BILLY JOEL: The Life & Times of an Angry Young Man, Hank Bordowitz, BILLBOARD BOOKS, 2005BILLY JOEL MY LIVES, Billy Joel, Columbia, SONY BMG, 2005ビリー・ジョエル詩集(BILLY JOEL LYRICS 1971-1986)、CBS/SONY SONGS, CBS・SONY出版、1986 |
|||
4月のアメリカ出張は、滞在時間はいつもより長かったのに、一人でいられる時間が少なかった。何とか時間を見つけて、いつもの本屋へ。新しい絵本を探す暇はないので目についたペーパーバック、Allen Say,“THE BICYCLE MAN,”(1982, Houghton Mifflin, 1989)”とRuth Krauss,“A Hole Is to Dig: A First Book of First Definitions”(1952, illustrated by Moris Sendak, Trophy Pr, 1989)を買った。 音楽の棚を歩くと、前に立ち読みだけして買わないでいたビリー・ジョエルの評伝がまだ残っていたので手に取る。それからすぐ隣りの音楽店に移り、レジの奥に置いてあった未発表テイクやビデオを収めた5枚組ボックスも買った。 ビリー・ジョエルは、1998年発売の“The River of Dream”以来オリジナル・アルバムを出していない。これまでの仕事を回顧する今回のボックスや評伝の刊行を見ると、半ば引退しているようにもみえる。このあたりで、彼の音楽人生をふりかえりながら、ビリー・ジョエルについてじっくり考えてみるのも、いいかもしれない。 まず最初に大前提を問う必要がある。ビリー・ジョエルに、じっくり考える価値があるだろうか。もし、その価値があるとしても、どんな対象として考えればいいのだろうか。 この疑問は、ビリー・ジョエルにつきまとう問題というよりは、音楽、映画、テレビなど、あらゆるポップ・カルチャーについて言える。すこし気取って問いなおせば、ポップ・カルチャーは批評の対象たりうるか、という疑問になる。 ビリー・ジョエルは、一世を風靡したスーパー・スター。だから、その音楽や行動から、ある時代の雰囲気はわかるかもしれない。では、ビリー・ジョエルの歌からわかることはビリー・ジョエルという歌手が売れていた時代のことだけだろうか。ビリー・ジョエルという人間について何か知ることはできるだろうか。 ポップ・ミュージックがどのように制作されるのか、詳しいことは知らない。でもビリー・ジョエルほどの売れっ子であれば、かなり多くの人々が関わっていることは知っている。ビリー・ジョエルは、いわゆるシンガー・ソングライターではあるけれど、すべての歌詞や曲を彼が書いているのか、ほんとのところはわからない。 ビリー・ジョエル風の曲をつくることは、作曲の専門教育を受けた人には、難しい仕事ではないだろう。歌詞についても、熟練したコピーライターやシナリオライターにはできるかもしれない。恒常的にヒットを飛ばすスーパー・スターの背後には、あまたの専門的な助っ人集団がいるのではないか。私は、ついそう勘ぐってしまう。 評伝を読んでみるかぎり、ビリー・ジョエルの音楽は、彼自身が書いている。しかも、作品の多くは、彼の個人的体験や浅からぬ思いが込められていることがわかる。 自分で書いていても、とくに歌詞については、響きのいい言葉を並べるだけで、歌詞全体には意味がない人も少なくない。ビリー・ジョエルの場合、歌詞を自分で書いているだけでなく、そこにさまざまな意味が込められている。 こういうことは、今まで彼の音楽を聴いて実感していたけれど、疑問や不安もあった。今回、評伝を読んだり、作品に仕上がる前のデモを聴いたりしてみて、言ってみれば、ビリー・ジョエルというアーティストについて何か書くことができるような気がしてきた。 もっとも作曲や編曲の知識は私にはないので、批評は主に歌詞について書くことになる。 “The Life & Times of an Angry Young Man”はポップ・スターの父親の生い立ちから書きはじめ、つい最近の再婚まで多くの逸話を網羅しているけれど、内容は深くない。理由は、ビリー自身が評伝の刊行はもちろん、ふだんから私生活を語ることに否定的だから。関係者の多くも、アーティストと秘密保持契約を結んでいて、インタビューに応じられない場合が少なくないらしい。 その結果評伝は、アルバム、ツアー、アワードなどの公的な発表に、既に発表されている雑誌記事を織り込んだ詳しい年譜以上にはなっていない。