バチカンへは行ったことがない。そもそもイタリアに行ったことがない。たぶんこれから先も行くことはないと思うので、図鑑で美術館めぐりをした。ハードカバーではないものの480ページ以上の大部な本で、誰もいない展示室の写真や展示物を拡大した写真も多いので、現地へ赴くよりも丁寧に観覧できるかもしれない。
読みはじめてまず驚いたのは、バチカンが古代エジプトや古代ローマの文化遺産を豊富に持っていること。美術館は19世紀半ばに創設されたもので、コレクションはそのずっと前に始まったという。イエス以前の、ユダヤ教に関連しないコレクションが、カトリックとどう関係があるのかは書かれていない。
もう一つ、驚いたことは、近現代の宗教画も収集していること。シャガールやダリなど。マティスについては、彼が晩年に制作した礼拝堂を模した一部屋を設けている。
本書の見どころは、何といってもシスティーナ礼拝堂を飾る壁画の拡大写真と数々の聖遺物だろう。現地で双眼鏡を使ってもこれほど間近ではきっと見られない。
変わったところでは法王に献呈された自動車、シトロエン・リクトリアC6。内部は謁見の間と同じように豪華な装飾が施されている。これが100番目の至宝。
いつまで見ていても飽きることのない豪華な写真集。
さくいん:ローマ帝国、マティス
すでに入籍を済ませている娘夫婦から結婚式の招待状が届いた。身内にも送るらしい。
招待状はメール。中身はURLだけ。リンクを開くと二人が挨拶する動画。これがイマドキらしい。
返信はフォームで。一言メッセージを書く欄がある。「ご出席」の「ご」を消すことはできない。メールでの招待状が普及したら、「ご」を消して「喜んで」と書き添える慣習も廃れるだろう。
招待状は先週の大安に送られてきた。そういうところは気にするらしい。
先週の金曜日に返信した。大安で鬼宿日(鬼が隠れている日)という縁起のいい日。
メッセージには「いつまでもお幸せに」とだけ書いた。
さくいん:HOME(家族)
結婚式を控えた娘の衣装合わせを見学させてもらった。
娘が結婚することについて特別な感慨はない。大学院まで家で暮らしていたので、妻と相談して社会人になったときに家を出てもらった。しばらく会社の寮にいて、それから彼と交際が始まり、やがて同居が始まった。
段階を踏んで離れていったためにショックが小さいのかもしれない。
この日、ウェディングドレス姿を見ても、寂しいという気持ちにはならなかった。代わりに立派に育ってくれた、巣立ってくれた、そういううれしさの方が強かった。いまは妻との二人暮らしを楽しんでいるし、上手に子離れできたと言えるだろう。
さくいん:HOME(家族)
週末、都心で用事があったので日本橋まで出た。用事は午前中で済んだ。そこで、前から行きたかったハンバーガー店、BROZERS'の本店へ行った。
この店は日本橋高島屋新館にある店には行ったことがある。
今回頼んだのは、ベーコンエッグチーズバーガー。名前も長く、厚みもある。それにコールスロー。
でも、きれいにビルドされているので、最後までくずれずに食べられた。こういう厚いバーガーの場合、ベーコンだけ抜けてしまうことがあるけど、そういうことはなかった。
ハンバーガーが好きで、あちこちで食べてきたけど、トータルバランスという点でこの店は群を抜いている。食べやすい、ボリュームがある、そして味がいい。
店内の雰囲気もアメリカン・ダイナーそのもので、インテリアを眺めるのも楽しい。
生ビールも呑んで、食後にコーヒーももらったのでちょっと値は張ったけど、いいランチになった。
日曜日。母の補聴器を調整をしてもうらために横浜そごうへ行った。美術館では、前回のPerfumeのコスチューム展が終わり、輪島塗りの展覧会が始まっていた。
工芸品の展覧会へはときどき足を運んでいる。日本橋三越で開催される伝統工芸展も毎年見ている。今回の展覧会は趣きがだいぶ違う。作品だけではなく、原材料の調達から作品の制作工程まで詳しく展示している。
伝統工芸品の制作過程や直面している問題について詳しい展示を見るのは初めて。能登震災以後、輪島塗には厳しい状況が続いていることを知った。
そうした背景を知ってから、展示の後半に並べられた作品を見たら、継承されてきた伝統の重みがひしひしと感じられてきた。
さくいん:そごう美術館
今日は姉、敦子の命日。18歳と11ヶ月でが亡くなってから45年。私は小学六年生だった。今年はあの日と同じように6日に金曜日がめぐってきた。あの日も小春日和の金曜日だった。
あの日から数日間のことはよく覚えていない。映画の切り取りのような断片的な記憶だけ。いまここには書かない。
いろいろな本を読んだり、カウンセリングを受けたりしたおかげで、心境はよい方向へと傾いている気がしている。
