11/1/2024/FRI
ハロウィンの日に思うこと
ハロウィンが近づくと毎年考える。
26年前のこの日、日本からアメリカに留学していた高校生が銃で撃たれて亡くなった。
この日は、彼の死を悼み、銃社会アメリカでの銃規制について真剣に考える日。
お祭り騒ぎをする日などではない。
それなのに、ハロウィンは毎年、商業化を増している。
皆、あの痛ましい事件のことは忘れてしまったのだろうか。
せめてここに、忘れていない者が一人いることを書き記しておく。
さくいん:アメリカ
ハロウィンが近づくと毎年考える。
26年前のこの日、日本からアメリカに留学していた高校生が銃で撃たれて亡くなった。
この日は、彼の死を悼み、銃社会アメリカでの銃規制について真剣に考える日。
お祭り騒ぎをする日などではない。
それなのに、ハロウィンは毎年、商業化を増している。
皆、あの痛ましい事件のことは忘れてしまったのだろうか。
せめてここに、忘れていない者が一人いることを書き記しておく。
さくいん:アメリカ
Twitter(現X)のプロフィールを改訂した。
うつ病患者、非正規雇用、自死遺族。一度は消去した3点をあらためて明記した。
属性を明確にしすぎると読者の幅をせばめてしまうのではないか、という心配から属性は削除していた。
属性を明記しようがしまいが、250人程度というフォロワー数に変化はないだろう。そもそもフォロワー数を増やす野心などない。それなら、堂々とカミングアウトしてしまおう。今回はそう考えた。
昨年、自主制作した著書『自死遺族であるということ』。紙の本は2,700円と割高なためにほとんど売れていない。一冊99円と格安にした電子版や読み放題サービスのKindle Unlimitedでは一冊分程度のページ数が毎月読まれていたけれど、先月は50ページ程度しか読まれなかった。
読んでもらうためには、やはり、積極的な宣伝活動が必要なのだろう。フォローワー数は気にしなくても、自著の読者数は気になる。
多くの人に読んでもらいたいというわけではない。そういうテーマではないことはわかっている。でも、自死遺族の方や、グリーフケアに関心のある方には読んでもらいたいとも思っている。読んでほしいのか、ほしくないのか、矛盾した気持ちにあいだでいつも揺れている。
たくさんの本を取り上げたので、少なくともグリーフケアのブックリストとしては役立つと思っている。
書名の通り、ヨーロッパの聖堂と教会の写真を集めた豪華な写真集。どの写真にも人影はなく、静かなたたずまいが感じられる。
ライン川沿いを起点にヨーロッパを時計回りに移動し、ドイツ、オーストリア、イタリアを巡り、パリに辿り着く。別にバルセロナとロンドンの章がある。オランダやベルギーなど、フランドル地方の章はない。
訪問した記憶があるのは、パリのノートル・ダム、ウィーンのシュテファンス、ロンドンのセント・ポール。ベルギーでは、ブリュッセルやブリュージュで教会を観た記憶がある。
森有正のエッセイ『流れのほとりにて』で何度も言及されているリューベック大聖堂も掲載されている。
ヨーロッパの教会は日本の寺院に比べて空間が高い。東大寺大仏殿は確かに大きいけど、仏像も大きいので、空閑じたいが広くは感じられない。もう一つ、欧州の教会の特徴は光。ステンドグラスを通して差し込む色鮮やかな光や、たくさんのろうそくの火は荘厳な雰囲気を高めている。バッハのオルガン曲を聴きながらページをめくると厳かな気分がさらに高まる。
行ってみたいのは、シャルトル、サン・ピエトロ、フィレンツェのドゥオモ。父は退職後、初めて海外旅行へ行き、一通り回ったあとはイタリア一辺倒になった。ローマやベニスはもとより、アッシジがよかったと述懐していた。
ウィーンとブリュッセルは、娘が2歳で、息子がまだ妻のお腹の中にいるときに両親を招待して行った。25年前のこと。あの頃は海外出張が頻繁にあり、マイレージをたくさん稼いでいたので、そんな旅行ができた。
