7/1/2022/FRI
6月のアクセス解析
総ページビューは少ない。この数はページにアクセスした数なので、実際に"読まれた"数はもっと少ない。
『ちひろ美術館ものがたり』が久しぶりによく読まれた。18年前に書いた文章が読まれることはうれしい。
さくいん:いわさきちひろ
総ページビューは少ない。この数はページにアクセスした数なので、実際に"読まれた"数はもっと少ない。
『ちひろ美術館ものがたり』が久しぶりによく読まれた。18年前に書いた文章が読まれることはうれしい。
さくいん:いわさきちひろ
昨年4月に一度リストを作った。そのあと、たくさん映画を観たので、新たに作り直した。
とはいえ、映画好きを名乗るほどたくさん観ているわけではないので、大きく変化はしていない。映画との付き合いはまだ発展途上。
選択の基準は「とても感動した」「映画の面白さを教えてくれた」「観た記憶がいつまでも残っている」の三点。
10作目がなかなか決められない。考えぬいた末に選んだのは『海街diary』。
10作目に選ばれなかった次点はたくさんある。
「とても感動した」で選ぶなら『君は月夜に光り輝く』『ドリーム』。「映画の面白さを教えてくれた」のは『ニュー・シネマ・パラダイス』。「観た記憶がいつまでも残っている」のは、『ジョーイ』『リトル・ロマンス』『転校生』『さびしんぼう』。この4本の作品は、どれも10代で観たもの。映画原体験と言ってもいい。『さびしんぼう』は劇場で観た。
それから、『ゴッドファーザー』も、これまで言及したことはないけれど、強烈な衝撃を与えた作品としてずっと記憶に残っている。ほかの作品と同様に、夜更かしをしたときに時折見返す。あまりにも知られた作品なので、今回のリストからは外した。
リストを見返すとアニメ作品が一つも入っていない。そのうち別に作る。そう思って、しばらく考えてみたけど、劇場版アニメを10作も観ていないことに気づいた。なので、アニメのリストは作らない。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、『太陽を盗んだ男』、"Back to the Future"、『八甲田山』、『海街diary』、『ジョーイ』、『リトル・ロマンス』
自分の愚かさに耐えきれず、頭の横を両手で叩いている。原因は、株取引。
先週の金曜日。ある銘柄の株を買おうとしていた。
下げトレンドだったので、さらに低いところで底値を予想し、朝、指値を入れた。
ところが市場が開いてもなかなか下がってこない。前日の価格の前後で往復している。
とうとう我慢できず、指値を引き上げてしまい、約定させてしまった。その後、株価は朝に想定していた価格よりもさらに低いところまで下がった。株価は月曜日にもさらに下げた。
なぜ、最初の指値で待てなかったのか。悔しくてたまらない。
前日は一日待って、買わずに我慢できた。それなのに、金曜日はなぜか焦ってしまった。
「今日、買わなければ」という気持ちが強すぎたかもしれない。
心が弱い。愚かすぎる。自分の判断を信じきれていない。
投資を始めて半年足らず。まだまだ未熟。
こういうことは、何度も痛い目にあって、頭と身体、全身で覚えていくしかない。
追記。こうして言葉にして書くことが、自分への怒りを鎮める効果を持っている。
昨日の続き。TwitterやYouTubeでトレードの達人は同じようなことを言っている。
失敗は、繰り返さないように教訓にしなければならない。しかし、いつまでも、失敗そのものにこだわっていてはいけない。なぜなら、してしまったことはやり直せないし、ゲームはまだ続いているのだから。
失敗したら、失敗したことに固執しないで、失敗した地点から、どう挽回するかをすぐに考えはじめなければならない。
ここで注意すべきは、すぐに失敗した分を取り返そうと焦らないこと。まずは作戦を立て直し、冷静に対処しなければならない。
いま、私にできることは、待つこと。もう余力もないので、待つしかない。