著者は、アーティストの意向に配慮してか、逸話を紹介したあとに彼の真意を推測するようなこともしていない。 読むほうはやや物足りなく感じる一方、提灯記事でも暴露本でもないので、客観的な伝記的事実をたどりながら彼の音楽を聴きなおし、落ち着いてビリー・ジョエルの半生をたどることもできる。確かに、本書では金、セックス、ドラッグ、アルコール、離婚などにまつわる醜聞も盛り込まれてはいる。ただし、淡々と記述されているので、そこばかりに気をとられることもない。cerebrity, rock, Americaといった文脈でみれば、スキャンダルとはいっても、ビリー・ジョエルだけに特異なことではない。 “My Lives”は、もちろんスキャンダラスな内容は省略した、レコード会社公認の短い伝記を収録する。二つを読むと、ビリー・ジョエルという人物の表向きはよくわかる。そこから向うは、評伝の記述と彼の作品から探っていくほかない。 ビリー・ジョエルに特異なものとは何か。ビリー・ジョエルの音楽の個性や魅力はどこから生れてくるのか。一見熱度の低い評伝でも強調されているのは、古典教養(classic music)、郊外(suburb)、それから父親の不在(the absence of father)の三点。 この三点は、複雑に絡み合っている。そして愛憎、両面の気持ちをビリー・ジョエルに残した。これら三つに心の中で整理をつけること、言ってみれば、これら三つの局面と和解すること、さらに言葉を換えれば自己の内面で理解することが、ビリー・ジョエルの音楽人生であったといっても言い過ぎではない。 クラシック音楽を、彼は父親から学んだ。ドイツ生れの父親は、戦後、ニューヨークの郊外で出会った妻とそこで生れた子を置いて、一人ヨーロッパへ帰った。 ロックは、破壊するもの、若い怒りをぶつけるもの。それに対して、クラシック音楽は、ビリー・ジョエルには到達するものだった。到達する(“Getting Closer”)、という考え方もビリー・ジョエルの音楽に欠かせない。到達したいけれども、遠くてできない。憎み嫌っているつもりでも、いつの間にかそこへ向かって歩いている。 遠ざかるほどに近づき、近づくほどに遠ざかる。クラシック音楽と父親は到達できない場所として重なる。 郊外。田舎でも都会でもない場所。人々の距離を埋める伝統も、同じ土地にとどまらせる因習もないかわりに、狭いところで片寄せあいながら生きる義理人情もなければ、大都会のように暗黙のうちに契約した無関心や不干渉もない。中途半端な場所としての郊外。 もう一つの特徴。脱出先としての郊外。都会や田舎から、もしくはビリーの父のように戦争と迫害から、落胆と希望をそれぞれの事情によって異なる配分で混ぜ合わせて、人々は郊外を目指し、そこで家庭を築いた。 都市生活に対する憧憬と憎悪の混ざり合った感情を、ビリー・ジョエルはかくさない。もう少し広く言えば、淡白な人間関係、洗練されたファッション、新しいサウンド、そういうものへ近づこうとしたり、遠ざかろうとしたりしている。 “Uptown Girl”は、異性への思いを通じて、都会とその暮らしへの憧れを歌っている。“Captain Jack”も、若くて青い、郊外から都会への憧れの歌として聴くことができる。“The Great Suburban Showdown”では、郊外に飽きたらず、出て行く決心をする。 “Los Angelenos”は、都会への不信感や嫌悪感。“Miami 2017”は、崩壊した都市を遠い場所から眺める未来の空想。この空想は、現実に起きていることの裏返し。本当に崩壊しているのは郊外のほうで、都市は姿を変えながらも人々を吸い込み生き続ける。“My Life”では、無機質な都市生活に進んで飛び込み、しばらくすると、“Say Goodbye To Hollywood”のように、またそこから遠ざかろうとする。 郊外はビリー自身が生まれ育った場所だから、愛着もあり、擁護もしたいけれども、郊外は不安定で、またあまりに脆い。瞬く間に発展し、あっという間に衰退する。目まぐるしく変化し、最後には無残な姿を晒す郊外の歴史は、“Allentown”や 郊外と都会にある緊張は多くの歌で言葉になっている一方で、田舎の風景や自然の描写はビリー・ジョエルの歌詞にあまりない。言葉にはなっていないけれど、カントリー、フォーク、ラグタイムのような音楽は、あちこちに散りばめられている。田舎や自然は、意識の上では憧れや反抗の対象になっていない。でも、言葉にはならないところで彼の作品を支えている。自然は、音楽を通じて父親と同じところに根を張っているのかもしれない。 