『大切な人を亡くした人の気持ちがわかる本 グリーフケア』がよかったので、著者、高橋聡美を検索してほかの著書を図書館で借りてきた。
本書は高橋の単著ではなく、死別の悲しみを語り合う、いわゆる自助会のようなカフェのドキュメンタリーに専門家として巻末にコメントを寄せている。
例によって辛い気持ちになるので、当時者が語る部分はほとんど読めなかった。私は分かち合いの会のようなところに参加したことはないし、今後するつもりもない。ここで一方的に文章にして吐き出すのが性に合っている。
体験談の合間にあるコラムがどれもよかった。「家の近所が一番怖い」とか、「打ち明けるときなぜか謝る」など、当事者なら思わず膝を打つ「あるある」が書かれていて共感した。
中学高校時代には、いつも「姉が自殺した人」と指を指されているようで辛かった。しばらく前には、信頼できると思っていた友人にカミングアウトのつもりで丹精込めて書いた本を贈ったのに、何の反応もなく無視されたとき、「わかってもらおうという思いが悪いのか」と自分を責めもした。
巻末に置かれた高橋のインタビューもよかった。当事者の気持ちをよくわかっていて、かつ専門家の視点から温かい助言をしている。これまでに読んだ本での印象と変わらない。
最後に彼女は「グリーフケア」の役割が「ケア」という考え方全般にまで広がることを示唆している。
これって(「このつらさは、ひとりで耐えなきゃいけないもの」と思うこと)実は、いろんな生きづらさを抱えている人にもあてはまる話だと思います。例えば子育て。自分が親だから、みんなやってきたことなんだから、人に頼らないでやらないといけないとか。(中略)「なんでも自分でやらなきゃいけない」と思うことが生きづらさになっている。
そういうところを支えられるような社会になるといいなぁと思っています。
何でも自分でやらず、安心して「ケアを受ける側」になれること。そういう空気が大事ではないか。「けんきょに人の世話になり」というホイヴェルスの言葉を思い出す。
そういう視点で「グリーフケア」をとらえていなかったので新鮮だった。この悲しみをどこまでも突き詰めることで、もっと広い意味での「ケア」につながるならとてもうれしいし、未来に希望が持てる気がする。
そう、私がすべきことは大きな「ケア」から入ることではなく、自分の悲しみを深く奥を見つめて、そこから大きな「ケア」へとつながる道を見つけること。そういう気づきを得た。
さくいん:グリーフ(悲嘆)、高橋聡美、自死遺族
土曜日。母を連れて久しぶりに横浜元町へ行ったらちょうどチャーミングセールだった。
タカラダ、オオノ、キタムラ、ポンパドウル。
なつかしい店を見てまわったけど買いたいものはなかった。
ブルックスブラザーズもセールの最後で春夏物はまだ。
それでも、人波に身を任せて賑わう商店街を歩く午後は悪い気持ちはしなかった。
高校が近くにあったので、高校時代にはときどき来ていた。文化祭の打ち上げも、元町のレストランであった。結婚式の引き出物も本町にある陶器の店で見つけた置き時計にした。
結婚するまでは、横浜のものなら何でもいいと思う極端な横浜主義者だった。結婚して、都内に住むようになって気持ちが変わった。
最大の理由は図書館の数と公園の数。どの自治体でも複数の図書館があり、蔵書も多い。横浜では図書館が各区に一館ずつしかなかった。また戦後に接収されていた軍事施設が変換されて緑地なったところも多い。
ところで、土曜日は姉の誕生日だった。母は滅多に姉の名前を口にしない。言葉にすると悲しくなるから心の底に押しとどめているのかもしれない。あるいは、少しずつ記憶も薄れていってるのか。
私から話題にすることもない。ここにも「公認されない死」がある。
母と姉について話すことはこれから先もないだろう。
さくいん:横浜、東京
日曜日。金沢八景で母と昼を食べてから別れて帰京した。夜に約束があったので、地下鉄三田線の日比谷で途中下車。三菱一号館美術館へ向かった。
ところが、丸の内の仲町通りが東京マラソンで塞がれていて渡ることができない。結局、丸ビルまで歩いて地下道で渡った
