桜並木
4/1/2025/TUE
桜まつり
関東バスが通る桜並木 桜並木 桜の花 武蔵野さくら祭りの升酒

日曜日。武蔵野桜まつりへ出かけた。好天に恵まれ大盛況だった。市役所の隣の公園にはたくさんの露店が並んでいた。以前はここに設営されたステージは清掃工場前の広場に移っていた。恒例だった諸団体のパレードはなくなっていた。

コロナ禍で数年中止になっていて昨年再開されたという。昨年は小金井公園に行っていた。

公園の隣にある団地に住んでいたときは毎年欠かさず来ていた。子どもが幼い頃には戦隊ヒーローのショーも楽しみだった。マジレンジャーにサインをもらったのもいい思い出。

姉妹都市の出張露店も楽しみの一つ。南砺市の店で、私は地ビールを吞み、妻は椎茸の詰め放題に挑戦した。ランチには、メンチカツで有名な精肉店サトウがキッチンカーで来ていたのでメンチカツバーガーを食べた。

住んでいた団地のなかにも桜がたくさんあるので、ひとまわりした。ここに住んでいたのは2002年の夏から2009年の冬まで。ちょうど『庭』を始めた頃。当時は今とは真逆で私的なことは書かないようにしていたので、転居のことは書き残していない。

息子が自転車に乗れるようになったのも、娘が一輪車に乗れるようになったのも、ここに住んでいたときだった。子育ての季節をここで過ごした。

何もかも。皆、なつかしい

この沖田十三艦長の台詞が記憶に残る『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ放映50周年を記念した展覧会があった。行きたかったけれど、大混雑とネットに書かれていたのであきらめた。

悔しいのでプライムビデオでいくつかの名場面を選んで見た。


さくいん:『宇宙戦艦ヤマト』


4/2/2025/WED
出社ゼロ

3月は一度も出社しなかった。

これまでときどき用事を頼まれて出社していた。その用事の業務担当部署が変わった。

これで、よほどのことがないかぎり出社することはない。完全在宅勤務。

11年前に営業職の正社員を辞め(させられ)てから、1年間の休養就労移行支援事業所への通所障害者枠での就職活動非正規雇用で採用、とさまざまなことがあった。

そして在宅勤務の開始と常態化。まったくの無職から米系ハイテク企業の営業職についた1996年(28歳)から今日までのあいだに、思いもよらないことが次々に起きた。

でも、病者の祈りにあるように、望んだものは何一つ手に入れられなかったけど、人生を幸福にするものはすべて手に入れた。時間、規則正しい健康的な生活、家族精神生活

I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for

大学を出て就職した会社にずっといる人にはこの経緯は想像もできないだろう。私自身も、何でこんなことになったのか、と自問することが頻繁にある。思っていた人生とはまったく違う道を歩いている。

いま、精神的にも肉体的にもストレスは非常に少ない。こういう暮らしが送れているうちにしっかりと今後の暮らしのプランを立てなければならない。


さくいん:労働