いまでも母はその旅行の思い出をよく話す。記憶が希薄になってきている母のなかで、あの旅行がいい思い出になっているとしたら、親孝行になったのかなと思う。
65歳になったらパリを旅行すると決めている。ローマまで足は伸ばせないだろう。せめてシャルトルまでは行きたい。
「コンパクト版」と表紙にあるけど、十分に大きく分厚い。
金曜日のこと。前夜から実家に行き、金曜日朝、病院で先日受けたMRIの結果を聞いた。「脳の萎縮は人並みだが、先月、転倒してぶつけたところにダメージがあり、認知症の進行に影響するかもしれない」とのこと。進行具合を確かめるためにもう一度CTスキャンを受けることになった。
「自分のことは自分でできているのは立派だが、一人暮らしで活動が少ない。もっと人と話したり、身体を動かしたりしないと認知症が進んでいくだろう」という診断だった。
医師の診断を受けて、昼食を済ませてから区役所へ行き、要介護認定の申請をした。混み合っているので、ケアマネージャーがつき、介護方針を決めて、実際にサービスを受けるのは年明けになりそう。公的サービスを受ける道が整ったので一安心。
11月1日は母の89歳の誕生日だった。病院と役所まわりだけでは気の毒なので、夕方に、逗子にある。行きつけのレストラン「ラ・ベルデ」を予約した。それまで時間が余ったので、葉山美術館のカフェで小瓶のビールで乾杯をした。
葉山美術館は改装休館中でカフェに客はいなかった。テラスの扉が開いていたので潮騒が聴こえた。天気はよくなかったけど、曇天の海もたまにはいい。
夕食は、スプマンテを開けて、ホワイトアスパラのチーズ焼き、ピッツア・ナポリターナ、逗子産舌平目のグリルで誕生日を祝った。
日曜日。いつものワイン食堂でランチのあと母と別れた。天気がよかったので、神田古本まつりへ行ってみた。露店はたくさん並んでいたのに収穫はなく、疲れたので帰宅した。
さくいん:逗子・葉山
昨日の夕方。駅前でバスを待っていたら、イルミネーションの点灯式をしていた。
もうそんな季節になったか。早い。もう年の瀬の行事が始まるなんて。
日本では11月下旬のThanksgivingの習慣がないから、ハロウィンが終わると途端に街はクリスマス色に染まる。街はいつも何かの色に染まっている。とりわけ都会では季節の移り変わりは自然の風景ではなく、商店街の飾りつけでわかる。
商店街を照らす冬の風物詩を見ながら、この10ヶ月を振り返る。
今年も年始に立てた目標は何一つ達成できていない。英語、仏語、ピアノ、手書き、運動、料理。目標を立てることに意味がないのでは、と思うほど、何もできていない。
ふと考えると、運動だけは続けている。ストレッチとスクワット、かかと落とし、簡単なヨガのポーズ、ステッパー踏み、ダンベル体操とエア縄跳び。眼に見える減量はできていないけど、長期的には健康に寄与しているだろう。
一つだけでも継続できているから、よしとするか。
今日は月例レポートの作成日。毎月唯一の残業日。配信される生データを編集・加工して上席の人たちへ報告する。大事なレポートなので緊張する。
この数ヶ月、手早く仕上げることができていたのに、今月は段取りが悪くて、思いのほか時間がかかってしまった。今日はとても疲れたので、仕事終わりにビールを一缶呑んだ。
ここのところ、仕事に関してすっかり自信をなくしている。何をするにも時間がかかるし、時間をかけているにもかかわらず、ミスも多い。
そうして、仕事のミスを指摘されると、人格まで否定されたように恐怖感を覚える。
誰とでも朗らかに仕事ができる人がうらやましい。テキパキとこなせる人がまぶしい。
そういう人でもきっと悔しく思うこともあるだろうし、うまくいかない時もあるだろう。それでも、そういうネガティブな出来事でも上手に受け流したり、忘れたり術を知っているのだろう。
