1月のアクセス解析
総アクセス数が2,000を超えたのは昨年の8月以来。
『教養主義の没落』(竹内洋)と「精神健康の基準について」(中井久夫)の感想が突出してよく読まれた。どこかの学校で課題図書にでもなったのだろうか。
第七部の目次にアクセスはあっても、最初に書いた「はしがき」は、残念なことにほとんど読まれていない。
もう一つ、かなり力を入れて書いたつもりだった『ダンテ論: 『神曲』と「個人」の出現』(原基晶)の感想も、Twitterでは話題になっているにもかかわらず、読まれていない。
さくいん:中井久夫、竹内洋、ダンテ
寒い
冬の初めは厚着と膝掛けでしのいでいたものの、気温が10℃を下回るようになってからは好きではないエアコンで暖房をつけている。
今年、光熱費はどれくらい多くなるだろう。
考えてみれば、パソコンの電気代もインターネットのプロバイダもWi-Fiも自腹。
在宅手当を出している会社もあるらしい。私の会社では何もない。
"Bring Your Own Device"どころか、"Work at Your Own Expense"。
在宅勤務によって労働者は働く場所を奪われた。そして働く環境さえ自前の時代が来た。
身体も懐も寒い季節が続く。
さくいん:労働
まん延防止措置のため、先週の週末は実家から出ず、家でおとなしくしていた。
巣ごもり週末を過ごすために、久しぶりに雑誌を買った。必ず行きたい「メトロポリタン美術館展」の予習。
メトロポリタン美術館へは19歳の春、初めての海外旅行で行った。30年以上前のこと。MOMAとグッゲンハイムも見た。何でもどんどん吸収できる年頃だった。
巨大な展示室に丸ごと移築されていたエジプトの神殿と、ルノワールの巨大な作品「シャルパンティエ夫人とその子供たち」はよく覚えている。
ニューヨークにはいい思い出があるので、いつかもう一度行ってみたい。
『Pen』はよく買う雑誌。図書館でバックナンバーもよく借りる。写真が多めで週末の寛ぐ時間に眺めるはちょうどよい。
特集では今回の展覧会で日本初公開となるカラヴァッジョやフェルメールの作品を詳しく紹介している。
展覧会が楽しみになってきた。
さくいん:ニューヨーク、ルノワール
暴落、三度目
今週、保有しているある株が半日で13%暴落した。
業績は好調で、属しているセクターも好況が続いている。ところが、決算発表で期待されていた増配がなかったために投げ売り状態となった。暴落直前に一部、損切りした。
株取引は難しい。そうそう簡単に儲かるものではない。あらためて痛感した。
悔やまれるのは、今日も最終判断で冷静さを欠いていたこと。落ち着いていたつもりが、最後に焦りから行動を起こしてしまった。冷静さが最も大切なこととわかっていたのに。
でも、株取引を辞めるつもりはない。今回、大きな被害は出していない。最低の授業料で勉強したようなもの。強がりではない。まだまだ知識も経験も足りていない。知識と経験を積めば、もう少しマシな結果を出せるようになるだろう。
今回の教訓。同じセクター内で数社に分けても分散投資とはならない。異なるセクターに分散すること。
機会を待てば、チャンスも巡ってくるだろう。今日抱えた含み損にもまだ挽回のチャンスはある。
いろいろな人の話を聞いてみても、濡れてに粟ということはなくても、じっくり取り組めば果実は実るらしい。
先は長い。気長にやっていく。
膝の痛みが治らない
左膝の痛みで整骨院に通いはじめてから2ヶ月が経つ。
だいぶよくなったけれど完治はしていない。家の階段を上るとき、左足に体重がかかると痛む。平らなところではまったく傷まない。
初めは毎日、通院していたけれど、年が明けてからは週2回程度にした。
1回600円の治療費がバカにならない。懐が寒い身には、医療費の出費は患部の痛み以上に痛い。
「しばらく止めるように」と言われているので長時間のウォーキングもしていない。
平日の夕方や週末、散歩ができないので退屈している。退屈になると心が沈みがちなので注意しなければならない。
