人生論ノート(1941)、三木清、新潮文庫、1954


人生論ノート

『人生論ノート』をはじめて読んだのは、たぶん中学三年生の頃。「人生論」という言葉に関心があったのか、武者小路実篤やトルストイの『人生論』を同じ時期に読んだ記憶がある。これまでに数度体験している濫読の第一期。この頃は日本の近代文学、なかでも小説を多く読んでいた。批評評論、それから新書も好きではなかった。それどころか、説教臭くも感じて敬遠していた。

人生論ではないものの、『君たちの天分をいかそう』や『恋愛なんてやめておけ』など松田道雄の本は中学に上がる前に読んでいた。エッセイのような文章は気になっていたのかもしれない。気になってはいたものの、自分の思考と波長の合う作品にも、近い作品に自分の思索の波長を合わせていく読み方もまだ知らなかった。

当時は、読書ノートもつけていたはず。今はどこか奥に閉まったまま。三木清については読んだという事実以外、ほとんど覚えていなかった。ただ、「人生論」という言葉は今でも気になるようで、古書店で何気なく手にとり昔読んだことがあることを思い出した。それから自分の古い書棚から出してきて読み返してみることにした。


20年もたってから読み返してみると、どうして何の記憶も残っていないのかが不思議なくらい今の考え方や書き方に近いものを感じる。当時と今では、文章の嗜好もものの見方もかわっていることがわかる。

『人生論ノート』は、エッセイの王道ともいえる文章。各編は、幸福、習慣、孤独、健康、希望、そして、死、といった日常にありふれた概念を題名にして、その概念について思いつくままに書いている。話題は気ままに迂回し、飛躍し、端折られる。段落は短く断片的。しかし、全体の骨格はがっしりしている。

構成を支えている背骨は最後に置かれた「個性について」。個性は人間を形成する最も重要な概念と三木は考えている。個性とは他者と自分とを明確に分ける差異。それは与えられたり、もって生まれるものではない。「私が戦いをもって獲得しなければならない理念」であり、「自己の外に尋ねるべきものではなくて、ただ自己の根源に還って求めるべきもの」でもある。

個性は、たゆまぬ自己鍛錬や形ある自己表現を求める。こうした考えは、西洋思想、とりわけエッセイの伝統ともいっていいような気がする。


実は「個性について」だけは他の文章と書かれた時期が違う。最も若いときに書かれた文章。他の作品は読んだことがないけれども、解説によると厳格な哲学研究が多いらしい。そう言われてから読みなおしてみると、「個性について」は思索を深める老練なエッセイというより、思想を主張する若々しい宣言にみえる。表現よりも概念や論理によって、力づくで文章を牽引しようしている。ここから哲学を専門的に研究すれば、より厳格な文章になることは想像がつく。

興味深いことは、三木が年齢を重ねて、若いときのエッセイ的な文章へ戻っていったこと。しかも、かつての若さにまかせた荒々しい文章ではなく、肩の力が抜けて散文詩のように思索を表現する方法を携えて。『人生論ノート』の断章は考えたらずや表現力の不足で途切れているのではなく、あるべくして断章であるようにみえる。思索が、本来そなえている自由な飛躍や休止を無理に論理づけることもなく、思索のおもむくにまかせて書きつづっている。

『人生論ノート』では、若いころに思いついた個性という概念が、さまざまな表現に姿を変えながら、それでいてぶれることなく他の文章に埋め込まれている。論文ではなく断章のように書かれているのに、ばらばらではない。それどころか厳格な構造をもっているようにさえ感じられる。

個性を背骨とすれば、全体を支える筋肉、あるいは全体を包んでいるオーラは孤独という概念。とりあげられる概念は、懐疑、虚栄、嫉妬、瞑想、偽善など、個人の内面に関わる概念が多い。少し趣きの異なる「旅について」も一人旅や旅としての人生について書かれている。私の印象に残る章は、「瞑想について」と「感傷について」。ふたつの気分はちょうど対になっている。


一人でいるとき、突如としてふだんは自分でさえ気づいていない自分に出会うことがある。あるいは沢山の人のなかにいても突然一人きりでいることを感じ、そんな気持ちになることがある。それは自分が気に入る自分だったり、またそうでなかったりもする。自分が気に入った自分に出会えるとき、新しい何かを創造できる気持ちになれるとき、瞑想とはそういう気持ちを指している。

