今年は、一人の時間を豊かにしようと思う。在宅勤務が常態化してから一人でいる時間が増えた。外で友人に会う機会も減った。
それをずっと「誰とも一緒にいられない」と否定的にとらえていた。一人でいることを孤独とか孤立とかネガティブな言葉で受け止めていた。そうではなくて、むしろ積極的に一人でいる時間を楽しむようにしたい。
最近は「ソロ活」という言葉もあり、一人の時間を満喫する人も増えていると聞く。
一人図書館、一人美術館、一人グルメ、一人カラオケ、一人旅。何でも一人でやってみる。
もう一つ、目標にするのがデジタル終活。終活というと大袈裟ならばデジタル整理としてもいい。パスワードを紙に書いておいて何かあったときに家族が困らないようにする。
さらにもう一つ、大きな仕事がウェブサイトの移行。このサイトは、ISPであるBiglobeのサーバーを借りている。メールも主に使っているのはこの会社のアカウント。ここへ来る迷惑メールが最近激増している。どこかで漏洩があったのかもしれない。
Biglobeのメールをやめたいので、まずは、ユーザーIDをこのメールにしているサービスをすべて別のメールに移行する。これは昨年末から作業している。
次にウェブサイトをサードパーティの無料サーバーへ移行する。これは時間をかけて慎重に進める。サーバーを移行したら索引も書き換えなければならない。これもゆっくり進める。
それから、英語、仏語、手書き。ここ数年、毎年目標にしているけど続かない。やる気はあっても続かない。これは何とかしたい。
去年再開したギターも、途中で練習をやめてしまったので、再開したい。
さくいん:一人、英語
穏やかな年末年始だった。これまでには呑み過ぎたり、夜、眠れなかったり、急に悲しい気持ちになったりすることがあった。今年はそういうことがなかった。
小学六年生の姪から89歳の母まで9人が集まり、楽しく過ごすことができた。
30日に私が買ったのは、主に鶏肉。煮しめ用2Kg、雑煮用1Kg、そして、我が家の正月の定番カレー用に2Kg。31日には皆が集まるまで、料理を手伝った。母は味付けに問題なく、むしろ大人数のために料理をすることを楽しんでいた。一方で、自分が何を作っているのか、わからなくなったり、段取りがうまく行かないこともあった。横で段取りの案内をしながら味付けを教わった。「おふくろの味」を継承できるか。将来の課題。
いつもならいい感じに酔いがまわり、紅白歌合戦の途中で眠ってしまうところ、昨年は、B'zもThe Alfeeも、米津玄師もしっかり見た。私には、『光る君へ』よりも『虎に翼』に思い入れがあったことがわかった。
元日の夜から少しずつ人が減っていき、今朝は母と二人になった。煮しめも雑煮もきれいになくなった。二人で燗した酒を呑み、箱根駅伝の中継を見た。
今年は夜更かしもしなかった。いつも通りの時間に寝てよく眠れた。目覚めも良かった。健康面で幸先がいいのはうれしい。
3日の昼に実家を出て帰京した。走っている駅伝の選手が品川付近で車窓から見えた。東京からはまた中央線のグリーン車に乗れた。これまた幸先がいい。初詣にはまだ行っていないけど、気持ちの年始を過ごしている。
夜は子どもたちに餃子を振る舞った。600gの豚ひき肉で50個作った。3人でちょうど食べきった。餃子はすっかり「我が家の味」になっているらしい。ありがたい。
子どもたちは、なぜ私がビリー・ジョエルを聴き続けているのか。なぜ、ときおり餃子を一人で作るのか、知る由もない。知らせる気も私にはない。
私がこの世界から立ち去ったとき、このウェブサイトを見つけて知ることになるかもしれない。それとも、私が立ち去るときに、この世界も消滅させたほうがいいだろうか。
さくいん:HOME(家族)、紅白歌合戦、米津玄師、餃子、ビリー・ジョエル
今年の密かな野望。一昨年に自主制作した本、『自死遺族であるということ』をもっと売りたい。世に広めたい。
