画像刷新
突然、第一部、第二部、第三部で箱庭(日記・ブログ)に使っている画像が表示されなくなった。なぜなのか理由がわからず、ともかくはてなフォトライフに保存してある画像から、一つ一つリンクを貼り直す作業をはじめた。
作業を始めてしばらくしてようやく気づいた。画像ファイルのURLが"http"から"https"に変わっている。はてなからお知らせはもらっていない。いつの間にか変わっていた。
理由がわかったので、マルチファイル置換で作業はすぐに終わらせることができた。
気づいたときは、どれだけ時間がかかるかを考えると途方に暮れた。もっともいまの私は単純作業で時間をつぶしても構わないほど、ヒマを持て余している。
これは会社には内緒にしているが、上司たちもわかってはいるだろう。それでも放置されているのだから、このまま黙っていることにする。
去年上梓された朝井リョウの最新エッセイ集。図書館で予約したら思いのほか早く順番が回ってきた。前作を面白く読んだので期待して待っていた。
笑える話、身につまされる話、驚く話。いろいろな話が盛りだくさん。気分も湿りがちなこの季節、スカッとした読後感が残った。
朝井リョウのエッセイは小川洋子のエッセイに共通しているところがある。人気作家なのに驚くほど低い自己肯定感。コンプレックスをあえて前面に押し出す姿勢。それから、何かの専門家であったり外国語が得意だったり、二足のわらじを売りにしている作家が少なくないなか、失礼ながらこれといった特技もなく自分の感性だけを頼りにしているところ。
言うまでもなく、そこが二人が書くエッセイの魅力になっている。凡人のようでいて、凡人ではない。感性と筆力が非凡。
軽妙な文章は真似できそうでできない。笑わせる文章は私の文体からは最も遠いところにある。
エッセイ好きなので小説はまだ手つかず。いまは日経新聞夕刊の連載小説を楽しんでいる。
さくいん:朝井リョウ、エッセイ、小川洋子、日経新聞
先週の日曜日。神代植物公園の「春のばらフェスタ」へ行った。気温が高い日が多かったせいか、見頃はやや過ぎているようだった。それでも、たくさんのばらを見ることができて楽しい一日になった。
ばらは左上から秋月、芳純、スーパースター、ピエール・ドゥ・ロンサール。ほかにもたくさん写真を撮った。家族で写真を撮る人もいれば、人形を並べて撮影している人もいた。
公園を一回りして森林浴をしてから水生植物園へ。こちらは菖蒲園が見頃だった。
いつもの店、多聞で久しぶりに冷やしたぬき大盛り(3人前)を食べた。あまりにも満腹で夕飯は刺身をつまむだけにした。
さくいん:神代植物公園
音楽はサブスクしていない。自前でたくさん持っているし、最近は家にいる時間が長いのにそれほど音楽を聴いていない。
そんな折り、ふと思いついて、一枚のアルバムをiTunesで購入した。ビブラフォンによるヘンリー・マンシーニ曲集。
ジョー・ロックの演奏する"Loss of Love"はコンピレーション・アルバム”Room No.001 Jazz”で持っている。
このビブラフォンによる演奏はオリジナルやピアノのよりも切なく悲しく響く。これに魅了され、ほかの曲も聴いてみたくなった。
図書館で検索してみると所蔵していない。となれば買うしかない。
全編を通して聴いてもとてもいい。どの曲もしっとりとして、優しく、静かな夜に聴くのにちょうどよい。
ビブラフォンは、ギターやオルガンと同様に好きな楽器。音が粒立っているところが好き。ミルト・ジャクソンもボビー・ハッチャーソンもゲーリー・バートンも、図書館で借りて音楽ライブラリにたくさん収まっている。速弾きよりもゆっくりやさしい音色の演奏を好む。
このアルバムでは、そういう私好みのフレーズをたくさん聴くことができた。
梅雨のあいだ、湿気を吹き飛ばしてくれる読書もいい。あえて感傷的になるのも悪くない。
さくいん:ヘンリー・マンシーニ
「テレビが壊れた」と母から連絡があり、急きょ金曜の午後を休みにして帰省した。いろいろ試してみても確かにうんともすんとも言わない。買い換えるしかない。
夕方、電車で上大岡の家電量販店まで出かけた。同じ43インチのテレビは最低で12万円。ちょっと高い気がする。同じ店のネット支店を調べると8万円以下の製品がある。訊くと在庫あり、翌日設置OKと言うので即決した。こちらから安い製品を指定しないと高いモノを買わされる。今回は上手に買い物ができた。
深夜、目が覚めるほどの豪雨で心配したけれど、朝には小降りになっていた。設置はすぐに終わり、ネット接続も簡単だった。
設置してくれたお兄さんにテレビの寿命を尋ねてみた。メーカーは5年から7年と説明しているらしい。今回は2017年製だったから6年で壊れたことになる。文句は言えない範囲か。
いまのテレビはパネルと、メイン基板と電源の大きく3つの部品で構成されている。部品は小さな半導体が多く、手で交換できるような大きな部品は少ない。しかも部品はどれもデジタルだから、昔のように叩くと映るということはない。一つでも壊れればまったく映らなくなる。昔、テレビの音声用デバイスをテレビメーカーに販売していたのでよくわかる。
映らなくなったら買い換えるしかない。5-7年ごとに買い替えでは流行りのSDGsとは言えない。せめて10年はもってほしい。