実際、ここのところ、本も読まず音楽も聴かず、ぼんやり過ごしていることが多い。映画も見ていないし、テレビも熱心には見ていない。何か心を傾けられるものが必要。
ぼんやりしていると間食やお酒が増えるので、これもよくない。多忙はもちろん健康によくないけど、退屈過ぎることもいいことは何もない。
コロナのために学校や会社に行けずに、家でじっと過ごしている子どもや若者が心を痛めているという報道を見聞きする。よくわかる。
一人でいることが好きな私でもそうだから、仲間を求めている人には辛い時間だろう。
さくいん:孤独(孤立・ひとり)
寒梅忌
2月6日は姉、敦子の命日。またこの日が巡ってきた。亡くなって41年が経った。
今年は、これまでとは少し違う気持ちでこの日を迎えている。
なぜ、ということはもう考えない。正確に言えば、ほとんど考えない。
健在なら還暦に近づいている。どんなおばさんになっていただろうか。
最後のお別れをしなかったので、どこかで元気に暮らしているような気がするときがある。そういう夢を見る夜もある。
どこかの街で偶然出会ったら、どんな言葉をかけるだろう。この41年間の出来事をどんな風に伝えるだろう。
そして、この41年間、どこで何をしていたか、どんな風に尋ねるだろう。
そんなことを想像しながら、今年は過ごしている。
晴れた午後には
こんな密かな
悲しみ方があってもいいだろう
———さだまさし、SUNDAY PARK(1977)
この曲の入っているアルバム『私花集』(1978)を聴きながら日曜日の公園へ出かけた。
ひとり、静かに思い出をたどり、悲しみに身をまかせた。
さくいん:寒梅忌、さだまさし、悲しみ(悲嘆)、自死遺族
梅園、小金井公園、東京都小金井市
日曜日の昨日、小金井公園へ梅を見に行った。先々週より開花していたものの、まだ満開ではなかった。
それでも何本かの木は枝いっぱいに花を咲かせていた。
しばらくの間、黙って梅園のベンチに座り、梅を眺めていた。
心から悲しいと思える、静かで幸せな時間を過ごした。
写真は、白梅が「八重冬至」「長寿」「古城の春」、紅梅が「緋の司」。
さくいん:小金井公園
ぶり大根
先週の土曜日、初めてぶり大根を作ってみた。
月一回の診察日だったので、街まで出た。大きな魚屋に寄り、ぶりのアラを買った。
アラというと骨が多かったり、頭の部分だったりするけど、頼んで店が出してきたのは刺身用を下ろしたときの端切れみたいなもの。ほとんど骨がなく、目玉もない。
ネットでレシピをいくつか見ながら作ってみた。思っていたほどは難しくはなかった。味は上出来。純米酒にもよく合うおかずになった。
この頃、単調な生活が続いている。家にいて時間がたっぷりあるのだから、もっと料理をすると気分転換にもなり、実益も兼ねて一石二鳥かもしれない。
酒のつまみも自分で食べたいものを作るのがいいだろう。
アメリカ人は皆、いつもポジティブか
ここでいうアメリカ人とはアメリカで働いている人を指す。
アメリカ人は人前ではいつもポジティブな態度でいなければならず、それが実はストレスになっているというツィートを見た。
そういう面は確かにある。私自身、米国本社に出張したときは、ふだんよりもテンション高めで振る舞っていた。
でも、そうでもない一面もあることを指摘しておきたい。
事業部ごとに進捗を発表する大きな会議などで、Q&Aの時間になっても本社社員は意外と挙手しない。アメリカ人も空気を読むことがある。幹部の前では皆、悪目立ちしないようにおとなしくしている。
代わりに質問するのは海外支社の社員。幹部の言葉を聴ける機会は多くないので、それを狙って目立とうとする。覚えてもらっておけば、後々、CQDで問題が起きたときに本社から助けを得やすい。
本社での幹部間の人間関係やプロジェクトの進捗に関する噂などに疎いから、要するに、空気を読めないので、積極的になれるし、ならなければならない。