若い頃、他人と比べて勉強はできる方だった。でも、学校を出てから始めた仕事は勉強のようにはうまくいかなかった。人と協力することが上手でないし、相手の懐に入る器用さもない。細かな数字や語句のチェックも苦手。営業職はほんとうにミスマッチな職種だった。
いま担当している事務仕事やデータ処理も得意ではない。ただ、一人でできることが多いところだけが数い。
営業という職種は、社内外の多勢の人たちを気遣いながら仕事を回さなければならない。人と関わりながら仕事をすることをを楽しく感じる人もいる。私には苦痛でしかなかった。
昨日からの疲れが残っているので、午後は休みにした。在宅勤務だと、朝起きたときに頭が痛いから休む、ということがしづらい。頭が痛くても、パソコンを開けばとりあえず仕事ができてしまうから。そういうわけで、調子が悪くなりかけたときに早めに休むということが難しい。体調が悪いのに仕事をすると、ただでさえミスが多いのに、さらにミスが増える。
毎年、10月に調子が悪くなり、会社を休んでいた。今年はそれもなく10月を乗り越えた。ただ、母の介護と仕事のトラブルで、先月から疲れ気味ではあった。
平日、家にいる代わり週末は努めて外出しているので、週末、家ではあまり休んでいない。それも、今週、疲れがたまっている原因の一つかもしれない。
休むことが目的なので、何もしない。本を読んだり、ギターを弾いたり、そういうことは一切しない。
ベッドに寝転んで音楽を流しながらゴロゴロ、ウトウトして過ごす。
こういうダラけた時間もときには必要。
しばらくして起き上がり、過去の11月に書いた文章を読み返し、推敲をはじめた。
お気に入りの音楽を聴きながらこれまでに書いた文章を読み返す。このひとときに幸せを感じる。
先月、「ほどほどの努力で、ほどほどの成功を得られると思っていた」と書いた。
この考えじたいが行き過ぎた資本主義と新自由主義に毒された考えだったとあるポストに教えられた。
「成功したい」「一角の人物になりたい」。そういう考えに染まっていた。洗脳されていたと言ってもいい。
ほんとうは、私はとっくの昔に競争から脱落していた。「俺は降りるよ」(Movin' Out)と宣言して、自分だけの道を進むつもりだった。それなのに、脱落した場所から「成功」するまで這いあがろうともがいていた。倒産と整理解雇という挫折体験がそうさせた。
「巻き返したい」「捲土重来」。そういう気持ちで30代から40代を生きた。
件のポストには「ヨーロッパでは成功を目指さない人も多勢いる」という含意があった。
それこそが、私が20代初めにヨーロッパを旅して実感したことだった。「時間に追われず、金銭にこだわらず、自分の暮らしたいように暮らす」。実際にそんな暮らしを送っている人にたくさん出会った。そんな暮らしに憧れていたはずだった。
いま、私は「幸運にも」競争から脱落している。もはや「何者」にも、「一角の人物」も、目指す必要はない。
「障害者枠の非正規雇用」という特殊な身分にいて、またしてもそこから這い上がることを夢見ていた。そんな努力をする必要はない。成功した人をうらやむ必要もない。
いま、置かれた環境で、無理のない努力をして、私なりの幸せを見つければいい。
昨日の続き。昨日書いた結論。
いま、置かれた環境で、無理のない努力をして、私なりの幸せを見つければいい。
「置かれた場所で咲きなさない」(渡辺和子)という言葉はそういう意味ではないか。目の前の現状にあきらめて甘んじろということではない。
他人を気にするな。自分を生きろ。
きっとそういう意味だろう。
そういえば、『キリストにならいて』にもそういう言葉があった。
わが子よ、他人が昇進栄達し、あなた自身が軽侮卑下されるのを見ても、心を動かしてはならない。
