9/2/2006/SAT
長いまえがき―副題、デザイン、表記法
5月の終わりに中断したサイトを再開する。まえがきのほかに6月以降書きためていた文章もある。それらは、履歴のページでまとめてたどれるようにした。
今後はいくつか文章をまとめて書いてから公開する。次の更新は11月末の予定。推敲はこれまで通り、日記形式でここに記録していくつもり。
エピグラフについて一言。まえがきには何も書かなかった。いまでも何か書こうと構えてみると、なかなか書き出せない。
一つめの引用だけでは、入口に掲げる言葉としては少し強すぎるかもしれない。そう思っていた8月も終わる頃、偶然、テレビでさだまさしの長崎、稲佐山での野外コンサートを見た。
20年続いたイベントの最後の年。一曲目が「長崎小夜曲」だった。
結論を先送りにすることは、必ずしも悪いことではない。最近、そう思うようになった。
確かに日々、結論を出し決断を下し、実行に移さなければならないことは少なくない。でも、歌うとか書くといったことは、考えていることに結論を出すためにすることではなく、むしろ結論を決めつけないために続けることではないだろうか。
読みはじめた西田幾多郎も、結論を出すことにではなく、どこまでも考え続けるところに思想の核心があるように感じる。
他の人はどうか知らない。しばらくは、結論を出さないように、出さずにいるために書いてみようと思う。
写真は、夏の盛りに行った鎌倉、建長寺に咲いていた蓮の花。
9/8/2006/FRI
『心的外傷と回復』(Trauma and Recovery, 1992)に追記
以下の段落を追記。
トラウマには、犯罪や被害だけでは片付けられない何かがある。その何かは、医療や法律や政治では解決できない。それは、ただ不幸な出来事だけではなく、より一般的な意味で、過去をどのように受け容れるかという普遍的な問題と重なっている。
こんな風に考えるのは、最近読んだ、島崎藤村の評伝『知られざる晩年の島崎藤村 島崎藤村コレクション2』(青木正美、国書刊行会、1998)にハーマンのいう心理的外傷の弁証法によく似た言葉を見つけたから。
思へば、過去は何時活き返らないともかぎらない。わたしの「破戒」の中には二つの像がある。あるものは前途を憂ふるあまり身をもつて過去を掩はうとし、あるものはそれを顕すことこそまことに過去を葬る道であるとした。この二つの間を往復するものもまた人の世であらう。(「再刊『破戒』の序」)
この言葉は、最初の原稿に追記した別の原稿用紙を丁寧に貼り込んであるという。
藤村は、過去にこだわることがそれ自体病気とは考えていない。しかも、忘却と暴露、いずれかが正しいとも即断していない。藤村の立場は、それを考えることに大きな意味を見出している。
過去の出来事について語りたい気持ちと隠したい気持ち。
告白と秘密。こうした二律背反は人間が人間であるかぎり持っていて何の不思議もない心理ではないか。だから、そのどちらかを追求するばかりではなく、そのあいだにとどまり、あえて両端を往復することも、人間的な営みと藤村は考えている。
過去を葬るとはどういうことか。評伝によれば、藤村は晩年「過去を忘れるんじゃあないんだね。過去を葬るということをようやく気がついたんだよ」と妻に語ったという(「14 藤村七十一歳」)。
「葬る」という藤村の言葉の意味が、私にはまだわからない。
さくいん:島崎藤村
9/9/2006/SAT
「政治化の時代」
「心的外傷と回復」に追記。「現代は政治化の時代」以下の一節を追加。
「政治化の時代」という言葉は、三木清「政治の過剰」から。出典は、『三木清全集 第16巻』(久野収後記、岩波書店、1968)。
すべては政治化する。これが現代の特徴である。単に一法律学説のみではない、経済学説も、社会学説も、哲学説も、文学や芸術も、政治化する傾向を有し、また政治化してゐるのが現代である。
1935年3月にはじまり、後に『時代と道徳』としてまとめられた新聞連載コラムの第一回。現代では、政治化と同時に情報化、有体にいえばネタ化が同時に進んでいる。本質が見えにくい、本質を問題にしにくいという事態がさらに深刻になっている。