アメリカで働いているからといって、いつもポジティブでテンションが高いとは限らない。
この話題、前にも書いたことがある気がする。
さくいん:アメリカ、シリコンバレー、労働
デイトレ
株取引がなかなか上手くできるようにならない。
下がったときに買って、上がったときに売る
たったこれだけのことができない。
冷静さを欠いているいるところに問題がある。
それはわかっている。わかっていても行動に移せない。
上がりだすと「もう買えなくなるかもしれない」と思い"焦り買い"をして、下がりだすと「もっと下がってしまうかもしれない」と慌てて"狼狽売り"をしてしまう。この繰り返し。
入口と出口の計画はきちんと立てている。株価ボードも冷静に見ている。ところが、いざ株価が乱高下しはじめると冷静さを失う。
一度いい循環に入れば、上手くやっていけるように思う。上昇期に買い、下降期に売る癖を直せばよい。毎日、株価ボードを見ているので、そのサイクルの仕組みはわかってきた。
その好循環に入るのが、大縄跳びに入るように難しい。
縄跳びに入ったあとにも"売りどき"という難問がある。焦ると儲けは少なくなるし、欲をかくと大魚を逃す。売却の指値の見極めは難しい。
今日もまた失敗した。場の様子を見て、最初の計画より指値を釣り上げ、大魚を逃した。見方を変えれば、信じて待った結果、とも言える。であれば仕方がない。クヨクヨするのはやめる。
高値づかみした銘柄は一度処分できた。次の急落を待つ。そういう意味では今週の目標は達成した。微損も経験と考えれば、1勝1敗か。
2月16日追記。
今日も失敗した。損はしていないが、儲け損ねた。
株価が急上昇している最中に指値を引き上げようとしたのに、落ち着きを失い、手近な値を入力してしまった。約定後、株価はさらに上昇。悔しい。大事なときに冷静でいられない。
仕方ない。痛みを伴わなければ、学こともない。実践あるのみ。
小説よりエッセイを好んで読む。長編小説を読む根気もなければ、専門書を読み込む気力もない。短いエッセイのアンソロジーは在宅勤務の合間や昼休みに読むにはちょうどいい。
お気に入りの作家や題名から中身が気になる文章だけを拾って読む。気まぐれな読書にもアンソロジーは都合がいい。
題名から入ってこれまで知らなかった作家を知る。次に図書館に行ったときに著書を探してみようかと思う。そんな楽しみもある。
好き嫌いが激しいので気に入らない作家の文章は読まずに飛ばしてしまう。読まず嫌いの作家が私には多い。一度読んで肌が合わなかった作家も二度と読まない。読書については第一印象を信じている。
エッセイと一口に言っても、中身は身辺雑記や紀行文、交友録などさまざま。気づいたのは追悼文が多いということ。
追悼文には人柄がよく出る。人柄が出てしまう、と言った方が正しいかもしれない。故人への想いが深いと自然に味のある文章になる。取ってつけた社交辞令はすぐにわかる。
大切な人を失った悲しみは隠しきれるものではない。素直になるほど、文章に想いが滲み出てくる。
「ベスト」と銘打っているだけあって、本書に収録されている追悼文はどれもいい。故人を知らない者にも、その人となりが伝わってくる。同時に書き手の人間味も感じられる。
壇ふみが堀文子に、横尾忠則が和田誠に、川内三郎が池内紀に、それぞれ思いのこもった文章を書いている。
さくいん:悲しみ(悲嘆)、横尾忠則、和田誠
ブクログ:エッセイ
ドイツ語のこと
大学では第二外国語にドイツ語を選んだ。
1、2年生の頃は真面目に勉強しなかった。3年生になり必修の講義がなくなってから興味を持って勉強しはじめた。夏休みにドイツを含めた欧州横断旅行をする計画を立てていたのが一番の理由。
一つの学部に1500人もいるマンモス大学だったけれど、ドイツ語会話の授業は10人以下の少人数だった。
4年生のときにはゲーテ・インスティチュートにも通っていた。当時は、それなりに会話もできていた。
大学を卒業してからはドイツ語を使う場面もなく、錆れてしまった。言葉は使わないと瞬く間に忘れてしまう。
