9/1/2012/SAT
気仙沼に消えた姉を追って、生島淳、文芸春秋、2012
震災について書かれた本はなるべく読まないようにしてきた。被災地に知人がいるわけではなく、興味本位から知ろうとすることは、逆境に向き合っている人たちに対して失礼なことのように思っていた。
生島淳は知り合いではない。でも、彼が案内するスポーツニュースはよく見ている。往年の名勝負から、その日生まれた大記録まで、いつも熱く語る「永遠の少年」というイメージがある。震災直後の放送でも彼を見た。向こうは私を知らないけれど、私には、はじめて、顔見知りの人が率直に震災について書いた本を読んだ気がした。
お姉さんの行方を案じながら出演したあの日、どんな気持ちで、いや、どんな気持ちを抑えて仕事をこなしていたのか、想像してみた。
あんなことがあったのか、そんなふうに思っていたのか。細かい感想はここに書くことはないだろう。ただ、本書は私に、知っている人が書いた文章として、つまり、私だけに宛てられた手紙のように響いたことを記しておく。
9/3/2012/TUE
SONGS、さだまさし、NHK
NHKの音楽番組『SONGS』をきっかけに久しぶりにさだまさしを聴く。1981年発表の『うつろひ』の一曲目、「住所録」。誰かさんからの手紙を自作するとは「一人遊び」とはいうものの、少し怖い。私にはできない。
でも一度だけ、酔った勢いで誕生祝いのメールを送ってしまったことがある。返事はなかった。来たら「間違えました」と返したか?
さくいん:さだまさし
9/4/2012/TUE
家族・支援者のための うつ・自殺予防マニュアル、下園壮太、河出書房新社、2006
下園壮太の著書は、どれも説明が懇切丁寧で、アドバイスが具体的で実際的。総じてひじょうにわかりやすい。本書はさらに内容が豊富で網羅的。自死は100%防止できるものではない、と言い切る潔さもある。
完全に防止できるものではない、という言葉は自死を否定的にしかとらえられない人には厭世的で悲観的に響くかもしれない。しかし、自死を止められたり、止められなかったりする現場にいる人が発するとき、この言葉はすでに防止できなかった事実と向き合っている遺族には、癒しとは言えないまでも、ささやかな安堵をもたらすかもしれない。
「止めることができたはず」という言葉が、遺された者にはことさら辛いものだから。
9/8/2012/SAT
つぶやき岩の秘密(1972)、新田次郎、新潮文庫、2012
小説には書けなかった自伝(1976)、新田次郎、新潮文庫、2012
夏のあいだ、ずっと書こうと思っていた感想文をようやく書けた。
今週は快調だった。この数年のあいだ、経験したことのない調子のよさ。朝はぱっちり目が覚め、特別な理由がないのに、張り切って出勤した。こんなことは何年もなかった。振り返れば、心機一転して転職し、ウェブサイトで文章を書きはじめた10年前はこんな風に張り切っていたかもしれない。
好調が続く一方、心の隅で不安が芽生える。この調子はいつまで続いてくれるだろう。また、がっくりと落ち込むのではないか。そもそも、どうしてこんなに調子がよくなったのだろう。
土曜日の朝、S先生に相談すると、「調子の良し悪しを因果関係でとらえないほうがいい」という助言をもらった。「何もなくても気分がいいときもあれば、悪いときもある。まずは<調子がいい>という事実を、淡々と、よくなってきた証拠ととらえればいい」。
「先々のことを考えすぎることはあまりいいことではないし、その必要も今はない」。これはいつも言われている。完治したわけではないから、また落ち込むときもくる。その時、好調な時期に不安な瞬間を思い出したように、また調子がいいときが来るだろう、とおおらかに構えていればいい。
S先生はいつも的確に、私が見落としていることを助言してくれる。
「昔の出来事を思い出すようになったのも、直近の苦しい状態を脱しつつあることを示すいい兆候」とも言われた。
心からかなしいと思えることが幸せ
確かにこの言葉が、しばらく私にって言わば座右の銘のようになっている。
『つぶやき岩の秘密』を読み返し、なつかしく、そしてすこし感傷的になったことも、悪い方にはとらず、とりあえずそんな余裕ができてきたというくらいに思いたい。
9/9/2012/SUN
夕べはローストビーフを初めてつくった。ちょっとした記念日なので外食したつもりで高めの塊肉を奮発。調味料を擦り込んで焼くだけ。思いのほか、簡単で美味しくできた。つまり、美味しさは材料次第。なかなか、頻繁にはできない。記念日のご馳走用とする。
