5月は好きな季節。調子もいい。6月から7月は毎年低調。うつが強くなる年もある。理由はわかっている。そう思うことが自己暗示になっていることもわかっている。
好きな季節は短い。瞬く間に過ぎていく。
今年の梅雨はどうやって乗り切るか。何か心が楽しくなることをしてみる。コメディ映画を観るとか、お笑い番組を観るとか。ただ、これも無理をしてすると、かえって虚しい気持ちが強くなるから注意がいる。
さて、どうしたものか。
5月21日追記。
実家からの帰り道、バス停のそばにガクアジサイがもう咲いていた。季節の移り変わりは本当に早い。
さくいん:うつ
吉野祥太郎―立てる記憶―、武蔵野市吉祥寺美術館、東京都武蔵野市
現代アートのインスタレーション。
暗い部屋にヴェールのような白い布がが広げられている。ヴェールは送風機からの風により波のように揺れる。部屋はときどき白い灯りが上から差し込み、波間を照らす。
夜の海を見ているような心地よい気持ちになった。
私の部屋の天井にはオレンジ色のダウンライトが6個ある。これまで夜はそれを点灯させて寝ていた。最近、ダウンライトの点灯をやめて真っ暗にして寝るようにした。
真っ暗といってもほんとうの暗闇ではない。パソコンの充電ケーブルの白い灯りや、マルチタップのオレンジ色が見える。それでも、前よりは暗い。心地よい暗さがある。
暗闇、白い波、白い灯り。
吉祥寺に海のイメージはないけれど、インスタレーションそのものは心地よい空間を作っていた。
常設の浜口陽三展示室も観た。「野(赤)」。波のような模様と赤い色が印象的だった。
NHKBSPでパリのノートルダム大聖堂の修復についてのドキュメンタリーを見た。映像を見ると、想像していた以上に焼損していた。尖塔のあった後半分はほとんど焼け落ちている。
修復というから、新しい資材を使うものと思っていた。ところが、実際は焼け落ちた石をできるかぎり再利用しているという。石を3Dで撮影し、コンピューターでジグソーパズルを嵌め込んでいくように再設計していた。
さらに驚いたのは、木材の切り出しから中世の技術に従い行っていたこと。日本の寺院を修復するときにも宮大工が昔ながらの工法を用いていることは聞いたことがある。しかし、今回のような大規模な破損を伝統的な技法で修復するという試みにはとても驚いた。
この先、海外旅行へ行く機会があるかどうかはわからない。もし行けるのであれば、パリにはもう一度行ってみたい。
パリには二度行っている。一度目は大学生のとき。二度目は仕事でアンジェへ行ったとき。最後に行ってから20年以上経つ。
パリとブリュッセルとシリコンバレー。新しい場所には行けなくてもいいから、この3か所には、機会があれば、行ってみたい。
さくいん:NHK(テレビ)、パリ、ブリュッセル、シリコンバレー
宣伝
4月に発売した電子書籍『自死遺族であるということ』。まったく売れていない。
4月に1冊、今月に入って3冊。合計4冊しか売れていない。多くの人が関心を持つ題材ではないとはいえ、この実績はさびしい。
そこで、宣伝を強化することにした。具体的には、『庭』の表紙と第七部の目次に広告を入れることにした。
この二つのページは比較的アクセスが多い。もっとも、このページに来訪しても、その先に来てもらえていないのが現実。
Twitterのプロフィールページにも広告を入れた。
ともかく、露出を多くすることで周知度を高める。何もしないで、知られないままでいるよりは、できるかぎりのことをして売れないほうがいいだろう。
表紙や目次に「自死遺族」と書いたことで、完全にカミングアウトしたことになる。
さくいん:自死遺族
週末、葉山にある美術館で佐藤忠良の回顧展を見た。
服を着たブロンズがよかった。デニムやウールの質感がよく伝わってきた。戦後すぐのゴツゴツした作品より、滑らかな面で構成された後年の作品が気に入った。
過日、箱根のポーラ美術館の入口で、カンカン帽をかぶった女性の作品を見た。今回も、帽子をかぶった作品がたくさん展示されていた。カンカン帽は佐藤にとって重要なモチーフであることを初めて知った。
絵本『おおきなかぶ』の原画も見られた。一目でスラブ系と思わせる彫りの深い顔立ちが見事だった。あの絵のおかげでロシア民話ということが子どもにも伝わった。
