『芸術新潮』の読書特集で紹介されていた本。鎌倉へ紅葉を観に行った日に、駅前にある島森書店で購入した。
痛快な話が多い。グリムのように説話めいた話はほとんどない。貧しい若者や馬鹿がつくほどの正直者が王女と結婚したり王様になったり、ひと財産を手に入れたり。"Happily ever after"にこんなにもたくさんのヴァリエーションがあることに驚いた。
正直者が最後に得をする、という物語は万国共通なのだろうか。庶民の願いが込められているのかもしれない。
一番、面白かったのは「聖ジョゼッペの信者」。これはほとんど笑い話。イエスの養父、ヨセフがイタリア語ではジョゼッペであることを初めて知った。
イタリアで最も普及している宗教はもちろんキリスト教なのだろうけれど、その実態は、鹿つめらしいものではなく、こんな風におおらかな心性に包まれていることにも驚いた。私は宗教を真面目で堅苦しいものと思い込んでいるところがあるので、この話には本当に驚いた。
イタリアへ行ったことがないので、イタリアの風土や人々の気質はよく知らない。この民話集を読むかぎり、竹を割ったようなおおらかさを感じる。
魔女がたくさん出てくる。意地悪ばかりではない。親切な魔女もいる。魔女の甥の親切な若者もいる。このあたりも面白い。
南部の民話を集めた下巻には説話のような話もいくつか入っている。上巻にはない、悲しい結末の話もある。風土の違いなのかはわからない。
説話めいたといってもあからさまに教訓が追記されているわけではない。正直者が成功し、狡猾で不正直な者にはバチが当たる。
下巻には、悪者が厳しい罰を受けたり、悲しい結末に終わる物語もある。印象としては、南部の民話を集めた下巻に複雑な話が多い。
読み終わるのがもったいなく、一話ずつを楽しみたくて毎晩、寝る前に少しずつ読んだ。
この先、気分が沈んだときに読み返すといいかもしれない。そう思うくらい、痛快な話が多い。枕元の本棚、『眠れない夜のために』(ヒルティ)と『人はなんで生きるか』(トルストイ)の隣に置いておく。
本書は本編はもちろんのこと、訳者の河島英昭による解説が有益で面白い。本編を子どもの心で楽しんだあと、解説を読むと民話を大人の頭で理解することができる。
なぜ一つの街に王様が何人もいるのか、なぜハッピーエンドが多いのか、なぜ身体障害者や貧しい者が多く登場するのか、「昔」とはどれくらい前のことなのか、こうした疑問に答えてくれる。
民話を読み解くキーワードが「才」「運」「愛」であることについても詳しく論じられている。
『民話集』が単なるアンソロジーではなく、首尾一貫した構成を持った一つの「作品」であることも、河島は指摘している。これは、民話を単に民話を収集してアンソロジーを作ったグリムと大きく違う点という。
解説を読んでから本編を「大人の頭」で読み返すと新しい発見がある。
編訳者の河島英昭は、最近読んだ『ダンテ論』の著者、原基晶の師匠にあたる。不思議な巡り合わせを感じた。