長野の民家

堀内家住宅 国指定重要文化財 (昭和48年6月2日指定)
長野県塩尻市堀ノ内117
建築年代/江戸時代(19世紀初頭)
用途区分/農家(名主)
指定範囲/主屋・表門
公開状況/外観のみ公開
中山道塩尻宿を少し西に外れた旧堀之内村に所在する旧庄屋屋敷である。中山道に沿って廻らされた黒板塀の中央部に開く冠木門を潜ると、広い前庭を介して斜め正面に美しい主屋が現れる。切妻造板葺屋根の妻入建物は破風の合掌部に「雀躍り」と称する棟飾りが特徴的な建築様式で、「本棟造」と呼ばれる信州限定の他にない独特のものである。この建前は江戸中期頃から出現し、一般の民家とは著しく異なる姿は富の象徴として特に庄屋階級で流行したらしい。確かに重厚で品格漂う良い建物である。
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横田家住宅 国指定重要文化財 (昭和61年1月22日指定)
長野県長野市松代町松代字代官町1434-1
建築年代/寛政6年(1794)
用途区分/武家(郡奉行200石→150石)
指定範囲/主屋・表門・隠居屋・土蔵2棟
公開状況/公開
松代藩真田家10万石の城下町に所在する中級武家住宅である。周囲に残る武家住居が官舎的な色彩が濃く、小規模で粗末な造作の建物が多い中、当住宅は主屋中央に2階建の突出部を附属させ庭見の座敷としたり、別棟で隠居屋まで備えるなど石高に比してかなり贅沢な意匠となっている。屋敷は約1000坪強もあり、北半を建物群と泉水庭園に割き、南半を菜園とする。信州各地の武家住宅はこうした屋敷配置を取ることが多く、ある程度の上士でも半農半士的な生活を送っていたように思われる。
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中村家住宅 国指定重要文化財 (平成9年12月3日指定)
長野県大町市美麻17668
建築年代/元禄11年(1698)
用途区分/農家(組頭・庄屋)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開







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春原家住宅 国指定重要文化財 (昭和48年6月2日)
長野県小県郡東部町大字和7192-1
建築年代/江戸時代(17世紀末・元禄頃と推定)
用途区分/農家(庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
上田と小諸の丁度中間辺りの千曲川北岸の緩やかな傾斜地に所在する農家建築である。屋号を「庄屋」と称したことから、藩政期には庄屋を務めた上層農家であったと考えられるが、資料等が残されておらず不詳である。住宅の建築年も定かでないが、1698年の建築が明らかな他の県内農家と比較して当家の建前には更に古い要素が確認されることから、県内最古の農家建築と推測される。土間に建つ4本の独立柱や部屋境の一間毎に建つ柱、居室部に開口部が少なく閉鎖的である点が古式とされている。
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旧小諸本陣 国指定重要文化財 (昭和48年6月2日指定)
長野県小諸市大字丙38
建築年代/江戸時代(19世紀初)
用途区分/商家(本陣・問屋)
指定範囲/主屋・表門
公開状況/非公開
新潟県の高田宿から軽井沢手前の中山道・追分宿までを結ぶ北国街道の小諸宿に所在する本陣遺構である。主屋は街道に面する大規模な妻入屋根2階建の建物で、出梁によって2階を前方に迫り出すとともに大屋根は覆い被さる様に深く軒を出し、圧倒的な存在感を放っている。藩政期において当住宅は問屋と本陣を兼ねた上田家の所有で、現在の主屋は問屋と居室部に該当する建物である。屋敷内にあった本陣たる座敷棟は明治12年に佐久市の桃源院に移されたが、近年、小諸市内に再移築・里帰りしている。
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真山家住宅 国指定重要文化財 (昭和48年6月2日指定)
長野県北佐久郡望月町望月201-1
建築年代/明和3年(1766)
用途区分/商家(旅籠・問屋)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/非公開
中山道の望月宿に所在し、「大和屋」の屋号で旅籠と問屋を兼ね、幕末には名主役をも務めたという商家建築である。同じ宿内に残る後世の商家建築と比較して年代が古いだけに地味に感じられるが、中2階を出梁により前面に迫り出す造りは雪深い信州地方独特の建前。これは荷継中の荷物が雨や雪に濡れるのを防ぐための工夫とされているが、特に当住宅の場合は正面柱筋に対して1階表壁面を半間後退させる一方、中2階を半間迫り出すことで、中2階を合計1間分突き出すという珍しい造作となっている。
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馬場家住宅 国指定重要文化財 (平成8年12月10日指定)