観覧後、資料室で新国立美術館で開催されている『ルーブル 愛を描く』展の図録を見た。とても混んでいると聞いていたので、図録を見て行ったことにした。
ところで、この展覧会、ポスターの文字がとても面白い。かなり前衛的なフォントで強く印象に残る。
さくいん:葉山、佐藤忠良
大型連休中に来たときは、風が強く海も荒れていた。土曜日は打って変わって静かだった。
美術館のわきを砂浜近くまで降りて海を見た。潮騒が耳に心地よい。
海のそばに住んでいたら、海が荒れている日も過ごさなければならない。穏やかな日だけを選んで来られるのは旅人の特権だろう。
でも、海のそばに住んでいれば、富士山がはっきり見える瞬間を逃すことはないだろうし、荒れた日も耐えなければならない反面、絶景に出会う機会もきっと多い。
実家から海までは電車とバスで30分くらい。これくらいの距離感が私にはちょうどいい。
さくいん:葉山
葉山美術館のあとは京急で金沢八景まで戻り、馴染みのワイン・ビストロへ。予約をしたとき、店の人に声で名前を当てられるほど通っている。
ワイン用ぶどうの新芽をフリットにした料理をすすめられた。ワイン用のぶどうは食べたことがある。新芽は初めて。パリパリした軽い食感で美味しかった。
この店では、子羊を頼むことが多い。この日は仕入れがなかったというので、赤毛和牛と黒毛和牛のステーキの食べ比べというメニューを頼んだ。
私の舌で違いがわかるか半信半疑だったけど、食べてみるとはっきりわかった。
クラフトビール、長野のシャルドネ、デザートにアルザスのオレンジワインをいただいた。
大満足の夜だった。
横浜郊外としては安くはないけど、同じワイン、同じ料理を都内で食べたらきっと倍以上はするだろう。こういう店は大事にしたい。
実家で母の催促があり断捨離。
学生時代の教科書や参考書、資料のコピー。
十代の頃の年賀状や手紙。昔はよく手紙をやりとりしていた。旅先からの絵はがき。海外旅行中に知り合い、文通を始めた人からの手紙。高校三年生の頃、憧れていた年上の大学生からの手紙。レコードやカセットテープを貸し借りしたときの感想を添えた礼状。
中学生の女の子が丁寧に折り畳んでくれた秘密の手紙も見つけた。手書きの文字は80年代特有の丸文字。どれもなつかしい人ばかり。
思い出は尽きないけれど、すべて胸に刻んで手紙は処分した。
ときどき自分は人との出会いに恵まれなかったのではないかと思うことがある。成功した人のインタビューを読んだりするとそう思う。
たぶん、それは間違っている。私が相手に対して、恵まれた出会いだったと思われるような交際をしてこなかった。だから、私も出会いを活かすことができず、勝手に恵まれていないと思い込んでいた。
恩のある人たちを何度も裏切り、逃げるようにして生きてきた。出会いがなかったのではない。出会いを大切にしてこなかった。
手紙をやり取りしていた人たちで、今も付き合いのある人はほとんどいない。人間関係に対して淡白というか、薄情なところが私にはある。
それには理由がないこともない。幼い年齢で辛い死別体験をした人は長く深い人間関係を構築することに苦労すると『親と死別した子どもたちへ』に書いてあった。
そういう意味では、薄情な性格を正当化するわけではないけれど、人間関係が継続しないことには仕方がない面もあった。今になってよくわかる。
体重激増
電池がなくなってしばらく体重計に乗っていなかった。久しぶりにのってみてびっくり。
BMIはほぼ25。これでは健康診断でメタボと指弾されてしまう。
何がいけないのだろう。昼食はゆで卵だけだし、ご飯を食べるときは小さい飯碗で食べていて、もちろんお代わりはしていない。おやつも食べていない。
週2回の買い食いがよくないのかもしれない。缶ビールと揚げ物の取り合わせは確かによくない。少し控えなければならないだろう。
6月はダイエット強化月間にしなければならない。6月後半に予定していた健康診断は7月に延期する。
運動を増やし、揚げ物を控える。フライドチキンの代わりにナッツをつまみにする。
先月、Amazon Kindleで発売した電子書籍『自死遺族であるということ』。
PDF版を無料で公開することをTwitterで発信した。さらにそのツィートをプロフィールに固定した。
