青い空に白い雲

図書館で偶然見つけた本。最新の知見が整理されていて、わかりやすく、有益な本だった。こんな本が、姉が亡くなった44年前にあったら、その後の私の人生はずいぶんと違っていたのではないか。そんな風に思わせる本だった。

でも、それはないものねだりというものだろう。著者もあとがきで指摘しているように、グリーフケアという概念が普及したのはこの10年のことだから。いま、このような本が出版されていることを素直に喜ぶべきだろう。

確かに、この10年くらいのあいだに、グリーフワークに有益な本に何冊も出会ってきた。『親と死別した子どもたちへ』『グリーフケアの時代』『遺族外来』などはその好例。

目次と本文から著者が指摘する大切なポイントをいくつか抜き書きしておく。

反応は100人いれば100通り。「正しい反応」なんてない
さまざまに変化しながら、その後につながる
回復過程も人それぞれ
回復は一直線でも決まった段階を踏むものでもない
グリーフは消えてなくなるものではない
「なにをすべき」という正解はない

こういうことをはっきりと言ってくれるのは、長いあいだグリーフで苦しんだ当事者としてとてもありがたい。してはいけない「有害支援」についても、列挙して詳しく解説している。これもありがたい。本書を読みながら思い出せば、「有害支援」を受けたことがある。「何も変わらないよ」と励まされたり、「遠くで見てくれているよ」と訳知り顔で言われたり。

最近の私は、悲しみを言語化して一冊の本にまとめたことで、回復の階段を一つ上がったような気がしている。その一方で、身近なところでは理解してくれる人がおらず(幸い、妻は理解者の一人)、著者が助言するような「安心して語れる場所を持つ」ことができていない。それどころか、理解してくれると期待していた人たちに心情を吐露したところ、まったく無視されたためにひどく落ち込んだりもしている。彼らには、本書を読んで私への接し方を知ってもらいたいくらい。いまさら連絡をする気もないけど。

いまはしばらく落ち着いているけど、また悲しみの波が押し寄せてくるときもあるかもしれない。お守りとして本書を読んだ記録を残しておく。

著者の本を読むのは初めてと思っていたら、10年以上前に『死別を体験した子どもによりそう』を読んでいた。この本もとてもよい本だった。


さくいん:悲嘆(グリーフ)自死遺族