(「第三部 内的慰めについて」「第三十五章 あらゆる世俗の栄誉を軽んじること」)
何度も気づき、何度も書いたことなのに、いつまでも「世俗的な成功」へのしがみつきを捨てられない。
俗物で欲深で、他人の目を気にして嫉妬深い。この性格、どうにかならないものか。
テレビドラマ『虎に翼』で興味を持ったので、フィクションではない主人公の実像を知りたくなり、三淵嘉子を特集したムックを借りてきた。
ドラマでは、女性の社会進出や戦後の憲法や民法にからめた話まで話題は拡大していた。実のところはどうだったのだろう。率直に疑問と興味がわいた。
裕福で優秀な人。それが本書を一読してからの感想。男子も混ざった明治大学で首席という秀才ぶりに驚いた。
教え子や同僚などのインタビューを読むと、豪放磊落でいて、気遣いもできる優しい人柄が伝わってきた。
もう一度、読み返して印象に残ったのは、女性の道を拓くことと少年の更生に対する強い使命感。
……やっぱり、私は……人間というものを信じている。だからどんなに悪いと言われている少年でも、少年と話をして審判をしているときに、必ずこの少年はどこかにいいところがあって、良くなるのじゃないかと希望を失わないのです。(『判例タイムス)1979年1月から孫引き)
ドラマでは女性として未開拓の司法の道を進む娘に母は「地獄の道よ」と覚悟を促した。私生活でも職業の上でも、彼女の生きた道は地獄とまでは言わないまでも、険しい薔薇の道だった。情熱を注げる職業に就いた人がとてもうらやましい。非正規雇用の身分である私としてはそう思わないではいられない。
朝ドラはフィクションであり、伝記ドラマではない。伝記の本筋には従いながらも、事実ではないこともドラマではたくさん描かれていた。
それを逸脱とは思わない。むしろ、一人の人生をモチーフにしながら、彼女が生きた時代に起きた多くの出来事や事件を幅広く取り上げてドラマに落とし込んだ脚本家、吉田恵里香の腕前は素晴らしいと思う。
このドラマではファッションも楽しみだった。大正時代の紳士たちのエレガントな装いがとくによかった。
参考動画:三淵嘉子を語る/明治大学史資料センター
先週の金曜日。少し気が早いと思いつつ、今年初めてクリスマス・ソングを聴いた。
定番の商業的な曲ばかり。山下達郎の曲はリリースされた1983年、高校三年生で、歌詞にあるような心況に当時あったので、特別な思い入れがある。
スティービー・ワンダーのクリスマス・アルバムを初めて聴いたのも、同じ年の冬だったと思う。
なつかしい曲を聴きながら、今年初めて鍋を作った。作ったと言っても、生協の鍋セットに肉と野菜を追加して煮込むだけ。付け合わせにかぼちゃも煮た。豚汁、ほうとう、湯豆腐。これからの季節が楽しみになってきた。
この日は熱燗を少し呑みすぎて、テレビをつけたまま、ソファで寝落ちしてしまった。
これからクリスマスまで、クリスマスのプレイリストばかりを聴く。
さくいん:山下達郎、スティービー・ワンダー
先週の土曜日。月一の診察日。病院へ着くと待合室に4、5人待っていた。幸い、どの人の診察も短く、すぐに順番が回ってきた。
先月は、緊急事態が起きて、久しぶりに決まった診察日以外に来院した。その問題はとりあえず収まったことを伝えた。夜もよく眠れているし、食欲もある。心配してくれたS先生も安心したようだった。
薬局で出てから、夜の約束の時間までたっぷり時間があったので何をするか迷った。とりあえず井の頭線に乗り、渋谷方面に向かった。
明大前で衝動的に下車して京王線の下りに乗り換えた。目的地は、ミュシャ展を開催中の府中市美術館。
府中には2001年から2006年まで働いていた。社員5人の小さな会社。ここで「成功」するはずが、うまく行かず、最終的に会社は倒産した。あの頃、通っていたらいおん(来恩)らーめんへ行った。昔と同じように、味噌らいおん、味玉子付き。海苔も追加した。
