山下家住宅
Yamashita



 
(訪問時の聞き書き)
大馬主の家系。祖先は高山藩士で馬を世話する役職にあったらしいが、主家の庄内藩への転封の際、現地に残り土着した。馬医術を習得していたことから、馬の肥育には精通しており、自然と馬の肥育が生業となったのであろう。
140坪にも及ぶ主屋は、馬の売買により得た収益の賜物で、持ち馬は多い時で300頭にも及んだと云う。そもそも当家が所在する開田高原は、冬季の積雪は2mにもなり、気温は-20℃にまで下がる極寒の地ながら草原が豊かであったため馬の飼育には適した土地柄であった。当地より東の中山道の最大の宿場町・木曽福島には馬市が立ったことから、開田高原で育て、福島で売りに行くという循環が成立したようである。当家の馬屋は十分に広いが、それでも3〜4頭分の広さでしかない。実は持ち馬の大半は周辺の農家に小作させていたようで、肥育賃として売買時の値段の1/4程度が小作に支払われ、3/4は馬主の懐に入ったという。こうして得た莫大な利益は、田畑の購入にも充てられ、当家は豪農としても成長する。当家の裏手の田には秋の収穫時には10mの高さの掛干棚が約80棚も並んだという。しかしながら明治維新後は、中山道の交通量の激減により馬の需要もなくなったことから、馬主としての生業は失われ、旅館業に転向、平成3年頃まで営まれたという。

主屋内の特徴
土間の馬屋脇にある竃は、飼馬に水を与える際に、冬に凍った水を溶かすためのもの。
座敷の天袋には馬の絵が描かれており、馬に愛着をもっていたことが伝わってくる。
大戸口から入って右手の台所には黒光りする欅材の大黒柱があるが、家人が磨き続けてきた証左ではあるものの、どうやら相当に背の低い方だったようで、手を伸ばして届く1.8m程の高さまでが艶を放っているのが可笑しい。
囲炉裏には、客座側に板が渡されているが、これは冬場に履物が凍ってしまって脱げないときに、ここに足を置くための配慮であったとのこと。妻籠の脇本陣・林家でも囲炉裏に板が渡されている様子が確認されるが、これは奥さんの座側にあり、調理のために椀を置いたりするためのものであった。近在とはいえ、全く生活スタイルが違うことが、如実に反映する面白い例である。
また囲炉裏の隅角には蓋付の三角のマッチ入れが設えられており、ちょっとした工夫がなされている。
壁は板壁を多用しており、土壁はない。やはり極寒の地で、土壁が凍ってしまうからであろうか。
建物の中央部には主婦の間が配置されているが、この部屋は産部屋としても使われたらしく、天井には金具があり、ここに紐を懸けて、お産の際、力むときに捉まるらしい。
主屋の前面への突き出し部は浴室と男性用の厠である。今でも屋敷前庭脇に土蔵がのこっているが、以前には主屋の西側にも建物があり、男衆や女子衆の住処として使われていた。
座敷の釘隠しは鶴、次の間には亀の絵柄となっている。座敷の棹縁天井の棹の面取りが異様に大きく、かわった形状をしている。
仏間には砂磨りの板戸が用いられているが、表面の凹凸が吸音効果の役割を果たすとの面白い話も聞けた。

 

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