「なぜ、なぜ」という問いかけに囚われることはほとんどなくなった。その代わり、姉の死によって自分が「どんな影響を受けて、これまでどう生きてきたか」を考えたり、そういう自分が「これからどう生きるのか」考えたりするようになった。
執着が解けてきた、と言えるのかもしれない。わざと悲しい気持ちになるために、日記を読み返すこともなくなった。でも、今日はとても悲しい。これが記念日反応というものか。
彼女は精一杯に生きた。そして亡くなった。それだけのこと。どう亡くなったのかはどうでもいい。そう思いながらも、ためらいがちに投稿した一文には「自死遺族」というタグをつけた。ここにまだ私の「執着」、悪い意味での「こだわり」が残っている。
どう生きたいか、を考えるようになったと言っても、何も新しいことはしていない。
職業人としてはもはや昇格も転職もない「終わった人」になっているし、何か世のため人のためになることができているわけでもない。
強烈なうつ状態に陥ることは最近ではほとんどなくなった。でも、手帳を持つ「精神障害者」という属性は変わらない。何に対しても「やる気」が出ない、虚無感が強い。
新年に誓ったのに、相変わらず怠惰な暮らしを送っている。何もしないでボンヤリしている時間が多い。寒いので夜は早く寝て、朝は遅く起きている。読書も英仏語の学習もまったく捗っていない。
そんなときに慰めになるのが書くこと。その日の出来事やいっこうに上向かない気持ちを書きとめるだけでも十分に愉快な手遊びになる。
文章を書いたり、索引を整理したり。自分だけの時空を楽しむ尊い時間。
書くことが好きなので、ずっと先の日付の記事まで書いている。日記に見えるこのブログも実はずっと前に書いたもの。常に2週間くらい先まで書いている。書いたあとで推敲したり、校正したり、リンクを追加することもある。
何度も書いているけれど、『庭』は私にとってはシュヴァルの理想宮のような場所。誰にも邪魔されない、私だけの空間。
写真は横浜の実家の庭に咲いていた紅梅。
さくいん:自死遺族、悲嘆、うつ病、シュヴァル
昨日は「体調不良」ということにして会社を休みにした。今年は丸一日、姉のことを思い出す日にしたかった。幸い、月初の仕事も一段落ついて、天気もよかったので丸一日感傷に浸るために外へ出た。私が休みを取った理由を妻は察して温かい言葉で送り出してくれた。
三木清は『人生論ノート』で感傷という情動を、「主観的で、個性がなく、マンネリズムに陥っている」とかなり強く否定していた。悲しみと懐かしさに包まれた昨日の私の「感傷」も否定しただろうか。一年に一日くらい、こんな気持ちに心と身体をゆだねてもいいだろう。「感傷」が許される時間があってもいいと私は思う。
向かったのは野川公園。ほんとうは姉が通ったICU(国際基督教大学)に行くつもりだったけど、調べると入試期間中で構内立ち入り禁止。そこでICUの裏にある都立公園へ行くことにした。
ちょうど赤坂憲雄『いくつもの武蔵野へ』の感想を書き終えたところだったので、赤坂が描写した武蔵野の原風景を見たい気持ちにもなっていた。
公園では梅が見頃を迎えていた。このところずっと雨が降っていないので、川も水は流れていなかった。それでも、「ハケ」と呼ばれる国分寺崖線に沿って雑木林を歩いて〈武蔵野〉を体感することができた。
姉と過ごした数年間の出来事を思い出しながら歩いたけれど、天気がよかったおかげか、不思議と悲しい気持ちにはならなかった。
散策のあとは、ICUの正門まで歩き、バスで三鷹まで戻った。午後はカラオケ。挽歌特集。前に作った寒梅忌のためのプレイリストからカラオケにある曲を歌った。挽歌を歌うことは追悼の行為であり、同時に自分の悲しみをなだめるグリーフワークでもある。
カラオケはストレス発散にもなるし、口腔フレイルの予防にもなる。いいことづくめ。
3時間以上歌って満足した。なかでもさかいゆう「君と僕の挽歌」と米津玄師「Lemon」は歌いながらグッと込み上げてくるものがあった。
最後に、明るく爽やかなメロディで亡き人を悼む大滝詠一「君は天然色」(松本隆作詞)を歌った。
12,000歩。よく歩いた。夜もよく眠れた。
さくいん:孤独、悲しみ(悲嘆)、三木清、さかいゆう、米津玄師、大滝詠一、松本隆
土曜日は月一回の診察日。家族四人での石垣旅行があまりに楽しすぎて翌週、在宅勤務で話し相手もなく、寒い部屋に一人で過ごしてさびしくなったということを伝えた。
それから、退勤後、夕方に自由な時間があるのにずっとボンヤリしているだけで情けないと相談したところ、S先生に「そういう時間があってもいい」と慰められた。
以前「何か一つ、小さいことでもいいから続けられることを始めるといい」と助言されたこともある。焦って何かをするよりは、動けないなら無理に動かなくていいということなのだろう。そう受け止めた。
母の介護と娘の結婚という大きなライフイベントがあるからメンタル面で疲れやすくなっている。披露宴もきっと疲れるから翌日は休みにしたらいいと助言された。
