7/27/2014/SUN
呉海事歴史博物館、呉、広島
戦艦「大和」の博物館―大和ミュージアム誕生の全記録、小笠原臣也、芙蓉書房出版、2007
海上自衛隊呉史料館 / てつのくじら館
先週末、広島出張のあと自腹で宿泊し、土曜日に呉へ出かけた。目的は、全長26m、1/10の戦艦大和を展示する「呉海事歴史博物館」、通称「大和ミュージアム」を見ること。
本書は展示を見た後、4階にある図書室で読了。
戦艦大和という多面的なアイコンを中心にして、呉という街の近代史をたどる博物館。余計な先入観は持たずに見たい。
『全記録』を読むと、この博物館がどのような経緯で、またどのような思いでつくられ、どのような反響を得てきたがわかる。
軍艦写真の福井静夫コレクションも、かつて京都の嵐山美術館で見た戦闘機や特殊潜航艇や爆弾も、呉に集まっていたとは知らなかった。これも「ヤマト」の求心力だろうか。
大和ミュージアムの隣りには大きな潜水艦が居座り、自衛隊の資料館「てつのくじら館」となっている。機雷掃海が1991年の湾岸戦争以後、自衛隊の重要な任務になっていることを初めて知った。
潜水艦のなかはとにかく狭い。寝床はまさに蚕棚。食事がきちんと料理されたもので携行食のようなものでないことに少し驚いた。
「機雷掃討」も、憲法第九条を逸脱した武力行使とみる意見も多い。紛争後の処理という意味では自衛隊の任務としてもよいのではないか。ただし、紛争中の掃討は戦闘に巻き込まれる可能性が高いので、憲法第9条を逸脱すると考える。
2015年9月10日追記。
国際政治学者の伊勢崎賢治は、紛争終結後でも「機雷掃海」発言は(機雷を置いた国から見ると)「戦争をする」という意思表明」という。伊勢崎賢治は、『「日米安保」とは何か』(藤原書店、2000)所収の座談会「安保をめぐる「政治」と「外交」の不在」でも同様の発言をしている。もともとは、この本で彼の説を知った。
ということは、私は自衛隊のプロパガンダにまんまと取り込まれていたということか。
刻々と動いていく政治について、中途半端な知識と一時の感情で発言するのは危ない。バランスよく情報を収集するのも難しい。
帰り道、前夜、広島の居酒屋で教えてもらった呉の名物、というより日常食の「がんす」を駅前のスーパーで買った。丸いかまぼこに衣をつけて揚げてある。思ったとおり、広島駅の新幹線構内では売っていなかった。
8/3/2014/SUN
教誨師、堀川惠子、講談社、2014
前著、『永山則夫 封印された鑑定記録』を読んでいたので、同様の主題を追いかけた新刊を読みはじめた。
罪を憎んで人を憎まず
本書を読んでこの言葉を思い出した。
最近は、被害者の権利や経済的精神的な救済=死刑という考えが広がっていて上のような考え方は廃れているようにみえる。
死刑囚は極悪人だから、矯正も改悛も無意味。早く死んでしまえばいいのに、と思われていないか。
裁判員裁判では判例より重い量刑が選ばれることが少なくない。一般人は法の精神よりも、被害者の直感的で感情的な報復願望に寄り添いがち。
加害者は憎い。許せない。だからといって、国に、実際はその業務を担当している公務員に殺してもらって、復讐は果たせたと思えるのだろうか。
そして、大切な人を失くした悲しみは癒されるのだろうか。
さくいん:悲しみ、悲嘆
8/24/2014/SUN
北加伊道: 松浦武四郎のエゾ地探検、関屋敏隆、ポプラ社、2014
幕末期、エゾから今で言う北方領土までを探検した松浦武四郎の伝記絵本。「ほっかいどう」の命名者でもある。
幕末の時代に異郷を探検するということは、現代の感覚で例えることができるだろうか。旅の距離と技術的な難しさから言えば、月面着陸はどんな探検よりも難しい。でも、月に人はいなかったから、異民族との交流も摩擦もなかった。