ローストビーフに合わせてトウモロコシからコーンスープを作った。これも簡単だった。裏ごししたら量が三分の一ほどになってしまった。家庭では裏ごしはせず、全部食べてしまうのがいいだろう。そのほうが栄養もある。
これといった趣味もない私には、趣味と実益をかねられる料理はいい趣味になるかもしれない。呑みたい酒にあわせて、食べたいものをつくる。少しずつ新しいものに挑戦しながら、ときどき定番の餃子をつくる。
これからだんだん涼しくなってくる。そうなると料理に加え、ファッションも楽しくなってくる。夏のあいだ平日はタイなし、週末はずっとTシャツ。涼しくなると、毎日のネクタイ選びが楽しい。こういうことの積み重ねが気分の調子を安定させるコツになるのかもしれない。
9/10/2012/MON
カーカタログコレクション―’80~’90年代を彩ったクルマたち、春日出版編集部、2008
80年代から90年代は、日本でクルマが一番売れていた時代。クルマは若者の憧れであり、成熟していく消費社会の象徴でもあった。
クルマに限らず、70-80年代の広告や製品カタログを見ていると当時の実際の生活ではなく、あの頃、理想と思われていた、あるいは憧れの対象となっていたライフスタイルが見えてくる。
時を離れて見ると滑稽にみえるものさえあるけれども、その時代では確かに「夢」であり、努力すれば手に入りそうな、希望に満ちた「未来」だった。
さくいん:80年代
9/11/2012/TUE
日本の軽自動車―カタログで楽しむ360ccの時代。、小関和夫、三樹書房、2005
70年代前半まで、360cc時代の軽自動車の図鑑。幼稚園バスから見下ろしていたクルマたち。
排気量360ccながら最大出力37PSという、レーシングカーのようなパワー・ウェイト・レシオのスズキ・フロンテ・クーペがかっこいい。
ジウジアーロのデザインと思っていたが、本書によれば、彼のデザインを基にスズキで仕上げたものらしい。
角目のヘッドライトが丸くなり、フォグランプもついたセルボが好きだった。セルボは排気量550ccなので本書には掲載されていない。ジャンボーグ9に変身するホンダZは載っている。
異常なパワー競争に終止符を打ち、安くて手軽、という軽自動車の原点に返ったスズキ・アルト(47万円)も残念ながら本書の対象からは外れている。
さくいん:70年代
9/15/2012/SAT
働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史、熊沢誠、岩波書店、2010
ひさしぶりに字だけの本を一冊きちんと読み終えた。といっても、ハーマン『心的外傷』を読んだときのように、列挙された数多くの悲しい事例のすべてを読むことはできなかった。
大学を出たばかりの夏の出来事について、初めて書いた。いつか書こう、書かなければならない、いや、何も知らない人が読むかもしれないところに書くべきではない、ずっと逡巡していた。本の感想だけを書くつもりが、いつの間にか、書こうか書くまいか、何年も迷っていたことについて書いていた。
今夏、梅雨が明けて暑くなりはじめた頃、不意にぽっかり時間が空いた。駅で缶ビールを二つ買い、墓のある寺まで歩いた。一つを墓前に置き、掌を合わせ、もう一つの缶を開けた。見上げると都会の喧噪の隙間にある墓地の上に鮮やかな黄昏の空が広がっていた。
おそらく、あのとき、この夏の間に何か書いておこうと考えはじめていた。
今朝はいつもの週末より早く起きた。理由は病院まわり。まず整骨院。右手の甲から肘までの筋が痛い。パソコンのせいだろうか。この痛みは、かなり前からあり、最近はマウスは左手で使っている。テンキーが即座に打てるので便利ではある。だから、右手だけ痛むのはよくわからない。しばらくおさまっていた腰もこのごろまた痛むようになった。
医師に訊いてみると、痛みが出ている患部は手でも原因は首から肩の“こり”にあるという。やはり原因はパソコン中心のデスクワークで首肩を長いあいだ動かさずにいるので常に緊張した状態になっているらしい。意識的に首をひねったり背伸びをしたりするように言われた。
次は眼科。眼科は整骨院の隣。そこでは読書用めがねのために処方箋を書いてもらった。文庫本の文字はほとんど読めなくなった。新しいめがねができたら、もう少しは文字の本を読む気になるだろうか。
9/22/2012/SAT
ルソー 現代の課題に示唆——生誕300年見直し