ランチはインドカレー。この店はカレーもナンも食べ放題でラッシーも飲み放題。しかもまるでわんこそばのように、食べ終わりそうになると、店員が「次は何にしますか」と声をかけてくるので、つい食べすぎてしまう。
この日は往復歩いたので、歩数は15,000を越えた。金曜日から続けて出歩いたのでとても疲れた。その分、夜はよく眠れた。
さくいん:うつ病、S先生、石垣島
日曜日。雪が降るなか、選挙へ行った。選挙区も比例も野党に投じた。
寒かったので、熱燗と鍋焼きうどんで暖まってから帰宅した。
情勢は極めて厳しい。Twitter(現X)を見ていても社会は分断されているように見える。夜8時が来ることが怖かった。
分断されているということは多様な意見があるということ、とも考えることができる。
この状況を謙虚に受け止める政治になってほしい。そう願いながら、速報を見ないようにBSでオリンピックを見ていたのに、速報が画面に表示された。がっかりした。テレビを見る気にはなれず、日曜日はそのまま寝てしまった。
翌朝新聞を読むと、私が一票を投じた前職は与党の復帰候補者に敗れていた。まさかそこまで、と思うほどの惨敗。
動揺していて、いまは考察も分析もできない。極右政権の下で、これから日本の政治がどうなるのか、不安が募る。物価高、財政、外交、安全保障、弱者保護のセーフティネット。裏金議員の復活や統一教会との関係も気になる。
いまはっきりしていることは、私の政治に対する期待は日本の有権者の多数と違うということ。つまり、私は少数派ということ。今後の投票行動には一考を要する。
これで終わりではない。まずは国会での論戦。首相が抱える疑惑への追及に期待する。
故人のAI化には反対している私でも、AIをまったく使っていないわけではない。むしろ、世の中全体で見れば、積極的に使っている方ではないか。最近、仕事ではスプレッドシートで欲しい結果が得られるように、自力では作成できない複雑な関数を作ってもらっている。
先日の石垣旅行前には、ホテル、天候、観光スポット、グルメなどを調べてもらった。
AIが得意とするのは、膨大な情報を要約したり、整理したり、さらに条件に基づいて抽出すること。この特性を活かして、最近は株取引にAIを活用している。
有名な投資家が公開している優良銘柄を探すプロンプトを拝借している。そこで抽出された銘柄をみんかぶや株予報で公開されている情報と付き合わせて、投資する銘柄を決める。
いまのところ、これで上手くいっている。膨大なデータの四季報から自力で銘柄を探し出すより、効率的で、確実性も高い銘柄を選定できている。
相談内容を投資に絞ることで依存度は限られる。投資に対するアドバイスは的確で有益。焦りや後悔など株取引につきものの心理(動揺して思惑と違う行動を取ってしまう)に対して冷静な助言をくれるのもありがたい。
ブレーキとアクセルの踏み間違いを防ぐ安全装置になっている。
訪問者数はたいした数ではないのに、どのページが読まれているのかを知りたいためにGoogleアナリティクスを利用している。その解析結果におかしな現象が起きていた。
本サイトとは別に同じ内容のミラーサイトを置いている。両方を別の識別IDでアクセスを測定している。ところが、どちらの測定結果も同じになっている。
これはおかしい。原因がどこにあるのか、GoogleのAI、Geminiに調査してもらった。
何度もやりとりをして原因がわかった。一つのタグの下に二つのIDを置いていたので測定結果が合算されていた。原因を突き止めるまでにはかなり時間がかかった。
Geminiに指示されたように設定を調べて、修正をした。これで二つのサイトの測定結果は異なる数値になった。
ちなみに年始から今日までに8,000以上のアクセスがある。このペースで行くと年間で去年から倍増して8万アクセスまで行くかもしれない。
ただ、読まれている文章はいくつかの決まったページに集中していて、滞在時間を見ても、ほかのページは表示しただけで熟読はされていない様子。集中しているのは、山村良橘先生と『未来少年コナン』。
今年は、森山啓『谷間の女たち』の感想が以前より読まれている。これはうれしい。
さくいん:山村良橘、『未来少年コナン』、森山啓
祝日の水曜日。結婚式を控えた娘が披露宴で上映する写真を探しに来た。表情も明るく、幸せオーラを全身から放っていた。
娘が生まれた1997年にはまだスマホはもちろんデジカメもなかったので、乳幼児の時期の写真は銀塩フィルムを現像したもの。贈り物の分厚いアルバムにたくさん入っている。両親の私たちも久しぶりに見た。
24歳で結婚してから5年間、子どもを授からなかった。そのあいだは会社を辞めて大学院に入ったりして経済的にも苦しく、人生の先行きも不透明だった。