恐怖や誤解から、頼みが伝わらない、襲われるといった困難は「国際交流」というものがなかった時代に特有のものだったろう。
身なりも違えば、暮らしぶりも違う。そのうえ、言葉の通じない人々からどのようにして信頼を得て、旅の助けとしたのか。もっと詳しく知りたい。
隠居したあと、全国からすこしずつ材料を集めて書院「一畳敷」を建てた。「一畳敷」は今、東京、武蔵野にある大学の緑地に保存されている。
「一畳敷」と松浦武四郎の生涯は、『幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷』(高木崇世芝ほか編著、INAXo、2010)に詳しい。
さくいん:関屋敏隆
8/31/2014/SUN
月刊 自家用車 2014年1月号、別冊付録:メーカー別にたどる昭和〜平成の名車たち内外出版社、2013
両親が昭和ヒトケタの私の家には、1980年代の後半になるまで、エアコンもクルマもなかった。幼稚園から小学校の終わりまで、クルマは「将来、手に入れたい」憧れだった。小遣いから自動車専門誌を毎月購読して、投稿もしていた。東京モーターショーにも出かけた。
「別冊付録 メーカー別にたどる昭和〜平成の名車たち」で懐かしいクルマに再会した。
幼稚園児のころ、アパートの駐車場にとめてあったトヨペット・コロナ。仲の良かった、裕福な友だちの家にあった、いすゞ117クーペ。屋根付きの駐車場が2台分あり、117はお父さんのクルマで、お母さんはビートルに乗っていた。
彼の家がどれくらい裕福だったかというと、彼は、私が一つも持っていない、ジャンボマシンダーを2体、持っていた。
小学校への通学路、毎朝見たヨタハチ、カタログをもらうために発表会に忍び込んだ初代ソアラ。初めてドライブした5代目ファミリア。
9/7/2014/SUN
現代思想 2013年5月号 特集=自殺論、青土社、2013
特集記事に小泉義之「モラリズムの蔓延」を見つけた。
小泉義之には、いい意味で天邪鬼なところがある。この文章でも、自死を防止する政策は間違いではないが、そのような「正しい」運動が「死にたい」と思う苦しみを抱いている人をさらに追い込むことにならないか、と疑問を投げかけている。
さまざまな自死防止の施作が奏功すれば、皮肉にも自死遺族は今よりもさらに少数派となる。
優れた医師は「死にたい」と訴える患者に対して「ダメだ」と頭ごなしに言うのではなく、「苦しいですね」と共感したり、「重大な決心に急ぐことはないですよ」となだめたりする。
私も、「死ぬのはいつでもできるじゃないですか」と言われて、なぜか気持ちが軽くなったことがある。
自死の防止運動には、そんな、大らかな心持ちで広がってほしい。
さくいん:自死・自死遺族
9/21/2014/SUN
自殺予防いのちの電話―理論と実際、日本いのちの電話連盟、ほんの森出版、2009
「いのちの電話」の存在は何となく知っていた。知っていたことは「名所」と呼ばれる場所に置かれ、自死を防ぐ最後の砦になっている、ということだけ。
その活動が民間団体によって完全に無償で行われていることは知らなかった。聴き役となるボランティアは、長く厳しい研修を受け、活動を開始したあとにも定期的に任務に必要な研修を受けなければならないという。
にもかかわらず、日本における自死は長いあいだ年間3万人を超えていた。「いのちの電話」の活動がなかったら、その数はもっと多かったに違いない。
さくいん:自死・自死遺族
9/28/2014/SUN