仕事で少し使う機会があったフランス語の方がまだ覚えている。
最近では、英語を使う場面がない。入力も出力もないため、英語力は急速に衰えている。読んだり聴いたりすることは自力でできても、話す機会を作るのは難しい。実際のところ、読んだり聴いたりも最近はしていない。このまま英語力を失いそうでとても怖い。
文系学部であるにもかかわらず、1500人のうち、女性は100人。ドイツ語クラスは60人のうち、女性は3人だった。
その3人のうちの一人と今、暮らしている。
さくいん:英語
自死遺族の文学について
小川洋子『凍りついた香り』の読後に何か物足りなさを感じて、あらためて自死を主題にした小説、とくに遺された者、自死遺族が主題の小説を探してみた。
ネットで探してはみたものの、主人公が自死する作品は数え切れないほどある一方、自死遺族が主人公の作品はあまり見つからない。そういう点では、物足りなさはあるにしても、自死遺族の心情を作品の中心に据えたという意味では『凍りついた香り』は稀有な作品かもしれない。
数多く見つけられるのは、現実に身近な人を自死で失った人が書いたエッセイ。そういう作品はたくさんある。自死した、とくに若い人の遺稿集も数多く出版されていて、それぞれの時代でベストセラーにもなっている。『青春の墓標』(奥浩平)、『二十歳の原点』(高野悦子)、『ぼくは12歳』(岡真史)は私も持っている。
自死遺族の文学として私が高く評価している森山啓『谷間の女たち』も自伝的小説なので、エッセイに近く、完全なフィクションではない。もう一つ、優れた作品と思っている山形孝夫『死者と生者のラスト・サパー』は完全に自伝的エッセイ。
日本では自死の件数が多く、社会問題にもなっているので、自死遺族に取材したノンフィクションや、予防策や自死遺族の支援に関する専門書は無数に出版されている。
でも、自死遺族が主人公の小説は少ない。
自死遺族というテーマは小説の題材になりにくいのだろうか。その悲しみは虚構を通じて語ることができないものなのだろうか。
さくいん:自死・自死遺族、小川洋子、奥浩平、高野悦子、岡真史、森山啓、山形孝夫、エッセイ、悲しみ(悲嘆)
ブクログ:自死、自死遺族
実家の紅梅
週末を横浜の実家で過ごした。実家は横浜市の南端にある。
2週間前に来たときはまだ梅は一分咲という感じだった。先週末はだいぶ咲いていた。
土曜日はとても寒かった。逗子の東、葉山の長者ヶ崎で夕日を見るつもりだったのを取りやめた。夕方、馴染みになったイタリア料理店にだけ行った。
日曜日は雨だった。鎌倉の鶴岡八幡宮で梅を見ようと思っていたけれど、断念した。
雨のなか、バスで鎌倉駅までは行った。駅前の島森書店で大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のガイドブックを買った。三谷幸喜らしい軽妙な芝居を今のところ楽しんで見ている。
それから、以前から行きたかった、銀座の洋食店のシェフが鎌倉に移転して始めたというシチューとカレーの店に行き、カツカレーを食べた。辛口で濃厚な味のカレーだった。
さくいん:逗子、鎌倉
ワクチン接種、3回目
新型コロナ予防ワクチンの3回目を接種した。
これまでの2回はファイザー製。今回はモデルナ製。前回は地元の病院で。今回は自治体が準備した大規模会場へ出かけた。
大勢の来場者を係員の人たちは笑顔で誘導し、何回も書類をチェックしていた。
大規模会場の運営はほんとうに大変そうに見えた。感染した人への対応もしながら、予防接種の準備と実施を行っているのだから、保健衛生の現場は大混乱であることは容易に想像できる。政府の朝令暮改が混乱に拍車をかけていることも。
接種会場は静かで混乱もなく、接種は整然と実施されていた。現場で対応している人たちの苦労がしのばれた。
接種後、6時間が経つ。発熱も痛みもない。このまま問題もなく過ごせそう。でも、明日は認められている特別有給休暇を取得して休む。怠ける権利の行使。