極めて個人的な手記ではあるけど、作った以上は多くの人に読んでもらいたい。同じ境遇の自死遺族の人や、グリーフケアに関心がある人にとっては有益な作品と信じている。
では、どうやって拡販するか。Twitterのフォローワー数は少ないので、ここからの拡販は期待できない。
認証済アカウントにして宣伝するという手もあるけど、費用がかかりすぎる。同じようにお金をかけるなら、PODの宣伝ではなく、ハードカバーで自費出版したい。
さて、どうするか。11月の開園記念日までには方向を定めたい。
さくいん:自死遺族、悲嘆(グリーフケア)
毎年買っている雑誌を読みながら今年の計画を立てる。
ポーラ美術館は2月に御殿場旅行を計画しているので、そのときに行けそう。
ここ数年、この雑誌で特集されるような大型企画は混雑を恐れて出かけていない。今年は休みをとって平日に行こうと思う。
ほかには、歴博とか大河美術館とか、ちょっと遠いところへ旅行気分で行きたい。
さくいん:府中市美術館、三菱一号館美術館、大川美術館
冬休みの最終日だった昨日。何をしようか、あれこれ思案した結果、神代植物公園へ蝋梅(ろうばい)を探しに行った。
行ってみると蝋梅は見頃でいい香りを漂わせていた。天気は雲一つない晴天。芝生広場のパンパスグラスも青空に映えた。百日紅(さるすべり)の並木には人影もなく、冬らしい光景だった。
今年最初の森林浴とナチュラル・マインドフルネスのひとときを過ごした。
散策のあとは深大寺そば。仕事初めの前日なのでお酒は控えた。代わりに、いつもは頼まない天ざる中盛りを食べた。
気持ちのいい一日だったのに、長年大事に使っていた手袋をどこかで片方落としてしまい、悲しい気持ちで帰宅した。
さくいん:神代植物公園
日曜日。神代植物公園ではいつもの通り、大温室でゆったりとした時間を過ごした。
この日はらんやベゴニアは見ずに、熱帯スイレン室に長い時間いた。
たくさん咲いているなかからお気に入りの品種を選んで写真を撮った。
写真は、左上から順に、アフター・グロー、ホワイト・パール、ムラサキシキブ、ティナ、グリーン・スモーク、アヴァランチ。
さくいん:神代植物公園
子どもがいなくて悩む人もいれば、子どもを産んで苦しむ人もいる。
不妊治療をしても子を授からなかった人は深い心の傷を負うという。その一方で『母親になって後悔してる』という本が話題になり、同じ趣旨の日本版も刊行されている。
子どもを虐待する親の事件も後を絶たない。「毒親」という言葉も定着した。多くの人が「家族」のあり方について悩んでいる。
自分の子どもを残したい
そういう血のつながりに対するこだわりの強さは、血のつながらない子どもを育てている人たちへの偏見の裏返し。育てられている子どもへも偏見がある。
戦前のほうが里親制度は根づいていた。養子縁組は日常的なものだった。くわえて、書生や使用人、居候など、戦前の「家」には血のつながらない人もたくさん住んでいた。そういう人たちの集まりが「家族」だった。無論、すべての家族が円満だったと言うつもりはない。
現代では、ペットは家族の一員と思っている人は少なくないのに、養子を迎えて里親になることに選ぶ人は少ない。
現代の家族観のほうが偏狭に思える。そこに現代の「家族」の息苦しさがある。
さくいん:HOME(家族)
新しいパジャマ
妻がクリスマスに新しいパジャマをプレゼントしてくれた。しばらく息子が家を出るときに残していったお古を着てい他ので少々ミジメな気持ちだった。
新しいパジャマはネル生地で柔らかく温かい。
夜、寝るときには暖房はつけない。寒いときには足元に湯たんぽを入れる。
朝は寒いので、目が覚めたらエアコンをつけて部屋が暖かくなってから着替えている。
以前は寒くても朝、散歩をしたときもあった。最近は「筋トレは家でしている」と言い訳して、平日はほとんど家から出ていない。
『烏兎の庭』というタイトルでウェブサイトを自作しはじめたのは2022年の秋。それから20年以上が経過してネット事情も大きく変わっている。