心に傷をうけた人の心のケア―PTSDを起こさないために(Understanding your Reaction to Trauma, 1996)、Claudia Herbert、勝田吉彰訳、保健同人社、1999
「隠さず、しゃべりまくろう!」(P49)、「もし、頼りになるパートナーや友達がいて、耳を傾けてくれるならば、彼らにあなたの体験を語ってみましょう」(P51)とある。
それは回復にとって有益なことなのだろう。すでに少なからぬ人に話した。
耳を傾けてくれた人は去っていった。そうでなければ、もうその話はしないでほしいと言われもした。
はっきりと言われはしないとしても、こんな話は聞くのも嫌だろうと思うと、とても「しゃべりまく」るようなことはできない。
悲しい。
ときおり、“TSUNAMI”(©桑田佳祐)のように襲ってくるこの気持ちを、誰がわかってくれるのか、どんな風に話せば伝えられるのか、わからない。
「大丈夫、偏見はないから」と言われたこともある。何の害もなさそうなこの返答に、私は二重の意味で悲しくなった。
一つ。「偏見がない」ということは、告白した内容が世間では偏見の目で見られていることを積極的に認めている。
二つ。世間にある偏見がない、ということは、マイナスはなく、ゼロと言っているだけで、そこから踏み込んで理解しようというプラスの姿勢はない。
だから、そこには、共感も共苦も、憐憫さえもない。
「話したいときに話してね」「聞くことしかできないかもしれないけど、話したいことを話していいよ」。そんな風に返してもらえたら、うれしいのに。
10/26/2014/SUN
江ノ電写真集―湘南の風吹く街を走り抜けた車輌たち、吉川文夫、生活情報センター、2006
江ノ電沿線でも、最も景色のよい場所は鎌倉高校前駅と本書に書かれている。実際、同駅付近で撮られた写真が多く掲載されている。
私にとっても、鎌倉高校前駅はお気に入りで、思い出深い場所。『庭』をはじめてからこれまでに、何度も出かけ、写真に撮り、文章に添えている。
さくいん:江ノ電
11/9/2014/SUN
病院坂の首縊りの家、横溝正史原作、市川崑監督、石坂浩二主演、加藤武・小林昭二・草笛光子・三木のり平・大滝秀治・桜田淳子共演、東宝、1979
先週末、ネットレンタルで映画『病院坂の首縊りの家』を見た。最近、市川崑監督で石坂浩二が探偵役を演じる「金田一耕助シリーズ」を夜更けに続けて見ている。何度も見たことのある『犬神家の一族』と『悪魔の手毬唄』も見た。
これらの作品も、見たのはすべてテレビだったけれど、70年代後半の記憶の隅で楔のように刺さっている。
横溝作品の映画は、たいてい、一番ギャラの高い女優が犯人なので、出演者の名前が流れていくオープニングですぐにわかる。その点では、犯行場面からはじまるわけではないにしても、『刑事コロンボ』と同じ倒叙ミステリといえる。
金田一シリーズでは大物女優とともに若いヒロインも抜擢される。坂口良子、大原麗子、仁科明子、中井貴恵など。
どのヒロインもおぞましい殺人劇に一輪の花を咲かせる若々しさがある。なかでも、本作品での桜田淳子は硝子のように繊細な心をもつ女性を好演している。あの眼差しには見覚えがある。
本作では、桜田淳子が披露する“It's Only a Paper Moon”もいい。
映画の金田一シリーズはいつも同じ結末。今回も真犯人は自らに裁きを下す。その前に犯人は金田一耕助に事件の核心となる写真を見たかと訊ねる。金田一は「はい」と答える。
その写真がどういうものか、金田一は十分予想できていた。だから見る必要はなかった。見ていたとしても、犯人に「見る必要はなかった」と言っていれば、結末は違うものになったのではないか?
