8/1/2022/MON
7月のアクセス解析
先月は総アクセス数が少なかった。
シティ・ポップスのアンソロジーが読まれた。最近の流行のおかげだろう。
『森有正エッセー集成 1』の感想へも珍しくアクセスがあった。ただ、閲覧時間がほとんどないようなので、開いただけかもしれない。
相変わらず、中井久夫、山村先生、『未来少年コナン』関連には安定してアクセスがある。
先月は総アクセス数が少なかった。
シティ・ポップスのアンソロジーが読まれた。最近の流行のおかげだろう。
『森有正エッセー集成 1』の感想へも珍しくアクセスがあった。ただ、閲覧時間がほとんどないようなので、開いただけかもしれない。
相変わらず、中井久夫、山村先生、『未来少年コナン』関連には安定してアクセスがある。
来週、親族9人で旅行に行く予定。
それまで皆、感染しないでいられるか。
最近の感染拡大を見ていると、ほとんど奇跡のような確率ではないか。
ちょっと悲観的。
何につけ一応は絶望的観測をするのが癖です
そんな言葉が、中島みゆき「明日天気になれ」(『臨月』)にあった。
私も同じ。あとでがっかりしないように、いつも前もって悪い結果を想像しておく。それも詳しく細かく、情景を想像する。そうすると反対のことが起こりそうな気がする。
さくいん:中島みゆき
『中井久夫との対話』の著者、村澤和多里さんのツィートにあった言葉。
人は裏切るけど、お酒は裏切らない
アルコール依存症の人の言葉という。
私自身の経験と実感から言えば、酒に裏切られたことも多々ある。
気持ちよく酔ったつもりが二日酔いになったり、酒の席での失敗で友人を失くしたり。
といっても、悪いのは酒ではなく、酒に呑まれた自分。
しばらく前に自己嫌悪感がとても強くて酒を浴びたい気分の夜があった。どうしても呑みたかったところを何とか我慢できた。
うつの症状が重かった頃ならば、ハードリカーをつぶれるまで呑んでいただろう。
実際、一人で行った出張先の宿で、気持ちが揺らいで焼酎をひと瓶、開けたことがある。場所は奈良だった。翌朝、気分がいいわけがなく、二日酔いと後悔でますます自己嫌悪感を強めてしまった。
今回はくずれずに持ちこたえた。
少しは、気分を自己制御できるようになってきたかもしれない。回復と前進と思いたい。
日経新聞のインタビューで吉田徹(同志社大学教授)が「日本では正社員と非正規社員の間に大きな溝があり、失敗すれば再チャレンジは認められない」と述べている(7月28日、「終わり迎えた進歩幻想」)。
まったくその通り、と思う。うつ病で失職して1年間、休養したあとの再就職活動は困難を極めた。ハローワークを通じても、人材紹介会社を通しても、ほとんど書類落ちで面接まで進むことさえできなかった。就職活動は半年続いた。
結局、面接までこぎつけられた会社は3社だけ。そのうちの一社から契約社員として内定をもらい、そこに就職した。私に選択の余地はなかった。「いずれ正社員に」という面接での口約束は反故にされた。
過労やストレスから心の病を発症して休職する人は増えていると聞く。でも再就職の間口は狭い。障害者の雇用や休職者の再雇用について促進する声は聞かれるものの、社会の実態に制度が追いついていないように思える。
それでは、正社員に戻るチャンスがあったとして、私はその道を選んでいただろうか。もし選んでいたら、どうなっていただろうか。
病気が再発したり、仕事についていけなかったりして、結局、今のような障害者枠の非正規雇用の道に進んでいたのではないか。
中井久夫の言葉を思い出す。
このことと関係して重要なのは、現代が要求する人間の「性能」の厳しさのために、かなりのパーセントの人間が意義のある仕事に参加できなくなりつつあることである。たとえば、精神病の治療は今日非常に進歩し、多くの精神病が事実上治るようになった。しかし問題なのは、現代社会のさまざまな非人間的な側面にも耐えられるようにまで「治ら」ねばならないことである。社会復帰は、社会の方の壁が高くなってゆくために、ますます困難となりつつある。
(「現代社会に生きること」『関与と観察』、みすず書房、2005)
以前のような働き方はとてもできない。今の会社でも、私よりずっと若い上長の多忙ぶりを見ていると「正社員になりたい」と口にする気もなくす。現状を、さまざまな角度から見てみると、いま置かれた環境に満足するしかない、という考えに行き着く。
