最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

川面に映る灯り

8/2/2015/SUN

東京大空襲の記録、東京空襲を記録する会、三省堂、1982

東京 消えた街角、加藤嶺夫、河出書房新社、1999
写真が語る日本空襲、工藤洋三・奥住喜重、現代史料出版、2008
日本空襲の全貌、平塚柾緒、洋泉社、2015

東京 消えた街角 写真が語る日本空襲 日本空襲の全貌

図書館の「終戦70年」の特設棚で見つけた二冊の写真集を借りてきた。

東京大空襲のことは知っているつもりでいた。あらためて、一冊にまとめられた写真集を見て、その非情な行為と悲惨な結果に胸が痛くなった。ネット上であれば間違いなく「閲覧注意」と但し書きが添えられるはずの惨い写真も少なくない。

まず驚いたのは、サイパンの日本軍が陥落したあと空港に集められたB29の数。Wikipediaにも同じ写真がある。撮影時期は明記されていないが、中島飛行機の武蔵製作所など軍需工場への空襲が1944年11月に始まっているので、1944年秋前だろう。

ざっと数えても1,000機近くある。B29は、戦時中の日本では量産までこぎつけなかった四発エンジンの大型機。それを1,000機近くも、敵国まで無給油で往復できる場所に配備した。この時点で国力の差は歴然としている。

にもかかわらず、45年3月10日前に停戦の協議は行われず、10万人もの生命が奪われた。

原子爆弾と同様、この大量殺戮は許しがたい。


原爆が終戦を早めたとは言わない。しかし、戦況を冷静に分析せず、終戦交渉を先延ばしにしたから、亡くならずにすんだはずの犠牲者が多く出た、とは言える。一部の軍幹部が鼓舞していたように本土決戦をしていたら、被害はもっと大きくなっていただろう。

原爆の投下は、アメリカにとっては、日本の降伏を早める目的よりも、戦後の日本占領と世界秩序の主導権をソ連より優位に持ちたいという意図があった、と政治学者、進藤榮一は指摘する(『分割された領土』)。

米軍への義憤がこみ上げる一方で、なぜ、これだけの被害が首都で出ているのに、このあと5ヶ月余りも和平を模索せず、状況を放置したのか、という憤りも感じないではいられない。つねづね思う。侵略の戦争責任はもちろんあるとしても、同時に、大日本帝国政府には、和平工作もせず、徒らに多くの国民を犠牲にした責任がある

今度の安保法制でも、同じ懸念がある。70年前と同じく、日本の為政者は、自分たちさえ生き残ることができれば、一般人など、どんな被害を受けてもどうでもいいと思ってはいないか。首相周辺の発言を聞いているとその不安が消えない。


もう一冊の写真集は昭和40年代の写真が多い。ちょうど私が大田区松濤の日赤病院で生まれた時期と重なる。父はこんな街を通勤していたのか、母はこんな街で通院したり、買い物したりしていたのか。想像しながら日常をとらえたスナップ写真を眺めた。

次に会うときにはこの本を見せて、もっと「あの頃」の話を聞いてみようと思う。

それにしても、1945年3月の大空襲で焼け野原になった東京で、24年後にはオリンピックが開催され、時速200Kmの新幹線が開通したという戦後の復興ぶりには感嘆する。生き残った人たちが、どれほどの苦労と努力をしたのか、想像に余りある。


夜、NHKスペシャルで、レコードに残されていた日本軍捕虜への尋問を聞いた。

連合国側の日本軍捕虜に対する冷静な尋問と、終戦を急ぐことに協力を求める執拗な説得に驚いた。映画『戦場のメリークリスマス』や、最近報道された、日本企業が行っていた捕虜の強制労働を見ても、日本軍と日本企業の敵軍捕虜扱いは酷い。

さらに愚かにも、彼らが持つ情報を利用しようという策略も思いつかなかった。

捕虜になることが「恥」とされていたので、万一、捕虜とされたときの対処法も訓練されていなかった。皮肉なことに、「捕虜の心得」を知らず、非合理な作戦と貧窮に耐えかねた日本兵士は、国際条約に基づく丁重な扱いを受けて驚き、やがて「敗戦」を促すことに協力しはじめた。


暴力と精神主義で押さえつけられていた日本兵は、鬼畜と信じ込まされていた人たちに人間として対応され、容易に「転向」した。

誇り高い士官さえ、いや、戦況の情報をより多く持っていた彼らだからこそ、熟考の上で説得を受け入れた。そして「日本を救うために」、南方の残っている兵士に投降を呼びかけるビラ作りに協力した。


現場レベルの誠実な努力と上層部の呆れ果てる無責任ぶり。

これが「日本人」国民性なのか?


写真は、この夏、解体された元中島飛行機武蔵製作所の変電室


9/20/2015/SUN追記。

日本への空襲の記録をさらに2冊読んだ。

写真が語る日本空襲、工藤洋三・奥住喜重、現代史料出版、2008

日本空襲の全貌、平塚柾緒、洋泉社、2015