このファイルは最初から4月の箱庭でリンクを貼っていた。ところが、箱庭(ブログ)にはほとんどアクセスがないので、このファイルへのアクセスもなかった。そこでTwitterで無料公開を宣伝することにした。
すでにリンクのクリック数はKindle版の販売数(4冊)をこえている。
ネット世界の辺鄙な日陰にいる私の文章は、こうでもしなければ読んでもらえない。
いつか誰かが見出してくれる。今はまだそう信じている。
7月23日追記。
表紙に貼り付けていた宣伝は中止した。
広島G7サミットが閉幕した。主要国の首脳が初めて平和記念資料館を視察し、被爆者にも対面した。
そのことが評価される一方、発表された「広島ビジョン」に核軍縮の具体的な道筋が提示されなかったことに被爆者や平和活動家からは落胆の声が上がっている。NHKの『クローズアップ現代』でもそのように報道していた。
被爆者や活動家の熱意はわかる。でも、国際政治の進路は一朝一夕には変わらない。そういう感想を私は持った。
体験者の熱意と為政者の冷淡さ(あるいは冷静さ)のあいだには大きなギャップがある。それはなぜか。少しモヤモヤしていたところ、Twitterの紹介で興味深い対談を読んだ。
中国新聞で行われた憲法学者の長谷部恭男とメディア史研究の佐藤拓巳、ともに広島出身の二人による対談。
対談から学んだことは、体験は体験、政治は政治。それらは距離を置いた別ものであり、体験が即座に政治に反映されることはないということ。
もちろん、一人一人の思いが政治につながるべきではあるとしても、それが「直接」つながることには無理がある。
思想、理論、政策、そうした議論や検討の積み重ねがあって初めて一人一人の思いは政治に反映されていく。むしろ、思いが直接、政治に反映されることは危険でもある。
そういえば丸山眞男は「実感信仰」という言葉で、体験が直接に理論や政策に反映されることに期待するナイーブな心情に釘を刺していた(『日本の思想』、1961)。個人の思いを捨象した空理空論は「理論信仰」として批判されている。要するに、実感に基づいた理論なり政策論が必要、ということ。
始まりとしては悪くなかった
政治学者の藤原帰一は、NHKテレビの『クローズアップ現代』で広島G7をそのように評価していた。私も、その評価に同意する。大成功ではなかったとしても、大失敗でもなかった。この評価が甘すぎるとは思わない。
さくいん:広島、NHK(テレビ)、丸山眞男
土曜日。一日中外出していた。平日、完全在宅勤務で家にいるので週末はできるだけ外に出るようにしている。朝食を済ませて出発。おろしたての白いスニーカーをはいて歩きだす。歳を取ってもおしゃれはしたい。新しいものを身につけると気分が上がる。
30分ほど歩いて床屋へ。20年通っている馴染みの店。最近開店した店や閉店した店など、ここでは近隣の新情報を仕入れることができるのがうれしい。
サッパリしてから電車に乗り都心へ。どうしても見たいという展覧会が今はないので行ったことのない場所へ行ってみることにした。向かった先は本郷三丁目。駅から歩いて本郷給水所公園。ここは穴場。バラ園が見頃なのに誰もいない。
給水所の隣にあるのが東京都水道歴史館。
江戸時代初期に多摩川から江戸市中へ水を引いた玉川兄弟の功績から現代の給水体制まで東京の水のことがすべてわかる。
知らなかったことが二つ。徳川吉宗の時代に玉川上水の分水である千川上水が廃止されたこと。いま住んでいる東京の西郊でも利根川と荒川から給水されていること。多摩川方面から給水されているとずっと思っていた。
おそらく平日は小学生の見学でにぎわっているのだろう。週末の歴史館は静かだった。
歴史館を後にしてファストフードでハンバーガーを食べ、湯島天神を横切り、旧岩崎邸庭園まで歩いた。ジョサイア・コンドル設計の洋館は見応えある建築だった。
次は都営バスに乗って高田馬場へ。夜の会食までカラオケ3時間。念願だったNearness of You"を歌えて感激。ほかにも英語の歌をたくさん歌った。"In My Life," "Take It Easy," "Late for the Sky," "I Saw the Light," "To Love Somebody," "Change the World," "Honesty."