少年時代に父親がいなかったことが、人間形成にどれほど、どのような影響を与えるものか、よくはわからない。不在といっても、ビリーの場合、父親が生きてなかったわけではないし、暴力や貧困で家族を路頭に迷わせたわけでもない。経済的な援助は離婚後も続いたと書かれている。経済的、精神的には、父親はむしろ堂々と存在している。ただ別居状態にあるため、コミュニケーションは間接的、それどころか幻に対するようなものだったことは推測できる。 父親は、憎悪の直接の対象にはなりえなかった。憎むには、影響を受けすぎている。父を憎むことは、自分を否定することになる。でも、抱きしめたい身体は目の前にない。幻との関係は、自分自身の内側に落ち込んで、自分のなかに、空っぽの場所をつくる。 “The Stranger”は、この得体の知れない空洞の別名。この空洞は、最後の節にあるようにいつも邪悪なわけではない。欲望の源泉であると同時に、創造力の源泉でもあるから。 このコミュニケーションの欠落感は音楽で埋め合わされていたのかもしれない。レイ・チャールズとのデュエット曲“Baby Grand”は、明らかにこうした代償を主題にしている。そうであるにしても、何かに打ち込むことと、人間と関わり合うことは同じではない。 私は、このコミュニケーションにおける欠落感、もう少し正確には、非対称の感覚が、彼の書いてきたラブ・ソングにも色濃く影を落としているように思えてならない。それから結婚相手との関係に比べ一人娘に対する愛情が過熱しているのも、このことと関係があるような気がする。 ビートルズは、“She Loves You”や“And I Lover Her”という題名によく表われているように、歌詞に恋愛の対象とは別の第三者を導入した、これが歌詞の面でのビートルズ革命だ、と聞いたことがある。ビリー・ジョエルの革新は、恋愛をしている自分とは別に恋愛について考えるもう一人の自分を歌詞に持ち込んだことではないだろうか。 恋愛論の歌ということではない。相手を思う言葉とは別に、相手を思っている自分を客観的にみる言葉がビリー・ジョエルには多い。 これはある面で冷静さを表わしているけれども、恋愛に没入しきれない冷めた感情を示してもいる。 「君は僕で、僕は君」という直球のラブ・ソングは、ビリー・ジョエルには、多くない。そういう願望はある。昔読んだルソーの研究書で、「直接性信仰」と呼ばれていた全面的な関係。その期待は秘めていても、心の空洞が邪魔をして、言葉にすることはできないでいる。恋人は、どこまで行っても、自分とは重ならない。 “Summer, Highland Falls”では、相手にsympathyを感じるにどどまっている。恋人とは向き合うのではなく、愛しながらも、並んで立っている。“Everybody Has A Dream”や“Honesty”、“All For Leyna,”それから“Shamelss”では、恋愛はひたすら懇願し、相手に求めるものでしかない。 “And So It Goes”は、少し違って、相手に自分を広げている。けれども、今度は決定権をすべて相手に委ねてしまっている。開放は、即座に受忍になる。受忍が過ぎると、相手に引きずりまわされることを愛情と思うようになる。挙句の果ては、“Stiletto”や“She's Always A Woman”のように、相手に傷つけられることを歓ぶ嗜虐的で倒錯した恋愛に落ち込みだす。 並存、依存、懇願、開放、受忍、そして悦虐。いずれの感情も、恋愛であれば多かれ少なかれありうる。とはいえ、どれか一つに偏るとすれば、いずれの場合も、ハッピー・エンドは難しい。 内側の空虚に対する不安と、外側にある関係の不安定さが重なると、自分自身への猜疑や破壊への衝動が生じる。最初期の一曲、“Why Judy Why”は前者、“You May Be Right”は後者の代表曲。“Why Judy Why”を含むソロ・デビュー・アルバム“Cold Spring Harbor”は、評判を得られず絶版になり、ビリー・ジョエルの人気が確立してから再販された。このアルバムには、ほかにも“Tomorrow Is Today”のように、内省的というより陰鬱な言葉が多く、彼の気質や当時の苦しい精神状態の一端がうかがわれる。 疑問や不安が行き場を失うと、“Angry Young Man”のように内に籠った怒りになる。それでも、こうした心理的な危機の経験は、あとで“You're Only Human”のように悩める若者を励ます歌に結実することにもなる。 問題は、内なる空虚さを何か実体のあるもので埋めようとする衝動にある。これではぴったり合う相手が見つかるまで満足は得られない。