真田勘解由家住宅
Sanada Kageyu



 
登録有形文化財 (平成18年10月18日登録)
長野県長野市松代町松代212
建築年代/江戸後期
用途区分/武家(藩主分家)
指定範囲/主屋・鎮守社
公開状況/非公開
嘉永年間に松代8代藩主・真田幸貫により整備された藩校・文武学校門前から一直線に伸びる街路の右脇に下見板張を施した白壁の練塀が続く広大な武家屋敷がある。一見して只ならぬ雰囲気を醸す屋敷構えであるが、それが当住宅である。当家は松代藩2代・信政公の長子であった信就公が寛文5年(1665)、2000石の徳川家旗本として独立したことに始まり、代々勘解由家を名乗っている。主屋は江戸時代末期に松代城の花の丸御殿の長局を移築したものと伝えられており、薬医門と屋敷内祠と併せて登録文化財に認定されている。


松代藩2代・真田信政の長子・信就は故あって家督を継がず、三男・幸道が3代を継いだ。信就は別家を立て、勘解由家を名乗り、徳川家の寄合旗本となる。石高は2000石。その後、3代・幸道は後継に恵まれなかったことから、信就の息子・信弘が4代を継ぐこととなり、その系統が藩主家を継ぐこととなる。

 

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