思想の問題も法律の問題も政治化して、そして情報化する。政治の世界にいる者は、あえて問題を政治化させ、自分の領分へ引き入れる。思想を語る者の多くが罠に落ちたことに気づかず、自分では思想を語っているつもりで政治抗争に手を貸している。
同じことを、映画『八甲田山』の感想にも書いた。
三木清の短文は、西田幾多郎について書いた文章を探して読み返した小林秀雄『全集 第五巻』のなかにある「感想」の一つに教えられた。
小林は三木を「一口に言へば新しい人間の観念の確立といふものを目指すディアレクティックであると共に大変明るいヒュウマニズムの思想だ」と大絶賛し、和やかな対談もしている。
それでいて、西田に対してはよく知られている「学者と官僚」(『全集 第六巻』)のほか言及がなく、あまり評価をしていない。むしろ悪文の例として批判の対象にしている。
私自身、西田の哲学論文よりも三木の哲学エッセイのほうが読みやすい。でも、西田の文章にも魅力はあるし、すくなくとも『善の研究』は、恐れていたほど読みにくいものではない。
一人の哲学者に対する小林の嫌悪と三木の尊敬。にもかかわらず、二人のあいだにある共感。このあたりが、西田を読む糸口になりそうな気がする。
写真は、鎌倉、太刀洗の滝。
9/16/2006/SAT
「秘密」のリンク先を変更
絵本評“The Saddest Time”にある、「誰もが秘密にしなければならない別れ」のリンク先を変更。
小さな改変だけれども、意味は小さくない。
「秘密」という一語から2004年2月17日にあったリンクを、文全体から書評「死者と生者のラスト・サパー」へ。これまで、すべて同じ場所へと引き込んでいた「秘密」という語のリンク先を変える。
秘密には内向きの引力と外からの圧力、二重の力がかかっている。秘密にしておきたい気持ちと秘密にしておけという縛り。
二つの力の相乗効果が秘密を秘密にしている。外的な圧力は、差別ばかりではない。無視や拒絶という圧力もある。
それは聞かなかったことにしてくれ、なかったことにしてくれ、自分の内だけで大事にしてくれ。露骨な悪意ではなくとも、勇気のない善意が告白を抑圧する。
なかったことにしたくない。秘密が忘却されない理由はそこにある。
告白は多くの場合、実質的な救済を求めているわけではない。そのような出来事があったことを自分以外の人にも知ってほしい。聴いてほしい。そうしないと、いつの間にか、自分でもその出来事が幻であったように思われてきてしまうから。
草むらに入り込んだボールがいつまでも見つからないと、まるで最初からボールはそこに飛び込んでいなかったと思われるように。
告白の目的は、秘密の暴露ではなく、秘密の確認にある。壁越しに告白が行なわれるのは、誰にも知られたくないけれども誰かに知ってほしいという目的が達成され、なおかつ自分自身に秘密の確認が帰ってくるからだろう。
だから、無視されるのが、いちばん堪える。
写真は夏の終わりまで咲いていたむくげの花。花の名前などにはまったく関心がなかったのに、近頃は図鑑で調べるようになった。
さくいん:秘密
9/23/2006/SAT
先週のつづき。
自分ではされたくないと思っていることを、自分が他人していることは結構ある。
相手の話を黙って聞いたり、相槌を打つ前から、「でも…」と切り替えすようなことを、私もよくしている。なぜ、同意する前に反対する言葉が出てしまうのか。人間の思考は、逆接を標準としているのだろうか。言葉の誕生は、共感にあるのではなかったか。
逆接の接続詞は、難しい。安易に使うと、同じところを行ったり来たりするだけになる。
そう思って、文章では、なるべく「逆に」を使わないようにしている。ところが、「逆に」という言葉は避けても、文章は逆接でつないでしまっていることが多い。最近書いた雑評「二十四時間の情事」でも、「とはいえ」が多用され、論理はただただ逆接でつながれていた。推敲をしたり、「けれども」に書き換えたりしたもの、蛇行運転の気味は拭えない。