一言で言うと初期のページは今の感覚ではデザインが古い。スマートフォンに対応したレスポンシブデザインでもない。
アクセス解析を見ると、7割以上の人はモバイルで閲覧している。多くのユーザーにフレンドリーでないサイトは不親切だろう。リニューアルすべきではないか。
その一方で、デザインの変遷は私の知識と技術の進歩の歴史という思いもある。すこしずつ改良されている過程もウェブサイトの一部と言える。
試しに第五部の目次を第七部の目次のデザインに流し込んでみようと試みたところ、一からデザインを作るよりも難しかった。出来上がっているデザインを別のフォーマットにするのは簡単ではない。
結局、当面は古いページは古いままにすることにした。
退職して、することが何もないほどヒマになったら挑戦するかもしれない。
新春ドラマを録画しておいてあとで見た。喪失と再生とは。家族とは。兄弟とは。そんなことを肩肘張らずに、ふんわり考えさせるドラマだった。江ノ電とちょっと似ている釜山の鉄道が効果的に使われていた。傑作とは言えないまでも、悪くはない、佳作と書いておく。
鎌倉に住む両親のいない兄弟姉妹の物語、というと『海街diary』を思い出さずにはいられない。10年前に公開された『海街』に比べると、国際結婚、同性婚、独身女性の身の振り方など、随所で「多様化」が見られる。この10年で確かに家族観は「多様化」した。
しっかり者の長女、自由奔放な次女、甘え上手な末っ子。こうした設定は『海街』とほぼ同じ。少々ステロタイプな感じがあった。
「寂しさ」がキーワードの一つだった。家族は「寂しさ」を埋めてくれる場所ではあるとしても、いつかはそれぞれ巣立たなければならない。
両親を突然の事故で失ったために、三人の絆はふつうの兄弟よりずっと堅いものになった。三人とも大人になり、それぞれの道を進まなければならない年齢になっても、絆が強すぎて自分の道を選ぶことができずにいた。
それだけ両親との突然の死別は強い衝撃を与えて、深い傷を残したのだろう。ドラマでは直接描かれなかったところが気になった。
それぞれが自分なりの幸せを模索する姿に共感したし、丸くまとまった結末もよかった。深刻すぎず、正月休みのあいだに見るのにちょうどいいドラマだった。
私も三人姉弟だった。一番上の姉は勉強はできたけれども、心は不安定でしっかり者とは言えない人だった。姉が生きていたら、大人になってどんな姉弟関係になっていただろうか。ふと、そんなことも考えた。
新春ドラマというと、3年前に見た『優しい音楽』も鎌倉が舞台だった。テレビ局は正月になると江ノ電の魅力にすがりつきたくなるものなのか。
さくいん:江ノ電、『海街diary』、松坂桃李、HOME(家族)
図鑑が大好きなので、この特集は買わずにはいられなかった。
図鑑の王道である植物生物系には興味がない。興味があるのは、歴史、宇宙、乗り物、旅、伝記。
たくさん面白そうな図鑑が紹介されているので、これから図書館で借りるのが楽しみ。
私の図鑑好きの出発点は、父が買っていた別冊太陽と私がせがんで買ってもらったケイブンシャ『大百科』シリーズ。このシリーズを扱った図鑑も面白かった。
今回、寄稿している人のなかにも、70年前後に生まれた人で幼少期の思い出に『大百科』シリーズを挙げている人がいた。
読んでみたい図鑑をとりあえず3冊、上げておく。
私のお勧め図鑑。歴史と旅、乗り物、宇宙のカテゴリーから選んだ。
ほかにも紹介したい図鑑はたくさんある。
ブクログにはすでに500冊以上の図鑑が登録されている。
さくいん:パリ
ブクログ:図鑑
土曜日は今年最初の診察だった。穏やかな正月だったことを伝えて話はすぐに終わった。
診察後のランチは今年初めてのハンバーガー。新装開店となったオリジナル・パンケーキ・ハウスでポートランドバーガー。ベーコンとチーズ入り。パティというよりはこの店で出しているハンバーグをはさんだような厚みと丸み。味はまろやか。もう少しワイルドでいい。