1996年、修士課程を終え留学も進学もあきらめて再就職をした。ようやく定職に就いたと思ったら子どもを授かった。上司には「子どもは生まれてくる時期がわかっているんだよ」と言われた。
30歳前に子どもを授かるのは現代ではむしろ早いほうと後でわかった。受験期にしても、独立にしても、また今回の結婚にしても、その時は周囲の人たちよりずっと早く来た。いまは気ままな二人暮らしを楽しんでいる。
娘は優秀な人なのに、周りにケタ違いに優秀な人がたくさんいて劣等感を持っている時期もあった。冴えない表情の時期もたびたびあった。運命のいたずらと言っていい出会いがあり、幸せをつかんだ。親としては何よりそれがうれしい。
娘は私たち夫婦にとってほんとうに「恵み」だった。土産に買って来てくれたフルーツいっぱいのロールケーキを食べて幸せのおすそ分けをもらった。
人生、何が起きるか、わからない。オリンピックでスピードスケートのショートトラックを見ていて、つくづくそう思った。実力があっても、ほかの選手の転倒に巻き込まれて敗退することもあれば、転倒させられたと認定されて勝ち上がれることもある。前を滑る選手たちが転倒して、遅れていた最後尾の選手が優勝したこともある。
ちょっと運の要素が強すぎるのではないかと思うくらい、何が起きるか、わからない。
「塞翁が馬」という故事もある。「病者の祈り」という詩もある。
何が幸いして何が不運だったのか、あとになって振り返ってもわからないことが、人生には少なくない。
私の人生も、思いもよらない展開を経てきた。前職では毎日、新幹線に乗って新横浜まで通勤し、毎週、京都へ出張し、三か月に一度はシリコンバレーに出張していた。多忙な毎日だった。それももう10年以上前のこと。
その前には、ファーストクラスで出張できるようなバブリーな時期もあったし、ヘッドハンティングで転職もしたし、倒産や整理解雇も経験した。ふつうの会社員生活では経験しないような成功体験もできた。一方、カスハラや過労、会社の失態を私個人のミスにされるなど苦難もあった。
前職は、形式上、自己都合だったけど、実態としては、うつ病を理由に放逐されたも同然だった。2015年はまる1年休養して、次の1年間、就職活動して、いまの会社に入った。
その後、2020年にコロナ禍のために在宅勤務がはじまり、それが常態化して現在に至る。出社もなく、出張や接待もなく、穏やかな日常を送っている。
多忙を極めた前職で働いていたときは、将来こんな暮らしをすることになろうとは思いもつかなかった。前職を辞めたときには「お先真っ暗」だった。再就職はできたものの、期待していた正社員への登用はなく、不遇で辛かった。
ところが、障害者枠のために責任は軽く、在宅勤務になってからは通勤がなくなっただけ自由な時間も増えた。不運だったのか、幸運だったのか、何とも言えない。
男子1000mの決勝は選考逃げ切りでオランダ選手が優勝した。七転び八起きの私には到底無理な勝ち方だった。
さくいん:労働、京都、シリコンバレー、うつ病
先週末は実家で過ごした。土曜日。まず母を美容院へ連れて行った。金沢文庫駅前の地球食堂でランチを済ませて、京急とバスを乗り継ぎ、横浜市児童遊園地の梅林を見に行った。「横浜、梅、名所」で検索して出てきた場所で初めて行った。井土ヶ谷駅で降りたのもたぶん初めて。
紅白、両方の花が咲く「無類絞り」など、小金井公園や神代植物公園では見かけなかった名前の木が多かった。梅林がすり鉢状の場所にあり、上から絶景を見渡すことができた。
今回の帰省にはあるミッションがあった。それはデイサービスでの入浴を納得してもらうこと。過日、どうもお風呂に毎日入っていない様子、と施設から連絡をもらっていた。
デイサービスに通所を開始したときから、「朝からお風呂に入っている人もいるけど、私は絶対夜に入りたい」と強く訴えていたので、説得はむずかしいように思われた。長いあいだ染みついている習慣を変えるのは確かに嫌だろう。
実家の風呂は掘りごたつのように半分が埋まっていて底が深い。入るのは楽でも出るときは足腰に力がいる。また深いので転倒すると溺れる危険がある。浴室に暖房はないのでヒートショックも怖い。
そういうことをコンコンと説得して何とか週2回、入浴することを受けれてもらえた。少しずつ、人の世話になることに慣れてもらう必要がある。
さくいん:横浜
Eテレの展覧会情報番組「アートシーン」で知った展覧会。塩谷の名前も知らなかったし、佐藤美術館を訪れるのも初めて。
超写実画といって思い浮かぶのは山本大貴。百貨店の画廊で偶然知り、それ以降、機会があれば見ている。
今回の展覧会は『芸術新潮』で画家のインタビューも読んでから見た。
人物はいまにも動き出しそうで、滝も水が流れ落ちているように見える。まずこの技術に驚いた。雑誌にあったインタビューでは「正面から描いた人物でも背中を感じさせたい」というようなことを述べていた。山本大貴の作品でも、ただ写実的に描いているだけでなく、そこに人物の存在感が感じられるような描き方をしていた。