失敗もしたけれど、ともかく、自分なりに考えて、陣形は整えた。今度こそ、自分の戦略を信じて待つ。結果は月末に出る。
先週末、土曜日の夜、実家でオフコースのコンサートをテレビで見た。1982年6月30日。この公演を最後に鈴木康博が脱退して4人になった。
このコンサートは、ラジオやテレビで何度も見ている。管楽器や弦楽器もなく、5人の演奏だけでぐいぐい聴衆を引っ張っていく。まさに集大成といった感じの演奏だった。
今回、特に印象に残ったのは「Yes-No」。鈴木康博の弾くディストーションの効いたイントロがいい。このイントロが後年、小田和正の大ヒット曲、「ラブストーリーは突然に」につながる。そんな気がした。
1977年か78年、小学三年生か四年生のとき、「お店やさん調べ」の課題で金沢文庫のすずらん通りまで行った。訪ねたのは小田薬局。
そのときはまだオフコースも、小田薬局が小田和正の実家ということも知らなかった。
オフコースを聴くようになったのは、翌年の1979年、五年生になってから。当時、高校生だった姉の影響。
彼女の部屋でカセットテープやFMのスタジオ・ライブを聴いた。
姉は”over”を聴くことなく亡くなってしまったけど、私はオフコースを聴き続けた。
今でもオフコースはよく聴いている。「秋の気配」や「めぐる季節」を聴くと、姉と歌詞について語り合った「あの頃」を思い出す。
さくいん:オフコース
先週末は横浜の実家に帰っていた。日曜日のお昼、金沢八景の駅前でランチをしてから母と別れた。
時間が早かったので、久しぶりに鎌倉と江ノ島に寄り道してから帰った。寄り道といってもどこにも立ち寄ることはなく、鎌倉から江の島まで江ノ電に乗っただけ。江ノ電には開業120周年のヘッドマークがついていた。この配色が一番似合う。
空模様は薄ぐもり。その分、暑さはほどほどで、小田急線の片瀬江ノ島駅の前でしばらく江ノ島を眺めていた。
ときどき、無性に江ノ電に乗りたくなり、海を眺めたくなる。
サーフィンもしないし、海水浴さえしない。砂浜から水平線を眺めるだけ。それだけでも、平日にざわついていた心が穏やかになる。この作用を「汐風療法」と私は呼んでいる。
江ノ電では、前夜にテレビでコンサートを見たオフコースのライブ・アルバム、"LIVE"を聴いていた。「汐風の中で」は七里ヶ浜によく似合う。
いつもなら鎌倉高校前駅で降りてしばらく江ノ島を眺める。この日は下車せず、ドアの横に立って江ノ島を写真に収めた。ところが、撮った写真写真には車と通行人が大きく映り込んでしまったので、江ノ島だけを切り取った。それでも、交通標識が無粋に残っている。
片瀬江ノ島駅で小田急線に乗り、そのまま帰京。井の頭線の下北沢駅がすっかりきれいになっていて驚いた。
2015年9月2日の箱庭から。
Twitterを見ていると、日本社会は思っていた以上に分断している。
犯人がどのような供述をするか。それによっては、日本の民主主義や自称リベラルの運動は大きく揺らぎかねない。
暴力をそそのかすような言葉はほとんど暴力と同じ。
テロを焚きつけるような発言をした自称リベラルの人たちは大いに反省すべき。
ところで、日本では、亡くなった人の負の面は紹介しないことが通例になってはいるけど、政治家という、評価の避けられない立場の人なのだから、「いくつかの疑惑は解明されないままだった」くらいは言ってほしい。
そうでなければ、与党の宣伝報道になってしまう。
百歩譲って、歴代最長政権だったという功績は認める。
でも、その人物が、反社会的な宗教団体とズブズブの関係だったかもしれない。それが今、大きな問題としてクローズアップされている。
これから新たな証拠も出てくるかもしれない。
今の時点で国葬を決めるのは尚早。
安倍晋三の国葬には反対。
絵本と児童書の出版社、福音館書店が今年、創立70周年を迎えるという。
Twitterで「#私の福音館の一冊」というキャンペーンをしているので、私も考えてみた。
