5時まで男
今日から勤務時間を30分繰り上げ8時半から17時にしてもらった。
8時半出社は入社以来続けていて問題ない。5時半起床は2009年以前からの習慣。
朝は早いほど電車は空いているので、早起きする動機付けになる。
夜は22時に寝るので帰宅後の時間が長い方がありがたい。
2月でも、ビルを出ると5時はまだ明るい。週末なら美術館へ行ったり、夏には寄り道したりできるかもしれない。
今日、上長は明らかに失望していた。先週5日間やらせた作業はまったくダメだったのだから。
雇った者が役立たずと早くも判断したかもしれない。
気を揉むのはやめよう、と言いつつ、昨日も呑んで、今夜も呑んでいる。
今度の金曜日からは特別な週末。穏やかな気持ちで迎えたい。
能力については考えないようにしよう。
こんなことをTwitterでつぶやいてるのだから、どうかしている。
皆、アメリカ政治の行方に注目しているというのに。政治学を専攻したはずが、自分のことで手一杯とは情けない。
写真は運河沿いの街灯。朝早く、まだ灯っていた。
漱石とユーミン
夏目漱石『行人』(1912)に、松任谷由実「魔法のくすり」(『流線型'80』、1978)の歌詞と似たことが書いてあった。
夏目漱石『行人』。
男は情慾を満足させるまでは、女よりも烈しい愛を相手に捧げるが、一旦事が成就するとその愛が段々下り坂になるに反して女の方は関係が付くとそれからその男を益慕うようになる。
松任谷由実「魔法のくすり」(『流線型'80』)。
男はいつも最初の恋人になりたがり/女は誰も最後の愛人でいたいの
70年近く離れた二人が似たようなことを言っている。ということは、この説は真実に近いということだろうか。
さくいん:夏目漱石、松任谷由実
写真は、東京の運河。
Twitterで盛り上がっている。ちょうど『行人』を読見はじめたところで、夏目漱石がちょっとしたマイブームになっていたので購入した。
近代社会での人間関係を題材にした作品が多い夏目漱石からはちょっと連想することのできない幻想的で、しかも薄暗く、怪談のように怖い話もある。読みながら、芥川龍之介『魔術』を思い出した。
『行人』に描かれている、うつのような心理状態に漱石自身も苦しんだことがあったとしたら、このような夢を見ても不思議はない。毎晩、こんな夢を見ていたらさぞかし辛いだろう。
「第十夜」に豚の群れが走る場面がある。この場面を聖書(マタイ8:28-34)と関連づける人もいるらしい。漱石とキリスト教は、私のなかでは繋がりは感じられない。
夢だからなのか、落ちていく場面が多い。
疾走する豚の群れなど見たこともないので、聖書で読んだときにも陳腐な想像しかできなかった。
追われ、叩かれ、追い詰められる場面は漫画ならではの迫力ある表現。
優れた画家が描くと作品の説明ではなく、作品の世界を広げてくれる。
本書を82歳の文学少女に贈った。
彼女は私にとって文学の先生。中学二年生の冬から高校生になるまで、「次は何がいい?」と尋ねては、彼女に薦められるがままに読んだ。
『破戒』も『草の花』も、『若い詩人の肖像』も『橋のない川』も、『風立ちぬ』も『狭き門』も、『友情』も『一房の葡萄』も、『小僧の神様」も『さぶ』も。
さくいん:夏目漱石
昨年、映画を見た『この世界の片隅に』。原作を読みなおした。
物語は読み終えた。でも、私の気持ちは下巻55ページから先に進まない。
歪んどる(いがんどる)
この言葉に共感せずにいられない。
運がよかったと思うことがある。
でも、いくつ「よかった」ことがあっても、それで何になるだろう。
世界はとっくの昔に終わっている。すずの右手がなくなったときがそうだったように。
終わる世界もあれば始まる世界もある。それはわかっている。
わかってはいても、いつも「終わった世界」のことばかり考えている。
生まれてきたことに意味はあるのかもしれない。
でも、そこに一度ゼロを掛けたら、あとは何を積み重ねてもゼロのままではないか。
「よかったじゃないか」という呼びかけに悪意がないことはわかってる。でも、それが「忘れろ」という脅しに聞こえることもないわけではない。
正直、描き終えられるとは思いませんでした。
著者はあとがきでそう書いている。
私は勝手に、55ページから後は、物語を終わらせるための後奏と思っている。すずの見た夢かもしれない。
55ページの次の見開き。『夕凪の街』の最後にある白紙のページを思い出す。すずの心に湧いたものに導かれて、白紙の心にさまざまな思いが湧いてくる。