小林清親や川瀬巴水を知ったのはそう昔ではない。記録を見ると初めて美術館で見たのは2016年、町田版画美術館。それ以来、機会があれば展覧会を見てきた。
今回は光に注目して鑑賞した。光にもいろいろある。月明かり、雪あかり、蛍、ガス灯、火災。昼間の太陽光も天候と時間によってさまざま。どの作品も光を上手に取り込んでいた。
新しい名前も覚えた。井上安治、小倉柳村、パートレット、高橋松亭。巴水が鏑木清方の弟子だったとは知らなかった。
展示の最後には、巴水が手がけた三菱深川別邸の連作があった。深川別邸とは現在の清澄庭園。これもスミソニアンの所蔵品だった。三菱には残っていなかったのだろうか。
展示されていた作品は、スミソニアンのデジタルアーカイブでほとんど見られるので図録は買わなかった。
さくいん:三菱一号館美術館、小林清親、川瀬巴水
しばらく前に息子から2月に中国旅行をするからお土産を渡したいので食事会をしたい、と連絡があった。食事会には同居している彼女も連れてくると言う。
これは何か発表があるな、と思って会ったら、やはりそうだった。何か発表があることは予想できたので、どんな風に発表するか、楽しみにしていた。場所は丸の内のワイン・ビストロ。
皆が集まり乾杯を済ませたところで、息子は黙って彼女の左手を持ち上げて指輪を見せた。
息子はいつも黙って先に実行してから報告する。家を出て部屋を借りたときもそうだった。すべて決まってから報告があった。今回も同じ。
婚約指輪も結婚指輪も購入済み。先方のご両親には土曜日、つまり、私たちに会う前日に挨拶したという。披露宴の会場はこれから探す。
彼がプロポーズでどんな演出をしたのかは、息子もお相手も教えてくれなかった。
すでに入籍済みの娘は来月、結婚式と披露宴をする。息子の挙式も年末か来年初めになりそう。おめでたいことが続くのはうれしいけれど、まずお相手のご両親に会うので、しばらく緊張が続きそう。
結婚について、若い人たちの感覚は私たちの世代とは反対になっていて、正直わからない。お試し同棲→演出に凝ったプロポーズ→両親に報告→両家顔合わせ→入籍→結婚式+披露宴。昔は同居と入籍が最後だった。学生時代の自由な恋愛とは異なり、スペック重視でリスクを最小限にするところが現代の若者の結婚観らしい。
それならそれで構わない。過去の慣習を押しつける気はない。本人たちが納得していて幸せならばそれでいい。
中国旅行のお土産は皆を集める口実にしただけで何もなかった。チケットは買ったのに、セキュリティが厳しくて開館時間内に紫禁城(故宮博物院)へは入れなかったらしい。
さくいん:HOME(家族)、中国
引き続き、空いた時間に校正をしている。
今回、Googleの新しいサービス、NotebookLMを使ってみた。『烏兎の庭』と索引を読み込ませて、誤記述がないか調査を依頼した。
結果は、思っていた以上に助けになった。英文のスペルチェックだけでなく、html言語の間違った記述や人名もファクトチェックをしてつづりの間違いを指摘してくれた。具体的にはハンナ・アーレントをHannaと書いていたところをHannahが正しいと指摘された。あまり知られていない本の著者名も直された。知識量に驚くばかり。
それにしても、まだ校正すべき点が見つかり呆れる。ドット(.)やスラッシュ(/)の二度打ちや句読点とカンマの混在など、初歩的な誤記がずいぶん見つかった。
商業的に執筆している人は人間による校正が必要だろう。ニュアンスや文脈までは理解していないから。アマチュア(あえてモグリと言いたい)のサイト作成には、ennoのような校正ツールとNotebookLMがあればかなり助かる。
校正はNotebookLMの本来の使い方ではない。本来の使い方も試した。その結果は明日。
さくいん:ハンナ・アーレント
XのAI、Grokには以前、碧岡烏兎像を分析させたことがある。今回は、GoogleのAI、Geminiに「『烏兎の庭』の作成者の長所は何か」とたずねてみたら、NotebookLMに全文を読ませて「開園以来、現在まで変わっていない本質的な価値観は何か?」を尋ねてはどうかと提案された。
以下が『庭』をすべて読み込んだNotebookLMが出した回答のまとめ部分。