保有している株の決算発表があり、大きな商いとなった。
昼休みに発表された決算は期待外れで午後に株価は暴落した。
私は運よく期待外れの決算を予測して午前中に一度利確しておいた。そして昼休み、午後の暴落に備えて作戦を練った。あれこれと考え、目標価格も決めた。
ところが、午後の相場が開くと、瞬く間に変わっていく数字に惑わされ、よく言う「落ちているナイフを拾って」しまった。つまり、落ち切る前に買ってしまった。株価は、私が買いを入れたあともどんどん下がっていった。もう後の祭り。結果、当日の終値でマイナスになってしまった。要するに、大引けまで待っていた方がよかったということ。情けない。
冷静さに欠けていた。あれほどじっくり作戦を練っていたのに、実際の相場では上手く立ち回ることができなかった。その原因は明快。自分の作戦に自信がないこと。自信がないから目の前で動いている数字に翻弄される。
今回の教訓。暴落時には落ち切るところまで待つこと。株の本には必ず書いてあるような基本的なこと。それが、まだできていない。
とはいえ、今回、負けではない。暴落を見越して利確できたし、一応安く買い戻すことができた。トータルではマイナスではない。これで、秋に新しいiPhoneは買えそう。
自信は経験を積まないと生まれない。経験は実際に取引をしないと蓄積されない。シミュレーションではいくらやっても経験にならない。
この業種は好業績・高配当ではある一方、船酔いするくらい乱高下が激しい。投資系YouTuberは、初心者に向かない銘柄と言う。この辺りで一度下船するのも悪くない。
経験を積むためにも、もう少しチャートがわかりやすく、堅実に利益が出せる銘柄に乗り換えようかと思う。
テレビの音楽番組『関ジャム』で「小田和正特集」を見た。彼の歌唱力、曲作り、歌詞にまつわる秘密を解き明かす面白い番組だった。
思い出して、録画してあった2019年のライブ・ツアーを見直した。オフコース時代の曲も歌ったので、とてもなつかしい気持ちになった。
涙をぬぐいながら、よく冷えたジンをのどに流し込んだ。
それからオフコース全盛期のアルバム『Three And Two』を聴いた。
このアルバムはバランスがいい。ロックとバラード、ギターとピアノ、鈴木康博作品と小田和正作品。それぞれが、ちょうどよい割合まとまっている。なつかしい音楽を聴いていると、いろいろなことを思い出す。
これを聴いていた1979年、私は13歳だった。7つ上の、勉強ができる姉に憧れて、とても可愛いクラスメイトに心を寄せていた。思春期のはじまり。初恋の相手は二人だった。
姉は2年後に亡くなった。クラスメイトとは、そのあといくつも接点があったのに、友だち以上の関係に近づくことはなかった。縁がない、とはこういうことを言うのだろう。
最近、頬を赤く染めて微笑むあの子が夢に出てきた。今ごろ、何の意味があるのだろう。
二人は、私にとってどんな存在だったのか。それを語る言葉をまだ私は見つけることができないでいる。
かつて、一度だけ、遠回しな表現その頃の気持ちを書いたことがある。
あれはあれで、「あの頃」の私を写しとってはいる。でも、まだ何かが足りない。
la la la la la la 言葉にできない
まさにそんな気持ち。「あの頃」は、いつまでも言葉にできない。
月一回の診察日。辛い6月が過ぎて7月は好調だったので、深刻な相談はしないで済んだ。
どうして6月にはいつも落ち込みやすいのだろう。そういう症状なのか、単なる自己暗示に過ぎないのか。S先生の回答はあいまいだった。そういうことにこだわることが気分の変調をもたらすと考えているらしい。好調な時は素直に好調さを受け止める。あまり理由や原因を追求しない方がいい。そういうアドバイスがあった。
薬局に行って、処方された薬をもらう。いま服薬しているのは、抗うつ薬、活動力を高める薬、精神安定剤、便秘薬。
薬をもらったあとはランチ。ハンバーガー。この店は1月以来。
街中に、おいしいホームメイド・ハンバーガーの店がいくつもあるので、連続して同じ店に行くことはない。
以前はVVDによく行っていた。ここは駅から遠いので最近は行っていない。今回行った店の名前はOPC。
さくいん:S医院
週末に妻とAmazon Primeで見た。二人で映画を観るのは、去年5月に観た"La La Land"以来。妻は忙しいのでなかなか一緒に観る機会がない。今回はいつもと違いiMacではなくリビングの大画面テレビで観たので劇場ほどではないにしてもかなり没入できた。