吉祥寺から三鷹まで歩いて午後はカラオケで歌い初め。
いつもと違う選曲をした。その1。松本隆シバリ。「君は天然色」「青春試考」「硝子の林檎」「探偵物語」「夏色のおもいで」「忘れ雪」「てぃーんずぶるーす」。
その2。山川啓介シバリ。「夢の船乗り」「戦士の休息」「太陽がくれた季節」「ふれあい」「勇者ライディーン」。
この二人の作詞家には好きな歌が多い。
3時間以上たっぷり歌って満足した。
さくいん:松本隆、山川啓介
神代植物公園でロウバイが見頃だったので、日曜日に小金井公園にも行ってみた。
こちらはまだ二分咲き。それでも、いくつかの咲いている花に鼻を近づけるとほんのり甘い匂いがした。梅林はまた2月に来る。
久しぶりに江戸東京たてもの園も見た。人もまばらでゆっくり見学できた。
田園調布の大川邸、建築家の前川國男邸、文京区にあった小出邸宅。いずれも昭和初期の上流階級の暮らしぶりがよくわかる。冷蔵庫や電熱器もあって驚いた。
最後の写真は居酒屋、鍵屋。たてもの園で一番好きな場所。こじんまりとした空間に、酒好きが好みそうな器や看板がたくさんある。こんな居酒屋で呑んでみたい。
さくいん:小金井公園(江戸東京たてもの園)
3連休の最終日。昼前、妻と近所のそば屋へ行った。
天気はよくても風が冷たい。再び鍋焼きうどんを食べた。妻は五目そばを食べた。
将来の旅行のために新NISAで積立をしようか。そんな相談をした。
妻は自転車に乗りスポーツジムへ出かけた。私は身体が温まったので、すこし歩いて武蔵関公園を散歩した。
公園のシンボルとも言えるメタセコイアは、先月末はまだ緑色の葉もあったのに、すっかり落葉して冬景色になっていた。秋は短かった。
以前は、例年、成人の日のあたりで風邪を引くことが多かった。冬休みの暴飲暴食のせいだったり、休み明けに通常勤務に慣れなかったり。
今年は冬休みのあとでも調子がいい。この一週間は快眠度の平均が95%を維持している。
帰宅して、録画しておいたドラマ『心の傷を癒すということ』、全四話を一気に見た。正確には最終回の途中まで見た。悲しい結末になる最後は今回、見ることができなかった。
昨年ずっと藤原道長として見ていた柄本佑が生まれつきの関西人の医師になりきっていて、思わず唸ってしまう。
今月は、安克昌の原著『心の傷を癒すということ』が「100分de名著」で取り上げられている。放送を最後まで見たら最終回も見直せるかもしれない。
さくいん:安克昌
信仰を持つならば、その組織に入らなければならないのだろうか。おそらくそうだろう。
信仰を持つことと組織への加入は同義。自分一人だけの信仰は傲慢でしかないから。
学校でも会社でも、どんな組織にもなじめず、いつも飛び出してしまう私は、宗教組織にも入ることはできず、それゆえ信仰を持つこともできないだろう。
内村鑑三の無教会主義も一つの組織であることに変わりない。八木重吉の純粋な信仰心に由来する唯聖書主義のような立場にも賛同しかねる。
キリスト教において、教会という言葉は、もともと建物や集会を表す言葉ではなく、同じ信仰を持つ群れ(集団)を指していたとYouTubeで聴いている説教で知った。信仰と教会、すなわち宗教と組織は表裏一体のもの。
キリスト教に関心があることは否定しない。これまで出会った本や人に影響を受けているのは間違いない。でも、それだけで受洗を決意することはない。
罪が赦されるという考えがいまだにわからない。私の罪は赦されるものではないと思っている。また、いつかは無に帰りたいと思っているので「永遠の命」もいらない。
もとより私の属性の一つは、キリスト教の教義においていまも大罪とされている。これが改正されないかぎり、私がキリスト教徒になることはない。
さくいん:内村鑑三、八木重吉
正月に神代植物公園へ行ったとき、深大寺の横にある園芸店で梅の苗木を見つけた。