すべてを預け、またすべてを受け入れられる相手でなければ、まったく関係が成り立たない、All or Nothingを続けることになる。例えば、“A Matter of Trust”では、adjustすることを覚えても、それは信頼関係と呼べないという言い方をしている。 確かに恋愛で妥協という言い方は嫌われるかもしれない。しかし、交渉や譲歩のない関係というものも、人間関係として、対等とも正常とも言えないのではないか。 相手を受けいれながら、自分も主張する。相手を頼りながらも、相手も自分を頼りにする。相手の実体ではなく、相手との関係が自分自身を形作る大事な部分になる。そういう対等な関係の恋愛はありえないだろうか。 鍵は、ビリー・ジョエルで一番知られた曲、“Just The Way You Are”にありそう。この歌は、自分の好みを相手に押しつけているようにも聴こえるけれども、この歌が最後にいっている言葉は“I love you the way you are”。その人がその人である、そのあり方を愛する。“Just The Way You Are”という書名を「そのままのきみがすき」と訳した絵本もある。 ここでは、相手の意志を尊重する気持ちと自分が相手を求める気持ちが和解されている。受容と要望が共存している。 そこから、相手とともにいるあり方“the way we are”という考えも、きっと生れてくる。人間は、変わる。それを止めることはできないけれど、関係は、人間の力でなおしていくことができる。だから、人間は変わっても、関係は維持できる。実体が変わることに失望するより、関係を維持することに知恵を絞れば、そこに希望が見える。 もちろん、すべての恋愛がそうして残るわけではない。実体ではなく関係性を大切にした恋愛でも終ることはある。そういう失恋は、相手との関係性が自分の一部になっているだけに、相手の実体だけを求めた恋に比べて、傷は浅くない。心の奥深くに残る。ビリーの歌ではないけれど、“The Way We Were”は消去できない「追憶」となる。 また、関係性だけですべてが解決できるわけではない。人間が肉体を離れては存在できないように、実体を求めない恋愛はありえない。関係性に依存しすぎれば、「恋に恋する恋」や「恋愛ごっこ」になってしまう。 もう一つ、ヒントになりそうな歌が、トゥーツ・シールマンスをハーモニカ伴奏に迎えた“Leave A Tender Moment Alone”。この歌は恋愛を三段階に深めていく。最初は、恋に落ちながらも、思いが深くなるだけ怖くなって退いてしまう。次に、不安を抱えているのは自分だけではないことに気づく。目の前の相手も、気持ちを高めながらも、自分自身を怖れている。相手が同じように複雑な思いを抱えていることを発見して、愛しさは増す。 すべてを共有しているわけではないけれども、きっと同じことを感じている存在。その相手と過ごす甘い刹那が、恋の幸福。そのときはじめて、相手の存在は、“undeniably real”になる。そのとき、自分の存在もrealに感じられて、自分のなかの空洞も消える。 あの曲は肯定できる、これはできないということではない。どの歌も聴きこんでみると恋愛の諸相をそれぞれ的確に描写していることがわかる。また、どの歌にも、実体への欲求を関係性へ開くヒントが隠されているようにも思える。例えば、“She's Got A Way”や“Until the Night”は、一方的な依存や懇願に聴こえようでもあり、受容のあり方を強調しているようにも聴こえる。どう聴こえるかは、聴くときのこちらの気分が左右する。 評伝を読んでから、ビリー・ジョエルの音楽を聴きなおしている。すべてのアルバムをもっている歌手はほかにはいないし、歌詞集をもっているアーティストもほかにいない。日本語、英語に関わらず、Billy Joelは、もっともよく聴き、もっとも親しみのある歌手であることは間違いない。 初めて聴いたのは、いつか。たぶん、“52nd Street”が発表された1978年。ココアの宣伝に使われていた“Honesty”を聴いた。“The Stranger”のアナログ盤も、家にあったはず。 あの頃、うちにあったレコードは、The Bee GeesとThe Bay City Rollers。ゴダイゴと田中星児。カセットテープから流れていたのは、小椋佳とさだまさしとオフコース。 ビリー・ジョエルの歌詞は、脚韻が正確で、語彙も難しくない。発音も、ロックにしては丁寧で、聴き取りやすい。そんなことも、気に入った理由の一つだったかもしれない。 もちろん、歌詞はわからなかった。