テレビの発注が思いのほか早くに済んだので、なじみのシチリア料理店でゆっくり夕飯を食べた。シチリアのパウンドケーキ、トルタディカッサータが美味しかった。
土曜日、昼には雨が上がり、実家の紫陽花がきれいに咲いていた。
土曜日、雨が止んだので、昼食後、シーサイドラインに乗り新杉田まで買い物へ行った。工業地帯沿いに海を眺めた。夕飯は日本酒と刺身。『ブラタモリ』と『アド街ック天国』を見てすぐ寝た。『ブラタモリ』は種子島、『アド街』は白山と千石の特集だった。種子島は銃が伝来しただけでなく、その後、製造をしていたとは知らなかった。
日曜日。帰京する前に金沢八景駅前のワイン・ビストロ、Re:viniでランチを食べた。
この店には一月に一度くらい、夜に来る。ワインの店なので、昼でも呑んだ。ロワールのスパークリング・ワインと甲州の白ワイン。食事はビーフ・ストロガノフ。デザートに豆腐のティラミス。
7月の健康診断までダイエットするつもりなのに、帰省するとついいろいろと呑み食いしてしまう。メタボ宣告を避けるためには、せめて平日はおとなしくしなくては。
ワイン2杯でほろ酔いになり、京急線では品川までうたた寝した。
さくいん:『ブラタモリ』
日曜日。品川に到着しても、まだ2時過ぎだったので三田で都営三田線に乗り換え千石へ。目的地は六義園。目当ては紫陽花。
薄曇りだったので、景色の写真はきれいに撮れなかった。汗をかくほど暑くなかったのは幸いだった。
紫陽花を求めて人は多め。いろいろな種類の紫陽花が咲いていた。
六義園を出て、すぐ近くにある東洋文庫ミュージアムへ歩いた。ここへ来るのは久しぶり。調べていると前回来たのは昨年の10月。半年以上、来ていなかったことになる。
久しぶりのモリソン書庫。私は多読家ではないけれど、ここでたくさんの本に囲まれるとうれしい気持ちになる。院生時代、図書館の地下にある書庫で巨大で豪華な写真集を広げたことを思い出した。本が好きなのではなく、図書館が好きなのかもしれない。静かで整然と本が並んでいる空間が好きなのかもしれない。思えば、美術館も静かなところを好んでいる。混んでいる美術館は好きではない。
嵯峨本の『方丈記』は美しい。くずし字が読めないのが悔しい。
同じように、アラビア語も読めない。でも、文字は美しいと思う。展示されていたのは『医学典範』(イブン・シーナー)。中世ヨーロッパはイスラム文化から医学を輸入したと予備校の世界史で教わったことを思い出した。
『解体新書』(杉田玄白)も展示されていた。医学や人体解剖に興味はない。内臓の挿絵だけでも十分に気分が悪くなる。
江戸時代に日本や中国から鍼灸がヨーロッパへ輸出されたものの、あまり理解されず、広く普及もしなかったという説明が興味深いものだった。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
私は自己肯定感が低い。そう思っていた。でも、よく考えると、少し事情が違うような気がしてきた。
自己肯定感とはありのままの自分を肯定的に受け止めるということ。ありのままの自分を過小評価してしまう状態を「自己肯定感が低い」と言う。
私の場合、過小評価しているのではなく、そもそもありのままの自分が肯定できるようなものではないのではないか。
肯定できる自己が低い現実を直視していないだけ。そうではないのか。
勉強や仕事をこなす能力の欠如、誠実さの欠片もない性格、如才なく生きる知恵の欠落。いずれも肯定できるような性分ではない。
さらに、それに気づいていない愚かさが加わる。それが自己肯定感の低さの要因。
見方を変えると、私は自分自身を過大評価している。「こうありたい」自分を自分の現実と取り違えている。もっと認められるはず。もっと注目されるはず。承認欲求ばかり強い。
理想が高いことは悪いことではない。しかし、その理想に近づこうと努力もしなければ、具体的な目標すら立てていないのでは何にもならない。自己認識が間違っている。
そうではないのか。これもうつ病の症状の一つ、認知の歪みなのだろうか。わからない。
ちょっと医師にも相談しづらい悩みにぶつかっている。
さくいん:うつ病
スポーツ観戦が苦手なのではないか。最近、それに気づいた。とくにひいきの選手や応援したいチームがあるとき、見たいのに試合を見ないことがある。
勝ってほしい。きっと勝つ。そういう風に思えない。負けるんじゃないか。きっと負ける。そうして周囲に期待外れと責め立てられる。そんな姿は見たくない。
応援している人は勝つことを信じているし、たとえ負けても、負けた姿も含めて応援するのだろう。本来、ファンとはそういうもの。いい時も悪い時も応援する。
そういう気持ちになれない。勝ったときによかったと安心するだけで、負けた後ろ姿に「よくやった」と感謝するようなことはない。
なぜだろう。
一つ、思い当たるのは、部活体験。負ければ、殴られたり蹴られたりした。勝っても内容が悪いと殴られた。
負けることへの恐怖感がスポーツをするときだけでなく、観るときにも影響を及ぼしているのではないだろうか。
これも昨日書いた自己肯定感の低さと同様、歪んだ認知だろうか。
6月10日追記。
月例の診察日にS先生に相談した。先生の返答は明瞭だった。
勝ってることを確認してらか試合を見る人はたくさんいる。病気とは思わないように。
気にしすぎることはない。気にしないことが大事。
さくいん:体罰、S先生