食べているあいだには、穏やかななつかしさがあったのに、あとで反動が来た。土曜日の明け方、当時の仕事を思い出すような悪夢にうなされた。
試作品を客先に持ち込んだが、動作しない。そもそも輸送のトラブルで持ち込みも遅れている。先方の偉い人は烈火のごとく怒っている。
仕事の悪夢を見るのは、かつて働いていた場所へ行ったせいだろうか。それとも、先月のトラブルをまだ引きずっているのだろうか。
いずれにしても、具体的で詳らかな悪夢に営業職時代の苦痛を思い出した。でも、生活のためには見つけられた仕事をするしかなかった。それは今も変わらない。
先週の土曜日の夜、妻と二人でライブハウスへ出かけた。オープニング曲が始まる前、妻が来ていることに気づいて、ともみちゃんが手を振ってくれた。
この店は年齢層が高いし、女性客も少ない。30年前、20代後半で常連の夫婦は珍しかったこともあり、妻の来店をともみちゃんは喜んでくれていた。
この夜も、ステージの合間にテーブルに来てくれて、たくさん話をしてくれた。「推し」と雑談ができるという経験は本当にうれしい。
途中、休養期があったとはいえ、30年間、毎晩歌っている、ということがすごい。歌声は変わらないし、ステージの上ではかわいいともみちゃんのまま。松田聖子や薬師丸ひろ子も変わらない。「スター」と呼ばれる人たちの変わらない存在感には驚嘆する。
「元気をもらう」という言葉はあまり好きではない。でも、この店に来るとそんな気分になる。
この夜、聴いた曲の一部。
オープニングの2曲。正反対のWorldを歌う不思議な組み合わせ。
"Always"は昔、妻が教えてくれた曲。”Saturday Night"は姉が好きだった曲。どの歌にも思い出がある。
「思い出の渚」を聴くと司さんの振り付けを思い出して必ず泣いてしまう。妻が「ここにいるよ」とボトルを指差して慰めてくれた。
They've been coming to see (me), to forget about life for a while
ビリー・ジョエルの"Pianoman"の一節。ライブハウスには、確かにそういう一面もある。
私にとって、ケネディハウスはひとときLife(日常の些事)を忘れるだけの場所ではない。この店に通ってきた、山あり谷ありの30年間のLife(人生)を思い返す場所でもある。
この日は一日外にいたのでとても疲れた。帰路、無料で試運転中の中央線のグリーン車に座ることができた。とても快適。とはいえ、日常的に乗車することはないだろう。
さくいん:ケネディハウス銀座、松田聖子、薬師丸ひろ子、ビリー・ジョエル
小判ながら写真が美しく、見ていて楽しい写真集。
城以外でも、アルハンブラ宮殿やポタラ宮殿、アッシジなども掲載されている。
行ったことがあるところは、紫禁城、万里の長城、ノイシュヴァンシュタイン、ロンドン塔、エジンバラ、シェーンブルン、ヴェルサイユ宮殿、シャンボーなどロワール河流域の古城など。
ほとんどは大学三年生の夏休み、2ヶ月近くヨーロッパを回った旅の途中で訪れた。
掲載されていないところで記憶に残っているのは、フランスのアンジェ城(château d'Angers)。30歳になる前、仕事でアンジェへ行ったときに立ち寄った。石で築いた堅牢な造りや大きなタペストリーを覚えている。
海外旅行へまた行ってみたいけれど、掲載された場所すべてに行くことはできない。せめて写真で旅気分を味わう。
さくいん:中国
先日、自主制作した本を読み返したところ、誤字脱字がいくつも見つかった。
ここに見つかった誤りを書いておく
間違いはまだあるかもしれない。何度も読み返したはずなのに、本当に情けない。
電子版では修正をする一方で、POD版では「注意力散漫な病人」が書いたものとしてそのままにしている。読者にはたいへん申し訳ない。