歌詞を読むようになったのは、“An Innocent Man”から。ビートルズの“Hello Goodbye”を手はじめに、歌詞を読みながら、英語の歌を聴く楽しみを覚えはじめたころ。 『ビリー・ジョエル詩集』は、アルバム“The Bridge”を聴いている頃、見つけた。英語ができるようになりたいという願望が強かった頃。ビリー・ジョエルの言葉に私が共感するのは、もともと共感するような経験があったからでなく、恋愛や英語や世界を見ることを彼の言葉を通じて覚えたから。いまでも、メールでも会話でも、私の英語の語彙を分析すれば、ビリー・ジョエルの歌詞にたくさん出典を見つけられるだろう。世界の見方にも、何かしら影響を受けているかもしれない。 コンサートに行ったこともある。1991年、“Storm Front”のワールド・ツアー。グランド・ピアノに座るビリー・ジョエルの姿は、ドームのアリーナからは少し見づらかった。大きな会場は、ビリー・ジョエルの音楽には似合わないように思う。ビリー・ジョエルのライブはスタジオ録音と比べ、編曲は派手で、歌い方もかなり激しい。会場に合わせて、演出は大振りになりがち。 評伝によると、お忍びで出かけた先の小さな店で興にまかせて歌うこともあるらしい。そういう幸運には恵まれない私には、間近で見られて、音響と映像に一工夫あるライブ・ビデオがうれしい。グラスを片手に、“Piano Man”のいるバーの気分が味わえる。 最初に気に入ったのは、テンポの早いロックではなく、バラードが多かった。この点、ロックンローラーを目指していたビリーから見れば、私も期待はずれのファンだったかもしれない。それから、“52nd Street”のジャズを意識した編曲も、それまでよく聴いていたフォークやニューミュージックとは違う魅力を感じた。作品の底に流れていると言われるクラシックの要素は、音楽の知識に乏しい私にはわからなかった。とはいえ、最初からロック一筋ではない多彩な音楽として、彼の音楽は私をつかんでいたように思う。 ベートーベン、レイ・チャールズ、ビートルズ。ビリー・ジョエルが影響を受けた音楽は多彩で、それはそのまま彼のつくった音楽に反映されている。ただし、多彩ということはどの方向にも極端には傾いてないということなので、悪く言えば、どの分野を見ても中途半端ともとれる。どの分野でもそこそこだけれど、超一流とは認められない。バラードの多いロック。クラシックの作曲も、成功したポップ・アーティストの旦那道楽のような扱い。ファンと言ったら、「あれって、アメリカの歌謡曲じゃない」と言われたこともある。 多彩で中途半端。cityでもcountryでもない、suburbの音楽。それでも、無秩序には陥らず、古典教養に支えられて、独特のスタイルを生み出している。 確かに評伝を読むと、ビリー・ジョエルは何をやってもとことんやるし、彼には“I Go to Extremes”という歌もある。けれども極端に走ってしまうと懸念すること自体、ほんとうに極端には走っていないことを示している。一つの方向に突っ走っている人は、自分ではそのことに気づいていないもの。 “James”や“Vienna”のように、極端に走りそうな心にブレーキをかける歌もある。こういう歌を聴くと、ビリー・ジョエルは、extremeというより、inbetweenにいるように感じる。ただ、その場所が自分にはしっくりこない。 中途半端な場所に立ち、あっちに走ったり、こっちに逃げ込んだりしながら、どこかにたどり着くことを夢見る。ビリー・ジョエルの音楽は、彷徨の歌、旅人の歌でもある。文字通り、たどり着きたいという旅人の願いを歌った“Travelin' Prayer”という歌もある。 ビリー・ジョエルの旅は、故郷(Home)を探す旅と言ってもいいかもしれない。崩壊した郊外をあとにした男に故郷はない。ビリーにとっては「国敗れて山河あり」とはならない。郊外は廃れ、もうそこには誰もいないから。場所ではない、帰りたい人がいる場所が、彼の故郷。初期の“You're My Home”は、そういう気持ちを率直に歌う。 “Rosalinda's Eyes”では、遠く離れてしまった故郷の青い空は恋人の瞳の中にある。評伝によれば、Rosalindaは、ビリーの母親の名前をスペイン語風にしたもの。ここでは体験と作品が、少しずれながら重なっている。 たどり着きたい、いや、たどり着く場所は、ずっといる、この場所かもしれない、いや、もっと遠くにあるかもしれない。彷徨は、あちこちの街を、さまざまな音楽を、そして、たくさんの女性を通り抜けていく。 目的のない漂泊ではない。彼は信念、faithをもって旅をつづけている。少なくとも、彼自身はそう信じている。 