写真は、公園で見上げた日差し。
9/30/2006/SAT
最初に書きあげたときには手元になかった辻邦生の本を借りなおし、森有正の発言を引用、森有正自身が索引について書いた文も追記した。
森が索引について自ら書いていたことは覚えていたけれど、どこに書かれていたかは忘れていた。『エッセー集成 第2巻』「城門のかたわらにて」の索引を作り終えたところでようやく見つけた。これも、索引づくりの効用の一つ。
ところで、辻邦生は引用した森の発言のあとで、索引の意味について書いている。
しかし森さんが索引をつくることを話されたとき、その狙いとされたのは、そうした安直簡便な知識入手の方法ではなくて、生成する思索から、その運動性を括弧に入れることによって、いわばそこでは消えて見えなかった言葉の全的な広がりを、現前させることであった。
索引を作りながら森の文章を読み返してみると、ここに書いてあることがよくわかる。ただし辻が索引を頼りに読んでいるのは『プラトン全集』で、森有正の文章ではない。
広がりという言葉を辻は使っている。私には、リズムが感じられる。半ば機械的に文字だけを追っていると、魂、人間、感覚、経験、精神、出発といった頻出語があるリズムをもって登場するように感じられてくる。思索のリズム、あるいは息遣い。森自身の言葉を借りれば、長い時間をかけた発酵の過程を、後から早送りで見ているような気がする。
全体から見ると、索引はまだ半分もできていない。1、3、5の作品はひと通り終えた。2は、「城門のかたわらにて」だけで「砂漠に向かって」はまだ。今週は、4にとりかかったところ。日記には、まだ手をつけていない。
索引をつくりはじめてわかったこともある。言葉の定義を通じて思想を表現することをめざした森有正であっても、言葉の使い方はそれほど厳密ではない。同じ言葉が日常の俗っぽい用法から哲学的な含意まで幅広く使われている。たとえば、森は経験と体験はまったく違うと繰り返して主張しているけれども、経験という言葉が単なる体験の意味で使われていることもある。
考えてみれば、これは当然のことかもしれない。森は古くからある言葉を練りなおして新しい意味を与えることを思想表現と考えていた。だから彼は新しい言葉を作らないし、まして、外国語の文献からそのまま持ち込んだりはしない。日常で使われている言葉を哲学、文学、美学の世界にも使い、そうすることによって日常を哲学的、文学的、美術的に変えていく。読みかえして驚いたのは、「生活」という言葉が思いのほか多く使われていること。
もう一つ、気づいたこと。感覚や経験のように、すでに森に特異な用語として知られているものを中心にこれまで索引語を選んできた。短期間に読み込んでみると、雨、海、川など、自然、とくに水に関わる言葉が多いことに気づく。確かに森は辻に対する発言のなかで、<嵐>という言葉を索引語の例としてあげている。
ひょっとすると、水は音楽と同じくらい森有正にとって重要な意味を持っていたかもしれない。完成されなかった最後の著作の名前を『荒野に水湧きて』に決めていたことには、これまで思っていた以上にずっと深い意味がある。
旅の文章が多いので、すでに索引語にしてある飛行機のほか、船、汽車、オートカーなど乗り物も多く、重要な場面で使われている。
男と女、カトリック、原子爆弾などは、今回、読みなおして注目するようになった言葉。今までは見えていなかったさまざまな面が、切り分けられた言葉を通じて見えてきた。
索引語にしたい言葉はまだまだある。各地の教会、絵画や彫刻、パリの地名。行ったことのない場所、見たことのない絵は、どうしても後回しになってしまう。
索引の先頭にあった「索引について」へのリンクは削除した。向うからこちらへ直接は来られないようにしてある。索引は、庭とは別の場所にしておきたい。
ボールペンのインクが切れたので、紺色をやめて新色の緑色に変えた。
写真は、公園の木陰。木々のあいだを風が抜けていて、サイクリング・コースが気持ちよかった。