日経新聞朝刊、文化欄に「ルソー 現代の課題に示唆——生誕300年見直し——原発・ポピュリズム問う視点」。ルソーは直接民主政を主張した、という点には注釈がいる。
彼は、直接民主政ができるような小規模の都市国家を前提にしていた。故郷のジュネーブ、人口が最大でも10万人程度都市国家を彼は理想としていた。ここを出発点にせず現代に活かせる何かを直接引き出そうとするのは有益ではない。
どんなにIT技術が進歩したとしても、一億人の国家で直接民主政が実現できるとは想定していなかったし、認めることもなかっただろう。そもそも彼は巨大な国家を嫌悪していたのだから。
ルソーが想定していた都市国家のイメージは、宮崎アニメで言えば『風の谷のナウシカ』の「風の谷」や『未来少年コナン』の「ハイハーパー」。
どちらも人口はおそらく一万人にも満たないだろう。王や村長はいるが、何かあればみんなで集まって決める直接民主政を敷いている。むしろ、直接民主政をとりながら最終判断を委ねるために王や村長がいる。
こうした小規模の共同体は、自ら他国を攻めることはないとしても、他国から攻められる恐れがある。そうした小国に対して連合を組み大国から共同防衛することをルソーは提案している。ルソーの考える国家連合は小規模国の安全保障が目的であり、国連のように世界全体を包む構想ではない。
記事ではルソー思想の「危険さ」として危機に直面したときに独裁制を認めている点をあげている。この点は人口の少ない都市国家の場合、さらに高い。
『社会契約論』の最終章、「市民の宗教」の章はルソー思想が共同体への過剰な忠実を求める“カルト”に傾く根拠としてしばしば槍玉にあげられる。共同体が小さいほど相対的に個人が受け止める求心力は大きく、求められる忠誠心は強くなることは否定できない。『コナン』では、一見幸福に見える原始共同体のハイハーバーで、主流派からあぶれた一部の孤児たちが村に反発し、村から通行税をとる厄介者になっている。
『コナン』では、村人はしぶしぶながら彼らの野方図を放置している。彼らを村に従わせようとするためにはかなりの強制力が必要になるだろう。
実際、物語のなかでコナンはオーロから「通行税」を取られないように、ガルおじさんと共謀し海から島の裏側へ行く。つまり、言うことを聞かない者を懐柔でもなく、説得でもなく(それはすでに多く重ねられてきたとは想像できるが)排除しようとしている。
もう一つの都市、インダストリア。度重なる地震や恒常的な食糧不足に対してレプカは指導力を発揮したのだろう。次第に彼は影響力を増し、人々は依存度を高めた。そうして彼は、政治局局長という独裁者になった。
18世紀の思想家の多くは芸術から政治、法律まで考える万能知識人だった。とはいえ、それぞれに専門分野や得意な領域はあった。ルソーはつまるところ、雄弁家や理論家でもなく文学者だった、もっと正確に言えばときに野心的でありながら、最終的には自己の存在を追及した思索者だった。
『社会契約論』は、ユートピアとディストピアの両面をもっている。理想的な国家はこうでなければならない、と論じながら、そんなものは実現できるはずがない、という矛盾した結論を提示している。
本書が書かれた時代は、市民階級が力を持ちはじめていたとはいえ、なお絶対主義の時代だったことは忘れてはならない。
『社会契約論』は、あくまでも絶対主義王制に対する批判書であり、来るべき民主政治の精密な青写真まで作るような意図はなかったのではないか。制度より制度をつくる人間、そうした人間の一人としての自分。広い世界の全体性の中でルソーはあくまで「一人」として思索と著作を行った。
本格的に研究したわけではない。何冊かの原著と主な論文を読んだ感想にすぎない。「文豪」島村藤村は、ルソーのことを「多くのエライ人の中で、彼は最も吾儕に近い叔父さん」と呼んでいた。ルソーは高踏な学者ではない、自分たちにも身近な悩める人だったという藤村の感想には共感する。もっとも、藤村もまた私にとって「叔父さん」なので、ルソーは「大叔父さん」ということになる。
ルソーの思想、といったとき、『社会契約論』だけを、あるいはそれを中心に考えていくと上記のような事例以外にも、数えきれない矛盾や不合理な点に行き着いてしまう。私個人は、ルソーの主著は『エミール』と思っている。そして、『エミール』に描かれた理想的に対し、その裏面のような存在である自己をどう見ていたかは晩年の作品『孤独な散歩車の夢想』によく映し出されている。
