長年の念願かなって、松浦武四郎が建てた「一畳敷」を拝観。
泰山荘へは何度も来ている。雑木林の奥でふだんはひっそりしている場所に大勢の人がいるので不思議な気持ちがした。
一畳といっても、周囲を後醍醐天皇の玉座から頂いたという縁が囲っているので狭くは感じない。畳そのものも現代のものより大きく見えた。
見学会の一行、皆が驚いて見ていたのは、橋の欄干と擬宝珠とを逆さにして上から吊るした装飾。
一畳の書院を日本各地から集めた木材で建てるという発想は、単なる「もの好き」ではない。きっと、生涯をかけて旅をした武四郎にとっては、自分史を凝縮した空間だったのだろう。
アール・デコの花弁 旧朝香宮邸の室内空間、東京都庭園美術館、東京都港区
気持ちのいい秋晴れ。
庭園美術館に来るには最高の天気。初めて来た。
芝生に寝転がって深呼吸。
青空と緑葉、木洩れ陽とそよ風。いま、このひととき、心が満たされていく。
これぞ、ナチュラル・マインドフルネス。
21歳の夏。エジンバラ城下の公園でうたた寝したことを思い出した。ヴェルサイユでも芝生の上で寝てしまった。
旧朝香宮邸の豪華な内装を見て思い出した。スコットランドで、どこかの貴族の館の庭でも誰もいないことをいいことに眠ってしまった。館の名前は忘れてしまった。
あの夏。行きたいところがたくさんあって、学びたいことがたくさんあった。
そして、これからも、行きたいところのすべてに行けて、学びたいことはすべてを学ぶことができると思っていた。
あの頃は病気ではなかった。それは、仕事をしていなかったからというだけではない。呑気な気持ちでいられたのは、十代の記憶に蓋をしていたから。
橘木俊詔『新しい幸福論』に紹介されていた本。
メーダは、現代社会を「すべてが労働化した社会」と見る。
われわれの社会はマルクスと同じように、人間の表現の最高形態は労働であり、すべての活動は労働になるように要請されている、と信じている。まさにここに、人間がこの二世紀の間世界の価値を高めてきたやり方である歴史的に規定された様式とドイツ人が文化と呼んできたものを、マルクスと同様に混同している諸思想について批判しようという、本書の決意がある。
(第十章 労働を魔術から解放する)
この考えはずっと前に読んだ渋谷望『魂の労働』にも書かれていた。
三木清は、1930年代を「すべてが政治化した社会」と見ていた。これに対して、私は現代を「すべてが情報化し、さらにすべてがネタ化される社会」と考えた。
これらの見方は「すべてが」とは言うものの、互いに排除するものではなく、いずれも現代社会の一面をよく表していると思う。
「すべてが労働化した社会」はメーダが本書を書いた1995年より深刻になっている。
労働者を過労死するまで会社に縛り付ける極悪非道な企業は言うまでもなく、「ここで働けることが幸せと思う」ことを企業が強制する風潮があるという記事を、最近、『日経ビジネス』で読んだ。「やりがい搾取」と呼ぶらしい。
「すべてが労働化する社会」をどうすれば、変えられるか。本書は理論書でもあるため提案は抽象論にとどまる。
だから問題は、ますます増えていく活動に労働形態をあたえることではない。その反対に、労働の支配力を弱めて、さまざまな協同や自律の源泉としての、労働とは根本的に異なる論理に基づく諸活動が発展できるようにすることが重要なのである。労働を魔術から解放し、労働に抱いてきたあまりにも強い期待を捨て、それゆえ労働をその真相においてとらえるーーこのことは、われわれが使っている表現や用語そのものを根本的に変えることから始まる。
(第十章 労働を魔術から解放する)
理論書に「抽象的」と批判したところで何にもならない。実践は、理論を読んだ自分がすればいいし、自分がしなければ理論に意味はない。
教育哲学という枠組みのなかで、焦点を森のアブラハム観に絞り込み、深淵で複雑な森有正の思想の中核である「経験」という概念を照射することで、類書にないユニークな森有正論になっている。
共感したところは、森有正の思想を理解する鍵として、「出発」という言葉に注目していること。
アブラハムに出発を促した神は、未来がどういうものかをアブラハムには啓示しませんでした。自分の「内心の促し」としての神の呼びかけと、その神が自分に従えば必ず祝福が得られると約束されていることだけがアブラハムにとって唯一確かなことでした。神の「出発せよ」との呼びかけがアブラハムにとっての「内心の促し」であると森有正は把握しました。ここで「内心の促し」とは一つの喜ばしい展望、つまり将来の祝福の約束で会ったと理解されます。
(第Ⅰ部 森有正の「アブラハム物語」の実存的理解 第6章 「アブラハム物語」から何が学べるか?)