一冊を決めるのもむずかしいし、まず子どもの頃、自分が読み聞かせてもらった思い出の本と、自分が親になってから、子どもに読み聞かせた思い出の本では時代も違い、選び方も違ってくる。そこで、子ども視点と親視点でそれぞれ1冊ずつ選ぶことにした。
まずは自分が読んでもらった思い出の一冊。
おしゃべりなたまごやき、寺村輝夫文、長新太画
この絵本は、何度読んでもらったかわからない。いまも、自分で読んでも母の声が聴こえてくる。とりわけ「わしがとりごやをあけたのをだれにもいうなよ」という台詞は、母の読む声とともに忘れられない。
この絵本を読んでもらったのは幼稚園児の頃。小学生のあいだ、物語の本は自分から読むことはなかった。乗り物の図鑑やケイブンシャの大百科シリーズばかり見ていた。
それでも、後年、小説も読むようになったのは、幼い頃に物語に親しんでいたからだろう。とてもありがたいこととしみじみ思う。母への感謝に代えて、子どもにはたくさん本を読み聞かせた。
私が子どもに読み聞かせた福音館書店の絵本、思い出の一冊。
おだんごぱん、ロシアの昔話、瀬田貞二再話、脇田和絵
この絵本は、娘と息子がかなり幼い頃、つまり、読み聞かせをはじめたばかりの頃によく読んでいた。
二人とも、文字を覚える前にこの絵本をすっかり覚えてしまい、絵本を開いてはよく一人で誦じていた。
だから、いま、この絵本を読むと、あの何度も繰り返される、おだんごぱんの長い台詞が娘の幼い声で、聴こえてくる。
今月になって、『絵本と子ども』(瀬田貞二ほか編)にアクセスが増えたのは、このキャンペーンをきっかけに福音館書店が注目を浴びているからかもしれない。
ここのところ、ロシアはあまり評判がよくない。ウクライナではロシアの文化まで非難や排除の対象になっていると聞く。当事者にとってはそれも仕方ない気もする。でも、当事者でない者がロシアの文化まで排除するのは行き過ぎではないかと思う。
この絵本は、戦争が終わってからも、ずっと読み継がれてほしい。
もちろん、戦争が終わることが先決。
土曜日は月一回の診察日だった。メリハリのない生活を送っているために、やる気が起きない、覇気がないことを相談した。最近は在宅勤務の昼休みも退勤後も、何もしていない。テレビも見ないし、音楽も聴かない。本も読まないし、スマホを見ることすらしていない。ベッドに寝転がり、ぼんやり天井を見て無為な時間を過ごしている。
何かした方がいいとわかっている。でも身体は動かないし、気分は散漫。そういう現状を相談した。
6月のうつ期に耐えるのにエネルギーを消耗したのかもしれない。
それがS先生の見立て。うつ期を乗り越えたのだから、心配し過ぎないようにと言われた。ぼんやりしていることが新たなうつの症状かと心配していたので、少し安心した。
S先生からは、無理のない範囲で、焦らず一つずつ、何かを「する」課題を設定することをすすめられた。
最近、必ずしていることは筋トレ。座っていることに飽きたらヨガのポーズをしたり、ダンベルやチューブで筋トレをしている。それをまず続けるようにと助言を受けた。
診察のあとは公園を散歩した。快晴ではなかったので、かえって散歩するにはちょうど良い日差しだった。
ランチは公園内にあるタイ料理店でグリーン・カレー。壁のない、オープンエアの雰囲気にシンガポールの郊外にあったフードコートを思い出した。
久しぶりに食べたタイ・カレーはとても美味しかった。
いつもなら往復、歩くところ、暑さを恐れて往復ともバスに乗った。
土曜日の夜、3ヶ月ぶりに大学時代の友人、3人と会った。
居心地のよかった大学近にあったくビストロが突然、閉店してしまった。ということで、新しい店を探して、今回は四ツ谷に集まった。
ビジネス街に一本、居酒屋ばかりが並んでいる通り。そこだけ新橋のような雰囲気。選んだ店はネットで探したイタリア風居酒屋。ネットの情報だけで決めたわりには良心的な価格で美味しい店だった。飲み放題で忙しかったせいか、料理の写真を一枚も撮らなかった。
