『滝山コミューン一九七四』に続く、一人の研究者が書いた自伝的エッセイ。慶應普通部(中学校)の3年間を振り返る。
全体をうっ屈した雰囲気で書かれた前作とは異なり、著者は日吉での3年間について、半分満足し、半分幻滅した。中学二年時に注力した横浜線研究は本書のクライマックスであり、同時に彼の中学時代のハイライトでもあった。
「横浜線研究」をのめり込んでいく場面は熱っぽく書かれていて、とても面白い。
父方の祖父母が小机に住んでいたので、70年代の横浜線の様子は覚えている。茶色の旧型電車にも乗ったし、新横浜駅前がススキの原っぱだったことも覚えている。だから原少年の「研究」は興味深く読んだ。
学級肌、という気質がある。中学時代にはまだ政治学や思想史への関心は芽生えていないものの、知りたいことに没頭する、とことん調べるという姿勢はのちに研究者になる素地を感じさせる。
対比と比較とが至るところに見える。学者ならではの視点と言えるだろう。西武・東武と東急、国鉄と私鉄、関東と関西、東急と阪急、団地と戸建、慶應と早稲田、中高一貫男子校と公立の共学中学高校。こうした対比を、当時の時事問題を背景に描き、時代を覆う空気をすくいとろうとしている。とりわけ、鉄道文化圏と社会格差の関係には著者は単に詳述というよりも、かなり執着しているように見える。
途中、NHKの少年ドラマシリーズの『なぞの転校生』と『未来からの挑戦』を団地文化と重ねて高く評価していて面白く感じた。確かに団地には、最新の住宅という面と労働者を押し込む個性のない画一的な住宅という面の両方がある。
都内では都営住宅はともかく、URの団地はむしろ家賃が高く、平均以上の所得がなければ住めない。私自身、30代初めののときに一度あきらめ、り3年後に転職もあ所得が増えてようやく住めるようになった。家賃はその後、戸建てを買って毎月返済したローンと同額だった。
一人の研究者の生い立ちを知るという意味では非常に興味深い一冊といえる。ただ本書は個人的な回想に終始していて、著者自身が時代のなかで、どういう位置にいたのか、客観的な評価はしていない。これは『滝山コミューン』を読んだときにも感じた。
周りに自分よりもずっと裕福な家庭の人が多かったから自分は中の下くらいに感じていたのかもしれない。そういうことはある。私の子どもたちも周囲に強烈に優秀な友人が多かったために自分の学力を過小評価していた。
1970年代といえば、中学校では、一方で生徒による校内暴力、他方で教員による不条理な校則や理不尽な体罰による管理教育が吹き荒れていた時代。著者は嫌悪感しかなかった公立学校を離れ、私立一貫校へ「逃亡」した。慶應普通部に少なくとも暴力や管理はなかった。偏差値や内申点による輪切りの高校進学もない。その意味では、著者は中高一貫校という、ある種のユートピアにいた。その立ち位置について客観的・批判的な視点は感じられない。むしろ恵まれた環境にいたのに、被害者意識を強く感じる。
そういう感想は、暴力と管理と内申点で私の中学時代ががんじがらめになっていたために感じてしまうひがみかもしれない。
著者は1962年生まれ。ということは1981年に18歳で亡くなった姉と同い年。本書を読みながら、姉は1976年をどんな風に過ごしていたか、想像してみた。
姉は中学二年時に転校して受験に影響する二年生の成績で不利をこうむった。結果、実力は十分あったのに学区トップ校を受験させてもらえず、二番手の高校に進んだ。
中学の途中で転校したことは彼女にとっては不幸なことだった。
本書に戻る。著者は巻末で触れられているとおり、慶應大学への進学を断り早稲田大学へ進む。レジャーランドとも称された80年代のマンモス大学について、原青年はどう感じて、どう過ごしだだろうか。どこへ行っても、そこに日本社会の縮図を発見するだろう。そして、どこへ行っても満足しないだろう。
続編を読みたい。
さくいん:原武史、エッセイ、70年代、横浜、少年ドラマシリーズ、東京、体罰