素敵な話だった。
娘思いの両親。仲のいい夫婦。妹思いの兄。才能を咲かせようとする教師、相手の成功を心から祝う恋人。皆、思いやりにあふれている。
それぞれの役柄に俳優の雰囲気が合っていて、キャスティングも見事。
子が家業を継いで生きていく家族もある。たいていの家族の場合、子どもを巣立つように親は促していかなければならない。教育とは、自分を乗り越えていくことを促すことだから。
巣立ちが上手にできると、その後も良好な親子関係が続く。
そのためには親の方が先に、子どもの人格を、能力を、希望を、認めなければならない。
ちょうど子どもが巣立つ時期にある私たち二人には、少し切なくなる物語でもあった。
心がささくれだったときに見返したくなるような、心温まる物語だった。
音楽も、いや、音楽が良かった。エミリア・ジョーンズが歌う"Both Sides Now"にとても心を揺さぶられた。 この歌はiTunes Storeで購入して、すでに繰り返し聴いている。
聴覚障害者が見ている世界が挿入される。「耳が聴こえないとはこういうことなのか」。驚きをもって知ることができた。
蛇足。毎度のことだけど、メイキング・ビデオやインタビューでのエミリア・ジョーンズがルビーとはまったく別人だったので心底驚いた。
さくいん:HOME(家族)
予約していた飛鳥Ⅱの伊東クルーズが中止になった。直前のクルーズで乗組員と乗客に新型コロナの感染者が出たため。
一昨年乗船してとても楽しかった。孫が皆、集まるので母もとても楽しみにしていた。
この船旅を楽しみにして外出も控え、徹底的な感染対策をしてきたのにがっかり。
一昨年は台風のせいで2泊3日のクルーズが1泊になった。このクルーズ、運が悪い。
残念、という言葉では言い表せないほどショック。
せっかく皆、時間も空けてあるし、悔しいので親族9人で横浜へ小旅行することにした。
昨年秋に始めた投資。主に国内の株を取引している。少しずつは利益が出ているが、まだ大きな儲けはない。
これまで値がさ株を取引して大きく儲けようとしてきた。成長している高配当のセクターを選んで株を買った。
ところが、このセクターは株価の乱高下が激しい。これまでに何度も貯めてきた含み益を突然の暴落によって無にされた。初心者で値がさ株を扱うには早すぎるのかもしれない。そういう考えも浮かび、一度、このセクターから離れた。
その後、小型株でちまちまやってみた。悪くない。少しずつだけれど、ほとんど毎日利益が出せるのはうれしいし、楽しい。
ふと、一度離れたセクターの株価を眺めてみると急落している。これは乗らない手はない。私は、再度、乗船することに決めた。こうして、また船酔いの強い船に乗ることになった。
今回、作戦を変える。急落(調整ともいう)したら買い、値が上がったら含み益を貯めずすぐに利確する。そして次の調整を待つ。これを繰り返す。一度に"爆益"を狙わず、少しずつ稼いでいく。
これまでの失敗を活かせるか。またもや、同じ失敗を重ねるのか。とにかく必要なことは冷静さ。難しいセクターから逃げようとしたのも一時の気持ちの揺れのせいで冷静な判断ではなかった。
新たな挑戦が始まる。
島崎藤村が日露戦争後、1905年頃に書いた小説を収めた短編集を読んでいる。
そのなかで、「自分のベストを尽くす」という表現があった。
同じ作品には、今ではもう書き言葉でも見ない古い表現がたくさんある。
そんな作品のなかで、「ベストを尽くす」という現代的な表現が使われていたので、とても驚いた。「最善を尽くす」ではなく、「ベストを尽くす」。
すでにそういう表現が流通していたのだろうか。それとも、藤村が思いついたのだろうか。
いずれにしても、とても驚いたのでメモしておく。
さくいん:島崎藤村
9月に伊勢志摩へ旅する。結婚30年、真珠婚式の記念旅行。新婚旅行で行った同じ場所へ旅する。前回は20年の記念旅行を数年遅れて2015年の春に行った。当時は休職中だった。
今日は、往路の近鉄の豪華特急しまかぜを予約した。
外出していたので、スマホの小さい画面で操作するのに苦労したものの、何とか一両目の展望者で予約することができた。
帰りは平日だから問題ないだろう。楽しみがふくらんできた。