この二つの作品に書かれた人間論を抜きにして彼の政治思想を理解することはできないと思う。
さくいん:日経新聞、ジャン=ジャック・ルソー、島崎藤村、『未来少年コナン』
9/29/2012/SAT
秘密の観点(1973)、土居健郎選集 8、土居健郎、岩波書店、2000
中井久夫『徴候・記憶・外傷(sign, memory, trauma)』に「秘密を宝物のように大切にしなさい」という土居健郎の言葉が引用されていた。引用元は明記されていなかった。
短かった夏休みのある日、転居してきてからまだ行ったことのない、この自治体の中央図書館へ行ってみた。名前に中央の文字はない。とはいえ、この地域で最大なのだから中央図書館と言っていいだろう。
文豪の全集がずらりと並んでいる棚の片すみに『土居健郎選集』を見つけた。第1巻から順番に目次を見ていくと第8巻に「秘密の観点」という題名の短文を見つけた。中井が引用した元と明確になったわけではないけれど、土居が秘密についてどう考えているのかを知るには格好の文章だった。
土居によれば、やや一般化した言い方になるが、精神病理は秘密について悩むことに原因がある。また、その症状も、秘密との関連で観察することができる。躁鬱病では秘密を隠そうとする苦悩があり、統合失調症では自分の秘密が外部に向かって露見しているような不安があるという。
秘密が露見することを怖れる一方で、秘密を理解してもらいたい、それなのに理解してもらえない、だから、もう理解してはもらえまいと決めつけてしまう、という感覚はわかる気がする。
秘密のあり方、つきあい方を上手にできるようになることが精神病理の治療となる。そのためにはいったん秘密は医師に対して全面的に開示されなければならない。そして治癒されたとき、秘密は苦悩の原因ではなくなる。しかし、それは秘密が秘密でなくなることを意味しない。
面白いことは、土居は秘密をもつことに積極的な意味を見出していること。「精神病を患った」という事実は、当人にとって新たな秘密となる。その秘密と上手につきあうことで自己の統一性を維持することができる、つまり、自分の外と内との均衡を保つことができる、と土居は考えているようにみえる。
昨今、「カミングアウト」という言葉とともに、秘密を世間に向けて開示することが積極的な生き方とみなされる傾向が強い。私はあまり賛同できない。1973年に書かれたこの短い文章では「カミングアウト」という言葉こそ使われてないものの、現代社会で秘密がないことが社会性の高さに結びづけられていることを土居も憂慮している。
秘密とは、誰も知らない自分の一面とはかぎらない。精神科への通院を医師や家族は知っている。秘密とは、信頼できる人と共有する個人的な出来事や体験。個人的な出来事がすべての友人に知れわたるFacebookの流行も「秘密の開示=積極的な生き方」という思潮を示す一つの兆候とみていいだろう。
人には、適度な秘密が必要。秘密とは、いってみれば、自己と外界とを分ける垣根のようなもの。あまりに高すぎたり硬すぎたりすれば、自己は内にこもってしまう。そうかといって、壁のない家に住むようなほど自己を外にさらけだしておくことも自己の存在を危うくする。
秘密とのつきあい方。この言葉は土居の言葉ではなく、読みながら私が考えていた言葉。秘密とのつきあい方で、精神状態を良好に保つことができる。土居の「秘密論」はそう説いているように思う。
「心的外傷」は、当人にとっては存在の危機であると同時に存在の拠り所にもなっている。だから、それを安易に言語化したり暴露したりするべきではない。中井久夫は土居健郎の言葉を通じてそう言いたかったのではないか。私は、そう読んだ。
9/30/2012/SUN
テレビアートのすべて―テレビ放送50年、日本テレビ美術家協会、ベストセラーズ、2002
テレビ美術、すなわち「セット」の歴史。ニュース番組のセットは時代の空気とともに変遷していることが並べてみるとわかる。クイズ番組にしてもしかり。
『8時だョ!全員集合』では「とんでもないアイデアとラディカルなセット」を盛り込むことが期待されていた。この番組は、毎週、しかも公開放送だった。セット作りがどれほど大変だったか、山田満郎が回想している。
もう一つ、面白いと思った逸話。落ち着いた午後のリビングの雰囲気を上手に醸し出している『徹子の部屋』のセット。このコンセプトは黒柳徹子自身が制作者に提案したものという。
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