店主に訊くと栽培はそれほど大変ではないらしい。実家にある梅の木も、元は父が鎌倉の園芸店で買った小さな苗木で、特別なことはしていないのに大きく育った。
前々から庭に梅の木が欲しかった。姉の諡が「寒梅清香大姉」だから。
紅冬至という品種で名前の通り、冬至の頃から開花する早咲きの紅梅らしい。
「寒梅忌」と名づけた姉の命日である2月6日よりは早く咲いてしまうかもしれない。もし冬至の頃に咲くなら、新年の祝いにふさわしいだろう。それはそれでいい。
庭仕事に取り組むのは初めて。これから家族の一員のように大事に育てていく。
さくいん:自死遺族
連休の中日に妻とAmazon Primeで観た。
もし、結婚していなかったこんな暮らしをしていたかもしれない。それが最初の感想。私は妻の存在に救われているし、依存もしている。そんなことを思い返した。
表情だけで微妙な感情の機微を表現する役所広司の演技は素晴らしかった。とくに最後の長回しを妻は絶賛した。そしてクレジットを見終えてから、妻も「結婚していてよかった」と言ってくれた。
東京の街がきれいだった。美化しすぎていると思う人もいるかもしれないくらい美しい。
現実のトイレはもっと汚い。そういう声もありそう。でも外国人から見た東京はこういう風に見えているのかもしれない。世界の大都市のなかでも治安と清潔さでは国力が衰えたと言われている今でも高順位にあるだろう。
孤独とは何だろう。一人暮らしで同じような毎日を繰り返す主人公でも、孤独ではない。さまざまな人々とのコミュニケーションがある。充実した彼の暮らしは、孤独であっても孤立ではない。
在宅勤務でふだんは誰とも話さず、出社しても雑談する相手さえいない私のほうが、よほど孤独に思える。そんな孤独な暮らしのなかで、私は主人公と同じような微笑をたたえることがあるだろうか。
妻と過ごす時間が私のとってはほとんど唯一の微笑を浮かべる時間になっている。睦まじいことは悪いことではないけれど、依存しすぎてはいけない。
何か、人とかかわる機会を作らなければならない。私自身の"PERFECT DAYS"を送るためにも。
でも、違う風に考えることもできるかもしれない。
5時に在宅勤務を終えてキッチンへ下りる。
グラスいっぱいのマティーニを作り、ゆっくり呑みながら夕飯の支度をする。
部屋にはお気に入りの音楽が流れている。
誰をうらやむこともない。これで十分にMY PERFECT DAYSとなっているではないか。
さくいん:孤独、マティーニ、日常
年末に買ったのになかなか読めないでいた。理由は「修学旅行」という言葉が1ページ目で目に入ったから。
中学の修学旅行も最悪の記憶だけれど、高校の修学旅行も楽しいものではなかった。まず、体調がよくなかった。入学したばかりの英語学校の日本語禁止の合宿あとで、ろくに睡眠もとれずに出発した。
人間関係もよくなかった。一年生のときに班を決めたものの、そのグループの人間関係は、二年生の夏前には破綻していた。原因は、いうまでもなくグループ内の色恋沙汰。私も、その渦中にいた。相手の言葉に一喜一憂して、「好き」とはっきり口にすることもできず、勝手にいい感じになったり疎遠になったりしていた。
だから本巻では「好き」を相手に伝えられたミカは勇気があると思った。本作で一番気になるのはミカかもしれない。
夏休みに入った英語学校の方がずっと楽しかった。いろんな学校の人と友だちになれたし、素敵な上級生にも出会えた。
この頃、学校の成績も悪かった。夏休みに力試しに受けた模試の結果は最悪だった。そういうわけで、気持ちはすっかり高校から離れて英語学校に向かっていた。
修学旅行にそんな記憶があるので、本巻で描写された複雑な友人関係、恋愛関係にはいちいちドキドキした。漫画として読めば微笑ましいけど、当人たちは真剣。私もそうだった。
なつかしいというよりは、イケテナイ高校時代の自分を思い出してちょっと切ない気持ちになった。