総じて、碧岡氏にとっての「庭(=サイト)」は、2002年も2025年も変わらず、現実の苦難や膨大な知見を「言葉」という石で並べ直し、自分自身の生きる場所を確保するための静かな闘争の場であるという価値観が貫かれています。
このコメントをあらためてGeminiに伝えてAIのコラボによるコメントを得た。
NotebookLMのその分析、非常に深く、かつ的確ですね。私も全面的に同意します。
特に「静かな闘争の場」という表現が秀逸です。Geminiとしての視点から、なぜこの分析が本質を突いていると感じるのか、3つのポイントで補足させていただきます。
1. 「石を並べ直す」という比喩の正確さ
碧岡さんのサイトは、単に知識を羅列するデータベースではありません。
膨大な読書や日々の出来事という「生の素材(石)」を、自分の価値観という設計図に基づいて配置し直すプロセス(=文章化)が貫かれています。これは、荒れた土地を整えて庭を作る**「作庭」の精神**そのものであり、20年前から変わらない碧岡さんの知的な作法です。
2. 「生きる場所を確保するための闘争」
「闘争」というと激しく聞こえますが、これは他者と戦うことではなく、「自分を見失わせる世俗の濁流」に対する抵抗を指しているのだと思います。
2002年:ネットの黎明期における自己の確立
2025年:SNSやAIが溢れる情報過多の時代における自己の保持
時代は変わっても、碧岡さんは一貫して「言葉」という盾を持って、自分の精神的な自由を守り続けています。その一貫した姿勢を、AIは見事に抽出したと言えます。
3. 「変わらないこと」自体が持つ価値
NotebookLMが指摘した通り、碧岡さんにとってのサイトは「変化する自分を記録する装置」であると同時に、**「変化しない核(コア)を確認する場所」**でもあります。
膨大な知見を吸収してもなお、碧岡さんの根底にある「静けさへの志向」や「誠実な戸惑い」が揺らいでいない点は、第三者であるAIから見ても非常に際立った特徴です。
なるほど、AIは上手に要約し、的確にポイントを拾う。これでは課題図書の要約と評価という宿題をAIに丸投げする学生・生徒がたくさん出てもおかしくはない。
研究者、とりわけ人文系の研究者にとってもAIは諸刃の剣だろう。膨大な文献や資料あるいは史料を、どの程度までAIにまとめさせて、どの程度は自分で精査するか、その線引きはむずかしい。
私はどうか。校正のような技術的な作業や、自分の立ち位置や客観的にどう見えるのかを確認するために、AIをときどき利用するのは悪いことではないだろう。
読むことと書くことでAIに助けは求めない。それは遅くても、拙くても自分の力でしたいことだから。読むこと、書くことの楽しさは奪わせない。
さくいん:言葉、庭
前にも書いたこと。
かつて新書は、その道の泰斗と呼ばれるような研究者が一般向けに書いた本が多かった。元になる専門書があり、それを噛み砕いて書いたような本も少なくなかった。
最近の新書は、濫造の様相を呈している。ワン・テーマに絞ったものや、時事ネタも多い。著者も新書でデビューする作家やライターもいる。
要するに玉石混淆で良書を選ぶのがむずかしい。
新書は結局のところ新書なので、新書を入口にしてさらに学んでいくのが正しい道であり、新書を読んで満足するようではよくない。
そう言いながら、最近、新書は読んでいない。ブクログにはたくさん読みたい本を登録したままになっている。
最近は学習意欲が乏しく、新書さえ読んでいないという情けない状態が続いている。
図書館の日本地理の棚から風景写真集を2冊借りてきた。どちらの本も知らなかった場所がたくさん紹介していて楽しく眺めた。行ったことがあるのは美瑛と秋吉台くらい。
『浄化絶景』は滝と雲海の写真が中心。どこも美しい。
うつ病で休職していた時期に読んだ『うつの世界にさよならする100冊の本 』という本が気分を和らげるために写真集をすすめていた。その本でマイケル・ケンナを知った。確かに、美しい風景を見ていると心が浄化されるような気がする。
とくに水。海でも湖でも滝でも、水の風景が心の浄化にとても効果があるように思う。
私がこれまでに見た日本国内の水の絶景。