「叙述ミステリの傑作」とどこかで聞いて読んでみることにした。
確かに、結末でだまされた。正確に言えば、何が起きているのか、よくわからなかった。ネットのレビューを読んだり、頭のなかで物語を巻き戻したりしてようやく理解できた。
読み終えて、内容を理解してから、しばらく前に観た映画、『明け方の若者たち』と『花束みたいな恋をした』を思い出した。つまり、読後に思ったことは、若い人は自由奔放ということ。トリックにも、そういう感想を持った。人数合わせで行った飲み会で出会うところは『明け方』と同じ。
登場人物は、それぞれに思い思いの恋愛観を持っていて、それに従い恋愛をこなしている。純朴さもあれば、あざとさもある。トリッキーな小説なので誇張されているところもある。でも、人は皆、とくに若い頃には、その配合加減はそれぞれでであるとしても、純朴さとあざとさとを兼ね備えているように思う。
それぞれのアンバランスな配合がぶつかり合うから、愛情が深まったり、すれ違ったり、傷つけあったりする。それが若い頃の恋愛というものだろう。
前述した映画2作はハッピーエンドではなかった。でも、それぞれにほろ苦い思い出を手に入れた。この物語はどうだろう。登場人物たちはそんな思い出を手にするだろうか。
それとも、あざとさだけに長けた恋愛上手な大人に変わっていくのだろうか。
人間の本性を暴いているような作品で、軽い文体とは裏腹に読後感はなかなか重かった。
先週の木曜日。就職して一人暮らしを始めた娘の様子を見に行った。初めが肝心だから、しばらくはまめに様子を伺うようにしている。LINEだけではわからない表情もある。
入社4ヶ月で友人を亡くした苦い経験があるので、過剰に心配しているところがある。
職場近くのショッピング・センターで落ち合い、台湾料理を食べた。
研究職に思ったより女性が少ない、思ったより博士が多い。指導担当が私の年齢に近く、父親(つまり私)と話しているみたい、などといった話を聞いた。
本格的な業務はまだ始まってはいないものの、一人暮らしと職場には慣れてきた様子で安心した。
いま話題の技術の研究職についたので、今後の仕事ぶりが楽しみ。
話しながら几帳面な息子はより妻に、大雑把な娘はより私に似ているのではないかという話になった。前回、二人で食事したときもそういう話になった。
読んだばかりの『イニシエーション・ラブ』の話をしたら、とっくに読んでいた。こういうところは話がよく合う。『十角館の殺人』も貸したらすぐ読んでくれた。
また近いうちに食事をする約束をして別れた。
来週は妻が様子を見に行く。過保護とは思わない。
さくいん:HOME(家族)
お誘いがあったので、珍しいことにプロ野球を観戦した。前に野球を見たのは何年も前。子どもが小さい頃に横浜スタジアムのデーゲームを観た。今回は、西武ライオンズの本拠地、ベルーナ・ドーム。
東京西郊に住んでいるのに西武球場へ来たことはなかった。3回乗り換えたけれど、時間はたいしてかからなかった。
楽しかった。広々としたスタジアムで呑むビールは格別だったし、プロ・アスリートのキビキビした無駄のない動きにも感心した。ホームランも外野深くへ飛んでいくクリーンヒットも見ることができた。
試合は西武の隅田投手が好投し、長谷川のホームランと源田のタイムリーヒットで2対1でライオンズが勝利した。
野球のルールは知っていても選手はWBC出場選手くらいしかわからない。村上選手に注目したものの快音は聞けなかった。
スポーツ観戦ができないと数日前に書いた。ひいきのチームも特別応援している選手もいなかったので不要な心配はなかった。純粋に野球観戦だけを楽しんだ。
驚いたことが二つ。一つめは、ビールを売る女の子たち。樽を背負い笑顔をふりまきながら階段を上り下りしている。脚と顔の筋肉がまったく別の動きをしているようだった。飛行機に乗らなくなったので久しぶりに過激な感情労働を見た。
もう一つは、後ろの席の子どもが、相手も含めて全選手の応援歌を誦じていたこと。これにはびっくりした。彼の家庭では野球が重要な文化なのだろう。我が家ではNBAやビリー・ジョエルがそうだったように。
帰宅してスポーツニュースで追体験した。爽やかな疲労感があったので、家では呑まずに、そのまま寝た。
さくいん:HOME(家族)、NBA、、労働、ビリー・ジョエル
昨年の『鎌倉殿の13人』が重過ぎたので、その反動で今年大河ドラマは見ていない。この展覧会は気になっていた。調べてみると手帳を見せると無料だったので土曜日の午後に行ってみた。
高校時代、日本史を選択しなかったし、時代小説もほとんど読まないので、家康の生涯について詳しくは知らない。展示の解説を読むと何度も命に関わる危機に直面していたことがよくわかった。
会期末前日だったので会場は混雑していて、大きな屏風絵はゆっくり見られなかった。
国宝の短刀、無銘貞宗は照明の当たりもよく、光り輝いていた。家康が所蔵していたという青磁茶碗もよかった。
ポスターにもある金の甲冑は、将軍になってから威光を高めるために作られたものと思っていた。そうではなく、若いときに身につけ合戦でも使用したと解説にあり、驚いた。
売店のわきに休憩所があり、これまでの企画展の図録が並んでいた。『史料が語る 三井のあゆみ: 越後屋から三井財閥』を手に取った。三井財閥の成り立ちや江戸時代の商人の暮らしぶりがわかり面白かった。