多忙と混乱のせいなのか、12月初めに更新を申請した障害者手帳がまだ届かない。
手帳がないとバスの割引もないし、公立の博物館・美術館も無料で入場できない。一言で言えば、懐が寒い身には外出がしづらい。
実家でアルバムを片付けていたら、1989年夏のヨーロッパ旅行のときの領収書がまとめて見つかった。
モスクワ経由でロンドンに入り、エジンバラ、ブリュッセル、パリ、ボン、チロル、ザルツブルクと横断して、最後の目的地、ウィーンへ着いた。前期試験が終わった7月末から9月の中旬まで、70日間の長旅。4年間の大学生活のなかで最大のイベントだった。
旅の最後に、思い切って有名なホテルで夕食を食べることにした。緊張しながら、一張羅のブレザーにネクタイを締めて出かけた。事前に予約をしたら"Rotes Zimmer"という個室に案内された。客は私たち人組だけ。
ピアノ弾きがいて「上を向いて歩こう」を弾いてくれたことを覚えている。領収書を見て、オーストリアの名物料理、ターフェルシュピッツを食べたことを思い出した。美味しかった。ワゴンの上に別皿で大盛りの付け合わせのポテトフライが用意されていて、食べ終わるたびにウエイターが盛り付けてくれた。完食するのに苦労したことも思い出した。
領収書によると"SPIRITS"を何か頼んでいるけど、何を呑んだかは覚えていない。さすがにワインをボトルで呑むことはなかったはず。せいぜいビールかグラスワインだろう。
"Rotes Zimmer"はいま、"Rote Bar"と名前を変えている。ウェブサイトで見ると、学生ごときが食事する場所には見えない。無知であるがゆえに豪胆になれた。バブル時代で円高だった影響もあるだろう。
この旅のことは、これまで断片的に書いただけできちんとまとめては書いていない。私の人生を変えた旅だったと言っても言い過ぎではない。それだけに、どんな旅だったか、私にとってどんな意味があったのか、一編の文章では書ききれない。
さくいん:ブリュッセル、パリ、ウィーン
伊豆下田旅行(準備編・特急踊り子の予約)
3月に家族4人で旅行する。息子が大学を卒業して、就職と同時に独立することになった。それを記念して伊豆下田の温泉旅館に2泊することにした。
宿はかれこれ25年前、一度予約してキャンセルした旅館。第一子の妊娠がわかり、キャンセルの電話を入れたところ、「おめでたいことなので」とキャンセル料は取られなかった。居心地がよい宿と聞いていたので、ずっと行きたいと思っていた。念願かない、25年越しの初訪問。
せっかくの家族旅行なので豪華特急のサフィール踊り子を予約しようとしたところ、往路は10時前に窓口で依頼したのに、駅員がもたついていたので4人個室が取れなかった。ひとことクレームしたくなったけど、大人気ないので堪えてふつうの踊り子のグリーン車を予約した。E257系。復路は4人個室が取れた。往復で違う車両に乗るのも、まあ、いいだろう。
家族での鉄道旅行といえば、鳥取の農村体験のあと、米子から寝台特急サンライズで帰京した旅を思い出す。それから、近鉄アーバンライナーで伊勢志摩へ旅したこともある。あれは2015年だったから、今回は7年ぶりの家族旅行、ということになる。
オタクを名乗るほどではないにしても、鉄道は好き。今回は往復とも初めて乗る車両なのでとても楽しみにしている。
それから、どんな駅弁を買うか、今から迷っている。
さくいん:鳥取、伊勢志摩
眠れたり、眠れなかったり
3回目のワクチン接種の翌日、朝、起きると、左腕が痛い。微熱あり。関節の節々が痛い。これは風邪を引いたときに私によく現れる症状。
会社は予定通り有給休暇の減らない特別休暇で休みにして、一日安静にしていた。
その日の夕方、微熱と悪寒と関節の痛みがひどくなった。だるいので8時には床についた。
早く寝たのでよく眠れた。左腕はまだ痛むものの、熱は下がったみたい。
