2/3/2006/FRI
死者と生者のラスト・サパー、山形孝夫、朝日新聞社、2000
山形の著書で最初に読んだのは、図説 聖書物語 新訳篇(山形孝夫著・山形美加図版解説、河出書房新社、2002)。『ラスト・サパー』を読み終えてから、『聖書物語』と『聖書小事典』(岩波ジュニア新書、1982、1992)も買った。『聖書物語』の「はじめに」でコプト教徒の少年に「聖書の心」を教えられたと山形は書いている。
『聖書』に書かれていることだけではなく、『聖書』に込められた思いや、そこに言葉となって書かれるまでに切り捨てられた思いにも、山形は目を向ける。そうしたものが、『聖書』を生み出したと思っているからだろう。
切り捨てられたものも、不要だから捨てられたのではない。潜りぬけて匂いを残しているかもしれない。モルト・ウィスキーにはそれを搾り出した麦の香りのほかに、麦を育てた土や蒸留した水、樽が吸い込んだその場所の空気までも染み込んでいるように。
本書、それから本書を教えてくれた本を読んだのは、昨年の9月。最近、読みなおし書評を書きあげた。この文章は、これから何度も読みなおし、書きなおす文章になると思う。
話すこと、聴くこと、書くこと、読むこと、そして待つこと。結びでは、これまで繰り返し考えてきた言葉を使ってみた。
『言語』(大修館)2月号を読んだ。特集は「〈聞く〉ことが拓く世界――内奥の声を引き出す対話の力」。『「聴く」ことの力』の著書がある鷲田清一へのインタビューがはじめにある。ところどころに関西弁がちりばめられて、くつろいだ雰囲気のなかに、含蓄のある言葉が詰まっている。
聴くためには、きちんと話せないといけない、と鷲田はいう。濱野清志「聞く力と語る力――カウンセリングの原点」にも同じことが書かれている。言葉にならない気持ちでも、ほかの人にわかる言葉で整理する必要がある。ただし、これは気持ちに既存の言葉を名づけることではない。言葉に気持ちを押し込むのではなく、気持ちを言葉で表現する努力を重ねることで、言葉を再定義すること、それを繰り返すことを意味している。
だから、ことばを発する、話す、あるいは書くということは、単に何かそのことばに先立ってあるものを正確に再現するということじゃなくて、むしろたえずことばで編まれたものを語り直すという、そういう営みなんじゃないかと思うんです。だから、どこまで行っても正解がない。
哲学の教授ならいかにも使いそうなカタカナや難しい漢語がまったく使われていないのに、考えることを促す問いかけになっていることに驚く。
鷲田は話すことと聴くこととの先にあるものを「納得する」と呼ぶ。私の語彙のなかに探してみると「理解する」が近い。
「納得する」という言葉も使ったことがある。書評「デモクラシー(思考のフロンティア)」(千葉眞、岩波書店、2000)のなかでは、政策に対する合意という意味で「納得する」を使った。政治とは、とくにデモクラシーにとっては説得と納得の過程と反復ではないか。
理解は、私にとっては、政治の世界よりも、思想の世界にある。理解することを説明することは、難しい。説明することじたい、理解に反することだから。理解は、何か新しい行動や表現がはじまること、とすれば、理解することは創造すること、とも言える。
説明することが、その人にとって新しい行動や表現であるなら、それも理解の一つといえる。学者という仕事は、きっとそういうものだろう。
『砂漠の修道院』(1987、平凡社、1998)や『聖書の奇跡物語―治癒神イエスの誕生』(朝日文庫、1991)は、山形の学者としての仕事、表の庭。『ラスト・サパー』は、そうした研究に結実するまでに、彼が吸い込んだ空気が感じられる、ひっそりとした裏庭。
パーソナル・エッセイを好んで読む私は後者を興味深く読んだので、こちらを選んで書評を書いた。
一つ注記。「心に深い痛手を負った人の周囲では、このような態度が求められることも、最近では広く知られている。」という一文は、最近読んだブックレットの感想を含んでいる。
『大切な人を亡くした子どもたちを支える35の方法』 (35 Ways to Help a Grieving Child, The Dougy Center The National Center for Grievin Children and Families, Donald W. Spencer, Donna L. Schuuurman, Joan Schweizer Hoff、栄田千春・岩本喜久子・中島幸子訳、レジリエンス事務局協力、梨の木舎、2005)。
こうした本が書かれたり、NGOが作られたりしているのは、精神衛生の制度が進んでいるからというだけなく、それだけ問題が社会的に深刻になっているからでもあることは言うまでもない。
写真は、先々週、雪の公園で見た木立。
2/10/2006/FRI
書評「江分利満氏の優雅な生活」を剪定