広岡義之は、森の言う「出発」とは「内心の促し」から導かれるものとし、さらには「冒険」へと展開している。「促し」は「呼び声」と言い換えることができる。むろん、「神の呼び声」と。
このことは森自身が述べている。
"促し"(原文傍点。以下同じ)から"冒険"を通して真の"経験"へ、これが今の私には"思想"に到る唯一の道であるように思われる。
「遥かなノートルダム」『エッセー集成 3』
人は、止むなく居心地のよい場所から「出発」しなければならない「時」がある。あるいは、人は、思いがけない時に「出発」の「呼び声」を聞く。
人はその時を選ぶことができず、また行き先もわからない。
それでも、「出発」する人はいる。「出発」することが、遥か遠くを旅して、いずれは元の場所に帰るという予感があったとしても。
「信仰」「信」とは、「呼びかける声に応え、何が待っているかわからなくても、出発すること」。そこまでは私にもわかる。
しかし私は、まだ「信」にたどり着けないでいる。
それでも、14年前の11月、ここに思いのままに文章を書きはじめたことは、私なりに「声」に従ったものと思っている。
さくいん:森有正
雑誌の『Pen』や『Brutas Casa』でときどき特集される傑作デザインがコンパクトにまとめられている。
デザイン誕生の秘話も簡潔にして漏れがない。
本書で紹介されている製品は、Twitterでも発信されている。
先週、秋晴れの午後に小石川後楽園へ行った。
東京に住んで20年以上になる。
歩いてみればみるほど、都心に緑が多いことがわかってきた。
もちろん、自然の緑ではない。造られた緑=庭園。
都心の喧騒にごく近いところに、静かで緑にあふれた場所が数多く残っている。今年、行った場所だけを挙げても、東御苑、六義園、根津美術館、庭園美術館。
写真の風景は東京ドームの裏にある。
マドレーヌ現象とフラッシュバック
自転車に乗り、大通りで信号待ちをしている時、ふと気づいた。
クルマの騒音がない。ハイブリッド車の普及率が高まったせいだろう。舗装も質がよくなっているのだろう。
幼稚園バスに乗っていた74年頃、ココッココッと音をたてる2ストロークの軽自動車も多かったし、象の顔のようなオート三輪もまだ走っていた。
マドレーヌ現象。
フラッシュバックとマドレーヌ現象はどう違うか。
記憶が刃となり心に突き刺す点は同じ。
前者は鋼の刃。いっときの強烈な痛み。
後者は氷の刃。突き刺さったあとゆっくりと、森有正風に言えば「徐に」、記憶が心に染み渡っていく。
痛みを耐えながら自覚的に心に広く深く染み渡らせること。それを再び森有正の言葉を借りれば、経験と言うのかもしれない。
さくいん:森有正
長者ヶ崎、神奈川県三浦郡
週末、横浜市南部の実家に帰り、両親に会った。二人とも80歳を越えているが、まだ要介護ではない。それでも、月に一度、会いに行くと喜んでくれる。
食事をして酒を呑み、毎回同じ両親の話を聴く。傾聴することが、少しは孝行になっているか。
土曜日の午後、いつものイタリアン・レストランを予約してから逗子へと出かけた。山周りのバスで葉山へ。
長者ヶ崎で下車すると、絶好のタイミングで夕陽と富士山と江ノ島が見えた。
ここへは何度も来ているけれど、こんな風景に出会ったことはない。
この2枚は写真集への直リンクをつけた。
さくいん:逗子、葉山
恒例の体調不良
昨日は一日寝ていた。
先週末、実家に帰ったときから少しおかしかった。空腹時に胸焼けがして、いつも乗り慣れている電車にも酔う。
食べたり呑んだりすると落ち着いてくるので、いつもの通り、よく食べ、よく呑んだ。
毎年、この時期に一度、体調を崩す。そして、布団のなかであれこれと物思いに耽る。
『庭』を開こうと思ったのも、こんな風に体調を崩して寝込んでいたとき。その頃は『小林秀雄全集』を夢中で読んでいた。