「約束の場所に着いた」と連絡があったのでカラオケを切り上げビアホールへ。2月以来の旧友集合、ゼミの同窓会F会開幕。
さくいん:ザ・ビートルズ、トッド・ラングレン、エリック・クラプトン、ビリー・ジョエル
三菱財閥の創業家、岩崎家が所有していた庭園が4ヶ所、都立庭園として開放されている。清澄公園、六義園、そして旧岩崎邸庭園。いずれも大名屋敷だった所を岩崎家が買い上げたもの。清澄公園は一度、六義園は何度も行ったことがある。ここへ来て完全制覇。
先日訪れた旧朝香宮邸よりも大きく豪華だった。さすが財閥の迎賓館だっただけのことはある。
広々とした大食堂や明るいサンルーム。タイルや天井、壁のしつらえにも気を配っている。ヨーロッパの古風な映画にでも出てきそうな壮麗な雰囲気がある。
室内は外履き禁止で、写真撮影も禁止。写真を撮ることができた旧朝香宮邸とは同じ都立公園なのに違う扱い。元が個人所有の物件だったからだろうか。ちょっと厳しすぎるように感じた。
もう一つ、気になったこと。庭園はかなり広いものの周囲に高い建物があるので、屋敷を写真に収めると背後に無粋な建築が写り込んでしまう。
建築は丁寧に保存されていても景観がこれでは台無し。東京の魅力を過去と現代が混在しているところに見る観光客もいるかもしれない。私には醜悪な風景にしか思えない。
文化財を保存するときにはその物件だけではなく、それを取り巻く環境も一緒に保存するようにしてほしい。
大学時代のゼミの同窓会、還暦前に早世した指導教授の名前からF会と呼んでいる。2月の遅めの新年会以来の開催。場所は前回と同じ。高田馬場のスペイン・バル、Le Cepa。
3ヶ月ぶりでも、それぞれの置かれた状況は変化している。今回はとくに年度かわりの時期なので変化が大きい。私は娘が家を出て二人暮らしになったことを伝えた。
つい最近読んだ『〈ほんもの〉という倫理』(チャールズ・テイラー)も話題になった。
「テイラーに対して、理想主義的でインテリ志向。大衆的でないという批判がないか」という私の読後感に対して、詳しい一人から「そういう受け止めはされていない」という返答があった。私の印象に過ぎなかったらしい。
政治思想史のゼミだったのでウクライナ侵攻や広島G7など、政治の話も多く出た。
4人は仕事がまったく違う。別の業界や職業について話を聞くのは面白い。とはいえ多忙な毎日について聞くのはなかなか辛い。
今回も場所はスペイン・バル。店の人にもすっかり覚えられた。
エビのアヒージョ。椎茸の肉詰め。たらのコロッケ。リゾット。どれも美味しかった。中がとろけている生ハムのコロッケは絶品だった。
ワインは何本空けたのか。5本か6本か。皆、よく呑み、よく話す。
次回は7月。志半ばでたおれたN君を追悼する。
さくいん:チャールズ・テイラー