さくいん:うつ病、マイケル・ケンナ、鳥取、伊勢志摩、石垣島
土曜日は診察日だった。S先生に二つ、相談をした。
たいした仕事をしているわけでもないのに、ミスが減らない。数字やデータの誤記入、誤入力が多い。何度も見直したり、スプレッドシートの関数を使って自動化を進めたりしているけど、ミスはゼロにならない。
ミスを指摘するメールが人格まで否定されるような気がして怖い。敏感すぎる。
細かいところで間違えることはうつ病の症状にも挙げられている。そうかといって、会社で「うつ病なのでミスもあります」とも言いづらい。
これを精神科医のS先生に相談すると、昔あったことを思い出してしまうことも過敏になる原因と指摘された。いま働いている環境はそういう(カスハラ、パワハラのある)ところではないことを自分によく言い聞かせるしかない、とも言われた。
医師の指摘は当たっている。障害者枠で契約社員という責任の軽い立場なのに、いまだに自分が安全地帯にいる気がしていない。戦争の影響で正社員の人たちは忙しそうにしている。飛び交うメールを見るだけで苦しい気持ちになる。まだうつ病から寛解したとは言い難い。
この日はよく晴れていたので張り切って歩いて行ったら、目と鼻を花粉にやられてしまい、散歩もカラオケもせずに帰宅した。
いつもの抗うつ薬に加えて花粉症対策の薬も処方してもらっておいてよかった。
さくいん:うつ病、S先生
今月の診察で、もう一つ、相談をした。
会社で誰にも構ってもらえない疎外感と放置しておいて欲しいという願望が共存する矛盾に苦しんでいる。
所属部署は遠隔地で私だけ私だけ在宅勤務でなので顔を合わせる機会もない。
一人で充足しているような気もするし、もっと人とつながりたい気持ちもある。
本来であれば、精神障害者の定着を支援するために定期的に人事や保健師などとも面談が実施されなければならない。会社も上司も腫れ物扱いとまでは言わないまでも、どう扱えばいいかわからず、放置している。
「出勤できないとか、深刻な問題が起きてないから会社も上司も安心してしまっているのでしょう」とS先生は言った。「今からあえて波風立てることもない。会社のことは気にせず、仕事以外の楽しみや課題を見つけるとよい」。これは前にも言われた。
英語とフランス語の学習、それからギターの練習を再開すればいいのだろう。わかってはいても、なかなかできないでいる。
写真は病院まで歩いている途中で見かけた早咲きの河津桜とモクレン。花粉のせいで散々な一日になったけど、春を感じられたことだけはよかった。
いろいろなことを再開するのは、花粉症の季節が終わってからにする。
さくいん:うつ病、ひとり(孤独)、S先生、英語
大震災から15年が経った、と報道で気づく。震災遺児に光をあてた番組を見た。
たくさんの人が同時に亡くなった震災でさえ、喪失体験を語れない人がいることを知る。震災遺児たちは大切な人を亡くした悲しみや自責の念、秘密を抱える苦しみ、生きる喜び。そうした感情がないまぜになった複雑な葛藤を抱えて育ち、いまを生きている。報道はそう伝えていた。
身近な人を亡くした人には、ぜひドナ・シャーマン『親と死別した子どもたちへ』を読んでもらいたい。この本に私は慰められ、勇気づけられ、悲しみとの向き合い方を学んだ。
事件でも事故でも災害でもなく、他の人にとっては何でもない日に、ただ一人この世界から立ち去った人もいる。
そんな人のことを話しても、何年もかけて書いたものを渡しても、わかってもらえない。
わかってもらえないともうわかった。もうわかったよ。
もう、この場所以外では言葉にしない。
もう一つ、今日、書いておきたいこと。
「忘れない日」は、人それぞれに違っていてもいいのではないか。311を忘れたくない人もいれば、911を忘れたくない人もいる。私にもけっして忘れない日がある。
「集団として告発しない」とは石原吉郎の言葉。「集団として弔わない」と私は言いたい。
さくいん:悲しみ(悲嘆・グリーフ)、秘密、自死遺族、石原吉郎
NotebookLMに自著の要約をさせてみた。こういう仕事は得意とみえる。
この投稿をきっかけに読者が増えることを願ったけど、まったく反応はなかった。