長野県松本市内田357-6
建築年代/嘉永4年(1851)
用途区分/農家
指定範囲/主屋・表門及び左右長屋・中門・文庫蔵・隠居屋・奥蔵・土地
公開状況/公開
松本平野東側にある鉢伏山西麓の緩やかな丘陵台地に所在する豪農屋敷である。当家は武田氏の武将で深志城代を務めた馬場信春の縁戚にあたる馬場亮政を初代とし、代々諏訪藩主と親密な関係を持つ特別な家柄であったと云う。住宅は約4000坪に及ぶ広大なもので、屋敷正面の表門はどこかの陣屋門のように規模も大きく威厳に満ち、主屋は本棟造と呼ばれる上層階級にのみ許された形式である。幕末の建築故に外観は軽快な印象が強いが、内部は斬新な意匠と熟達した建築技術が習合した相応のものである。
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島崎家住宅 国指定重要文化財 (昭和48年6月2日指定)
長野県塩尻市片丘9038
建築年代/18世紀初頭(元禄13年or享保年間<1716-1735>)
用途区分/農家(年番制庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
塩尻市街の北東、鉢伏山南西麓の緩やかな傾斜地に建つ農家建築である。幕末には年番制ながら北熊井村の名主を務めたということなので上層農家であったことは間違いない。主屋は信州独特の建築様式である本棟造を採るが、当住宅の場合は外観的に雀躍りや懸魚等の棟飾りが無く非常に簡素な印象である。内部においても土間が広く、部屋境の1間毎に柱を建てるなど古式を残す一方、妻入りの表側には突出部を設け座敷を配置していることなどから本棟造が完成に至る過渡期の建前とされている。
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小野家住宅 国指定重要文化財 (昭和48年6月2日指定)
長野県塩尻市塩尻町39
建築年代/江戸時代(嘉永3年=1850)
用途区分/商家(旅籠)
指定範囲/主屋・文庫
公開状況/非公開
江戸期の主要街道の一つであった中山道の塩尻宿に所在する旧旅籠建築である。当住宅は宿の中心にあった本陣跡の斜め向かいに所在しており、中庭にある銀杏の古木に因んで、屋号を「いてふや」と称した。当住宅の最大の特徴は幕末期における旅籠建築の進化の度合いを窺い知ることができる点にあり、客室を主に2階部分に配置し、廊下で仕切ることにより各部屋の独立性を高めたり、厠を客室近くの2階にも配置するなど非常に合理性に富んだ造作となっている。また客室の凝った意匠も見所とされている。
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林家住宅 国指定重要文化財 (平成14年12月26日指定)
長野県岡谷市御倉町2-20
建築年代/明治42年
用途区分/実業家(製糸業)
指定範囲/主屋・離れ・洋館・内蔵・穀蔵及び味噌蔵・外蔵
公開状況/公開
JR岡谷駅の北西200m程の住宅地に所在する旧実業家邸宅である。当住宅の主であった林国蔵氏は岡谷の製糸業発展の礎を築いた人物で、明治9年に官営富岡製糸場を模して20人繰の器械製糸工場を天竜河畔に建てたことに始まり、埼玉県深谷にも工場進出、福島県の常磐では炭鉱まで経営したことで知られる。住宅は時代を反映して和洋の建物を併設したもので、特に和風の主屋においては幻と称される金唐革紙を多用した2階座敷や高度な技術で知られる立川流の大工彫刻が随所に施され、秀逸である。
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竹村家住宅 国指定重要文化財 (昭和41年6月11日指定)
長野県駒ヶ根市赤穂26 (移築)
旧所在地・長野県駒ケ根市中沢本曽倉大津渡
建築年代/江戸時代(18世紀前半・享保年間と推定される)
用途区分/農家(名主)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
夏から秋に掛けて木曽駒ヶ岳の登山口として賑わう中央高速・駒ヶ根ICの西方、大沼湖畔に移築された旧名主住宅である。そもそもは現在地の東方、天竜川対岸の中沢本曽倉集落に所在していたが、昭和43年に長屋門、外便所と共に移された。信州の名主層の住宅は江戸後期には切妻板葺屋根の本棟造が主流となる中で、当住宅はそれ以前の寄棟茅葺屋根の遺構として貴重とされている。上層農家だけあって座敷が整うばかりでなく、馬屋には専用の通り土間が設けられるなど他には無い造作となっている。
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手塚家住宅 国指定重要文化財 (平成19年12月4日指定)
長野県塩尻市奈良井379
建築年代/天保11年(1840)
用途区分/問屋
指定範囲/主屋・別棟座敷・土蔵
公開状況/公開