若い頃にはたくさんの、いろいろな経験をするとよい
よく言われる若者へのアドバイス。この言葉には誤解が含まれていると思う。
この言葉で「経験する」とは何かを「する」ことを指している。でも、「経験」とは何かを「する」ことばかりではない。何かを「しない」ことも経験になる。
言葉を換えると、「何かをする」ことは、同時に別の(たいていは反対の)「何かをしない」ことになる。
贅沢をすれば清貧はできない。勤勉でいれば怠惰はできない。純潔でいれば放蕩にはなれない。海外旅行をすれば、海外旅行を「経験」できる代わりにずっと国内で過ごす暮らしは「経験」できない。
結局のところ、することもしないことも含めて、人は自分の「経験」からしか学ぶことはできない。哲学は学ぶことはできても、思想を学ぶことはできない、とはそういうこと。
思想は、自分が積み重ねてきた経験をもとに築きあげるしかない。
ここまで書いたことは、すべて森有正の受け売り。
さくいん:森有正
実家のリビングの壁にミュシャのポスターが飾ってある。両親が作ったジグゾーパズル。
見慣れている感じがして、これまで注意深く作品を見たことはなかった。
今回の展覧会で、ミュシャの芸術の緻密さや多様さに気づかされた。図録を買わなかった代わりに図書館で関連本をまとめて借りてきた。
ポスターというポップカルチャーとハイアートの間から出発したミュシャは、芸術作品として正当に評価されてこなかったと図録の解説に書かれていた。
確かに作品の幅が広い。絵本の挿絵、演劇のポスター、クッキーの缶や香水の瓶のラベルなど、工芸デザインと言われる分野でも多くの仕事を残している。今回は油彩画も展示されていた。
ミュシャが多彩な仕事ができたのは、デッサンの基礎力がしっかりしていたことと、工業デザインや象徴主義など時代の新風に敏感だったおかげということが、生涯を通じた作品を回顧する今回の展示でよくわかった。
「弛みないデッサン力や端正な美しさ」という図録ににある音ゆみ子(学芸員)の言葉が端的にミュシャの魅力を伝えている。
私が注目したのは、女神のような女性像だけではなく、文字のデザインや配色の妙。さまざまな独自の字体や美しい配色に魅了された。
展示作品のなかでは「クオ・ヴァディス」に惹かれた。シェンキェーヴィチの小説『クオ・ヴァディス』がポーランドの独立運動に影響を与えたことは知っている。ミュシャは、小説のモチーフをスラブへの郷土愛と関連づけたのかもしれない。
府中市美術館は企画展以外のコレクション展も素晴らしい。牛島憲之、高橋由一、青木繁、清水登之、正宗得三郎。いずれの作品も見応えがあった。
新収蔵品では、神谷徹「morrow」と曽谷朝絵「washbowl」が気に入った。名前を覚えておく。
さくいん:ミュシャ、府中市美術館、『クオ・ヴァディス』(シェンキェーヴィチ)、牛島憲之、清水登之
先週の金曜日は会社を休んで、一日、母の用事を片付けた。
木曜日に実家に前泊。金曜日の朝、県立循環器センターでCTスキャン。
先月、転倒したときに脳内に血腫ができた模様。放置すると認知症が悪化し、半身麻痺になる恐れもある。もしかすると脳外科手術が必要かもしれない。
ロイヤスホストで週刊誌を読んで時間を潰してからランチを済ませ美容院へ。若い美容師が親切な人で助かる。待っているあいだ、90分間カラオケ。
デニーズでコーヒーを呑んで休憩。夕飯は予約しておいたスシロー。
とても疲れた。母もあちこち連れ回されて混乱している様子だった。
先週の土曜日。大桟橋の手前にある北欧料理レストラン、スカンディアで母の誕生会。子と孫、8人で89歳を祝った。
母にとっては孫たちに会うことが一番の楽しみ。自分は遠くに住んでいた祖父母には数えるほどしか会えたなかったらしい。「近くに住んでいるおかげ」と繰り返していた。転勤のない仕事を選んだことは親孝行になったか。