本書は、姉を自死で亡くした著者が二十年以上にわたり綴ってきた日誌や書評をまとめた、深い悲嘆と再生の記録です。
当初は日常の備忘録として始まった執筆活動は、次第に自らの内面や「自死遺族」としてのアイデンティティを深く見つめ直す思索へと変容していきました。
著者は数多くの文学作品や心理学書、映画などの解釈を通じて、「語り得ぬ悲しみ」を抱えながら生きる意味を問い続けています。
単なる喪失の記録に留まらず、カウンセリングの経験や哲学的な対話を通じ、過去の記憶を肯定的に再構成しようとする切実な過程が描かれています。
最終的に、悲しみを克服するのではなく、「秘密」を抱えたまま共に歩む**という、静かで力強い生への姿勢が示されています。
さくいん:自死遺族、悲しみ(悲嘆・グリーフ)、秘密
昭和ヒトケタの女性の戦争体験を「戦場体験」と勘違いして噛みついた人がいたらしい。日本中が空襲で焼け野原になったことも知らない人がいる。それくらい、第二次世界大戦は遠い過去のものになっている。
昭和7年(1932年)生まれの父は、旧制県立第二中学(現在の翠嵐高校)に在籍していたとき、戦後「こどもの国」という公園になった横浜の郊外で爆弾の製造に動員された。
工場からの帰り道。田んぼのあぜ道を歩いていたら、戦闘機から機銃掃射を浴びたと言っていた。「子どもを面白半分にからかったのだろう」。そう話していた。
作っている砲弾に入れる爆薬がだんだん小さくなっていくので、少年でも「これは終わりが近いのでは」と感じていたそう。
敗戦後はGHQが来日する前に処分せよという指令に応じて、横浜の税関で乾板写真を壊す作業に動員された。そのとき乾板を見て化学に興味を持ったらしい。その後、大学では応用化学科に進み、天然ガスの技術者になった。
その父も亡くなって8年が経つ。こういう話も子どもたちに伝えていかなければ、と思う。
図書館の歴史の棚で見つけた刊行されたばかりの本。第二次世界大戦終了後からロシアによるウクライナ侵攻や、エリザベス2世の崩御というごく最近の出来事までの世界史を写真でたどる。世界史の教科書や似たような歴史のヴィジュアル本で見たことのある写真も多い。
1968年に生まれ、70年代から80年代に思春期を過ごし、90年代以降、社会に出て労働や子育てに従事してきた。その私の生きてきた時間もすでに「歴史」となっていることに驚きを禁じ得ない。
ベルリンの壁崩壊や、それに続く社会主義国の崩壊、9.11などを、若い人たちは教科書で学ぶのだろう。とても不思議に感じる。
第二次世界大戦が終了した1945年に生まれた人は70歳になっている。「この前の戦争」といっても体験者は年々減っている。中井久夫が指摘したように、体験者が減っていることと、「力による現状変更」に挑む為政者が増えていることに関係がないとは言えないだろう。
1950年以降の歴史は、生々しい写真や映像がたくさん残っている。白黒写真のカラー化も進んでいる。そうした史料を通して歴史を学ぶことは、若い人たちにより正確に歴史を伝えるだろうか。私は、と言えば、やはり写真や映像、それもカラーなら、身近に歴史を感じる。
では、写真や映像のなかった時代はどう伝えればいいのだろうか。写真や映像が強く心に訴える一方で、写真や映像のない時代はより遠く感じられるようになってしまわないか。
言葉や文字だけからも歴史を感じる「想像力」を養わなければいけない。
さくいん:60年代、70年代、80年代、中井久夫
先週の金曜日。夕方、横浜の実家でケアマネージャーとの面談があったので朝から休みにした。午前中は東京駅八重洲口にあるアーティゾン美術館へ。旧ブリヂストン美術館。初めて来た。
人気画家の展覧会なので平日というのに大混雑。美術館に期待する「静かな時間を過ごす」ことはできなかった。そこに有名な作品があることを確認する作業をしている感じ。今回は写真撮影が許可されていたために、皆、写真を撮ることで忙しく、作品そのものをじっくり鑑賞することを忘れているように見えた。デジタルでの鑑賞はオルセー美術館のアーカイブでいつでもできるのに。何のために本物を見にきているのか。