書評「江分利満氏の優雅な生活」(1963、山口瞳、新潮文庫、1968)、山本周五郎の引用文のあと『さぶ』(新潮文庫、1965)について書いた部分を削除。「山口は、しかし、山本の助言には従わなかった。」以下を追記。
二年前のこの時期書いた文章。山口瞳は、その後もときどき読んでいる。この正月休みには、『江分利満氏の優雅なサヨナラ 男性自身シリーズ最終巻』(新潮社、1995)を読んだ。そのとき、抜書きしておいたところを挿入した。「蘞辛っぽさ」は、縦書き変換できないので、ひらがなにしてある。
山口瞳はいわゆる戦中派の一人。その世代では誕生日のわずかな違いが運命を分けることもあった。そのうえ彼は出生日を操作されていたから、なおさら生きのびた不思議について考えることが多かったのかもしれない。
読みはじめた頃はなぜ山口の文章に惹かれるのか、よくわかっていなかった。この書評を最初に書いたときにも、まだよくわからなかった。彼の軽妙な文章に沈んでいる「えがらっぽい」ものが味わえるようになってきたのは、たぶん吉田満を読んでから。
吉田と山口では、表現の仕方はまったく違うけれども、底に流れている、「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」は同じ。
ところで山口瞳は、ただのサラリーマンどころか、はじめから業界人だった。寿屋での仕事は広報誌の編集だったし、その前から編集の仕事をしていて作家や編集者に知り合いも多かった。山口を陽の当たる場所へ引きあげてやろうと思う人も少なからずいたらしい。そのあたりのことは、この小説にはあまり書かれていない。
そういう山口が、サラリーマン生活をサラリーマンの目を通して描くところが面白い。凡人とは違う世界に住んでいて、凡人とは違う才能があるのに、凡人の気持ちを言い当てられる人。そういう人はポップ・スターと呼ばれる。
私の好みでは、松任谷由実「悲しいほどお天気」(『悲しいほどお天気』、1979)、Phil Collins, “Take Me Home” (“Serious Live,” 1990)、Todd Rundgren, “Love of the Common Man”(Faithful, 1976)。
Toddの“Does Anybody Love You?”(“Wizard, a true star,” 1973)には、“Love between the ugly is the most beautiful love of all”という言葉もある。それから、“I have my fears like every man / You have your tears like every woman”と歌うBilly Joel, “Until the Night” (“52nd Street,” 1978)も。
彼らは、非凡な才能をもちながら、自分自身に残る凡庸さのかけらを大切にしていてそれを磨き上げて差し出す。それなのに、ある人々は自分自身の凡庸さには目を向けないで、そういう作品を通じて凡人の世界や非凡な才能までが見えたと思っている。そういう人は、解説屋、もしくはトリック・スターと呼ばれる。
トリック・スターという言葉は、ちょうど読み終えた竹内洋『丸山眞男の時代――大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書、2005)の最後に出てきた。書評は少し先になりそうなので、読み終えた印だけ残しておく。
写真は、横浜美術館前にある噴水。ずっとむかしテレビで見た映画『タクシー・ドライバー』の冒頭、黄色いタクシーがゆっくりと進む深い霧を思い出した。
さくいん:吉田満
2/17/2006/FRI
藤村随筆集、十川信介編、岩波文庫、1989
島崎藤村の『破戒』をはじめて読んだのは、中学二年の2月、最初の金曜日。『全集』のうち随筆を集めた巻と森山啓『谷間の女たち』を読んだのも二年前の2月のこと。
先週、書評を推敲した山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』を読んだのも2月のことだった。2月には2月に読んだ本を読み返したくなる。この本も、2月に読み返す本になりそう。
今回の書評を書くにあたり、本文中に明示はしていないが、二つの文章を意識した。一つは「実事求是の精神―島崎藤村」(『高橋和巳全集 第13巻 評論3』、河出書房新社、1968)。
高橋和巳は、4年前に駒場の近代文学館で手稿を見て以来、気になってはいたのに手に取る機会がないまま過ごしてきてしまった。ようやく全集の中からエッセイをまとめて読んでいる。
高橋は、日本語の思想表現の歴史のなかで島崎藤村を高く評価して、自らその苦闘を継承しようとしている。文学を闘争の手段と考える高橋にとって、藤村は先達だった。