料理はデンマーク料理のスモーガスボード。肉や魚が少しずつ楽しめる。帝国ホテルのバイキングの元になったとも言われている。
料理だけでなく、2階の内装が素晴らしい。仄暗い部屋に間接照明で木彫りの調度品がよく映える。
天気はくもりだったけど、昨年のような夏日よりはいい。象の鼻パークでみなとみらいを見回してから帰宅した。
また夜にも来たい。
『刑事コロンボ』の放送がBSで始まった。DVDで全話持っているのに、HDDにも録画して見返している。
「死者の身代金」は第2回。第1回の「殺人処方箋」は犯人が自滅する結末だけ見た。
今回は「策士、策に溺れる」。何回見ても見事な結末。
まだ二回目なのに野暮で身内の話ばかりしてるのに、いつの間にか犯人の懐に入り込むというコロンボのキャラクターが完成されていることにあらためて驚く。
最近、『刑事コロンボ』のオリジナルの、つまり吹き替えのないバージョンの結末を集めたYouTubeチャンネルを見つけた。
吹き替えのないオリジナルも見ていて楽しい。残念なのは、ときどき最後の最後の台詞がカットされていること。犯人やそのパートナーへかける最後の一言が面白いところなのに。
週末は小春日和だったのに、火曜日から急に寒くなった。
掛け布団の下に毛布を追加した。
昼間は妻がくれた電気膝掛けで寒さをしのいでいる。
頭に温風が吹いてくるエアコンは気分が悪くなるので、なるべく使わない。
突然、冬が来た。
秋はどこへ行った?
まだ紅葉も見ていない。
西田敏行は76歳。火野正平は75歳。いま56歳なので、もし寿命が彼らと同じくらいなら、私の人生はあと20年くらいということになる。
最近、誰かの訃報を聞くと、何歳だったのか、とても気になる。
56歳ともなると、すでに亡くなっている著名人も少なくない。つい最近、声優の富山敬が享年56歳だったと知り、驚いた。
56歳まで生きてこられただけでも十分幸運なことだろう。これまで大病したこともない。もっとも、人生の航路がまるで変わってしまったのだからうつ病は大病だったとも言える。
前にも書いた。生まれる時を選べなかったのだから、死ぬ時は自分で選びたい。
費用と苦痛が過剰な病にかかったら、無理をしないで病に身を任せたい。そう思うときもある。実際、そうなったらわからない。ジタバタするかもしれない。
少なくとも最近は、自分から積極的に死を選ぼうという発想はなくなった。これもまた、とても幸福なことだろう。
新聞にデジタル遺産の処分に困っている人が多いと書いてある。
エンディングノートとまではいかなくても、ネット上で契約しているさまざまなサービスのIDとパスワードはきちんと書き残しておいた方がいいだろう。
いつかはわからないにしても、私はいずれ死ぬのだから。
それは仕方ないこととしても、自作のウェブサイトは私が熱心に取り組んだ唯一の仕事として後世に残したい。
今はプロバイダーのサーバーを借りているので、私の死後、家族がサービスを解約したら、『烏兎の庭』は見られなくなる。
独立したサーバーへの移行も検討したほうがいいだろう。
そう考えて調べはじめたけれど、なかなかいいサービスがない。
サイトを移動させたら索引を作り直さなければならない。
ちょっと大きな仕事になりそう。
来年の目標、いや、暇つぶしのひとり遊びにするか。
さくいん:ひとり
先週の金曜日、用事を頼まれ、前週に続いて出社。一月に2回出社するのは珍しい。
朝、30階から富士山がよく見えた。それだけで、気分よく過ごせるような予感がした。
昼休み、いつものように一人で外へ出た。いつものように立ち食いそばの店を回ると、3軒あったうち1軒が潰れていた。出社する人が減っているせいだろうか。
この日は別の事業所に常駐している上司が日帰り出張で東京へ来ていた。これまた珍しいことに、仕事の打ち合わせを4人でした。