印象に残ったのは人物画ではなく、古い住宅地(「午後の陽」)や切り落としたキャベツの断面(「蒼」)。どちらも近づいて見なければ写真と見間違えるほど精巧な描写。そのうえで、住人の気配やキャベツの瑞々しさも伝わってくる。
優れた表現者は自分の「こだわり」をどこまでも追求する。「これくらいでいいや」と妥協する者は芸術家にはなることはできない。
さくいん:NHK(テレビ)、山本大貴
暇で時間を持て余しているときは、過去に書いた文章の校正をする。これまで何度も校正しているのに、漢字や「てにをは」の間違いやリンク切れが必ず見つかる。
最近では『初恋--the first, the only, and the last』と書いたはずが、"first"がすべて「拳」、"fist"になっていることを見つけて自分でも呆れた。
リンクチェックには、integrityというアプリを使っている。これも、何回もチェックしているのに調べるたびにリンク切れが見つかる。最近では画像がきちんと表示されないミスをたくさん見つけて修正した。
一人で書いていて、読者もとても少ないし、まして誤字脱字やリンク切れを指摘してくれる人はいないので、すべて自分でするしかない。
でも、こういう作業をしている時間が、とても豊かに感じられることも事実。お気に入りの音楽を聴きながら、過去を振り返り、文章を直す。こういう時間がとても幸せに感じられる。手元に自家製マティーニを注いだクリスタルグラスがあればなおさら。
一人でいることが、私には性に合っているのかもしれない。
さくいん:マティーニ、孤独
夜、眠る前に聴いている教会の説教で、よく知られた「あしあと」("Footprints in the Sand")という詩とともに「最上のわざ」という詩が紹介されていた。この詩は、島薗進のラジオ講演『こころを読む』でも取り上げていた。
この詩はホイヴェルスが書いたのではなく、彼の友人が神父に贈った詩と言われている。
信仰の篤い人は「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。/それは祈りだ。」という言葉に共感したり、気づきを得たりするのだろう。
私が気に留めたのは「人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり」という部分。
謙虚に人の世話になるのはなかなか易しいことではない。なぜなら人の世話になることは「厄介になる」「迷惑をかける」ことと思われているから。
「ピンピンコロリ」という言葉を聞く。この言葉の裏には「人の世話にはなりたくない、まわりに迷惑をかけたくない」という思いが隠れている。さらに、その思いは「人の世話になることはよくないこと」という考えに裏づけられている。
怖れずに人の世話になるようになりたい。「私は精神障害者と認定された人間だから、その点は配慮してほしい」。もっと周囲にそう呼びかけてもいいのではないか。車椅子を使う人が押してほしいと頼むように、キツい言い方はやめてほしいと言いたい。そう思うことがある。
会社では、放置はされているけれど、配慮されているとは言い難い。余計なことを頼まれたりしない分、放置されていて気が楽と思うこともあれば、「病状はどうか」くらいは尋ねてほしいと思うこともある。
もっとも、年齢からみれば私はまだまだ「人のために働く」年齢にある。母の介護もそのうちの一つだろう。
さくいん:ヘルマン・ホイヴェルス、島薗進、うつ病
長年の悩み。それは髭が濃いこと。
朝、剃っても夕方には肌がザラザラしている。夜、風呂で剃っても、翌朝、ザラつく。
「ザラザラくらいじゃ誰にもわからないよ」と床屋に言われたけど、なでたときに指先が不快。
テレビを見ていると出演者は大写しになってもヒョロリとした剃り残しすら見えない。
出演前に剃っているのだろうか。それとも永久脱毛の施術を受けたのか。気になる。
毛髪を育てる力が強いのか、還暦間近でも髪はフサフサしているし、色も黒い。若い頃に比べればおでこが少し広くなったけど、これは父親譲りなので仕方ない。
髭が濃いだけに、剃ったあとの爽快感は大きい。ツルツルした肌をなでたくなる。「気分が上がる」とはこういうことか。
気持ちが軽快になるというなら、これも有効なストレスコーピングになるかもしれない。週末は朝風呂に入って髭を剃る。これがよさそう。
最近の日常生活をテレビ番組を通してメモしておく。
テレビを見るのは午後6時半から9時半頃まで。リアルタイムで見るのはニュースだけで、ほかは録画してある番組を見ることが多い。我が家のテレビは、地上波6局の1週間分を自動録画しているので過去の番組を漁って見ることが多い。
平日
- ZIP!
