自己紹介の代わりに。
碧岡烏兎(みどりおかうと)の筆名は、『翔んでる警視』シリーズや数度の候補の末に直木賞を受賞した『黒パン俘虜記』で知られる作家、胡桃沢耕史にならっています。胡桃沢耕史の筆名は、彼の愛娘と愛息の名前に由来するそうです。
私の場合も二人の子の名前にちなんでいますが、彼らの名前は碧や烏兎ではありません。ちょっとした言葉遊びが入っています。
もう一つ、この名前はラサール石井にもちなんでいます。拙い文章をあえて公開しようとした時勇気づけられたのが、彼が共著者の一人となっている『1.5流が日本を救う』(K.K.ベストセラーズ)でした。
こうした連想に意味があるというより、一つの言葉は人間の表情と同じように、さまざまな意味を秘めているという点は、ここに書かれている文章の底辺に流れる主題の一つです。
ここでは自己紹介のかわりに、ここに掲載される文章にかかわる問題意識の原点として過去に書いた文章を掲載します。
「ヨーロッパ旅行覚え書き」は、1989年夏、欧州旅行を前に同行する友人に自分の旅の目的を伝えようとして書いた文章です。書いたことすら忘れていたのですが、つい最近引出の奥から出てきて読み返したところ、この庭の「案内板」にふさわしいように思えました。
もう一つ、自己紹介のかわりに掲げておく文章は、いわゆる卒業論文のための覚書。ここでは18世紀の思想家、ジャン・ジャック=ルソーが取り上げられています。私は文章のなかで、しばしばルソーをとりあげます。その根本的な動機、それだけではなく、私が本を読み、文章を書いている根本的な動機が、この覚書に書かれていると思っています。
「世界市民と現代」は、そのあとで書いた論文の結語部分です。この部分だけではわかりにくいところもありますが、作品の要約と先行研究を整理しただけの本文は割愛しました。
おなじ問題意識をもちつづけることは、悪いことではないかもしれないとしても、文章の技量までほとんど変わっていないことには、少々口惜しいものがあります。ともかく、そうしたことも含めて、これらの文章は私にとって「書くこと」の原点といえるでしょう。
「烏兎以前」は、「庭」を開くまでの半年の間に書いた二つの断章です。文章を書きはじめて公開するまでの思索における動揺、言ってみれば試行錯誤がみられます。私にとって書くということがどういうことか、つまり私個人ではなく、私の文章を理解していただくために役立つことと思います。
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