重伝建に選定される中山道奈良井宿は上、中、下の三町から成り、当住宅は中町の中程に所在する旧問屋建築である。宿には上下二軒の問屋が置かれ半月交替で役儀を務めたが、当家は上問屋を江戸初期より世襲するとともに庄屋をも歴任するなど町で重きを成した存在であった。屋敷地は町場だけに鰻の寝床状の縦長で、主屋も間口12.4mに対して奥行きは別棟座敷まで含めると30m程にもなる奥の深い建前となっている。主屋から廊下を介して座敷に至る導線は旧家の秘密を覗き窺う様な錯覚に陥る程である。
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林家住宅 国指定重要文化財 (平成13年6月15日指定)
長野県木曽郡南木曽町吾妻2187-1
建築年代/明治10年(1877)
用途区分/庄屋・脇本陣・問屋・酒造業
指定範囲/主屋・文庫蔵・土蔵・侍門
公開状況/公開
中山道を美濃路から木曽路に入って2番目の宿となる妻籠は木曽川の支流・蘭川の河岸段丘上に形成された僅か三丁程の小さな宿場町である。問屋や脇本陣を務めた当家はその中程に所在する。現在の建物は明治初期の建築で、藩政期に尾張藩の統制下にあって伐採も儘ならなかった木曽の良材を存分に使用した上質なものとなっているが、一方で座敷と生活空間を廊下を隔てて厳格に仕切る様子は貴顕に対する配慮を引き継ぐ脇本陣時代の名残と思われ、封建時代の風情も感じられる造作となっている。
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千國家住宅 長野県指定文化財 (平成21年4月20日指定)
長野県北安曇郡小谷村千国乙840
建築年代/19世紀初期
用途区分/牛方宿
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開







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渡辺家住宅 長野県指定文化財 (平成5年8月12日指定)
長野県岡谷市長地3513-2
建築年代/18世紀中頃
用途区分/在郷武家(諏訪高島藩士・18俵2人扶持)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開
中山道にて塩尻峠を越え下諏訪宿に向かう途中の、旧くは東堀村と称した集落に所在する在郷武家住宅である。当家は江戸後期より諏訪高島藩の郡方下役を務め、住宅も江戸中期まで遡るものと見られるが、その価値はむしろ明治維新後に当家から3人もの大臣を輩出した事に拠るところが大きい。即ち宮内大臣を務めた千秋、その弟で大蔵、逓信大臣の国武、そして千秋の三男で司法大臣となった千冬である。当住宅は彼らの生家であるが故に郷土の誇りとして地元の人々によって守り継がれてきたのである。
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馬島家住宅 長野県指定文化財 (平成15年9月16日指定)
長野県伊那市高遠町東高遠2074-1
建築年代/天保7年(1836)頃
用途区分/藩医(眼科医)
指定範囲/主屋
公開状況/公開







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小野家住宅 長野県指定文化財 (平成16年11月22日指定)
辰野町指定文化財 (平成3年5月16日指定)
長野県上伊那郡辰野町小野952-1
建築年代/安政6年(1859)の大火後
用途区分/問屋・名主
指定範囲/主屋・土蔵 (附・表門・通用門・上雪隠・湯殿)
公開状況/不定期に公開







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旧新井家住宅
(宮田宿本陣)

長野県指定文化財 (昭和62年8月17日指定)
長野県上伊那郡宮田村1926-11
旧所在地・長野県上伊那郡宮田村3270
建築年代/江戸時代(18世紀後半)
用途区分/商家(本陣・問屋)
指定範囲/主屋・座敷・土蔵・表門
公開状況/公開
諏訪湖に端を発する天竜川に沿って伊那谷を縦貫する伊那街道は脇往還ながら関所がなかったため結構な通行があったらしい。当住宅はその中間位置となる宮田宿に所在した旧本陣建築である。当然ながら嘗ては宿場のほぼ中央部に在ったが、現在は木曽駒ケ岳山麓の公園脇に移築保存されている。石置屋根に平屋建、荒壁仕上の外観から、一見すると非常に質素な佇まいに思われるが、代々世襲で問屋も兼ねた本陣だけあって主屋棟とは別に本格的な書院を備えた座敷棟が附属し、御成門をも備えた相応の屋敷となっている。
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山下家住宅 長野県指定文化財 (平成6年8月15日)
長野県木曽郡木曽町開田高原字西野2730-5
建築年代/慶応2年(1866)
用途区分/大馬主
指定範囲/主屋
公開状況/公開