さくいん:小林秀雄
薄くても重い本
一昨日、一日中寝込んでいた。薄いけど、軽くはない本を読んだため。『相模原事件とヘイトクライム』(保坂展人、岩波ブックレット、2016)。読後感が心にも身体にも、布団から起き上がれないほど、ずっしりとのしかかっていた。
表をなぞるだけの感想なら書ける。すでにTwitterには投稿してある。
ブックレットはすぐに読み終えるほど薄いのに、質量の重いテーマが散在している。
障害、差別、選別、家族、そして秘密。
これらの鍵語を拾って、自分自身に向けた感想が書けるか。
そんなことを布団のなかで、まどろみながら考えていた。
過労死させる会社
新入社員が過労自死した会社の社長が「これから新しい会社を作っていきましょう」と社員と同じ目線で話していることに違和感を禁じえない。
過剰労働が横行する「社風」を作っている責任は経営陣にある。
社員に呼びかけたり促したりする前に、不正な長時間残業をなくす施策を作り、それを徹底して浸透させることが経営陣の役割のはず。
臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展「禅―心をかたちに―」、東京国立博物館、東京都台東区
ドレッサーの贈り物―明治にやってきた欧米のやきものとガラス
禅に対する関心はずっとある。期待していたところ、展示は臨済宗を中心にしていて、曹洞宗と道元に興味を持っている私には少し期待外れではあった。
それでも、最近にわかに興味を持ちはじめた陶磁器で、国宝の油滴天目と青磁輪花茶碗 銘「鎹」を見ることができたので、満たされた気持ちになった。
展示を見ながら、禅と武士の関係について考えた。
救済ではなく精神の強化を目指す禅宗は、常に死と隣り合わせに生きている戦国武将の拠り所となったことは想像に難くない。
題目や偶像がないため、禅僧の個性が孤高の大名の士気を支える。戦国武将は首領でもあり、戦士でもあったから、責任の重圧と死と隣り合わせの緊張感は常に相当に重いものだっただろう。だから、禅に傾倒し、さらには禅の師に傾倒してしまう。
ここに危うさがある。精神面での助言はやがて世俗的なことにまで広がり、戦略や政策にまで広がる。展示でも、一部の禅僧は戦国大名の政治顧問と記されていた。
孤独な指導者は公には見えない闇の顧問として宗教者に頼る。韓国の様子を見ても現代にも無縁な話ではない。
写真中段左は羅睺羅尊者。腹の穴には仏がいる。ここに顔を出して記念写真が撮れる。
腹に仏がいるのは誰の心にも仏がいる、という意味らしい。大柄の顔と体躯は元NBA選手のシャキール・オニールそっくり。
土産店では、みうらじゅんデザインのラゴラTシャツが販売されていた。
明治初期にイギリスの博物館から寄贈された陶磁器とガラスのコレクションも見応えがあった。
写真中段右の多色ガラスのほか、今回修復されて初披露となった白色ガラスが美しい。修復されたものとは思えない輝きを放っていた。
写真は、見学前と後のトーハク本館。
さくいん:東京国立博物館
流行しているAIに関する報道をたびたび耳にしてふと思い出した。「アトムの最後」。単行本で持っていたはずが実家で探しても見つからず、図書館で借りて読み直した。
手塚自身も「ニヒルな時代のせい」と語るほど暗くて、救いようのない結末。はじめて読んだときは怖かった。小学校中学年の頃。
今読んでもイヤな気持ちになる。そういう気分になりたいときには最適な一話。
さくいん:手塚治虫
最初の妻を病気で亡くした西田幾多郎が再婚した相手が熱心なキリスト教徒で、戦後YWCA運動を指導したことは評伝を読んで知っていた。
『善の研究』にもキリスト教についての記述があり、鈴木大拙とも親しく、自ら参禅もして禅宗と関わりの深かった西田がキリスト教をどうとらえていたのかは以前から興味があった。