この週末は寒梅忌だった。「終わった世界」についてずっと考えていたのは、そのせいかもしれない。いや、この週末だけではない。いつもいつも、「終わった世界」のことを忘れたことはない。
それでも、終わった世界について考えているうちはまだいい。よくないのは自分のいる「この世界」が終わることを夢想すること。
鎌倉でたくさん梅を見たけれど、実家の庭で咲いていた梅が一番愛らしい。iPhone 7 Plusのポートレート・モードで撮影。新しいiPhoneは就職祝いに購入した。
さくいん:こうの史代、寒梅忌、鎌倉
マティスとルオー - 手紙が明かす二人の秘密、汐留ミュージアム
ルオーが好きなので、ルオー作品を多く所蔵しているこの美術館には何度も来ている。ルオー以外の展覧会にも来ている。これまで、ルオーの初期作品を見た記憶がない。見てみると、やはり、恩師のギュスターヴ・モローの影響が見られる。厚く一息に塗ってキリストを描く後年の作風はまだその萌芽もない。それでも、基本的な素描の力が高いことがよくわかる。
新収蔵品「手品師」は、独自のスタイルを確立する直前の雰囲気が見て取れる。
『行人』を読んだときにも思ったこと。昔の人は人付き合いが深い。何日も一緒に旅をしたり、長い手紙を交わしたり。
いま、そういう間柄の知己は私にはいない。
親しい人がいないわけではない。誰も彼も忙しそうでメールのやりとりすら数ヶ月に一度。
同じ世界で異なる表現で高みを目指す友情がうらやましい。
何より二人の作品を一つの展覧会で見られることがうれしい。
一粒で二度美味しい展覧会だった。
さくいん:ジョルジュ・ルオー
文庫本の背表紙
夏目漱石『行人』は確か実家にもあったはず。週末、行ったときに探してみると、他の作品の文庫本もあった。背表紙に書名が書いてある。
1978年から1980年頃に書かれたもの。
むかしは、横浜駅にある有隣堂や榮松堂で買った本に、書店でもらったブックカバーを裏返し背表紙に書名や著者の名前を書いていた。
レコードやFM放送を録音したカセットテープのレーベルに、小さな文字で曲目を写したことに似ている。
どちらも最近はしなくなった。
2017年2月11日、『明暗』の背表紙を追加。残念ながら『夢十夜』は見つからない。
漱石における「狂」の問題、唐木順三、文芸読本 夏目漱石、河出書房新社、1975
先週末、実家で、漱石を特集している古い文芸雑誌を見つけた。
唐木順三が漱石の苦悩について書いている。
漱石は妥協を許し得なかった。孤高の我の自己本位を孤絶の境で守ろうとして苦しんだ。そしてその果に、信仰か狂か自殺か、そのひとつを選ぶよりほかないというところまで追いつめられた。
これは『行人』の一郎そのもの。
死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない(塵労、39)
『行人』はどちらを選ぶか、わからないまま終わる。それより前に書かれた『こころ』では自死を選ぶことを示唆する手紙で終わる。
漱石自身は「孤高の我の自己本位」を見い出した。
『行人』の終わり方は、非常に余韻が長い。
さくいん:夏目漱石
働き方改革は官僚から
働き方改革が最も必要なのは官僚ではないか。
薄給で国会対応の激務に耐え、次官まで登りつめても世界的企業の役員とは比較にならない低報酬。
天下りで2回くらい退職金もらわなきゃやってらんねぇよ
それが本音ではないか。
その改革をしないと天下りもなくならないし、優秀な人は民間に流れていくだろう。
秘密の露見
集団のなかで自分にとって重要な、言葉を換えれば実存的な秘密を知っている人と知らない人がいて、その識別が自分ではできない、という状況。
こういう状況は甚だ居心地が悪い。中学と高校がそうだった。
大学は、自分に対して誰も先入観を持たない初めての世界だった。Coming-outは自分次第だった。
いま、障害者枠で入社したことを誰が知っているのか、わからない。
直属の上司から上席の人たちは知っている。それはわかっている。そこから、どこまで拡散しているのかがわからない。
「ここだけの話」が、いつの間にか誰もが知る公然の秘密になることは、会社ではよくある。
非常に居心地の悪い状況に置かれている。不安が増幅されないでほしい。
そのせいか、たいした仕事はしていないのに疲れている。
昨日はいつもより少し多く歩いただけで疲れてしまい、9時半に寝た。
昔、テレビドラマ『池中玄太80キロ』で平社員の半人前という意味で長門裕之が井上順一を「半ピラ!」と呼んでいた。
今の自分も「半ピラ」がぴったり。