追記。復路は、先頭展望車の最前列の席が予約できた。うれしい。
9月18日追記。往路のしまかぜは、不覚にも発車時刻を間違えて乗り損ねてしまった。
さくいん:伊勢志摩
古典に取材したあまんきみこの作品は『蜂かつぎ』を前に読んだことがある。せせらぎのような流麗な文章が美しい。
命よりも、身分や立場、家柄が大事な時代があった。自分の命よりも大切なもののために命を賭けることが潔いとされた時代があった。率直な感想。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも同じ。毎週、誰かが身分や立場のささいな変化によって死に追い込まれる。結婚も家のためにするものであり、自分の自由はない。
今は違う。違うことになっている。人の命や人権は、何よりも大切なもの、ということになっている。なっている、というのは実際、そうでない場面もまだあるから。
命の大切さや基本的人権は、多くの先人たちが戦って勝ち取ってきたもの。当たり前のものではない。本書を読んで、それをあらためて思い知らされた。
身分や立場、家のために命を捨てるのは、物語のなかだけでいい。
さくいん:あまんきみこ
宿泊していたみなとみらいの書店で購入。
港町、横浜は鉄道の街でもある。その歴史と現状を深く掘り下げている。
横浜市で運行されている多数の鉄道、ほとんどは乗車したことがある。ないのはJR鶴見線くらい。思い入れがある路線は、水泳教室や高校の通学に使っていた京急線、予備校と英語学校の通学に使っていた東横線、会社通勤で新幹線で毎日、新横浜駅で乗降していた新幹線。
横浜駅には水泳教室で3年間乗り下りし、高校時代に3年間、乗り換えていた。一番身近なターミナル駅。もっとも、横浜駅が終着の路線はないので正確にはターミナルではない。
終着駅といえば、今はもうない東横線の桜木町駅がなつかしい。予備校の授業に備えて、始発電車に座り、渋谷まで仮眠した。高校二年の夏から高校三年の秋までは、ほとんど毎日乗っていた。
新横浜駅は祖父母の家が近かったので、駅周辺に何もなかった昭和の時代から知っている。新幹線通勤をしていたのは約5年。毎週、関西へ出張していたので、新横浜駅には特別な思い入れがある。
本書は各路線、車両の紹介のほか、シウマイ弁当やみなとみらいの汽車道、原信太郎鉄道模型博物館など、横浜の鉄道にまつわるさまざまな話題を特集している。
100ページ足らずの図鑑に内容は盛りだくさんの一冊。
ところで、ランドマークプラザの書店はかつては横浜の書店、有隣堂だった。現在はくまざわ書店。横浜の象徴でもあるこの街の書店は有隣堂であってほしかった。
さくいん:横浜
8日間の夏休みの最終日。昨日は映画を観て、ランチにカツカレーを食べて、3時間、カラオケをした。今日は何をしようか。外へ出ると暑いし、家にいると在宅勤務と同じ。近くて、涼しくて、お金がかからない所はないか。
そうだ、図書館へ行こう。そう思い立ち、出かけるところで、まだ借りてきて読んでいない本があることを思い出した。
昼間から缶ビールを片手に『本のエンドロール』(安藤祐介)を読みはじめたら止まらなくなり、結局、外へは出ずに自室で夏休み最終日を過ごした。
今年の夏休みは小旅行をはさんで、ビールと文庫本に始まり、ビールと文庫本で終わった。
楽しみにしていたクルーズに行けなかったのはほんとうに残念。
それでも、旅行、映画、カラオケ、読書、と盛りだくさんで充実した休みだった。
夏休みの最終日前、渋谷で一人で観た。監督が『思い、思われ、ふり、不ふられ』の三木孝浩、脚本が『君の膵臓をたべたい』の『君は月夜に光り輝く』の月川翔、主演がこれまた『思い、思われ、ふり、ふられ』で好演していた福本莉子だったので、期待を大きくして観に行った。
いい話だった。少し内気で、でも健気で意外なほどの積極性を内に秘めた女の子。福本はこういう役柄がよく似合う。『ふりふら』の由奈がそうだった。もう一人の主人公を演じた道枝駿佑も自然な演技でよかったと思う。古川琴音も存在感があった。
人の記憶は、そう簡単に操作できるものではない
本作のテーマを私はそう理解した。記憶とは、静かに失われていくものでありながらも、無理に忘れさせようとしても忘れさせることができるものではなく、自分で忘れようとしても自由に忘れられるものではない。人は記憶を選べない。
だから、透が優しさからで泉に依頼したことを彼女たちが画策しても、真織の記憶を好き勝手に操作することはできなかった。