結局、元に戻るまでに2日かかった。モデルナは副反応が強いと聞いていたけど、量が半分だからと甘く見ていた。
そして、昨夜はチリのシャルドネを一本空けて、ほろ酔い気分のまま床についた。すると、朝5時に目が覚めてしまった。最近、酒を呑むと朝早くに目が覚めてしまう。
もう一度目を閉じてはみたものの、このところ、気にかかっていることを考えはじめたら眠れなくなり、起き上がって、今、これを書いている。
気になっているのは株のこと。ウクライナ情勢が緊迫しているので、一部を処分して現金を増やした。緊迫した情勢は一旦、緩和され、狙っていた銘柄は上昇を続けている。
このまま上昇しつづけたら、買えなくなるかもしれない。いや、急騰すれば急落もあり、調整局面が来るかもしれない。あれこれ考えて落ち着かない。
紛争の勃発を期待しているわけではない。急騰の途上でよく起きる調整を待っているだけ。そういう調整が入るとすれば、地政学的リスクとは無関係に起きるだろう。
これまで、こういう場面で焦って高値づかみを繰り返してきた。
給料の上がらない私には投資は生命線。真剣に取り組んでいる。
今度こそ、待つ。ここが我慢のしどころ。来週が勝負の一週間。
渋沢栄一を主人公にした昨年の大河ドラマ『青天を衝け』に続いて、北条義時を主人公にした今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ている。
脚本が三谷幸喜なので、深刻な歴史ドラマではなく、軽妙な半ば喜劇に仕上がっている。
高校では世界史と地理を選択した。歴史小説も読まないので日本史の知識は中学止まり。なので、大河ドラマを見るのに少し背景の知識があった方がいいと思い、本書を購入した。
書店には、俳優たちの写真が豊富なムックから本格的な専門書まで、北条義時の関連本が数えきれないほど並んでいる。細かい知識よりもドラマの筋書きと背景が知りたかったので、NHKが編集した本書は私の期待にちょうどよい。
鎌倉時代の武士は、戦国時代とは異なり、豪族に毛が生えたようなもので命を賭けた主君への忠義などなく、自分の領地を守ることを優先していた、と確か、磯田道史の本で読んだことがある。平時は「一所懸命」に領地を守り、招集されたときだけ「いざ、鎌倉」という戦闘モードになったという。そのあたり、どのようにドラマで描かれるのか、興味がある。
もう一つ、『鎌倉殿』を見ている楽しみは、故郷が登場するかもしれないということ。
私の実家は横浜の南端。鎌倉時代に栄えた港があり、鎌倉へ塩を運んだ切り通しも残っている。北条氏にゆかりのある称名寺や金沢文庫も近い。
金沢、瀬戸、六浦。そうした故郷の場所が舞台とした場面を見てみたい。
もちろん、鎌倉も山を一つ越えたところでとても近い。先日訪ねたときも、ドラマを観光キャンペーンの一環にして盛り上がっていた。鎌倉も知っているようでいて、知らない寺社や名所も多い。ドラマの視聴を鎌倉再訪の機会にしたい。
ふだんテレビドラマは見ない。主人公がピンチになったまま翌週まで待つのが辛いから。今回も最後まで付き合うかはまだわからない。今のところは楽しく見ている。
さくいん:NHKテレビ、鎌倉、金沢文庫
島薗進氏からの応答
『ともに悲嘆を生きる』の感想文へのリンクをつけたツィートに著者の島薗進氏からコメントがついていた。フォローしていなかったので2年以上、気づかないでいた。
要点をついた評言。いちおう応答すると、自分の日記に人には語れない悲嘆を書くというのも、「ともに悲嘆を生きる」、一つの形というのが私の考え。悲嘆を分かち合うように見えても、それは孤独な自己の内側としての側面を失わない。
この指摘には全面的に同意する。『ともに悲嘆を生きる』のあとで読んだ『親と死別した子どもたちへ』のなかでも、辛い思いを表現することの効用が書かれていた。
それ以来、自死遺族として書くことについてためらいが薄らいだ。
ことさら自死遺族とタグをつけて書くことはなくても、気持ちの上でその事実を隠そうとしたり避けようとしたりすることがなくなった。私は今、自由に書いている。