霊峰御嶽山麓にある開田高原は木曽地方の中心町・木曽福島と飛騨国の陣屋町・高山を結ぶ国道361号線の中間位置に所在する標高1100mの山村集落である。この地域は木曽馬の生育地として江戸期より著名な所で、当家は最盛期には300頭もの木曽馬を保有したという大馬主である。そもそもは江戸初期の高山藩金森家の馬屋奉行に仕えたという家柄で、藩主の出羽移封に伴い当地に帰農土着したとのこと。間口11間×奥行8間の本棟造は堂々たる姿で、土間脇の馬屋の大きさが最大の特徴である。
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樋口家住宅 長野市指定文化財 (平成20年3月27日指定)
長野県長野市松代町松代202-1
建築年代/江戸後期(文久2年(1862)以前)
用途区分/武家(目付役・禄高230石)
指定範囲/主屋・土蔵・長屋
公開状況/公開
松代藩10万石の城下町に所在する上級武家屋敷である。国の史跡に指定される旧藩主真田邸と道路を挟んだ南側の重要な位置に在り、端正な薬医門に連なる塀越しに茅葺の主屋が一際目立つ存在である。当家は藩政期には目付役を務めた家柄で、重要な訴訟や政務を採決する評定にも参加できる身分にあり、決して軽くは無い立場にあったと思われるが、主屋の建前に限った話をすれば、略式の座敷に簡素な玄関など役柄に比して少し粗末過ぎる観がある。自前ではなく官給屋敷であった故であろうか。
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高義亭 長野市指定文化財 (昭和54年3月12日指定)
長野県長野市松代町松代1502
旧所在地・長野県長野市松代町御安町
建築年代/江戸後期
用途区分/武家下屋敷(家老下屋敷)
指定範囲/高義亭
公開状況/外観公開
幕末の思想家で、海防攘夷から開国論者に転じて多くの維新志士達を先導した佐久間象山は松代藩が輩出した江戸期最大の偉人である。その生家跡隣接地に創建された象山神社境内に昭和52年に所縁の建物として移築されたのが、松代藩江戸詰家老・望月主水の下屋敷「聚遠楼」の客座敷であった当建物である。門弟の吉田松陰の渡航未遂罪に連座して蟄居を命じられた彼は、ここ高義亭で長州の高杉晋作や日下玄瑞、土佐の中岡慎太郎ら幕末開国の立役者たちと会談したと伝えられる。
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中村家住宅 塩尻市指定文化財 (昭和60年3月15日指定)
長野県塩尻市奈良井311
建築年代/天保8年(1837)以降
用途区分/商家(塗櫛問屋)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開
重伝建地区に選定される中山道の奈良井宿に町並保存の機運が生じたのは当住宅に神奈川県川崎市の日本民家園への移築計画が持ち上がったことが端緒である。天保8年の大火後に建てられたという当住宅は間口3間2尺の小規模な建前ながら奈良井宿の町家に特徴的な要素が凝集しており、特に建物正面の平板を羽重ねた庇は鎧庇と称され、刳形の庇抑えの桟木は猿頭と云い他所に類を見ないものである。当家は奈良井名産の塗櫛の製造販売を手掛けた問屋で、規模の割に接客空間が充実している。
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原家住宅
(徳利屋)
 
塩尻市指定文化財 (平成16年11月18日指定)
長野県塩尻市奈良井516
建築年代/天保年間(推定)
用途区分/旅籠
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/蕎麦店として営業(徳利屋郷土館)
中山道の奈良井宿は約1kmに亘って家並みが続く日本最長の宿駅だそうだ。当住宅はその中間位置に西面して建つ旧旅籠建築で、嘗ては脇本陣を務め昭和12年頃までは旅館としての営業していたが、現在は蕎麦屋として訪れる者に憩いの場を提供してくれている。恐らく明治・大正期の改築と思われるが広間の表裏に設えられた階段と天井部の格子状に組まれた小屋組が織り成す軽快な空間に毎年縄を一巻して嵩を増す自在鉤が吊るされた重厚な囲炉裏端の様子は旅情を擽るに最適な演出である。
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志賀家住宅 諏訪市指定文化財 (平成16年12月1日指定)
長野県諏訪市高島1-18-7
建築年代/安政年間(1855年)
用途区分/武家(知行100石)
指定範囲/長屋門・主屋・土蔵
公開状況/非公開
高島藩諏訪家3万石の城下町に所在する中級武家屋敷である。諏訪家の居城である高島城の南側の出入口となる土戸門を出て直線に伸びる通りを100m程下ったところに東面して所在するが、近隣の家並みが商業施設にすっかり建て替わっているため当住宅だけが周囲から取り残された様子で少し寂しい。住宅は正面に建ちの低い長屋門を構え、背後に切妻屋根の本棟造の主屋が建つ。知行100石取の身分に相応しい規模ではあるが、間口が狭く奥が深い屋敷地はまるで街道筋の宿場に見られる区割の様である。
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井澤家住宅 伊那市指定文化財 (平成11年5月21日指定)