人と関わること
『君の膵臓をたべたい』で、春樹が桜良に「君にとって、生きるってどういうこと」を問いかけたとき、彼女はこう答えた。
本作はそのテーマを掘り下げている。その人がいなくなっても、その人の記憶が薄れても、その人と関わった事実は消えることはない。そしてその関わりは必ず自分のなかに何かしらの形で残っている。
もっとも、それはいい思い出ばかりではない。暴力や虐待も、忘れようとして忘れられるものではない。記憶は心にではなく、身体に刻まれるものだから。
いま、恋をしている若い人たちには、グサッと刺さる物語だろう。すでに老いはじめて若い頃の記憶がぼやけはじめている私には、残念なことに、それほど切実に感じられなかった。
姉が亡くなって40年過ぎている。彼女の声は忘れてしまっているし、顔も残っている写真の記憶でしかない。それでも、私は、姉を忘れてはいない。そう言えるのは、姉とともに生きてきたという不思議な自信を昨年、身につけたから。
真織も、日記とデッサンに遺された透とともに生きていってほしい。中年男性は若々しい恋愛映画を見て、そんな風に感じた。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、月川翔、福本莉子
これぞ、私が待ち望んでいた本。夏休みの最終日に自室で一気読みした。
ずっと疑問に思っていた。映画では最後に長いエンドロールで制作に関わった人の名前が延々と紹介される。その一方で、本の場合、多くの人が制作に関わっているはずなのに、その名前はクレジットされない。編集者の名前が謝辞とともに紹介されるのがせいぜい。
これは読者に対して不誠実なことではないか。制作の一端どころか、プロデューサーである編集者の責任をあいまいにするものではないか。そんな風に思っていた。
本書は長年の疑問と不満に答えてくれた。「本を造る」舞台裏を詳細に、しかも読み応えのある小説として紹介している。作家が書いた原稿が編集者を通じて印刷会社、製本会社を経由して取次から書店に並ぶまでの過程がよくわかる。
そして、私が希望していたとおり、巻末には、本書の制作に関わった人たちの名前がまさに映画のエンドロールのように掲載されている。本も映画と同じように多くの人たちが関わって作られている。それが実感できる。
すべての本が、こんな体裁を持つようになったらいいと思う。
ジャンルとしては、いわゆるお仕事小説と呼ばれるものだろう。辞書作りの舞台裏を描いた『舟を編む』(三浦しをん)を思い出した。どちらかと言えば、『舟を』の方がコミカルな文体が読みやすく、ストーリーに温もりがあり、人物造形が巧みだった。浦本の性格がいまひとつはっきりしなかった。
主人公は印刷会社の営業職。仕事のトラブルに遭遇する場面では、営業職時代を思い出してとても苦しい気持ちになった。
1996年から2000年までいた最初の米系メーカーは楽しかった。私も若く、上の人たちにかわいがってもらえた。会社は繁盛していてビジネスクラスで出張して、ファーストクラスに乗る機会まであった。
その後、2014年までに米系企業4社を経験した。そこでは、辛いことが多かった。仲間や上司に恵まれたとは言い難い。本作で描かれているようなチームで働く喜びやプロジェクトを遂行した達成感を感じることは多くなかった。
だから、自滅したのは必定だった。いまはもう職業には安定した収入と少ない責任以外に何も期待していない。
福永武彦の命日である13日に「福永武彦を想う」というTwitterのスペースを拝聴した。
「福永武彦との出会い」を何人かが話していた。私も、ここに書き残しておく。
中学三年生の頃、母親に『草の花』をすすめられた。当時、『破戒』を皮切りに近現代の日本文学を次々と母が紹介するままに読みあさっていた。
夏目漱石、太宰治、井上ひさし、伊藤整、住井すゑ、新田次郎。私の文学の嗜好は母から大きく影響を受けている。森鴎外や大江健三郎はその頃すすめられなかったので、その後も読んだことがない。
思春期、真っ只中。純粋な愛に憧れていて汐見に共感して、生身の人間としての愛を求めた千枝子が理解できなかった。
大人になり、偶像としてしか人を愛せない汐見が痛々しく感じるようになった。
それでも、汐見茂思のペシミズムにはずっと共感している。