体力的にも精神的にも「今はこれが精いっぱい」(『ルパン三世 カリオストロの城』)。
写真は、鎌倉、荏柄天神の枝垂れ梅
さくいん:秘密、『ルパン三世』
家族で食卓を囲む
「寒梅忌」の前夜、多忙な家族四人が珍しく夕食を囲んだとき、娘が言った。
みんなでご飯が食べられるのはうれしいね
この言葉もまた、2月最初の金曜日の前日、最初の木曜日に相応しい。
十代初めの頃、家族で食卓を囲むことは少なかった。ましてや笑顔でいることはさらになかった。たまに家族が揃うことがあっても、いつも張り詰めた雰囲気に包まれていた。少なくとも私は緊張を強いられていた。
ビジネスパーソンとしては成功できなかったけれども、それと引き換えにして、家族と過ごす時間だけは最大限持つようにしてきた。
その顔が見たくてオレはボロボロになる
THE MODS「バラッドをお前に」
その一言を聴くために、その顔を毎晩、食卓で見るために、私はボロボロになった。
写真は実家の庭にある紅梅。
さくいん:寒梅忌。
公認されない死
非難されることを承知で書く。
大きな災害や事故、事件のあと、その出来事があった場所に毎年、遺族が集まる。その様子はしばしば報道される。
インタビューされる遺族は「記憶を風化させたくない」という主旨の返答をする。
うらやましい、悲しみを同じ日に、同じ場所で、分かち合える人たちが。
分かち合う人もなく、憶えている人もおらず、誰も語らない。風化されるがままに放置され、むしろ積極的に忘れられる。そういう死もある。
「公認されない死」と呼ぶ人もいる。
宝物は捨てられ、思い出は忘れられ、名前は二度と呼ばれない。
昨夏、障害者施設の殺傷事件が起きたときに、被害者の名前が公表されることを拒んだ遺族がいた。これも「公認されない死」の一例。
そのことを批判する人も少なからずいた、かけがえのない命が奪われたのだから、その人が生きた証として名前を公表すべきと。
公表を躊躇したのは遺族の方であるとしても、そう思わせたのは社会の方だったのではないか。社会全体が、死を公認しない、つまり、障害者に対して偏見を持っているから、遺族は家族に障害者がいることを知られたくないことと思ってしまう。
すぐに結論の出る問題ではない。
としても、公表を拒んだ遺族を責める気にはなれない。
写真は、青空に浮かぶ月
夕暮れ時に吐いた不快なつぶやき
生まれたときは時も場所も選べなかった。死ぬときは、時と場所は自分で選びたい。
近い将来というわけではない。ゆっくり時間をかけて考える。
学校が原因の事件の報道を聞くと胸がざわつく。
「横浜市教育委員会」という名称を聞くだけで腸が煮えくり返るような怒りを覚える。
何度考え直しても結論に変わりはない。
あとは「そのとき」を待つだけ。
時間はまだある。
ゆっくり、旅先を考える。
5時退社
会社を出たらどんなに気になっても、いいことも悪いことも、仕事のことは全部忘れる。
先週の金曜日、指示されて作成した資料を上長に見せたところ、基本的な点が間違っていることを指摘された。厳しく叱責されることはなかったけれども、別の資料作りも依頼したいので来週前半には一つめは完成させてほしいと言われた。
その後、私が資料の修正を始めたところで定時が近づいてきた。残業してすべきか、手持ちのメモリに資料を入れて週末に自宅で仕上げるべきか。迷った後で結局、そのまま帰宅することにした。
帰り道、間違っていたところがずっと頭から離れなかった。その時、冒頭に書いた言葉が思い浮かんだ。
仕事はきちんとすべきだし、ミスはない方がいい。でも、週末まで仕事にはまっていたら、前の暮らしに戻ってしまう。
就業時間のあいだはミスをしないように集中して仕事をする。これは当たり前。定時が来たら、その日の業務は終わりにし、パソコンと同時に頭の中の「仕事」もシャットダウンすること。
健康を維持して就労を続けるためには、ただ頑張ればいいというものではない。
さくいん:労働
労働時間の規制について
昨日の話題をもう少し一般論で。
企業労働は必要以上にしてはいけいと思う。
親の遺産があるので無給でいいです
独身なのでいくらでも働けます
こんな人がいたら、生活のためや家族を抱えて働いている人は相対的に低く評価されることになる。会社は「させる労働」の量を明確にすべきで、それ以上は罰を与えてもいいくらい。
たとえば、プロのスポーツ選手が「調子がいいから全試合、全時間に出場できます」と言っても、監督をそれを信じて起用はしないだろう。シーズン全体を見通して、さらには翌年のチーム編成も考えて、出場する試合や出場時間を熟慮するだろう。