長野県伊那市西町5597-4
建築年代/17世紀末〜18世紀初頭(天保11年以前)
用途区分/農家・酒造
指定範囲/主屋
公開状況/公開
天竜川によって形成された伊那谷の中心都市、伊那市の西郊に中山道の脇往還であった伊那街道の宿場、伊那部宿がある。





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池上家住宅 伊那市指定文化財 (昭和62年7月14日指定)
長野県伊那市高遠町西高遠1724-1
建築年代/江戸時代
用途区分/商家(醤油・酢醸造販売)・町問屋・町名主
指定範囲/主屋
公開状況/公開
伊那市の東方、内藤家33000石の高遠城下に所在する商家建築である。桜の名所として知られる高遠城址から藤沢川を挟んだ対岸の段丘上に拡がる一画は西高遠と称され、その西端のJRバスの高遠駅がある辺りは鉾持町と呼ばれた鎌倉時代より町場が形成された高遠の中心街であった。当住宅は駅の西脇の街道筋に東面して建つ間口5間程の中規模な町家で中世末の古文書から瀬戸物や小間物を商っていたことが判っている。藩政期には醤油や酢の醸造販売を行い、問屋や名主などの町の重職を務めたという。町内最古の町家造建物とされているが、内部は喰い違いに間取りが配され、各部屋の造作に視覚的な演出が施された幕末期らしい風情である。
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木下家住宅 駒ヶ根市指定文化財 (平成6年8月24日指定)
長野県駒ケ根市中沢7467
建築年代/江戸後期(安政年間と推測される)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
駒ヶ根市と大鹿村を結ぶ県道49号線から新宮川に沿って少し北へ入った谷間に所在する農家建築である。東面する山の斜面を削って石垣を積み、僅かな平地を辛うじて確保した敷地には主屋を中心に土蔵や水車小屋、外便所が段差を利用しながら上手く配され、往時の風情を残すだけでなく全体として見栄えのする屋敷構えとなっている。寄棟茅葺の主屋の規模は桁行11間、梁間5間、内部は四間取りとなっており、同じ中沢地区にあった国重文の竹村家住宅と比して僅かに小振りながら外観はやはり近似する。
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石合家住宅
(長久保宿本陣) 
長門町指定文化財 (昭和53年12月1日指定)
長野県小県郡長門町大字長久保589
建築年代/江戸時代中期(17世紀後半と推定)
用途区分/本陣
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
中山道の長久保宿に所在する旧本陣に残る座敷棟建築である。下諏訪から小諸方面に向かう途次、和田峠を越え和田宿を抜けて尚、北上を続けると長久保宿に入る。街道は宿の半ばで東に折れ、笠取峠に向かって緩やかな傾斜が続くが、その途中左手に小振りな表門を構え、前庭を挟んで奥まった位置に建ちの低い建物を残す屋敷が当住宅である。嘗て当座敷棟の西側には間口11間、奥行8間半の主屋が接続していたらしいが明治期に失われている。当建物が本陣座敷としては最古の遺構であることは特筆すべきであろう。
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島木赤彦住居 諏訪市指定文化財
長野県諏訪郡下諏訪町高木9180
建築年代/
用途区分/歌人・教育者
指定範囲/
公開状況/公開




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村井家住宅 木曽町指定文化財
長野県木曽郡木曽町福島2627
建築年代/正徳2年(1712)
用途区分/庄屋
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
藩政期において木曽福島の町は木曽谷の中心地であった。木曽地方の町方支配を務めた世襲代官の山村家がここに居を構え、関所も設けられた。当住宅はその木曽福島の町場を見下ろす東側の山腹に所在する旧庄屋屋敷である。当家は山村氏以前の木曽氏支配の戦国時代から当地に居を構えた中世山岳武士の系譜を引く旧家として知られており、藩政期に至って当地の岩郷村の庄屋職を務めたという。住宅もそうした歴史的背景が色濃く反映した豪壮な佇まいと評価されている。
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下嵯峨屋 南木曽町指定文化財
長野県木曽郡南木曽町吾妻805-1
建築年代/不詳
用途区分/長屋
指定範囲/主屋
公開状況/公開
妻籠宿の町並の美しさは特別なものである。さすがに日本の町並保存の先駆として名を馳せただけのことはある。その価値は国重文の脇本陣・林家住宅を筆頭に当住宅のような庶民長屋に至るまでの様々な階層の町家が往時そのままに混在しながら今に残ることにある。集落中程にある当住宅は三軒長屋の1戸分で、間口3間、奥行5間の建前に内部は土間とそれに沿って前後に2室が並ぶのみの小規模なものである。現代の感覚からすれば、粗末としか表現の仕様がない民家を率先して文化財に指定した町の決断は凄い。