16時で退勤するつもりが、追加で頼まれごとがあり、30分勤務を伸ばした。
帰り際、上司に声をかけようとしたところ、電話会議中だったので、メールで退勤を伝えてオフィスを出た。
有楽町に出て、阪急メンズでウインドーショッピング。服、革小物、メガネ、靴、カバン。どれもいまは足りているけど、お店を見てまわるだけでも楽しい。
5時半。待ち合わせのイタリアン居酒屋へ向かった。
金曜日の夜。妻と息子の3人でライブハウス、ケネディハウス銀座へ行った。
ボーカルの岡部ともみちゃんがレギュラーバンド、スーパーワンダーランドの演奏で聴けるのは今月いっぱい。私たちにとっては最後の夜になった。
息子が幼稚園児だった頃に家族で撮ってもらった写真を見せたら、時の流れに驚きながら長年のお付き合いを喜んでくれた。
途中、お休みの期間をはさんで足掛け30年、彼女の歌を聴いてきた。「推し」という言葉がない頃から私の「推し」だった。
この日のセットリストから。
この日は「君は天然色」を聴いていて涙がこぼれてしまった。最近、この店に来るととても感傷的になる。
GSからニューミュージックから洋楽まで、ロックでもバラードでも、どんなジャンルの曲でも歌いこなす。それもほとんど毎晩、何十年も。ほんとうにスゴいことと思う。
これからも何かの形で音楽活動は続けるという。また会える日を約束して店を後にした。
さくいん:ケネディハウス銀座
今月は『100分de名著』「百人一首」を続けて見た。
指南役のピーター・マクミランを見て、大学時代に英語クラスで講師をしていたマクミラン先生ではないかと妻が言い出した。顔に見覚えがあるという。
同じ教室で隣に私も座っていたけど違う気がする。
ということで、我が家では小さな諍いが起きた。
当時、私は真面目な学生ではなかった。出席必須の語学授業さえもサボっていた。
サボって何をしていたかというと英語の通訳ボランティア。高校時代に英会話学校に行っていたおかげでとりあえずの通訳はできた。
そこで、日本を視察する海外の赤十字職員を現地で案内するボランティアをしていた。行き先は宮崎県、長崎県、山口県。
欠席中は「代返」を友人たちに依頼した。おかげで語学科目を落とすことはなかった。
番組は面白い内容だった。西洋では神や美を永遠なるものとして賛美する詩が多い一方、日本では、季節(とくに春と秋の終わり)や人の心のうつろいにかなさを悲しむ歌が多いという指摘は興味深いものだった。
結論。毎回出席していた妻が言うのだから、そうなのだろう。そういうことにしておいた。
書名に惹かれて図書館で借りてきた本。ジャンルとしては哲学的エッセイ。哲学的な問題を専門的ではなく平易な文章で考えたもの。読みはじめたところ、あまりにも面白くないので読むのをやめてしまった。
どこに原因があるのか、少し考えてみた。
まず、書名と内容が一致していない。それが言い過ぎならば、中身が書名を十分に反映していないと言っておく。同じように、各章の名前と中身も関連性が薄い。
次に、論述に一貫性がない。エッセイでは話題の逸脱も面白さの一つではある。でもこの本の場合、本論の叙述が不明瞭なので、どこまでが本論で、どこからが逸脱したエピソードなのかもわからない。引用も唐突でそれまでの叙述との関連がわからない。
わかりづらい表現と詩的な表現ということは違う気がする。単なる悪文ではないか。
私の読解力が不足しているということではなさそう。ネット上でも、「何を言いたいのか、わからない」「独りよがり」という評価が多い。
高い評価を与えている人もいないわけではない。ということは、とっつきにくいのは相性や好き嫌いの問題だろうか。
こんな本でも商業的に制作されるのならば、私の本も、もう少し売れてもいいはず、などと独りよがりなことを考えてしまった。
さくいん:エッセイ