図書館でその興味を満たす本を見つけて読みはじめたけど、内容がとても難しく全体を理解することはできなかった。
全体を理解することはできなかったものの、著者が読み解いた西田とキリスト教を含む宗教に対する姿勢はわかったような気がする。
西田にとって、宗教はあくまで<外なる超越者>を信仰することではない。自己の内なる根底に自己の真実相を直観することであり、そこに真の自己を獲得することである。西田にとって宗教的自己否定は同時に自己実現なのである。
(第一部 キリスト教との対話とその理解 第三章 キリスト教理解の原型とその展開)
自己の内側に沈潜するという考え方は、人はすべて仏性を持っているという禅宗の考え方に通じる。
私の知るかぎり、キリスト教やその源となったユダヤ教において、神は自己の奥底にはいない。どこか遠く、自己から離れたところに存在して、自己を叱りつけたり慰めてくれたりする。
神の子であるイエスは間違いなく自己ではなく、他者。しかし、自己において他者から見る自己、というとらえ方もある。西田も同様のことを書いている。
この辺り、どう折り合いがつくのだろう。まだ考えが足りない。
さくいん:西田幾多郎
この博物館は充実している。前に一度常設展だけは見たる。企業が本気で本業について文化活動をするとここまで素晴らしいものができるという好例。
今回の企画展は展示品がとても多い。壁にずらりと並んだ『大日本史』(水戸藩編)は圧巻。
あまりに展示品が多く、また多くが文書だったので、ふだんは買わない図録を買った。
図録がまたよくできている。展示品すべての写真と解説を含み、横長の「四条縄手にて楠家の英雄大敵を引請大に争戦して抜群の功名をあらはす乃図」が畳んではさんである。
家庭向け医学から農業技術、文芸や外国の情報まで、さまざまな文書が江戸時代に印刷されていた。平穏な時代になり、戦う戦士から治める行政職に役割が変わった武士たちがとても勉強家だったことに驚いた。
江戸の武士というと、学校で学んだことから士農工商の身分制度や高い年貢など庶民を搾取する階級というイメージが強い。
私が歴史を学んだときには唯物史観の影響が強かったのだろう。
展示のなかには、庶民の健康を向上させるために家庭の医学のような冊子を作ったり、飢饉に備えて米以外の作物を栽培するための手引書などを作った上杉鷹山のような藩主もいた。
考えてみれば、領地の農民が健康で、効率よく大量に生産してくれないと領主は食べていけない。農民に対してムチを当てるだけではなかっただろう。
同じ時期にヨーロッパにいた啓蒙専制君主にならって「啓蒙大名」と呼んでもいいかもしれない。
2017年1月9日追記。
一番驚いたのは丹波国福知山藩第8代藩主、朽木昌綱。18世紀末に西欧の貨幣や都市についての図鑑を編集している。
19世紀半ばまでは鎖国のせいで外国の知識に乏しかったという先入観も改めなければならない。
国芳が描く筋肉隆々の武者は、30年以上前、『少年ジャンプ』で見た、宮下あきら『私立極道高校」の登場人物(確か、名前は学帽政)のようにも見える。そういう影響があったのだろうか。
失業認定日
失業認定日。初めて地図を見ずにハローワークまで来られた。と思ったら次が最終回。
しかも、次回は再就職の報告をするので別庁舎。
ということは、このハローワークへ来るのは今日で最後。
二度と来ないで済むようにしたい。
特別展「世界遺産 ラスコー展~クロマニョン人が残した洞窟壁画~」
日本の自然を世界に開いたシーボルト、国立科学博物館、東京都台東区
ラスコー洞窟は小学校の国語教科書(光村)で知った。現代人はスローモーションでしかわからない馬のギャロップを正確に描いていると書いてあった。
今回の展示では頭や脚を複数描くことで動作を表現しているとあった。漫画的な表現が2万年前にあった。