三越前から都営バスに乗ったときに、手帳の割引が無料から半額に改悪されていることに気づいた。在宅勤務のために定期券もなくなったし、ますます外出しなくなりそう。
木曜日の夜、娘と食事した。土曜日の夜は息子とライブハウスに行った。
まずイタリアン居酒屋で、スプマンテを呑みながら、最近の忙しさや仕事の様子を聞いた。2年めになって仕事量は増えたものの、楽しくやっているようで安心した。週末は元気に呑み歩いているらしい。最近、美味しいバーボンを知ったと話してくれた。
ライブハウスに移動して、妻も合流。親子3人で土曜の夜を楽しんだ。
この日演奏された曲でよかったのは、「家に帰ろう」「夏の終わりのハーモニー」「あの日に帰りたい」。"Georgy Porgy"がなつかしかった。1996年頃、よく演奏していた。あの頃はまだ子どもがおらず、月に一回以上、二人で来ていて「土曜日の男」と呼ばれていた。
先月来たときよりも客の入りはよくなっているように見えた。
店の創始者である加瀬邦彦が作曲した「思い出の渚」。この曲は毎回演奏される。
この歌を聴くと上田司さんの「飛んでいきたい」のところで手を翼にする振付や「あの夏の日」の部分を客にも合唱させる呼び声を思い出す。少し悲しく、少し懐かしくなる。
司さんの似顔絵シールをもらい、キープしたウィスキーのボトルに貼り付けた。これで来るたびに司さんに会える。
さくいん:ケネディハウス銀座、竹内まりや、荒井由実、TOTO
6月11日は山内桜良の命日だった。映画『君の膵臓をたべたい』のなかの話。去年は映画を見返した。今年は何もしなかった。
昨夜のこと。妻は一人暮らしを始めた娘の様子を見に職場近くまで出かけて行った。
夕飯は私一人。5時に勤務を終えてミックスナッツと干しぶどうを食べながらまずビール。
冷蔵庫にあった蒸したブロッコリーと鶏の胸肉を食べてから白ワインを開けた。
ふと見返したくなり、『君の膵臓をたべたい』を見はじめた。Amazon Primeで購入したので、いつでも、テレビでもパソコンでも見られる。
ワインのつまみは魚肉ソーセージ。健康的なのかジャンキーなのか、よくわからない夕飯になった。
この作品の浜辺美波はほんとうに初々しい。今回、小栗旬の演技に目を見張った。憂いと屈託のある青年を上手に演じている。
小栗旬は昨年、大河ドラマで主役を演じた。浜辺美波はちょうと今、朝ドラで主人公の妻役を演じている。二人とも順風満帆な俳優人生を歩んでいるように見える。
筋書きをすべて知っていても、後半は息が詰まる。初めて観たとき、激しく動揺したことを思い出した。思えば、『親と死別した子どもたちへ』を読んで、思い切ってカウンセリングを受けるまでに至った私のグリーフケアの大転換は、まさにこの作品に始まった。
大げさでなく、私の人生を変えた作品。『自死遺族であるということ』も、この作品を観ていなかったら制作していなかっただろう。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、浜辺美波、グリーフケア(悲嘆)
自死遺族についての言及があるとある人のツィートで知り、読んでみたくなった。図書館にまだ入っていなかったので、今回は買って読むことにした。
著者二人ともまえがきで認めているように、対談で、なおかつ意図的に脱線するところも多いので、非常にわかりづらかった。話題も身近なことではなく、聞いたことのない人名や専門用語から始まることが多いので、本全体についてはよく理解できなかった。
肝心の自死遺族に言及したところは理解できた。宮地が指導した修士論文で、自死遺族をテーマにした人がいたという。
興味を引いたポイントは、元々の環状島モデルでは、内海にいる被災者やトラウマ患者は声をあげたいと思われていたけど、自死遺族のなかには、あえて内海にいる、声をあげずに暮らしている人もいるという指摘。内海が安全地帯になりうる、という発想に宮地は気づかされたという。
このポイントは、トラウマ、あるいはもっと広く秘密を語るべきか、どうか、という問題と重なる。中井久夫は、「長期的には「語るべきか、語らざるべきか」というのは、なお一義的な答えを出せない問題だと思います。」と述べている。また、「秘密を宝物のように大切にしなさい」という土居健郎の言葉も中井は紹介している。
大切なことは声なき声を聴くことであり、無理やりに声を出させることではないだろう。
さらに読み進めて、ちょっと引っかかるところがあった。
村上 (前略)だって、ずっと自死遺族として生活しているわけではないですよね。それに触れられてしまったら、生活が成り立たなくなってしまうことだってあると思うし
宮地 うん、買い物に行ってね、「あなたは自死遺族ですか? そうではないですか?」なんて聞かれなくていいことだしね。
この会話につまづいた。なぜ気になったのか、何度か読み返して、思い出した。中高校生時代の私は、「ずっと自死遺族として生活」していた。
姉が亡くなったのは小学六年生の冬。そのあとすぐに中学校に入学した。高校は学区内で進学した。だから、学校には私からみて3種類の人がいた。「知っている人」「知らない人」「知っているかどうかわからない人」。
三番目の人が存在するせいで私は常に「自死遺族」であることを意識させられていた。
君だよね、お姉さんが自殺したの?