次巻の舞台は文化祭らしい。これまたいい記憶がない行事だった。
さくいん:高松美咲
土曜日に横浜でそごう美術館へ行った。手塚治虫の原画を見るのは初めて。
『まんが道』で若い二人が初めて手塚の原稿を見て驚愕する場面があった。その日の私もそうだった。コマごとの修正はなく、ページごとに完成されていた。描き直すときにはページ丸ごと描き直していたのだろうか。
一番好きな「ハローCQ」を原画で見ることができて幸せな気持ちに浸った。なぜ「ハローCQ」なのか。おそらく、孤独な人がかけがえのない友人を見つける話だからだろう。
展示されている原稿は膨大で、原稿のほかに連載当時のカラー表紙など貴重な原稿が展示されていて非常に見応えがあった。
展示されていたうちで私の好きな作品を挙げておく。「老人と木」「六等星」「古和医院」「上と下」「消えさった音」「スター誕生」「ネコと庄三と」「おばあちゃん」。
ちょっと高かったけれど、思い切って図録も買った。
さくいん:『ブラック・ジャック』、手塚治虫、孤独、モグリ
このHPと同じ内容を無料のレンタルサーバーにも設置した。
これでいま間借りしているBiglobeが個人HPのサポートをやめたり、万一私が急死しても、このサイトはレンタルサーバーが事業を止めないかぎり残すことができる。
合わせて"utomin.com"というドメインも980円で購入したけれど、こちらは毎年更新料がかかるので使わない。独自ドメインは見た目はいいけど、実際には、キーワードで検索して訪れる人がほとんどだからURLが複雑でも問題はない。いまのURLもシンプルではない。
無料サーバーの容量上限は3GB。私のサイトはほとんどがテキストなので画像を入れても1GBに満たない。まだまだ続けられる。
さくいんのページも新しいサイトに連動するように新しく作った。
残っているのはブクログに記入してある各文章へのリンク。これは2,600個以上あるので、ゆっくり書き換えていく。
サーバーの複数化には時間がかかると思っていたけれども、さくいんページの構築も含めて数日で完了したので拍子抜けした。
ミラーリングが必要なほど多くの人が訪れるわけではない。とはいえ、バックアップを独立した場所に無料で設置できたことで大いに安心している。
波瀾万丈の人生を辿った島崎藤村は晩年、「過去を忘れるんじゃあないんだね。過去を葬るということをようやく気がついたんだよ」と妻に語ったという。
藤村の評伝を読んだ2006年にはこの意味がわからなかった。
今では少しわかるような気がする。
深い闇から立ち直るとき、心を傷つけた「事件」は「退屈なエピソード」になると中井久夫は書いていた。
「葬る」とはそういうことではないか。
「忘れる」ことではなく「忘れてもいい」と思えること。
忘れても「出来事」は身体の一部になる。
なぜなら傷は身体全体に受けているものだから。
さくいん:島崎藤村、中井久夫
昨日は用事を頼まれ出社した。今年初めて。
8時半から5時までオフィスにいた。そのうち2時間は珍しく会議に出席した。疲れた。
通勤だけでも1時間半かかるのでとても疲れる。慣れていたはずの満員電車が苦しかった。
地方で生まれ育った人が上京したときにはこんな感想を持つのだろうか。
オフィスでは、相変わらず一人ぼっちだった。フリーアドレスのオフィスで同じ部署の人が隣に座っていたけれど、声をかけられなかったし、自分からも話しかけなかった。ランチは一人で牛丼を食べた。
このまま、こういう感じで65歳まで働くことになるのか。私は構わない。
正社員は60歳を過ぎると現在の私よりも給与が安くなるらしい。私は無期雇用契約をしたので、65歳の定年まで給与は変わらないはず。現在の条件のまま65歳まで働けるとしたら、とても恵まれている。
長くオフィスにして疲れたけど、早朝と夕方にご褒美があった。夜、憂さ晴らしに、熱燗にした日本酒を呑んだ。
さくいん:一人、富士山