福永武彦の作品は『草の花』のほかは『廃市』と『短編小説集』、敗戦後に書いた日記の一部しか読んでいない。『草の花』は何度も読んでいる。それくらい、衝撃は大きかった。
さくいん:福永武彦、夏目漱石、太宰治、井上ひさし、伊藤整、住井すゑ、新田次郎、偶像
夏休みが終わり、仕事が始まった。今週はダメな一週間だった。
仕事には身が入らず、空いた時間もぼんやりと過ごすだけで、読書も進まなかった。夕方、散歩にも出なかった。
夜は10時前には横になっている。まだ眠くはないが、したいこともない。部屋を暗くして天井を見ている。そのうち眠りに落ちている。
休み明けのせいだろうか。猛暑が続いているせいだろうか。ともかく覇気がない。
代替案が楽しかったとはいえ、それまでずっと楽しみにしていた飛鳥Ⅱのクルーズが中止になったショックは尾を引いている。
株取引もうまくいっていない。先月、光明が見えたのも束の間、利益は出なかった。
半年以上、売買をしているけれど、配当金以外の利益はない。自分の頭の悪さ、気持ちの弱さに呆れる。数々の失敗が今後の糧になっていればいいけれど、まだ先は見えない。
休みの最後をビールで〆たつもりが、今週は毎晩呑んだ。ダメなときはとことんダメ。
「自死」という言葉が一般的になってきたと思っていところ、「自殺」という言葉が正しい意味を含んでいると考える人がまだいるらしい。「自」は「みずから」という意味だから次に来る言葉は他動詞であるべきという論理。理解に苦しむ。
「自」は「おのずから」とも読む。「自ずから死ぬ」で意味は通るのではないか。
「自殺」が忌避されている背景には「殺」には罪が含まれていることがある。自死者は、死に追い込まれた人であり、殺人者ではない。まして罪人ではない。
「死に追い込まれた」とは、言葉を換えれば、自己崩壊した、すなわち、自ずから崩れていったということであり、合理的な判断によって死を「選択」したわけではない。
遺族は「自らを殺した者の遺族」と名乗りたくはない。
このツィートにはほとんど反応がなかった。一方、「自死」という言葉に違和感を持つと主張するツィートには多くの「いいね!」がついている。
問題は字義ではなく、言葉に込められた意図。字義について議論するつもりはない。
自死遺族の思いは、社会全体のなかでみれば、まだまだ理解されてはおらず、少数派ということの証左かもしれない。もっとも、私のツィートはふだんから基本的に閲覧数が少ない。
さくいん:自死・自死遺族
Twitterのタグから。
ゲームを熱心にする方ではない。シューティングやアクションは苦手でやらない。ゲームをたくさんしていたのは、大学生の頃と子どもが小学生でゲームに熱中した頃。
『MOTHER』は初めてプレイしたRPG。ドラゴンクエストはファミコン、スーパーファミコン、DSの3種類のゲーム機で遊んだ。とりわけ、4章に分かれていた話が一つにまとまる『Ⅳ 導かれし者たち』と三世代にわたる話の『V 天空の花嫁』は面白かった。この二つは、スーパーファミコンとDSの両方で遊んだ。子どもと一緒に遊んだいい思い出がある。
Wiiスポーツリゾートに使われたWiiモーションプラスは、その後のゲームとスマホの機能に多大な影響を与えたことは記しておきたい。この技術なしにはARもVRもなかった。
去年に続いて今年も家族4人でブルーベリー狩りをした。場所は近所の農家。
去年は猛暑日で熱中症になるかと思うくらいだった。今年はくもり空。過ごしやすい天気だった。
去年は暑かったせいで、木陰にしゃがんで低いところにある実ばかりを摘んでいた。今年は気温が高くなかったので、高いところの実も摘み取ることができた。去年より短い時間で、より多く取れた。
熟している実はそっと手のひらで覆うだけで、ホロホロとこぼれてくる。手のひらを閉じてつかみ取る。この感触が楽しい。
ブルーベリー狩りのあとは、そば屋で暑気払い。銘々、違う品物を頼んだ。私は「冷やし五目そば」を食べた。
久しぶりに外で活動して、昼食に生ビールをジョッキで呑んだので、帰宅してからしばらく心地よく昼寝をした。
さくいん:HOME(家族)
精神科医で著述家でもあった中井久夫の訃報に接した。
先生と呼べるほど近くにいたわけではない。でも、先生と呼びたくなるほど大きな影響を受けた。
とりわけ、最初に読んだ『徴候・記憶・外傷』は、私の心の見方、大げさでなく人間観を一変した。うつ病と向き合う姿勢についても、多くの示唆をもらった。