彼のfaithとは、“The River of Dreams”で歌っているように、探しつづけているものを探しつづけているという信念かもしれない。 And even though I know the river is wide だから、ビリー・ジョエルの探している場所は、彼の歌にも、実生活にも見出すことは難しい。彼は、きっと今も探しつづけているから。 ビリー・ジョエルの作品を通じて、一人の人間を見ようとしてきたけれど、彼がずっと探してきたものを探し当てたか、それには、あまり興味はない。それは彼自身の人生の問題。問題は、作品を通じて出会う一人の人間が私に何を伝えてくれるか。そして誰のものでもない"My Life"にどんな影響を与えるか。 ビリー・ジョエルの音楽に思い出はつきない。けれども、彼の音楽を過去の音楽として聴いている限り、彼が探してきたものも、私が探しているものも、そこに見つけることはできないだろう。 Cause the good old days weren't always good “Keeping the Faith”でも、“It's Still Rock And Roll To Me”でも、彼はいつも、“good oldies”でも“new sound”でもない、「今」の音楽を目指している。 懐かしさだけで過去を振りかえっても、新しいというだけで飛びついたり、怯えたりしていても、探しものは見つからない。それはわかっているつもりでも、ビリー・ジョエルには思い出がこびりついている。甘酸っぱいものもあれば、苦い追憶もないわけではない。 数年前、転職をきっかけに図書館に通ったり文章を書くことをはじめたりしたことと、ビリー・ジョエルの未聴作品を揃えるようになったことには、自分では気づいていなかったけれど、おそらく関係がある。そこには追憶がのしかかっている。ビリー・ジョエルを「今」の音楽として聴くことは、私には難しい。 生活環境の急激な変化のなかで、断片的に、それでも着実に継承される古典教養、わずか一世代のあいだに起こる郊外の栄枯盛衰、そして、経済的な豊かさとは反比例して減少する、父親が家庭で過ごす時間。ビリー・ジョエルを読み解くこれら三要素は、ビリー・ジョエル個人や彼の音楽だけではなく、1970年代から80年代の合衆国をはじめ日本を含む先進国の多くの場所に見出すことができるのではないだろうか。 彼の音楽は完成度が高く、三つの要素が極めて高い濃度で作品に反映されている。その意味では、ビリー・ジョエルは、ある時代とある文化を象徴していると言える。実際、生れた1949年からの歴史をたどる“We Didn't Start The Fire”のように世代を強く意識した歌も彼は書いている。ほかにも同じアルバムの“Leningrad”は冷戦と鉄のカーテン、“Goodnight Saigon”はベトナム戦争が題材になっている。いずれの曲も、政治的主張というよりは、その時代に生きたことの意味を問う世代論の意味合いが強い。 そう考えると、ビリー・ジョエルの音楽は歴史の教科書か、せいぜい「懐メロ洋楽」に過ぎないように思われて、ますます「今」の音楽として聴くことができなくなってくる。 ふと、気づく。過去も未来もなく、ビリー・ジョエルを「今」の音楽として聴いている人が私の身近にいる。彼らにとってのビリー・ジョエルは、お決まりのアメリカ土産。彼らと一緒に“Keeping The Faith”の前奏にあわせて足を踏み鳴らすとき、Billy Joelは、私にとっても「今」の音楽になる。 その「今」は、刹那に終わる現在ではない。過去を抱き、未来を望む「今」。少し硬い言葉を宗教学者に借りれば、「全時的今」とも言える。 でも、ずっと「今」のままではいられないだろう。ビリレーロは、ビリジョーになって、もうビリー・ジョエルになっている。やがて、彼らにも、Billy Joelが思い出の音楽になる日が来るだろう。そのとき彼の歌声が、今のひととき、the way we areを思い出させてくれたらうれしい。 そして、願わくは、そのとき彼の音楽は、父親の不在、absenceではなく、「父のpresence」、そこにいることを感じさせる音楽であってほしいと思う。 ビリー・ジョエルは、私にとって、ただの楽しみではない。聴くだけの音楽でもない。 書きはじめれば切りがない、郊外とか、不在とか、中途半端とか、Homeとか、そういうことをあれこれ考えさせてくれる、ビリー・ジョエルは、私にとって思索の源泉と呼ぶのがふさわしい。 さくいん:ビリー・ジョエル、アメリカ、ゴダイゴ、田中星児、オフコース、さだまさし、小椋佳、70年代、80年代、HOME |