井澤家住宅
Izawa



 
伊那市指定文化財 (平成11年5月21日指定)
長野県伊那市西町5597-4
建築年代/17世紀末~18世紀初頭(天保11年以前)
用途区分/農家・酒造
指定範囲/主屋
公開状況/公開
天竜川によって形成された伊那谷の中心都市、伊那市の西郊に中山道の脇往還であった伊那街道の宿場、伊那部宿がある。



旧伊澤家住宅は、伊那街道伊那部宿の最南端にあって、宿場全戸が全焼した天保11年、同14年の2回の大火に、ただ1軒だけ類焼を免れた宿場最古の建物である。また宿場内で唯一の破風屋(大屋根・本棟造)で建坪も最大であった。
嘉永4年(1851)、高遠藩へ提出した「西町村家筋軒別書上帳」によれば、持高41石余で、藩内でも屈指の豪農として知られ、代々造り酒屋を営んでいた。伊澤家の初代は孫作とされ、2代・要右衛門の天明2年(1782)には、酒造販売を創業した。3代・喜左衛門の頃には、確固たる財を築き、在仕送り役として、文化・文政時代に1500余両の大金を藩へ仕送りし、窮乏した藩財政の危機を救い、名字帯刀を許された。その後の歴代当主の中には、名主、村議、町議、伊那町長などの職にあった人もいる。
建物については、過去2回の調査を踏まえ、平成11年(1999)有形文化財に指定した。老朽化が進んでいたため、伊那市は平成16年9月、解体復元工事に着工し、同17年3月完成した。建築年代は、東京大学・太田博太郎教授の調査によれば、ひの建築様式等から17世紀末~18世紀初とされており、今回の解体により元文3年(1738)の大般若会の祈祷守札も発見されている。高度な木組など無いが、勝手(台所)周辺では、豪快な桁行、差鴨居、梁組などを見ることができる。尚、屋敷内には嘗て主屋南に酒造の建物、東に3間×5.・6間の酒蔵2棟と、春日城の直下に水車小屋
があった。【現地案内看板より】







 

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