新書を書かず、テレビにも出演しない中井は、一般的な認知度は低い、知る人ぞ知る知識人だった。
一つについてすべてを知り、すべてについて何かを知る
知識人とはそういうもの。最近では、一つについてさえ深く知っているわけではないのに、何についても語ろうするエセ知識人が多い。「知の巨人」という尊称も、多作の宣伝文句に成り下がっている。
専門化と細分化と大衆化が同時に進んでいる現代にあって、中井久夫のような知識人はもう現れないかもしれない。
遠く離れたところから、中井先生のご冥福を祈る。
同じ事業部の人がうつ病になり、2ヶ月、休職することになった。
彼はコロナ禍真っ只中の時期に転職してきた。私は一度も顔を合わせたことがない。
おそらく病気になった原因は、少なくとものその一つは、コミュニケーションが制限されていたことだろう。
この時期に転職するのはかなりのリスクがあると思っている。在宅勤務が常態化していて、対面のコミュニケーションは少なく、部署の一体感も不足気味。
私は一人でいることを満喫しているけど、もともと出社して同僚と雑談したり、帰りに一杯やることを楽しみにしていた人にはなかなか辛い状況だろう。新しい環境になじもうと努力している人にとっても同じ。
そういう状況に新参者として入ることはさらにむずかしい。きっと彼も職場になじむのに苦労したことだろう。なじむべき職場が物理的に存在しないのだから。
コロナ禍でうつになる学生や若い社員が増えていることは報道で知ってはいた。身近な人が病気になって、新型コロナの恐ろしさを実感している。
病状が深刻にならないことを願うばかり。
書店で岩波文庫の新刊を見つけて購入。短編集ながらも、重い話が多いのでなかなか読み終わらない。読了はまだ先になりそうなので、読んだところまでの感想を書いておく。
『破戒』と『夜明け前』は読んだ。自伝的な長編小説は、内容は知っているものの、そのためにかえって遠ざけてしまい、読んでいない。『全集』で随筆はほとんど読んだ。
この『短編集』で、強く心に残ったのは「津軽海峡」と「芽生」。
前者は、息子を自死で失くした夫婦の物語。悲しみを共有して思いやりつつ、それぞれが抱く悲しみは違うためすれ違いもする。その複雑な心理を細やかに描写している。自死をした人の小説は少なくないけど、自死遺族の小説は少ない。それだけ語ることがむずかしいものなのだろう。本作はとても貴重な「自死遺族の文学」に数えられる。
藤村自身が自死遺族だった。藤村は、盟友、北村透谷を自死で失っている。『随筆集』に何度も節目が来るたびに認めた追悼文が収録されている。自死遺族の心理描写の裏に、深い自己観察があったと想像される。
藤村は、悲嘆の人でもあった。小説家として自立するために東京に居を構え、『破戒』を自費で上梓するまでに、四人の子を次々に病気で失っている。その壮絶な生活が「芽生」に描かれている。少なからずの人が藤村を非難するのもわからなくはない。
「粘着質」という言葉で藤村の資質を十川信介は表現していた。これは的確。小説家として身を立てたいという「事業」への執着、その過程で起きた家族の悲劇さえも作品にする文学への執着。そこまでこだわって成し遂げたいことは私にはない。
藤村は「過去を書く」作家。そう思っている。どの作品も、過去の風景や人々の心情を書き留めている。そこに解説にもあるように、時代背景も込められていて、単なる回想ではなく、優れた社会派小説となっている。
文章にも「粘着質」が表れている。目に見えるものから、登場人物の心のひだまで、何もかも言葉で描こうとする姿勢が藤村には感じられる。略して読者の想像に委ねるという部分は多くない。それは短い小説でも同じで、いくつか続けて読んでいると疲れてしまう。
そういうわけで文庫本はまだ読みかけ。読了したら、あらためて感想を書く。
大友花恋は女優。映画『君の膵臓をたべたい』で桜良の親友役で出演していた。
TBSの土曜日朝の情報番組「王様のブランチ」のレギュラーだったことに気づいたのは、彼女が卒業する間際だった。『キミスイ』での意地悪な表情が印象に残っていて、スタジオの隅にいる笑顔に気づかなかった。
その大友花恋が日経新聞、夕刊のコラム「プロムナード」で毎週土曜日に連載をしている。
この欄は著名な作家や学者が多く書いている。万城目学や温又柔はこの欄で知った。そういう連載を22歳で任されるのはすごい。