話題は当然、前日にあった元首相暗殺事件。あれこれと語り合った内容の詳細はここには書かない。ただ、一同一致したのは「民主主義への攻撃」という型通りの報道では、故人を英雄化、偶像化させることになりかねないことだった。
二人で0次会を始めたのが6時半。一軒目を出たのが10時。ハシゴして最後は終電に乗り、帰宅したときは1時を過ぎていた。
何を話しても語り尽くせず、時が過ぎていく。旧友はほんとうにありがたい。
次は秋。大学の近くでいい店が見つかることを願う。
日曜日の午後、近所に住む夫婦にお茶に招かれた。
彼らとは学生時代からの付き合いなので、かれこれ30年になる。偶然、近くに住むことになり、家族ぐるみでの交際が続いた。
この数年は子どもの受験やコロナ禍のせいで疎遠になっていたところ。
気の置けない人との付き合いはありがたい。子どもの独立や親の介護など、共通の悩みを気兼ねなく話すことができた。
美味しいコーヒーをご馳走になり、寛いだ時間を過ごした。
友人のありがたみをかみしめる週末になった。
Twitterで変わったタグを見つけたのでやってみた。「挑戦する」というツィートに10個、いいね!がついたので、10冊選んで、106ページを開いた。
ここに挙げた本はいずれもときどき手に取り、読み返している本なので、愛読書といってもいいかもしれない。
(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)
——石原吉郎詩文集、ペシミストの勇気について、講談社文芸文庫、P106
一つの魂が本当に自分の道を発見するのは、こんなにも大変なのだろうか。
——森有正「バビロンの流れのほとりにて」『森有正エッセー集成 1』、ちくま学芸文庫、P106
彼が死んだら私は大声で泣いて「わが恋人よ」って悲しむかな? いや、意外に何でもないんじゃないかな。
——高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)、P106
別に俳句や短歌をつくったわけではないが、もしそういう機会があったら、捨札男と書いてやろうと思っていたのだ。
——山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』(新潮文庫)、P106
そういって浦川君は、竹箸でそばの台を指さしました。
——吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)、P106
3行目は空白
1-2行目は
ほら
全身まっ赤だよ
——岡真史『ぼくは12歳』(筑摩書房)、P106
それであるから、これが本当の弁証法であって、弁証法は絶対に死することにおいて自己を見る。
——西田幾多郎「実在の根底としての人格概念」『西田幾多郎講演集』(岩波文庫)、P106
強い思いにかられて私はどうしても知りたいからだ」。
——ダンテ『神曲』「地獄篇」第六歌(原基晶訳、講談社学術文庫)、P106
むしろ感傷はあらゆる情念のとり得る一つの形式である。
——三木清『人生論ノート』「感傷について」(新潮文庫)、P106
湾の向こう側には漁火が点々とし、太鼓の音がまだ単調に鳴り響いていた。
——福永武彦『草の花』(新潮文庫)、P106
さくいん:石原吉郎、森有正、高野悦子、山口瞳、岡真史、西田幾多郎、ダンテ、三木清、福永武彦
去年は8月に受けた健康診断を、今年は6月に受けて結果が届いた。結果はまずまず。
血圧、血糖値、肝機能には異常なし。
問題があったのは体重と腹囲。要するにメタボ。BMIはかろうじてメタボの圏外。問題は腹囲。最近は、毎日筋トレをしているのに、まだ腹囲が縮まらない。少しは改善されているという期待は裏切られた。
肝機能の数値に問題はなかったものの、腹部超音波検査で脂肪肝と診断された。これは、去年も指摘されている。
ただ、脂肪肝の指標であるFIB-4 Indexは標準値で、昨年よりも改善していた。
昼食抜きで、飯碗も小さくしたのに、どうしてか体重が減らない。