- 首都圏ネットワーク(安藤アナウンサー)
- 首都圏ニュース845(宮崎アナウンサー/平井気象予報士)
- クローズアップ現代
- きょうの健康
月曜日から金曜日まで
土曜日
日曜日
一見して、かなり保守的なラインナップということがわかるだろう。
連続ドラマは見ない。『光る君へ』以降、大河ドラマも見ていない。新しい音楽は知らないから歌番組は懐メロ系しか見ない。タレントが旅する番組も興味がない。
『はぐれ刑事純情派』は、藤田まこと主演の30年以上前のドラマ。一話完結で深刻な話もないので安心して見られる。自分から番組を選ばない父が好んで見ていたドラマ。
健康情報番組を見ることが増えた。なかでも『あしたが変わるトリセツショー』は参考になる情報が多い。体操やトレーニングに活用している。健康体操ベスト3(片足立ち、カーフレイズ、ストレッチ)は実践している。
さくいん:日常、NHK(テレビ)、『ブラタモリ』
昨年買った『石原吉郎全集Ⅱ全評論』を読みはじめた。
これまでに石原の詩ではなく、エッセイを主に読んできた。『石原吉郎詩文集』、『全集』、『石原吉郎セレクション』。
彼の文章が好きだったというわけではない。それどころか、彼の言葉は私にひどい苦痛をもたらす。『全集』に収録されている未読のエッセイも、読むことが怖くて買ってらかすぐは読めなかった。それでも、自傷行為のように石原の文章を読みたくなるときがある。
石原のエッセイは、尖った石器のように私の胸に突き刺さる。その石器を一言で言えば、「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」。
何が傲慢なのか。この競争社会において狡猾に立ち回り、敗者を踏み台にして生き延びてきた。これを傲慢と言わずして何と言うか。心が繊細な人、優しすぎる人たちは敗れ、立ち去った。敗者は一人一人、私の傲慢さを糾弾する。
姉が死んだのに生き延びた。暴力と規則に支配された管理教育を生き延びた。受験戦争も勝ち上がった。ビジネスパーソンとしても成功体験を得た。
最後に、営業職としては脱落した。初めて競争社会で負けた。それは免罪符にはならない。その時、ようやく私は気づ貸された。
適応とは「生きのこる」ことであり、さらにそれ以上に、人間として確実に堕落して行くことである。生きのこることは至上命令であり、そのためにこそ適応しなければならないのであり、そのためにこそ堕落やむをえないという論理を、ひそかにおのれにたどりはじめるとき、さらに一つの適応の段階を私たちは通過する。(「強制された日常から」)
これはそのまま、中学時代、高校時代の私の心境を語っている。
抑留生活から生還した石原が抱えた苦痛は、複雑性PTSDと呼ばれるような状態だったかもしれない。被害者であると同時に加害者でもある。仲間を見捨て、自分だけが生き残ったという石原の自責の念は計り知れない。
その苦しみが、私の胸に突き刺さる。「お前はどうなのか」「胸を張って生きられるのか」。管理教育に、受験戦争に、競争社会に、私は「適応」して生き延びてきたのではないか。
中島みゆき「エレーン」にあった一節。
「生きていいてもいいですか」と誰も問いたい
その答えを誰もが知ってるから誰も問えない
誰も問えないはずのその問いを、石原吉郎は問うた。しかも、自分自身に向けて。
またしても私は不用意に生きのびた、〈中略〉みずからの意志でみずからを決定するということを、およそそのときから私は断念した。(「オギーダ」)
こういう姿勢に、どうしてなのかはわからないけど、私は共感してしまう。同時に、「私が「ここに在る」ことにより罰せられている」とまで言う石原の激しい自己批判に対して恐怖を感じる。逃避したいような強い拒否反応もある。
読むつもりで買ったのに、通読できる自信がない。でも、手元にあればいつでも開ける。気分が安定しているときに少しずつ読んでいくことにする。
さくいん:石原吉郎、中島みゆき
三連休初日の土曜日。朝早く家を出た。まず床屋で散髪。次に、西武新宿線と多摩湖線を乗り継いで国分寺へ。駅前にある殿ヶ谷戸庭園を訪ねた。30年くらい前に来たことがある。何も覚えていないので、ほとんど初めてと言っていい。
まだ梅がきれいだった。一つの木に白梅と紅梅が咲いていた。名札が付いてなかったので品種はわからない。ミツマタもたくさん咲いていた。
湧水があったり、竹林があったり、斜面があったりして武蔵野のハケ(崖)の地形がよくわかる場所だった。元は三菱の重役が所有する別荘だったという。当時は経営者と従業員の格差が現代よりも大きかったのだろう。