いつ、誰から、その問いかけを受けるかわからなかった。今から思えばそれは恐怖以外の何ものでもなかった。
だから、親しい人、親しくなりたい人には積極的に打ち明けた。打ち明けておかなければならなかった。そう言う方が正確だろう。知ってるか知らないか、はっきりしない状態で交友することはできなかったから。
そして打ち明けては後悔し、後悔しては浅く付き合い、結果として、友人は数えるほどしかできなかった。
大学に入り、周りは私の過去を知らない人ばかりになっても、恐怖感はすぐに消えることはなかった。だから大学でもカミングアウトを繰り返し、友だち作りに失敗を重ねた。
中高校生時代の暮らしは、いろいろな意味で異常だった。よく生き延びられたと今になって思う。思い出すとゾッとするような出来事ばかりだった。
もう同窓会へ行くこともないだろう。
さくいん:宮地尚子、自死遺族、中井久夫、土居健郎、秘密
口腔洗浄機(トゥースジェット)
テレビショッピングで同様の製品が紹介されていた。興味を持ったので、ふだん使っている通販サイトで似たような製品を探して買ってみた。
私の歯は虫歯になりやすい質で、どんなに丁寧に磨いているつもりでも、頻繁に歯医者の世話になっていた。だから歯のケアには人一倍、注意してきた。
さらに中年になり、歯のあいだに食べかすがはさまることが増えてきた。それが、興味を持った理由。テレビでは、食べかすも落とす。がんこな歯垢も落とす。使うと歯がツルツルになる、と宣伝していた。さすがに宣伝でおおげさに言っているだけだろうと思い、まゆに唾をつけて使ってみた。
確かに食べかすは落ちた。使用後にツルツルした感じもあった。これには驚いた。
歯や歯ぐきが痛くなるというクレームをネット上では見かけたけれど、今のところそれはない。毎晩、爽快感を得ている。
難点をあげるとすれば、音がうるさいということだろう。お隣は私が入浴するあいだ気になっているかもしれない。
テレビショッピングをきっかけに買い物をしたのは、おそらく初めて。たいてい「そんなことはないだろう」と疑いながら見ている。
あの大根役者のようなおおげさな宣伝にも効果があることを知った。新鮮な体験だった。
日曜日の朝、母を連れ出し、八景島にあじさいを見に行った。
思った以上にたくさんのあじさいが咲いていた。ここは、私が小学生だった45年前に埋め立てをしていた場所。手入れをすると花も咲くようになることに驚き。最後の一枚はここでしか見られない「八景ブルー」。桜もいいけど、あじさいの花見もいい。
歩いているあいだにどんどん暑くなってきたので、シーサイドラインで金沢八景まで戻り、いつものワイン・ビストロ、Re:viniでランチ。駅で母と別れた。
吉祥寺まで帰ってきて考えた。映画でも見るか、買い物をするか、カラオケをするか。
結局、3時間ひとりでカラオケをした。最近、お気に入りの「メロウ」(須田景凪)を練習したけれど、なかなかうまく歌えない。
最後は歌えるだけビリー・ジョエルを歌った。"Vienna," "Tell Her About It," "Summer, Highland Falls." "Lullabye: Goodnight, My Angel."
さくいん:横浜、ビリー・ジョエル
スポーツ・ビジネスのサクセス・ストーリー。というよりも、一人の新人選手にすべてを賭けるという戦略はほとんどギャンブル。もし、マイケル・ジョーダンが成功しなかったら、ナイキは傾いていただろう。バスケットボールから撤退していたに違いない。ビジネスを勝ち取ったというより賭けに勝った。それが第一の感想。
成功者の陰には敗北者もいる。コンバースはこの物語のあとでナイキに買収されたという。ビジネスの世界は厳しい。それが第二の感想。
そういう厳しい世界に、私はついていけなかった。成功がまったくなかったわけではないけれど、商機を逸したり、競合他社に負けたり、トラブルの責任を押し付けられたり。観ている途中でそういうことばかりを思い出した。
もっとも、本作を観ながら、暗い気持ちになったばかりではない。
背景に80年代の音楽が流れていてなつかしい気持ちになった。それからアメリカの会社のオフィス風景を見て、自分が働いた会社の米国本社の様子を思い出して、これまたなつかしい気持ちになった。
辛いことばかりではない。本作を観てなつかしいと思えるのは、確かにアメリカで、シリコンバレーでビジネスをしていたから。その経験は宝と思っていいはず。最後には、そう思い返すことができた。
Amazon Primeには吹き替え版しかなかった。言葉による交渉が鍵である本作は映画館で字幕版を観るべきだった。
さくいん:NBA、80年代、シリコンバレー、労働
月曜夕方の図書館で