それができない監督は「マネジメント」ができない監督と思われるに違いない。
ちょうど今朝の日経新聞に、欧州の一部企業で長期休暇の予定を年度始めに労使で合意するところがあると書かれていた。
きちんと働かせるだけでなく、きちんと休ませるのも企業の責任。企業が社員を「生かさず殺さず長く搾取」したいのであれば、なおさら。「使い捨て」は許されない。
さくいん:労働
ブルガリア出身のフランスの思想家、ツヴェタン・トドロフの訃報を聞いた。
1991年に私が書いたゼミ論は、彼の著作「ルソー はかない幸福」を焼きなおしただけだった。
この本はすぐ読み終えるほど薄いけど、ルソー思想の本質を明るい光で照らし出す。
トドロフの思想の核心は、ルソーを解釈した次の一文だけに凝縮されている。
道徳的個人は社会に住むでしょう。しかし“一つの”(原文傍点)社会に完全に自己を売り渡してしまうようなことはしません。彼はその国家を尊敬しますが、人類に身を捧げるでしょう。いやすでに見たように、世界の反対側の、見も知らぬ悩める国民たちではなく、身近な人々に対してです。(道徳的個人 英知)
『民主主義の内なる敵』(法政大学出版局、2016)を手に取ったとき、「もうそんな悠長なことを言ってる場合ではないよ」という気持ちを半分持ちつつも、トドロフはどこまでも「知識人」であり“humanitarian”であるとの思いを新たにした。
さくいん:ジャン=ジャック・ルソー、ツヴェタン・トドロフ
NHK『ファミリーヒストリー』について
NHK「ファミリーヒストリー」がなぜ何の問題もなく放映されているのか、不思議でならない。
昔、NECがキャラクターのサルの家系図を作ったときには、様々な団体が非難してお蔵入りになった。
人の出自をネタにするのは如何なものか。
最近、家族のあり方が多様化している。そのため、学校で二分の一成人式を問題視する声も聞く。
ならば、いま成功している人を家族の出自から紹介するこの番組に対しても、批判的な目を向けるべきではないか。
さくいん:NHKテレビ、HOME(家族)
異変
先週からどうかしている。
先週、水曜と木曜、夕飯も食べずに寝た。とても疲れている。
疲れは気持ちだけで、身体は疲れていない。むしろ運動不足なので、朝は少し遠回りしてから会社に行き、昼休みも歩いている。
今週は、水曜日と木曜日、帰宅しても、家族と言葉をかわすことも煩わしくて、薬だけ飲みすぐに二階の自室にこもり、横になった。
こんなに早くから眠れはしないだろうという予想に反して、すぐ眠りに落ちた。
Sleep Cycleをみても、水曜と木曜は毎週、快眠度が低い。
朝、出勤の電車のなかで夜に呑む酒のことばかり考えている。
何か手を打たないといけない。
今日は3週間ぶりに病院へ行き、S先生に最近の疲れについて話した。
2年ブランクがあったのだから、慣れるまでに疲れたり気分が変調するのは当然。
そう言われて、日中の緊張を和らげるために、今は朝晩服用している抗不安薬を昼にも呑むことにした。
昼休みも一人で気楽に過ごしていると伝えると、談笑する相手もいないのはあまりいいことではないと言われた。でも、ほかの社員にどこまで話していいのか、よくわからないので、一人でいる方が気楽。
病院まで往復歩いて約9,000歩。身体も疲れてぐっすり昼寝してしまった。夜も眠れるだろう。
写真は朝焼け。
6時半頃、洗濯物を干すためにベランダに出ると、隣家越しに朝陽が見える。
さくいん:S先生
快適な週末
日曜日は気持ちのいい一日だった。本も読んだし、散歩もした。
快適だった理由ははっきりしている。土曜日の夜に酒を呑まなかったから。
金曜日、帰宅すると疲れがどっしりのしかかり、無性に呑みたくなる。そうして、つい痛飲してしまう。同時に、映画や動画を見ながら夜更かしする。
わかっちゃいるけど、やめられない。
その結果、土曜日は何もせずにぼんやり過ごすことが多い。日曜日は翌日からの仕事が心配で出かけることより休むことを優先する。そうして何もしないで週末が終わることもある。
金曜日はともかく、節約も兼ねて、土曜日の夜は少し呑む量を減らす。
写真は「水面の光」。松任谷由実の曲名を借りると「水の影」。
Linkedinのアカウントを削除
ビジネス向けSNS、Linkedinのアカウントを削除した。
今回入社した会社の人には過去の職歴を知られたくないし、ヘッドハンターに誘われて転職することも今後はもうないから。
これまでに働いた会社の同僚、特に米国や台湾にいる人とはLinkedinだけで繋がっていた人もいる。そのつながりも切れてしまうが仕方ない。