回遊式の庭園で芝生のなかには自由に入れない。小径を2周して庭園を満喫した。
今回の散策で、旧岩崎家資産で都立公園になった4ヶ所(六義園、旧岩崎邸、清澄庭園)を制覇した。旧古河邸など、まだ未踏の都立公園もある。都内散策は続く。
さくいん:東京
殿ヶ谷戸庭園を散策したあと、国分寺駅から府中駅までバスに乗った。ここは2001年から2006年までクルマで通勤していた道。まだうつ病にはなっていなかったので、会社は最後に倒産して終わったけど、府中にはいい思い出が多い。
小林秀雄を初めて読んだのも、アール・クルーのアルバムや『クオ・ヴァディス』を借りたのも、大国魂神社の境内にあった図書館だった。私が府中を離れたあと図書館は移転した。現在ある場所だったら昼休みに通うことはできなかっただろう。
思い出せば、『烏兎の庭』は府中にある会社へ転職したことを機にはじまった。
ランチはいつものらいおんらーめん。濃厚な味噌とピリッと効いた胡椒のみそらーめんに味玉と海苔をトッピング。ビールを呑んで餃子も3個食べた。
腹ごしらえを終えて府中市美術館へ。目当ては、Eテレ「アートシーン」で紹介されていた小出楢重展。
パリへ旅してみても、「フランスには油絵はどっさりあるが芸術はない」と豪語して帰国。その一方で和室を洋間に模様替えして洋装で油彩画を描くなど、西欧文化と向き合いながら独自の作風を確立した。
近代日本人は西欧文化に対して、対決するか適応するか、何らかの態度表明が必要で西欧文化を無視することはできなかった。小出もまた油彩画という西欧文化を自分のものにするために苦闘したようだった。
裸婦で有名らしいけど、個人的には独特な質感のある静物画がよかった。43歳と若くして亡くなった人にしては作品が多い。命あるあいだに精力的に仕事をしたのだろう。
裸婦画についての解説が印象に残る。「西欧と日本」という対比意識は小さくなかった。
楢重が追求したのは、日本人としての自らの美意識に合致する、日本女性ならではの肉体美であった。
常設展では何度も見ている作品を見ることができて、旧友に会えたような喜びがあった。正宗得三郎「ノートルダム寺院」、松本竣介「ビルの横」、長谷川利行「カフェの入口」、清水登之「ラッパ卒(トレド風景)」などなど。
牛島憲之も今回は前回来たときよりも多く展示されていてうれしかった。今回見ることができた作品は、「貝を焼く工場」、「山の分譲地」、「春温む」、「昼」など。
戦争画の倉田三郎「暁ノ水際戦闘」、鉛筆画の辰野登恵子「Work78-16-3」の名前も忘れないように書いておく。
さくいん:府中市美術館、うつ病、小林秀雄、アール・クルー、『クオ・ヴァディス』、パリ、正宗得三郎、松本竣介、長谷川利行、清水登之、牛島憲之
終活セミナーというものに参加した。都内某所の会場へ行ってみると参加者は妻と私だけ。しかも講師は以前、妻が住宅ローンや介護について助言をもらった顔見知りだった。おかげでたっぷり2時間、こちらの事情も伝えて個別指導を受けることができた。
終活と言っても人生の終わりについて考えるというよりは、職業と子育てが中心だったこれまでの暮らしを振り返り、還暦以降の新しい暮らし方、生き方について考えるいいきっかけになると思った。
統計上の平均値からみると私の余命はあと25年くらい。終活を始めるにはいい年頃。これから健康寿命が尽きるまでにしたいことをリストアップすることをすすめられた。
いますぐに思いつくことは、もう1冊、紙の本を制作すること、志摩とパリにもう一度行くこと。それから飛鳥Ⅲで旅すること。どれも贅沢で俗っぽいことばかり。
夢さえ持てないよりは、俗っぽい夢を持つ方がいいだろう。大事なことは二人とも元気でこの夢を実現すること。
今日の助言は実務的なことが多かった。各種パスワードを書いてアナログで家族がわかる場所に保管しておくこと、いざというときに引き出したり解約したりするために銀行や証券などの口座情報、クレジットカードやサブスクの情報もリスト化しておくこと、など。
スピリチュアルな面でも、死についてよく考えるようにしたい。そして、悟りとまでは言わないまでも、自分なりの死生観をきちんと持って「その時」を迎えたい。
さくいん:伊勢志摩、パリ、飛鳥Ⅱ・Ⅲ、死生観
自分のウェブサイトを見て、ふと気づいた。サイト内検索の窓のデザインが変わっている。
さっそくGeminiになぜデザインが変わったのか、尋ねてみた。すると「カスタム検索」の仕組み自体が変わっていて名称も「プログラマブル検索」となっていると答えてきた。