彼は『破戒』での秘密の告白が、「内面の必然性というよりは、社会の制裁に対する恐怖」から引き出された矛盾を指摘しながらも、それを作品の欠点でなく当時の日本社会の精神構造に起因すると考えている。
そして高橋は、藤村が辿った社会小説→私小説→歴史小説という変遷に風土や時代の制約とそれへの抵抗をみる。
一たん自己は極小化され、そこでほとんど嗜虐的な自己露出によって、最低のしかしもはやその一線からは後退することのない自己を確認してから、次にその自己の精神を開示するために必然的に行きつかざるを得ないものとして、社会や歴史にも目を注ぐという迂回路をとったわけである。さまざまの試行錯誤を含みつつも、その迂回は、しかし誠実な歩みであったと評価されてよい。
「誠実」という言葉は十川信介が藤村のスタイルを形容するときにも使われている。
二つめは、森有正「立ち去る者」(『二十歳のエチュード』、原口統三、橋本一明解説、光芒社、2001)。自死について考えるときは、いつもこの文章を読み返す。森は原口を直接には知らなかったから、この文章でも原口個人ではなく、抽象的に自死の問題が考察されている。
「自死した人を慈しみ、許しながらも、なお自死を肯定せず、自らも死に引き寄せられながら、その誘惑に抵抗し、生きることを肯定しつづける登攀の連続」という文は、この文章への短い感想でもある。
かれには罪悪の意識が徹底的に欠如していた。これが究極の点である。ここにかれが人生に背を向けたいっさいの秘密が宿っている。自己の罪性を意識するものはけっして自ら己れを殺すことはできない。古来責任自殺ということがよく行われるが、これは真実の罪の意識が成立していない場合にのみ起こることである。漱石の『心』はどうか、という人があるかもしれない。私は『心』の先生は死ぬことによって、あの一篇に流れている罪意識を急に軽いものにしてしまったと断じないわけにはゆかない。私は漱石が、作品の文学的芸術的構成への関心によって、その内容を犠牲にしたのだと思う。罪人は自ら手を下して死ぬことはできないはずである。奥さんの心にしみをつけるのをおもんぱかって沈黙の死の道を辿った先生の心事は、理解できるように思うが、これはすでに罪の問題ではなく、人間的思いやりになっていると思う。
森がここで書いていることと、藤村が透谷について書いたこと、そして藤村が時間をかけて誠実に歩んだ長い道程のあいだに、大きな隔たりはないと思う。
ただし、森も、また藤村も、自死を合理的な意志による行動と考えすぎている点には注意する必要がある。自死は熟慮の結果というよりは、追い詰められた状態にあっての突発的な事故に近い。
この点を含め、この文章にはまだまとまった感想が書けないでいる。メモのかわりに引用を残しておく。
『北村透谷選集』(勝本清一郎校訂、岩波文庫、1978)も読み返した。四歳しか離れていないのに、文語調の透谷はかなり読みにくい。一つ、「想像は養ふべし。空想は剪除すべし。」という言葉は印象に残った(「想像と空想」)。
前に書いた「妄想は、想像力の飛躍をともなう。真実は、想像力の途切れのない折り重なりと隙間のない積み重なり。」という自分の言葉と重なる。
いまの私は、「立ち去る者」の文章よりも、立ち去った者について書き、悲しみから「新生」を試みる文章のほうを好む。そういえば、『新しく生きる』という本を読んだのも、去年の今ごろのこと。
写真は、横浜、桜木町の橋の上から撮った「水の影」。この言葉は松任谷由実『時のないホテル』の最後の曲の名前から。
桜木町に行ってみると山崎まさよし「One More Chance, One More Time」にある、「こんなとこにいるはずもないのに」という歌詞を思い出した。この曲は昨年末に紅白歌合戦で覚えた。
確かに、桜木町にいた。新聞の片隅にもいた。踏切の前にもいたはず。
2/24/2006/FRI
若い詩人の肖像、伊藤整、1956、新潮文庫、1958
フランス・ユマニスムの成立(1976)、渡辺一夫、岩波書店、2005
今日の文章は、最初、渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』(1976、岩波全書、2005)の書評として書きはじめた。その時は『若い詩人の肖像』について書いた部分を、注記としてここに書くつもりだった。考えてみると、渡辺一夫はたくさん読んでいるわけではない。ほかに書くことも今はないので、島崎藤村の肖像を主にして、ユマニスムを従とした。
今月は、思いがけず島崎藤村特集となった。
先週書いた文章では、先達や大先輩という言葉を使っている。こういう言葉が意味することをもう少し考えてみるために、二冊の本は示唆多い教材になった。
書いてみると、思想を継承する、伝統を継承する、古典を読むといったことについて考えてきたことが、少しずつ形をとりはじめているように感じる。
今月は、名前のつけられていないものに名前をつけてしまった気がする。もう一度、定義されない思想に戻しておく必要がある。
写真は、横浜、山下公園の噴水。