烏兎の庭 第一部
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10.27.02

アメリカン・デス・トリップ 上下(The cold six thousand、裏金六千ドル)、James Ellroy、田村義進訳、文芸春秋、2001


アメリカン・デス・トリップ

まずは、エルロイにならって。

訳者も、あとがきを「電報体」で書いている。これは一種のお約束か。


秋の読書。昼間にはとても読む気になれない小説。

暗黒小説。夜更けに読む。

読みはじめてしまったら読み終えなければならない。この嫌悪感から早く逃れたい。読み終えるためだけに読みすすめる。

片手には、ジンをたっぷりと注いだグラス。ジンをなめながら読む。物語が「展開」する。ジンを飲む。「限界」に近づく。

ジンをあおる。「崩壊」する。胃壁が痛む。


James Ellroyを知ったきっかけ。『L.A.コンフィデンシャル』。機内で見た映画。見入った。睡眠を奪われた。『L.A.コンフィデンシャル』の文庫本。読みふけった。睡眠が奪われた。ペーパーバック。辞書を引いた。睡眠が奪われた。

新聞で『アメリカン・デス・トリップ』を知った。ケネディ大統領の暗殺からロバート・ケネディ、マーチン・ルーサー・キングが暗殺されるまでのアメリカ暗黒史。読もうときめた。

気に入った場面。ウェイン父子の会話。会うたびに、ジュニアが暗黒面に没入していく。転倒した教養小説(ビルドゥングス・ロマーン)。六十年代のダースベイダー。こちらはよりリアル。より残酷なのは、死んでも善なる世界へは戻ることはできないだろうということ。


エルロイは、犯罪小説に残っている善良さを根こそぎ破壊しようとしているという。まさしく、善良さや正直さの痕跡すらどこにもない。

読者はとまどう。誰に自分を重ねればいいのか。この陰惨な歴史を「ながめている」眼はどこにあるのか。作者はどこに立っているのか。小説のなかに作者の居場所を探す。

そのとき。背後に視線を感じる。見られている、エルロイに。暗黒をながめる読者をみつめている。ささやく。

「お前自身の暗黒にまだ気づかないのか。」

人はあまりにも簡単に、「アメリカは戦争をしたがっている」とか、「日本はアメリカの言いなりになっている」などという。しかし、政府の組織は一枚岩でなく、思っている以上に複雑なもの。大統領、長官、補佐官、官僚、議員、支持者など、多くの人々がそれぞれの思惑を秘めて行動している。しかも私たちは、また本人たちも、それぞれは思惑を軸に合理的に行動していると信じがち。

戦争を起こそうとしている人は戦争に向かわせるような言動を、増税を企んでいる人は税金が増えるような政策立案を当然するものと思っている。ところが、狙ったことを思い通りに実現できるとは限らない

仮に自分の欲望を整合して理解できたとして、それをどこまで合理的な行動に移せるか。自分では合理的だと思っている行動をとったとして、事態はどれだけ思い通りに展開するのか。


エルロイの小説では、登場人物たちは血眼になって自分の思惑、自分の欲望を追いかけている。少なくとも自分ではそのつもりでいる。しかし、いつの間にか自分が向かっていた欲望とはまったく違うことをしてしまっている。

日和見やオポチュニストというものとは違う。日和見やオポチュニストという考え方はある主義主張には測定できる価値があり、行為者は、自分にとってより価値が高いものを選ぶ。利益の計算が客観的にできることが前提にある。

この小説では違う。信念に基づいて行動しているつもりが裏切る結果になる。裏切りや報復のつもりの行動が敵を利する結果になってしまうこともしばしば。そして、裏切り、復讐、思いつき、気晴らし、そういうもので歴史がつくられている。

これが史実でないことは、もちろんわかっている。とはいえ、歴史の教科書や新聞に書かれている、「アメリカは——」「大統領は— —」という表現も皮相すぎる。

エルロイの描く暗黒世界は、歴史を眺める絶望的な視線を育てる。


さくいん:ジェイムズ・エルロイ暗黒



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