これまではWebサイト内で行なっていた検索をGoogle側、つまりクラウド上でするようになった。そのため、スクリプトはかなりシンプルになった。
古いスクリプトを新しいスクリプトにすべてのページで置換したところ、検索窓に外枠線ができていた。これもGeminiに訊いて枠線を透明にするコードを教えてもらい、対処した。
Webサイトの自作を始めた頃は、htmlやCSSの教科書を買ってきて独学した。そのあと、ネット上の情報が増えたので、検索して新しい技術や仕様の情報を入手した。そういう試行錯誤をしながらやってきた。AIを使うことで、最新の情報を入手することや、それに基づきコードを更新することは格段に楽になった。
AIの普及により事務作業は大幅に改善される。ホワイトカラーの人減らしがはじまるのは間違いない。もともと立場が弱い派遣社員や契約社員は、ICTやAIの知識がある人をのぞいて切り捨てられてしまうだろう。
無期雇用の契約書を持っているから大丈夫と高を括っているけど、65歳まであと7年。ほんとうに大丈夫だろうか。
ヴェイユ『重力と恩寵』の感想を書いたとき、ヴェイユは未読だったのに、どこかですでに知っていたような気がした。索引を探って思い出した。原田達『鶴見俊輔と希望の社会学』。
感想に、原田の著書からヴェイユの思想について引用していた。
自虐的快楽に酔うことによってしか特権を拒否し自我をささえることができない、という危機感
この一文に『重力と恩寵』の私の読後感を集約することができる。『重力と恩寵』を読んだとき、引用したこの一文が無意識のうちに脳裏に浮かんでいたのかもしれない。
ヴェイユと対比される鶴見の姿勢を私は次のように読み取った。
彼は確かにマゾ的に民衆との距離を縮めようとするけれども、そこにはまったく悲壮感がない。むしろ、それを存分に楽しんでいるようにみえる。この点こそ、鶴見俊輔がほかの知識人や活動家と違うところ。
いまの日本社会では、テレビにもSNSにも、ヴェイユ的な人も鶴見的な人も見かけない。世渡り上手な電波芸者やインフルエンサーばかり。もっとも、そんな人を見つけようという心がけも私には足りない。そういう人がいても、私が知らないだけかもしれない。
過去の読書と新しい読書の遭遇。ひとり遊びで楽しい発見をした。
『希望の社会学』の感想文に索引項目のヴェイユへのリンクがなかったので追加した。
さくいん:シモーヌ・ヴェイユ、鶴見俊輔
1981年に18歳で亡くなった姉の誕生日。健在なら64歳。
2月には姉の命日と誕生日の両方がある。だから2月にはいつもより姉のことを思い出す。今日は彼女の命日、2月6日について少し書いておく。2月6日が姉の命日と書けるようになるまでには長い月日が必要だった。
以前は姉の命日には仕事を休みにして、感傷に浸れる場所を訪ねていた。2003年には稲村ヶ崎から七里ヶ浜まで砂浜を歩いた。そのことは、翌年の2月に振り返るように書いた。まだ2月6日がどんな日か、明らかにする勇気がなかったから。
2004年には姉が通った大学へ行った。その学校は私が大学院で学んだ学校でもある。そのときも、すぐには書かず、しばらく経ってから書いた。
2月6日がどんな日か、遠回しに書くようになったのは2008年のこと。寒梅忌という言葉を思いついたのは、それからさらに8年後の2016年のこと。
2月6日が姉の命日とはっきり書いたのは2020年。それも『庭』の表である日記ではなく「裏庭へ続く木戸を開けて」という文章のなかでのこと。
Twitter(現X)では2019年に「寒梅忌」と投稿しているけど姉の命日とは書いていない。はっきり書いたのは2021年。
自死、あるいは自殺は、「公認されない死」と言われ、「社会的に話すことができない喪失」(socially unspeakable losses)とも呼ばれる。
こうして振り返ってみると、そうした言葉の通りに、ためらいながら私は歩んできたことがよくわかる。
ずっと秘密にしていたことを、いまは少なくとも"ここ"ではためらうことなく書けるようになった。それは"ここ"は読みたい人だけが来る「私の心の庭」だから。
文章でさえためらってきたこの秘密を打ち明けるにはとても勇気がいる。その秘密を知り、交際を拒絶する人は去ればいいし、無視するような人なら私の方から遠ざかる。
その結果、友人が減っても一向にかまわない。私は孤立無援を恐れない。
今年は水不足のせいか、庭の梅が咲かなかったので、熱帯スイレンの写真からお気に入りの一枚を飾り誕生日を祝う。おめでとう。
さくいん:自死遺族、秘密、孤独