洞窟壁画が複数の人数で描かれたらしい。暗い洞窟で動物の油脂に火を灯し、はしごを掛けて高いところに描いた。
これは記号か創作か。
記号とすれば、残ってはいないかもしれないとしても、他の場所にいたクロマニョン人も何か描いていたかもしれない。
創作、すなわち芸術とすれば、ここに住んでいた集団だけが描き残したのかもしれない。
現代では、ほとんどの人は文字は書くけれど、絵を描かない人や楽器を弾かない人は多い。そう言う意味で、この壁画がクロマニョン人一般にみられる文化なのか、この洞窟に住んでいた人たちだけの作品なのか、気になる。
それにしても、2万年とは気の遠くなるような時間。全球劇場で見た地球、太陽系、そして宇宙全体の歴史はさらにさらに長い時間。
世界史で学ぶ人類の文明はせいぜい5千年前までしか遡らない。
5000年のあいだに、現代人はすべての動物を滅ぼすことができる技術を開発してしまった。現代人が滅亡したあと、クロマニョン人がネアンデルタール人と入れ替わったように、今とは違うヒトがこの星に住まうのだろうか。
それも気になる。
櫻井鉱物コレクション、国立科学博物館、東京都台東区
科学博物館へ来るのは4年前の「元素のふしぎ」展以来。その前は2006年に来た。
無計画にまわりはじめたので、地球館と日本館を行ったり来たりする羽目になった。
なんとか予定していた展示は閉館時間までに見ることができた。新井白石と会談したシドッチ神父の遺骨、シーボルトが日本で集めた植物や動物のコレクション。閉館時間ギリギリの最後に見たのが、日本各地の鉱物と岩石。
博物館へ行く前、日本鉱物科学会が「日本の石」、国石としてひすいを選んだというニュースを博物館のウェブサイトで見て、ひすいだけがあるものと見に行くと、数え切れないほどの岩石がガラスケースに並んでいた。
鉱物と岩石は、料亭の経営のかたわら独学した櫻井欽一のコレクション。同じように、独学で鉱物を学び、博物館長になった人の伝記、『あたまにつまった石ころが』を読んだことがある。
なんでもない小石でさえ
不思議だよね
宝石に変わる
一緒に見てるだけでね
アニメ『カードキャプターさくら』の主題歌「扉を開けて」の一節。
同じくアニメ『おじゃる丸』では、カズマは石の言葉を読みとることができる。
もう一つ、忘れはしない。『天空の城ラピュタ』では、飛行石があれば人も城も空を飛ぶ。
石には人を惹きつける妖しい魅力がある。碧に輝く石を一つ、手元に置いておきたい。
カレー作り
今週はカレーを久しぶりに作った。
水曜日の朝、玉ねぎ9個を炒めはじめ、土曜の朝にほぼルウの状態になった。よくレシピでは「キツネ色になるまで数分炒める」と簡単に書いてあるけれど、10時間近く炒めなければルウのようにはならない。
肉は鶏肉、手羽元とモモ。別のフライパンで表面を焼いてからルウに投入。ヨーグルト300gくらいを裏ごしして入れる。
いつも水を入れすぎて失敗するので、今回は慎重に少しずつ注いだ。
野菜は、ニンジンとエリンギ。ジャガイモは入れない。何かの雑誌で入れないほうが美味しいと書いてあったのを読んでからやめた。代わりにズッキーニを入れる。今回は高かったので買わなかった。
隠し味も雑誌やらネットやらで見たものを家にあるだけ入れた。りんご、ソース、インスタントコーヒー、ケチャップ。カレー粉も2社の缶詰から。これだけあれば固形スープはいらない。
カレー粉を入れてから煮込むと鍋の底に焦げつく。これもいつもする失敗。今回はフタは閉めずに木べらで混ぜながら煮込んだ。
いろいろ工夫したおかげで、今回、評価は悪くなかった。それでも「一番美味しい」とはまだ言ってもらえない。「一番美味しいカレー」に程遠いことは自分でもわかっている。何度も繰り返し教えてもらっているのに、同じようにはならない。余計なことをしすぎなのか。
奥義を極めるにはまだまだ。
写真は、国立科学博物館のフーコーの振り子と零戦。