感傷は、自分が気に入る自分ではない。しかし自分が許せない自分でもない。それは、自分が甘やかす自分。三木は、感傷に対しかなり厳しい。「感傷は主観主義である」「感傷には個性がない」「感傷はたいていの場合マンネリズムに陥っている」「感傷には常に何等かの虚栄がある」など、否定的な定義ばかり。

瞑想と感傷は、実は紙一重。創造的な人は一人の充足した瞑想を好む。孤独を好むから、創造的になりやすいし、感傷的にもなりやすい。例えば、昔の音楽を繰り返し聴いていると、ただ何となく懐かしい気分になるだけのときもあれば、まるで初めて聴いたかのように新鮮な感動を味わいなおすこともある。

そう、年齢を重ねれば人には過去が増えるから感傷の題材に事欠かなくなる。幼いときは新しく出会うもの何にでも感動し、創造的になれるけれども、大きくなればそうはいかない。そのこと自体けっして悪いことではないし、避けられるものでもない。


虚栄とマンネリズムに満ちているだけなら、感傷はまだいい。三木自身は章を分けて書いていないけれども、私には感傷よりも憂鬱が怖い

憂鬱も、突然前触れもなく襲ってくる。憂鬱は、乗り物酔いによく似ている。いつも通る道を走っていても、ちいさな石に乗り上げただけで気分が悪くなる。いつもと同じ航路なのに、ほんの少し横風を受けただけで目を開けても閉じても目が回る。いつもならどんな風に過ごしているのか、まったく思い出せない。

ただこの状態から逃れたいだけなのに、動けばなおさら気分が悪くなりそうで身動きさえとれない。それでいて、いつの間にか、何もしていないのに、何事もなかったかのように憂鬱は過ぎ去る。どうしてそんな気分になったか、どうしてやり過ごせたのか、終わってしまうと思い出すこともできない


三木清は憂鬱を知らなかっただろうか。それとも憂鬱に襲われない術を知り、さらには感傷を避けて瞑想を得る方法まで身につけていたのだろうか。伝記的なことは詳しく知らない。文章だけを読んでも、彼にも感傷的になるときはあっただろうし、憂鬱なときもあったに違いないと想像できる。むしろ、そんな気分を克服するために、彼は考え、書いたのだろうと思う。だから『人生論ノート』は思索の軌跡であり、思索の成果ではない。はじめて読んだときにはまったくできなかったエッセイの読み方が、少しずつわかってきたような気がする。

「余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとっては有害である。」と彼は書いている。毎日書くことを止めたことは正しかったと認められたような気がする。書くことは思索の手段にもなるけれども、度が過ぎれば虚栄や感傷や憂鬱を生む素になる。読むこと、書くこと、考えること、動くこと、そして何もしないこと。何をどうするかより、何をどれだけするか、その配分が難しい。


思索を続けるのは、自己を創造し個性を磨きだすため。ではなぜ、個性を磨くのか。三木は、個性を幸福と結びつける

   幸福になるということは人格になるということである。(「幸福について」)

人格という言葉を久しぶりに聞いた。幸福という言葉も、三木自身が指摘しているように、現代社会ではあまり聞かれない。幸福は聞かれないこともないが、ほとんどは癒しや感動の異口同音。癒しや感動は、少なくとも現代の用法では、三木のいう幸福ではなく、彼が嫌悪する感傷の化粧直しに過ぎない。主観主義とマンネリズムと虚栄の塊。

個性と幸福を結びつけるのは、古臭いだろうか。私には恐ろしいほど新鮮に思える。恩師の一人も「人格者」という言葉を大切にしていた。彼は生涯、教員というより、一人の学徒として生きた。彼の生涯は短かった。華やかでもなく、富や名声に恵まれたものでもなかった。そして私が彼に教わった時間はさらに短かったけれども、個性を通じた幸福、すなわち自己鍛錬と自己表現を通じた自己創造の一端を見せてくれたように、今になって思う。

少なくとも、彼のことを思い出すたびに、私は幸福と人格とについて考える。この追憶は感傷ではない。それでは、憂鬱ではなく、瞑想と言い切れるか。このあたりに、この数年私が直面している問題の核心がある。


さくいん:三木清