問題は酒と買い食いの揚げ物か。有酸素運動も足りない。
とりあえず、悪い判定はなかったの安心した。運動は少しずつ増やしていく。
小学校中学年頃までに読んでいた本。
ほんとうは、その頃は物語の本はほとんど読まず、図鑑やケイブン社の『大百科』シリーズばかり読んでいた。鉄道、クルマ、兵器。興味はそういうものに向いていた。
『ドリトル先生』は珍しく取りつかれた物語。でも、『月へ行く』で挫折した。
昔話では「わらしべ長者」「だんまりくらべ」「だんごわすれてひょいとこさ」などをよく覚えている。
さくいん:『ドリトル先生』シリーズ、バージニア・リー・バートン、かこさとし
中学二年で区切ったのは、その年、『破戒』をきっかけに日本文学の小説(要するに大人向けの本)を濫読しはじめたから。
小学校高学年の頃は、小遣いで毎月『モーターマガジン』を買っていて、相変わらず小説や物語に興味は示さず、むしろ嫌いだった。
クルマ以外に興味があったのはアニメ。『アニメージュ』の『さらば宇宙戦艦ヤマト』特集などを買って読んでいた。
ホームズもルパンも怪人二十面相も知らずに育った。
最初の3冊はNHK少年ドラマシリーズの原作。最初の2冊は映像作品も持っている。
さくいん:島崎藤村、『宇宙戦艦ヤマト』、新田次郎、ミヒャエル・エンデ、森忠明、NHK少年ドラマシリーズ
『庭』をはじめた30代後半から、何冊か、とてもよい児童文学に出会った。大人の視点で読んでも楽しむことができ、さらには、人生観や死生観、グリーフ(悲嘆)に対する考え方に影響も受けた。
さくいん:死生観、グリーフ(悲嘆)、末吉暁子、こみねゆら、あまんきみこ、狩野富貴子、三輪裕子
本配属になって3週間の息子。
親バカを承知で「元気でやってるか」とLINEで訊いてみた。
聞いているかぎり、ヒドい会社ではなさそうだけど、やっぱり心配。
元気です。楽しくやってます。
明るい、でも素っ気ない返信がきた。
その後、向こうから食事をしないかと連絡が来た。そこで金曜日の夕方、家族4人で近所のそば屋に集まった。
文字だけではなく顔色も見て、だいぶ安心した。それでも内心、「いろいろ悩みはあるんだろうな」と心配してしまう。最悪の事態を想像するのは私の癖。でも、それは理由のないことではない。
1991年7月、入社して4ヶ月。大学時代の友人が一人でこの世界から去った。その経験は、今でも私を過剰な心配性にさせる。
実際、その後も新入社員の過労自死は社会問題になった。
3人で、駅前まで送った。笑顔でエスカレータに乗る息子。また元気な顔で会えるように、祈らずにはいられなかった。
海の日の三連休の初日、実家へ帰る前に前から観たい展覧会があったので、日比谷の出光美術館へ立ち寄った。
板谷波山を知ったのは、ここ、出光美術館の展覧会。2018年4月のこと。やわらかな光で包まれた葆光彩磁の技法に魅せられた。それ以来、注意して展覧会を待っていた。
今回は生誕150年を記念した大規模な回顧展。陶芸家としての波山の半生を、多数の作品とともにじっくりたどることができた。
板谷波山のどこが素晴らしいか。まずは展示の解説にあった言葉を転記しておく
全体を薄絹で包み込んだような気品高い雰囲気を放つ
清廉とした落ち着き
清浄な存在感
崇高な美
こららの賛辞をまとめて、「高い精神性」と言い換えても間違いではあるまい。分野は違うけど、版画の長谷川潔の作品が放つ静謐さや理知的なところや象徴性に、何か共通点があるように思われる。私はそういう芸術を好む。
意外だったのは、波山が最も多く制作したのは青磁器だったこと。宋時代の技術を熱心に研究したという。青磁鳳耳花瓶をいくつか見た。上野の国立博物館で見た青磁器に優るとも劣らない見事な逸品だった。
出光の社員が委託して出光佐三に贈ったという白磁の観音像も美しかった。どの作品も、端正で上品な雰囲気を持っていた。
青と白以外にも赤(辰砂)の作品もあった。モチーフも桃、紫陽花、八手、チューリップ、熊笹と豊富。多種多様な波山の世界の広さと深さを十分に感じられる展覧会だった。
