批評精神と批評文――小林秀雄再論


読書には、三つの態度がある。一つめは、調べたり学んだり知るための読書。二つめは楽しむ読書。三つめの読書は、学ぶためでも楽しむためでもない。引き寄せられる読書。一つ目の読書は知識や情報を与え、二つめの読書は、爽快感や快楽を与える。そして三つめの読書は無言の感動を与える。読書だけではない。すべての芸術に対して、このような三つの接し方がある。

この無言の感動を、言葉で表現することが批評。沈黙を言葉に置き換えるのだから、真暗闇のなか、素手で火を起こすような、たいへんな仕業といえる。言葉にできない感動は無言のままにしておくほうが自然で楽なのに、あえてそれを言葉に置き換えることは、ある意味で人間性に反することであり、それゆえ己を狂気の淵にさらす危険な行為でもある。


小林が考える批評を、私なりにまとめると以上のようになる。そして小林は、モーツァルト、ゴッホ、本居宣長、西行、実朝、ドストエフスキーなどなどの対象から得た無言の感動を、言葉で表現しようと試みた

確かに彼の批評には、自らに及ぶ危険を顧みず書き上げた労作という印象がある。しかし率直にいって、批評は苦行でしかないのだろうか、という疑問もわいてくる。なぜ感動しているものを、わざわざ苦しみに置き換えるのか。少なくとも批評作品が仕上がったとき、つまり思い通りに感動を言葉で言い表せたとき、小林には喜びがあったはず。その喜びは、芸術家が作品を創造したときに感じるものと同じであるに違いない。

さらに言えば、感動を言葉に置き換える過程にも何かしらの喜びがあるはず。登山家は頂上からの眺望だけを楽しみにして山に登るわけではない。登る行為そのものも、肉体的な苦しみだけでなく楽しみであるはず。そうでなければ、登山を続けることはあるまい。


沈黙を言葉で表現しようという批評とは、人間性に反する行為かもしれない。しかし、その行為に喜びを見出し、その過程までをも楽しんでしまうのも、人間性のもう一つの側面ではないだろうか。ところが小林には、批評を楽しむという姿勢があまり感じられない。険しい道を額にしわ寄せながら歩いているようなところがある。

ユーモアや自分を笑い飛ばすような場面が少なくとも文章に見られないために、そう感じられるのだろう。ではなぜ、諧謔がほとんどない難渋な文章を書くのか。その理由は、やはり批評という行為に真摯に向かい合っている小林の姿勢、いうなれば、小林が備えた知の基本姿勢、スタイルにあるように思われる。


芸術の創造とは、一つの世界をつくりあげること。芸術家の内的世界を言葉や、音楽や、絵によって再現すること。これに対して批評とは芸術を解体すること。芸術を見つめる眼から、政治的画策や商業的意図などを注意深く取り除いていく知的作業。外的な要因だけでなく、鑑賞者である自分が抱える偏見や個人的な趣味性なども疑い、解体していく。

その意味で、批評とは永久に続く思考の運動。そうなると、批評作品を書き上げるということは、永久に続かねばならない疑いをどこかで保留することになる。そうでなければ、作品という静止した世界に写しとることはできない。ここに批評行為を作品にすることの矛盾がある。

本来、疑うことを続けなければならないところを、あえて一時停止して、書く。ただ停止するのではない。高速度シャッターのように、疑い続ける運動を瞬間的にとらえなければならない。なぜなら一つの作品で疑う批評精神が動き回っていれば、作品はぼやける。一貫した精神のないだらけた作文になってしまう。

批評精神にのっとって疑い続ける一方で、一つの作品世界をつくりあげるために一瞬間を写し取る。心のシャッターを押すときの苦渋の決断が、彼の書く文章を難解にしているのではないだろうか。


古典、一流といわれる作家、作品ばかりを批評の対象に選んだことも、彼の文章を近寄りがたいものにし、彼を鼻持ちならないインテリ作家に感じさせる。対談「伝統と反逆」(『全集 第八巻』)で、坂口安吾はまさにこの点をつく