最近、まったく手書きをしていない。
漢字は書けなくなるし、指先は不器用になりそう。
もっと機械に頼らずに手で書かなければならない。
一昨日のことを書いておく。
夕方、散歩をするために家を出た。いつもなら、公園を目指して歩き出すところ、気分を変えて大きな図書館まで歩いた。約2000歩。
雑誌コーナーで、いつも読む雑誌の最近号を拾い読み。
ENGINE、MEN’S CLUB、東京カレンダー、モノマガジン。
いつもはきれいな写真を見るだけで満足するのに、昨日はどういうわけか虚しい気持ちにおそわれた。
もうクルマに乗ることなんてないのに
新しい服を買ったところで出かけるとこともないのに
こんな高いレストランに行く余裕なんてないのに
夢の世界と現実を比べたのがいけなかった。
月曜夕方の図書館は空いていることがわかった。また来る。今度は現実は一切忘れて本と雑誌がくれる夢の世界を楽しむ。
吉祥寺が舞台の青春アニメと聞いてAmazon Primeで後から追いかけ、最後2話はテレビを録画して見た。
確かに駅や街の風景は写真のように同じだった。高校も井の頭線沿線の都立高校らしい。
高校入学とともに思い切ったセルフ・プロデュースをして新生活を始めるというところは『アオハライド』(咲坂伊織)と同じ。相手役の男の子に影があるところも似ている。
始まりが高校一年の春というのは少女漫画の定石だろうか。確かに高校入学は青春時代において大きな転換点ではある。地域社会から抜け出し、外の世界へ飛び出し、そして新しい出会いがある。
タイプがちがう人たちが、少しずつ近づいて心を開いて仲良くなっていく。そのプロセスが面白い。突拍子もない設定のアニメよりも、こういう等身大の作品を私は好む。
こういう青春モノを好むのは、自分の高校時代がまったくイけてなかったからというコンプレックスのせいだろう。勉強も部活も恋愛も、すべて中途半端だった。
『アオハライド』の洸も、本作の聡介も内面に問題を抱えている。高校時代の私は、問題を抱えた上に、秘密の露見を恐れていて、非常に屈折していた。
美津未が自由に振る舞えるのは、同じ中学の出身者がいないおかげもあるのではないか。同じ中学出身者が多いと思い切ったセルフ・プロデュースはなかなかできない。体験からそう思う。実際、聡介も秘密の露見を恐れている。
「嫉妬」。聡介は美津未に抱いている複雑な感情をそう結論づけた。「うらやましい」ということは、言葉を換えれば、「あなたのようになりたい」ということ。恋愛に至る感情の始点はこれと私は思っている。『ののはな通信』(三浦しをん)を読んだときにそう思った。同じとき、美津未も聡介について「あんな風になりたい」とつぶやいている。二人の感情はまず互いを尊敬するところから始まっている。とても健全に思う。
こういう作品を見て気分が悪くなることはない。むしろいつも楽しい。胸がキュンキュンする作品を見て、何とか自分の十代の記憶を改ざんしようとしているのかもしれない。青春時代の改ざん。極私的歴史修正主義者。
自分史さえ直視できない私に、歴史修正主義者を批判する資格はないような気がする。
振り返ると、一つだけほんとうに充実していたことがある。それは、高校二年生の夏から一年間通っていた英語学校。あれは青春だった。友たちもいた。勉強もした。ほろ苦い恋の思い出もある。充実していた。あのとき、英語ができるようになっていなかったら、後に米系企業で働くこともなかっただろう。
ただ、今もつながっている人は一人もいない。
『スキロー』に話を戻す。この作品は主題歌もいい。須田景凪が歌う「メロウ」。須田の名前はこの曲で知った。歌詞が聡介が美津未を見つめる気持ちにうまく重なっている。聡介と美津未が踊るダンスを織り込んだOPの映像もいい。要するに、この作品に関してはすべてが気に入っている。
最終話は小団円という感じでひとまずまとまった。でも、この先にもっと面白い話が続きそうな予感もあった。
シーズン2が待ち遠しい。でも、きっと主題歌は変わるのだろう。さみしい。
さくいん:咲坂伊織、秘密、三浦しをん、英語
小さいサイズにぎっしりと情報が詰まった図鑑。知らない建築が多く、行ったことのあるところはさらに少なかった。
美術や建築に興味があり、美術館や有名な建物をときどき見に行く。でも、きちんと勉強したことがないので基本的な知識も持っていない。
先日、ノートルダム大聖堂の復興を追うドキュメンタリー番組を見た。そのなかで、聖堂の重い屋根や尖塔を支えるために、フライング・バットという構造を持っていることを知った。それまでは「ゴシック建築は大きい」という印象しかなかった。関心はあるのに鑑賞は印象だけで知識が足りない。