私は人間関係に淡白なところがあり、友人知人と縁が切れてもあまり後悔しない。
それどころか、卒業したり転職したりすると、それまで付き合っていた人のほとんどと関係を断ち切ってしまう。それでいて、わかりあえる友人が欲しい、とも願っている。
どうしてこんな身勝手でひねくれた性格なまま中年になってしまったのか。
自分でもわからない。情けない。
写真は蝋梅。ポートレート・モードでの撮影が楽しい。
一郎の眠り
夏目漱石『行人』の結末が気になっている。
私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寢ていました。この手紙を書き終える今も亦ぐうぐう寢ています。私は偶然兄さんの寢ている時に書き出して、偶然兄さんの寢ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気が何処かでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気も何処かでします。
気になっているのは、Hさんが観察している本人、一郎は、寝入る前に何を考えていたのか、ということ。
Hさんが観察したように、一郎も、二つの気持ちがない交ぜになった気分だったのではないか。目が覚めればまた同じような重苦しい一日が始まるという不安と、このまま目が覚めなければいいという一種の希死念慮と。
そんな風に思うのは、Hさんの手紙の中でつぶさに書き留めている一郎の病的な心理が自分のことのようにわかるから。
夜、目を閉じるとき、二つのことを考える。
一つは、明日が来るのが怖いという気持ち。もう一つは、今日と同じような苦しい日が来るならば、もうこのまま目が覚めなければいいのに、という気持ち。
死を恐れてはいない。眠っているときに意識がないように「私」という意識がなくなるだけと想像している。むしろ、変わり映えしない日常を生きていくことの方が辛い。Billy Joelも”Tomorrow Is Today"でそう歌っている。
でも、本当の「死後」を知らないから、そんなことがいえるのだろう。
「日常」は変わり映えしないものではない。毎日小さな出来事がたくさん起きている。そこに幸福を少しずつ見つけていけば、「死後」よりも「日常」の方を楽しみにできる。そういう助言は多くの人から聞いている。
一見、変わり映えしない「日常」を真剣に生き抜くところに「哲学」の本質があると、西田幾多郎は言う。
今はまだ、一日の終わりに「よかったこと」よりも「いやだったこと」を多く見つけてしまう。訓練次第で「幸福」はたくさん見つけられることは想像がつく。ただ今はまだ、それをする元気すらない。
夜はよく眠れている。今夜もまた二つの気持ちを抱えたまま、深く眠るだろう。
写真は、小金井公園、江戸東京たてもの園を囲む濠にかかる小橋。
さくいん:夏目漱石、ビリー・ジョエル
勤続2ヶ月
通勤には慣れてきた。仕事にはまったく慣れてない。1月に指示された作業がいまだに完成してない。こんな調子では試用期間でお払い箱になるのではないか、と心配になる。
別な考えが浮かぶときもある。徹底的にダメな方が、「意外にできるな」と期待され、たくさん仕事を任されるよりはましかもしれない。
あえて開き直れば、第一号の私が「意外とできる」と思われないことで、これから精神障害者枠で入社する第二、第三の労働者が過度の期待を受けずに済む。
会社が私に期待していることは業績への貢献ではない。会社が私に期待していることは障害者として在籍していること。最低限で言えば、会社を辞めないこと。私が辞めると、会社は「障害者雇用納付金」を国に払わなければならない。会社の規模から見れば、今の会社の障害者雇用はまだまだ足りない。
だから、業績が少々悪くなっても、障害者枠の労働者は一般社員と同じ比率でリストラされることはない。調べてみると、そういうことらしい。
ここで一つ、気がかりなことある。もし、病気が治ったらどうなるのか。障害者手帳を返上したら、障害者枠で採用された会社にはいられなくなるのだろうか。ここに居続けるためには寛解せず病人のままでないといけないのか。
いま、この心配事を気にする必要はない。10年間通院して、2年間離職していたのに、気持ちは不安定なまま。こんな調子では、今年末に障害者手帳を更新するときにも「問題なく」障害者のままだろう。
いま、心配する必要のないことは心配しないこと。この習慣も大切。
写真は、東京スカイツリー。
さくいん:労働
宮崎駿が引退撤回?