どの作品も素晴らしい。それでも、最も印象に残るのは展示No.1の葆光彩磁草花文花瓶。色彩はもとより形といい、質感といい、文句のつけようのない名品。
本は図書館で借りられるので滅多に買わない。でも、美術展の図録は二度と手に入らないことが多いので、つい買ってしまう。
写真は美術館から見えた桜田門。
海の日の連休、二日目にバスに乗って鎌倉まで行った。目的地は頼朝の墓と北条義時の墓。
頼朝の墓には石塔が立っている。義時の墓には何もない。その代わりに、ここにあったとされる法華堂をARで見ることができた。
いずれの墓所も立派なものとは言い難い。時の最高権力者の墓の面影はない。現在までも豪華な霊廟が残る徳川家とはかなり違う。頼朝や義時は、その後の武家社会で最初の武士の頭領として崇められてはいなかったのだろうか。
とにかく暑い日だった。風が吹くと心地よいけど、そうでなければ日陰でも暑い。
山に囲まれた鎌倉の夏は暑い。コンビニでアイスを食べて、早々に帰宅した。
さくいん:鎌倉
名刺がわりの小説10選とは違い、ジャンルにこだわらず、エッセイや詩集も含めて、大きく影響を受けた本を選んでみた。
こうして選んでみると、ほとんどが『庭』を始めた2002年以降に読んだ本。
死別体験、とりわけ自死による死別、そこから生じる悲嘆、いわゆるグリーフやトラウマに関する本が多い。その理由は、私が自死遺族であるからにほかならない。
私の半生は悲嘆との向き合い方をめぐり、葛藤する時間だった。最近になり、ようやく、自分のなかにくすぶる悲しみと向き合うことができるようになってきた。
それは、上に挙げた本との出会いと、去年受けたカウンセリングの効果が大きい。
『烏兎の庭』というウェブサイトが、私という人間を大きく変えてきたことがよくわかる。『庭』を始める前後では、精神生活、内的生活がまったくと言っていいほど変わった。
参考:ブクログ
さくいん:森有正、小林秀雄、島崎藤村、石原吉郎、西田幾多郎、中井久夫、山形孝夫、森山啓、岡真史、自死・自死遺族、悲嘆(グリーフ)
昨日、投資で進展があった。長い間、含み損を抱えて苦しんでいたところ、昨日、ようやくプラスに転じた。買い入れ時に大失敗した銘柄。
「握力」とトレーダーは言う。利益が出る日を信じて、低迷していてもこれと決めた銘柄を保有し続けること。今回は、「握力」がよく効いた。焦らず、慌てず、待つことができた。
ただ待っていたわけではない。業績予想を調べ、株価チャートを分析して、これなら上がるだろうというエビデンスを持って待っていた。だから、ギュッと握っていることができた。
含み益は、まだ少ない。来週以降も株価は上昇する兆しを見せている。今度こそ、確実に利益を出したい。夏の旅行のグレードも、秋に新しいiPhoneが買えるかどうかも、株取引の利益にかかっている。給与も賞与も増えないから自力で捻出しなければならない。
とはいえ、欲張ると失敗するので今、回は早めに利確するつもり。無理して一度で大儲けしようとすると失敗する。何度も同じ失敗をしている。
詳細はプライベートのメモに毎日、書いている。ここにはこれ以上詳しくは書かない。
Twitterのタグから。前に#私を構成する10のマンガという括りで選んだことがある。そのときは子ども向けのマンガばかりを選んだ。
今回、大人向けの作品だけからよく読んだ作品を探してみた。
上に挙げた作品は、どれも私のものの考え方に影響を与えたにもかかわらず、『庭』のなかでは、こうの史代の作品を除いて、ほとんど言及していない。
読んだのが、『庭』を始める前だったせいもあるだろう。
『ナニワ金融道』には「お金の怖さ」を教えられた。『夏子の酒』には純米酒以外は酒と呼べないことを教わった。この作品を読んで以来、純米酒しか呑まなくなった。
最近はマンガはほとんど読んでいない。面白い作品がたくさんあることは知っている。
買う金銭的な余裕はないし、図書館では長く待つので、なかなか読む機会がない。
