中村家住宅
Nakamura



 
国指定重要文化財 (平成9年12月3日指定)
長野県大町市美麻17668
建築年代/元禄11年(1698)
用途区分/農家(組頭・庄屋)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開


住宅の旧所有者である中村家は、江戸時代初めの慶長19年(1614)に上方からここに来て帰農定住したと伝えられ、初代・右彦衛門は慶安3年(1650)の松本藩の検地で持高12石5斗余の本百姓となっている。2代目・庄右衛門はそのころ青具村の組頭をしており、次いで3代目・佐五右衛門も正徳2年(1712)に同村の庄屋に任ぜられ、以後の代々も度々庄屋など村役人を務め、当主までで13代を数える。
現在の主屋は、元禄11年(1698)3月、2代目・庄右衛門とその子・佐五右衛門の代に、隣村・千見村真面の大工・九平によって建立されたことが中村家の年代記で明らかで、県内現存の建立年代が明確な民家では最古である。また間口14間、奥行6間、建坪84坪(約278㎡)の大きさは、当時の民家としては屈指である。梁、柱材を多用しているため、300年の風雪にもよく耐えてきた。間取は間口の下手半分が土間と馬屋で、土間の一部を土座(土間の上に直接に茅、莚を敷いた床)とし、上手半分が居間・寝間・客間に使われた。居間の床も建立後ほぼ35年間は土座で、その後今のように板の間になった。居間と客間の間や奥座敷の外側に1間幅の「ゆりか」(入側の訛)が付いたり、奥座敷の床の間が妻側を向くのは古い形式である。
土蔵は、安永9年(1780)3月、6代目・武左衛門運備の代に隣村・佐野村の大工・政右衛門らによって建立されたことが、年代記・普請帳ならびに土蔵入口の裏白と呼ばれる漆喰塗の防火戸の表に書かれた墨書銘で明らかで、県内現存の建立年代が明確な土蔵では古い方に属し、構造も素朴で古風である。間口6間、奥行4間の建物で、栗の側柱を3尺間隔に立て、外側は中塗り仕上げの土壁、内側は栗の厚板の落とし込み壁とする。屋根は置屋根で、その扠首尻に軒支柱を立てて屋根の荷重を支えている。当初は屋敷入口近くに主屋と向かい合って建てられたが、昭和48年に道路拡張のため現位置へ曳き移転された。【現地案内看板より】
主屋 桁行25.5m、梁間10.9m 寄棟造、茅葺、西南隅もんくち附属
土蔵 桁行10.8m、梁間7.3m 二階建、切妻造、茅葺、正背面軒支柱付      

 

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