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上嵯峨屋 南木曽町指定文化財
長野県木曽郡南木曽町吾妻803-1
建築年代/江戸中期(18世紀中頃)
用途区分/旅籠
指定範囲/主屋
公開状況/公開
中山道67次の42次目となる妻籠宿に所在する旧旅籠建築である。住宅は町並の馬籠宿寄りの寺下地区に所在し、庶民を対象とした最下層の旅籠である木賃宿を営んでいたらしい。間口3間半、奥行5間の小規模な建前ながら、中央に通り土間を設け、その左手に6畳間を前後に2室並べて客室とし、反対の右手を大人数でも囲める横長の囲炉裏を備えた板間に割き、旅籠としての体裁はしっかりと整えられている。薄暗い客室に佇むと贅沢になった今の世では考えられなくなった侘しい旅の様子が想像できて面白い。
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伊澤修二生家 伊那市指定史跡 (昭和43年5月30日指定)
長野県伊那市高遠町東高遠2130
建築年代/寛政年間(1789〜1800)
用途区分/下級武士
指定範囲/主屋
公開状況/公開
高遠藩下級武士の住居で、伊澤修二は明治期に活躍した教育者。






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矢口家住宅 登録有形文化財 (平成13年10月12日登録)
長野県北安曇郡小谷村千国乙3160
建築年代/明治8年(1875)
用途区分/大工
登録範囲/主屋
公開状況/非公開







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三原屋商店 登録有形文化財 (平成15年3月18日登録)
長野県長野市長野桜枝町879-1
用途区分/商家(味噌醸造)
登録範囲/店舗・北蔵・中蔵・西蔵・東蔵・南蔵
公開状況/店舗として営業中




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真田勘解由家
住宅
登録有形文化財 (平成18年10月18日登録)
長野県長野市松代町松代212
建築年代/江戸後期
用途区分/武家(旗本2000石・藩主分家)
指定範囲/主屋・鎮守社
公開状況/非公開
真田家10万石の松代城下に所在する旧武家屋敷である。嘉永年間に8代藩主・真田幸貫により整備された藩校・文武学校門前右手に下見板張を施した白壁の練塀が続く広大な屋敷が当住宅である。当家は2代藩主・信政公の長子であった信就公が故あって家督を継がず、寛文5年(1665)、2000石の徳川家旗本として独立したことに始まり、代々勘解由家を名乗った。ちなみに信就公の6男・信弘公は本家を継いでいる。主屋は江戸時代末期に松代城の花の丸御殿の長局を移築したものと伝えられている。
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井上家住宅 登録有形文化財 (平成19年12月5日登録)
長野県長野市松代町松代1446-4
建築年代/明治前期
用途区分/武家
登録範囲/主屋・表門
公開状況/非公開
当住宅の門前に掲げられた看板によると、当住宅は大阪控訴院評定官を経て関西私学の雄・関西大学の前身である関西法律学校の開設に携わった井上操の生家とある。そういえば、当家から北東に100m程離れた位置に所在する国重文・横田家住宅の主・横田秀雄・正俊親子も最高裁判所の長官を務めた法律家である。どうやら松代という場所は余程に法律家を育むに適した気風がある土地柄なのかもしれない。当住宅は主屋側方部が街路に直に接しており、従来の武家住宅には余り類をみない建前である。
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長谷川家住宅 登録有形文化財 (平成19年12月5日登録)
長野県長野市松代町松代1486-1
建築年代/明治前期
用途区分/武家
登録範囲/主屋・土蔵・表門
公開状況/非公開
松代藩真田家10万石の城下にあって、旧真田邸(新御殿)南方の旧代官町に所在する武家屋敷である。この付近は松代藩初代・真田信之公の長子・信吉公に分知されていた上野国沼田領3万石が継嗣不在により廃絶となり、その家臣団を本藩が吸収した際に新しく拓かれた場所で、旧城下町と比べて街路も広く、屋敷割も比較的ゆったりしている。付近は明治5年の長国寺大火により類焼したと云われ、当家も主屋の再建に当たり藩邸であった花の丸御殿の一部を解体・移築したとの伝承がある。
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恩田重信生家 登録有形文化財 (平成26年4月25日登録)
長野県長野市松代町松代1506
建築年代/江戸末期