この種のタグはほかにも「少年マンガ」や「少女マンガ」がある。いずれもすでに選んだ10冊と重複するので、ここには書かない。
心のオアシス、神代植物公園。週末にバスを乗り継いで出かけた。ここへ来るのは5月中旬以来。あのときはバラが満開だった。
平日、ずっと家にいるので週末は外に出たい。映画も選択肢にあったけど、晴れていたので植物公園に行くことにした。
目当てはハス。咲きそうなつぼみと満開の花の両方が見られる、いいタイミングだった。
日差しが強く、とても暑かった。日陰を選んで歩き、こまめに水分補給をしても辛い。歩きまわることはあきらめた。
ベゴニア室が涼しかったので、しばらく休憩した。
さくいん:神代植物公園
先週末、神代植物公園へ行ったとき、乾燥地帯のコーナーで変わった花を見つけた。
名前は「センコウハナビ」。名前の通り、線香花火のように花が放射状に広がっている。
もう一つ、スイレン室でも変わった名前のスイレンを見つけた。「ムラサキシキブ」。
珍しい名前なので、忘れないように写真を掲載してメモしておく。
先週の土曜日。神代植物公園の続き。
森林浴のあとは、いつもの通り、水性植物園をひと回りした。ここはいつ来ても気持ちがいい風が吹いている。
水生植物園のあとは、隣にある深大寺そばの店、多聞へ。
11時過ぎに着いて少し早いかと思ったら、もう15人以上が並んでいた。結局、席に座れたのは正午少し前でちょうどよかった。
たくさん待たされたので、勢いで冷やしたぬきそばを大盛りで頼んだ。ここの大盛りは、そばの量が3人前。
いつもは2人前の中盛りを食べる。大盛りはよほど空腹でないと完食できない。
この日はおながが空いていたので、最後まで美味しくいただくことができた。大満足で大満腹になった。
草木の名前に詳しいわけではない。むしろ、ほとんどすべての花が「名もない花」に見えるほどの無知。それでも植物園に来るのは好き。
植物園で散策すると心が落ち着く。海風を浴びる汐風療法と同じように、私にとって最良のストレス・コーピングかもしれない。
夕方まで満腹だったので、ご飯は抜いて、スパークリングワインを開けて、うなぎの蒲焼きだけ食べた。
さくいん:神代植物公園
最近の平日はこんな感じ。
夕方、遠い公園まで長めに散歩することもある。一番上の写真がその公園。
客先訪問も出張もない。同僚との雑談もない。品質トラブルも納期遅延もない。
依頼ごとがなければ、業務じたいほとんどない日もある。そういう時は黙ってパソコンの前に座り、ただ時間が過ぎるのを待っている。
「働きがい」と引き換えに、こういう、「退屈」ではあっても、ストレスの少ない暮らしを手に入れた。
では、そこに「生きがい」はあるか。その答えは私自身にもまだわからない。
節電の目的で、在宅勤務をしている日中はエアコンをつけていない。窓を開けて扇風機を回している。風通しのいい部屋なのでそれなりに快適に過ごしている。もちろん水分は頻繁に補給している。
10代を過ごした実家にはエアコンは1台もなかった。夜には窓を開けて寝ていた。それでも暮らせた。今よりも夏の気温は低かったのかもしれない。
学校にもエアコンはなかった。閉め切った体育館で水も飲まずに部活動をしていた。いま思えば、よく熱中症にならなかった。やはり気温が今ほどではなかったのかもしれない。
光熱費の足しにリモート手当を出す会社もあるらしい。私が勤務している会社では支給していない。出勤すれば使わないエアコンを使えば、その分、出費になる。そうかといって会社には行きたくない。節電より前に節約の意味が大きい。
たっぷり汗をかくとダイエットにも効果があるのではないか。それも期待している。
これもTwitterのタグから。
先週、実家に帰ったときに本箱をあさってみた。出てきた本を写真に撮った。
見つからなかったけれど、よく読んでいた本。
小学生の頃は、物語の本はほとんど読まず、こういう図鑑ばかり眺めていた。
おそらくすべての本が絶版だろう。
ブクログ:図鑑
さくいん:王貞治、『さらば宇宙戦艦ヤマト』