宮崎駿が引退を撤回して長編作品に取り組んでいると聞いた。もう何度も見た光景。「辞める」と言っては復帰。
もし、彼が本気で復帰する気なら、辣腕プロデューサー、大手広告代理店、テレビ局、これらのしがらみを断ち切らなければ、名作傑作と呼ばれるような作品はもう生まれないだろう。
『この世界の片隅に』に刺激されたとすればなおさら。
写真は、小金井公園、梅林のなかにいる背の高い松。
さくいん:宮崎駿
犯罪と精神疾患 - 相模原事件のこと
相模原市の知的障害者の施設で起きた殺傷事件について、報道によると、犯人は「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されている。
犯罪者が精神疾患と報道されると、論理が飛躍して、まるで精神病患者は犯罪予備軍のように見られる懸念がある。
「責任能力有り」とみなされているということは、犯人に精神疾患の一面があることを示しているだけで、病気だから犯罪を起こしたと指弾しているわけではない。
精神病患者の端くれとして一言言っておきたい。
また、犯人は幼児期に十分に家族の愛情を受けていなかったという報道も見た。これもまた、短絡的に「幼児期に不幸だった人は犯罪を犯しやすい」という偏見を生み出しかねない。こうなると、犯人もまた差別される対象になるという捻れが生じる。
極刑を急いで執行するより、事件の背景、つまり犯人がどのように優生思想に染まってしまったかを解明してほしい。
そうすることで障害者や多様性への理解に寄与するところもあるだろうし、似たような事件の予防にもなる。
そして、犯人に善悪を判断できる意思を持っているのであれば、犯行は取り返しがつかないとしても、反省と改心はできるかもしれない。
この事件は、教育、家庭、障害、格差、福祉など、さまざまな問題が絡み合った複雑な性格を持っている。
憎悪だけで厳罰を執行したところで、「ヘイト」という、今や社会全体に広がっている根深い社会問題を解決することはできない。
自分を周囲より高等に思い込むのが自己愛性パーソナリティ障害なら、どの検査を受けても「異常に低い自己肯定感」と評価される私は自虐的人格障害かもしれない。
自分がどういう状態でいるのか、会社では口を固く閉じているのがいいだろう。
写真は、東京国立博物館、表慶館と白梅。
天青の色
汝窯青磁の色、「天青」を陶磁器で再現するのは難しい、そう聞いた。発掘された破片から使用された土や釉薬の成分はわかっている。ところが、データに従い実際に器を練り上げて焼いてみても、同じものができない。
発掘された汝窯と思われる場所には夥しいほどの陶片が捨てられていた。皇帝、徽宗が気にいる色ができるまでに途方もない試作をしたと考えられている。
現代でも、再現に取り組んでいる陶芸家もいる。『日曜美術館』では、何十年も再現を試みている陶芸家が紹介されていた。
陶芸が無理ならば、ウェブサイトではどうだろうか。コードを使いこなせば好みの色が再現できるはず。色を分析するサイトとコードから色を確認するサイトを利用して、汝窯青磁の青の再現を試みた。
手順は簡単。
台北の故宮博物院のサイトにある「北宋汝窯青磁無文水仙盆」の画像を保存して、色のきれいな部分を切り取る。切り取った部分を分析サイトに投入する。そこから出力されたコードを変換ツールに入力し、色を確認する。
分析の結果、得られたコードは、#C0E0F0と#C0E0E0。比べてみると、#C0E0F0の方が液晶画面では見栄えがいい。
ためしに「第四部 硝子の林檎の樹の下で」の目次の色を#C0E0F0にしてみた。上記の二枚のパネル。左が#C0E0F0。右は元の#ddece2。
思っていた以上に「天青」に近づいているので、第四部の目次はCSSで変更した。
今回、お世話になったサイトは以下の二つ。
色の確認サイト:RGBと16進数カラーコードの相互変換ツール - PEKO STEP
変換サイト:写真の色情報を調べよう!カラー成分測定「色とりどり」:画像のカラーデータ分析