『ブラタモリ』を見ていて感心するのは、タモリが地質に興味があるだけでなく、知識もちゃんと持っていること。体系的に勉強してきたのだろう。
体系的で網羅的な、要するに教科書のような本を読み、メモを取り、覚えなければ、いつまでも印象批評しかできない。
せっかく時間があるのだから、流し読みするだけでなく、「勉強」するようにしたい。
と言いつつ、図鑑はいつも眺めて「面白かった」で終えてしまう。たくさん読んでいけば、そのうち知識は貯まるだろうと期待しながら。
著者も嘆いているように東京への「知」の一極集中はとどまるところを知らない。
首都圏の難関大学の入学者の大半が首都圏の出身者という報道はもう何度も聞いている。しかも私立の中高一貫校や難関公立高校の生徒が多い。
かつては違った。日本各地から「神童」が東京や京都、大阪という大都市に集まっていた。そして、都会で学んだあと、また地方に戻り、その地で活躍した人たちもいた。本書はそうした非・東京の知識人たちを数多く紹介している。
現代と違い、インターネットはもちろん、通信添削もなく本の流通も限られていた時代に「神童」たちはどのようにして勉強したのだろう。恵まれたとは言えない環境のなかで才能を磨いていった彼らはほんとうに「神童」だったのだろう。
森山啓の自伝的小説『谷間の女たち』を読んだとき、そんな感想を持った。それから石垣島で早大総長になった大濱信泉の石碑を見たときも、ここから東京へ出て弁護士になるとはどれだけの才能と努力があったのだろうと感嘆した覚えがある。
かく言う私は首都圏に生まれ育ち、結婚してからは30年、東京西部に暮らしている。地方にも外国でも暮らしたことがない。子ども二人も東京の大学に通った。
地方在住の魅力も困難も私は知らない。「知」の一極集中も報道で知るだけで肌で感じているわけではない。
本書は、地方の「神童」たちに読んでもらいたい。そして、東京をぶち壊すくらいの勢いで上京してきてほしい。
ところで、ミネルヴァ書房が京都の出版社ということも私は知らなかった。
さくいん:森山啓、石垣島
新聞の書評やTwitterで話題になっていたので読みたいと思っていた本。新しい本だけど、思いのほか早く図書館で回ってきた。1000ページを越える分厚くて、重い本。なかなか読み出せずにいた。
読み出せずにいたのは重さのせいだけではない。手に取ってみて考えた。
私は何を求めてこの本を読もうとしているのだろうか
そんなことを考えていると、読むことにためらいを感じはじめた。
他人の信仰告白を盗み見するような行為への抵抗感。自分も信仰を持てるようになる何かきっかけが見つかるのではないかという不純な動機への抵抗感。それでも、読みたいという気持ちも強く、思い切ってページをめくった。
「第十一章 神はなぜ奪うのか 運命」から、いくつかの証言を読んでみた。それ以上は読むことができなかった。
信徒といっても多種多様、十人十色。数人のインタビューを読んだ感想。深くは考えずに、気軽な気持ちで信仰に入っていく人もいて少し驚いた。
私の周囲では、大学や大学院の恩師のように生真面目で信仰に厚い、「いかにも」という感じの信徒が多かった。遠縁にあたるような間柄に神父もいる。だから、私は信仰を重く、深刻に考えすぎているのかもしれない。
もう一つ、考えたこと。結局は人との出会い、ということ、聖書や啓示をきっかけにする人はいるかもしれない。そういう人でも、門を叩いた教会の聖職者とウマが合わなければ、最終的に洗礼を受けることはないだろう。
神との関わりであっても、必ずそこには人との関わりがある。それを強く感じた。
心のよりどころになるようなものを、死ぬまでに見つけたいと思っている。これから先、そういう出会いに恵まれれば、私も信仰を持てるかもしれない。
数多ある宗教のなかでキリスト教が一番身近であることは間違いない。大学時代のゼミの指導教授も大学院の指導教授もクリスチャンだった。そもそも大学院はミッション系でほぼすべての教員が信徒だった。知人に信徒や神父もいる。
とはいえ、まだその「時」は来ておらず「導き」もない。先方に私を拒む事情もまだ残っている。
さくいん:最相葉月
先週の金曜日。新横浜へ行って来た。目的は、昔、2001年から2006年まで一緒に働いていた仲間に会うこと。会うのは再就職以来だから6年ぶり。
新横浜は、私が夢を見て、叶えて、そして敗れた街。前職をうつ病で辞めて8年。ちょっと感傷的な散歩をしたくて少し早く来た。
終わり方は悪かったけど、いいこともあった。いい思い出を探しながら街を歩いてみた。
新横浜で働いていたあの頃、東京で新幹線に乗り換えて通勤していた。それでも90分以上かかった。
そんな厚遇を受けてると、何かあったときに真っ先に切られるぞ!