今回、エゴサーチしていてこのツィートにたどり着いた。本の感想文を著者に読んでもらうこと、コメントをもらうことはとてもうれしい。
まさか島薗進氏が拙文を読んでいるとは露ほど知らず、まして「要点をついた評言」という言葉までいただき、とても驚いている。
いただいたコメントに返信を書いた。
拙文、お読みいただき、ありがとうございます。
その後、『親と死別した子どもたちへ』を読み、私のセルフ・グリーフケアは大きく前進しました。
本書はもっと多くの人に読んでもらいたいです。
さくいん:島薗進、自死遺族、グリーフ(悲嘆)
去年の夏、映画を観てから読みはじめた漫画。ようやく最後の2巻が図書館で回ってきた。
実写映画は原作の途中までで終わっている。それでも、原作の台詞を上手に拾っているし、全体の雰囲気もよく映像化していると思う。
映画版と原作との一番大きな違いは、両思いになってからが原作では長いこと。つまり、原作『ふりふら』の魅力は「付き合ってからのいろいろ」を描いているところにある。
近づきたい気持ち、やきもち、すれ違い、ケンカ、誤解、仲直り⋯⋯⋯。
恋愛の物語というと、片想いの気持ちがなかなか伝わらないもどかしさを描き、両思いになってハッピーエンド、というパターンが多い。
『ふりふら』はハッピーエンドの「その後」が続く。両思いになれたカップルはどんな風にさらに近づいていくのか、すれ違いを乗り越えるのか、お互いの気持ちを尊重し合うのか、そういうエピソードが読んでいて面白かった。
咲坂伊織の作品を三作、見てきた。『ふりふら』は映画と漫画。『ストロボ・エッジ』は映画、『アオハライド』はアニメ。どれも面白かった。咲坂伊織は、思春期の揺れる心理を細やかに描写する。
最後の場面を読み終えて「この物語の主人公はやはり朱里だった」と思った。周囲に気を遣いすぎて自分の気持ちが上手に表現できず、わからない他人からは「中身が空っぽ」と言われるような不器用な性格の朱里。そんな少女が友情と恋愛を通じて自己肯定感を高め、思い切って自分の思いを相手に伝えるようになる。成長した朱里を見られるのはとてもうれしい。
自己肯定感というものは、自意識を高めるのではなく他人を肯定することで高められる。そう聞いたことがある。朱里も、最初は少し見下したところもあった由奈を認め、気持ちがすれ違っていた理央を認め、そして和臣を好きになり、周囲の人を認めることで自分のことも認めることができるようになった。
そう考えてから映画を見直すと、よく出来ていると思い直す。性格のいい由奈に主役の座を奪われそうになりながらも、不器用な朱里を浜辺美波は好演している。
これまで見たり読んだりしたなかで、どれが一番、好きか。訊かれたら『アオハライド』と答えるだろう。陰のある主人公が「想われる」ことで少しずつ閉ざしていた心を開いていく。その過程が、暗くならず、それでいて深い物語になっていた。
ふだん漫画をまったく読まないので、映画をきっかけにいい漫画体験ができた。
さくいん:咲坂伊織、初恋、浜辺美波
休日前の夜、久しぶりに夜更かしをした。ウィスキーを片手にYouTubeでむかしのテレビ番組を続けてみた。
『勇者ライディーン』の第一回や1994年のリレハンメル・オリンピックの映像など、なつかしい気持ちになる動画をさすらった。
ふと、古い『ザ・ベストテン』を見つけた。
1981年2月12日。
7歳離れた姉が突然に亡くなった日から六日後。私は12歳、小学校の卒業を控えていた。
いつも見ていた番組だから見ていただろう。
どんな気持ちで見ていたのだろう。
それとも、歌番組など見ているような気分ではなかったか。
葬儀や火葬場の記憶は断片的にあるけど、ふだんの暮らしぶりの記憶はまったくない。
あの頃はグリーフ・ケアという言葉もなかったし、スクールカウンセラーもいなかった。
「心のケア」など受けず、一日も早く元の生活に戻ることがいいことと思い込んでいた。