山本大貴 -Ceramic roses-、日本橋高島屋 6階美術画廊
就職前に写実画を集めたホキ美術館に行って、10月に見た個展の感想と合わせて書くつもりだった。ホキ美術館は定期券を買ってから行くことにしたので個展の感想を書いておく。
写実絵画という言葉をどこで知ったか、おぼえていない。図書館で目についてあるだけ借りてきたのだろう。
その中でもヘッドホンをしている十代の女性を描いた山本大貴の作品「Hear no evil II」はとくに印象に残った。
百貨店で個展を開くことを画家本人のTwitterで知った。買うことはできないまでも、まず本物を見たい思いで出かけた。
本やネットで見ていた山本大貴の作品は、印刷や画面で見ていたものとまったく違う。
髪の毛の一本一本のような細部も、全体を包む雰囲気も。現実でもなければ幻でもない。
この不思議な雰囲気はどこから来るのか。
- 障子や家具を置くことでモデルとの距離を感じさせる。
- 一瞬を写し取っている。気配を感じて顔をあげると女性がいる。瞬きするともう誰もいない。そんな感じ。
だから、モデルのいる景色を見ながら、誰もいない景色も思い浮かぶ。人が描かれているのに 「不在」と題された作品もある。
「ママに教えて戻ったらもういなかったよ」(「風を見ちゃった僕」)という歌を思い出した。
一瞬見えた偶像。
山本大貴展では、川田祐子さんに続いて画家ご本人に会えた。
画家さん本人に会うと緊張してしまう。
直接、感想を言うのも「的外れなことを言ってないか」不安になる。
鑑賞者とモデルのあいだに距離感を作っている点について聞いたところ、意図しているという応答だったので安心した。
さくいん:山本大貴。
ポプコン出身の歌手が別のポプコン出身者の作品を歌うカバー集。図書館で見つけた。
八神純子が歌う「さよならの言葉」(小野香代子)は知っていた。あみんの歌う「白いページの中に」(柴田まゆみ)は知らなかった。
驚いたのは、石川優子の歌う「河のほとりに」(谷山浩子)。これが意外によかった。原曲の雰囲気は残しつつ、谷山浩子の甘い声とは違うシティポップ系の軽快な歌声が別の世界を作っている。
その石川優子がチャゲと歌うアコースティック・バージョンの「ふたりの愛ランド 2009」も、息の合ったハーモニーはそのまま。
円広志が歌う「越冬つばめ」なんて曲も入っている。これもいい。英語に翻訳した中島みゆきのデビュー曲「傷付いた翼」(Sandy, Wings of Love)も編曲や歌い方が原曲に近いせいか、違和感はなく聴くことができる。
「白いページの中に」はポプコンではないけど、私のお気に入りは笠原弘子のカバー。
水道山の展望台
群馬県桐生市にある大川美術館へ行った。美術館と特別展の感想は別に書く。
山の中腹にある美術館を出ると、展望台という立て札があった。日暮れまでまだ時間があるので階段を登りはじめた。
映画『海街diary』の一場面のように、「誰かさんのバカーッ!」と叫んでみようかと思いかけてやめた。公園には他の人もいたから。
それだけではない。「話していいんだよ」と言ってくれる人は私のまわりにはいない、「知らない人の話は聞きたくない」という人はいても。
山を下りて渡良瀬川まで歩いた。7年前に渡った見晴らしのいい橋とは違う、すすきの茂る河原に出た。何とか日の入りに間に合ったものの、夕日は川には沈まず、川と直角の位置に沈もうとしている。とりあえず、すすきに沈む夕日を撮影した。
とても足が疲れてしまい、森高千里「渡良瀬橋」を聴くことも忘れて駅へ戻った。
週末のバラエティ番組、「嵐にしやがれ」に薬師丸ひろ子が出演した。こんな大女優がなぜ、と思ったら、新盤の宣伝のためだった。
新譜は映画音楽のカバー集。
