札幌に住んでいる高校時代の友人に会いに行こうと思い立ち、春休みに連絡をした。すると4月から東北地方に転勤になると返事があり、4月に入り福島に落ち着いてと連絡があった。そこで彼が落ち着いたところを見計らい、今も横浜に住む友人と訪ねることにした。福島へせっかく行くので会津の芦ノ牧温泉に宿を取り、1泊2日の小旅行を計画した。
そもそも、長年、札幌に住んでいた友人が、なぜ50代半ばを過ぎて転勤、しかも単身赴任なのか。尋ねたいことを胸に秘めて東北新幹線に乗った。郡山駅で降りると16年ぶりに会う旧友が改札口で待っていた。
もともと彼は北海道内にしか拠点のない会社で働いていた。ところがその会社が全国区の会社と合併し、新体制の東北地域の長として彼に白羽の矢が立ったということだった。もともと転勤の希望は出してはいない。北海道でずっと暮らすつもりだったという。会社から評価されているのだろう。話しぶりはすっかり経営者だった。
移動はクルマなので、楽に広く回れた。訪れた場所を先に書いておくと、喜多方、さざえ堂、芦ノ牧温泉、大内宿、鶴ヶ島城(会津若松城)、そして最後に猪苗代湖。Googleマップのナビゲーションのおかげで道に迷うこともなかった。
まずは喜多方の坂内食堂でラーメン。昼どきで長い列ができていたものの、店が広く回転も早いのですぐに食べられた。薄口スープにちぢれ麺。さっぱりとした味だった。
今回、どこへ行っても思ったこと。ネットでの評判のせいで混んでいるところと空いているところの差が激しい。同じ地域内でも店や旅館によって大きく差があるように見えた。
さざえ堂。ここは20年前に雑誌で見てから来たかった場所。一方通行のまま昇って降りる不思議ならせん構造。面白かった。
さざえ堂の隣に白虎隊が自害した飯盛山がある。そのことは翌日、お城を見学して知ったので、初日には立ち寄らなかった。
さざえ堂を見てから山道を走り、芦ノ牧温泉へ。土曜日でそこそこ人はいたけど、箱根のように大混雑ではない。のんびり過ごすことができた。部屋の窓からは渓谷が見下ろせる。絶景だった。
宿はネットで特に調べもせずに私が予約した。温泉も広く、食事も美味しく、友人たちも満足していたので安堵した。
親のこと、家族のこと、仕事のこと、健康のこと、それから、会うたびに蒸し返す、高校時代のエピソード。それぞれに、悩みがあり、苦労があり、人生の楽しみもある。話は尽きない。恥ずかしい若気の至りも知られているので、気持ちは楽。気のおけない友人は本当にありがたい。
この夜は、どういうわけか、なかなか寝つけず、眠りも浅かった。眠れたのは1時間ほど。布団を掛けて寝ていたら汗だくになり目が覚めた。
翌朝は、3人とも5時過ぎには起きた。早朝の温泉は混んでいた。土産を買ったり、写真を撮ったり、ゆっくりチェックアウトしてから、江戸時代の宿場町の風景が残る大内宿へ。
こういうところは初めて見た。時代劇が撮影できるのではないかと思うほど、古い時代の雰囲気が残っている。側溝には清水が流れていて、風も吹きはじめて、日差しは強いものの、少し涼しさも感じられた。
ここは駐車場待ちの渋滞ができるほどクルマも人も多かった。インバウンド旅行者もたくさん見かけた。
今回、田んぼをよく見かけた。私の家の周りには近郊型の野菜畑はあっても田んぼはない。新鮮な風景だった。
大内宿から山を下り、会津市内に入った。クルマを停めて名物のソースカツ丼を食べてから鶴ヶ島城に昇った。昨年、リニューアルされたので建物もきれいで展示もわかりやすかった。
展示は、会津戦争の経過を詳細に解説していた。激しい内戦だったこと、多くの犠牲者が出たこと、最後は降伏したこと、敗戦後、お家再興となったこと、などなど、多くのことに気づかされた。
天守閣5層からは会津盆地が一望できた。遠くの山の上に風力発電の大きな羽が見えた。
展示は大河ドラマ「八重の桜」を思い出しながら見た。新島八重のパネルも綾瀬はるかにしか見えなかった。
郡山まで帰る途中、猪苗代湖に立ち寄った。今回、どこへ行っても空が広々していて、その上、とてもきれいな青空だった。
郡山駅でコーヒーを飲み、再会を約束して別れた。新幹線は速い。夕飯は家で食べられた。
1泊とは思えないほど、長い時間を過ごした気がする。初めて行くところばかりだったからだろう。失敗が怖くて、旅行は、つい前に行った場所に行きがち。勇気を出して、初めて行く場所へ旅するのもいいだろう。
小旅行の翌日の月曜日はあらかじめ休みにしておいた。これは正しかった。炎天下を歩きまわったので思いのほか消耗していた。午前も午後も、冷房をつけた部屋で眠ってしまった。夏の旅行はよくよく用心しなければならない。