用途区分/武家
登録範囲/主屋・土蔵 
公開状況/非公開
松代藩が輩出した明治維新最大の立役者である佐久間象山を祀る象山神社の東、旧竹山町に所在する武家屋敷である。当家から出た恩田重信氏は東京帝国大学医学部製薬学科を卒業し、陸軍薬剤官として奉職。のちに現在の明治薬科大学の前身である東京薬学専門学校を明治35年に設立した人物である。住宅には茅葺の主屋の他に土蔵1棟が残されており、この土蔵は江戸末に城下で栽培が奨励された薬草類を納めるためのものと伝えられる。しかし、こうした背景が彼を薬学の道に進ませたか否かは不詳である。
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八田家住宅 登録有形文化財 (平成17年12月27日登録)
長野県長野市松代町松代577
建築年代/明治30年(1897)
用途区分/商家(藩御用商人/酒造業・呉服業)
登録範囲/主屋・大土蔵・土蔵・長土蔵・塀・表門
公開状況/非公開
松代城下の商人町は北国脇往還沿いに馬喰町・紙屋町・紺屋町・伊勢町・中町・荒神町・鍛冶町・肴町の8つの町から構成され、俗に「町八町」と称された。当住宅は往還が屈曲するちょうど鍵の部分の伊勢町に所在する商家建築である。当家は藩の御用を務めるとともに代々町年寄筆頭の町八町最高位にあった家柄で、幕末には給人格御勝手御用役に任ぜられなど藩からの信頼も篤かったようである。屋敷内の建物の大半は松代大火後の建築ながら、嘗ての豪商振りを彷彿させる大振りな構えで格の違いを感じさせてくれる。
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杭全家住宅 登録有形文化財 (平成18年11月9日登録)
長野県長野市松代町松代635
建築年代/明治中期
用途区分/商家
登録範囲/主屋・土蔵
公開状況/非公開
松代の町は真田家10万石の城下町としてのみならず、北国脇往還(通称・谷街道)の宿場町でもあった。故に本陣こそ無かったものの問屋や旅籠が置かれ、中でも当住宅が所在する中町一帯が最も宿場的な様相を呈する一画であった。嘗ては平均間口4間程の町家が軒を連ね、雨雪除けの雁木葺き下ろされていたらしいが今ではそうした風情も失われつつある。当住宅は明治24年の大火後の建築と推測される商家住宅で桁行7間、梁間2間半の表屋に対し背後の北半に角屋を出して居室部の拡張を図っている
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松下家住宅 登録有形文化財 (平成17年12月27日登録)
長野県長野市松代町松代946
建築年代/明治末期
用途区分/商家
登録範囲/主屋・作業所
公開状況/非公開 
松代藩真田家10万石の城下町に所在する商家建築である。当住宅が所在する一帯は嘗ては鍛冶町と称され、藩政期初期にはその名が示す通り鍛冶屋が軒を連ねていたらしいが、刀鍛冶・鉄砲鍛冶の需要衰退とともに紺屋町から「城の堀水を汚す」という理由により染物屋が移住させられるようになり、主客が逆転したという。当家も染物業を生業とする商家で、主屋の背後には染色作業所が残されている。主屋は桁行10間、梁間5間半にも及ぶ大規模なもので、明治の建築らしく2階の建ちの高さが際立つ建物である。
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田中家住宅 登録有形文化財 (平成15年9月19日登録)
長野県須坂市大字小山476
建築年代/明治初期
用途区分/商家(大地主・穀物商・酒造業)
登録範囲/旧主屋・客殿・隅土蔵・酒蔵・新土蔵・おかる二階
公開状況/公開 (豪商の館・田中本家博物館)
須坂の町は長野善光寺平の中央部に位置し、関東へ抜ける大笹街道上の中継地として大変賑わった土地である。その繁栄振りは町内に散見される土蔵造の重厚な町家から窺い知れるところであるが、中でも当住宅は南北70m、東西90mにも及ぶ広大な屋敷地の三方を土蔵群で囲む豪壮なものである。当家は享保年間に穀物、菜種油、煙草、酒造等の商売を始め、後には須坂藩の御用達を務めるとともに苗字帯刀を許された豪商で、現在の建物は明治3年の百姓一揆による打毀し後に再建したもの。とにかく凄い。
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児玉家住宅 登録有形文化財 (平成12年10月11日登録)
長野県東御市大字和7785
建築年代/明治39年(1906)
用途区分/味噌・醤油醸造業
登録範囲/主屋・表門・長屋・土蔵・馬屋・西門・西塀・東門・北塀・南塀石垣・味噌部屋乾燥室
公開状況/非公開
千曲川北岸の緩やかな傾斜地に所在する豪農建築である。位置的には重伝建地区の海野宿から北東2km程のところである。味噌・醤油醸造を生業としていたとのことであるが、主屋に越屋根を載せ換気に配慮している事や主屋北側に大規模な養蚕小屋を配置する点などから当地域の主産業であった養蚕業も相応の規模で営んでおられたようである。900坪程の屋敷地に桁行15間半、梁間6間の大規模な主屋を構えるが、これが明治年間の隠居分家屋敷であったと云うから驚きである。