試聴して気に入った「愛のバラード」と「戦士の休息」をダウンロードして購入した。「戦士の休息」は町田嘉人の歌声が好きで持っている。『犬神家の一族』はサントラ盤を持っている。山口洋子作詞のボーカル版は入っていなかったので、今回、初めて聴いた。
「死んではいけない」という歌い出しの言葉は衝撃的だった。物語に引き付けると島田陽子が演じた野々宮珠世の気持ちを歌ったものだろうか。
一人どこにいても そこに見える優しい
あなたの名前呼んで 明日を待つでしょう
名前を呼ぶことが崩れ落ちてしまいそうな命の支えになる、とここにも書いてある。
薬師丸ひろ子は歌唱力がいつまでも衰えない。ドラマ「あまちゃん」の挿入歌「潮騒のメモリー」を紅白歌合戦で披露したときも、小泉今日子との差は歴然としていた。男性の町田義人が歌った「戦士の休息」も自家薬籠中のものにしている。
それにしても、十代半ばだった頼子がこの歌を歌う日が来るなんて。
12月23日追記。
NHKテレビ「SONGS」で薬師丸ひろ子が歌う「戦士の休息」を見た。番組では、共演した高倉健への思いを込めたと語っていた。
「戦士の休息」。町田義人の孤高の叫びもいい。薬師丸ひろ子の子守唄のように優しい歌声もいい。
歌詞の通り「男は誰も皆、無口な兵士」と歌っているが、英語の歌でするように女性が歌うときには「女は」と歌ってもよかったのではないか。一人で戦いながら、自分の道を切り開いて歩く、無口な戦士のような女性も増えている。薬師丸ひろ子もその一人。
「愛のバラード」には角川映画への思いが込められているのだろう。
さくいん:薬師丸ひろ子
百合子さんの絵本、薬師丸ひろ子、香川照之、NHK、2016
録画したまま見ていなかった夏のドラマ。
物語はほとんど二人の会話で進む。舞台ならば二人きりの演目になるだろう。そうした構成が、外国で敵国のスパイに囲まれ祖国からも疎外されている二人の孤独な状況をよく伝えている。
ドラマは戦争秘話というより、信念をもって激動の時代を生き抜いた夫婦の物語として見た。
主人公の二人は、遠い外国で孤立していたとはいえ、空襲を受けたわけでもなければ、抑留されたわけでもない。
戦争よりも広い意味で「政治」に振り回された人生と言えるのではないか。そのように広い意味でとらえた方が、信念を貫く困難を一般的な問題として考える契機になる。
言葉を換えれば、こういうことは誰にでもあり得る。上司と意見が一致しない、本社は都合のいい話しか聞かない。サラリーマン生活でもそんな場面はいくらでもある。
そんなとき、孤立無援になっても自分の信念を貫けるか。いまの私にはまったく自信がない。そもそも信念を持っていない。
30年以上、ただただ状況から逃げるだけに費やしてきた。こういうドラマを見ると、自分が歩んできた道が恥ずかしくなる。
このドラマは映像が美しい。ストックホルムの街並みや高官の邸宅。戦前の上流階層の「令夫人」の雰囲気が伝わる、薬師丸ひろ子の衣装も美しい。
さくいん:薬師丸ひろ子
過労死とパワハラ
最近あった過労自死事件では、長時間労働に加えてパワハラがあったにもかかわらず、報道も議論も労働時間の長さに集中している。
上司にパワハラ的な発言があったことは報道されているけれど、処分されたとは聞いていない。
パワハラがなければ、つまり、職場の雰囲気が良好であったら、こんな事態にはならなかったのではないか。「少し休んだら」「顔色悪いけど大丈夫?」。そういうことが言い合える職場ならば、長時間労働も抑止できたのではないか。
管理職がパワハラ気質だったら職場の雰囲気はギスギスして、互いに気遣うこともできない。
長時間労働の改善は一朝一夕ではできないだろう。しかしパワハラはすぐ改善できる。まず、そういう人を管理職にしなければいい。問題のある管理職には注意し、改善しない場合には免職にすればいい。
企業にとって最も大切な社員の命を守るためには、それくらいの覚悟が必要だろう。