間違いだらけのクルマ選び 03年夏版、徳大寺有恒、草思社、2003車が写真ではなく、挿絵で紹介されていた初めの版を読んだのは、もう二十年以上前のことだろうか。当時家庭には車がなかった私は、強烈に車に憧れた。毎月自動車雑誌を買い、頭のなかに自分の名前を冠した自動車会社を創立し、いくつもクルマを設計した。車に乗れる職業に憧れ、運転手を夢見た。それは実現されていないけれども、今は毎日、車を運転している。 夢想の推進力だったクルマは、今では無味乾燥の道具にすぎない。今運転している車も、ほとんど実用性と予算から消去法で選んでしまったようなもの。徳大寺は、そんなクルマ選びを批判する。「自分の生活と人生が変わらないようなクルマに乗ってもつまらない」というきつい言葉も、どこかで読んだことがある。 徳大寺にとって、クルマはただの道具ではない。一言で言えば、文化、夢。そうした彼の基本的な考えが、巻頭のコラム集で端的に表明されている。読みながら、徳大寺は自動車評論家を超えて、クルマ批評家になったと思う。「車選びは自己を知ることから」「車がつまらなくなったのは、歴史を忘れたから」「夢のある車を」などの言葉は、工業製品の枠を飛び越えている。 徳大寺は辛口という言葉がまだなかった頃から、大メーカーに対しても歯に衣着せぬ批判をぶつけていた。日本車が生産台数でこそ世界規模になっても、性能、デザイン、使い勝手ではヨーロッパ車、とりわけドイツ車に追いついていないことを彼はこと細かく論じた。 その後、十数年のあいだに彼の物言いはだいぶ柔らかくなった。理由は、日本車がよくなったから。いわゆる60点主義から平均点は80点以上へ上昇し、性能や使い勝手でも外国車をしのぐようになった。それが再び、彼の筆致は厳しいものに変わっている。それは、クルマに夢が失われているから。 それは日本企業に限ったことではない。交通事故と大気汚染。これらの被害がつきまとう限り、クルマは強烈な悪の一面をぬぐいきることができない。そして他のすべての産業や文化と同じことが自動車業界に起きている。大企業による寡占、画一的な製品、そしてマーケティング、広告によるイメージの先行と低価格化によって劣化する現物の質感。その深い溝にクルマだけでなく、あらゆる製品が本来もっていた「夢」、すなわち豊かな生活への憧れは霧消している。 思えば、座席がせまい、後方視野がわるいなど、きわめて具体的な批判を展開した初期の文章でさえ、彼は車について論評しているのではなかった。彼はいつも、自動車ではなく、クルマのある生活、クルマに乗る人について書いている。クルマという語にはそうした人との関わりが込められているに違いない。 自己や歴史、夢といった言葉まで持ち出すようになったのは、クルマ、すなわち人と機械の関わり方に対する彼の強い危機感の表われのように思われる。自分の生活を省みても、それは杞憂ではない。 私が運転しているのはクルマではない。ただの自動車。 |
碧岡烏兎 |