馬島家住宅
Majima



長野県指定文化財 (平成15年9月16日指定)
長野県伊那市高遠町東高遠2074-1
建築年代/天保7年(1836)頃
用途区分/藩医(眼科医)
指定範囲/主屋
公開状況/公開

馬島家は享保年間より幕末まで高遠藩に勤仕した御殿医の屋敷である。初代・馬島柳泉が享保12年(1727)に高遠藩主・内藤頼郷の眼科医として仕えて以来、啜江、柳淵、柳軒、柳一郎と5代に亘って御殿医を務めた。馬島氏の子孫は明治以降もこの地で医院を経営した。こうした藩医の屋敷が残っている事例は県内では他に事例が無く、全国的に見ても珍しい。この建物は、「御家中屋敷絵図」や馬島家由緒書等から天保7年(1836)の建築であることが判断でき、このころの高遠藩の規模の大きな住宅の間取りをよく示している。建物の特徴としては、玄関の間を診察室に使い、式台脇に小部屋があるなど一般の武士住宅とは異なっている。また寄付(入ってすぐの部屋)周りに当初の建具が残っている点が挙げられる。武士住宅の規模としてみると、「御家中屋敷絵図」にある高遠藩士の屋敷261戸のうち27戸以内に入る規模の大きさである。【現地案内看板より】





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