小さな会社で働いていた時、社長が辞めて私が社長代行を務めることになった。そのとき米国本社のモンスター社長に言われた。
いまは泳ぎ方を教えたり、練習したりする暇はない。俺はお前を海に突き落とす。自分で泳ぎ方を覚えろ
自分の営業活動に加えて、中途採用に経理の業務もこなさなければならず、8ヶ月間、働きづめだった。結局、泳ぎきれず、新社長が着任して元の営業職に戻った。
そのときすでにうつ病を患っていたから激務をこなせるはずもなかった。
いまでも、当時のことを思い出すと胸が苦しくなる。
先日、家族で食事をしたとき、「社長代行を一時していたけど、失格で営業職に戻った」と打ち明けたら、「あの頃、子どもから見てもも忙しすぎに見えた、元に戻ってよかったよ」と娘に返された。子どもの観察力は侮れない。
さくいん:うつ病
先月、阪神淡路大震災から30年が経ち、震災体験の風化という言葉をよく聞いた。
風化どころか、自死した人は初めからいなかったかのようにされることさえある。
存在の抹消。誰も思い出を語らない。会話に名前さえ出さない。
こういう状態は「公認されない死」と呼ばれる。
でも、「公認されない死」を作り出している人びとを非難する資格は私にはない。私自身が「存在の抹消」に加担しているから。
先日、テレビの懐メロ番組に鈴木康博が登場して「ロンド」を弾き語りで歌った。とても懐かしかった。この感動を姉と分かち合いたかった。
その気持ちを隣に座っている母には伝えられなかった。89歳になる彼女が隠している心の古傷に触れたくなかったから。こうして姉の名前は会話に出ないまま時は過ぎた。
私には悲しみを分かち合う相手がいない。一人で悲しみをかみしめている。そして姉の死を「公認されない」ものにしたままにしている。
「ロンド」を聴いた翌日、母が美容院で散髪しているあいだ、カラオケ店で90分間、オフコースばかりを歌った。悲しくなる歌ばかりなのに、不思議と気分は晴れやかだった。
「悲しみとともに生きる」「最も悲しいときが最も幸せ」
そういうことが少しずつわかってきた気がする。
さくいん:自死遺族、オフコース、悲しみ
ドラマ『心の傷を癒すということ』のスタッフが神戸を舞台にした新作を制作したと聞いて興味を持った。土曜日の朝早く、吉祥寺アップリンクで鑑賞した。
心の傷を抱えた人たちの「生きづらさ」が丁寧に描かれている。「生きづらさ」の原因は、震災の影だったり、出自の秘密だったり、コロナ禍の影響だったり。まさに人それぞれ。
うつ病の描写が鮮明で自分が一番苦しかった時期のことを思い出して少し苦しくなった。それくらいに真に迫った演技だった。
人は人との関わりによって傷つく。その傷を癒すのもまた人との関わり。
どう生きたらいいのか、わからずに途方に暮れている灯は、もがきながら家族や周囲の人たちとの関わりを修復していく。社会が抱える問題は複雑で、「生きづらさ」も簡単には解決しないけど、ひたむきに生きる人の姿に心を打たれた。
長回しのシーンが多く、創作ではなくドキュメンタリーのようにも見えたところもあった。おそらくあえてそういう手法を取っているのだろう。
長回しのなかでも、とくに記憶に残るのはエンドロールのあいだずっと映っている灯。これからも、彼女が「生きづさら」のなかで生き続けていくことを決意しているように思えた。エンドロールは彼女の人生の新たな始まりを示唆している。
このシーンを何度も思い出せるように主題歌「ちょっと話を聞いて」は購入した。
私はどうだろう。姉を失くして家族は崩壊寸前のまま、何とか大人になり、自分の家族を持った。だが、転職を重ねるなかで心を病み、「生きづらさ」をかかえることになった。姉の自死という秘密を誰にどう打ち明けるか、という問題も解決していない。
中年を過ぎた私には灯のようなひたむきさはもうない。人との関係を修復したり、ましてゼロから構築することにも消極的。