突然に"世界が終わり"、終わってしまった世界で私はどんな日常を送っていたのだろう。
何も思い出せない。
堀内孝雄・滝ともはる「南回帰線」、雅夢「愛はかげろう」、五十嵐浩晃「ペガサスの朝」、松田聖子「チェリーブラッサム」
少なくとも、歌はどれもよく覚えている。
さくいん:『ザ・ベストテン』、日常、松田聖子、80年代
新居
4月から社会人になる息子が前倒しで部屋を借りて独立した。日曜日に妻と娘で新居を見に行った。独立といっても、今の住まいから電車で30分程度の距離。
物件探しから家具まで自分で探したという部屋は11階建ての7階。築浅で内装や設備は分譲マンションのよう。資金繰りも、アルバイト代やお年玉を貯めていたらしく、援助は求められなかった。3月いっぱいは学生で給料もまだ入らないので、お祝いに少し渡した。
自分の家族が別の場所に住むなんて、何だか変な感じ
妻がつぶやいた。我が家は単身赴任もなく、子どもは自宅から通える大学に通ったので、いつも4人で暮らしてきた。一人いなくなるのは確かに不思議な気がする。さびしい気持ちもないと言ったら嘘になる。
でも、新生活に張り切っている息子のうれしそうな顔を見ていると、自立した青年に成長したことを誇らしくも思った。
これが親離れというものなのだろう。私たちも子離れしなければならない。
夕方、アパートの周辺を散歩して、繁華街へ出た。チェーン店ではない、個人経営の店舗が多く残る味のあるどこか懐かしい雰囲気の街並み。
転居してから見つけたというピッツェリアで夕飯を食べた。前夜、雨だったのでこの店からUber Eatsで宅配を頼んだという。家族で出前サービスを使った人は初めて。もう独身貴族の貫禄。
4人で4枚頼んでシェアした。ハムやサラミがたくさんのったマチェライオやきのこがたくさんのったフンギが美味しかった。
娘が独立する日もそう遠くない。本人は自宅からの通勤も狙っているようだが、独立するのは悪くないと今回思った。
美味しそうな店を探してもらい、ときどき、この街で家族4人が顔を合わせるのもいいかもしれない。
7階の廊下からは東京スカイツリーが見えた。
さくいん:家族(HOME)
自死遺族の自助グループが数多くあることは知っている。
自助グループに関心を寄せ、参加を考えたこともあるが、結局できずに今に至る。
死別体験から40年以上経ち、遷延した、いわゆる複雑性悲嘆を抱えていると、同じ境遇と言っても、他者のいる場で語ることにためらいがある。生々しい体験談は本でも避けているので、聞くことはできないだろう。
自死遺族が集う掲示板には何度か書き込みをしたことはある。最初に書き込んだときには主宰者の方から返答があり、うれしかったことを覚えている。それでも、掲示板の常連にはならなかった。
本を読み、文章を書く。セルフ・ケアが、私のような境遇の者には向いているだろう。
つまり、自分の悲しみは自分自身で癒すしかないということ。
さくいん:自死遺族、悲しみ(悲嘆・グリーフ)
イラク戦争のときに書いたことと同じことを書いておく。
戦争はよくない。不幸な人がたくさん出る。その通り。
でも、世界は突然、昨日不幸になったわけではない。昨日までも、世界はいつでも不幸にあふれていた。
そしても今も、ウクライナ以外の場所でも不幸な人はたくさんいる。
私はそれを見て見ぬふりして生きている。
戦争を注視するのと同じように、世界にあふれている不幸から常に目を背けて暮らしている自分を忘れずにいたい。
敦香祭
19歳になる直前に亡くなった姉・敦子の60歳の誕生日。
亡くなった日に悲しむよりも、生まれた日を祝いたい。そう思い、今日は姉の好きだった音楽を聴きながら過ごした。
70年代から80年代へ移り変わっていく、なつかしい「あの頃」が目の前によみがえる。
大好きだった18歳の「お姉ちゃん」と12歳の「ぼく」がいる。
さくいん:滝良子、さだまさし、オフコース、小椋佳、ビリー・ジョエル、ビー・ジーズ、70年代、80年代