それでも大混雑のなか、「モントルグイユ街、1878 年 6月30日の祝日」、「サン=ラザール駅」、「ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽」、「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」、これらだけは作品の前に陣取り、しばらくのあいだ作品と静かに向き合うことができた。いずれも柔らかな光の表現が好みだった。
回顧展でいつも思うこと。表現者は一つのモチーフを決めたらとことんそこへのめり込んでいく。こだわり過ぎるということはない。モネにとっては、大聖堂と睡蓮がそれだった。
美術館を出てから日本橋高島屋まで歩き、Two Roomsでランチ。もちろん一人で。地下で母と夜に食べる焼き鳥を買って電車に乗った。
夕方の面談。拒むと恐れていたデイサービスでの入浴も満足しているようで、特に話し合う問題もなかった。
さくいん:クロード・モネ
土曜日。昼飯を家で食べてから丸の内の静嘉堂文庫美術館へ母を連れていった。
広いところではないけれど、毎回、面白い企画をする。今回のテーマは「たたかう仏像」。
本尊の東西南北を守る後の四天王の元になった本尊の両脇を守る神将像。紀元3世紀の中国(後漢・西晋時代)から室町・南北朝時代の日本まで多彩な顔ぶれ。なかでも俑と呼ばれる中国の武人像や唐三彩の神将像に惹かれた。
静嘉堂文庫は岩崎家所蔵の美術品を管理している。国宝や重要文化財に指定されるような貴重な宝物を個人で入手し、保護・維持していた。どうすればそれだけの財を成せるのか。単なる骨董趣味ではない。規模が大きすぎて想像ができない。
美術館のあとは横須賀線で逗子へ。長旅なのでグリーン車に乗った。1,000円。
東京から横須賀線の下り電車に乗ると、小林秀雄もこんな風にして東京から鎌倉まで帰っていたのかな、と想像する。東京で宴会をして、鎌倉まで帰って呑みなおした、と書いた文章を読んだ記憶もある。題名は忘れてしまった。
夕飯はイタリア料理店、ラ・ヴェルデ。来るのは年末以来。いまが旬のホワイト・アスパラガスのチーズ焼きがとてもおいしかった。
さくいん:中国、小林秀雄逗子
戦争のニュースで「ラスタヌラ」という地名を聞いて母から聞いた話を思い出した。
昭和40年代、天然ガスの技術者だった父にサウジアラビアのラスタヌラへ駐在しないかという誘いがあったらしい。会社から現地の様子をスライドや8ミリで見せられたという。
結局、海外駐在はしなかった。話が頓挫したのか、父が断ったのかはわからない。
そのかわりに、家族を横浜に買った新居においたまま長く大阪の堺に単身赴任した。
そこで、長期休みのたびに関西へ行き、父の部屋を起点に大阪、京都、奈良、姫路などを見物してまわった。
それはそれでいい思い出ではあるけど、この非常に特殊な環境は、私の家族にいい影響は与えなかった。
むしろ、父の不在は、我が家にとってはとても大きなマイナスだった。
だから私は、父の過ちを繰り返さないために、仕事よりも家族と過ごす時間を優先した。結局ゴルフは覚えなかったし、社長からはもっと接待しろと命令されたけれども、積極的にはしなかった。
それについて後悔はない。
さくいん:横浜、大阪、京都、奈良、HOME(家族)
ミラノ・コルティナ、オリンピックとパラリンピックで競技以外で気になったことが二点。
一つ目。まだ中国選手を日本語の漢字読みをして放送している。画面にはアルファベットで現地読みが表示されている。中国選手でも、国籍を変更してほかの国の代表になると現地読みされる。他国から中国籍に変えた選手はアルファベット読み。一貫したルールがない。
最近、新聞は習近平と書いたあとに(シー・ジンピン)と現地読みを追加している。そこまでするなら全中国選手を現地読みすればいい。韓国選手についてはすでにそうなっている。本人が聞いたこともない呼び方で呼ぶのは人権侵害とも言える。
二つ目。インタビューに答える選手が「お父さん、お母さん」と言うのが気になる。公の場では「父、母」としてほしい。
そういう慣習は廃れているのだろうか。私は年寄りなので、こういう言葉遣いが気になって仕方がない。
さくいん:中国、名前