作品の演出としては、シリーズの他作品と同じ結末になることは自然かもしれない。もし現実の事件だったとしたら、探偵の深追いが必要以上に真犯人を追い詰めているようにみえる。
さくいん:『刑事コロンボ』
11/16/2014/SUN
高校野球でよく知られた高校の監督が試合中にベンチで部員に平手打ちをしたという。
報道によれば、学校の反応は「高野連から指導があった場合は真摯に受け止めたい」。
ということは、当局から指導がなければ学校も問題視しないし、自らも進退を問題にせず無罪放免ということか。体罰、いや「学校での指導者による暴力」に対して自浄能力ゼロ、というほかない。
さくいん:体罰
11/23/2014/SUN
青磁のいま、国立近代美術館工芸館
国立近代美術館工芸館で「青磁のいま」展を見た。宋時代の伝来宝物から現代作家の作品まで1000年のタイムトラベル。
11/28/2014/SAT
11/30/2014/SUN
Seiko・Avenue、松田聖子、ソニーミュージックエンタテインメント、1984
すべて持っているつもりだった80年代の松田聖子の作品。「夏服のイブ」を持っていないことに最近気づいた。
この曲は好きだった。主題歌になった映画の記憶はまったくない。それなのにメロディーだけが耳に残っていた。
作曲は日野皓正。日野自身がフリューゲルホルンを吹いていて、作詞は定番の松本隆でも雰囲気はほかの曲とはだいぶ違う異色の一曲。
当時聴いていたラジオ番組のテーマ曲「HAPPY SUNDAY」が収録されていることもうれしい。ふと、何かを思い出しそうになった。
そこから先は「いつもおなじ話」。
さくいん:松田聖子
12/7/2014/SUN
幕末・明治古写真帖 愛蔵版、新人物往来社編、2003
11月後半の連休、珍しく夜更かしして高倉健主演の映画、『野性の証明』と『八甲田山』を見返した。高倉健のほかに、二つの作品に出演している俳優は、三國連太郎と大滝秀治。『八甲田山』では、全編シリアスなドラマのなか、一瞬コントかと思わせる大滝の表情が記憶に残る。
偶々、図書館で借りていた明治時代の古写真集に八甲田山遭難事件に関連する写真があった。出発前の集合写真。山口少佐に神成大尉、そして福島大尉。実在した人物たちの写真を見ていると、フィクションでなく、実際にあった出来事であることが生々しく伝わってくる。
12/14/2014/SUN
朝は、満員電車に揺られながら音楽をランダムに聴いている。谷山浩子の「船」と「May」が続いたら、なぜか涙があふれてきた。
妙に感傷的になっているのは、あともう数えるほどになったからだろう。この時間に、この電車に乗るのも。
最初の電車は7両目の後部、進行方向に対して左側の扉近くに陣取る。ここにいれば、途中の駅は右側の扉が開くことが多いから、停車のたびに乗り降りすることがない。
次の電車では、6両目の後部、扉の近くに立つ。座るとうっかり寝過ごし遥か遠くまで連れて行かれるので往きには座らない。
5年かけて、ようやく身に付いた知恵も、もう必要ない。
2010年から今年の6月までに書いていた文章を読み返している。誤字脱字やリンクの間違いが多くて呆れる。時間ができたら、まずは庭掃除を始める。
今は、ただ眠りたい。七日間くらい、ずっと眠っていたい。
あと4回早起きをすれば、晴れて完全無職。そんなこともできるだろう。しばらくは「休むことが仕事」になる。
12/15/2014/MON
カストリの時代、林忠彦、ピエブックス、2007
敗戦直後、進駐軍が駐留をはじめてから本格的な復興がはじまるまでの混沌とした時間の東京の街。
子ども、娼婦、兵士、文士。よく知られた太宰治の写真もある。文士の集まる酒場、ルパンでトイレから出てきたところで撮ったという。
戦後の、まだ復興も始まっていない時代。聞いたことのない逸話が多い。
銀座の和光がPXだったことは知っていたけど、銀座界隈にMP向けの慰安所があったとは知らなかった。屈強なMPに襲われそうになった話が怖い。
さくいん:東京
12/21/2014/SUN
知られざる軍都多摩・武蔵野を歩く、洋泉社編集部、洋泉社、2010
大人になってから東京西部へ移り住んだ人には多摩・武蔵野が軍事施設や兵器工場が数多くあった一大軍都であったことを知らない人が少なくない。私もそうだった。
本書は、現代と過去の写真や地図を並べ、かつて三多摩に存在した多くの軍事施設とその遺構を紹介する。
昭和記念公園や小金井公園、野川公園や武蔵野公園、武蔵野中央公園のような広大な場所が、戦前戦中は軍事施設があり、戦後は接収されて米軍施設となり、周囲が宅地開発されたあとで返還されたため宅地とならずにすんだ。
東京西部に意外なほど緑豊かな場所が多いのは軍事施設と接収があったから。
地域の歴史として、皮肉な経緯と思わずにはいられない。