テーマは「王様のブランチ」のこと、群馬から上京した頃のこと、舞台のこと、など。
文章も上手いし、内容も面白い。よく文才のある若者を見つけ出してきた。
今日は怖がりな性格と本当にあった怖い話。面白かった。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、万城目学
10冊メーカーというサイトで#名刺がわりの専門書10冊を作ってみた。
選んだ本は以下の10冊。
私は研究者や専門家ではないので、興味のあることはバラバラ。それでも、選んだ10冊を眺めているとそれなりの傾向が見えてくる。おおまかに言えば、精神医学と臨床心理学、政治思想史、キリスト教思想の3分野。もう少し細かく分けると以下の通り。
『庭』を始めた2002年ごろに書いていた第一部では「知識人」や「教養」が読書の大きなテーマだった。最近、そのテーマの本はあまり読んでいない。
それなりの量の読書をしてきたので、考え直すと違う10冊になるかもしれない。
ブクログ:専門書
先週の金曜日、会社を休んで西洋美術館へ出かけた。
企画展は名品がたくさん展示されていたものの、会期末が近いせいで平日にもかかわらず混雑していて、ゆっくり鑑賞できなかった。
一方、常設展は人もまばらで寛いだ気分で鑑賞することができた。
ただ「見る」という行為も大事だけれど、静かに過ごす時間も美術館の大切な存在意義。
印象に残った作品。
ゴッホの作品にはテオに宛てた次の言葉が添えてあった。
僕は。この鎌で刈る人のなかに
——炎天下自分の仕事をやり遂げようと悪魔のように闘う朦朧とした姿のなかに——
死のイメージを見ました。人間は刈り取られる麦のようだという意味です[…]
しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく、
それは純金の光を溢れさせる太陽とともに明るい光のなかでおこなわれているのです。
この言葉を読んで、私はずっと前に書き写したサン=テグジュペリの言葉を思い出した。
農家では、人が死ぬことはない。母親は死んだ。だが母親は生きつづけるだろう! むろん、悼ましいものだった。しかし、このようにいかにも純朴なものであった。ひとつずつ、道のうえに白髪の美しい殻をすてながら、その変貌をつうじて、なにかわからない真実をめざして歩みつづける、この血統のイメージ。
———「平和か戦争か?」
人間の営みを死と誕生の連鎖を通して観察する見方に共感する。
今回、印象に残った作品には、ふだんは常設展にあるものが少なくなかった。そのうち、企画展がないときに常設展を見に行くのもいいだろう。
美術館を出て、前庭にあるロダンの地獄門の写真を撮った。
さくいん:オーギュスト・ルノワール、フィンセント・ファン・ゴッホ、アントニー・ド・サン=テグジュペリ
最近、コンビニのフライドチキンに病みつきになっている。
ふだんでも、5時に勤務を終えてから、フラフラとコンビニへ歩いて、缶ビール、350ml缶一本とフライドチキンを買うことが多い。
缶ビールを片手にフライドチキンを頬張り、TwitterやYouTubeを見るのは、至福の時間。
今年の夏は、期間限定の辛口を売っていて、これがとてもうまい。
ビールも揚げ物も肝臓にはよくないことは十分わかっている。でも、抗えない。
考えてみれば、居酒屋に行くわけでもなく、ましてやキャバクラなどへ行くわけではない。コンビニで売ってるビールとフライドチキンで満足しているのだから安上がりなもの。
今日は火曜日。呑んでいい日なので、のんびり至福の時間を満喫している。
渋谷の東急百貨店本店へ行ったのは、ずいぶんと久しぶりのこと。
私は小さいころは『かわ』や『海』などの科学絵本が好きだった。子どもたちは『だるまちゃんとてんぐちゃん』や『からすのぱんやさん』に親しんだ。下絵や原画を見られて満足した。
自伝を読んで彼の半生は知っていたつもりでいたけれど、後年の画風とは異なる学生時代の迫力のある油彩画には驚いた。
展示を見ながら、いくつかの点で手塚治虫と共通するところを感じた。
戦争への拒絶感、未来への希望、科学への信頼、子どもたちへの夢、単なる娯楽ではない学びの視点、それらを含めて見える、ある種の教養主義。
膨大な仕事をしつつも長命だったところは違っている。90歳まで持ち続けた好奇心と創作意欲に脱帽した。