小林は、批評とは疑うことだとも言っている。対象を疑い、疑う自分も疑えと言う。例えば、ゴッホをどう疑うか。なぜゴッホなのか、他の批評家がほめているからではないのか、大きな美術館に置いてあるからではないのか、高い値段で取引されているからではないのか、そういうことを批評家は疑うのだろう。

自分を疑うとは、どういうことか。ゴッホを美しいと思うのは、なぜか、友人に奨められたからではないか、そう書けば金になるからではないか、単なる好みではないか、そんなことを疑ったのではないか。


小林は美しいものは、黙って見ろとも言う。すべての予備知識や偏見をとりのぞき、自分のなかにある純粋な美意識だけで対象を見つめるということだろう。疑うことと無心になることは同じこと。こうして、何ものにもとらわれず、それでも美しいと言い切れるか。そもそも、そういう自分にたどりつけるか。批評とは、無心になる道であり、無心になって作品の本質を見出すことでもある。

批評という関門は、なにも小林だけが設けたものではない。ゴッホにしても、モーツァルトにしても、多くの人間が、こんなものは芸術ではないのではないか、と問いただしてきた。美しいと思うのはなぜか。権力に好まれているからではないか、商業的な成功を収めたからではないか、進んだ外国で生れたからではないのか。批評は、次々疑問を投げつける。

矢のような疑問符の前に敗れ去った作品や芸術家もあっただろう。にもかかわらず、疑問をはねつけ、生き残ったのが、今日でも古典と呼ばれる作品ではないだろうか。だからゴッホもモーツァルトも今は芸術だけれども、いつか芸術とみなされない日がくるかもしれない。鋭敏な批評家が繰り出す疑問によって、あの美しさは虚像だったと暴露されることがあるかもしれない。その俎上にのることを怖れないのも、古典である。


小林ほどの審美眼があれば、過去にだけでなく、同時代の作家や作品に美を見つけることもできた。実際、彼は梅原龍三郎、中川一政、坂口安吾などの同時代の画家や作家を批評した。それでも彼の批評活動の中心は古典にあったのは間違いない。日本の古典と西洋の古典。

その理由は、彼の「日本人」という自覚にあったと思われる。その自覚は、批評家と言う職業に対する厳しい責任感に裏打ちされていた。別な言い方をすれば、自らの批評精神の運動を瞬間的に撮影しようとしたとき、小林は常に「日本人」というコマを標的にしていた。

西洋文化と固有の伝統文化との融合に苦闘し、次第に世界から孤立した日本国。結局は戦争を起こし、敗れた。こうした時代に批評家として生きた小林は、あるときは手放しで模倣され、あるときは鬼畜の所産といわれる西洋文化と、同じように時勢によって歪曲されたり、否定されたりする日本国の古典文化の価値を正当に評価し、同じ「日本人」に紹介することを社会的責任と受け止めていたように思える。


小林秀雄の文章が生真面目で、禁欲的すぎて、ユーモアが足りないように感じられるのは、「日本人」としての自覚と、「批評家」として自覚に根ざしている。そう考えると、「無常といふ事」「西行」「実朝」など、戦中に書かれた「日本文化」についての批評がとりわけ難解なのも、生活することすらままならない政治的にも暗い時代に、永続的な運動と瞬間的な撮影を両立させる人間離れした知的苦行に、あえて挑戦した証であると思われてくる。

今、小林秀雄を読もうというのならば、「批評の神様」などといってお飾りにするのではなく、彼を疑うことからはじめなければならない。小林にどんどん疑問をつきつける。なぜ読むのか。教科書にのっているからではないのか、読んでわかったふりをすると偉そうに見えるからではないのか、同じ「日本人」だからではないのか。疑いをぶつけることが、批評家、小林秀雄に対する知的な礼儀ではないか。それだけが、思想を伝統にきたえあげる唯一の方法ではないだろうか。


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