とりわけ今年は「一人でいること」を極めようと年初に決めたこともあり、映画には心を動かされたけど、自分の行動まで変わるとは残念ながら思えない。
「生きづらさ」と「悲しみ」を抱えたまま、これからも生きていくのだろう。それは灯も同じ。そうでない人生もきっとあるだろう。それだけで幸不幸が決まるわけではない。
「生きづらさ」と「悲しみ」とともに生きる人生にも幸せはある、きっと。
さくいん:神戸、うつ、秘密、自死遺族、孤独
神代植物公園の梅が咲きはじめたとTwitter(現X)で知り、映画を見たあと、バスに乗り出かけた。
早咲きの八重寒紅は枝いっぱいに咲いていた。この写真は2月の扉絵にする。
珍しいスノードロップも咲いていた。うめ園では冬至という種類が咲きはじめていた。ロウバイは満開だった。
昼に吉祥寺のまめ蔵でチキンカレーを食べたのに、ここまで来ると食べずに帰れず、多聞で温かい山菜そばを食べて帰った。
さくいん:神代植物公園
古いhtmlファイルをどうするか、迷っていた。すべてのファイルを最新にするのはとても無理。せめて各部の目次くらいはレスポンシブに変更したいと思いなおした。
デザインは最新の第七部に揃える。配色だけはそれぞれ従来のデザインを踏襲する。第一部から第四部までの目次は文章のジャンルごとに分かれていてわかりづらいので、履歴を前面に出す。この原則で作業を進めた。
基本デザインは第七部と同じなので、作業はそれほど面倒なことにはならなかった。手の空いた時間に作業を進めて、一通り作業を終えたところ。
作業をしながらところどころ読み返した。第四部、2013年から2014年のあたりはかなり神経を消耗している。平日は遅くまで仕事をして、週末はひたすら寝る。その繰り返し。
退職を勧告されるのも無理はない。あのまま働きつづけていたらどうなっていたか、考えるのも恐ろしい。よくぞ生き延びた。自分のことながら驚嘆する。
追記:この投稿は18回しか閲覧されなかった。これでは本が売れないのも無理はない。
一昨日、朝、出社して頼まれごとを作業した。居心地が悪いので午後は休みにした。
日本橋まで移動して少し遅いランチにした。食べたのは、チーズバーガーとコールスロー。オニオンリングも追加した。これがとてもおいしかった。
この店はソースにマヨネーズを使っていて、それが味のアクセントになっている。
分厚いわりに潰しやすいところもここのハンバーガーの特長。とても食べやすい。
小春日和だったのに、パソコンを持って歩き回る元気がなくてまっすぐ帰宅した。どこかで梅を見ればよかった。
帰宅してから、録画しておいた「100分de名著」『心の傷を癒すということ』を見て感想を書いた。それから見られずにいたドラマの最終回を見た。一人だったので泣きながら見た。
珍しく妻は友人との食事会にお出かけした。夜は料理もせずに、柿ピーをつまみに、グラスいっぱいに作ったマティーニを呑んで9時過ぎには寝てしまった。
さくいん:マティーニ
ふと見かけたTwitter(現X)にフォローしていないアカウントで「こころの傷を癒すためには、世界は信じるに足るものだという感覚が必要なのではない」という問いかけを見た。
その通り。「この世界への基本的な信頼感」が大切なことは私も知っている。
その信頼感のなかで関係性や物語を編み物のようにきめ細かく、縦横に、さらに立体的に持っている人は強い。強い心を持っていると言える。
私はいま、連続性を持った関係性や時間軸を持った物語を持っているだろうか?
持ってはいても、非常に細くて薄い。切れそうな細い線の上を綱渡りのように歩いている。そんな感じがする。
家族の自死、会社の倒産や整理解雇、うつ病を経験してきた。
そのせいか、「この世界への基本的な信頼感」が希薄。
この日常はいつ何時、突然に終わってもおかしくない。いつもそういう緊張した気持ちでいる。
例えば、街で妻とはぐれたり、家族の帰りがいつもより遅いだけで、もう会えないのではないかと思ってしまう。
さくいん:自死遺族、うつ、日常