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丸山家住宅
(笑亀酒造)
 
登録有形文化財 (平成21年4月28日登録)
長野県塩尻市塩尻町字町141-1
建築年代/明治後期
用途区分/酒造業
登録範囲/店舗兼主屋・造蔵・穀蔵
公開状況/非公開
中山道の塩尻宿中心部の塩尻陣屋跡に所在する酒造家建築である。当家は明治16年に「嘉根満本家」として創業、「笑亀正宗」の銘柄で酒造を始め、現在も「笑亀」の銘で引き続き操業しておられる。屋敷西寄りの街道に面して重厚な海鼠壁の妻壁を見せているのが穀蔵で、その東側に前庭を介して主屋が建ち、更に背後に桁行き38mもの長大な造蔵が横たわる。主屋は明治後期に建てられた純和風の建築で、昭和前期の改修により一階前面にスクラッチタイルが貼られ若干の洋風が加味されている。
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秋山家住宅 登録有形文化財 (平成23年1月26日登録)
長野県塩尻市宗賀字本山4915-1
建築年代/明治前期
用途区分/旅籠
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
中山道本山宿に所在する旧旅籠建築である。屋号は若松屋を称し、2階正面を前に持ち出す「出梁造」に「千本格子」を設えた中山道宿場に典型的な町家様式となっている。桁行き8.7mの中規模間口ながら式台付の玄関を構えるのは、当住宅が明治2年後の大火後に建てられた故であろう。江戸期には庶民階級の出入口として式台玄関は身分不相応で、一般の旅籠建築にこのような上級の造作は無い。身分制度から解放された時代状況の中で、いち早く旅人の自尊心をくすぐる工夫が実に心憎い演出である。
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田中家住宅 登録有形文化財 (平成23年1月26日登録)
長野県塩尻市宗賀字本山4915-1
建築年代/明治前期
用途区分/旅籠
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
中山道の宿駅である本山宿は木曽路の入口、松本平の出口として栄えた場所で、嘗ては松本藩領と木曽代官領の藩境として口留番所が置かれたという。当住宅は宿場の中間位置、明治天皇巡幸の際に行在所となった本陣・小林家の向いに所在する旧旅籠建築である。屋号は池田屋を称し、1階より2階が少し前に持ち出される「出梁造」や2階正面両端に「袖卯建」か設えられるなど中山道宿の町家に多く見られる造作となっている。同時期に登録文化財となった秋山、小林家に挟まれ並び建つ姿は実に美しい。
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今井家住宅   登録有形文化財 (平成11年10月14日登録)
長野県岡谷市今井1832
建築年代/明和9年(1876)
用途区分/本陣・名主
登録範囲/主屋・表門・米蔵・木蔵・木小屋・文庫蔵・板蔵・中門・水車小屋・屋敷神・井戸
公開状況/非公開




片倉家住宅 登録有形文化財 (平成11年7月8日登録)
長野県岡谷市川岸上1-21-6
建築年代/18世紀中頃
用途区分/農家(名主)・実業家(製糸業)
登録範囲/主屋・西の蔵・南の蔵・文庫蔵・味噌蔵
公開状況/非公開
明治・大正期の日本にとって養蚕製糸は正に基幹産業であった。そしてその中心には全国の生糸産量の12%を担った片倉組の存在があった。当住宅はその礎を築いた片倉兼太郎氏の住居である。座繰製糸機の発明により産を成し製糸王と称されてからも氏は代々が過ごした当家で起居したという。日本を代表する産業資本家の住宅としては慎ましやかなものと巷では云われることもあるらしいが、代々名主を務めた素封家であっただけに、主屋は間口9間、奥行き5間余りの近世民家建築としては相応の規模となっている。
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旧関家住宅 無指定・公開 【海野宿歴史民俗資料館】
長野県東御市本海野1098
建築年代/寛政年間(1790頃)
用途区分/旅籠・養蚕
残存建物/主屋・土蔵・小屋根・桑屋・味噌部屋等
重伝建地区に選定される海野宿は北国街道の宿場町である。そもそもは隣接する田中宿の補助的な町場であったが、寛保2年に本宿が洪水被害に遭うと徐々にその地位を継承し、最終的には約6町にも及ぶ町場が形成されるに至った。当住宅は町場のやや東寄りに所在する旧旅籠建築で、明治期に入って養蚕・蚕種業を営んだという。出桁造2階建の主屋は客座敷が並び旅籠時代の名残を残すが、背後の屋敷地には養蚕関係の建物群が建ち並び、宿場機能が失われる中で商売替えにより生き残りをかけた様子が窺える。
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