12/28/2014/SUN
米軍が記録したガダルカナルの戦い、平塚柾緒、草思社、1995
戦争責任には、まず対外的なもの、すなわち侵略戦争の責任がある。それとは別に国内に対するものがある、とつねづね思っている。祖国を守る責任があると本気で信じて出征した人も少なくはなかっただろう。そうした人のなかには守るどころか、敵と相見えることもなく、病気や栄養不足で亡くなった人もいる。
彼らを「祖国を守ろうとした英霊」と呼ぶのは欺瞞ではないか。彼らは、軍や政府の無策のせいで命を落とした、単なる「無駄死に」ではないのか。
誰が彼らを「戦死ですらない死」においやったのか。靖国問題のなかでも、その議論はほとんど聞かない。
戦争が「政治の延長」であるとするならば、第一の目標はもちろん勝利することだろう。それができなければ、できるだけ有利な条件で和平をすることが次の目標でなければならない。
徒らに国民を犠牲にするのでは、戦争の是非を問う倫理上の問題以前に政策として失敗と言わざるを得ない。
国内に対する戦争責任から延長する少し違う話題。日本国憲法第9条が意味するものは、私なりの極論では「本土決戦」「一億玉砕」と目指している思想では同じものと思っている。
9条の含意を「外国で武力行使しない」と国外の出来事としか考えていない人が少なくない。しかし、国際紛争は、いきなり日本国内で起きる可能性もある。
国際紛争を解決する手段として戦争を否定するなら、他国を攻めることはしないことはもちろん、もしも、どこかの国が攻め込んできたとしても、武力による解決を自ら禁じている以上、国民一人一人が徒手空拳で戦わなければならない。微力な抵抗の結果として占領され、植民地化されるかもしれない。そういう状態にさえ耐える、という極端な姿勢を九条は求めているのではないか。
第二次大戦中、ドイツに支配されたフランスでのレジスタンスのようなものになるのか、それは、わからない。国民一人一人が「日本国」を再建したいという熱意があれば、18世紀後半に一度は消滅したポーランド(1772, 1793, 1795:ななつ、なくさん、なくごとく)のように、独立を回復することもできるかもしれない。
「日本国」を再建したい、そのためには生命を賭す覚悟もある、という人々がいなければ「日本国」という国はなくなるだろう。「国敗れ山河あり」。そこに人がいなければ、すでに「国」ではない。
もちろん、それを勝ち取るまでには、常備軍で戦う以上に、多くの犠牲と長い忍従とが必要になる。
極論かもしれない。現実にはすでに自衛隊が専守防衛の手段として用意されているのだから。それでも、私は9条をそのように理解している。
2015年6月8日追記。
もし、憲法に書かれているように、国際紛争の解決を絶対に武力に求めないとするなら、上記のように侵略されても国民一人一人が戦わなければならない。
それが嫌なら、専守防衛の軍隊を憲法に明記し、その責任範囲を明確にすべきだろう。
9条擁護の人たちのなかで最も極端なのは、「海外の戦争に若者を送らない」という主張だろう。
これは、あまりいいメッセージになっていないと思う。
第二次大戦後、さらに冷戦集結後、国際関係は複雑で密度の高いものになっている。日本の国際的地位も向上した。そういう状況で「日本は人を出しません」と言えば、アメリカからは言うだろう。
うちの国はたくさんの若者を紛争地域に送り、たくさんの若者が亡くなっている。日本が人を出さないなら、金を出せ、土地をだせ。
これでは沖縄の基地問題の解決も遠ざかる。
集団的自衛権に賛成するものではない。しかし、日本は世界で起きている武力紛争に対して、どこまで介入し、どこからは踏み込まないのか、あるいは、上に書いたように、武力行使を一切しないのか、法律ではっきりさせておいたほうがいいと思う。
ーー以上の追記は、橘玲氏の6月1日付ブログ「リベラルこそが憲法9条改正を主張すべきだ」を参考にした。
12/31/2014/WED
この14年間を振り返って
『庭』を書き始めるきっかけとなった転職から14年が過ぎた。14年の間に、それまでの生活では経験したことのないような出来事が立て続けにあった。
転職、減給に続くボーナスカット、倒産と転職、わずか2年で整理解雇、また転職、零細企業で天手古舞の毎日、疲労と緊張とパニック、業務で重ねた失敗、それらを引き鉄にした退職勧告と自己都合での退職……。
職業に関わることだけでも数多くある。加えて親戚や親しい人の訃報、それも信じられないような突然の報せ。
これだけの、精神科で言うところの「ストレッサー」が起きれば、心身ともに疲弊してしまうのも無理ないか、と自分を慰めてみる。
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