そう笑う友人がいた。実際、冗談ではなく、その通りになった。
不思議なもので辛かったことはあまり思い出さない。脳が自然に回避しているのだろう。
転職したとき日本支社にはまだ3人しかいなかった。金曜日の夕方、米国本社に送る週報を書き上げてから、川べりの公園で缶ビールを開けた。
あの頃は楽しかった。夢と希望と野心しかなかったから。
もし、病気を隠して何とか働き続けることができていたら、経済的には潤っていただろう。
でも、心身は崩壊していたかもしれない。家族関係、とくに妻との関係は、今とはきっと違っていた。今は薄給だけど、在宅勤務のおかげで時間と気持ちには余裕がある。
どちらが「豊か」なのか、簡単には言えない。はっきりしていることは、その「もし」に意味はないということ。
夜には私を含めて6人が集まった。いまは違う会社の人もいる。出世した人も、事業を起こした人もいる。完全在宅勤務でヒマを持て余しているような状態なのは私たけ。
座ってるだけで給料もらえるなら、そんないいことないじゃないですか
気心を知った仲なので、そんな悪態をつく人もいた。そうだろう。"dog year"と呼ばれるほど速度の早い業界で、ずっと働いている人は偉い。素直に認める。私は逃げた。そして楽をしている。それも認める。
挫折をしても、再起を期して復活を遂げる人もいる。逆境に打ち勝ち、さらに強くなる人もいる。
私は楽な方、楽な方を選んできた。それは、うつ病ばかりが理由ではない。私がそういう性格だから。
狭い門、厳しい道を選ばない。それが私の性格。その結果、いまがある。今の私は、私の選択の結果。山内桜良もそう言っていた。
そして今、私は思っています
明日からも、こうして生きていくだろうと
——今日までそして明日から(吉田拓郎)
さくいん:労働、うつ病
写真でたどる吉祥寺 ~鈴木育男写真展~、武蔵野ふるさと歴史館、東京都武蔵野市
先週の土曜日。陽射しが照りつけるなか、長い散歩をした。一万歩近く歩いて辿り着いた武蔵野市の小さな博物館で吉祥寺の歴史をたどる写真展を見た。
私が吉祥寺に初めて来たのはたぶん80年代後半。ただ、あまり記憶はない。写真を見ると80年代後半でも街は雑然としていて驚く。
現在、ヨドバシカメラになっている建物は、以前は三越と大塚家具で、その前は近鉄百貨店だった。その裏は吉祥寺図書館ができるまでは怪しい歓楽街だった。今でこそ、洗練された「住みたい街」として知られているけど、そうなったのはそれほど昔のことではない。
ふるさと歴史館の前を走る中央線の高架線ができたのもごく最近。高架下にはおしゃれなカフェや雑貨店が並んでいて、これにも驚いた。
もう一つ、驚いたのは、武蔵境駅と東小金井駅に成城石井があったこと。以前は高級スーパーがある雰囲気ではなかった。成城石井といえば、高田馬場の早稲田通りにもできていたことに気づいて、これにも驚いた。日常的に買い物できる階層が暮らしているということなのだろう。
昨日書いたことの続きでいえば、あのまま働いていれば、我が家も、週末には成城石井で買い物するような暮らしをしていたかもしれない。いまは、そういう暮らしぶりではない。ちょっと覗いたかぎりでは、記念日ならともかく、毎週末に買えるようなものはなかった。
中央線西側一帯は私が思っている以上にハイソ化が進んでいるのかもしれない。
鈴木育男は吉祥寺にある写真館、らかんスタジオの創業者。
さくいん:東京
この2週間、とりつかれたように繰り返して聴いている(aka ヘビロテ状態)。
歌詞がいい。どちらが先かわからないけれど、主題歌になっているアニメ『スキップとローファー』のストーリーとうまく重なっている。美津未の明るい振る舞いに救われる聡介。
歌い方もいい。ファルセットを上手に使っている。ファルセットにならない高音域で、ハスキーな声になるところも私は気に入っている。「目を逸らしてしまう」の「しまう」とか。
歌詞で気になるところがある。
いまでは なつかしい 幼い傷あと
ここも、聡介の傷ついた心が美津未との出会いで癒えていくことを暗示しているように聴こえる。ただ、私の実感とは違う。私の心の傷はなつかしいものでなく、もっと生々しい。
癒えることない痛みなら
いっそ引き連れて
こう歌う、Mr.Childrenの"Tomorrow never knows"(桜井和寿作詞)の方が私の実感に近い。私の傷は、かさぶたになりそうになるとかきむしるので、いつも血がにじんでいる。
さくいん:Mr.Children
先週の土曜日のこと。武蔵野ふるさと歴史館からさらに4,000歩歩いて手作りドイツ・ソーセージの店に着いた。ここが目的地。途中、バーガーキングでのランチをはさんで2時間近く歩いた。
この店は以前はもっと北、小金井北高校の前にあった。20年ほど前、小金井公園のそばに住んでいた頃、よく買っていた。その店は奥の工房がガラス越しに見えていて、柔和な笑顔のご主人が店頭に立っていた。もっと狭い間口で街の肉屋さんという雰囲気だった。
そうえいば、妻とはドイツ語のクラスで出会ったということを思い出した。
妻はウィーンで高校時代の初めを過ごし、私も一時期は熱心で、大学のドイツ語会話に出席したり、ゲーテ・インスティテュートに通っていたこともあった。
今ではすっかり忘れて、まだフランス語の方がわかる。
ネットで確認してから、"Heute werde ich deuches Wurst essen."とツィートした。
『自死遺族であるということ』をAmazon Kindleで発売して2ヶ月。販売総数はちょうど10冊。2件の5つ星がついている。レビューはまだない。
読み放題プランのKindle Unlimitedで読んでいる人も数名いる。昨日、4月販売の手数料を抜いた売上、142円が入金されていた。
缶ビール1本にもならない金額だけど、とてもうれしい。これで私も売文家を自称できる。
無料のPDF版のクリック数は70回程度。単にクリックされた回数でしかないので、実際に読まれているかどうかはわからない。開いてすぐに閉じる人もいるだろう。
ど素人の初出版にしても、これは何でも少ないのではないか。もう少し読まれると期待していた。
万人に受けるテーマでないことはわかっている。それでも、関心のある人は少なくないとも思っている。
もっと多くの人が、この本の価値をわかってくれる日が来ると信じている。
いまは、信じて待つしかない。
さくいん:自死遺族